万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年12月3日

フランソワ・ラブレー 『ラブレー第一之書 ガルガンチュワ物語』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 06:23

巨人王ガルガンチュワとパンタグリュエルの親子を描いた物語の一巻。

全編、言葉遊びと糞尿譚と性的下ネタで埋め尽くされている。

「何だ、こりゃ」と言うのが正直な感想。

今となっては、この面白さは分からない。

教会を中心とする社会的権威への風刺も、それらの権威が粉々になってしまった現代においては、何の新鮮味も無い。

この一巻だけなら楽に読めるが、とてもじゃないが全巻通読する気にはなれない。

本格的な文学好きの人か、余程の好事家でない限り、その必要も無い。

ただ「ラブレーを読んだことがある」という箔が付く。

それだけ。

2016年11月25日

ドストエフスキー 『罪と罰 全3巻』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 01:22

およそ20年振りの再読だが、初読の際と同様の感動がよみがえってきた。

今回気付いたのは、圧倒的な読みやすさ。

分量が全く気にならず、次から次へとページを手繰らせる力をこの作品は持っている。

表現法とストーリーの構成力、登場人物の個性描写など、小説技法の面がとにかく素晴らしい。

内容面の充実とあわせて、とにかく完璧な作品だと言うしかない。

以前読んだ時は今よりも大長編への耐性が乏しかったはずで、それでもほぼ一気に読んだ記憶があるが、その印象は間違ってなかった。

「30冊で読む世界文学」でこれを選んだのはやはり正解だった。

登場人物も極めて印象的。

自己犠牲を貫く気高いソーニャ、ラスコーリニコフの妹で美しく聡明なドゥーニャ、ドゥーニャの婚約者で低劣な俗物ルージン、主人公唯一の友人で高潔な好漢ラズミーヒン、主人公を追い詰める怜悧で鋭敏な予審判事ポルフィーリー、皮相で愚かな進歩派で戯画的に描かれてはいるがルージンの卑劣な行為に対して高潔な行動を採るレベジャートニコフなど。

ただ、得体の知れない奇怪な悪の化身という感じの人物、スヴィドリガイロフについては、初読の際ほど強い印象は受けなかった。

 

とにかくすごい。

世界文学に少しでも関心があって、これを読まないのはあり得ない。

再読の評価は「5」。

それ以外にあり得ない。

しかも通読難易度は、この長さにも関わらず、「易」を付けることができる。

どんな初心者にも勧めることができる稀有な古典。

2016年10月25日

チョーサー 『カンタベリー物語』 (角川文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:06

岩波文庫で全3巻の全訳が出ている。

中身を見ると、読めないことはないかと感じるが、ボッカチオ『デカメロン』を抄訳で済ませているのに、これの全訳を読むのは、ちょっとバランスに欠けるかとも考えた。

それでいろいろ検索すると、昔角川文庫でこの抄訳が出ていたことを知る。

序章を含め9章を訳出し、200ページ弱の文庫本にまとめてある。

だから省略部分はかなり多いと思われるが、初心者が雰囲気を感じ取るだけなら、これくらいでいいでしょう。

末尾の解説含め、本書でどこにも抄訳であることを明言していないのは、少し気にかかるが。

内容は取り立てて言うことは無い。

14世紀イギリス、カンタベリに巡礼に向かう29人の、様々な職業・社会階層の人々が、道中の徒然にそれぞれ物語を披露する、という『デカメロン』とよく似た形式。

話の中身も、やや卑猥なところを含む滑稽譚で、似ている。

初心者でも十分読める難易度。

古典的書名を読了リストに追加できただけでも良かった。

2016年10月17日

ウィリアム・シェイクスピア 『ヘンリー四世 第一部・第二部』 (白水社uブックス)

Filed under: イギリス, 文学 — 万年初心者 @ 04:47

この版では、一部・二部がそれぞれ一巻本になっているが、話は完全に繋がっているので一つの記事にした。

エドワード黒太子の子リチャード2世から王位を奪って、ランカスター朝を創始したのがいとこのヘンリ4世で、その簒奪行為に協力しつつも、やがて疎んじられたノーサンバランド伯パーシー家の反乱と鎮圧、ヘンリ4世の死去までを描いた史劇。

もっともヘンリ4世が主人公とは言いがたく、実質的にはその息子で皇太子のハル(ヘンリ)が物語の中心。

放蕩無頼の限りを尽くすドラ息子といった感じのハルが突如その英雄的資質を表わし、反乱を鎮定、父王死後ヘンリ5世として即位、後に百年戦争を再開して最も英国優位の情勢を作り出すことになる。

またこの作品では、ハルの取り巻きの一人で、道化じみた悪徳騎士フォールスタッフのキャラクターも極めて有名。

フォールスタッフらの毒舌・雑言の中に潜むウィットは、現代人が読んでも笑いを誘う。

権力の栄枯盛衰を背後から操る世論の問題というテーマが中心となっているように思える作品だが、その重苦しさを笑いで中和してくれている。

なかなか良い。

シェイクスピア史劇では、少なくとも『ヘンリー五世』よりは印象に残るし、『リチャード二世』と並んで良い。

 

「噂」登場、一面に舌の模様を描いた服をつけている。

さあ、耳を開いて聞きな、それがし、「噂」が大声で

しゃべろうってんだ、耳に蓋するわけにはいくまい?

日の昇る東のかたより日の沈む西の涯まで、

風を早馬に仕立てて乗りまわし、この地上に起こる

あらゆる出来事を伝えひろめるのがおれの役目だ。

悪口、中傷をひっきりなしにこの舌先にのせ、

それを世界各国のことばでしゃべりまくり、

人々の耳に偽情報を詰めこむのがおれの商売だ。

たとえばおれが天下泰平だと言うのは、かくれた敵意が

平和の微笑のかげに刃を秘めてこの世を傷つけてるときだ。

また、大きくふくれあがった世界の胎内から

いまにも暴虐な戦争が生み落とされると思わせ、

兵隊集めや防衛準備に狂奔させておいて、実は

なにごともなし、なんて騒ぎを起すのも、このおれ、

「噂」の仕業でなくてなんだ?「噂」とは

疑心暗鬼、揣摩憶測が吹き鳴らす笛だ、それも

穴をおさえて吹くだけでいとも簡単に音が出るので、

あっちへふらふらこっちへふらふらする大衆ってやつでも、

むやみに吹き立てることができるんだ。いや、いまさら

天下衆知のおれの実体をご説明する必要はなかったな、

あんたがたはおれの身内なんだから。・・・・・・

 

大司教

・・・・・・わが国民はいまやみずから選んだ王にいやけがさしている、

あまりにもむさぼるように愛したため食傷している。

うつろいやすい民衆の心を土台にして家を建てるものは、

ぐらついてあぶなっかしい住居に身をおくことになる。

ああ、愚かな大衆どもめ、おまえたちはかつて、

おまえたちの望みどおりボリングブルック[ヘンリ4世]が王座につく前は、

天を拍つ歓呼の声をもって彼に祝福を与えたものだった!

ところがいま、彼がおまえたちの望んだ栄光に包まれると、

なんという食い意地の汚さだ、もう彼に食い飽いて、

みずから胸をむかつかせて彼を吐き出そうとしている。

そう言えば、おまえたち野良犬は、その貪欲な胸から

故王リチャード二世を吐き出したくせに、いままた

その反吐の死体をもう一度食いたがり、捜し求めて

うるさく吠え立てている。こういう連中が信じられるか?

リチャード王在位中はその死を願っていたやつらが、

いま、その墓に熱い恋心を捧げているのだ。故王が、

世の賞賛を一身に集めたボリングブルックのあとに従い、

傲然とかまえたロンドン市中を溜息ながらに引きまわされた

あのとき、その頭上に汚物を投げつけたおまえたちが、

いま、「大地よ、あの王を返し、この王をのんでくれ!」

とわめいているのだ。人の心の、なんと呪わしいことか!

過去と未来は美しく見え、現在はもっとも醜いと思うのだ。

2016年9月2日

トゥルゲーネフ 『初恋』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 03:28

短編なので読みやすい。

内容的には特にどうと言うこともないが、やや苦い思いを残す佳作。

『猟人日記』などには今のところ手が出ないが、代表作『父と子』の他にとりあえずもう一作追加できて、少しは格好がつきましたかね。

ただそれだけです。

2016年8月27日

ウィリアム・シェイクスピア 『アントニーとクレオパトラ』 (白水社uブックス)

Filed under: ローマ, 文学 — 万年初心者 @ 04:00

これも以前記事にしたものの再読だが『ジュリアス・シーザー』と違って、さして強い印象を受けない。

クレオパトラとの愛欲に溺れてオクタヴィアヌスとの闘争に敗れるアントニウスの姿が、史実通り淡々と描かれているだけという感じ。

面白くない。

こういう印象を持つのは残念であり、まず読み手である自分の資質の問題であることは間違いないが、嘘偽りの無い正直な感想を言えば以上の通りです。

2016年8月7日

ウィリアム・シェイクスピア 『ジュリアス・シーザー』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: ローマ, 文学 — 万年初心者 @ 03:16

学生時代読んだきりで、一度記事にしたものを、この新訳で再読した。

(訳者の言葉を借りれば)無知・無定見極まりない群衆の恣意がすべての決定者としてのさばり、英雄としての資質を持つシーザーや高潔の士ブルータスですらそれに依存して権力を得たり失ったりするに過ぎず、アントニーが発揮したような煽動の才が重きをなしてしまう現実を鋭くえぐった政治劇。

確かにそのような読み方ができる。

さすが傑作の名に恥じない。

史実に基くストーリーをなぞるだけだった初読時よりも深い感銘を受けた。

やはり一度は読んでおくべき作品と思われる。

2016年7月30日

郭沫若 『歴史小品』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 06:56

近代中国文学では魯迅の次くらいの知名度を誇る作者の短編歴史小説集。

1936年初版。

登場人物は、老子、荘子、孔子、孟子、始皇帝、項羽、司馬遷、賈誼(前漢文帝時代の文人政治家)の8人。

どれもごく短く読みやすい。

しかし内容は・・・・・。

結論を言うと、つまらないです。

思想家たちの編は性急な偶像破壊的記述がやや浅薄な印象を与えるし、それ以外の人物についても、言動が現代風にアレンジされ過ぎている感がして相当の違和感あり。

著者の本領は別の著作に表われているのかもしれないが、今のところ強いて読む気がしない。

2016年7月24日

トルストイ 『光あるうちに光の中を歩め』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:13

2世紀ローマ帝国治下、小アジアのキリキアを舞台にした、富裕な商人の息子ユリウスとその親友である解放奴隷の息子パンフィリウスの物語。

原始キリスト教を奉じるパンフィリウスと、それに魅かれながら世俗の論理に何度も押し留められるユリウスとの対話が主な内容。

最後にユリウスはすべてを投げ打ってキリスト教徒の共同体に参加することになるのだが、キリスト教的理想主義に対比される世俗的現実主義にもかなりの言い分を感じてしまう。

実際、この作品は作者の意図とは逆に、世俗的現実主義を主張する言葉に多くのページが費やされ説得力が感じられてしまうとして、トルストイ自身はお蔵入りにしようとしたという。

本当は理想と現実の双方を踏まえて、よりよき均衡を取ろうとするのが正しいんでしょうけどね。

理想主義一本槍のトルストイ主義にもついていけないが、かと言ってただのエゴイズムと物質主義を自由と効率の名の下に肯定するしか能がない現代社会は全くもって醜悪です。

原始キリスト教から進化したローマ・カトリックや(トルストイが強く批判した)ロシア正教会のような伝統的宗教は、実はそうした理想と現実のバランスを達成するために長い年月をかけて生まれたものであり、腐敗や形式主義など、たとえどれほどの表面的欠陥があろうとも、やはり基本的には守るべきものなんではないか、と思えてくる。

トルストイのように原始キリスト教のみを理想視するのはどうかと・・・・・。

 

短い上に読みやすく面白い。

良き佳作。

2016年7月18日

トオマス・マン 『トニオ・クレエゲル』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:36

内向的で気弱で繊細だが、知的な少年が、中年の文学者となり、少年時代に接した事物や人物に再会する描写を通じて、芸術・精神と日常・世俗性を対比し、そのどちらにも徹することができない人間の苦しみを指摘しつつ、それを否定せず受け入れるべきことを示した作品、なんてまとめは正しいのか。

短編であり、読むのは楽。

他にはどうということも無い。

確か再読だったか。

学生時代に読んだ感覚がある。

内容はほぼ忘れていたが。

強い感銘などは無い。

ただ読んだ事実を作っただけという、私の文学読書にはよくあるパターンだ。

2016年7月12日

エラスムス 『痴愚神礼讃』 (中公文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:17

2014年刊の新訳。

トマス・モアに捧げた序文とホルバインの挿画が付いている。

原文はラテン語で、エラスムスはその全作品をラテン語で書いているという。

こんなに短い作品だったのか、というのがまず第一印象。

一日で読める。

痴愚女神による自己弁護という形式を借りて、教会の腐敗・堕落を攻撃した作品と言われるが、それは後半部で、前半では社会の各層をギリシア・ローマの古典章句を多く散りばめながら辛辣に皮肉り批判している。

読んでいて、それらを痛快に感じる面も確かにあるが、その後エラスムス自身が宗教改革とカトリック教会の板挟みになって苦悩したことを思えば、やや性急で一方的な批判に感じられないこともない。

ただ、キリスト教の教えに背き、戦争という手段を採ることを厭わない教皇庁を批判した著者の平和主義には心を打たれる。

(以前ならこんな感想は抱かなかったでしょうが、世の中も自分も大きく変わりました。)

特に面白いわけではないが、これだけ著名な古典でありながら、通読難易度は極めて低いので、機会があれば手に取ってみるのも良いでしょう。

2016年7月4日

アンドレ・マルロー 『征服者』 (角川文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:18

果敢な政治的行動によって有名な作家。

コミュニズムに接近し、初期の中国革命に参加、反ファシズムを訴え、スペイン内戦にも義勇軍として参戦するが、独ソ不可侵条約を見て、コミュニズムと訣別、第二次大戦中は対独レジスタンスに身を投じ、戦後はド・ゴールの熱烈な支持者となり、一時文化相として入閣もしている。

この作品は著者がまだ左翼的姿勢を保っていた時のもので、中国を舞台にしたもの。

1925年の五・三〇事件を描いている。

私は1927年上海四・一二クーデタを扱ったものと勘違いしていたが、それは『人間の条件』の方だった。

上海における排日民族運動が徐々にイギリスに標的を移し、前年成立した第一次国共合作に後押しされ、大々的な反英民族運動に発展したが、その香港・広東での出来事が題材。

一人称の語り手は、コミンテルンから派遣された実在の人物であるボロディン、ガレンと共に国民党の外国人顧問となり、革命闘争を展開、イギリス当局、地方軍閥、党の急進化を恐れる国民党右派と対決する。

(ちなみにこの時期の蒋介石はむしろ国民党左派の軍人として姿を見せる。)

主人公らは、同志であるボロディンらソ連人顧問に腐敗と専制の臭いを嗅ぎ付けるが、一方より極左的で無差別的な暗殺も辞さないアナキスト的テロリストの反抗にも手を焼く。

結局主人公を動かしているのは、アクティヴ・ニヒリズムといったようなものか?

よくわからないし、共感もできない。

革命が高潮期を迎えるところで物語は幕を閉じる。

さすが著名な文学者だけあって、このような傾向の作品でも政治的教条主義を感じさせるようなことは無かったが、しかしあまり面白いとも思えない。

読了リストに書名を追加できたことだけが収穫です。

2016年6月28日

アベ・プレヴォ 『マノン・レスコー』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 06:44

1731年刊。

名門出の青年シュヴァリエ・デ・グリューが、天性の娼婦とも言うべき魔性の女マノン・レスコーと出会い、悪徳と放埓への道に転落していく物語。

単純にストーリーの起伏と転回だけで面白さを感じさせるという作品だが、含意や寓意に乏しくとも、その方が初心者にとってはわかりやすい。

分量も多くないし、楽にこなせて、しかも実に面白い。

教科書的知名度では劣るが、読んで決して損は無い古典です。

2016年6月17日

ハーバート・ジョージ・ウェルズ 『タイムマシン』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 01:59

1895年の作。

SF小説の元祖か。

内容は特に言うことがない。

ごく短いので読むのが楽。

他の版では別の作品を収録していることが多いが、これは表題作のみなので余計にそうだ。

80万年後の未来で、弱々しい地上人イーロイ人と野蛮な地底人モーロック人が並存するという話から、文明の先行きへの悲観論が感じられるが、それとフェビアン協会加入や保守思想家チェスタトンとの論争など、著者の進歩的思想とどう繋がるのかが不明だ。

強いてこれを、というのではないが、まあ著名な作品にしては手頃です。

2016年5月17日

マーク・トウェーン 『王子と乞食』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:38

英国王エドワード6世をモデルにした王子と、それにうり二つの容姿を持った物乞いの子供トムがひょんなことから入れ替わり、トムは宮中で王として振る舞い、王子は貧民の社会で苦汁を舐め経験を積むというおとぎ話。

誰もが一度は接したことのある設定と筋書だが、これは最高に面白い。

まさに傑作だ。

途中から王子の冒険がメイン・ストーリーになり、トムが出てこなくなるのがやや物足りないが、両者が再び顔を会わせ、大団円となる終盤の展開は素晴らしい。

芸術的価値云々はさて置いて、こういう類の「通俗性」は全く腐す気になれない。

是非一読を薦める。

2016年4月9日

イプセン 『民衆の敵』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 05:15

『人形の家』が当時もたらした衝撃は今日の我々にはもはやわからない、と記事に書きました。

女性の権利擁護や自立促進は(十分に実現されているとは言えないが)方向としては完全な正義と認識されているので。

しかし、こちらの作品の方が今読むとはるかに衝撃的だ。

なぜなら民主主義と多数決制を真正面から否定しているものだから。

ノルウェーのある田舎町で、医師ストックマンが、町に繁栄をもたらしている温泉に有毒物が混入していることを発見し、大いに費用のかかる水道の付け替えという対策を採るよう訴えるが、目先の利益に目がくらみ、真理・真実から目を背け、詭弁を弄して言い繕う町の有力者・富裕層と、彼らに易々と煽動され、言うがままになる町民によって迫害され、「民衆の敵」とのレッテルを貼られ、排除されてしまう。

自由思想家気取りの反権力ジャーナリストや、反対党派に属するがゆえに一時主人公に近づく人々も、結局私利私欲からストックマンを裏切り、家族以外では唯一、朴訥な船長だけが味方となる。

(以下引用、旧仮名遣い等の変更あり。)

真理と自由とのもっとも危険な敵は、――いいか、堅実な多数である!そうだ!この呪うべき、堅実なる、ぐうたらなる多数である。・・・・・わたしの自由を奪い、わたしの真理を語る口を塞ぐのは、この社会を占むる圧倒的多数の人間のなす業である。

・・・・・多数が正義を有することは断じてない!断じて、だ!これこそあまねく瀰漫した社会的虚偽の一つであって、之を聞くごとに、一箇の独立した思索しうる人間は憤怒を覚えざるをえないのである。そもそも一つの国に於て、その住民の多数は一体いかなるものから成ってをるか?――それは悧巧であるか、それとも馬鹿であるか?このひろい地球上いたるところ、馬鹿こそまさしく圧倒的大多数を占めるものである。・・・・・しかるに何たる事だ、呪うべし、憤るべし、馬鹿が悧巧を支配することがあたりまえ、とは怪しからん話ではないか!

よろしい、よろしい。諸君はわたしを怒鳴り負かすことはできるだろう。しかし反駁することはできんじゃないか。多数は力を持っている。――まことに遺憾ながら――之は事実だ。しかし正義を持つことは決してない。・・・・・正義とはつねに小数のみの所有するところのものだ。

・・・・・ああそうだ、そうだとも。・・・・・わたしは革命家になったのだ。わたしは、多数の声は真理の声である、――などという虚偽に対して革命を起そう、と考えているのだ。そもそも、多数がそのまわりに寄ってたかるような真理とは一体なんだ?そういう真理はもはやよぼよぼに年をとって、いまにもぶっ仆れそうになっている真理だ。・・・・・年老いた真理などというものは、かならず見る影もなく痩せ衰えたものだ。しかるにだ、こうなってはじめて多数はその真理を知って、之を健全なる精神的栄養として社会にすすめるのだ。こんな食物に栄養的価値は少しもない。・・・・・こういう多数向きの真理というものは、去年つくった燻製肉みたいなものだ。ぷんと臭って、腐って、そいつを鹽でおし直したハムみたいなものだ。われわれの周囲のあらゆる社会層に猖獗するこの道徳的壊血病は、こうして発生する。

・・・・・大衆、群集、この呪うべき堅実なる多数、――これこそわれらが生活の精神的源泉を腐らしめ、われらの足下の大地を病毒の巣と化すものである・・・・・

・・・・・そういう汚物は山ほど数えあげることができる・・・・・それは、諸君が親の代から譲られたものであって、それを諸君がいまなお無分別にも社会にむかって喚きたてているところのものだ。すなわち、――下等種属、群集、大衆、――これが国民の精髄である、これが国民そのものである、――という教えだ。社会に於て、凡庸な人間、無智低級な人間が、小数の真に精神的に高い人格者と平等に、裁いたり認めたり支配したり決定したりする権利がある、――というあの思想だ。・・・・・わたしが言及するところの賤民とは、何も下層階級の間にのみ発見せられるものを言うのではない。かかる類の者はわれらの周囲にうようよと這いまわっているのである。――社会の最上層にまで跋扈しているのである。

そうとも!わたしはわが生れ故郷を愛する。愛する故に、わが町が虚偽の上に栄えるのを見るより、むしろその滅亡を期するのだ!

やや気になる点もないではない。

多数が古き因襲に囚われるというより、新奇な流行に乗ぜられて誤りを犯す方がよりあり得るのではないか?

それに抗する少数者も、未来の真理を先取りするというより、過去に存在したそれを再発見しようという構えが無ければ、民主主義を克服すると称して、実は表面上別種の群集心理を絶対化してしまった右翼全体主義の罠にはまってしまう恐れがあるように思われる。

しかし訳者あとがきで紹介されている作者の手紙は実に含蓄が深い。

いわゆるリベラルなジャーナリズムの態度は何たる事であるか。また、行為や思想の自由を説きかつ筆にしながら、かえっていわゆる購読者の意見なるものの奴隷と化しさっている新聞の指導者たちの態度は何たる事であるか――。私は、政治に関与し党派に所属するということには、なにか道徳的頽廃を伴うものがある、という従来の確信をますます強めるばかりであります。すくなくともこの私は、多数を味方とする党派には絶対に加入する気はありません。ビョルンソンは『多数はつねに正義を持つ』と言います。そうしてまた実際政治家として、彼はしか言うを余儀なくされるのであろう、と想像します。しかし私は、その反対に、『少数こそつねに正義を持つ』と言わざるをえないのです。・・・・・わが国民をデモクラティックな社会をなそう、という努力は、元来はもっと讃えらるべきものではありながら、そのためにわれらの社会は、しらずしらずのうちに、甚だしい程度に賤民の団体に化し了ったのであります。われらが郷土に於ては、精神的高貴というものは次第に消滅しつつある。

現在の日本に引き付けて言えば、「言論の自由」を利用した愚昧・低劣な多数者による、賢明・穏健な少数者への言論抑圧などは、ネット社会で嫌と言うほど見せつけられています。

「反左翼」という「年老いた真理」を妄信し、何の知性も品位も無く反対者に罵詈雑言を浴びせて自己満足に耽る自称「保守」「右派」「愛国者」の跋扈も同様です(そんな見下げ果てた連中は二、三十年前ならば間違いなく左翼的たわ言を同じように妄信していたでしょう)。

作者の言う、言葉の真の意味での(精神的な)「賤民」が、改革派政治家・経済学者・IT企業家などの「社会の最上層」(とんだ上層もあったもんですが)を占めているのも間違いない。

事態がここまで来てしまえば、祖国の滅亡を望むような心境になるのも、理解できなくはないです。

 

 

本書は竹山道雄氏の手に成る相当古い訳で、しかも独訳からの重訳らしいですが、大きな問題はないでしょう。

非常に重い読後感を与える傑作として、強くお勧めします。

2016年3月14日

サッカリー 『虚栄の市 全4巻』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 05:02

19世紀初頭、イギリス上流社会の貴族とブルジョワを鋭い風刺精神で描いた写実主義文学の傑作。

教科書的な知名度は高いが、各種文学全集への収録は少なめか。

低い身分に生まれながら、美貌と才気で世間でのし上がろうとする悪女ベッキー・シャープと、貞淑で心優しい美女アミーリア・セドリ、アミーリアを見守り続ける質朴・誠実なウィリアム・ドビンの三者を中心に物語は展開していく。

ベッキー(レベッカ)は家庭教師として、雇い主のクローリー准男爵一家に入り込み上流社会に乗り出していき、アミーリアは実家を襲った苦難に耐え、婚約者のジョージ・オズボーンと結ばれるが、ワーテルローの戦いに巻き込まれ、さらなる悲劇に見舞われる。

作者は二人の女性の人生を交錯させながら、当時の腐敗した社会の実像を描き出しつつ、すべての人間に共通する弱さと欠点を諦観を持って浮かび上がらせている。

素晴らしい。

ストーリーは起伏に富み、全く飽きさせない。

全4巻という長さにひるんでいたが、読み始めると流れるようにページを手繰ることができる。

これほど面白い小説だとは全く予想していなかった。

文学全集への収録が少ないのは、単に分量の問題だけかと思える。

評価は「4」にしようかと思ったが、メリハリを付けて「5」にしましょうか。

また翻訳が素晴らしいというのもあると思います。

これは2004年完結の新訳で、非常に読みやすく、大変良い。

あと感じたことは、登場人物の書き分けが極めて巧みだということ。

脇役も含めた人物の性格が、さして注意深く読まなくても、自然と頭に刻み込まれる。

これは読んで良かった。

著名作品で未読のものを潰していくつもりで手に取ったが、心から楽しむことができた。

皆様にも是非お勧めします。

2016年3月2日

バンジャマン・コンスタン 『アドルフ』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:44

著者のコンスタンは1767年スイス生まれ。

フランス革命中、恐怖政治を避けてスイスに滞在中、スタール夫人(ネッケルの娘)と交際、恋人となる。

フランス国籍を取得し、ナポレオン時代に政界にも進出するが、しだいに政権批判を強め、国外追放となる。

百日天下でなぜか再びナポレオン側につくが、弁明書を出したのち、復古王政に仕える。

死の直前成立した七月王政を支持、1830年没。

小説作品は実質、この『アドルフ』のみ。

他に政治思想・宗教書などもあり。

オルテガ『大衆の反逆』のフランス語版序文では、集産主義思想への抵抗者として一言だけだが、なぜか肯定的に触れられている。

本作は、表題の主人公の名前の通り、ドイツが舞台。

(現在ではこの名前だと、あの人物しか思い浮かばないが。)

アドルフという名門出の青年とある貴族の愛人だったエレノールの恋愛が成就した途端、女の束縛を疎ましく感じた男が徐々に別れを意識し、両者の軋轢が激しくなり、ついに悲劇を迎える様が描かれている。

ロマン主義の先駆であると共に、フランス心理小説の代表作という。

恋の高揚期ではなく、その倦怠期と終末を詳細に描写した、特異な恋愛小説。

トルストイ『アンナ・カレーニナ』の、アンナとヴロンスキーの関係を思い起こした。

200ページにも満たないので、読むのは楽。

それでいて、終盤は迫力があり、死に直面した際の信仰、それもしばしば外面的・形式的と思われるだけの儀式が実は必要なことなど、共感を持つ記述もあった。

高校教科書に載るほどの知名度はないが、これは読んで良かった。

楽に読める古典としてなかなか良い。

2016年2月23日

門谷建蔵 『岩波文庫の赤帯を読む』 (青弓社)

Filed under: 読書論, 文学 — 万年初心者 @ 04:34

1997年刊。

岩波文庫海外文学の「赤帯」を、60歳近い市井の一読者である著者が、買いまくって読みまくった記録をそのまま本にしたという怪著。

16ヶ月で1100冊(800点)を約四十万円で買い、少なからず読んだという。

著者の独断と偏見による分野別ベストなども面白い。

(キリスト教的記述を無条件で切り捨てるのにはやや違和感があるが。)

本書を手元に置いて、時たま開き、読書意欲をかき立てるのも良い。

私の好きな小説は歴史小説である。それも主人公は歴史上の人物ではなく別にいて、あくまでも正確な歴史的事実と時代的描写を背景に、別の面白い物語が展開されるのがいい。英雄の横顔がちらっとみえるのが好ましい。例えばバルザックの『暗黒事件』でのナポレオンやフーシェである。A・K・トルストイ[レフ・トルストイとは別人――引用者註]の『白銀公爵』では、イワン雷帝はですぎるのでボリス・ゴドゥノフがいい。『三銃士』や『パルムの僧院』は、あまりに架空で歴史を離れているから面白くない。ツワイクの『マリー・アントワネット』『ジョゼフ・フーシェ』は、歴史そのものすぎてつまらない。『静かなドン』は面白かった。トルストイの『戦争と平和』にはおおいに期待しており、一番最後にとっておく。

『神々は渇く』もそういう私の好きな種類の歴史小説である。・・・・・

以上の引用には深く共感する。

私も「歴史そのまま」と「歴史離れ」の中間に位置する小説が一番好きです。

上記例の他では、プーシキン『大尉の娘』などがそれに当る。

加えて何といってもシェンキェヴィチ『クォ・ヴァディス』がそう。

『神々は渇く』と並んで、歴史小説の最高傑作です。

 

 

読書ノートを書くことについて。

本書の内容を書くために読むという誘因が働く、と書かれてある。

私もこのブログをやったおかげで、読書量が激増しました。

著者曰く、原稿用紙5枚を取り、題・岩波文庫の整理番号のあと、いつ、どこで、いくらで買ったか、映画化されたものを見たとか、昔の再読だとか、そういう記述で何とか1枚半を埋めたといい、1冊で1枚の感想を書くのも最初は無理だと思っていたそうだ。

面白いか下らないか、保存するかしないか、くらいで昔は済ませていたという。

私もそれだけならかなり楽だ。

本当に読むだけでいいから。

あとはタイトルを記録して読んだということを確実にわかるようにするだけ。

史書と違って文学書ならそれでもいいかと思うが、しかし何も身につかない感じがどうしても付きまとう。

ものすごく大雑把でいいから、登場人物名と粗筋と背景を記した上で、自分の作品への評価を残すという形が良いのかも。

このブログの文学カテゴリの記事も概ねそうしている。

面倒ですけどね・・・・・。

2016年2月19日

フランソワ・モーリアック 『テレーズ・デスケルウ』 (講談社文芸文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 06:26

モーリアックはフランスのカトリック作家で1885年生まれ、1952年ノーベル文学賞受賞、1970年没。

この版の訳者は同じカトリック作家の遠藤周作。

感性の鈍い私にも、なかなか味わい深い訳に感じられる。

因襲に支配された田舎町で、愛の無い結婚をして倦怠に満ちた生活を送っている主人公テレーズ。

自身の実家は急進派で反宗教的であり、テレーズも無神論者だが、夫の実家は保守的で旧套、しかしどちらの家の人々も真摯さがなく、頭の中は財産と体面のことしか考えていない。

義妹の恋愛というきっかけから、テレーズは発作的に夫の毒殺未遂と言われても仕方のない行動をとり、告訴されるが、世間体を取り繕うために法律上は無罪となった後、自宅に事実上軟禁される。

自己に満悦することしか知らない夫への嫌悪を持ちつつ、しかし自分が真に何を求めているのかわからない主人公。

夫との生活から逃れ得ても、真の幸福というものは実感できないように思える。

自分から離れて、大きな価値にあえて従わない限りは。

表面上は護教文学のようなものでは全くない。

しかし、「どんな崇高な仕事もない・・・・・どんな高い義務もない」と構えて、個人個人が自由に自身の幸福(と考えるもの)を追求したとして、結局幻滅と失望と不服が永遠に続くだけだということを示唆した作品だとは言えそうです。

 

200ページ弱で短いのがいい。

初心者が、この作家に最初に触れるための作品としては適切だと思われます。

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