万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年2月15日

J・M・ロバーツ 『図説世界の歴史 9 第二次世界大戦と戦後の世界』 (創元社)

Filed under: 近現代概説, 全集 — 万年初心者 @ 05:21

第二次大戦と冷戦を叙述し、重要地域として特に東アジアと中東を取り上げた後、20世紀文化を扱った巻。

西洋文明の世界制覇に対する反撃が最も強かった東アジアの情勢について。

アジアに対するヨーロッパ人の侵略は、第一次世界大戦が始まった一九一四年にはピークを過ぎていました。ヨーロッパの植民地主義とその強大な経済的・文化的影響は、すでにアジア各地で深刻な反動をまねくようになっていたのです。そうした反動がもっとも強かったのは、おそらく日本だったといえるでしょう。日本ではヨーロッパ列強に対する反発が、近代化を促進するうえでの大きな力となりました。その結果、日本はこのあと起こる東西文明間の長い戦いにおいて、中心的な役割をはたすことになるのです。

近代化に成功した日本は、二〇世紀の最初の四〇年間、アジア史の主役となりました。一方、辛亥革命をへた中国がアジア史の主役に返り咲いたのは、一九四五年以後のことでした。中国がアジアの政治力学のなかでふたたび日本をしのぐ存在となり、アジアにおける西洋の時代を終わらせるためには、第二次世界大戦の終了を待たねばならなかったのです。

近代日本の発展について、著者の見解は定型的に思えてあまり感心する部分が無いこともあるが、以下の見方などは示唆的である。

・・・一九二〇年代の日本には、「大正デモクラシー」とよばれる民主的かつ自由主義的な空気があり、それが日本の帝国主義をおおい隠す役割をはたしていました。一九二五年に男子普通選挙が実施されたことも、明治維新に始まった立憲君主政への道のりが、着実に進んでいることの現れと考えられていました(もっともヨーロッパではすでに、普通選挙の実施がかならずしも自由主義や政治的中庸に結びつかないことは、はっきりと示されていたのですが)。

そして、イデオロギー対立によって「ドイツ問題」の解決が遠のいたことを指摘し、ドイツのナチズムを(イタリア・ファシズムよりもはるかに過激で危険な存在として)徹底的に批判する一方、日本の戦争についての著者の評価は、驚くほど冷静である。

日本が一九〇五年にロシアを敗北させたことが、ヨーロッパとアジアの心理的な従属関係を揺るがす画期的な出来事となったように、一九三八年から四一年にかけて日本が行なった侵略もまた、歴史に一線を画す出来事でした。それは結果として、第二次世界大戦後におとずれた植民地解放の時代の幕開けをうながすことになります。このように、植民地解放の動きはごく自然な流れとして、もっともうまく「西洋化」をなしとげていたアジアの大国によって、そのきっかけがもたらされることになったのです。

・・・・・・

一九三六年の五月、首都のアジス・アベバが陥落し、エチオピアは独立を失うことになります。今日の時点からふり返ってみると、国際連盟がイタリアによるエチオピアへの侵略を阻止できなかったことは、致命的な失敗だったように映るかもしれません。けれども第二次世界大戦はきわめて多くの要因が重なって発生したものであり、いつの時点で戦争が不可避となったかを論じても、あまり意味がないといえるでしょう。

もっとも、一九三三年にドイツのナチ党政権(それはイタリアのムッソリーニ政権よりも、はるかに過激で恐ろしい政権でした)が誕生したことは、まちがいなく歴史の転換点となりました。そうした政権の誕生を可能としたのも、やはり直前に発生していた世界恐慌だったといえます。

世界恐慌はまた、別の面においても重大な影響をおよぼしています。一九三〇年代に入ると、経済破綻がもたらした階級闘争の激化によって、各国の政治家たちは国際関係上の問題を、ファシズム対共産主義、さらには左派対右派、民主主義対独裁制などといったイデオロギー的な観点から解釈するようになりました。イタリアのエチオピア侵略に対する英仏の反応に激怒したムッソリーニが、ドイツと同盟を結んで反共産主義の「聖戦」をとなえるようになると、この傾向にはさらに拍車がかかりました。このように一九三〇年代の国際問題がおもにイデオロギー的観点から解釈されていたために、ドイツのナチ党政権のもつ真の危険性が見えにくくなり、その結果、ドイツ問題への対応がますます遅れることになってしまったのです。

ソ連のプロパガンダ活動も、世界に大きな影響をおよぼしていました。一九三〇年代のソ連の国内情勢はきわめて不安定なもので、大規模な産業化計画の実施(一九二八年に第一次五ヵ年計画が開始されていました)にともない、民衆は多大な犠牲を強いられていたのです。そうした国情不安に対処するため、スターリンによる独裁体制が強化されていきました。・・・・・こうしたソ連の動向は、それにともなうプロパガンダによって、国際情勢にも大きな影響をあたえ始めていました。この時期にソ連が意図的に、ソ連包囲網が形成されているというプロパガンダを行なったことが、国際情勢を左右したことほまちがいありません。・・・・・そうした動きにともない、コミンテルンの主張する世界的な階級闘争論も各国に浸透していくことになりました。それがどのような結果をもたらしたかは、容易に想像することができます。つまり、世界各国で保守派が危機感をつのらせることになったのです。左派はもちろん、穏健派の改革勢力に対してさえ、少しでも譲歩すれば共産主義に敗北したことになるとする風潮が、各地で生まれるようになりました。こうして右派が態度を硬化させる一方で、共産主義者たちもさらに革命にむけての活動を激化させていったのです。

・・・・・・

終戦直後にはまだ、第二次世界大戦がどれほど大きな影響を人類の歴史にもたらしたかを評価することは困難でした。ただひとつだけ、誰の目にもあきらかな事実がありました。それはドイツのナチ党政権が行なった数々の犯罪行為が、決して許されるべきものではないということです。連合軍がヨーロッパ大陸を進軍し、強制収容所を解放していくにつれ、人類史上最悪ともいえる組織的暴力と犯罪の実態があきらかになっていったのです。

かつてチャーチルは、「われわれが敗北するようなことがあれば、アメリカを含む全世界が、われわれがこれまで親しみ大切にしてきたものすべてを含む全世界が、新たな暗黒の淵へと沈んでしまうだろう。その暗黒の時代は悪用された科学の力によって、ますます邪悪なものとなり、そしておそらくは長期化の道をたどるだろう」と語っていました。その言葉は、まさに真実以外の何ものでもなかったのです。

・・・・・・

平和が回復すると、戦時中の美辞麗句は思いがけない害をもたらすようになりました。銃声が鳴りやんだあとの世界をじっくり見渡した人びとの前には、大きな幻滅が待ちうけていたのです。それでもなお、一九三九年から四五年にかけてのヨーロッパの戦争は、ほかのどんな戦争にもなかったほど、倫理的な側面を強くもっていたといえるでしょう。この点は何度も強調しておく必要があります。第二次世界大戦において連合軍が勝利したことで、自由主義文明に対する最悪の挑戦が退けられたことはまちがいないのです。

深い洞察力の持ち主であれば、ヒトラー政権が反自由主義的な性質をもった支配体制だったという点に、重大な皮肉を見てとることができたでしょう。ドイツは多くの点で、ヨーロッパのなかでも群をぬいて進歩的な国でした。ヨーロッパ文明における最善のものを数多く保有していたドイツが、これはどの規模で集団的な犯罪行為に走ったという事実は、自由主義文明の基盤そのものに何らかの重大な誤りがあるのではないかという疑いを人びとにいだかせました。ナチ党の犯罪は、一時的に野蛮な征服欲にとりつかれたゆえの暴走ではなく、計画的、科学的、統制的、官僚的な方法で進められたものであり、そのおぞましい目的をのぞくと、そこに合理性を欠く要素はまったくなかったからです。

この点からすると、アジアにおける戦争の意味は大きく異なっていました。アジアでは日本の帝国主義が、一時的にそれまでの西洋列強の帝国主義にとって代わりましたが、多くの場合、支配された人びとはその変化をそれほど嘆いてはいませんでした。戦時中のプロパガンダによって「ファシスト」日本という見解が流布したものの、それは長い伝統をもつ日本社会の特質を、意図的に歪曲した見解だったといえます。たとえ日本が勝利を収めたとしても、ヨーロッパ諸国がドイツに支配されていた場合ほど悲惨な結果は生じなかったことでしょう。

しかし、巻末の監修者あとがきで五百旗頭真氏が以下のように指摘している面は、全くもって認めるしかない。

といって日本偏向という訳ではなく、日本がはまってしまった歴史的愚行を明快に語る。日本の中国侵略こそが、中国の愛国心を呼び起こし、中国が再び東アジアの主体にたち帰る契機を提供した。そのうえ「日本は不覚にも国民党政権を攻撃したことで、長年にわたって阻止しようと努めてきた中国革命を、最終的な成功へみちびく」結果となった。日本は逆説と皮肉を好む歴史に魅入られたように、忌み嫌う敵の勝利につくしたのである。東アジアの植民地解放と第三世界の船出にも、概して同じような皮肉な役割を日本は果たしたといえよう。

 

 

他の部分は省略。

この巻の記事は、これくらいにしましょう。

2017年2月9日

J・M・ロバーツ 『図説世界の歴史 8 帝国の時代』 (創元社)

Filed under: 近現代概説, 全集 — 万年初心者 @ 00:49

19世紀末帝国主義時代から第二次世界大戦直前までの巻。

まず、欧米列強による世界分割が、「平和的」に進んだことを指摘。

一九世紀をとおしてイギリスが海軍力を背景に「イギリスの平和」を実現したおかげで、非ヨーロッパ世界の支配をめぐって争っていたにもかかわらず、ヨーロッパ諸国のあいだでは植民地をめぐる戦争が一度も起こりませんでした。一九世紀が植民地への直接支配がもっとも拡大した時代だったことを考えると、一七世紀や一八世紀には何度も起きた植民地戦争がこの時期起きなかったのは、かなり異例だったといえるでしょう。この「イギリスの平和」のおかげて、無数の貿易商人たちも、なんの障害もなく世界中の海を行き来することができました。ヨーロッパ文明が世界中に広まることができたのは、イギリスの圧倒的な海軍力が経済活動を保護していたからでもあったのです。

・・・・・・

ヨーロッパ諸国は約四〇年にわたって植民地問題をめぐる激しい論争をつづけ、アメリカとスペインの対立は戦争にまで発展しました。ところがその一方で、ヨーロッパ諸国による「世界の分割」は、実は驚くほど平穏なうちに進んでいったのです。

事実、一九一四年に始まった第一次世界大戦では、植民地問題でもっとも対立していたイギリス、ロシア、フランスの三ヵ国が同盟して戦っています。つまり第一次世界大戦を引き起こした原因は、植民地をめぐる対立ではなかったということになります。

一九〇〇年以降、第一次世界大戦までのあいだに領土争いが戦争に発展しそうになったのは、モロッコをめぐるドイツとフランスの対立だけでしたが、このときも植民地をめぐる攻防よりも、ドイツがフランスを攻撃した際に、他国がフランスを支援するかどうかに注目が集まっていました。

こうしてみると第一次世界大戦以前の植民地をめぐる争いは、ヨーロッパ大陸内に存在する深刻な対立から、各国の注意をそらす役割をはたしたともいえるでしょう。さらにいえば、ヨーロッパ内の平和の維持に貢献したとさえいえるのです。

19世紀後半、「帝国主義の最後の波」の描写。

一九世紀前半にイギリスとフランスが新たな領土を獲得したことに刺激され、その他の列強諸国も一八七〇年以降、領土の拡大に乗りだします。しかし、そうした国々がたんなる羨望からイギリスとフランスのあとにつづいたというだけでは、一九世紀後半に突如として起こった大規模な「帝国主義の時代」を説明することはできません。南極と北極をのぞくと、一九一四年までに世界の五分の四以上の地域が、ヨーロッパの支配下に入るか、ヨーロッパ系の新国家となっていました。真の意味での独立をたもったのは、日本とエチオピア、そしてタイ(シャム)のわずか三ヵ国にすぎなかったのです。

その原因について、経済的動機は余り重視せず、実は当時各国で進行していた「民主化」こそが大きな影響を与えたとする。

なぜこうした状況になったかについては、今日もまだ議論がつづいています。しかし、それまで長期にわたってヨーロッパに蓄積されてきた力が、この時期に一気に噴出したことほまちがいありません。ヨーロッパ文明が進歩し、強力になるにつれて、ほかの地域はますますその覇権に抵抗できなくなっていきました。ある時点までの帝国主義の理論や思想は、そうしたヨーロッパ諸国が突然自覚したみずからの巨大な力を、「合埋的」に説明しようと試みたものだったといえるでしょう。

・・・・さまざまな技術の発達によって、ヨーロッパ諸国は世界中に覇権を確立していくことになりました。けれども世界各地に覇権が広がれば、貿易と投資も自然に活性化するだろうという見通しは、たしかな根拠をもたない場合が多く、たいていの場合、期待外れの結果に終わりました。アフリカの「未開の地」にどれほど魅力があろうと、また何億人という農民をかかえた中国が一見どれだけ巨大な市場に見えていたとしても、工業国はやはり他の工業国を最大の貿易相手としていたからです。海外における資本の投資先としてもっとも人気があったのも、新しく獲得した植民地ではなく、既存の植民地や元植民地でした。たとえばイギリスは海外むけの資本の大半を、アメリカ合衆国と南米につぎこんでいました。またフランスの投資家たちはアフリカよりもロシアに関心を示し、ドイツはオスマン帝国領に資本を投入していたのです。

国家と同じく個人としてのヨーロッパ人のなかにも、領土拡大による経済発展に大きな期待をよせた人たちが数多く存在していました。ところが、そうした多くの個人がかかわったために、この時期のヨーロッパの帝国主義には一貫性がなく、全体としての傾向を語ることをきわめて困難にしているのです。

探検家や商人だちからうながされる形で、各国政府はしばしば新しい領土の獲得に乗りだしていきました。領土拡大がもっとも盛んだったこの時期は、民衆の政治参加が急速に進んだ時代でもあり、探検家や商人たちが民衆から英雄視されることも多かったのです。

民衆は新聞を購入したり、選挙で投票したり、あるいは通りで声援を送ることによって、国家間の領土拡張競争を背後から支えつづけていました。このころ誕生した安価な新聞は、植民地における戦争や探検をドラマチックに報道して、帝国主義的な政策を後押ししていたのです。出費を生むだけでなんの利益にもならないような土地でも、新しい領土を獲得することで民衆の不満をやわらげることができると考えた政治家たちもいました。

さらにいえば、領土拡大の動機となったのは、利益の追求や不満の解消だけではありませんでした。一部の帝国主義者たちが信奉していた理想主義は、多くの人びとの良心を満足させるうえでも大いに有効だったといえるでしょう。ヨーロッパ文明こそが真の文明であると信じていた人びとは、他の民族を支配して彼らに「幸福をもたらす」ことを、自分たちの義務であると考えていたのです。

日本の近代化と独立維持について。

天皇がふたたび表舞台に登場したのも、民衆の支持を得て革新的な改革を断行できたのも、教育を受けた日本人の大半が、西洋文明に対する「不名誉な後進性」をなんとしても払拭したいと願っていたからでした。もしそれができないとすれば日本もまた、中国やインドなどと同じく植民地化への道をたどると考えられていたのです。

・・・・・・

朝廷が京都から東京に移ったのは、「明治維新」と日本の再生をつげる象徴的な出来事だったといえるでしょう。新しく誕生した明治政府がまずとりくんだのは、封建制度の廃止でした。日本がこの時代の非西洋諸国のなかで特別な存在となりえたのは、中国の惨状をまのあたりにした結果、改革を早急に進めようと決意した人びとが数多く存在したことと、日本の社会的・道徳的な伝統がその種の愛国心を支えたこと、そして既存の天皇制のなかに、たんに古い伝統を守るというだけではない精神的な権威が存在したということです。こうした条件があったからこそ、日本はイギリスの名誉革命と同じく、既存の体制内の人びとが起こした革命によって、大きな変革を実現することができたのです。

・・・・・・

こうして明治維新は大きな成功を収めることになったわけですが、そのひきかえに日本は、最終的に精神面で大きな代償を支払うことになります。日本は西洋から熱心に学んでいる最中に、早くも内向的な姿勢に転じ、新たに国家の宗教とされた神道の信者たちは、「外国」から伝来した宗教という理由で、儒教や仏教を攻撃するようになりました。そしてしだいに「現人神」としての天皇の権力が強化され、やがてせっかく誕生した憲法よりも、天皇に対する忠誠心のほうが重視されるようになっていったのです。

もしも文化的土壌が異なっていたら、明治憲法に盛りこまれた近代的な原則の数々は、自由主義的な社会の発展に貢献したのかもしれません。しかし実際の明治時代の社会体制は、きびしい警察の取り締まりに代表されるように、自由主義とはほど遠いものでした。

けれども明治時代の日本が直面していた・・・大きな課題を考えると、そうした権威主義的な傾向を退けるのはきわめて困難であったことがわかります。ひとつは、経済の近代化を短期間で達成するためには、政府の強い指導ときびしい財政政策が不可欠だったという点です。・・・・・

大衆民主主義時代の到来とその弊害について。

選挙制度の民主化にともなって起きた政治の「大衆化」は、さまざまな形で社会を変化させていきました。選挙に勝つためには大衆を組織しなければならなくなり、一九〇〇年までに近代的な政党が次々と誕生していったのです(政党はまずヨーロッパとアメリカで生まれ、やがて世界中に広まっていきました)。こうした政党は、いずれも巨大な組織と宣伝のための手段をもち、それぞれの得意分野を開拓して政党としての特色を打ちだしていきました。

古いタイプの政治家たちはそうした動きに反発しましたが、彼らにも言い分がなかったわけではありません。近代的な政党とは、つまりは政治の大衆化を意味するものであり、大衆に迎合するために政治が堕落する危険性があると彼らは考えていたのです。

・・・・・・

その一方で、新聞の発行者や政治家たちの多くは、世論は操作できるものだと考えるようになっていきました。この点に深いかかわりをもっていたのが識字率の向上です。大衆が選挙権を正しく行使するためには教育が必要であるとされた反面、識字率の向上に支えられて、センセーショナルな記事で読者の感情をあおる安価な新聞が人気を集めていきました。一九世紀のうちに、宣伝・広告という新しい産業も誕生していました。

そしてこのころになってもまだ、大衆をもっともひきつける政治思想といえば、ナショナリズムでした。当時のナショナリズムは、革命を起こす力さえ依然としてもっていたのです。

近代技術の発達が、戦争を政治の延長であり、その一手段とする考え方を極めて危険なものにしていたことについて。

一九世紀に入って戦争が減少したことで、ヨーロッパでは戦争に対する楽観的な考えが生まれるようになっていました。たしかに一八七七年にロシアとオスマン帝国が戦っだのを最後に、ヨーロッパでは大国どうしの戦争は起こっていませんでした。加えて、残念なことにヨーロッパの軍人も政治家も、アメリカの南北戦争であきらかになった重大な事実に気づいていませんでした。南北戦争では鉄道や電信、さらには大量生産された近代的な武器がもちいられたことで、それまでとはくらべものにならないほど大きな被害が出ていたのです。

・・・・・・

こうしたヨーロッパの不穏な状況をいっそう危険なものにしていたのが、社会全体にみなぎった心理的なムードでした。当時はナショナリズムや愛国主義の昂揚期であり、大衆がひとつの方向へ感情的に流されやすい時代だったのです。

もうひとつ危険だったのは、大多数の人びとにとって戦争といえば一八七〇年の普仏戦争(短期間でパリが無血開城されました)だったため、近代戦争のもつ悲惨さがほとんど理解されていなかったということがあります。普仏戦争の数年前にはアメリカで南北戦争が起こっており、近代戦争のもつ悲惨さがすでにあきらかになっていたのですが、ヨーロッパではそうした新大陸の出来事には注意がむけられていなかったのです(南北戦争によるアメリカ人の死亡者数は、アメリカがそれ以外にかかわっだすべての戦争の総死亡者数を上まわっていました)。

近代戦争がとてつもない破壊力をもつこと自体は、もちろん周知の事実でしたが、二〇世紀の戦争はすぐに終わるものだという誤った「常識」も存在していました。軍事費ひとつをとっても、もはやナポレオン戦争のような長期戦を行なうことができるとは考えられていませんでした。複雑さを増した世界経済のなか、文明国の納税者たちが長期戦に耐えられるはずがないと考えられていたのです(こうした誤った「常識」が、戦争への不安をやわらげていた可能性もあります)。

しかも一九一四年のヨーロッパには退廃と閉塞感が広まっており、戦争が起こればそうした閉塞感を脱することができると期待されていたふしさえあります。もちろん革命家たちは、革命につながることを期待して、戦争の勃発を歓迎していました。

さらに当時のヨーロッパ各国が外交交渉によって長らく戦争を回避し、重大な危機を乗り越えてきたという事実にも、大きな危険がひそんでいました。そのため、一九一四年七月にいよいよ状況が手に負えなくなったときも、多くの人びとが事態の深刻さにしばらく気づかなかったのです。開戦前夜になってもまだ政治家たちは、各国の外交官なり首脳なりが協議することによって、危機を回避できるのではないかと考えていたのです。

キリスト教の衰退と科学への安易な礼賛によって、人間の精神を律する倫理的規範が失われ、ヨーロッパと世界は破滅的動乱に近づいて行く。

このように科学は第一次世界大戦以前の段階で、すでに「神話」となるにじゅうぶんな成果をあげていました。ただし、ここでいう「神話」という言葉には、つくりごとという意味は含まれていません。科学の成果の大半は、実験によって「真実であることが証明されたもの」だからです。そうではなく、過去の時代における宗教と同じく、科学は人間の世界観(宇宙観)に大きな影響をおよぼすものとなりました。その意味から、「神話」とよぶにふさわしいということなのです。

いまや科学は、自然を解読してあやつるためだけのものではなく、人間が追求すべき目的や、行動を律するための倫理基準など、形而上的な問題に対しても指針をあたえるものと考えられるようになりました。もちろん、そうしたことはすべて、科学者たちが追求する科学の本質とは、基本的になんの関係もありません。しかしそうして科学が形而上的な尊敬を集めたことによって、近代文明はその中核に共通の宗教をもたない、はじめての文明となったのです。

この文明の中核には、自然を操作することによって豊かな未来が開かれるという確信と、じゅうぶんな知性と資金さえあれば、基本的に解決不可能な問題はないという自信が存在していました。そして「あいまいなもの」が存在する余地こそあったものの、「神秘的なもの」が社会に存在する余地はなくなっていったのです。実は科学者たち自身はその多くが、科学を中心とするそのような新しい世界観を支持していなかったのですが、今日では多くの人びとがそうした世界観をもつようになっています。その基本的な部分は、第一次世界大戦以前にほぼできあがっていたものなのです。

・・・・・・

けれども皮肉なことに、科学もまた第一次世界大戦の勃発した一九一四年までには、ヨーロッパ文明内の緊張感を高める一因となってしまいました。伝統的な宗教が直面したさまざまな問題に科学が大きく関与していたことはいうまでもありませんが、科学はもっと微妙な形でも社会の緊張を高めていました。つまり、ダーウィンの理論からみちびきだされた決定論や、人類学や心理学が示唆した相対主義をとおして、一八世紀以降科学が重視してきた客観性と合理性に対する信頼を、科学自身がそこない始めていたのです。その結果、一九一四年までに、自由主義的で合理的で進歩的な「新しいヨーロッパ」が、伝統的で信心深く保守的な「古いヨーロッパ」と同じくらい、不安定な状態におちいってしまうことになったのです。

第一次世界大戦がヨーロッパ文明に破滅的損害を与えた後結ばれたヴェルサイユ条約について、著者は問題の困難性を考えれば、条約に対する批判はしばしば行き過ぎているとしつつ、もはやヨーロッパ内部のみの均衡維持で平和は達成できない情勢だったので、米ソ二大国を除いた戦後体制に有効性は期待できなかった、としている。

そして戦後における右翼全体主義の台頭について、著者はイタリアをはじめとする各国の「ファシズム」とナチズムを区別し、真に革命的で過激なものは後者のみであるとする。

イタリア以外の国々で起こったファシズムとよばれる動きも、それらがかかげていた手法や目標とはかけ離れた結果に終わりました。たしかにそうした政治勢力はみな、自由主義のあとにつづく「新しい何か」(大衆社会を基盤とした何かとしか表現できません)を反映してはいたものの、いずれもつねに保守勢力に譲歩し、妥協をくり返していきました。「ファシズム」という現象を正確に説明することは困難ですが、多くの国々で権威主義的(全体主義をめざすものもありました)できわめて国家主義的、そして反共産主義をかかげる体制が成立していったことは事実です。

しかし、この種の体制を生みだしたのはファシストだけではありません。たとえばスペインとポルトガルで誕生した政権は、民衆の支持よりも伝統的な保守勢力をよりどころにしていました。

ファシスト内部の急進派のなかには、政府が既存の社会体制に譲歩することに強く反発した人びともいました。けれども「ファシスト」とよばれた政治勢力のうち、伝統的な保守勢力倒して革命を成功させたのは、ドイツのナチ党だけだったのです。以上のような理由から、「ファシズム」という言葉はある種の政治的潮流をあらわす一方で、混乱をまねくことの多い言葉でもあります。

 

 

この巻は、ちょっと鋭さが減じたか?

でも、それほど悪くもないです。

2011年5月21日

上杉忍 山根徹也 編 『歴史から今を知る  大学生のための世界史講義』 (山川出版社)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

図書館で偶然目に付いたのを全く何の気なしに手に取ったもの。

副題に心引かれたのかも。

中身は、横浜市立大学の先生が、学生向けに近現代500年間の世界史を概説したもの。

日本の青少年の歴史的なことがらへの徹底した無関心を憂いて設置された全学共通科目の世界史授業を基に、大学教科書の体裁をとる読み物として出版したと、まえがきに書いてある。

全体の構成として、現代をグローバリゼーションの時代と捉え、その特徴を資本主義的世界体制と主権国家体制の並立であるとし、その発展を五つの段階(前段階を入れると六つ)に区分している。

(0)グローバリゼーション以前(~16世紀)

(1)資本主義的世界体制の形成の時代(1492~1770年)

(2)パクス・ブリタニカの時代(1770~1873年)

(3)帝国主義の時代(1873~1945年)

(4)冷戦の時代(1945~1989年)

(5)現在のグローバリゼーション(1989年~)

章分けで言うと、全12章のうち、(0)が1章、(1)の世界関係の叙述が2章、日本関係が3章、(2)の世界が4章、日本が5章、(3)が6~9章、(4)が10、11章、(5)が12章。

まあ標準的なページ配分。

以下、個々の感想を脈絡無く数点だけ。

まず第1章で、アブー・ルゴドという人の「13世紀世界システム論」というものを採り上げている。

モンゴル征服以後の世界規模の貿易体制を指し、これは近世以降のヨーロッパ主導の近代世界システムよりも平等的・互恵的な側面があったとされている。

最初の掴みとしては面白い導入。

近世初頭の世界地図が載っているが、初心者は、16世紀西欧の進出で非西欧世界が瞬く間に支配されたとはイメージしない方がよい。

アメリカ大陸のアステカ・インカ両帝国は即座に覆滅されたが、ユーラシアのオスマン朝、ムガル朝、明朝の三大帝国に対してはヨーロッパはまだ手が出せない状態(むしろムガル朝は創成期、そしてオスマン朝のバルカンからの中東欧侵攻は16世紀に本格化したことを想起)。

建国間もないサファヴィー朝や日本も同じく。

17世紀帆船で来た西欧人に対しては鎖国できたが、19世紀蒸気船で来た欧米人は追い払えなかった。

近世の大航海時代と、近代の産業革命のヨーロッパの実力差を何となく頭の片隅に入れておく。

社会主義に関する記述で、マルクスの剰余価値説は賛否が分かれていると書くより、理論的には全く間違いだが、無制限・無規制の資本主義による弊害を描写する比喩としては多くの示唆に満ちていると書いてもらった方がすっきりします(引用文(佐伯啓思3))。

日本の開国について、幕府の外交を評価し、全く諸外国のなすがままに不平等条約を受け入れたとは言えないとするのは、中公新版世界史全集『25 アジアと欧米世界』と同じく。

第二次世界大戦時のドイツ占領地のやたら詳しい地図が載ってる。

もののついでに絶滅収容所の位置を確認。

ポーランド国内の1929年の国境で、アウシュヴィッツ・ビルケナウが西南端、マイダネウがワルシャワから見て南東、国土のちょうど中央にあるルブリンのすぐ側、トレブリンカがワルシャワから北東、中央北部。

160ページほどで近現代世界史500年間を叙述するのはそもそも至難の業なのはわかっているが、どうももう一つ。

楽に読めるが、あまり得たものは無い。

時々、随分平板なこと書くなあと思う部分もあった。

高校世界史があやふやな人が、ざっと通読して要点と大まかな流れを身に付けるにはよいのかもしれないが・・・・・。

ちょっと評価に苦しむ本でした。

2011年3月2日

山本紀夫 『ジャガイモのきた道  ―文明・飢饉・戦争』 (岩波新書)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

私にしては珍しい分野の本。

2008年刊。

確かほぼ同時期に中公新書から『ジャガイモの世界史』も出たはずだが、こちらしか図書館の開架コーナーに無かった。

ジャガイモはトウモロコシ・トマト・タバコと共に、新大陸原産の作物で、大航海時代以降ヨーロッパなど旧大陸に伝えられたことは高校教科書にも出てきます。

現在世界で栽培面積が、小麦、トウモロコシ、稲に次いで第四位の重要な作物。

ジャガイモはもともとアンデス高地に自生していた雑草のひとつ。

(ラテン・アメリカ文明でジャガイモが知られていたのはインカ帝国が繁栄したアンデス地域のみ。トウモロコシはメキシコからアンデスまで広範囲で栽培。)

ただしこの「雑草」とは、人間が恒常的に利用し変化した環境(森林伐採や排泄物処理による)で生育する植物の意で、自然そのままの環境で生える草ではない。

前5000年頃、有毒成分を含むイモ類を人間が品種選択や毒抜き作業によって栽培化。

通説では、文明成立には小麦・米・トウモロコシなど穀物栽培が必要とされ、イモ類栽培は過小評価されてきた。

アンデス文明もトウモロコシを主要作物とする文明と言われてきたが、著者はこれに疑問を呈する。

アンデスのような寒冷・高地ではジャガイモが主食であり、トウモロコシはチチャ酒などの原料になる儀礼的作物だったのではないかとしている。

イモ類は水分が多く、重いので、貯蔵性が低く輸送も困難なのは事実だが、水分(と毒成分)を抜いたチューニョという乾燥イモに加工することにより、その問題も解決することができる。

トウモロコシはコロンブス来航時からヨーロッパ人に知られていたこともあり、ラテン・アメリカ文明はすべてトウモロコシが主作物だったようなイメージがあるが、アステカ帝国はトウモロコシ栽培の上に立つ文明である一方、インカ帝国はジャガイモ栽培によって成り立っていたとしている。

(ヨーロッパ人侵入以前のラテン・アメリカで、ジャガイモの栽培地域がアンデスに限られるということは高校世界史では出てこないはず。)

トウモロコシに比べて、ヨーロッパへのジャガイモの普及は遅れ、本格化したのは18世紀末頃。

例外的にアイルランドでは18世紀には主食の地位を占める。

しかし過度の依存が禍して、19世紀中頃に疫病による「ジャガイモ飢饉」発生。

多数の死者が出て、移民も急増。

この時アメリカに移住した中にはケネディ一家も含まれる。

あと、他の地域への栽培伝播とその影響について。

ネパール東部、エベレスト南のシェルパの例が挙げられている。

この「シェルパ」は登山ガイドの意味かと思ったら、民族名だそうです。

続いて日本では江戸時代半ばから後期に普及したことが述べられて、インカの末裔である現在のアンデスに住む人々の農耕・牧畜について論じてお仕舞い。

楽に読めて、結構実のある知識を仕入れることができる。

悪くない本です。

2010年8月8日

B・H・リデルハート 『第一次世界大戦  その戦略』 (原書房)

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同じ著者の『第二次世界大戦』(中央公論新社)の記事で触れた『第一次世界大戦』とは厚さが違い過ぎますんで、たぶん別の著作。

原題は“THE WAR IN OUTLINE”。

戦間期の1936年刊で、1939年冨山房から出た翻訳を、仮名遣いと漢字を新字体に改めて原書房が1980年に復刊、それをさらに今年新装刊したものが本書。

一年ごとに章分けして、綿密な戦史を叙述していく形式。

まず総論として、特に機関銃の発達により、当時の軍事技術では攻撃側に対する防御側の優位が揺るぎないものとなっており、そのため歩兵兵力の大きさが実際の戦力に反映せず、それを悟らなかった軍事指揮官が無意味な攻勢を採ったため、犠牲のみを大きくしたといったことが書いてある。

本文を読んでいく上で、各国の軍司令官として、フランスのジョッフル、ニヴェル、ペタン、フォッシュ、イギリスのフレンチ、ヘイグ、キッチナー、ジェリコー、ドイツの小モルトケ、ファルケンハイン、ヒンデンブルク、ルーデンドルフ、アメリカのパーシングなどの名前は頭の片隅に記憶しておいた方が良い。

以下ごく基礎的な事項のみ挙げた、簡略な年表形式のメモ。

 

 

1914

6月末  サライェヴォ事件

7月末  オーストリア、対セルビア宣戦

8月初  ドイツ、対露・対仏宣戦、ベルギー中立侵犯→イギリス、対独宣戦

8月末  タンネンベルクの戦いでドイツ軍がロシアに圧勝

9月末  マルヌの会戦  フランス軍がドイツ軍の進撃を押し止め、戦線膠着化・持久戦へ

この「マルヌの奇跡」を現出したフランス軍司令はジョッフルだが、本書ではジョッフル自身はこの時点での反撃計画に消極的だったとして、その評価は甚だ低い(というかイギリス軍含め評価の高い軍司令官などほとんどいないんですが)。

10月  トルコ、同盟側に参戦

 

 

1915

2月~  トルコ・マルモラ海のエーゲ海側入口にあるガリポリへの英軍上陸作戦失敗

5月   ルシタニア号撃沈事件

同月   イタリア、三国同盟破棄し対オーストリア宣戦

といってもイタリア軍は極めて不振で、歴史地図を見るとオーストリアにヴェネツィア近くにまで攻め込まれている。

9月   フサイン・マクマホン協定(アラブの蜂起は翌年)

10月  ブルガリアが同盟側参戦

結局、同盟国は独・墺・土・ブルガリアの四ヶ国。本書では“四国同盟”との表記あり。

ここで中小国の参戦・中立態度を整理。

バルカン諸国ではセルビアが連合(協商)国側なのは当然として、兄弟国(?)のモンテネグロも連合国側。

ブルガリアは上述の通り同盟国、ルーマニアとギリシアは連合国側。

セルビアとルーマニアは国土のほとんどが占領された状態に陥っている。

1913年独立したばかりのアルバニアは中立国の表示だが、地図を見ると領土のかなりの部分が独墺に占領されているような表示となっている。

北欧諸国のデンマーク・ノルウェー・スウェーデンは中立、フィンランドは当時ロシア領で国自体存在せず。

ベルギーは当然連合国、戦後のルール占領にフランスと共に参加したことを想起。

隣のオランダは中立、そのため戦後ヴィルヘルム2世が亡命し、連合国が引渡しを要求しても応じなかった。

イベリア半島ではスペインが中立なのに対し、ポルトガルは連合国側で参戦(ちなみにポルトガルは1910年以降フランス・スイスと並んで第一次大戦前の欧州には珍しい共和国)。

スイスはイメージ通り両大戦とも中立。

第二次大戦ではデンマーク・ノルウェー・オランダ・ベルギーはフランス攻略の露払いのような感じでドイツに撃破され、スウェーデンのみ中立、フィンランドはソ連に攻撃されたこともあって枢軸側、フランコ政権のスペインとサラザール政権のポルトガルは賢明にも中立を守り、チェコ・ユーゴ・ギリシアがドイツに占領されたのに対し、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアは同盟関係といったところはもちろん記憶。

 

 

1916

2月~12月にかけて断続的にドイツの攻勢によるヴェルダン要塞攻防戦

6月~11月には逆に英仏の攻撃によるソンムの戦い

両者とも莫大な犠牲を出しながら決定的勝利を得られず。

私はこのソンムの戦いをなぜか1917年の出来事と以前記憶していたが16年です。

6月   ユトランド沖海戦  英・独両艦隊が激突するが勝敗つかず

同月   フサイン挙兵によるアラブの反乱(しかし同年サイクス・ピコ協定)

高校教科書レベルで出てくる個々の戦いは、第二次世界大戦ではミッドウェーとスターリングラードだけですが、第一次大戦では上記マルヌ、タンネンベルク、ヴェルダン、ソンム、ユトランド沖と、こちらの数の方が多いのも何か不思議な感じがしないでもない。

11月   墺帝フランツ・ヨーゼフ1世(位1848~)死去

12月   英ロイド・ジョージ内閣

開戦時の英国政権は1908年以来のアスキス自由党内閣。

アスキス自身は指導力に乏しいパッとしない人という感じの評価らしく外相のグレーの方が有名。

この辺の記述を読んで思うのがドイツ軍の精強さ。

西部で英仏とがっぷりよつに組みながら、ロシア・イタリア戦線でオーストリアの危機を救い、劣勢を挽回。

イギリスが中立を守り、もちろんアメリカも参戦しないという条件なら、仏・露二正面作戦になっても勝ってたんじゃないかと思わせる。

無論そうしたドイツの大陸制覇を防ぐためにイギリスは参戦したんでしょうが。

 

 

1917

2月   独、無制限潜水艦戦

これに対してロイド・ジョージら英国首脳らは渋る海軍に護送船団方式を強要。

少々理解に苦しむが、それまで軍艦が商船を直接護衛するという発想は、護衛を必要とする船団の数の問題などから、全く無かったらしい。

春頃には仏軍内で抗命・反乱の動きが広がる。

この時フランス軍司令官がニヴェルからペタンに代わるが、ペタンは援護火力を重視し、犠牲のみ多い無謀な攻撃を退けることで軍内部の動揺を鎮めたとして、本書での評価はかなり高いようである。

3月   ロシア三月革命

4月   アメリカ、対独宣戦

11月  ロシア十一月革命、仏クレマンソー内閣、バルフォア宣言

 

 

1918

3月   ブレスト・リトフスク条約

これを受けて東部戦線から兵力を移動したドイツが春に西部戦線で最後の大攻勢をかける。

しかし夏には連合国軍が反攻。

11月  ドイツ革命と休戦条約調印

結局、ドイツ本国内に攻め込まれる前に休戦。

これがドイツは戦場で敗れたのではなく革命によって背後を一突きされたのだ、という「匕首伝説」を生み、それをナチスはじめ極右勢力が利用したとかいう話は教科書には出てこないが、初心者でも頭に入れておきましょう。

開戦が1914年、ヴェルサイユ条約が1919年というのは憶えている人が多いが、実際の戦闘中止をもたらした休戦条約が18年なのは要チェック。

評価は「普通」です。

初版の発行年代が発行年代ですから、言い回しが古く読みにくく感じる部分がある。

前半部分に一箇所明らかな乱丁があり、誤植も数箇所あった。

上記リデル・ハートの同名著より分量が少ないのはいいが、A・J・P・テイラー『第一次世界大戦 目で見る戦史』(新評論)より特に本書が優れているということもない。

あまり強くお勧めする気は湧いてこない本でした。

2010年5月29日

山上正太郎 『第一次世界大戦  忘れられた戦争』 (講談社学術文庫)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

著者名とタイトルを見て、すぐにピンときました。

ヘルマン・グラーザー『ドイツ第三帝国』(中公文庫)と同じく、元は社会思想社の教養文庫収録作品。

たまたま手元に読む本の無い時に目に付いたので、読んでみた。

1914年大戦勃発から1920年代前半に至る国際関係史。

感想は・・・・・普通・・・・・ですかね。

取り立てて言うべきこともない標準的な概説。

著者のあとがきによると(これは今回の文庫化にあわせて書き下ろされたもので奥付の著者紹介を見ると90歳を超えて現在もお元気でおられるようだ)、第一次大戦を戦史や国内情勢ではなく外交と国際関係中心に叙述し、しかもそれを各国指導者の個性描写を通じて行った、とある。

また通常テーマごとにまとめて述べられる事項を、あえて時系列順に並べて事件の同時進行性を読者が感じられるようにしたとも書いてある。

言われてみると確かにそういう特徴が感じられないでもないが、さりとてそれが本書を他の概説から隔絶したものにしているとも思えない。

時々思いがけないほど細かな史実に触れていて、それが意外性を感じさせるときもあるが、基本はこれといった短所も無いがあくまで無難な通史といった本。

例によって偉そうな感想で恐縮ですが、平板な印象は拭えない。

初心者がざっと読んで、基本事項を復習するのには有益かもしれない。

2009年12月25日

猪木武徳 『戦後世界経済史 自由と平等の視点から』 (中公新書)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

中公新書の記念すべきちょうど2000点目。

今年5月刊。

経済史といっても、あまり難解な理論や複雑な数式は全く無く、細かな統計数字もほとんど出てこない。

地域・時代ごとの平易な概説で、私でも読める。

著者はたしか猪木正道氏の息子さん。

末尾の謝辞で「94歳の父」とあるので、年齢も合う。

第一章「あらまし」、全体の視点と問題意識の説明、戦後世界経済の変化の概観。

第二章「復興と冷戦」、マーシャル・プランと欧州復興、ソ連の農業不振とスプートニクなど科学技術上の成果、西ドイツ通貨改革と経済奇跡。

第三章「混合経済の成長過程」、日米経済紛争、米国のケインズ政策採用とその帰結、欧州統合と英仏伊スウェーデン各国経済の変遷。

第四章「発展と停滞」、中国の社会主義経済の挫折、東欧諸国の苦境、中南米・インド・アフリカ諸国の経済建設。

第五章「転換」、石油危機、スタグフレーション、東アジアの経済発展、80年代以降の新自由主義。

第六章「破綻」、80年代の中南米諸国累積債務問題、97年アジア通貨危機、社会主義計画経済の崩壊、地域経済統合とグローバリズム、07・08年以降の世界金融危機。

最後の「むすびにかえて」で、サブタイトルに関わる話をしてお仕舞い。

非常にわかりやすく、平易に書かれてある本だと思うが、正直に言うとこの程度でも私の頭では理解できない部分がある。

例えば87ページの西ドイツ通貨改革の叙述で、新・旧マルクの交換比率の内容説明が、悲しいかな、何度読んでもわからない。

全体的に便利ではあるが、ものすごく面白いといった感じでもない。

自分が不得意な分野で断定的なことは言わない方が良いのでしょうが、絶対必読本とまで言えない気がします。

ただ、同じ著者で、中公新版世界史全集29巻の、『冷戦と経済繁栄』よりは、本書の方が良いと思います。

2009年6月17日

臼井隆一郎 『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』 (中公新書)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

『茶の世界史』『砂糖の世界史』と来て、今度はコーヒーです。

東アフリカ原産のコーヒーが15世紀末イエメンのモカに伝わり、そこから食欲抑制と睡眠節制の効果を見込んだスーフィー(神秘主義)教団を通じてイスラム圏に広まっていく。

17世紀半ば辺りからヨーロッパにも普及し、コーヒー・ハウスが新しい公共圏を形作り、海運・保険・証券取引などの経済活動や新聞・パンフレットを媒介にした世論形成の場を提供したことが記される。

消費国としてのイギリス・フランス・ドイツ、生産地としてのジャワ、ハイチ、マルティニク(仏領西インド)、ブラジル(サントス)、東アフリカ(キリマンジャロ)の様相が描写されている。

面白い。

コーヒーという嗜好品・商品作物から近現代の世界史を診るという大風呂敷をかなりの程度成功させている。

最初はややたるいと思っていたが、後半部は非常に興味深い。

私のような社会史嫌いでも大いに愉しめる本。

これはかなりの名著ではないでしょうか。

一度試しに借りてみることをお勧めします。

2009年2月25日

長谷川公昭 『ファシスト群像』 (中公新書)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

1982年刊で存在自体は前から知っていたこれを通読。

ドイツ・イタリア以外のヨーロッパのファッショ的あるいは権威主義的指導者の系譜をざっと概観する本。

1章と2章はフランスで、シャルル・モーラスとレオン・ドーデの「アクション・フランセーズ」を始めとする右翼・ファシスト団体の紹介。

まあ特にどうってことない記述。

このうち、ド・ラ・ロック大佐率いる「火の十字架団」に関しては、去年出た剣持久木『記憶の中のファシズム』(講談社選書メチエ)でかなり詳しく触れられているようですが、私は未読。

この辺の記述に興味があれば、福田和也『奇妙な廃墟』(ちくま学芸文庫)を精読されると良いと思います。

第3章は西欧・南欧の章で、フランコ、サラザールという大物から、プリモ・デ・リベラ(スペイン、ミゲールとホセ・アントニオの親子)、ドルフス(オーストリア)、ザイス・インクヴァルト(オーストリア)、クヴィスリング(ノルウェー)といったそこそこの有名人、ドグレル(ベルギー)やムッセルト(オランダ)みたいに「誰ですか、それ?」という人物が記述される。

まあ、普通。

第4章は東欧諸国で、この章が本書では一番役に立つのではないでしょうか。

本書程度の、各国のごく簡略な通史でも類書が少ないので、初心者にはかなり有益。

独伊に盲従する「真性ファッショ」と、右翼権威主義的政権との間の微妙な協力と対立の経緯が読んでいくと結構面白い。

ハンガリーのホルティ、スロヴァキアのティソ、ルーマニアのアントネスク、ギリシアのメタクサスなどがその種の指導者。

最後の第5章は英米の親ファッショ団体の記述。

あんまり面白くもないし、まあこんなもんかと軽く流せばよいかと。

ここに載ってる指導者で名前を知っていたのはイギリスのモーズリくらいですか。

あとチャールズ・リンドバーグも参加した「アメリカ・ファースト委員会」は聞いたことがありました。

しかしかなりのページを割いて述べられている同じアメリカのカフリン神父なんて、全然知りませんでしたね。

まあこれも読みやすくはあるが、さほどの面白さは無い。

一日、二日で読めるので損した気分は無いが、非常に多くのものを得られるというわけではない。

史的評価の基準として、ファシズム・ナチズムと右派的権威主義との区別を一応はつけていると思われるが、いまいち明確ではなく、それがやや平板な印象を与える。

結論を言えば、ごく普通の読後感でした。

2009年2月17日

A・J・P・テイラー 『ヨーロッパ 栄光と凋落』 (未来社)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

ナポレオン時代から1950年代までのヨーロッパ史に関するエッセイ集のような本。

短めの文章が多いので、全部で53章もある。

まあ470ページ超と結構な厚みもあるので、通読には少々手間取ります。

かなり骨のある部分もあり、ビスマルク外交やヒトラーへの宥和政策の章はかなり詳細で、十分に理解することが難しかった。

近代歴史学の父ランケに関する章は、『世界の名著』での林健太郎氏の解説と読み比べると、テイラーの評価にあまり納得できなかったりする。

第二次大戦直後に書いた文章が多いこともあって、やっぱりこの人は近代ドイツに偏見持ってるなあと感じる部分もかなりある。

あの最悪の書(あくまで私にとってですが)『近代ドイツの辿った道』のように、「読むに耐えない」というほどではありませんが。

全般的な印象を言うと、ややシニカルな筆致なので、著者が肯定的な意味を込めて書いてるのか、否定的な意味で書いているのか、さらっと読んだだけだとよくつかめない部分があった。

滅茶苦茶難解なことばかり書いていて理解できないということは全くない。

練達の歴史家らしい、平易で明解な叙述の片鱗は、私でも感じ取ることができた。

しかし、かなりの予備知識が無いと、この本の良さはわからないんじゃないですかね。

教科書レベルの次にこれを読んでも、あまり効用は期待できない気がする。

私自身、多くのものを得たという印象はありません。

5日ほどかけて読みましたが、是非お勧めしますとは言い難い本。

ひとまず図書館で借りて、どんなもんか飛ばし読みしてみて下さい。

あと、テイラーの本で読むべきなのは『イギリス現代史』(みすず書房)でしょうか。

しかし、これも分厚いですね・・・・・。

いつ読めることやらわかりません。

2008年12月25日

木村靖二 柴宜弘 長沼秀世 『世界大戦と現代文化の開幕 (世界の歴史26)』 (中央公論社)

Filed under: 近現代概説, 全集 — 万年初心者 @ 06:00

両大戦間の米英仏独ソ各国史を中心にした概説。

第1部が第一次世界大戦とその余波、第2部が1920年代、第3部が30年代で末尾は第二次大戦開戦まで。

対象とする時期自体はさほど長くなくとも、極めて密度の濃い重要な時代なので、扱うべき事項が多く、厚さは普通なのに全部で17章もある。

その分1章ごとのページ数は少ないが、これを読みやすいと見るべきか、内容が薄いと見るべきか。

読み始めてみると、最初の方はあまり詳しくもなく、どうも漫然とした記述が続くだけのように思えて、もう一つである。

しかし、途中から最近の研究成果に基いた史実の新たな見方を紹介してくれる文章が増えて、割と面白くなってきた。

特にナチ体制の実像を叙述した章はなかなか。

第二次大戦へと向かう外交史も宥和政策の評価などが興味深いし、挿入される個々のエピソードも印象的で歴史の流れを記憶する助けになる。

後になればなるほど良い。

非常に楽にページを手繰ることができ、休日に部屋で寝転がりながら眺めてたら土日の二日で読めました。

しかし、記述が必ずしも時系列順になっておらず、話の配列が上手くないような感がするのは気のせいでしょうか。

読後感は比較的良好なのですが、教科書レベルの次に即読むべき本かというと迷ってしまう。

内容に時代遅れの面があっても、個人的にこの時代の概説としては、まず文春大世界史シリーズの林健太郎『二つの大戦の谷間』野田宣雄『ヒトラーの時代』を推奨したい。

「こんな骨董品勧めるなよ」と言われるでしょうが、高校世界史に毛が生えた程度の初心者(つまり私)のための啓蒙書という観点からすれば、この二書の完成度は本当にただごとではないです。

まずこれらを読んだ後、本書に取り組めばより多くのものを得られると思います。

2008年9月17日

川北稔 『砂糖の世界史』 (岩波ジュニア新書)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

またまたジュニア新書。読むのが楽ですからね・・・・・。

以前紹介した角山栄『茶の世界史』(中公新書)と似たタイプの本。

カリブ海諸島・ブラジルの砂糖キビ・プランテーションとアフリカ奴隷貿易、イギリス商業革命・産業革命との関わり合いを平易に説明してくれている。

社会史・生活史・経済史を程よくブレンドして、読者の新たな視野を啓いてくれる本。

なかなか評判の良い本らしい。

個人的には目の冴えるような面白さは無かった気がするが・・・・・。

しかし通読して決して無駄にはならない本ではあると思いますので、皆様もどうぞ。

2007年12月10日

ステファヌ・クルトワ 他 『共産主義黒書 コミンテルン・アジア篇』 (恵雅堂出版)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

『ソ連篇』の続巻。原著は1997年刊。

コミンテルンが組織した、近隣諸国での内乱・暴動・暗殺行為の記述から始まる。

続くスペイン内戦での共産党員によるトロツキスト、アナーキスト、独立派社会主義者に対する赤色テロの過激さには驚かされる。

フランコの勝利とその後の体制安定にはこのような事実が力を貸していたのかと思った。

中国の章では『人禍』などと内容の重複はあるが、人民共和国建国以来の人的犠牲が手際よくまとめられており十分参考になる。

特に、後の「大躍進」や文革以前の良好な時代と考えられている建国直後の土地改革と第一次五ヵ年計画の時期に、広範囲な残虐行為が行われており、それが党の全体主義支配を貫徹させたとの記述は貴重。

土地改革という広汎な運動の真の目的は、実際には、何よりもまず政治的次元のものであり、次に経済的次元のものであり、最後に初めて社会的次元のものであった。土地の40%は再分配されたが、農村の特権層の数が少ないのと、とりわけ、大部分の農村における人口密度が極度に高いために、貧農がさほどの裕福さを手に入れる結果にはならなかった。改革後も、彼らの平均経営面積はわずか0.8ヘクタールにすぎなかったのである。アジア地域の他の諸国(日本、台湾、韓国)は、同じ時期に、中国よりも不平等性の大きかった農村において、中国と同様に徹底的な農地改革を成功裡に実現した。われわれの知るかぎり、そこにはただ一人の死者も出なかったし、土地を没収された者には多少とも納得のいく補償が与えられた。

中国の土地改革に見られた恐るべき暴力は、したがって、改革そのものを目的としたのではなく、共産党機関による権力の全面的な奪取をめざしていたのである。言葉を換えれば、党員または幹部になるはずの少数の活動家の選別と、処刑にかかわった多数の村民との「血盟」が狙いであり、最後に、これ以上ないほど極端なテロルを操る共産党の能力を反抗分子や軟弱分子に見せつけることこそが目標だったのだ。

同じくあまり知られていない北ヴェトナムでのテロ行為と強制的土地改革の弊害の描写も有益だが、やや簡略すぎるか。

また北朝鮮の悲惨な実態も適切に記されているが、ラオスの部分はわずか2ページといくらなんでもという分量。

逆にカンボジアの章は非常に詳しい。これはポル・ポト政権の異常性を考えれば納得がいくが。

昔、高校の図書室で『本多勝一集』を読み耽る分かりやす過ぎる左翼少年だったので、そういや卒業後すぐくらいの時『検証カンボジア大虐殺』(朝日文庫)を買って読んだなあと思い出しながら、正気の沙汰ではない文明破壊の社会実験の記述を読んだ。

最後に全巻を締めくくる考察があって終わる。

同じく革命と社会主義を信奉しながらも、最低限の道義的価値すら嘲笑し、無制限の暴力主義を称揚したネチャーエフとレーニンという「同志」に対して、強く抗議し戦ったバクーニン、マルトフ、カウツキーの言葉が心に残る。

結構な長さですが、読み始めると一気に読めました。

『ソ連篇』と併せて、非常に重要な内容を含んだ本だと思いますので、やはり一度は通読しておくべきではないかと考えます。

2007年10月12日

角山栄 『茶の世界史』 (中公新書)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

私にしては非常に珍しい社会史・経済史関係の本。

どのカテゴリに入れようか迷いましたが、まあ適当に「近現代概説」の中に入れます。

近代における代表的な商品作物である茶が、イギリス・オランダ・中国・日本などの国々の経済・社会・風俗にどのような影響をもたらしたかを詳細に記している。

読みやすい文章と体裁で、ロングセラーになっているのも頷ける。

こういう本なら社会史音痴の私でも楽しく読める。

浜島書店HPの読書案内でもお勧め本に載ってましたね。

たまにはこういう本を読むのもいいでしょう。

2007年9月18日

高坂正堯、尾上正男、神谷不二 『アジアの革命』 (毎日新聞社)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

第二次世界大戦後の内戦に関する本。

内戦・テロ・ゲリラ戦についての一般的研究、マラヤ共産ゲリラ鎮圧の歴史、インドネシア軍の軍事理論、ヴェトナム戦争の考察が内容。

楽に読めて、わりと面白い。

特にマラヤにおける共産ゲリラ討伐の歴史は、この辺を書いた類書が少ない上に、要領良く記述されていて、非常に良い。

マレーシア現代史の簡単な入門として使える。

1966年刊とやたら古いが、今読んでもそれなりに参考になる。

なお、最近毎日更新してきましたが、明日からまたペースがガタ落ちになります。

忘れた頃に更新すると思いますので、気が向いたらまたお越し下さい。

2007年5月7日

ジェフリ・パーカー 『長篠合戦の世界史』 (同文舘出版)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

10年ちょっと前、邦題の奇抜さもあってちょっと話題になった近世軍事史。

出版後まもなく買って読んだ。

「ふーん、結構面白いなあ」との印象を持ちました。

他には・・・・・別にないです。

すみません、「また」です。

読んだ記憶と全体の印象しか書くことがありません。

存在だけは紹介しておきますので、暇があれば図書館で借りてみてください。

2007年4月7日

リデル・ハート 『第二次世界大戦 上・下』 (中央公論新社)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

先の大戦の戦史については深入りしだすと本当にきりが無いのだが、本書は有名な戦略理論家、戦史家の著作であり、信頼できるだろうと思い購入。

しかし結局これも買っただけ。

お恥ずかしい・・・・・・。

相当の分量ですが、内容はしっかりしてると思います。

根気のある方は同じ著者の『第一次世界大戦』と共に挑戦してみてください。

2007年3月6日

A・J・P・テイラー 『ウォー・ロード 戦争の指導者たち』 (新評論)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

第二次世界大戦の主要国指導者についての簡単な評伝。

写真が多く本文は短いので、楽に読める。

特に偏った癖はなく、面白い。

日本の章もあるが、「指導者無き唯一の戦争当事国」という評価は当たっていると思う。

2007年2月26日

ジェイムズ・ジョル 『ヨーロッパ100年史 全2巻』 (みすず書房)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

ドイツ統一から100年間のヨーロッパ史。

教科書的な詰まらない記述ではなく、生き生きとした物語風の叙述を心がけた本。

と思うのだが、あまり強い印象は残っていない。

心底面白いとまでは思わなかった。

10年近く前、新刊定価で買ったんですが高かったですね。

そのことが一番印象に残ってたりする。

2007年2月9日

ポール・ジョンソン 『現代史 上・下』 (共同通信社)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

保守・タカ派のイギリス人評論家の手に成る物語風の二十世紀史。

急進的社会改良と反市場メカニズムを強く否定する観点から史実をばっさり裁断し、全体主義的体制とその指導者に対しては口を極めて罵倒している。

それは結構なのだが、著者の場合、その善悪の判別の基準が個人責任と言う観念を中心とする「ユダヤ・キリスト教的価値観」の有無らしく、どうも逸脱や行き過ぎと思われる部分もあり、戦前の日本に対する偏見も相当のものがある。

初読の際は腹が立ってしょうがなかったが、今はこれだけ言いたい放題の著者じゃあ、まあ仕方ないかとも思う。

文章は非常に読みやすく、翻訳もこなれている。興味深いエピソードを交え、流れるような文体で大冊を飽きさせずに読ませる。

通常同情的に扱われがちな第三世界の独立運動指導者へも容赦が無い。

特に独立後のアフリカの惨状を記述した章は面白いだけでなく、考えさせられるところが多い。

ほとんどの指導者が国の状況を独立前よりむしろ悪化させたと非難の対象になっているが、その分、法治主義と市場経済を維持して比較的穏健な統治を敷いたケニアやコートジヴォワールなどの例外が深く印象に残る(もっとも本書刊行後の両国の政情は必ずしも安定していないようだが)。

好き嫌いがはっきり分かれる本だと思うので、一度図書館でご覧ください。

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