万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年5月24日

志摩園子 『物語バルト三国の歴史』 (中公新書)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

マイナーな小国のイメージがあるバルト三国の通史だが、読んでみると想像以上に他国の歴史や重要史実と繋がりのある物語で、非常に面白かった。

まず、三国の位置関係を憶えないと話にならないが、先日書いたように、最初の一文字の五十音順で北から、エストニア・ラトヴィア・リトアニアと憶える。

首都はそれぞれタリン・リガ・ヴィリニュス。

言語的にはラトヴィア語とリトアニア語はインド・ヨーロッパ語族中のバルト語族に属し、それに対してエストニア語はハンガリー語、フィンランド語などと同じ非印欧系のウラル語族。

しかし、歴史的にはエストニアとラトヴィアが20世紀まで独自の国家を形成することなく、似た経緯を経たのに対し、リトアニアだけは他の二国と非常に異なる道を辿ることになる。

通史の前提として、こうした地理や民族系統に関する知識を最初に押さえてくれるのは、大変親切で好感の持てる記述。

まずキエフ公国やヴァイキングの短期間の統治を経て、12世紀末頃からドイツ人が進出、現在のエストニアとラトヴィアを併せた地域であるリヴォニアを支配していく。

(この辺り、山内進『北の十字軍』(講談社選書メチエ)も参照。)

1201年ブレーメン大司教の甥アルベルトがリガを建設、1211年にはリガ司教の座に就く。

1202年帯剣騎士修道会(帯剣騎士団)成立、周辺地域を征服し、リヴォニアの大部分が帯剣騎士団領と司教領になっていく。

1230年タリン建設、のちリガと共にハンザ同盟加入。

1236年帯剣騎士団がリトアニア人によって大損害を蒙り、ドイツ騎士団の援助を受け、リヴォニア騎士団領が成立することになる。

リトアニアのみはミンダウガス、ゲディミナス、ヨガイラ(ヤギェウヴォ)などの優れた指導者を得て、独自国家を建設、リヴォニア騎士団と対抗。

ちなみにこの3人のいずれもがカトリックに改宗したとの記述が出てきますが、首長が一時改宗しても民族全体のキリスト教化は不完全だったということでしょうか?

ヨガイラの代、1386年にポーランドと同君連合結成、ヤゲウォ朝成立。

(ただその直後ではリトアニアには独自の公がいたような記述になっており、この辺よくわからない。)

貴族層のポーランド化が進む。

地図を見てもらえればわかるんですが、15世紀半ば頃の領土はすごいです。

「ドイツとロシアに挟まれて散々苛められた可哀想な国」という近代史におけるイメージとは大違いで、ミンスクを超え、ドニエプル川沿いのキエフを含め、黒海にまで達する広大な領域がリトアニア大公国となっている。

今の領土の十何倍ですかね・・・・・。

1558年ロシアのイヴァン4世がリヴォニアに侵入、リヴォニア戦争開始。

これでロシアの領土になれば話は簡単だったんですが、スウェーデンとポーランドが介入し、イヴァンは目的を達せず。

結果、リヴォニア騎士団領は崩壊し、北部のエストラントと中部のリヴラントはスウェーデン領に、東部のラトガレはポーランド・リトアニア領となり、南部のクールラントのみは公国として独自の国家を保ったがポーランドの宗主権下に入った。

三十年戦争中のグスタフ・アドルフで頂点に達するスウェーデンの「バルト帝国」成立です。

北方戦争とニスタト条約でエストラントとリヴラントがスウェーデンからロシアに割譲。

1772年第一次ポーランド分割でラトガレが、93年第二次分割でリトアニアの一部が、95年第三次分割でリトアニア全体がロシア領となる。

クールラントは、ピョートル大帝の姪のアンナがクールラント公妃となった後、1730年にロシア女帝として即位することによって、事実上ロシアの領土となる。

こうやってロシア支配にまで筆が進むと、ああやっと話が繋がったという気分になる。

なお、以上政治史ばかりに重点を置いてメモしてますが、本文では社会史・経済史にも程よく触れられています。

リヴォニアではバルト・ドイツ人が地主層を占め社会的優位を誇り、ロシアへの併合後もドイツ系の支配層への進出が著しかったとか、ルター派の教説が現地の言葉で布教されたため識字率が非常に高かったとか、19世紀初頭にロシア本土に先駆けて農奴解放が行なわれ工業化が順調に進んだとか。

それに対してリトアニアの農奴解放はロシアと同じ1861年で(ついでに言えばアメリカ南北戦争開始と同年)、民族意識よりもカトリック信仰をアイデンティティとする農業社会に留まったことなどが述べられている(ただ解放後の農民が土地を購入することはリトアニアの方が容易だったらしい)。

第一次大戦でドイツ軍の侵攻を受けて、初の民族的軍隊であるラトヴィア人ライフル兵などが設立。

ちなみにこのラトヴィア人ライフル(狙撃)兵は革命が起こると、ボリシェヴィキの影響下に入ってしまうが、旧来の軍隊の多くが崩壊状態になってしまったので異様なまでの重みを持ち、ボリシェヴィキの軍事力の支柱になったらしく、リチャード・パイプス『ロシア革命史』(成文社)でも何度か触れられているのを見た記憶がある。

全く余計なことをしたもんだと思う。

1918年のうちに、ドイツ敗北に前後して三か国とも独立を宣言。

ボリシェヴィキを撃退し、1920年にソヴィエト・ロシアと平和条約を結び独立承認。

この時期、上記のパイプス著で、西欧諸国は大戦争で疲弊しきっており干渉戦争は腰砕けという状況で、いくつかの勢力に分かれた白衛軍と反ボリシェヴィキの左派および、旧ロシア帝国から独立したウクライナ、ポーランド、バルト三国などとがソヴィエト政権打倒のために民族的・階級的対立を超えて協力できないのを読んで切歯扼腕した記憶がある。

白軍は、なぜか一つの勢力が敗北する頃次が現れるといった調子で相互の連携を欠き、社会革命党やメンシェヴィキとも対立し、旧帝国の復活を恐れる周辺国はソヴィエトとの和平に走るといった次第で、もしかしたら20世紀に億を超える人間が死なずに済んだかもしれないのにと残念に思えてならなかった。

独立後のバルト三国は安定した議会政治を運営できず、権威主義体制に移行したのは他の東欧諸国と同じく。

指導者はエストニアがパッツ、ラトヴィアがウルマニス、リトアニアがスメトナ。

1939年独ソ不可侵条約の秘密議定書でソ連の勢力圏下に入れられ、40年にはソ連軍に占領され併合。

1991年ソ連クーデタ失敗を機に独立、2004年三国そろってNATOおよびEU加盟。

かなり面白い。

比較的詳細な内容を含みながらも、説明が丁寧でわかりやすい。

時代ごとのページ配分、政治・経済・社会・文化への言及の割合、史実の評価や解釈、そのいずれもバランスが取れている。

巻末の年表、人名・地名リストも簡易ながら役に立つ。

初心者が読むのに適切な通史。

この地域に関して、素人はこの本だけ読んでりゃいいんじゃないですかね。

2009年5月1日

ジョルジュ・カステラン 『ルーマニア史』 (白水社 文庫クセジュ)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

さして気乗りしないが、類書が少ないこれを読んでみました。

この国に関して一般常識として知っておくべきことと言えば、位置関係はもちろんとして、非スラヴ系のラテン民族だということ、国土が主にワラキア、モルドヴァ、トランシルヴァニアの三つに分かれること、トランシルヴァニアは長年ハンガリーの支配下に置かれ、モルドヴァの北部ベッサラビアもロシアに奪われ、この両国との緊張関係が絶えなかったことくらいですか。

(ソ連崩壊後に独立したモルドヴァ共和国というのはこのベッサラビアを領土とする国のようです。)

あと意外な盲点として、ヨーロッパでは珍しい産油国ということでしょうか(今もそうかはわかりません)。

二度の大戦でも地理的位置の他、石油という貴重な戦略物資供給国としても重視されたようです。

モンゴル人侵攻後、14世紀に成立したワラキア、モルドヴァ両公国がオスマン朝に貢納し、従属国となる。

1859年地元貴族出身者のアレクサンドル・クザ公の下、両公国が合同。

1866年クザが追放され、ホーエンツォレルン・ジグマリンゲン家より迎えられたカロル1世即位。

高校世界史では、1878年ベルリン会議でセルビア・モンテネグロと共に独立ということになっていて、国際的に承認された完全独立としてはそれで間違いないが、実質的にはその以前から独立の色彩が濃い。

第一次大戦では、王家の出身と反露感情から同盟国派も少なくなかったが、結局協商国側に参戦。

戦後はトランシルヴァニアとベッサラビアを手に入れ大ルーマニアが成立。

1930年代ファシスト団体「鉄衛団」が台頭。

1940年アントネスク将軍の独裁。

この人は普通、東欧の小ファシストといった扱いだが、鉄衛団支持一辺倒ではなく、むしろこれをドイツの黙認の下、弾圧している。

この辺はちょっと前に長谷川公昭『ファシスト群像』(中公新書)で読んだところだが、もう忘れかけていた。

独ソ戦に参加するが、ソ連の反攻を受けて枢軸陣営から離脱。

ソ連の圧力の下、人民民主主義体制が確立、共産党独裁下に置かれる。

初代指導者のゲオルギュ・デジがスターリン批判の波も乗り越えて1965年の死に至るまでその地位を維持し、その後をニコラエ・チャウシェスクが継いで1989年の体制崩壊で銃殺されるまで政権担当者だったので、実質的に戦後の政治指導者は二人しかいなくて覚えるのが楽。

もっと細かいメモを作るつもりだったんですが、疲れたので止めます。

以上のように省きに省いた抜け殻みたいなメモも書くのが面倒臭い。

マイナー分野の貴重な本ではあるが、あまり面白くはない。

140ページ程と薄いのでさほどの労力も要らずに通読できるが、その分頭に残らない。

淡々とした事実の描写が続くだけで、強い印象を受けることもない。

期待したほどではなかったです。

中公新書の『物語ルーマニアの歴史』が早く出ないかなあとつくづく思いました。

ただし、くれぐれも著者を慎重に選んで、「人物を中心にした物語風叙述を用いた基礎的な政治史の素描」というコンセプトに合うように執筆してもらうよう、編集者は最大限神経を使ってもらいたいです。

2009年2月23日

荒正人 『ヴァイキング 世界史を変えた海の戦士』 (中公新書)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

1968年刊とこれも相当古いが、中公新書の世界史関係は大好物なので、読んでみた。

しかし、何とも微妙な出来。

アイスランド・グリーンランド・北アメリカへのヴァイキングの植民の話はやや煩瑣ではあるが、まあこんなものかと適当に流して読んでいった。

だが、その後のアイルランド・スコットランドへの侵入の章もゴチャゴチャしているだけで、概略をパッと理解させてくれるだけの明解さが無い。

よく知られたイングランドにおけるノルマン征服やシチリア王国建国の話はさすがに取っ付きやすいが、正直もの足りない。

ページの割り振りが大きく違うとは言え、南イタリアについては、高山博『中世シチリア王国』の五分の一も実のある話が無い。

ロシアのリューリク朝の記述も同じく。

サガとかエッダとかの北欧神話の章は、個人的趣味から言うと全然興味が持てないので、相当だるかった。

例によって決め付けで申し訳ないですが、中身がスカスカといった印象が拭えない。

170ページほどで二日もあれば余裕で読めるが、得たものは非常に少ない。

あんまり好きなタイプの本じゃありませんでした。

まあ、久しぶりに東欧・北欧カテゴリに追加できてよかったな、とそれだけの記事です。

2008年10月24日

チェコおよびスロヴァキア史概略

Filed under: おしらせ・雑記, 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

同じく、中公新版第11巻『ビザンツとスラヴ』より。

西スラヴのうち、チェコ・スロヴァキアだけ途中までメモしました。

 

チェコとスロヴァキア

西スラヴ所属。アヴァール、フランク支配を経て9世紀初め大モラヴィア国が成立するが、10世紀初めマジャール人に滅ぼされる。

東部のマジャール人支配下に入った人々がスロヴァキア人の祖、東フランク・神聖ローマ帝国支配下に入った人々がチェコ人と呼ばれる。

チェコ人国家はボヘミア(先住ケルト系ボイイ族から)。

プシェミスル家による統一。ボヘミア侯ヴァーツラフがカトリック化に努める。神聖ローマ帝国との結びつきが一貫して強い。ヴァーツラフは親ドイツ政策に反対する弟に暗殺され、死後ボヘミアの守護聖人となる。

のちの侯はモラヴィアを版図に加え、独帝ハインリヒ4世から王号を認められ、ドイツ人植民者によって経済繁栄。

オタカール2世時代(1253~78年)に全盛期。オーストリアを手に入れる。

神聖ローマ皇帝ハプスブルク家のルドルフと戦って敗死。オーストリアは以後ハプスブルク家領有。

子のヴァーツラフ2世はポーランド王兼任、孫のヴァーツラフ3世はアールパード朝断絶後のハンガリー王に選出されるが、皇帝・教皇の反対でハンガリー王位はまもなくアンジュー家へ渡り、3世も1306年暗殺されプシェミスル朝自体断絶。

神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の子ヨハンが即位(ルクセンブルク朝)。

英仏百年戦争にフランス側に立って参戦、1346年クレシーの戦いで戦死。

子の神聖ローマ皇帝カール4世即位(ボヘミア王としてはカレル1世)。

プラハ大学設立、イタリア政策に深入りせず。1356年金印勅書。

カールの子ヴェンツェル(ボヘミア王としてはヴァーツラフ4世)は帝位をファルツ家のルプレヒトに奪われる。ヤン・フスの活動。

ヴェンツェルの弟がジギスムント。

ここまで書いたところでギブアップ。

2008年10月22日

南東欧諸国史概略

Filed under: おしらせ・雑記, 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

先日の中公新版11巻『ビザンツとスラヴ』がとても面白かったので、東欧とロシア部分の細かな抜き書きを作ろうとしたのですが、非常に苦しい・・・・・・。

読書ノートは作らず、本に書き込みや線引きをしろと言う方の意見がよくわかります。

南スラヴを中心とした南東欧地域・バルカン半島の民族のところだけは以下何とか書き留めました。

あとフィンランド・エストニアと共に非印欧系のウラル語族に属するハンガリーの存在によって、南スラヴと地域的に分けられているポーランド・チェコ・スロヴァキアの西スラヴ、および東スラヴのロシア・ウクライナ・べラルーシが残っているわけですが、ひとまずこれだけにしておきます。

ブルガリア

トルコ系遊牧民ブルガール族がバルカン侵入後に同化しスラヴ化。南スラヴの一員となる。

680年頃アスパルフ・ハン(君主号がハンなのがいかにもアジア系という感じです)がビザンツ帝国と和約を結び、帝国領内への居住を認められる。

864(または865)年ボリス1世がキリスト教に改宗。

「スラヴ人の使途」キュリロス招聘。キュリロスはスラヴ文字(のちに改良されてキリル文字=現在のロシア文字)を作成し、聖書や典礼もスラヴ語に翻訳。

ボリス王の子シメオン1世がビザンツに攻勢を強め領土拡張、第1次ブルガリア帝国確立。

マジャール族の攻撃を退け、マジャールは西走、パンノニアに定着。

シメオン死後、ビザンツとキエフ・ルーシに挟撃され衰退。

1018年バシレイオス2世によって第1次帝国は滅亡。

1185年セルジューク朝とノルマン人によって東西から攻撃され弱体化したビザンツに対して反乱が起こされ、第2次ブルガリア帝国成立(二年後ビザンツも独立承認)。

イヴァン・アッセン2世時代(1218~41年)に最盛期。

以後バルカン半島の主導権はセルビアに移る。

モンゴルの侵攻を受け、13世紀後半にはキプチャク・ハン国に従属。

1393年オスマン朝のバヤジット1世によって首都陥落。

セルビア

南スラヴで最大グループ。

7世紀頃からバルカンに姿を現すが、分裂状態が続きビザンツとブルガリアの争奪戦の対象となる。

9世紀後半頃ギリシア正教への帰属確定。

1171年頃ステファン・ネマニャが国家樹立(ネマニィチないしネマニャ朝)。

1331~55年ステファン・ドゥシャン王時代に最盛期(←この王名が『世界史用語集』に頻度1とは言え、載っていたのには驚いた)。

その死後、諸公国に分裂。

1389年コソヴォでオスマン・トルコに敗北。

1459年に最終的滅亡。

スロヴェニア

南スラヴ人のなかで最も北西寄りに定住。

アヴァール、バイエルン、フランク支配を経る中で、一貫して西方カトリック教会に所属。

ボヘミアのオタカール2世が一時支配するが、以後ハプスブルク家統治下へ。

近代に至るまで独自の国家を形成することが無かった。

クロアチア

スロヴェニア人の東と南側に定住。

9世紀初頭頃、公によって統一。

フランクとビザンツとの間で揺れ動くが、最終的には西方教会へ帰属。

10世紀以降のヴェネツィアの間接支配を経て、12世紀初めハンガリー王の支配下に入り、以後第一次世界大戦までその結びつきが続く。

ルーマニア

ローマ化したダキア人を祖とする、非スラヴ系民族(異説あり)。

建国は遅く、13世紀末から14世紀初めにかけてワラキア公国成立。

14世紀末に進出してきたオスマン帝国と戦う(吸血鬼ドラキュラのモデル、ヴラド串刺公など)。

14世紀建国のモルダヴィア公国と共に、オスマン朝に貢納。

トルコの統治は間接支配に止まり、他のバルカン国家と違って貴族層が消滅させられなかったので、民族の独自性をよく守ることができた。

1859年ワラキア、モルダヴィアが統一、ルーマニア公国となり、1878年サン・ステファノ条約で独立達成。

アルバニア

ルーマニア人と同じく非スラヴ系。印欧語族の中で独立の一派を成すイリュリア人が祖。

ビザンツ支配を経て、スラヴ人侵入の際は山岳地帯に移住、11世紀頃再登場。

15世紀中頃スカンデルベク公の下に統一、オスマン朝に対してよく戦うが、その後服属。

1912年第一次バルカン戦争時に独立。

2008年10月19日

井上浩一 栗生沢猛夫 『ビザンツとスラヴ (世界の歴史11)』 (中央公論社)

Filed under: ビザンツ, ロシア, 全集, 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

前巻でウンザリさせられたのとは打って変わって、この巻はとても良くできている。

平易かつオーソドックスな通史としてかなりのレベルに達している。

第1部のビザンツ史では、『生き残った帝国ビザンティン』と同じ著者だけあって、歴代主要皇帝の事績を述べる政治史を主軸にしながらも、社会史・文化史的記述も付け加えて、より視野の広い通史を提供することに成功している。

高校世界史に出てくるビザンツ皇帝と言えば、ユスティニアヌス1世、ヘラクレイオス1世、レオン3世くらいですか。

(私が高校生だった頃は、アレクシオス1世、バシレイオス1世・2世も聞いた記憶がありますが。)

本書に出てくる皇帝名をできるだけ記憶して、その後ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の後半部を熟読すれば、歴代皇帝全てを暗記するのも不可能ではないと思われます。

相当苦しいでしょうし、メモ・ノート使用が必須でしょうが。

第2部の東欧史に入っても、実に良好な出来。

各民族の起源、属する語族、侵入・定住の過程、王朝の成立とキリスト教の受容の経緯、しばしば見られる他国との王朝合同・同君連合のいきさつなどを詳細に論じている。

それが、教科書よりはかなり詳しく、しかし初心者が読み解けないほど煩瑣でないレベルの、実に絶妙な叙述。

私のように、「難しいことは一切わからないが、外国の歴史が好きでたまに本を読む」といった程度の読者がどのような通史を求めているか、一番面白く読める史書はどのようなタイプのものかを完全に把握して書いてくれている。

最高。言うこと無し。

これまで読んだ当シリーズの中で、この巻はかなりの高評価。

しかし、巻によって当たり外れに差があり過ぎますね。

以下本書に記述されたユスティニアヌス以後のビザンツ皇帝のうち、目に付いたものをメモ。

マウリキウス帝がササン朝ペルシアと講和、アヴァール族をドナウ以北へ撃退。

フォーカスの簒奪と恐怖政治。

610年フォーカスを打倒し、ヘラクレイオス1世即位。即位直後ササン朝に奪われたシリア・パレスチナ・エジプトを奪還するも、636年ヤルムーク河畔で正統カリフ・ウマル時代のイスラム軍に惨敗、以上三地域は完全に失われる。

テマ(軍管区)制開始。辺境軍を小アジアに撤退させ、軍管区を設定し、その長官に軍事権と行政権を兼任させた。一種の非常防衛体制であり、実施当初は各テマが半独立の形勢を示したが、8世紀から9世紀にかけてテマの分割・細分化や中央軍団の強化、テマ長官の入れ替え、任期・権限制限などで分権傾向は阻止される。

717~718年イサウリア朝創始者レオン3世がウマイヤ朝の首都包囲軍撃退。聖像禁止令発布。

息子のコンスタンティノス5世も禁止令徹底。後世「コプロニュムス(糞)」と呼ばれる。

751年イタリア支配の拠点ラヴェンナがランゴバルト族に奪われ、南端部を除きイタリアを放棄。

同751年カロリング朝成立、750年アッバース朝成立と合わせてローマ帝国の旧地中海世界が分裂した後、ビザンツ・イスラム・ヨーロッパの三極体制が固まる。

女帝エイレーネーが聖像崇拝復活。その治世にシャルルマーニュが戴冠。

802年ニケフォロス1世、クーデタでエイレーネー打倒。財政再建に成功、ギリシア地域を再征服、テマを設置しスラヴ化を阻止。ブルガリア人との戦いで敗死。

867年バシレイオス1世即位、マケドニア朝創始。

963年ニケフォロス2世フォーカス即位。クレタ・キプロス・アレッポ・アンティオキア征服。

969年ニケフォロスを暗殺してヨハネス1世ツィミスケス即位。パレスチナ遠征、イェルサレムに迫る。

(以上二者は実質簒奪者だが前皇妃や皇妹と結婚しマケドニア朝自体は存続。)

976~1025年バシレイオス2世。妹がギリシア正教に改宗したキエフ公国ウラジーミル1世と結婚。

第1次ブルガリア帝国を滅ぼす。「ブルガリア人殺し」との綽名。

貴族層を抑圧、皇帝権力拡張。著者はこのバシレイオス2世時代を、版図ではユスティニアヌス1世時代に及ばないものの、帝国の全盛期としている。

その後11世紀前半バシレイオスの姪ゾエとその配偶者をめぐって帝位争いが続く。

1071年マンツィケルト(マラーズギルド)の戦いでセルジューク朝に惨敗、ロマノス4世捕虜。

1081年アレクシオス1世即位、コムネノス朝成立。

貴族層と妥協、プロノイア制導入、ヴェネツィアに商業特権授与、第一回十字軍招聘。

子のヨハネス2世はアンティオキア再征服、孫のマヌエル1世はイタリア征服を目論み神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世と対立。

1204年第四回十字軍、帝国の一時的滅亡。

ラスカリス家の亡命ニカイア帝国成立。

1261年摂政・共同皇帝となっていたミカエル・パライオロゴスがコンスタンティノープル奪回、ラスカリス家より簒奪、ミカエル8世として即位、パライオロゴス朝を開く。

仏王ルイ9世の弟で、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世死後のシチリア・ナポリを手に入れていたシャルル・ダンジューのラテン帝国復興の野望を「シチリアの晩鐘」反乱を支援して阻止。

第二代アンドロニコス2世と孫のアンドロニコス3世、および3世の息子ヨハネス5世と岳父ヨハネス6世カンタクゼノスの帝位争い。

1453年帝国滅亡、最後の皇帝コンスタンティノス11世敗死。

11世の姪がモスクワ大公イヴァン3世と結婚。

ああ、疲れた。

個人的に記憶の補助にしようと書いた鶏ガラみたいなメモなので、他の方の役に立つことはあまりないでしょうが、本書を読んだあと以上の皇帝名を少しでも丸暗記しておくと、ギボンの『衰亡史』など、より詳細な通史を読む際、理解や記憶の助けにはなります。

本当は東欧・ロシア史の部分についてもノートを取ろうと思ったのですが、あまりに面倒臭いので止めときます。(追記:←と思ったのですが、個人的に一番重要で面白いと思った部分だけ下の方で簡略に書き留めています。)

ただ、極めて明快でわかりやすい叙述であるということだけは言っておきます。

東欧史の場合、時代によって各国の記述が一部飛び飛びに出てきて少しだけ読みにくさを感じるのが唯一の欠点ですが、高校世界史程度の読者が読むには最高レベルの通史となっています。

最終的にハプスブルク家領有となる、近世のハンガリーとボヘミアの王朝変遷が非常に詳しく記されていて、本当に役立つ。

(単行本の)387ページにある(近世の)「東欧諸国の歴代君主」は極めて貴重で有益。

これを見ながら本文を復習すれば鬼に金棒でしょう。

14世紀に中東欧各国でハンガリーのアールパード朝、ボヘミアのプシェミスル朝、ポーランドのピャスト朝という建国以来の民族王朝が断絶し、それぞれナポリ系アンジュー朝、ルクセンブルク朝、ヤギェウォ朝の外来王朝が支配する。

アンジュー朝ハンガリーのラヨシュ1世(大王)の死後、ジギスムントがハンガリー王位・ボヘミア王位、神聖ローマ帝位を占め一時ルクセンブルク朝が優位となる。

ジギスムント死後、娘婿のハプスブルク家のアルブレヒトがハンガリー・ボヘミア王位に就くが、これも二年後病死。

その後ハンガリー・ボヘミア両国でそれぞれマーチャーシュ1世(・コルヴィン)、イジー・ポディエブラディという民族王朝一代を挟んで、ポーランド・リトアニア王家であるヤギェウォ朝の君主が即位し、15世紀末から16世紀初めにかけての一時期中東欧四ヶ国全てがヤギェウォ朝の統治下におかれる。

しかし、1526年オスマン帝国とのモハーチの戦いでヤギェウォ朝ハンガリー王ラヨシュ2世(ボヘミア王としてはルドヴィク1世)が敗死し、婚姻関係から両国の王位は結局ハプスブルク家のフェルディナント1世に移る。

ロシア史も短いページ数ながら、非常によくまとまっている。

キエフ公国分裂後の盲点になりやすい部分も比較的丁寧に説明されていてとても良い。

この全集では、今のところ第3巻のインド史、第8巻のイスラム史と並んで面白い。

しかし、これまでの世界史全集で中心だった西ヨーロッパ史と中国史ではイマイチな巻が多いですね・・・・・・。

2008年4月10日

F・フェイト 『スターリン以後の東欧』 (岩波書店)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

『スターリン時代の東欧』の続巻。

叙述範囲は1953年スターリンの死から1970年代末まで。

前巻と同じく、説明が詳細かつ丁寧で曖昧さを残さないのが非常に良い。

価値判断も穏当・適切で、東欧共産圏崩壊後の今読んでも全然違和感が無い。

訳文もよく練られていて読みやすい。

戦後東欧史として極めて優れており、基本テキストとして十分。

読む上で、まず1953年スターリン死と東ベルリン暴動、56年スターリン批判とポーランド・ハンガリーの動乱、68年「プラハの春」とチェコへのソ連軍事介入という三つの最重要事件の年代を暗記しておいて、その前後関係で史実を捉えると便利。

硬直したスターリン主義的抑圧体制とソ連への従属から、各国が一定範囲内での自由化・自立化を遂げていく過程を読み取っていきましょう。

内政面では共産党一党独裁を前提にした上でのある程度の自由化と市場経済の部分的導入、外交面ではソ連による事実上の主権制限から逃れる動きが出てくる。

国によって内政・外交両面での変化の割合が異なるので、その各国事情を大雑把にでも頭の中で再現できるようになればよい。

東ドイツのように内外政策共に教条的な路線をほとんど変えなかった国もあれば、56年以後のハンガリーのように大胆な改革に乗り出した国もあり、中にはルーマニアのように外交面では自立的でありながら内政面では硬直した計画経済と抑圧体制を取った国もある。

なお、その過程で各国の主な指導者名はやはり記憶した方がいいと思う。

東ドイツのウルブリヒトとホーネッカー、ポーランドのビエルトとゴムルカとギエレク(と本書の範囲外だがヤルゼルスキ)、チェコスロヴァキアのゴトヴァルトとノヴォトニーとドプチェクおよびフサーク、ハンガリーのラコシとゲレとイムレ・ナジおよびカダル、ルーマニアのゲオルギウ・デジとチャウシェスク、ブルガリアのディミトロフとチェルヴェンコフとジフコフ、ユーゴスラヴィアのチトー、アルバニアのエンヴェル・ホッジャなど。

以上挙げた人々がどのような政治姿勢を取ったのかを大まかにでも言えるようになるのが望ましいと思われます。

70年代末以後、89年の体制転換に至る歴史については『激動の東欧史』(中公新書)などで補強して下さい。

前巻と併せて強くお勧めできる本です。

2008年2月21日

柴宜弘 『ユーゴスラヴィア現代史』 (岩波新書)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

旧ユーゴスラヴィアがすでに解体していた1996年刊。

タイトルに「現代史」とあるが、近世から筆を起こし、オスマン帝国支配下にあった正教圏のセルビア・モンテネグロ・マケドニアとハプスブルク帝国支配下にあったカトリック圏のスロヴェニア・クロアチア、1878年ベルリン条約によってオーストリアが行政権を得た、正教・カトリック・ムスリムの三宗教混交地域であるボスニア・ヘルツェゴヴィナ、それぞれの史的概略を記していく。

第一次世界大戦後のセルビアを中心としたユーゴ王国建国、1941年の反枢軸クーデタとドイツ軍侵攻、パルチザン戦争とチトーの台頭、ソ連との断絶と非同盟主義と労働者自主管理を目ざす独自の社会主義国家建設と続く。

90年代以降の連邦分裂と内戦の記述も要領よくまとめられている。

ページ配分が適切で、説明も過不足無く、非常に読みやすい。

楽に最後まで読み通せるが、それでいて重要なポイントはきちんと頭に入るようになっている。

なかなかの良書と思います。

今はセルビア・モンテネグロだけで構成されていた新ユーゴも無くなって、セルビアからさらにコソヴォが独立するとかいうことになってるみたいですが、増補版は出ないですよねえ・・・・。

2008年1月9日

F・フェイト 『スターリン時代の東欧』 (岩波書店)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

第2次世界大戦後から1953年スターリンの死までの東欧共産圏の歴史。

著者の立場として、極端に粗暴な反共主義には同意していないが、この時期のソ連による強引な「上からの共産化」が冷戦の直接的原因であったとはっきり指摘している。

まず反ソ勢力をのぞいた連立政権をつくるが、その際、警察と軍隊は共産党がにぎる。そして、共産党の権力奪取にとって邪魔になる政党を、警察とソ連占領軍との協力によって弱体化させつつ、猛烈な干渉をともなう選挙をおこなって共産党の支配を確立し、共産党の権力がかたまった後で社会党を吸収合併するというものである。(高坂正堯『現代の国際政治』

以上のような手口でポーランドをはじめとする国々で人民民主主義という名の独裁体制が確立され、1948年2月には東欧で唯一議会が正常に機能していたチェコスロヴァキアでクーデタが起こり共産党が支配権を握る。

同じ48年の6月には前年結成されていたコミンフォルム(共産党情報局)からユーゴスラヴィアが除名され、以後ユーゴはソ連と衛星国からの猛烈な非難・攻撃の対象となる。

もともとチトー率いるユーゴ共産党はソ連に忠実であり、西側への強硬姿勢も徹底したものだったが、収奪に等しい経済合弁事業や党・軍・治安機関への親ソ分子浸透を拒否したためスターリンの逆鱗に触れ、体制崩壊を狙うソ連の圧迫を受けるが、チトー・カルデリ・ジラス・ランコヴィチらのユーゴ指導部はよく団結を守り政権を維持する。

以後衛星国の自主性を可能な限り抹殺しようとするソ連の方針はますます厳しくなる。

信じがたいが、この時期ポーランド系とは言え、れっきとしたソ連軍人であるロコソフスキー元帥がポーランドの国防相と軍最高司令官に就任している。

ユーゴ除名がソ連国内でのキーロフ暗殺と同じような役割を果たし、「チトー主義者、ファシスト・西側のスパイ」という名目で残酷な粛清が行われ、ハンガリーのライクやブルガリアのコストフ、チェコのスランスキーのような最高指導部に属した人間が見世物裁判の後死刑に処せられた。

ポーランドのビエルト、チェコのゴトヴァルト、ハンガリーのラコシ、ルーマニアのゲオルギウ・デジ、ブルガリアのディミトロフおよびチェルヴェンコフ、アルバニアのエンヴェル・ホッジャ、東ドイツのウルブリヒトなどの「小スターリン」たちが暴政を布く。

スターリン死後、ソ連の支配はやや緩み、ポーランドのゴムルカ(粛清に巻き込まれ逮捕されるが幸運にも死を免れた)に代表される、ある程度の独立性を持った指導者が政権に就くことになる。

史実を要領よく説明している読みやすい本です。

ただ初心者はまず上記の『現代の国際政治』や猪木正道『冷戦と共存』猪木正道・佐瀬昌盛『現代の世界』などの国際政治史の本を一冊読んでおいた方が良いと思います。

一読すれば、かなり多くのものが得られる良書です。

2008年1月4日

山本俊朗 井内敏夫 『ポーランド民族の歴史』 (三省堂選書)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

1980年刊。類書が少ない中、比較的簡略な通史で読みやすい。

評価としてはまあまあだということをまずお伝えしておきます。

以下個人的備忘録のつもりで細かくメモした結果、異様に長い記事となりましたので、面倒に感じられる方は無視してください。

966年ポーランド王国初代君主ミエシュコ1世がキリスト教に改宗。次のボレスワフ1世の時に国土統一。

しかし王家の分割相続によって国の統一が弱まり、1241年にはモンゴル軍とのワールシュタットの戦いで国王ヘンリク2世が戦死する。

その後カジミエシュ3世(大王)(在位1333~70年)時代に繁栄を取り戻す。

領土を拡張し、クラクフ大学を創立、神聖ローマ皇帝カール4世とハンガリー王との争いを調停するほどだが、ドイツ騎士団の圧力に常にさらされる。

大王死後、ピアスト朝が断絶すると最後の後継者ヤドヴィガがカトリックに改宗したリトアニア大公国の君主ヤギェウォと結婚し、1386年リトアニア・ポーランド王国が成立。

現在はバルト海沿岸の一小国であるリトアニアだが、当時はロシア・ウクライナの住民を「タタールのくびき」から解放して、地図を見ると我が目を疑うほどの広大な領域をキエフを含む内陸部に占めていた。

1410年グルンヴァルト(タンネンベルク)においてヤギェウォはドイツ騎士団軍に圧勝し、以後両者の関係でポーランドは常に優位を保つ。

16世紀初めルター派に改宗した騎士団領が世俗のプロイセン公国となり、初代プロイセン公ホーエンツォレルン家のアルプレヒトはポーランド国王に臣従する。

しかし全人口の10%を占めるシュラフタという貴族身分の力が強く、ヨーロッパ各国が絶対主義体制を固める中で、中央集権化に遅れをとる。

著者はこの「シュラフタ共和国」を必ずしも衰退の原因とは見ず、16世紀はそれが有効に機能していた時代であり、その繁栄の上にコペルニクスに代表される文化の華が開いたとしている。

1573年ヤギェウォ朝断絶、選挙王制に移行。最初の国王はフランス王シャルル9世の弟アンリ(ヘンリク)・ヴァロワが選ばれたが、直後にシャルル9世が死去したため帰国、ヴァロワ朝最後の王アンリ3世となる。

以後の内政は無秩序な大貴族の寡頭制に堕し、国運は大きく傾く。

対外的にはイヴァン雷帝死後混乱が続きリューリク朝が断絶したロシアに侵攻し、スウェーデン出身でポーランド王に選ばれていたジグムント3世の子をツァーリとすることに一時成功するが、1613年ミハイル・ロマノフの即位によってそれも水泡に帰す。

直後のスウェーデン王グスタフ・アドルフの侵攻を退け、以後の三十年戦争では局外に立つが、1648年にウクライナのコサックが反乱を起こす。

蜂起したコサックがロシアに接近することによりウクライナはほぼ失われ、ロシア・スウェーデン両軍の攻撃を受け「大洪水」と呼ばれる混乱期となり、この時期プロイセン公国はポーランドの宗主権から離れる。

1683年オスマン帝国の第2回ウィーン包囲にあたって、ヤン3世ソビエスキが援軍として駆けつけキリスト教世界の救世主と称えられたが、内政は貴族の拒否権乱発と反宗教改革の勝利による偏狭なカトリック主義とで機能不全となり、都市は没落し農村は疲弊した。

ヤン3世死後、ザクセン選帝侯のアウグスト2世が即位、ロシアのピョートル1世と結んで1700年北方戦争に参戦。

スウェーデン軍侵入時、スタニスワフ・レシチンスキが一時即位するが、ポルタヴァ戦でロシアが勝利するとアウグスト2世が復位した。

18世紀初頭の二つの戦争――スペイン継承戦争(1701~14)と北方戦争(1700~21)――はヨーロッパの政情を大きく変えた。前者によってフランスのブルボン家は、スペイン王位を獲得したが、盛時の力を失った。一方マドリードを手放したオーストリアは、徐々に西ヨーロッパ問題から撤退し始め、バルカンへの進出を最大の政治目的とするようになった。他方、バルト海の覇権をめぐる北方戦争は、スペイン継承戦争を上回る変化を東ヨーロッパにもたらした。17世紀の強国、スウェーデンが消えた。これに代わってピョートル大帝のロシアが一挙にヨーロッパの政治舞台に登場した。

1733年アウグスト2世死去、その子アウグスト3世が即位すると、スタニスワフ・レシチンスキの娘と結婚していたフランス王ルイ15世は義父の即位を主張して、オーストリアに宣戦、ポーランド継承戦争(1733~35年)が勃発する。

本書では詳しい記述が無いので、ピエール・ガクソット『フランス人の歴史』吉川弘文館の『世界史年表・地図』などで補強すると、この戦争の結果ポーランド王位はアウグスト3世に、レシチンスキにはロレーヌ(ロートリンゲン)公の位が一代に限り認められる。(1766年彼の死後ロレーヌはフランスに併合された。ちなみにアルザスは三十年戦争後ウェストファリア条約でフランスに併合。ただし中心都市のストラスブールはやや遅れて違う経緯で仏領となる。ロレーヌのうちツール・ヴェルダン・メッツの各都市もウェストファリア条約での併合。)

以前のロートリンゲン公フランツはメディチ家断絶後のトスカナ大公国を与えられ、神聖ローマ皇帝カール6世の後継者マリア・テレジアと結婚する。

さらに先のスペイン継承戦争とラシュタット条約の結果、スペイン本国のブルボン家統治を認める代償としてオーストリアに引き渡された南ネーデルラント、ミラノ、ナポリのうち、ナポリがスペイン・ブルボン家に譲渡される。

なおラシュタット条約では、シチリア島はサヴォイ公国、サルディニア島はオーストリア領有だったが、1720年両者が交換され、サヴォイ公国はサルディニア王国となっていた。

1735年ナポリと共にシチリアも割譲され、この両地域は1860年ガリバルディに征服されるまでブルボン朝王国として存続することになる。

以上の領土の移動はかなり重要な史実のように思えるが、教科書には載っていない。

このポーランド継承戦争が高校世界史の範囲外なのは解せない。

読む方もウンザリでしょうが、書く方も疲れました。以後できるだけ簡単にいきます。

アウグスト3世死去後、ロシアの支持を得たスタニスワフ・ポニャトフスキが最後のポーランド国王として即位(在位1764~95年)。

彼は即位前ロシアに滞在中、エカチェリーナ2世の愛人だったという人物。

ポニャトフスキは国制改革を進めようと努力するが、ポーランドを緩衝国として利用しようとするロシアの政策が変化し、その姿勢は領土併合へと傾く。

1772年普・墺・露によって第1次ポーランド分割。

その後しばらく間が空き、国内の危機感の高まりを受け1788年の議会は改革を討議し、91年立憲君主制と議院内閣制、有産シュラフタ・上層市民の緩やかな融合を目指した「五月三日憲法」を制定した。

これはバークも賞賛したほどの穏和で漸進的な改革だったが、折悪しくフランス革命の混乱が引き起こされており、エカチェリーナ2世はこれに徹底した不信と敵意を示す。

1793年普・露による第2次分割。コシューシコは独立維持のため蜂起し、パリでジャコバン政権に援助を要請するが具体的支援は得られず、自らも捕虜になる。

1795年三国による第3次分割でポーランドは滅亡。

ナポレオン戦争時代、大敗したプロイセンとオーストリアの領土からワルシャワ大公国が作られるが、ナポレオン没落と共に消滅、ウィーン会議で大公国の元領土の多くがロシア支配下に入り、ロシア皇帝が国王を兼任するポーランド王国が作られる。

ロシア本国では影も形も無い憲法が王国には与えられるが、実質の運用は即停止され圧政が強まる。

1830年、46年、48年、63年の反乱は全て失敗。

19世紀末には近代的政党による反抗運動が始まるが、左派の「ポーランド王国・リトアニア社会民主党」のローザ・ルクセンブルクは階級闘争を最重要視し、独立運動の意義を認めなかった。

「ポーランド社会党」内ではやはり階級闘争重視の左派と民族独立重視の右派に別れ、将来の独立ポーランドにおける最重要人物ピウスツキはこの党の右派に属していた。

その他、漸進的・融和的方針を掲げるドゥモフスキの「国民連盟」「国民民主党」があった。

第一次大戦においてピウスツキは独・墺側で戦うが、ポーランド軍の独自性を強く主張したため当局に投獄される。

1918年ドイツ降伏によって釈放、ロシア革命後の混乱もあって独立を達成したポーランドの指導者となる。

1920年ソヴィエト・ポーランド戦争でワルシャワ前面に迫った赤軍を撃退し、有利な東方国境を制定するが、民族感情の対立からロシア白衛軍やウクライナ軍と協力せず、ソヴィエト政権打倒のチャンスを逃したのは、後世から見ると切磋扼腕せずにはいられない。

独立後も経済は不振で、訓練不足の議会制民主主義は機能せず、情勢が混乱を極めるとピウスツキは1926年クーデタを起こし、事実上の独裁権力を握る。

以後35年の死に至るまで政権を担当するが、ここで問題になるのが34年ドイツと結んだ不可侵協定である。

これも高校世界史では出ない事実だが、野田宣雄『ヒトラーの時代』によれば、これはヒトラー政権初の外交攻勢であり、ポーランドとの友好関係を誇示して、フランス・ソ連に圧力をかけることを可能にしたと評価されている。

それまでドイツ国防軍とソ連赤軍の秘密交流やラパロ条約のようにポーランドを敵視して独ソ間の連携が存在し、フランス・ポーランドがそれに対抗する形だったのが、以後35年の仏ソ相互援助条約のようなフランス・ソ連間の連携が生れた。

最終的な結果を見ればやはりこれは失敗と言えるのだろうが、ヒトラー政権成立時にフランスに対独予防戦争を提唱したが拒否されたピウスツキとしては自国の安全のために当時最善と思われる行動を取ったつもりだったのかもしれない。

第2次大戦と戦後の共産化以後の歴史も述べられていますが、自分がメモしたい部分は以上で終わりなので、これで止めときます。

最初に書きましたが、悪い本ではないです。

ただ中公新書の『物語ポーランドの歴史』が出る場合は、これ以上の出来を期待します。

2007年12月24日

山内進 『北の十字軍』 (講談社選書メチエ)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

十字軍・レコンキスタと並んで中世ヨーロッパの拡大運動であるバルト海沿岸へのドイツ人東方植民をその前史から叙述した本。

マイナー分野での貴重な啓蒙書だが、事実関係の記述が詳しすぎて、初心者にはゴチャゴチャした印象を与える。

細かな史実や人名は覚えようとせず、ごく大まかな経緯と雰囲気を知ればよいと構えた方がいいでしょう。

でないと高校世界史レベルの読者(私を含む)は挫折しそうになります。

12世紀末までにエルベ川とオーデル・ナイセ川の間に居住していたバルト・スラブ人(ヴェンデ人)がキリスト教化され、以後征服の対象はさらに東のプロイセン、リヴォニア(ラトヴィアとエストニアの一部)、エストニア、リトアニアなどに移る。

プロイセン、リヴォニア、エストニアはドイツ騎士団・リーガに設置された大司教・デンマーク王などの西方勢力に屈するが、1242年ノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーがチュード湖氷上の戦いでドイツ騎士団軍を破り、彼らのギリシア正教圏への進入は押し止められる。

(当時ロシアにはバトゥ率いるモンゴル軍が殺到していたが、ノヴゴロドは危うくその攻撃を免れていた。)

またバルト諸民族のうち、リトアニアだけはミンダウガスとその孫ゲティミナスなどの優れた指導者を得て統一国家を形成することに成功し、後にはキリスト教に自発的に改宗して十字軍の口実を奪い、ドイツ人勢力に激しく抵抗する。

ゲティミナスの娘がピアスト朝ポーランドのカジミェシュ3世(カシミール大王)と結婚し、さらに孫のヤギェウォが大王の甥の娘でピアスト朝唯一の後継者となっていたヤドヴィガと結婚したことで、リトアニア・ポーランド王国(ヤギェウォ朝・ヤゲロー朝)が成立する。

ヴワディスワフ2世と名乗ったヤギェウォは1410年タンネンベルクの戦いでドイツ騎士団を大敗させた。

以後ドイツ騎士団領は衰退し、東プロイセンのみを領有し、ドイツ本国との間はポーランドに占められる。

第一次大戦後のドイツ領土が一部飛び地になり、その間がポーランド回廊と呼ばれましたが、その遠因はこの時代にあるそうです。

その後16世紀前半、当時たまたま騎士団総長がホーエンツォレルン家出身者だった時に宗教改革の波が押し寄せ、騎士団員がルター派に改宗の上、騎士団領を世俗的なプロイセン公国となし、以後ブランデンブルクとの繋がりが濃くなっていくわけであります。

本書の中心的な主題は十字軍概念と異教徒の権利についての論争なんでしょうが、私は以上のように事実関係の記述のうち、ごく簡略な流れを読み取る方に力点を置きました。

少々複雑な部分もありますが、なかなか良い本だと思います。

2007年10月17日

黒川祐次 『物語ウクライナの歴史』 (中公新書)

Filed under: ロシア, 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

最近中公新書ばっかりですね。

楽に読めるもので冊数を稼いで誤魔化してるという面は確かにあるんですが、以前書いたように世界史初心者にとって中公は新書も文庫も宝の山ですからある程度は仕方ありません。

本書も非常に良く出来てる。

単独では馴染みの無い国の歴史を、高校世界史でも扱われている周辺国の有名史実と組み合わせて面白く読める通史に仕上げている。

特定の時代に偏ることもなく、スキタイ族が史上初の遊牧民族として活動していた古代から、ソ連崩壊後の独立国家樹立までを満遍なく叙述しており、適切な知識を得られる。

ロシアの起源としてのノヴゴロド公国から派生したキエフ公国はウクライナの起源でもあり、むしろその後の歴史の経緯と史家の解釈によってロシアに「奪われた」という見方が紹介されており、なかなか面白い。

中世および近世での、リトアニア・ポーランドとの闘争やコサック勢力の自立を経て、ロシア・オーストリア両帝国に服属する過程も興味深い。

ただ、この国の現代史は悲惨としか言いようが無い。

ロシア革命後の独立も束の間、ドイツ・ポーランド・デニキンのロシア白衛軍・ボリシェヴィキと赤軍などの外部勢力が侵攻し大混乱に陥る。

国内でも主流の独立派社会主義者とマフノ率いるアナーキスト農民軍の内部対立が激しく、民族団結の核も存在せず、結局最も過激で狂信的なボリシェヴィキが他の勢力を各個撃破しウクライナ全土を支配下に入れる。

スターリン時代には大粛清と農業集団化による人為的大飢饉で恐るべき犠牲者を出し、独ソ戦では国土の大半を破壊された。

長い抑圧と屈従の果てに、ようやく1991年ソ連共産党クーデタ失敗を受け独立を達成する。

いやー、面白い。

著者は元駐ウクライナ大使の外交官であり、悪い意味で学者的ではなく、叙述のレベルも適当で初心者でもわかりやすい。

しかしこの『物語~の歴史』シリーズは本当に使えますねえ。

これを最初に企画した編集者を強く賞賛したいです。

もっともたまにはハズレもありますが。

イランとかスペインとかアメリカは今出てるものを絶版にして、新しい著者でもう一度出してもらえないかと思うくらいです。

2007年10月10日

武田龍夫 『物語北欧の歴史』 (中公新書)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

マイナー分野で困ったときにはこのシリーズ。

デンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・アイスランド五ヶ国の歴史。

前近代史の部分は少々分量不足かもしれないが、『北欧史 (世界各国史)』(山川出版社)を通読するのも大変だし、初心者はこれでいいんじゃないんでしょうか。

高校世界史で出てくる北欧の君主というと、イギリス征服者のクヌート王、カルマル同盟の女王マルグレーテ、三十年戦争の英雄グスタフ・アドルフ、北方戦争の敗者カール12世(前2者はデンマーク、後の2人はスウェーデン王)と、これくらいですが、本書はさすがにもうちょっと詳しい。

しかし細かな人名は無理に憶えなくてもいいでしょう。

まず中学地理の範囲内で、当たり前過ぎますが、各国の位置関係は完全に頭に入れます。

この地域でデンマークが長年優位な地位を占めカルマル同盟の盟主となり、同盟崩壊後スウェーデンが分離独立し、ノルウェーをめぐってデンマークと激しい抗争が続いたこと、17世紀スウェーデンがバルト海沿岸の覇権を握り全盛時代を迎えたこと、ナポレオン時代の後、ノルウェーはスウェーデン領となり、逆にフィンランドはスウェーデンからロシアの支配下に移ったこと、20世紀に入りノルウェーが分離し、フィンランドもロシア革命後独立したこと、といったごく大まかな流れが頭に入れば良しとしましょう。

読みやすい文章でなかなか良いです。

初心者向けにわかりやすい通史を提供するというこのシリーズの趣旨に合っている。

類書が少ない中、貴重な入門書。

お勧めです。

2007年1月10日

木戸蓊 『激動の東欧史』 (中公新書)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:32

1989年に東欧共産圏が崩壊した翌年に出た戦後東欧史。

簡単に読めてそこそこの知識を得られるのでなかなか良い。

89年ごろというと私にとっては完全に同時代史で、テレビと新聞で東欧の政変をじっくり見た記憶がある。

本書の末尾部分をパラパラと見返すと懐かしいですね。

2006年11月4日

薩摩秀登 『物語チェコの歴史』 (中公新書)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:24

標準的なチェコの通史。平易な記述で読みやすい。

古代から近代まで適切なページ配分で、あくまで基礎的な史実を初心者が面白く読めるように叙述するという『物語~の歴史』シリーズの基本に忠実な作り。

このシリーズで、チェコくらいの中堅国家の続刊が楽しみである。

ポーランド・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・タイ・カンボジア・インドネシア等々・・・・・。

ただ、書き手は十分に選んで、編集者がきちんと仕事をしてもらいたい。

20世紀以前はほんの付け足し、後は大して興味深くない時事解説のような文章が延々続くという、『物語イランの歴史』の無残な失敗は繰り返して欲しくないものである。

 

2006年9月15日

武田龍夫 『嵐の中の北欧』 (中公文庫)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 17:57

フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマークの北欧四ヵ国の第二次世界大戦史。

独ソ両大国に挟まれた国々の苦闘の歴史をコンパクトな叙述でわかりやすく描いている。

ソ連に侵攻されたフィンランド、ドイツに蹂躙されたノルウェー・デンマーク、中立を保ち得たものの屈辱的な態度を強いられたスウェーデンのそれぞれの歴史がよく理解できる。

大戦のあまり知られていない面を知るのに非常に有益な書物である。

WordPress.com で無料サイトやブログを作成.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。