万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年8月18日

引用文(内田樹8)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 02:33

内田樹『武道的思考』(筑摩選書)より。

 

ナショナリストとパトリオット

 

河合塾での講演のあと、廊下でひとりの予備校生から、ナショナリズムについて質問された。たぶん、彼の周囲でもナショナリスティックな言動をする若い人たちが増えてきており、それに対してどういうスタンスを取るべきか決めかねているのだろう。

若者がナショナリズムに惹きつけられる理由はわかりやすい。

それは帰属する集団がないからである。

人間は帰属する集団があり、そこで他者と共生し、協働し、必要とされ、ゆたかな敬意と愛情を享受していれば、パトリオットにはなっても、ナショナリストにはならない。

パトリオットは自分がその集団に帰属していることを喜び、その集団を律している規範、その集団を形成した人々を愛し、敬しており、その一員であることを誇り、感謝している。

ナショナリストはそうではない。

彼はどのような集団にもそのような仕方では帰属していない。

彼は自分がさしあたり所属している集団について(それが家族であっても学校であっても、会社であっても)「ここは私がいるべき場所ではない」というひそかな不安と不満を感じている。彼らはその集団を律している規範も、その集団の存在理由もうまく理解できず、他の成員たちに対して、敬意や愛情を感じることができない。むろん、他の成員たちから敬意を抱かれ、愛され、「私たちの集団が存立してゆくためには、どうしてもあなたがいることが必要だ」と懇請されることもない。

そういう人間でも、どこかに帰属していない限り、生きてゆくことは苦しい。

そういう場合、「ナショナリストになる」というのはひとつの選択肢である。ナショナルな政治単位に帰属することについては要求される資格が何もないからである。

「国民国家」というような巨大な規模の集団に帰属する場合、ナショナリスト個人に求められるものは自己申告以外に何もないのである。

ゼロ。

ナショナリストにはどのような義務もない。好きなときに、好きな場所で、好きな人間を相手に、気が向いたら、人はナショナリストになることができる。

私はナショナリストだ。私は日本人だ。私は日本の国益をあらゆるものに優先させる。日本の国益を脅かすもの、日本人の誇りを踏みにじるものを私は許さない。

などということをぺらぺら言い立てることができる。

その代償として要求されるものは、繰り返し言うが、ゼロである。

真正のナショナリストであることを証明するために「今、ここ」でできることは何もないからである。

ナショナリストは国際関係について熟知している必要がない(アメリカ大統領の名前を知らなくても問題ない)、もちろん外交内政についても、歴史についても(政治思想史についてさえ)、無知であることはナショナリストの名乗りにいささかも抵触しない。むしろ、そのような外形的知識の裏づけなしに「いきなりナショナリスト」でありうることの動機の純正さが尊ばれるのである。

一方、ナショナリストはしばしば「自分が知っていること」は「すべての日本人がしらなければならないこと」であるという不当前提を採用する。だから、論争においてほとんど無敵である。

彼らの論争術上のきわだった特徴は、あまり知る人のない数値や固有名詞を無文脈的に出してくることである(「ノモンハンにおける兵力損耗率をお前は知っているか」とか「一九五〇年代における日教組の組織率をお前は知っているか」「北朝鮮の政治犯収容所の収容者数を知っているか」とか)。それに、「さあ、知らないな」と応じると、「そんなことも知らない人間に××問題について語る資格はない」という結論にいきなり導かれるのである。これはきわめて知的負荷の少ない「論争」術であるが、合意形成や多数派形成のためには何の役にも立たない。

もう一つ大きな特徴は、ナショナリストにはその立場を証明するための直接行動が要求されないということである。

家庭や会社でそれなりの敬意を得るためには、具体的行動によって集団に貢献することが要求されるが、ナショナリストは「領土問題」とか「外交問題」とか「防衛計画」とか、ほんらい政府が専管する事項を問題にしているので、個人としてはできることが何もないのである。ナショナリストは「日本人全体」と幻想的な集団を形成しており、そのような幻想的な集団の中では、誰も彼に具体的な仕事を命じないし、誰もその貢献を査定しない。

だからナショナリストは誰からも文句を言われない。

というように、ナショナリストであることは行使できる権利に対して義務負荷がきわめて少ないのである。

ひさしく消費社会の中でその社会感覚を研ぎ澄ましてきた若者たちが、商取引のスキームに準拠して、「もっとも権利が多く、義務が少ない」ナショナリスト・オプションを選好するのはだから怪しむに足りないのである。

グローバル資本主義の爛熟の中で、ナショナリストの若者が組織的に生まれるのはそのような理路による。

パトリオットというのは、その逆の行程をたどる。

パトリオットは自分が今いる場所を愛し、自分が現に帰属している集団のパフォーマンスを高めることを配慮し、隣人たちに敬意をもって接し、今自分に与えられている職務を粛々と果たすことをおのれに課す。そのような「場所」や「集団」や「隣人」たちの数を算術的に加算してゆくことを通じて、やがて「国民国家」にまで(理論的にはそのあとは「国際社会」まで、最後には「万有」に至るまで)「私の帰属する集団」を拡大してゆくことをめざすのがパトリオットである。

若い人たちにはできることならパトリオットをめざしていただきたいものだと思う。

(二〇〇九年七月)

2016年6月13日

引用文(西部邁14)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 04:37

西部邁『学問』(講談社)より。

 

 

二・二六事件

 

一九三一年からの五年間、軍人および右翼人士によるクーデタの企てや要人暗殺の事件が相次いだ。三月事件、血盟団事件、五・一五事件、相沢事件そして二・二六事件がそれである。

保守派は、一般に、ラディカル(急進的)な変革よりもグラデュアル(漸進的)な改革を好む。そうでなければ歴史・慣習・伝統の継承がうまく進まないと考えるからである。

その意味では、この五年間に保守派は背を向けざるをえない。

しかし現状が極度に歴史・慣習・伝統から離れていたら、「政府への一撃[クー・デタ]」があって然るべきである。クーデタはもちろん法律の秩序に反する行為であるのだが、政治の道徳を取り戻すためにあえて不法を犯さなければならぬという場合もあるのだ。

二・二六事件はそうした「正統の一撃」といえるであろうか。否である。

この事件において(いわゆる統制派に対立する皇道派の青年将校)磯部浅一、安藤輝三、栗原安秀らの掲げた「萬世一神たる天皇陛下御統帥」というのは――「一神」や「統帥」という言葉をどう解釈するかによるとはいえ――いかにも矯激である。

大日本帝国憲法の第十一条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とありはした。しかしそれは天皇の大権を、常時、軍隊に及ばせるということではない。

そもそもそんな優越せる能力が天皇にあるわけもなく、その第五十五条に「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」とあるように、軍隊を統御するのはまずもって軍人自身なのである。

皇道派の国体論は、長きに及んだ立憲君主制支持の政体論と食い違いすぎるという意味で、反歴史的である。

後年、近衛文麿はこうしたクーデタをも国際共産主義の陰謀と(いささか被害妄想の調子で)とらえたが、「歴史破壊にもとづく社会設計の実験主義」という点で、これらのクーデタと社会主義の暴力革命とのあいだに共通性があるのは確かである。

保守派のクーデタや暴力革命は、流行に棹差す者たちとしての大衆からではなく、歴史・慣習・伝統の寡黙な担い手としての「庶民」によって支持されるものでなければならない。

ニ・二六クーデタにはそうした支持は寄せられなかったのである。

確かに、兵士の出身母体である農村は農業恐慌のなかであえいでいた。その窮状を救わんとする志においてはクーデタ軍は庶民とつながっていた。だが、庶民救済の具体策がクーデタ軍にあったわけではないのである。

いずれにせよ、天皇主権の政体を実現させようとしたこのクーデタ軍は、皮肉にも、天皇大権による戒厳令と(原隊復帰を命じた)奉勅命令によって解散させられた。

設計図すら持たない設計主義に彼らが走ったのは、感情過多のポピュリズム(人気主義)と武力優先のミリタリズム(武断主義)の両脚しか持っていなかったからだと思われる。

とはいえ、国内外の情勢が緊迫の度を増すなかで、軍人たちが至純の情を掻き立てて自分らの士気を鼓舞せんとした経緯には大いに同情すべきものがある。

ましてや、既存の権力機構が状況に適応するのに精一杯で、というよりその過程で官僚主義をむくつけくみせつけるとなれば、青年将校たちが決起するのも無理はなかったとみておくべきなのであろう。

2016年6月8日

引用文(中島岳志1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 01:13

中島岳志『保守のヒント』(春風社)より。

さて、ここまで左派と右派の違いから、「保守」「右翼」「新自由主義」といった立場の違いを見てきました。

もうお分かりだと思いますが、私はこの中で「保守」の立場に共感しています。理性への過信を捨て、人智を超えたものに依拠しながら漸進的な改革を進めていくという保守思想こそが重要だと考えています。

しかし、そんな私にとって、昨今の「保守」といわれる人たちの主張や議論には、共感できないものがたくさんあります。「それは保守思想なんかじゃなくて、単なる左翼への反発でしょ」と言いたくなるようなものが巷には溢れかえっていて、そのことが保守に対する無理解や嫌悪感につながっているのではないかと思います。

「左翼が気に入らない」という「気分としての反左翼」が保守と見なされるのは、やっぱりおかしい。「左翼の言っていることの反対のことを言っていれば保守だ」というような脊髄反射的な反左翼は、そろそろ卒業したほうがいいんじゃないかと、強く思います。

たとえば「大東亜戦争」についての見方ですが、私は「保守派」=「大東亜戦争全面肯定論」といった巷の図式は、どうしても受け入れることができません。保守思想を根本に据える限り、大東亜戦争の背景にあった思想を肯定することは、そう簡単にできることではないと思うからです。

「大東亜戦争」に至る社会思想を支えたものは、明らかに行き過ぎた設計主義です。理想社会の実現に燃えて満州を統治した革新官僚しかり、二・二六事件などのクーデターを構想した青年将校・革新右翼しかり、大東亜共栄圈の構想しかり、です。「王道楽土」という極端な理想主義や「八紘一宇」という世界連邦思想など、保守主義からは遠くかけ離れた思想だといわざるを得ません。社会を一気に変えてしまう「革命」を批判してきた保守が、五・一五事件や二・二六事件のような革命的クーデターを容認できるはずがありません。保守は、あくまでも「漸進的な改革」を志向する存在です。

もちろん私には、自分が経験したことのないような戦場の極限状態で、懸命に生きて死んでいった日本人たちに対する畏敬の念があります。私の祖父も戦場に行った人ですし、話を聞いていると、祖父のような市井の人間が欧米の植民地主義に強い反感を持っていたこともよく理解できます。だから、近代日本の歩みを全否定するような議論には、どうしても違和感を覚えます。

 しかし、一九三〇年代以降の歴史を、全面的に肯定することもできない。あの時代には、間違いなく行き過ぎた設計主義や理想主義が共有されていました。人間の(多くの場合は日本人の)能力に対する思い上がりがアジア諸国に対する帝国主義的支配につながったことに対して、私は保守思想を重視するが故に、批判的です。

しかも、当時を生きた保守主義者たちは、「大東亜戦争」に対して極めて懐疑的で批判的でした。代表的なのは福田恆存や田中美知太郎ですね。

福田恆存は、一九八〇年に『諸君!』に掲載した論考「言論の空しさ」の中で、次のように言っています。

 

「当時、私は反戦ではなく厭戦であつたと書いた事があるが、それは反戦を進歩主義の象徴とする風潮に対する一種の厭味であつて、実はやはり反戦であった。勿論、戦争を悪とするが如き単純な反戦ではなく、国家、国民の命運を賭けた戦に対する姿勢、態度の軽佻浮薄にへどが出るほどの反感を覚えたのである。」

福田はここではっきりと、自分は「反戦」の立場だったと述べています。それは、戦争に至る日本人の態度の軽々しさに「へどが出るほどの反感を覚えた」からだと言います。事実、福田は戦争中に職を辞して、自宅の庭に防空壕を掘ったりしています。恐らくは、アメリカも酷いが、戦争に突き進む日本の指導者・国民も「軽佻浮薄」で気に入らないというのが福田の当時の心境だったのでしょう。

これは戦前・戦中の日本を研究してきた人間としては、よくわかります。戦前の皇国主義的な熱狂は、ちょっと異常なテンションです。しかも言葉がものすごく軽い。福田が「軽佻浮薄」だと見なした感覚は、当時の新聞などを読んでいるとよくわかります。

このような感覚は、田中美知太郎も同様です。
田中は、『諸君!』に連載し、後に単行本化された『時代と私』(文藝春秋社 一九八四年)の中で、戦争当時を回想して次のように言っています。

 

「わたしは戦争一般とか、あるひは戦争目的について、一般的な抽象論の立場で否定の結論を出したわけではない。むしろもつと具体的に、この戦争が日本国民のためにならない戦争であり、満州事変以来の愚昧と不正の国内政治から生まれて来た不始末のやうなものであるから、これを容認できなかったのであり、一刻も早く中止すべきものと考へただけのことであると言へば、まあ大体は当ってゐるのではないだろうか。」

田中は、ここではっきりと「満州事変以来の愚昧」という表現を使っています。そして「大東亜戦争」をそのような「愚昧」と「不正の国内政治」によってもたらされた「不始末」と批判しています。

これこそが、戦争を潜り抜けてきた保守思想家の言葉です。まともな保守思想家は、あの時代の極端な設計主義や熱狂を、とても苦々しく見ていました。

だから、昨今の田母神ブームのような現象は、私には保守からの逸脱としか思えません。近代日本を全面的に否定するような議論への批判としては理解できますが、しかしその反動として根拠が希薄な陰謀史観をもちだし、満州事変のような左翼的設計主義やラディカリズムを全面肯定しようとする姿勢は、余りにも浅はかとしか言いようがありません。

このような現象は、一種のポピュリズムなのでしょう。田母神現象は現代日本の保守崩壊を象徴しています。

昭和維新運動は「保守」ではない

さて、三月事件や一〇月事件、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件といったテロ、クーデター事件が繰り返されたのが昭和初期の日本社会だったわけですが、このような一連の昭和維新運動を、私は保守の立場からどうしても肯定的に見ることができません。繰り返しになりますが、一部の人間が担い手となる革命によって、世の中を一気によくしようなんていうラディカリズムは、保守の精神から最も遠いものです。そこには過剰な理性への過信が見え隠れしていますし、理想社会の実現可能性を妄信しすぎています。

・・・・・・

頭山満のような伝統右翼の文章には、このような設計主義的な政治ヴィジョンはほとんど出てきません。彼らは制度設計という発想は、ほとんど持っていませんでした。伝統右翼にとっては、このような過剰な「計らい」こそが近代の理性主義・合理主義の問題と捉えられたわけで、新世代と旧世代の間に大きな思想的差異が生じていることが分かると思います。

私は基本的に、北一輝や大川周明を「右翼の本流」と捉えることに疑問を持っています。特に北一輝は理性によって世界を理想的なものに改造できると考えていますし、そのための手段として天皇を位置づけようとしています。また、彼に強い影響を受けて二・二六事件を起した青年将校・磯部浅一は、獄中手記の中で厳しい天皇批判を綴っています。自らの革命の意思を理解できない天皇にに対して「何と云ふザマです」と憤っています。

彼らにとって、自己の設計主義的改造プランは、天皇の大御心の上位に位置づけられる概念です。自分たちの構想こそが国民の総意を反映しており、この総意と大御心は一致すべきであるとの見解が共有されています。

これは、天皇を奉じているように見えて、実は天皇を国家改造の手段と見なす「非右翼」的な態度です。「革新右翼」の存在は、大川周明が自己規定しているように、左派・革新勢力の一形態と見なすほうが理解しやすいでしょう。

・・・・・・

日本語には、元々、「輿論[よろん]」と「世論[せろん]」の区別がありました。前者は「パブリック・オピニオン」(公的な意見)を意味し、後者は「ポピュラー・センチメント」(大衆的な感情)を意味します。小泉靖国参拝のときに表出したものは、あきらかに「オピニオン」ではなく「センチメント」でした。ここでは論理的思考が感情的熱狂に追いやられ、議論が通じない社会が現出してしまっています。

・・・・・・

そして、このような気分化した世論は、最近の異常なバッシング現象と軌を一にしています。

これは左派/右派に関係ない現象です。

たとえば、原発事故の問題については、まったく批判や議論が継続しないにもかかわらず、赤坂の議員宿舎の家賃が九万円ほどであることに対しては、延々と批判の声が継続します。日本は公務員数が先進諸国に比して圧倒的に少ないにもかかわらず、公務員数の削減を要求する声は拡大し続けます。

結局のところ、想像可能な嫉妬心に基づく気分的な批判ばかりが繰り返され、特定の人物や集団に対するバッシングが支持を集めるのです。敵を創造し、それを容赦なく叩くことによって、政治的な支持が与えられています。

・・・・・・

「ざまあみろ」という気分に基づくバッシングは、見ている側にとっては心地いいのでしょう。もちろん行き過ぎた無駄遣いは正されるべきですが、しかし、独断的に「ムダ」というレッテルを張られ、反論する機会を奪われ、その状況に戸惑う姿がテレビで放送され嘲笑される人のことを考えると、どうしても強い憤りを覚えます。

最大の問題は、このような気分化した「世論」なのではないかと私は思っています。

2016年2月9日

引用文(田中美知太郎1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 07:04

田中美知太郎『今日の政治的関心』(文芸春秋)より。

 

「恐怖からの解放」の恐ろしさ

ひとはそれぞれに「おそれる」ところのものをもっていなければならない。この「おそれ」を失ってしまっては人間も社会も駄目になってしまう。ということを、古代ギリシアの悲劇作家アイスキュロスが、その作品のなかでアテナの神に語らせている。もっとも「おそれ」にもいろいろあって、恐怖と畏怖とでは違うところがあるとも考えられる。「おそれを知らぬ」は勇者の形容にもなれば、無法者の形容にもなる。真の勇気は畏るべきものを畏れ、恐るべからざるものを恐れぬことにあると言われた。「おそれる」と言っても「おそれない」と言っても、そう簡単ではないのである。われわれはどこでその区別をしたらいいのか。何か拠りどころとなる確実なものをもっているだろうか。もしひとが神を畏れるとしたら、そういう確かな拠りどころをもつことになるだろう。「神ぞ知る」ということが言われるが、それはわたしたちに勇気をあたえると共に、また「つつしみ」を教える。これの正反対のところに「神を恐れざる」という言葉があり、残虐非道の所業に対して用いられたりする。もしわれわれが神を信ずることができるなら、原理的には恐るべきことと然らざるものとの区別が判然として来て、われわれも迷いがなくなるわけである。しかし、不幸にしてわれわれは神不在の時代にあるとも言われている。もっともこれはキリスト教化されていた西ヨーロッパあるいはアメリカの話であって、わが日本には神々はあったけれども、神は初めから不在であったのではないかという説もある。いわゆる東洋精神の根拠を無神論に求めたりすることがないでもない。西洋に旅行した日本のインテリが、彼の地で書かされる書類の「宗教」の欄に「無神論者」と書いて得意になっていたという話を聞いたことがある。神を恐れぬ極悪非道の人間を名のるのだから、相手はびっくりするわけである。なんとも滑稽な話と言わなければならない。

他方しかしながら、われわれの自由社会なるものは、あらゆる恐怖からの解放を標榜する社会なのである。そしてその解放のうちには宗教的拘束からの解放ということも含まれているとも見られるだろう。そして神不在の時代の到来ということも、宗教のこの自由化あるいは俗化と共に相関的に考えられねばならぬだろう。神不在の時代はまだ到来したばかりで完結はしていない。しかしやがて神を恐れぬ残虐非道の所業が日常となるような、完全ニヒリズムの時代になるかも知れない。しかしわれわれは恐怖から解放された自由の楽園を、そのような恐怖にみちた社会と考えたくない。無論またそのような転落を希望はしない。しかしその危険がないとは言えない以上、われわれはそれの防止に努力しなければならないだろう。しかし宗教が俗化によってかえって本当の力を失いつつあるとも見える現代において、われわれはほかにどんな防止手段をもつと言うのだろうか。われわれが最初に名を挙げた悲劇作家は、祖国の自由を守るためにペルシア戦争に参加したことを誇りとしていた人であるが、かの作品においてその自由な市民国家には「おそれ」が保存されていなければならないことを説いたのである。あらゆる「おそれ」からの解放は、かえって自由社会を崩壊させるものなのである。人間社会は正義の裁きとアイドース(おそれとつつしみ)がなくては成立しないということを、プラトンはプロタゴラス神話として語っている。われわれは人間社会のこの基本的な事実をせめてもの拠りどころにしなければならない。

古代ギリシアが生んだ世界最大の歴史家の一人は、人間の行動が利欲と名誉心と恐怖心によって支配されるものであるという極めて現実的な見方をしている。つまり恐怖はそういう現実的なファクターとして、歴史理解の鍵になるということである。利欲と名誉心については特別の説明は必要ないであろう。金銭を求め名声を求めるのは極めて普通の人間的事実である。そしてそれの反対の損害や不名誉を恐れるのも、これまた人間普通のことである。そしてこのような恐れが不法な行為への抑止力になっていることも、これまた疑うべからざる事実である。不法行為に対する刑罰が、それらの強い抑止力となることもよく知られているところである。しかしこの面のきびしさが、かのあらゆる恐怖からの解放を求める声が大きくなるにつれて、次第にゆるんで来ていることも見逃せない事実である。そして何も恐れぬ人たちが多くなる。そしてそのことが神をも恐れぬ極悪非道の人間を成長させ、これに権力を与えるようなことにもなる。これが今日の独裁制なのである。すなわち極悪人による支配(カキストクラシー)であり、あらゆる恐怖からの解放を原則とする自由社会がこれを生み出す危険を多分にもっているのである。このような逆転を防ぐには、われわれはあらためて「おそれ」の重要性に気づき、これを守るようにしなければならない。「恐怖の均衡」という言葉が、今日の国際平和の説明に用いられたりするが、神不在の今日においては、軍事力を抑止力として用いることも、さし当たり有効性が大であろうと考えられよう。これに対する一部の人たちの高尚めいた批判は、むしろ極悪非道を助けるだけのものである。しかし「おそれ」は恐怖から畏怖へ、そして畏怖から畏敬へと変えて行かねばならぬ。それは神を呼びもどし、真の自由と平和を実現する途となるだろう。    (1979.1)

 

 

田中氏がこの文章で批判しているのは、空想的平和主義者と容共的社会主義者ですが、現在の「“畏れ”の感情を持たない極悪非道の人間」は間違いなく排外的民族主義と好戦的言辞を撒き散らす自称「愛国者」と金銭勘定以外の一切の価値を嘲笑する下劣な新自由主義者でしょうね。

2016年1月18日

引用文(佐藤優1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 05:45

佐藤優『インテリジェンス人生相談 復興編』(扶桑社)より。

古い小説は読まない?例えば中央公論社から出ていた『日本の文学』というのがあるんだけど、青い表紙で全88冊くらいあると思う。古本屋なら1万円くらい。あるいは赤い表紙『世界の文学』。これを片っ端から読んでいく。お金はほとんどかからないけど、ものすごく深い小説の世界に入っていくことができるはず。そうすると、多分あなたが抱えている悩みごと、心配ごとの相当の部分がその小説の中に出てくる。人生の代理体験を小説の中ですることができるんだ。既にこの世にいない、われわれと世界を異にしているものすごく優れた知性と対話をしていく、勉強していくことは、すごくいいと思う。・・・・・例えば夏目漱石もそう。『門』や『それから』を読んでみて。

文学がいい。ハウツー本とか、婚活マニュアルとか、そんなんじゃなくて。それも古いものがいい。大正、昭和期がいい。明治になると、ちょっとまた違うから。半年くらい読み続けてみるといいです。本を読むことが面白くなってくるから。本の面白さっていうのは、古いものを読まないとわからない。

読んでピンとくるところがあったら、鉛筆で線を引いておいて、とりあえず読み終わるまでは書き写しはしないで、読み終わってから書き写すといい。

ノートをとる習慣があるんだったら、それを発展させていって、ノートと対話していくというのは、すごくいいと思うよ。ノートと対話することを始めたら、ノートが宝物になる。自分の思ってることや、いろんなものを引用して書いたりして。ノートって1年でどんなに頑張っても10冊も書けないんだよ。1年で1.5cmくらいにしかならない・・・・・し、実際にはそんなに書けない。それを全部とっておくと、確実に昔の自分と対話できるよ。全然話の合うヤツがいなければ、自分と話せばいいんですよ。

人間の記憶力はけっこうあって、「ノートのどの辺に書いた」とかいうのはだいたい覚えているから。極力、ノートに手で書いたほうがいい。そうすると、世界で一つしかないノートになる。だから、情報じゃなくてノートに残す。

・・・・・

そもそも、この世界は狂っているんだから。こんなところに適応できるのは頭のおかしい人なんです。

2016年1月14日

引用文(青木裕司1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 04:23

青木裕司『NEW青木世界史B講義の実況中継  5 文化史』(語学春秋社)より。

これは大学生に限らず、みなそうなんですが、あまり文学なんて読んでないよな。で、言っときたいんだけど、やっぱり読んだ方がいい。理由は2つ。まず面白いからだね。そして次の理由は、やや機能的になっちゃうけど、いろんな学問をやるときに役に立つんですね。

だいたい学問て、最終的には「人間とはなにか?」を追及する行為だろう。そのアプローチのしかたの1つが歴史学だったり経済学だったりするわけだね。でも、過去の事実だけ調べても歴史はわかんないし、お金の流れだけ見つめても経済のことわかんないよ。重要なのは、そこに介在している人間が、どういう意識でそのことをなそうとしてきたのか、ということだ。

で、文学っていろんな人間の生きざま、そして死にざまの記録だろう。そこには、人間のさまざまな行動が明示してあるわけだ。しかも香り高い表現でね。そこに展開されているドン=キホーテの行動やラスコリニコフの苦悩を辿ることによって、少しは人間ってものがわかるようになるわけ。僕たちが一生かかって経験できることって、限られているから、それを文学で補うわけ。言っとくが、われわれのような凡庸な人間の実体験なんて、天才が作り出したフィクションの前では屁みたいなもんさ。

2016年1月8日

引用文(辻原登1)

Filed under: 引用文, 文学 — 万年初心者 @ 07:33

辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』(集英社)より(括弧など一部表記変更あり)。

二十年ほど前、私が四十歳になるかならぬかの頃、もう一度、十九世紀ヨーロッパ小説にどっぷり浸ることに決めた。そのとき、二つのルールを課した。一つは、二十世紀という世紀があったことを(そのときは私はまだ二十世紀に生きていたのだが)忘れること。第一次世界大戦も第二次世界大戦も、プルーストもジョイスもカフカもすべて忘れて。

二つ目は、小林秀雄の助言に従うこと。その助言とは、「若し或る名作家を択んだら彼の全集を読め」(「作家志願者への助言」・・・・)というものだ。

さて何から始めたかというと、これも小林秀雄の助言に従うことにした。少し長いが、彼の全集でしかみつからぬ文章なので、全文を引用する。タイトルはずばり、「トルストイを読みたまえ」。

「若い人々から、何を読んだらいいかと訊ねられると、僕はいつもトルストイを読み給えと答える。すると必ずその他には何を読んだらいいかと言われる。他に何も読む必要はない、だまされたと思って「戦争と平和」を読み給えと僕は答える。だが嘗て僕の忠告を実行してくれた人がない。実に悲しむべきことである。あんまり本が多過ぎる、だからこそトルストイを、トルストイだけを読み給え。文学に於て、これだけは心得て置くべし、というようなことはない、文学入門書というようなものを信じてはいけない。途方もなく偉い一人の人間の体験の全体性、恒常性というものに先ず触れて充分に驚くことだけが大事である。」

こうして私は先ず「トルストイ全集」からはじめた。スタンダール、バルザック、デュマ、ディケンズ、フローベールといったぐあいである。

その結果、何があったか、何が分かったか?・・・・いや、何も。しかし、たのしかった。

いや、やはりこういうことが分かった。骨身にしみた。・・・・作家にとって、現実とは十九世紀小説で、それ以前の物語も二十世紀小説も文学なのだ、ということだ。

・・・・それにしても、十代で読んだ『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を四十歳や五十歳になって、再読するときのよろこびはどうだろう!しかも、新しい訳で。

・・・・・

[杉本秀太郎氏の文章]
「ヨーロッパの文学は、音楽と肩を並べて、十九世紀に大きな球体あるいは多面立方体を数多く生み出したが、やがて破片の処理にあけくれるいたましい世がやってきた。しかし成熟した小説にまなんでしるされた自伝、回想があちこちに残った。小説の末路を心配しているよりも(心配するしかないのだが)思想の生態誌をよみ取りたどる楽しみを求めて、二度とかえらぬ世の長い長い小説をよんでいると、月日はあやしくも物狂おしくながれすぎる。」

これほど美しく、簡潔な十九、二十世紀文学論があるだろうか。二十年前、私が十九世紀ヨーロッパ小説にもう一度、浸り切ろうと発心したのは、そういうことだったのだ、と思いたい。

私の場合、プルースト『失われた時を求めて』(の全篇)、ジョイス『ユリシーズ』、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』『魅せられたる魂』、トーマス・マン『魔の山』、マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』など、二十世紀の大長編に挑戦しない(できない)ことをこの文章によって正当化しているところがあります。

2015年7月8日

引用文(林健太郎6)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 15:36

引用文(林健太郎5)に続き

林健太郎『個性の尊重』(新潮社 1958年刊)収録

「映画と文学による歴史の勉強」より。

フランス革命を題材にした文学はすこぶる多いが、ディッケンズの『二都物語』は先ず代表的なものであろう。波乱に富んだメロドラマ風のものであるが、カーライルの『フランス革命史』の強い影響を受けており、革命前の貴族の腐敗と暴逆を描いて革命を必然としながら、ジャコバンのテロリズムを神意に背く悪と見なす作者の立場が一貫して流れている。これも曾て映画になり、最近また新しい映画がつくられた。アナトール・フランスの『神々は渇く』はジャコバンのテロリズムの最高潮期におけるパリの一段面を描いた傑作である。ロベスピエールに魅せられた一青年が一身を革命に捧げて、やがて断頭台に身を滅す姿は甚だ印象的である。

ロマン・ローランは晩年コミュニズムの同伴者になった人であるが、その以前に書かれた一連の革命劇(『愛と死の戯れ』『獅子座の流星群』他全部で八篇あり)は権力闘争の空しさを説いたヒューマニズムの香り高い作品である。ユーゴーの『九十三年』はこの革命中ヴァンデー地方に起った王党派の反革命の内乱を題材にしている。作者の同情は革命の側にあるが、王党派の貴族も魅力的に書かれている。彼はいかなる立場でも主義のために身を捧げる人物の中に高貴さを見たのである。このヴァンデーの叛乱の余燼ともいうべき同じ地方の木莵[みみずく]党の叛乱を描いたのがバルザックの出世作『木莵党』である。ここでも王党派の貴族が赫かしく描かれ、それに反して共和派の指揮官がすこぶる凡庸な人物にされているが、これは王党派であったバルザックの政治意識と関係がなくはないであろう。

この革命で処刑された悲劇の女王マリ・アントアネットに関してはシュテファン・ツヴァイクの詳細な伝記『マリ・アントアネット』がある。映画『マリ・アントアネット』は原作はちがうが、やはり彼女の生涯を知るに便利である。ツヴァイクはまた、この時代ジャコバン党員から転身して政府の変わる毎に次々に転向しナポレオンの下で警視総監を勤めた驚くべき保身術の大家フーシェの伝記『ジョゼフ・フーシェ』を書いている。

この他ドイツ人の作家では、十九世紀の前半に急進的な革命思想家として活躍しドイツ近代劇の創始者ともいわれるゲオルク・ビューヒナーが戯曲『ダントンの死』を残している。十九世紀末に出た耽美主義者シュニッツラーにフランス革命に取材した『緑の鸚鵡』というすこぶる面白い戯曲があるが、これは全く作者の奔放な空想の作品で歴史とは何の関係もない。

ゲーテが彼の体験したフランス革命をいくつかの作品に表わしていることは有名である。フランスに近いドイツの村で無知な農民をだますにせジャコバン党員を書いた戯曲『市民将軍』は革命に熱狂する同国人を戒めたもので、彼の革命に対する気持を最も明瞭に表わしている。最も愛誦される彼の小説『ヘルマンとドロテア』には、革命軍の侵入によって家を追われたラインラントの田舎町の避難民の姿が描かれ、その中に彼の革命観が示されている。彼の対仏戦争の従軍記『対仏陣中記』と『マインツの攻囲』とは彼自身の体験記としてばかりでなくこの戦争の実情を知るのにも役立つ。革命軍がヴァルミーで始めて勝った時、敵側の陣中にいたゲーテがいった有名な言葉「ここに新しい歴史が始まる」は前者の中にあり、またよく引用される言葉「暴行が行われるよりは不正が行われる方がよい」は後者の中にある。

ナポレオンは多くの作品の中に姿を現わしているが、彼をめぐる歴史小説としてはトルストイの『戦争と平和』に及ぶものはない。この作品についての説明は不要であろう。ナポレオン時代の秘密警察を暴いたバルザックの『暗黒事件』も有益である。文学者によるナポレオンの伝記としてはエミール・ルードヴィヒのものがあるが、メレジュコフスキーの小説『ナポレオン』は普通の伝記を読むよりも面白い。バーナード・ショーの『運命の人』も彼の断面を鋭く描き出している。

十九世紀以降になると、文学者が同時代人であることが多いので、いわゆる歴史小説ではなく自分自身の時代や社会をよく描いた小説が今日から見て歴史のよい材料となる。イギリスではサッカレーの『虚栄の市』が十九世紀初の貴族社会を、ディッケンズの『オリヴァ・トゥイスト』『デイヴィド・コパフィールド』『ハード・タイムズ』等の諸作が下層社会を示すよい史料である。なお十九世紀中葉にイギリスの黄金時代を現出したヴィクトリア女王にはリットン・ストレイチーの伝記があり、その治下の大政治家ディズレイリにはアンドレ・モーロアの伝記がある。

フランスではバルザックという写実主義の大作家がいるので、彼の小説を読むと復古王朝から七月王朝にかけてのフランスの社会が実によくわかる。もしもこの意味での代表作をあげれば、地方都市の生活を描いた『ウージェニー・グランデ』パリを描いた『セザール・ビロドー』農民を描いた『農民』であろう。スタンダールの『赤と黒』は主人公ジュリアン・ソレルの性格が魅力であるが、やはりこの時代をよく表わしている。最近来た映画はソレルの描き方は足りない代りに、当時の風物はよく写している。ユーゴーの『レ・ミゼラブル』は写実とは縁遠い小説であるが、その中にはさまれたワーテルローの戦や七月革命の描写は面白い。二月革命、特にその後の六月の労働者暴動及びそれをめぐるフランス知識人の精神状態はフロベールの『感情教育』の中に古典的な表現を見出した。

ロシアでは、ゴーゴリ、トルストイ、ドストイェフスキー、ツルゲーネフ、チェーホフなどの文豪を始めとして文学全体に社会性が豊かであり、絶好の社会の鏡を提供しているが、特にツルゲーネフの小説を『猟人日記』から『処女地』まで順に読むことは十九世紀ロシア社会史のよい勉強になる。ゴーゴリの『死せる魂』『検察官』も必読である。

ドイツにおいてはこのような役割を果すインメルマン、フライタークなどの作家が他の国の作家ほど有名でなくまた面白くもないので訳されていない。ただハウプトマンの『織工』が一八四四年のシュレジエン(シレシア)の有名な織工の一揆を描いており、歴史の著作にもよく引用される。

イタリアについてはナポレオン没落後メッテルニヒの支配下に行われた反動政治が、スタンダールの『パルムの僧院』によく出ている。そしてこの反動政治への反抗として起った革命党カルボナリの運動は同じくスタンダールの短篇『ヴァニナ・ヴァニニ』に描かれている。歌劇(映画にもなった)『トスカ』も同じようなテーマを扱っている。

アメリカについていえばホーソン『緋文字』が、植民時代、十七世紀のニュー・イングランドの社会の雰囲気を伝えたすぐれた歴史小説であるが、アメリカの歴史小説家としてはスコットに比肩するジェームズ・フェニモア・クーパーがあって独立戦争や西部の開拓を描いたいくつかのすぐれた小説を書いている。しかしこれらは日本語に訳されていない。(但し一番有名な『モヒカン族の最後』は子供の読物になっている。)同時代を写した小説としては黒人奴隷の悲惨な運命を描いて奴隷解放の精神的源泉となったストウ夫人の『アンクル・トムス・ケビン』を見落とすことは出来ない。なお南北戦争を舞台としたミッチェルの『風と共に去りぬ』はアメリカにおける『アンクル・トムス・ケビン』以来のベスト・セラーといわれているが、歴史小説としても有数のものであろう。なお続々輸入されるアメリカ映画にはそれぞれ何等かの史実を背景とするものが多いが、それらをここで一々解説するわけにはゆかない。

十九世紀後半に入ると小説の数は益々多く、歴史の参考として利用し得るものもおびただしい数に上る。そこでこれまでのような調子で解説を続けて行くことは不可能なので、ここで一先ず筆をおくことにする。
(拙著「歴史と人間像」三一年四月より、但し増補)

2015年7月6日

引用文(林健太郎5)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 16:17

引用文(林健太郎4)に続き

林健太郎『個性の尊重』(新潮社 1958年刊)収録

「映画と文学による歴史の勉強」より。

近代の始まりをなすイタリアのルネサンスに関しては、メレジュコフスキーの『神々の復活』という必読の小説がある。これはレオナルド・ダヴィンチの生涯を中心とし、彼をめぐってサヴォナローラ、ボッティチェリ、ミケランジェロ、ラファエロ、マキアヴェリなど当代一流の人物が縦横に活躍し、当時のイタリアの政治情勢もよく描き出され、誠に歴史小説の傑作である。但しモナ・リザの微笑の謎をレオナルドとジョコンダ夫人との間の微妙な愛情から説明しているような、レオナルドの多くの逸話は作者の創作であって事実ではない。

ルネサンスのイタリアは当時の芸術作品だけ見ていると誠に美しい世界のように見えるが、現実には甚だ混沌とした陰鬱な世界で、殊に群雄割拠の小君主達の間には権謀術数の政治外交が発達した。マキアヴェリが『君主論』を捧げたボルジア家のツェザレはその代表的なものであるが、映画『ボルジア家の毒薬』は彼と彼の妹ルクレチアを描いて彼等をめぐる時代相をよく表わしている。

この時代はまたいわゆる地理上の発見時代にも当たっているが、『ジャンヌ・ダーク』をつくったと同じ監督の映画『コロンブス』はコロンブスの生涯を忠実に描いていて有益なものであった。

ルネサンス時代の次には宗教改革及び宗教戦争の時代が来る。この宗教改革の創始者ルター自身を劇化したものにストリンドベリーの戯曲『ルター』がある。北欧においてはこの宗教改革はルネサンスの必然的発展であったが、しかもルネサンスの人文主義を深く呼吸したものにとってはこの荒々しい破壊事業はそのままには是認し得ぬものであった。この点に北欧ルネサンスの最大の代表者でルターの先導者であったエラスムスの悲劇がある。シュテファン・ツヴァイクの『エラスムスの勝利と悲劇』はこの偉大な自由思想家の悩みを描いたすぐれた伝記文学であり、革命と個人の自由、革新勢力と寛容の問題等、今日に通ずる問題を我々に提出している。

宗教改革に伴う騎士と農民の叛乱に関しては先ずゲーテの『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』とシラーの『群盗』がある。後者は創作であるが、前者はとにかく実在の人物を扱っている。クライストの『ミヒャエル・コールハースの運命』はこの時代のドイツに実際起った事件の記録を基にして書かれたすぐれた社会小説である。下って十七世紀の三十年戦争になると、シラーの史劇『ヴァレンシュタイン』がある。これはさすが彼の史劇の最大の傑作だけあって、その迫力はすばらしいものがあり、やはり必読の歴史文学に属する。しかしここに表われたヴァレンシュタインの解釈は勿論シラー自身のものである。

カトリックのスペインに対する新教徒のオランダの独立戦争に関してもゲーテの『エグモント』とシラーの『ドン・カルロス』とが並び立っている。どちらも実在の人物を扱っているが史実とは大分異っている。殊に後者に描かれた王子ドン・カルロスは甚だ理想化されており、父フィリップ二世の後妻との恋愛は事実でない。

スイスはツヴィングリ、カルヴィンの両宗教改革によってドイツと並ぶ宗教改革の中心地となったが、ケラーの『狂える花(ウルズラー)』はこの宗教騒乱を背景にした小説である。

宗教改革はフランスにおいても多年に亘る血なまぐさい内乱をひき起したが、この時代はいくつかのすぐれた小説の材料となっている。ラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』はアンリ二世(一五四七~五九)の時代を舞台にしているが、これは優雅なルイ十四世時代の宮廷生活をこの時代に移し植えたもので、当時の殺伐な時代相を全然表わしていない。これに反してメリメの『シャルル九世年代記』は聖バルテルミー(バーソロミュー)祭日の大虐殺を含むこの王の治世(一五六〇~七四)をよく描き出している。同じくこの時代を扱ったデューマの『マルゴ』は訳されていないが、その代り『バルテルミーの大虐殺』という題で映画になった。

イギリスではヘンリー八世からエリザベス一世に至る時代が宗教改革、即ち、カトリックから独立したイギリス国教会の確立の時代である。映画『悲恋のエリザベス』はつまらない映画であったが、この時代の宮廷の様相が一寸出ていた。リットン・ストレイチー『エリザベスとエセックス』はこのイギリスの有名な伝記作家の一番の傑作である。エリザベスの対抗馬として旧教派にかつがれ処刑されたメアリ・ステュアートの生涯はよく芸術化される。古くはシラーの『マリア・ステュアルト』があり、新しくはシュテファン・ツヴァイクの『マリア・ステュアルト』がある。後者は正確な史実に基いている。

十七世紀のイギリスは清教徒革命、王政復古、名誉革命を経て立憲政治が確立するが、この時代に題材をとったデュ・モーリア『愛すればこそ』(原題『王の将軍』)はイギリスでベスト・セラーになり、日本にも訳された。名誉革命後亡命したステュアート家のいわゆる「僭称王」とそれを支持する「ジャコバイト」の陰謀は十八世紀まで続き、これがイギリスではよく小説の材料になる。スコットの代表作もここにあるが、これは訳されていない。訳されているものではスティーヴンソンの『バラントレイ卿』がこの事実を背景にしている。十七世紀のフランスはルイ十三世とリシュリューの時代がよく小説化される。ヴィニーの唯一の歴史小説『サン・マル』は訳されていないが、ゴーティエの『キャピテン・フラカス』は訳が出た。デューマの『三銃士』はあまりにも有名である。いずれもこの時代が舞台であるが、ゴーティエはあまりに浪漫的、デューマは通俗的で歴史の参考とはなり難い。これは『三銃士』の続編でルイ十四世時代を舞台とする『鉄仮面』も同様である。これに反して十八世紀の代表的な経済学者兼実業家ケネーを扱ったアンドレ・モーロアの伝記『ベルナール・ケネー』は極めて有益な歴史の参考書である。

ドイツとイタリアは分裂状態が続き、小国の宮廷は専制と陰謀の舞台であった。古く森鷗外が『折薔薇』という題で訳したレッシングの『エミリア・ガロッティ』はイタリアの小国が舞台にとられてはいるが、十八世紀のドイツの現状に対するプロテストであり、しかも非常な傑作である。この作の影響の大きいシラーの『たくみと恋』は名はあげてないがドイツ内の一国が舞台であり、そこに展開される貴族の策略とその犠牲となる平民の姿を描いている。この作品には特定のモデルはないがやはり十八世紀ドイツの小宮廷の実状を写しており、特に君主が自己の人民を、アメリカ独立革命鎮圧のための傭兵としてイギリスに売却する事件はヘッセン・カッセル国で実際に行われたことである。

南ドイツの諸宮廷がこのような頽廃の中に陥っている間に、北方プロイセンが強国として擡頭してやがて後のドイツ統一の中心勢力となる。フリードリヒ大王に指導されるプロイセンのミリタリズムは当時の文学者や後世の自由主義者の性に合わぬものであったが、当時のドイツの救済者はこのプロイセン以外には見出すことが出来なかった。レッシングの喜劇『ミンナ・フォン・バルンヘルム』はプロイセンの軍人と彼の生国ザクセンの婦人との結婚を扱っており、彼のプロイセンへの期待を示すものといわれているが、メーリング以下のマルクス主義者ははげしくこれに反対している。レッシングがフリードリヒ大王の崇拝者でなかったことはたしかであるが、彼がプロイセン軍人の誠実な義務観念の中に美徳を見ていたこともたしかである。半世紀後ナポレオンとの闘争時代に熱心なプロイセンの愛国者であったクライストは、戯曲『ホンブルクの公子』を書いてプロイセン国家の基を礎いた十七世紀のブランデンブルク選挙侯フリードリヒ・ウィルヘルム(大選挙侯)を賛美した。

イタリアに関してはシラーが『群盗』に次ぐ第二作『フィエスコの叛乱』で、十六世紀のジェノアに起った専制主義に対する共和主義者の叛乱を扱っている。フィエスコは実在の人物であるが、勿論事実とは大分異っている。スタンダールの『カストロの尼』も十六世紀のイタリアを舞台とし、その社会を我々の前に生々と現出させてくれる名作である。

イタリアには、スコット、ユーゴーと肩を並べるに足る浪漫主義の大作家マンゾーニがあるが、これまで日本に紹介されることが少かった。しかし最近その代表作『婚約者』が訳されたことは喜ばしいことである。これは十七世紀のロンバルディアを舞台にした雄大な歴史小説で、長篇であるが面白く読めるものである。

十八世紀にはピーター(ピョートル)大帝の力によってロシアが急速にヨーロッパの惑星として登場したが、このピーター大帝は大いに文学の題材にされている。先ずプーシュキンに短篇ながら名作『ピョートル大帝の黒奴』があり、革命後随一の歴史小説家ア・トルストイに未完の長篇『ピョートル一世』がある。メレジュコフスキーにはピョートルとその息子との相剋を扱った長篇『ピョートルとアレクセイ』があるが、これは訳されていないようである。この皇帝以前を扱ったものにア・カ・トルストイ(前掲ア・トルストイとは別人で十九世紀の作家)の『白銀公爵』と『皇帝フョードル』がある。前者は十六世紀の有名なイワン雷帝の治世を描き、後者は弱気なその子を扱った性格悲劇である。この戯曲は『イワン雷帝の死』及び『ボリス・ゴドノフ』とともに三部作をなしているが、他の二作の邦訳があるかどうかは知らない。ボリス・ゴドノフはフョードルの義兄で実権を握り、フョードル死後皇帝となった人であるが、これと帝位を争ってその死後帝位についた「偽ドミートリ」はメリメの興味をひき、歴史物語『偽ドミートリ』を生んだ。十七世紀のコサックを描いたゴーゴリの『タラス・ブーリバ』(『隊長ブーリバ』)もここにあげておく必要があろう。プーシュキンの歴史小説の代表作『大尉の娘』は、十八世紀後半の女帝カザリン二世治下の有名なプガチョフの叛乱を描いている。

(追記:引用文(林健太郎6)へ続く)

2015年7月4日

引用文(林健太郎4)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 16:00

引用文(林健太郎3)に続き

林健太郎『個性の尊重』(新潮社 1958年刊)収録

「映画と文学による歴史の勉強」より。

中世の西ヨーロッパは封建制度とキリスト教の時代である。その初期はいわゆる暗黒時代で文化的にも政治的にも余り今日の芸術の材料になりそうなものは少いが、現代のヨーロッパ諸国民の直接の起源がここにあるだけに、各民族にはそれぞれ民族伝説があってそれらの説話は深く人人の中に入り込んでいる。これらの説話の中で最も有名なのはアーサー王物語、ニーベルンゲン物語、カール大帝の武将ローランの物語などである。しかし特別の興味を持つものの外はそれらのものを直接読むのはいささか厄介であるから、やはりブルフィンチの『中世騎士物語』を読むか、あるいは映画『円卓の騎士』でアーサー王物語を知る程度で結構である。『ニーベルンゲン物語』も昔『ジークフリード』『クリームヒルデの復讐』などという映画があったし、今後もつくられることは疑いない。

西ヨーロッパがまだ暗黒時代の中にあった頃、東ヨーロッパでは東ローマにユスティニアヌス大帝が出て赫々たる治績をあげた。この皇帝の皇后で大帝の功業に与って力のあった異色の女性テオドラを主人公にした映画『テオドラ』は甚だ通俗的なものであったが、彼女が猛獣使いの子でいかがわしい踊子の出身であったことは事実であり、首府コンスタンティノープルにおける戦車競争や青党と緑党との争いなども当時の史実を伝えている。

東ローマとともに中世ヨーロッパに異色ある文化をつけ加えているイベリア半島のサラセン文化については、アーヴィングの『アランブラ物語』が一応の参考になる。このサラセン人と戦ったキリスト教側の英雄ル・シッドをテーマとしたのがコルネイユの代表作『ル・シッド』である。

八世紀から十世紀にかけて北欧の海上を荒しまわったノルマン人の海賊については、映画『ヴァイキング』が正確な風俗考証で大いに参考になる。

中世を代表する最も華やかな、そして最も中世らしい事件は十字軍であるが、その中でも最も大規模なのはイギリス、ドイツ、フランス三国の王の参加した第三回十字軍である。これは大分前に『十字軍』という映画になったことがあるが、近頃また『獅子王リチャード』によって映画化された。この映画の原作はスコットの『護符』(邦訳はないが子供向の読物になっている)である。「獅子の心を持つ」といわれたイギリス王リチャード一世はこの十字軍の立役者であり、イギリス騎士道の華と謳われて多くの逸話を残しているが、その中には事実でないことが多い。彼と対抗した回教徒のサラディンは実際にすぐれた人物でキリスト教徒を寛容に扱ったことで名高い。彼はレッシングが宗教的寛容を説いた『賢人ナータン』の主役でもある。(イタリア映画『大遠征軍』は第一回十字軍を扱っているが、これは問題にならぬ愚作である。)

リチャードの弟が「マグナ・カルタ」を発布させられたジョン王であるが、シェークスピアに史劇『ジョン王』がある。その他シェークスピアは『リチャード二世』『ヘンリー四世』以下いくつかの史劇を書いている。あまり面白くもなく史実に忠実でもないが、百年戦争や薔薇戦争当時のイギリスを知るのに役立つ。『ヘンリー六世』には当時の有名な農民一揆ジャック・ケードの乱が出て来て、よく社会史家に引用される。『ヘンリー五世』『リチャード三世』は映画化されて非常な好評を博した。

イギリスの歴史文学といえば何といってもスコットに止めをさす。スコットの歴史小説は極めて数が多く、イギリス人の間ではシェークスピアに続いて人気がある。しかし何分日本人にはなじみが少く、訳されているのは『アイヴァンホー』ぐらいのものである。この小説は彼の最大の傑作といってよく、ノルマン征服以後のノルマン貴族とサクソン人の対立を舞台として、騎士道を体現した人物アイヴァンホーが盛んに活躍する。主人公は架空であるが、中世騎士道の世界をよく描き出している。この小説の中にはリチャード一世やジョン王、またイギリス人の伝説的英雄ロビン・フッドも巧みにとり入れられている。映画にも度々なったが、戦後に来たものはエリザベス・テイラーが美しいユダヤ人の娘に扮した。

『宝島』で名高いスティーヴンソンには薔薇戦争時代に取材した『黒い矢(二つの薔薇)』がある。いささか通俗的な冒険談であるが、ここに出て来る多くの社会事実が当時の史料によっていることは歴史家トレヴェリアンが証言している。

ドイツでは十九世紀初頭の浪漫派の詩人たちが好んで中世を題材としたが、彼等はただ城や騎士の世界を幻想的に歌ったことが多く、あまり歴史の参考になるものはない。ただ同じ浪漫派で中世を描いても、ホフマンは貴族の城郭よりも都市の生活を好み『親方マルティンと徒弟たち』などは中世の職人生活を我々に知らせてくれる。

フランス史で一番人気があるのはジャンヌ・ダークで、芸術化されることも極めて多い。シラーの『オルレアンの少女』は余り浪漫的で歴史的ではなく、今日の我々の感覚にも合わないが、バーナード・ショーの『聖女ジョーン』は歴史学的に見ても誠に立派なものである。ジャンヌ・ダークを政治家にあやつられた傀儡と見、しかも彼女の強みを彼女を支持したフランス農民の間に芽生えつつあった愛国心の中に見ているのは正しい歴史的態度である。いくつかつくられた映画もいずれも良心的なもので、最近のバーグマンの扮したものもかなり史実に忠実であった。

イギリスのスコットと並ぶフランスの歴史小説の雄ユーゴーの『パリのノートルダム』は十五世紀ルイ十一世治下のパリの生活を彷彿とさせる傑作であり、しばしば映画化されたが戦後のフランス映画は最も原作に忠実なものであった。同じ十五世紀のパリで放蕩無頼の数奇な生活を送った詩人フランソア・ヴィヨンの生涯は『放浪の王者』『我もし王者なりせば』などの名でこれも度々映画化された。

(追記:引用文(林健太郎5)に続く)

2015年7月2日

引用文(林健太郎3)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 15:56

引用文(林健太郎2)に続き

林健太郎『個性の尊重』(新潮社 1958年刊)収録

「映画と文学による歴史の勉強」より。

オリエントの次には、ギリシア、ローマのいわゆる古典古代の時代が来る。この時代は古代オリエントと顕著な対照を示し、始めて個人意識の生まれた時代、真の意味における西洋文明の始まった時代である。そしてギリシア文明の母胎となったものはギリシア人の神話であるから、西洋文明を理解するためにはどうしてもギリシア神話の知識を欠くことは出来ない。ところが手っとり早くギリシアの神話を知るのに大へんよい本がある。それはブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』であって、まともに読むといささか退屈であるが、座右において随時参照すれば大へん有益である。更に進んでギリシア文明そのものに接しようと思えば、彼等の残した文学作品を直接読むに如くはない。先ず古典中の古典、ホーマー(ホメロス)の『イリアス』(『イリアッド』)と『オデュッセイア』(『オディッセイ』『ユリシーズ』)。ともに邦訳があるから読むことが出来るが、これも相当時間と気持の余裕を必要としよう。そこでここでも映画が便利な代用品になる。イタリア映画『ユリシーズ』はかなり忠実な原作の模写であり、作品としてもすぐれたものであったが、シネマスコープ『トロイのヘレン』となると、パリスとヘレンがハリウッド式恋愛の主人公になっており、勿論『イリアス』の風韻を伝うべくもない。しかし風俗考証などは相当綿密であるし、トロイ戦争の物語の大要を知るには極めて好都合である。

ギリシアのポリス生活が発展してアテネの民主主義と市民文化が高潮期に達する過程には、ペルシア戦争や文化人政治家ペリクレスの生涯のように小説や映画の題材となってしかるべきものが少くないが、何故かそういう作品はあまりないようである。

ギリシアのポリスが没落した後マケドニアから出てアジア・アフリカに亘る大帝国を建てたアレキサンダー大王の伝記映画はつまらないものであったが歴史の参考にはなるであろう。

ギリシアが西洋文明の精神的父であるのに対して、ローマはより多く近代ヨーロッパと実質的なつながりを持っている。そういう意味でローマ共和政体の発達やその異民族征服の過程などヨーロッパ人の間にはなじみの深い話が多いが、文学作品として我々に与えられているものは案外少い。ローマの民主主義が堕落して社会が混乱に陥った時、その救済者として現れた英雄シーザーについては、先ずシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』があり、その他『シーザーとクレオパトラ』『アントニーとクレオパトラ』もある。これらのシェークスピアの史劇はプルターク『英雄伝』に忠実に則っている。勿論史実そのままではないが、大体この位のことを知っているだけでも常識としては差支えない。これは度々映画にもなっているし、殊に最近来た『ジュリアス・シーザー』はなかなかの出来であったと思う。ローマ共和制没落期の社会相、殊にローマの町に集った流民の群とその浮薄な動向などがよく出ている。またやはり最近来た『シーザーとクレオパトラ』はバーナード・ショーの同名の戯曲を映画化したものである。その他十八世紀フランスの誇る古典作家ラシーヌにはローマの武将を扱った史劇が多くあり、日本にもいくつか訳されているが、これはいささか退屈である。

ローマの歴史が後世芸術化されるのはキリスト教に関係する面が多い。ここには歴史小説の傑作シエンキエヴィッチの『クォ・ヴァディス』がある。有名な暴君ネロのキリスト教徒迫害とローマ焼打が中心テーマであるから、通俗的な面白さも十分であり、映画としてもいつも成功を収めている。しかし単にこのようなスペクタクル的な興味ばかりでなく、この時代の精神史としてもこれはなかなかすぐれている。即ちペトロニウスに代表されるエピクロス哲学、セネカのストア哲学がともに人々の悩みを救うことが出来ず、キリスト教が最後の救済者として現われるという過程はこの時代の雰囲気をよく表わしている。もっともこれはあくまでキリスト教の立場から書かれているから、その意味での誇張は免れない。しかしともかく『クォ・ヴァディス』は西洋史を学ぶものの必読かつ必見の作である。この少し後に起ったヴェスビアス火山の噴火によるポンペイの滅亡はリットン卿の『ポンペイ最後の日』の材料になったが、これはやや程度の低い通俗小説である。

メレジュコフスキーの小説『神々の死』は「背教者ジュリアン」といわれるローマ皇帝ユリアヌスの生涯を描いている。この皇帝は伯父コンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認した後、キリスト教から転向してギリシアの神々の復興に努め、自ら文筆によってキリスト教と闘争した。しかし彼の努力も効なく、ペルシア征討の陣中に戦死した時、「ガリラヤ人よ、汝は勝てり」といったと伝えられている。イプセンの戯曲『皇帝とガリラヤ人』もこの皇帝を扱ったものである。

キリスト教はギリシア思想と並んで西洋文明の二大支柱である。このことはマシュー・アーノルド以来「ヘレニズムとヘブライイズム」という言葉で人口に膾炙している。そしてキリスト教はヨーロッパ人の思想や生活に深い根を下ろしているから、キリスト教を知ることは先ず絶対の条件である。そのためにはやはり『聖書』を読むことが必要であるが、手っとり早く聖書の話を知るにはヴァン・ルーン『聖書物語』はよい本である。しかしここでもやはり映画が一番簡単であろう。幸いアメリカにはC・B・デミルなどという大がかりな聖書映画をつくることのすきな監督がいて、現在その代表作『十戒』が公開されている。一般にシネマスコープの登場以来キリスト教ものが益々盛んになったが、こういう式の映画を見るならばなるべく聖書の話を忠実に映画化したものがよい。というのは我々の目的は西洋史の勉強のために聖書を読むことの代りにしようというのであるから、単なる説教じみた映画やキリスト教に名を借りて見世物を見せようとする映画はあまり意味がない。『十戒』なども、聖書の話から外れたところはばかばかしいものであって、むしろエジプト史を冒瀆しているとも云える。

ローマ帝国の末期ゲルマン諸族を征服してローマに迫ったフン族の酋長アッティラを主題にした映画『異教徒の旗印』もキリスト教臭の強いものであるが、一応当時の史実に立脚している。似た題材を扱ったものに『侵略者』という映画もあった。

(追記:引用文(林健太郎4)に続く)

2015年6月30日

引用文(林健太郎2)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 15:32

引用文(林健太郎1)に続き

林健太郎『個性の尊重』(新潮社 1958年刊)収録

「映画と文学による歴史の勉強」より。

人間の歴史は地球上に人類が発生した時から始まり、最初に長い原始時代が続くが、歴史として面白くなるのは人類がいわゆる文明の段階に入ってからである。そして人類の文明はオリエントの古代文明から始まるのであるが、この時代はある意味では芸術になり難く、またある意味ではなり易い。というのはこの時代は元来近代の人には縁の遠いものであり、且つそこには魅力ある個人の活躍というものがない。それはこの時代が絶大な権力を持った専制君主の時代であって、その下に隷属していた人民の中には勿論個人の自由はないし、帝王自身も神の名において伝統と慣習に基いて統治していたのであるからそこにも本当に個性のある個人はいないのである。この時代はエジプトにおけるようにすぐれた文化を残したが、それはピラミッドのように単に専制君主の権力の象徴にすぎず、後期に現われて来る個性的な彫刻にしても作者個人の名前は記されていない。そして一般にこの時代には神話や伝説、帝王の功業表などはあっても文学というものは生れていない。この時代はいわば生きた人間がまだ出て来ないので、近代人が歴史小説の材料をここに求めることは無理なのである。しかし逆に、この現代ばなれのした怪奇と幻影の世界は、現実を離れた空想の世界に美を探究しようという人には絶好の舞台を提供する。「芸術のための芸術」を標榜した浪漫主義者ゴーティエの『ミイラ物語』などはその好適例である。しかしこれはあくまで作者の幻想の所産であって歴史小説というべきものではなく、従って歴史の勉強のためにはあまり役に立たない。

古代エジプトを題材とした特筆すべき小説は戦後出たフィンランド人ワルタリの『エジプト人』である。ただしこれは古代エジプト史の中ではかなり後期、新王国第十八王朝の異色あるファラオ、アクナートンの時代を舞台としている。このファラオはエジプト伝来の多神教を捨てて一神教を採用し、そのため神官階級と闘争した誠に個性的なファラオで、歴史家によって「最初の個人」と呼ばれている。そしてこの時代のエジプトは新興民族ヒッタイトと戦い、その他のアジア諸民族とも交渉が繁かった。それ故作者がこの王の宗教改革を中心におき、且つ主人公に広くエジプト以外のオリエント地方を遍歴させているのは巧みなやり方というべきである。作品そのものの基調はかなり通俗的で芸術的に高いものではないが、歴史の参考としてはたしかに役に立つ。シネマスコープ『エジプト人』はこの作品の映画化である。

古代オリエントが歴史文学の題材となり難いのに反比例して、映画にとってはここが絶好の稼ぎどころである。それはこの世界の持つエグゾティズムとスペクタクル性が映画に最も向いているからである。これはシネマスコープの発明以来一そう著しい。『エジプト人』は画期的な作品といわれたが、その後につくられた『ピラミッド』もエジプトが舞台である。これが扱っているのは『エジプト人』よりずっと古い古王国第四王朝のクーフー王である。この時代はファラオ権力の全盛時代で、この王は最も大きなピラミッドをつくった人であるから、この映画も正にピラミッドの造営をテーマとしている。しかしこの王の伝記などはほとんど伝わっていないから、ここに出て来る話は全くつくりごとで、この映画の味噌であるピラミッドの坑道の秘密も勿論想像にすぎない。しかしピラミッドの内部に盗人などが入ってこないようにいろいろな工夫をこらしたことは事実であるらしい。そして多数の人民を使役しナイル河を利用して遠くから石材を運んだ有様は大体あのようなものであったろう。

歴史映画ではないが今一つ『王家の谷』という映画は現代に残るエジプトの史蹟を見物する意味で大へん有益である。ここではさきにいったアクナートンとその二代後のトゥ―タンカーメン王(これはその豪奢な地下墳墓が手つかずに発掘されたことで有名)とを一緒にしたような架空のファラオの墓が出て来て、考古学者がここにモーセとのつながりを発見するという話がおちである。アクナートンの宗教改革はたしかに一神教の採用という意味で画期的であり(ただし一代だけで終わったが)、ここにキリスト教の先駆を見る学者もないではないが、それはやはり誇張であり、勿論エホバ信仰との直接の関係はない。

時代は下ってローマ時代のことになるが、ゴーティエの『ある日のクレオパトラ』やフロベールの『サランボオ』もやはりオリエントの世界を描いている。後者はカルタゴが舞台で第一次ポエニ戦争後に起った傭兵の反乱が素材となっている。フロベールはこの小説を書くために数十冊の本を読み、親しくこの地を旅行して歴史と地理を調べたといわれている。それだけあってこの古代都市とそこに出て来る人物の描写は緻密を極めており、誠に絢爛たる絵巻物を展開している。しかしこれもまたフロベールの文学の反面である現実逃避の審美主義のつくり出した空想的作品であり、厳密な意味での歴史小説の部類には入らないであろう。

(追記:引用文(林健太郎3)に続く)

2015年6月28日

引用文(林健太郎1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 16:05

林健太郎『個性の尊重』(新潮社 1958年刊)収録

「映画と文学による歴史の勉強」より。

一般の人が教養として歴史を学ぶにはどんな本を読んだらよいか、というような質問を受ける度に、私はいつも「小説を読んで映画を御覧なさい」ということにしている。これは決して冗談でもなく逆説でもない。事実私は学校でも、いわゆる教養科目として歴史を教える時にはなるべく小説と映画の話をすることにしている。何故ならばそれが一番手っとりばやい歴史の勉強法だからである。

勿論ここでいっているのはいわゆる歴史小説と歴史映画のことである。そして歴史小説と歴史映画が歴史の勉強にとって有益であるのは、何よりも先ずそれが面白いからであって、楽しみながら歴史をおぼえられるということが悪い筈がない。しかしいうまでもなく小説や映画は芸術であるから多かれ少なかれフィクションによって成り立っている。その主人公は多く架空の人物であり、実在の人物であってもその行動には自由な変改が加えられている。それ故これらのものを通じて歴史を知るためには、その中にある創作と事実を区別することが必要である。しかし実をいうと、一般の人々が教養として歴史を知る際には、必ずしもこまかい事実が一々正しいかどうかを気にする必要はない。それらのフィクションを通じて、その時代の人々の生活や時代相、社会状態や精神状況がわかればよいのである。そしてこの点で、すぐれた芸術は専ら事実を書いた歴史書よりもより多くの真実を伝えることがある。これは自然を模した芸術が自然そのものよりもより多く自然を表現することがあるのと同様である。

このことは一般的に歴史と歴史文学や歴史映画との関係についていえることであるが、殊に日本人が西洋の歴史に対する場合には一そう芸術の効用が大きなものとなる。というのは西洋の歴史書を一々読むのはなかなか大へんであるし、日本語に訳されているものの数も文学などに比すれば甚だ少い。そして日本人の書いた歴史の本はごく一般的な概説でなければかえって極めて特殊な研究書が多く、その意味で具体的な歴史を少し立ち入って知ろうという場合にはよい参考書がほとんどない。また日本の思想界の通弊として、独断的な理論や政治的イデオロギーによって書かれた片よった歴史書が案外に多く、歴史の正しい姿を知る前に歪んだ歴史像や歴史観念を植えつけられる危険が決して少くない。歴史文学や歴史映画はこのような欠を補い且つ危険性を中和する十分な役割を果たすであろう。

しかし以上のような歴史芸術の有益性は、勿論その反面にそれ自身の危険性をも持っている。その危険性は結局事実でないものを事実らしく見せるところから起るのであるが、それは必ずしも事件や局面のフィクションの中にあるのではなく、人物やその行動に対する作者の解釈の中に生ずるものである。芸術家が創作をする際には、対象の中に自分自身や自分の好む人物を描き出すものであるから、そこに描かれた人物がその時代を離れて不当に現代化されたり畸形化されたりすることが大いにあり得るわけである。もっとも人が意識的に「歴史小説」を書こうとする場合にはむしろこのような不当な現代化を努めて避け、過去をそのものとして再現しようとすることに苦心するであろう。しかし小説家は時には単に自己の創作の効果をあげるために歴史を借用する場合があるし(その意味で芥川竜之介の歴史小説や谷崎潤一郎の歴史物はすぐれた文学ではあっても真の歴史文学ではない)、また一般に通俗的作品においては歴史を扱いながら歴史を調べる努力がなされない場合が多い。これは映画の場合一層顕著であって、良心的な作品であれば風俗や風景の時代考証は綿密に行われるが、その中に出て来る人物は端的に観客にアピールするように極度に現代化される傾きがある。

しかしこのような欠点を十分認めた上で、文学や映画は何といっても甚だ有効な歴史認識の手段である。過去をさながら現代のように眼前に彷彿させ、歴史上の人物と共に喜び且つ悲しむということは人を歴史に親しませる最良の方法である。そこで有名な歴史文学や最近の歴史映画を通じて西洋の歴史を概観し、また西洋の歴史を知るのに役に立つ小説や映画について一応の解説を加えるのがこの拙稿の目的である。(以下にあげる文学作品は特にことわったものを除きすべて邦訳がある。そしてその多くは文庫本や全集ものの中にあるから、読者はそれらの目録を見てさがして頂きたい。)

(以下続く  追記:

引用文(林健太郎2)

引用文(林健太郎3)

引用文(林健太郎4)

引用文(林健太郎5)

引用文(林健太郎6)

 

2015年6月13日

引用文(西部邁13)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:37

西部邁『昔、言葉は思想であった』(時事通信社)より。

民間(private sector)

「官(政府部門)を排して民に就け」というのが、この列島における平成時代の経済標語でした。いえ、その標語は、ナイト・ウォッチング・ステート(夜警政府、night-watching-state)とからかわれてきた自由主義的な経済政策において、言い換えると自由放任の無政策国家において、一貫してつかわれていたといってさしつかえありません。プライヴェート・セクターを大きくしてパブリック・セクター(政府部門、public sector)を小さくする、それが自由主義の基本線です。つまり、国内に向けての警察署・税務署と国外に向けての外交・軍事、それらだけを見回る夜警がおれば十分という意味で、スモール・ガヴァメント(小さな政府、small government)を勧めるのが経済学的な思惟の常套なのです。

ここでは、そのことの是非を直接に論じるのではなく、まず、プライヴェート(私的、private)という言葉につきまとう卑俗な意味について、経済関係者たちがまったく配慮しないことに注意を促しておきましょう。プライヴァシー(私的な事柄、privacy)が秘匿されるべきであるのは、主として、そこに偽悪醜としかよびようのない事物の臭いが多少とも漂っているからです。「為すことは許してもらいたいが、他人には見聞きされたくはない」、それがプライヴァシーの本質です。漢語や日本語で「私的」というのも、「私物化」とか「私商[わたくしあきない]」という言葉に典型的にみられるように、どちらかというと公開できない類の我欲の振る舞いをさします。そういう振る舞いに深くかかわる部門を大きくせよ、経済はプライヴェート・エンタプライズ(私企業、private enterprise)にまかせよ、といいつのる言語感覚のうらに、経済関係者における不徳の心理をのぞくことができます。

同じことの裏側ですが、政府部門をパブリック・セクターとよぶアメリカの習わしも、少々狂っています。パブリック(公共)の部門をすべて政府が担当するというのは、逆にいうとパブリック(公衆)がパブリック・マインド(公心、public mind)を持っていない(もしくは公心の発揚をすべて政府に委託する)ということです。もちろん、そういう似非公衆でも法律という公共規範に従うわけですが、コムプライアンス(遵法、compliance)のほかには、公心を行為で表そうとはしません。さらに、その遵法においてすら、彼らは私益を追求すべく訴訟を打って出ようと構えております。そういう者たちが政府(のみ)を公共部門[パブリック・セクター]とよんで平然としている次第です。

公共規範には(道徳にかかわる)習律もあります。習律は、とくに集団的・組織的な行為において、その行為への参加者たちが否応もなく、秘匿せずに公表して、勘案しなければならないものです。少なくともイデオロギーにあって、集団や組織は参加者たち個人の自発的な契約関係として形成されるととらえるアメリカ流儀にあっては、習律の入り込む余地はあまりありません。それゆえ、民間部門は私的で政府部門は公的、という両断が罷り通るということになります。

アメリカは、今もなお人々の公共精神にもとづく「寄附」(donation)やヴォランティーア・アクティヴィティ(義勇の自発的活動、volunteer activity)の強いところです。しかしそれらは、あくまで個人の倫理観に発することとされ、経済制度の部門としては定着させられてはいません。

我が国のいわゆる日本的経営には、そうした習律が内蔵されておりました。しかし、この平成時代に加速度的に進められた「民営化」は、実のところ、「私人化」つまりプライヴァタイゼーション(privatization)だったのです。さらには、私人化に居直ることすらやって、秘匿すべき科白の最たるものを、つまり「カネで買えないものはない」という文句を、吐き散らかす御仁までもが社会の表面に出てくる始末です。しかも、政府部門にかかわる役人たちのプライヴァシーについては、それを暴き立ててスキャンダルの種にしようというのですから、似非公衆としての大衆の我欲には切りがないといわずにはおれません。

もし民衆[ピープル]にして、公心を抱懐する公衆[パブリック]であったなら、「政府は国民の公心の代表なり」(福澤諭吉)と理解するでしょう。そのことを踏まえて、民間部門[プライヴェート・セクター]とよばれているものを公衆部門[パブリック・セクター]とよび替え、公共部門[パブリック・セクター]とよばれているものを政府部門[ガヴァメンタル・セクター]と言い換えるでしょう。いずれにせよ、「公心が民間の経済行為においていかに表現されるか」というのが肝心要の点です。前項でみたように「市場」とは「公平な価格で取引が行われる場所」のことです。また、後段の「賃金」や「価格」の項目でみるように、市場取引は慣習によって安定化させられ、そして慣習のうちに公衆の公心が含まれております。だから、民間部門の中心をなすマーケットの内実について深く洞察できないエコノミストが、経済界を私的民間部門と公的政府部門の両極端に分解した、そして後者を極小化せんとする市場教条主義に耽ってきた、といってさしつかえありません。

2014年11月14日

引用文(西部邁12)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 08:51

 

西部邁『獅子たりえぬ超大国』(日本実業出版社)より。

 

いったい自由権とは何のことだろうか。たとえば私に、何かをなす自由の権利があるとすれば、これは相手にも、第三者にもある。となれば、人びとの自由が衝突する可能性が生じるのは明白である。
そこで、イギリスの自由主義者ジョン・スチュワート・ミルは、「他者危害の原則」を守るべきだという原理を打ち出した。他人に危害を与えないかぎり自由は許されるべきだというわけである。実は、この「他者危害の原則」こそがいまのアメリカ人が主張する自由権にたいする唯一の制限なのである。

これはいまやアメリカだけでなくて、現代人類に広く広まっている考え方で、「他人に迷惑をかけないかぎり、何をやってもいい」というわけである。・・・・・多くのビジネスマンが市場取引の自由をいい、他人に迷惑をかけるものでないかぎり、どんなものを売ろうがいいんだといっている。

そこで問題が起こる。迷惑あるいは危害とは何のことか。一つの例を挙げてみよう。たとえば十五歳の少女が渋谷の街角で中年男性相手に援助交際つまり少女買春をしているとする。この場合、いったい誰に迷惑をかけているか。体を売って小遣い銭を稼ぎたい少女はカネが入ったんだから満足、中年男は性的欲求不満をロリコン趣味も交えて満たしたので満足、ということで誰にも迷惑をかけていないようにみえる。

少女売春のような露骨な例でなくても、たとえばエログロの週刊誌でもマンガでも、あるいはテレビ番組でもいい。そういう商品を売りたい人が売って、買いたい人が買う。売った人は儲けが上がって満足、買った人は快楽を得て満足ということになってしまう。

ここでも諭吉の話を紹介すると、彼は卓抜なことをいった。「他人に迷惑をかけなければ何をやっても自由とは何事だ、自分たちの子孫のことも考えてみよ。目の前にいる他人に迷惑をかけないからといって、自由や権利の名において勝手気ままをやっていたら、一〇年、二〇年、あるいは五〇年後に、社会がきわめて不道徳な状態になってしまう。すると、自分たちの子孫は不道徳の環境のなかでしか生まれ育てないし、死んでもゆけない」。道徳を守ってこその自由だと諭吉はいったのである。

他者危害の原則でもいいのだが、その他者には、いま生きている人間だけでなく、これから生まれるであろう人びとも含めなければならない。自分の行いが未来の人びとに悪影響を及ぼしはしないか、と考えてみるためには、過去を振り返り、どんなことを先祖が行ったときに、その時間的な影響として、自分がどういう状態におかれているのかについても検証しなければならない。このように、他者に未来の子孫を入れ、またそうするために過去の先祖たちのことも振り返るという歴史的な展望に立ってはじめて、自由についても論じることができる。

アメリカは、歴史感覚が乏しいから、そのことがわからない。したがって、アメリカの自由というものは、自分の儲けや快楽を目指すとき、その時間的な視野が現在に限定されたものになっている。それがアメリカの個人的自由主義の実情である。

・・・・・

自由論は民主主義論にも関係してくる。どういうルールを決めれば他者に迷惑をかけないですむかを問題にする場合、ではルールをいかに決めるかが問題になる。本来、歴史感覚のある国民であれば、「ルールの根本は歴史によってプレスクライブ(予め処方)される」と考えるのだが、アメリカは歴史という精神の土壌に欠けるため、結局は現在生きている人びとのあいだの多数決で事を決めざるをえなくなった。トックビルが「多数者のティラニー(専制政治)」とよんだのがそれである。アメリカでは多数決が社会ルールの唯一の決定基準になっているわけだ。

多数決とは何か。投票ということの意味を社会全般に及ぼせば、まさしく世論にほかならない。多数派の意見が反映されて、ある特定の多数決になり、世論が最高の基準だということになるわけである。そのことをトックビルは心配したのだが、自由主義者ジョン・スチュワート・ミルですら、トックビルの影響を受けてこういった。「アメリカでは“世論による支配”が行われている。これにイギリスも気をつけねばならない」と。

・・・・・

これは本当は恐ろしいことである。人びとがいったいどんな価値観を抱いているのか、どんな道徳をもっているのか、あるいは自分たちの価値観、規範が未来にどういう影響を及ぼすのか、他国からどういう評価、反応を受けるのか。そんなことにかかわりなく、多数決方式の決定を安定させることだけが国家の秩序の原則になったわけだから。

・・・・・

「自由」という日本語は(自由と訳したのは西周だが)なかなかおもしろい。英語でフリーダムとかリバティというが、それと日本語の自由が同じだと思ってはならない。自由とは読んで字のごとく、自らに由(ワケ)があるということだ。自分に根拠があるということである。

だとしたら、問題は自分とは何かということである。

二種類の自分がいたとしよう。一方の自分は、先祖の歴史の英知、伝統の精神に思いを馳せ、未来の子孫に何を残し得るか、伝えられるかを考えている自分。他方の自分は、過去も未来も考える気がなく、その場その場の欲望に身を任せる自分。常識というものがあれば、自分にワケがあるといっても、前者のワケでなければならない。

・・・・・厄介な抑圧から解き放たれることは人間にとって望ましいことだが、何のために解き放たれるのかというと、一言でいえば、真っ当な理想や目標、目的へ向けて進むために現在の制約から解き放たれるわけである。そうであるなら、どんな理想や価値観、あるいは目的を持つかを論じなければ、自由論が成り立つはずもない。

もちろん、この目的や目標は、けっして特定の指導者が設定するものであってはならない。かつてヒットラーやムッソリーニやスターリンが、そしていま金正日やブッシュや小泉が目的や目標をあれこれ掲げたが、それはとんでもない顛末になったし、今後もなるであろう。

重要なのは、「自由をいうときには、その目的や目標が本当に納得できる道徳にもとづいているのかを議論したり確認したりしなければならない」ということである。道徳といって言い過ぎならば、コモンセンス(常識)にもとづいているのかどうか、フランス語でいえば、ボンサンス(良識)に裏づけられているのかを、人びとが自分のなかで、また他人との交流のなかで、思索しなければならない。議論したり確認したりするプロセスがなければ、自由そのものは子孫のみならず、自分自身にも深刻な害を及ぼしかねない。

人は行動するとき、たいていはいくつかの選択肢のなかで迷っているものである。そのとき、Aを選ぶかBを選ぶかという選択のなかで、AとBのいずれが優れているか、いずれが劣っているかを判定しなければならない。仮にその判定を人間の欲望に任せるにしても、Aを選ぶ欲望の下劣さ、Bを選ぶ欲望の高貴さなどにかんして、真っ当な欲望が何であるのかを議論しなければならない。

そして、この議論の根拠は、またしても歴史へ差し戻される。・・・・・十九世紀までのアメリカには、歴史が浅いことにたいする彼らなりに劣等感があった。ヨーロッパにたいして、あるいは天皇制を戴いて二〇〇〇年の歴史を持つ日本にたいしても劣等感を抱いていた。ところが彼らは、武器、金銭そして技術において、現代文明を席巻するのに成功した。そしてとうとう左翼同士の内ゲバでソ連の集団主義を滅ぼし、個人主義の勝利を確認するやいなや、彼らは歴史なきことへの劣等感を投げ捨てて、むしろ歴史のないことこそが技術的、金銭的そして情報的な勝利の秘訣なのだと居直った。これが二〇世紀末の九〇年代に顕著に進んだことである。

そういう意味で、アメリカは現代のヴァンダル族だといわざるをえない。ゲルマンの一部族のヴァンダル族は、わけもわからぬまま、とにかくローマの古いものなら壊せと蛮行の限りを尽くした。そうした理由なき文化破壊のことをヴァンダリズムというが、昔からその傾向のあったアメリカが、とうとう二〇世紀の末に至って、現代のヴァンダル族としてこの地球に巨大な破壊を仕掛けている。

2014年7月26日

引用文(内田樹7)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 03:18

「週刊現代」 2011年1月15日22日合併号より。

・・・・・いまメディアの劣化によって、若い人たちの「メディア離れ」が急速に進行しています。新聞も読まない、テレビも見ない、もちろん週刊誌も読まない。必要な情報はすべてネットで手に入ると彼らは豪語します。

メディアの質が下がっているのは事実です。でも、マスメディアに背を向ける人々が、ネット上に氾濫する情報の中から良質なものとデマゴギーを識別する訓練を受けているわけではない。

そのことを僕は懸念しているのです。

ネット上には、マスメディアであれば常識や慣行や市場の淘汰圧などによって排除されていたはずの空疎なデマゴギーがほとんど制限を受けることなく流布しています。

デマゴギーはしばしば「マスメディアが抑圧していた不都合な真実」を名乗ります。その名乗りの当否を吟味できるだけの批評的な訓練を受けていない人々に向けて無数の情報が浴びせかけられている。

そのほとんどは匿名のものであり、生身の身体によって担保されている情報をネット上で探すのは、砂漠から砂金の粒を拾い出すほどむずかしい。

僕はこの現状を手放しで喜ぶ気になれません。

これまで凡庸で定型的なマスメディアを批判してきた知的な人たちは、これからもネット上にあふれる情報をてきぱきと処理してスマートに生きてゆくことができるでしょう。

彼らはいわば「マスメディアを上方に離脱する人々」です。けれども、その一方に、「マスメディアから下方に離脱する人々」も出てきています。

彼らはマスメディアの提供する定型的言説さえ実は理解できていなかったのに、「マスメディアの情報はクズばかりだ」という批判の言葉だけは丸呑みしてしまった。

つまり、今マスメディアから「情報貴族」と「情報難民」という二つの社会集団が離脱しつつあるということです。

僕たちが問題にしなければならないのは後者です。彼らはシンプルで薄っぺらな物語に簡単にアディクトしてしまう。その傾向はマスメディアが助長してきたものです。

その一方で、マスメディアに対する不信はネット上に氾濫するメディア批判の言説から学習してしまっている。この社会集団はまだ少数にとどまっていますが、急速に増加しつつあります。彼らは紛れもなくマスメディア自身が生み出した存在です。

「不都合な真実」でさえあれば何でも信じてしまうこの「自分には批評性があると思い込んでいる軽信者たち」の増大をどうやって抑止するか。

僕はそれがマスメディアの喫緊の課題だろうと思っています。

内田樹 他 『有事対応コミュニケーション力』(技術評論社)より。

・・・・・今はどんどんメディアが多様化していき、良質な情報にアクセスできる人は、かつてのような日刊紙とNHKのニュースだけから情報をとる時代と比べて、桁違いに良質な情報を手に入れることができる。でも、その対極に、そもそも新聞さえ読まないという人が大量に発生している。「ふつう誰でもこれくらいのことは知っているだろう」という情報における中流のラインというのが消滅しつつある。

情報における下層の人たちは自分の個人的な興味でネットから適当にトピックを選んで、流言飛語の類も含めて、そういうものを真実だと思い込んでしまっている。

僕は「情報難民」と呼んでいますけれども、彼らはもう新聞を読まない、テレビのニュースも見ない。ネットにだけアクセスする。

たしかにネット上には他では得がたい有用な情報も飛び交っていますけれど、同時に99%はジャンク情報なわけです。ネット上で良質な情報を選択的に拾い上げるためには、高いメディア・リテラシーが要るのだけれど、そのような能力を育成するチャンスはほとんど提供されていない。

でも、ネットにおける情報難民たちは、自分たちが選択している個人的なバイアスがかかりまくった流言飛語の類をしばしば「良質なインサイダー情報」だと勘違いしている。マスメディアが報道しない、新聞にもテレビにも出ないから、「これこそ真実なのだ」という逆転した推論を行っているわけです。

ネット上の情報では「市場の淘汰圧」が機能しない。マスメディアは一応商売だから、市場に流布させるだけの価値があるかどうかについて事前のスクリーニングをかけているけれど、ネット上の情報は商売じゃないから、誰もチェックしない。その結果、「マスメディアには絶対載らないジャンクな情報」が「マスメディアでは絶対報道されない極秘情報」と同一視されるという混乱が起きる。そして、情報難民たちはジャンク情報を極秘情報だと勘違いする。それによってますますメディア・リテラシーの格差がきわだって、情報の階層性が再生産される。この情報格差の進行はたいへんな勢いで進んでいると思います。

もともと日本は、情報に関してはかなり非階層的な、フェアな社会だったと思うんですよ。かつて、日本にはクオリティペーパーがないとよく言われました。知識人たちは日本には『ル・モンド』や『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』のような新聞がないと怒っていました。でも、それは情報の階層性ということを見落とした議論だと思う。『ル・モンド』なんて実売35万部ですからね。フランスは総人口6000万人ですから、『ル・モンド』のようなクオリティペーパーを理解できるのは人口の5%くらいということなんです。階層ごとに読む新聞が違う。左翼は『リベラシオン』、右派は『フィガロ』、市井の人は『フランス・ソワール』やスポーツ新聞を読んで、もっと階層が下の人たちはそもそも字がよく読めないから新聞なんか読まない。そういうかたちでメディアが階層化している。階層化しているから「上質なメディア」もありえたわけです。日本にクオリティペーパーがなかったのは、知的にも1億総中流だったからです。数千万の読者がだいたい同じようなレベルの、同じような質の情報を享受できていたわけです。これが日本の高度成長を支え、市民道徳を支え、出版文化を支えてきた。でも、そのシステムがいま瓦解しようとしている。ヨーロッパほど階層が静態的ではないから、今非常に流動性が高いままに、情報格差と階層化がリンクしている。僕はそちらのほうにずっと危険性を感じるんです。

マスメディアにさまざまな欠点があることは僕も認めます。多くの点で上杉さんのマスメディア批判に僕も同意するんですけれど、ああいう種類の惰性の強いメディア、ある範囲内にすべての出来事を押し込めてしまって、体制の根幹を覆すような情報を隠蔽し続けるという抑圧的なメディアは実は「体制の重石」としても機能していたわけです。プラスとマイナスは表裏一体です。このあと、マスメディアが没落し、民放テレビのいくつかがなくなり、新聞は部数が激減し、日本のマスメディアがなくなった後に起こるのは、情報のデモクラシーではなく、むしろ情報のアナーキーだと僕は思います。

そして、アナーキーな情報環境でいちばん収奪され、いちばん苦しむのは、情報のアナーキーをもろ手を挙げて歓迎している当の情報難民たちなんです。

情報難民の大量発生というのは、言い換えると「世の中の成り立ちがよくわからない(でも、本人は熟知している気になっている)人たち」が大量発生するということです。

これはきわめて危機的な状況だと僕は思う。だから、僕はメディアの人に会うと苦言を呈するんです。もう少しこの層のことをまじめに考えて欲しい、と。ジャーナリストの諸君が失業するのはしかたない。自己責任なんだから。

でも、日本の情報格差がこのまま進行して、世の中の成り立ちについても、人の道についても、何もわかっていない大量の若者たちを抱えこんだときに、私たちはいったいどうすればいいのか。その社会的コストを誰が負担するのか。

そのことをもう少しまじめに考えてもらいたい。じゃあ、どうすればいいんだと訊かれても、僕にはかばかしい答えがあるわけじゃないんですけど。

 

 

大長編を含む文学の読書に集中したいのと、他の分野でもノートを書き溜めないといけないので、また当分の間更新を停止させて頂きます。

再開未定です。

2014年7月15日

引用文(西部邁11)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 16:11

西部邁『無念の戦後史』(講談社) 「32 IT革命」より。

前世紀末から今世紀初頭にかけて、IT革命なるものが、世間の耳目を集めるような派手さで、繰り広げられました。

パーソナル・コンピュータ、携帯電話、ロボットなどの情報媒体が普及し、またインターネットを代表とする情報のシステムも拡大されています。

たしかに、インフォメーション・テクノロジー(IT、情報技術)が急進的に効率化されるだけでなく、それが社会全体に急激な変化を惹き起こしました。そういわざるをえないような現象が、先進諸国のみならず後進諸国にも休みなく発生しているかにみえます。

しかしその(大衆化という意味での)「革命」は、次の二つの意味で、「大破壊」にすぎません。

一つに、短期的でみれば、また局所だけを眺めれば、ITによる情報交換の効率化は社会にとって有益と断言できそうに思われます。たとえ新たなITの導入で社会から排除される(失業者のような)者が増えようとも、ITが彼らに新たな活動の場所を創り出してくれる、と考えればなおさらです。

しかしITの安易な導入は、短期および局所にあってすら、ITで操作しやすい(パターン化されているという意味での)「技術的」な種類の情報のみを増やしてしまいます。

そのせいでHO(ヒューマン・オーガニゼーション、人間組織)におけるチームワークが破壊されていきます。それは、アメリカで個人のパフォーマンス(成果)のみを基準として賃金を払うという成果主義が失敗している、という事実によくみてとれます。

二つに、長期でみれば、また大域を眺めれば、ITが有効なのは「確率的に予測される未来」についてだけです。

そんな場合があるとしたら、(たとえば金融取引のように)たった一ヶ月であるにもかかわらず何百回ものプレイが同一のルールの下で行われるので、そこに確率めいた事態が発生する、というごく限定された場合だけです。

非確率的な未来にはまずもってHO(人間組織)が当たらなければならないという真実をIT革命論は無視しています。

HOの崩壊を伴うITの繁殖は、むしろ、不法と不徳の温床だといったほうがよいのではないでしょうか。

実際、企業犯罪や性犯罪が多発しているという現在の状況の背後には、社会がITの発達と普及を統御できなくなっているという事態があるのです。

とくにインターネットは、アノニミティ(匿名性)を許すことが多いので、犯罪や不道徳を助長します。

詐欺や中傷の飛び交う場所、それがインターネットだといってさしていいすぎではありません。意見を作る努力をしないで意見を吐いてもよいとみなされている場所の見本、それがインターネットである、といってさして誇張ではないでしょう。

インターネットにせよ携帯電話にせよ、民衆がいわゆる「双方向コミュニケーション」に向かうので、政治の方面では世論の、そして経済の方向では市場の、そして文化の方向では欲望のヴァイタリティ(活力)を増大させ、そしてそれが社会全体の民主化を促す、といわれております。

それは大いなる誤解です。というよりその民主化における「民」が、ITの異常発達のせいで、「公民」ではなく「私民」にますます転落していっているのです。

私民化の実態についてくどくど解説する必要はありますまい。少年たちが異常性欲の映像に見入っている、少女たちが公共の場所で化粧に励んでいる、大人たちが自分の会社のこと以外には話題を持たない、あるいは自分の子供のほかには人間というものに関心を払わない、テレビのスラップスティック(どたばた)をぼんやり眺めているのが唯一の娯楽である、といった光景が果てしもなく広がっています。

「メディアはメッセージである」(マーシャル・マクルーハン)という言を今こそ思い起こすべきではないでしょうか。「メディア(媒体)の使い方が問題なのであって、メディアが技術的に発達することそれ自体は歓迎すべきことである」というのが大方の意見のようです。しかしそれは人間の本性にかんする誤解にもとづいています。

たとえばインターネットでいうと、そこには情報の「断片」が網羅されており、それを「急速」に取り出すことが可能です。つまりそのメディアの存在によって「意味」されているメッセージは、断片的な具体情報を、その刺激力と流通力に期待をかけて、急速に他者と交換するのが現代人の生き方であるべきだ、という価値観なのです。

そしてそこで犠牲にされているのは、様々な具体的情報を何ほどか統一的に関連づけることを可能にする解釈の規則、なかんずく価値の体系なのです。

つまりIT革命それ自体が人々のパブリック・マインド(公心)を縮小させ、プライヴェート・マインド(私心)を肥大にしているということです。それが人間精神をヴァイタルなものにするとはとうてい思われません。

公心は人格心(にもとづく自発的な価値表現)と規律心(にもとづく自覚的な規範受容)とから成ります。そして私心には情緒心(にもとづく閉鎖的な自我意識)と帰属心(にもとづく受動的な服従態度)とから成ります。

前者が薄まり後者が濃くなるのがプライヴァタイゼーション(私民化)にほかなりません。私民の活力なんかは、人格と規律(価値と規範)に欠けているため、しょせん自己のうちに自閉したり他者の命令に追随したりするだけのことなのです。

革命(大衆化)を期待する心性そのものが活力において不足していることの現れであることに気づくべきではないでしょうか。自分のうちに精神の躍動を感じることができないため、自分の周囲に大変化が起こってくれれば自分も積極的に活動することができるかもしれない、とそれら革命主義者は願望するのです。

人間精神の活力は、むしろ、おおよそ同じことを「反復」する行為に見出されます。

反復が可能なのは、その対象にゆるがせにできない意義があると考えればこそです。また反復のなかにおのずと生じてくる微妙な差異に格別の意味があると思えばこそなのです。換言すれば、物事を「保守」することに活力の上昇を感じ、それを「革新」するのは活力の低下を覚える、ということです。

いうまでもありませんが、私心が悪くて公心がよい、などといっているのではありません。

情緒心に乏しい人格は偽善者のものですし、帰属心に欠けた規律は官僚人のものです。健全な人間は、自分のうちに情緒心と人格心の葛藤があると意識します。それゆえ、自分のおかれた状況のなかで両者を平衡させるべく「思索」するのです。また帰属心と規律心を折り合わせるべく、人々は集団のおかれた状況のなかで「議論」しなければならないのです。

IT革命は「思索と議論」を深めるのに貢献しているでしょうか。

逆です、断片情報で思索に中断を強いる、情報の急速伝達で議論に打ち切りを迫る、それがIT革命なのです。

そこで「チャット」(雑談)が行われていることをもって思索と議論の豊饒化とみるのは手前勝手な見方です。個人の思索にも集団の議論にも、安定した感情と確実な論理が不可欠です。チャットやらにそうした感情と論理を期待すべくもありません。

現代の文明状況が不安定な感情によって動揺させられ、不確実な論理によって振動させられていることは誰の眼にも明らかです。戦争のような大状況に始まり幼児虐待のような小状況に至るまで、現代文明を特徴づけているのは(庶民ではなく大衆の)感情の当て処のない漂流です。そして(知識人ならぬ専門家の)論理の筋道を欠いた彷徨なのです。

文明は、その絶頂において、深い憂愁と重い虚無にとらわれているといってよいのではないでしょうか。

あらゆる思索が明朗さと力強さを失って単なる屁理屈と化し、すべての議論が真摯さと活発さを失くして単なる御芝居に落ちています。

この文明の堕落を表象してくれているのがデモクラシー(民衆政治)ならぬマスクラシー(大衆政治)なのです。

マスクラシーは、右手に(擬似大衆化した)専門人のために新聞・テレビ・雑誌などのマスメディアを、左手に(擬似専門人化した)大衆人のために携帯電話やパソコンなどの最新のITを携えています。そして、マスマン(大衆人)とスペシャリスト(専門人)の連合軍に敵対する一切の勢力を殲滅すべく、大行進中であります。

「馬鹿は死んでも治らない」といえばそれまでですが、そんな時代に生まれてくる子孫には、如何ともし難く、同情を寄せざるをえないのです。

2013年7月31日

引用文(西部邁10)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 15:46

西部邁『文明の敵・民主主義  危機の政治哲学』(時事通信社)より。

ハイエクは、1950年代にアメリカ(の自由主義の牙城であるシカゴ大学)に滞在したときに、リベラリズムは、西欧では警戒されアメリカでは称賛されているということに気づきました。コンサヴァティヴィズム(保守主義)が、西欧では伝統の擁護であり、アメリカでは(伝統を破壊するしかなくなる)個人主義的自由主義の弁護である、ということについても認識しました。ハイエクは、社会秩序をスポンテニアス・オーダー(自生的秩序)であるべきだとみなした点で、正統の保守思想家だと思われます。しかし、全体主義に抵抗するのをみずからの使命と考えていた彼は、市場における自由な変化の創造がかならず社会的な調和に至る、という進化論に傾きすぎていたと思われます。そのせいで、保守思想を「変化を嫌う」考え方として片づけてしまう嫌いがありました。変化の創造は危機の創出でもある以上、「政府の介入」による「自由への抑制」は不可避だ、ということをハイエクは過小評価してしまったのではないでしょうか。その点では、ジョン・メイナード・ケインズのほうが、「現代の危機」をより深く感じとっていたといえます。

西部邁『大衆への反逆』(文芸春秋)より。

・・・・・反ケインズの潮流が大衆にたいする全幅の信頼を偽装してケインズの選良主義や計画主義やを攻撃してみせるとき、私は、「ちょっと待ってくれ、ケインズ主義はほかならぬ大衆の要求したものなのだ、かれはそれに疑心をひた隠しながら律儀に応えつづけただけではないのか」と反論したくなる。

・・・・・コンヴェンション(慣例)という社会の地面が大衆の重みによって抜けていく感覚とそこで生じる墜落の感覚とに抗してなおも前進をつづけるためには、計画的理性の英知を動員して道路工事をおこなわなければならないし、また、その種の英知のとどかぬ遠未来において道路が那辺に通じるかなど瞑想している暇はない。ケインズの不安と不安ゆえの勇気とはこのようなものであった、と私は思う。「長期的にみると、われわれはみな死んでしまう」という片言隻語は、社会不信に陥った不安な心性がかえって社会的責任への勇気を培養するという心理的葛藤の表現なのであろう。「人間の本性は理性的である」という経済学の通念を信じられないかれが、かえって理性知の極致ともいうべき社会計画に傾くのも同じ種類の葛藤であろう。

・・・・・ケインズ自身の心臓発作が死に至る病であったのにも似て、大衆社会の痙攣が一過性のものであるはずがない。むしろ、ポスト・ケインズの時代にあっては痙攣こそが常態であるようにもみえる。そんないま、それじたい痙攣の一種にほかならぬ反ケインズの嵐がケインズですらもちえた不安や懐疑を吹き飛ばしていく。ケインズは大衆人のことをなにかしら奇怪で不穏なものと感得した。しかしそんな感性は、賞讃され慰撫されることをひたすら欲する大衆人の受入れるところではない。まして、ケインズにおける不安や懐疑の不徹底こそ痙攣を慢性化させる原因なのだ、などと大衆人は考えはしない。たとえそう考えても、それを認めてしまうと、目前の幸福や平等に水が差されてしまうからである。大衆に迎合する言論、それが大衆の歓迎する言論にほかならない。

西部邁『思想の英雄たち』(文芸春秋orハルキ文庫)より。

ハイエクが保守主義者になれなかったのは、自生的な(慣習的)秩序がいわば自生的に破壊されることもありうる、という疑念を持ち合わせなかったからである。自生的秩序は、全体主義者や合理主義者が社会を計画的に編成しようとして行使する「設計主義[コンストラクティヴィズム]」によらなくとも、崩壊しうる。つまり人々が自発的に、急激かつ広範に、新しいものに飛びつき、そのせいで「習慣、伝統、道徳」が壊されていくならば、産業制における市場機構であれ民主制における投票機構であれ、不安定に動揺し、その挙句、設計主義によって社会を安定させようとする“隷従への道”すらが敷かれることになるのだ。いいかえると、自生的秩序はいつも不安定均衡状態にあるのであって、その均衡にとどまりつづけるには、新しいものにたいする十分な警戒心が必要だということである。保守主義は、変化をまったく拒絶するというのではまったくないが、グラデュアリズムつまり漸進主義の態度をもって変化に対応しようとする。ハイエクにあっては、この態度が希薄なのである。

彼の全著作を読み通すと、とくに「習慣、伝統、道徳」へのこだわりにおいて、彼は変化におけるラディカリズムつまり急進主義に同調してはいなかったのであろうと推察される。その意味で彼はほとんど保守主義者である。しかし、社会主義や福祉主義に抗して市場機構を守り通すのが彼の言説の政治的な目的であった。それゆえ、市場の表層における過大なイノヴェーション(革新)が、その深層に横たわっている「習慣、伝統、道徳」をも傷つけるほどに、激しく回転するという事態――それが高度技術および高度情報の大衆社会である――には無頓着であった。いや、L・ヴィトゲンシュタインを従兄に持つというその出身からも推測できるように、彼が大衆化の荒波が高まりつづける今世紀[20世紀]の状況に心安らかであったはずがない。おそらくは、全体主義に逆らう動きをまずもって肯定するという政治的な構えにもとづいて、彼は大衆社会への嫌悪を心のうちに隠したのであろう。要するに、良かれ悪しかれ、ハイエクは隠れ保守主義者であったと私には思われるのである。

・・・・・・・・・・

・・・・・ハイエクの書物は競争主義者や市場主義者にとっての聖典となりつつある。しかし、はっきりさせておかなければならないのは、彼が位置している地点はアメリカ流儀の個人的自由主義とは大きく隔たっているということである。

ハイエクにあって個人は、心理の隅から行為の果てに至るまで、コスモスという自生的秩序のなかでまず当初から他者と関連づけられている。個人が原子として孤立していて、次におのれの利己的利益を求めて市場に出向く、というのではないのである。

「人間は賢明であったために新しいルールを採用したのではなかった。人間は新しい行動ルールに服従することによって、賢明になったのだ。きわめて多くの合理主義者が次のような最も重要な洞察にいぜんとして反対し、迷信という汚名を着せる傾向さえある。その洞察とは、人間は言語から道徳や法に至るまでの人間の最も有益な制度を単にけっして発明しなかっただけでなく、今日でも、それらの制度が人間の本能も満足させていないのに、なぜそれらを保持しなければならないかがまだわかっていないということ〔である〕。文明の基本用具――言語、道徳、法および貨幣――はすべて、設計の結果ではなく、自生的生長の結果である。また、法と貨幣については、組織された権力がそれらを支配し、徹底的に腐敗させてしまったのである。」

このように、ルールという全体的な仕組のなかに人間をおくという意味で、ハイエクはある意味で全体論者であるということすらできる。ただしその全体論は社会の設計にかんするものではない。つまりハイエキアンを自称するものは、アメリカ流の個人主義的な方向での合理主義とロシア流の全体主義的な方向での合理主義とにともども反対しなければならないのである。そして、いうまでもないことだが、極端に私的なものとしての恋愛や極度に公的なものとしての軍事といったような、市場化に馴染まないものについてまで強いて市場機構を設計しようとするアメリカ流のやり方もハイエキアンの採る途ではない。

ハイエクがアメリカ的な経済学の主流と懸け離れているのは、その全体論的(もしくは構造論的)な姿勢においてであることはいくら強調してもしすぎるということはない。たとえば、最近我国において「小さな政府」論や規制緩和論がかまびすしいが、それらの議論でかならず引き合に出されるのはハイエクの徹底した反政府・反統制の言説である。それはよいとしても、その市場主義がアメリカニズムとよぶのが適切なような個人主義の弁護論に流れていくのでは、ましてや“なすにまかせよ[レッセ・フェール]”の掛け声とともに社会の「習慣・伝統・道徳」の破壊に赴くようでは、それはハイエクのとは似ても似つかぬ市場論だといってよい。ハイエクのことをあえて「ある意味での全体論者」と形容したくなるゆえんである。

・・・・・・・・・・

そうだとするとハイエクは首尾一貫せる保守主義者だということになる。彼が保守せんとしたのは、もちろん、既存の秩序そのものではない。既存の設計された秩序の奥底にあって歴史をつらぬいて持続してきた自生的な秩序、彼が保守せんとしたのはそれである。逆にいうと、真正の保守主義者が権威や位階の体制を保とうとするのも、それら自体ではなく、それらに含まれている歴史の知恵とでもいうべきものを守らんがためなのだと思われる。

そう解釈してもなお私にはハイエクへの不満が残る。それは、近現代の市場経済は巨大な技術革新のうねりとなって発展しているのであり、それゆえ市場が大いなる不確実性の発生源になっている、ということについて、ハイエクが等閑視しているということだ。たぶん、そのことを承知の上で、彼は市場機構を礼賛しつづけたのではあろう。反ソ、反ナチの思想的闘士として彼はそうしなければならなかった。その点を省いてみてはじめて、彼は鮮烈な保守主義者としての風貌を表わしてくるのである。

引用文(クイントン2)および引用文(佐伯啓思2)引用文(佐伯啓思3)参照。

2013年3月6日

引用文(西部邁9)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 11:59

スティーヴン・ナッシュ(西部邁)『日本人と武士道』(角川春樹事務所)より。

ある日本の政治学者が、ある会議で、アメリカン・デモクラシーを称賛するその意図の下に、A・ド・トックヴィルの『アメリカにおける民主主義』を援用していた。私は、その場にいたほかのアメリカ人のようにはそれに頷いてはおれなかった。私の評価では、それはアメリカン・デモクラシーへの、というより民主主義そのものへの、懐疑の書なのである。

民主主義とは、しょせん、多数の人々が参加し、そして多数決で事を決める、という集団的決定の方式のことである。したがって、その方式が正当とみなされるためには、多数者の判断のほうが正当であるという根拠が示されなければならない。多数者の意志をふみにじると社会が混乱する、というのは納得できる根拠ではない。多数者の意志によって社会が混乱に叩き込まれるなら、多数者はたとえば独裁者に全権を委譲するということも起こりうるからである。実際、民主制のただなかから独裁制が登場してくるというのが歴史の教えるところでもある。

「百六十年前のアメリカにあって、多数者の判断に健全さを期待できるとしたら、そこに健全な宗教意識や司法意識があるからだ」とトックヴィルはいっている。しかしそうした健全さは、その後、失われてゆくばかりである。というより、すでにそのとき、トックヴィルは、アメリカ人が世論に合わせて行動しはじめていること、そしてその世論は新聞によって動かされていると見抜いていた。そうであればこそ、トックヴィルのみたところ、多数であることそれ自体が正当なのだとアメリカ人は考えつつあったのである。

それをよく示しているのが「多数決は知性に適用された平等理論である」という彼の民主主義批判である。なるほど、各人が平等の知性を有していると規定すれば、多数派の知性の量が少数派のそれを上回る、ということになる。なんと虚妄な理論であることか。人間の可謬性を認めてかかれば、一人だけが正しくて、他の一億人が間違っている、ということもありうるとしておかなければならない。そう考えるのが、正気の人間観および社会観というものである。アメリカ人は、フランス啓蒙思想の流れを受けて、理神論あるいは清教徒主義の影響を受けて、人間のいわゆる完成可能性を認めていたのだ。つまり、人々がそれぞれ神意を感受していたとするなら、知性に適用された平等理論も肯定できるということになるわけだ。

・・・・・・たしかに、どの国においてであれ、人民の資質について問うことなしに人民の政治参加を正当とするためには、人民には神意が授けられているとするか、あるいは人民は完成へ向けて進歩しつつあるとするしかないのである。人民の権利[ライト]は人民は正しい[ライト]という事実に根差している、という見方を社会の全域にまで押し広げたのはたしかにアメリカが最初ではある。しかし民主主義には、どの国におけるものであれ、民衆礼賛の強い傾向がある。だから、民衆の声は天の声、それが民主主義の応援歌となる。日本人の場合、その歌声が神学や哲学によって裏づけられるということは少なかったのではあろう。しかし、厳格な階級制が存在しなかったというその歴史的経緯のために、民衆頌歌の良き聴き手にはなったのだと思われる。

ただし、多数決によって神意が表現されるという仮構は、アメリカにあっては個人の良心に神意が宿るということだと受け止められる。それにたいして日本では、それは集団の道徳に天意が染み込んでいると解釈される。問題は、個人の良心にせよ集団の道徳にせよ、歴史という媒介項なしに直接に神や天から下されるものであるか、ということであろう。日本では、少なくとも半世紀前までは、その媒介項の大切さが認められていた。アメリカではどうであったろうか。いわゆる「建国の父祖たち」にあっては、共和派であり親仏派であったT・ジェファソンやJ・アダムズであれ、連邦派であり親英派であったA・ハミルトンであれ、西欧の歴史を受け継ごうとしていた。西欧自身は、その歴史を貴族階級の既得権益のために、投げ捨てんとしていた。そういう西欧に逆らうのがアメリカ建国の精神であった。

しかし、トックヴィルがみたのはいわゆるジャクソニアン・デモクラシーである。1830年代、政治家とジャーナリストが結託して、一方では民衆を煽動し他方では民衆に迎合するというアメリカン・デモクラシーの方向が確立された。そのあたりから、歴史的な価値や規範から無縁であろうと努めるのがアメリカニズムだということになった。そして、その「反歴史」主義が最高度の実力を発揮していた段階のアメリカに日本は戦争を仕掛け、というより戦争に誘い込まれ、大敗北を喫したのであった。

たとえばハミルトンにあっては、政治は少数の賢者によって指導されるべきだ、という見解が表明されていた。ジェファソンはそれに逆らいはしたが、それは独立自営農民が確実に賢者に近づくであろうと想定した上でのことである。A・ジャクソンまでくると、賢者と愚者を区別する必要すらが否定され、多数性そのものが国家の正統性と政府の正当性を構成する、とされた。

私の聞かされた日本の国造り物語になぞらえると、ジャクソンが「瓊瓊杵尊[ににぎのみこと]」として天孫降臨された国、それが戦後日本なのではないか。

2012年5月6日

引用文(西部邁8)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

西部邁『大衆への反逆』(文芸春秋)より。

 

経済成長は虚妄であるということについて貴方に同意してもらわなければならない。なぜなら、それは、市場における金銭計算以外の何ものをも意味しないからである。経済成長は福祉の手段にすらなりえない。なぜなら、目的(福祉)と手段(成長)とは内面的にも結びついているのであって、経済成長という手段を公認すれば、そこから思いつく目的は(手段の性質に相応した)市場的富の増大にすぎない。市場的富が技術的次元をこえた価値をもちうるのは、それが人々の(文化的)価値観、(社会的)慣習・伝統および(政治的)イデオロギーと合致している場合である。もちろん、市場の金銭計算においてたたき出されてくる数字そのものが価値であり、慣習であり、イデオロギーであると人々がみなすような状況も考えられる。むしろ、現実はそうした徴候を露わにしつつあるといえよう。

しかし、この種の心性は健康であろうか、それとも病的であろうか。それを判断する基準などア・プリオリにあるわけがないという意見がむろんありえて、それによって、現在において人々が価値だとみなしているものが価値なのだという刹那主義の立場が強められもしよう。ただ、私には、次のような想像が思いのほかリアルである。つまり、まったく仮の話であるが、もし、われわれの祖先が生き返ってきて、われわれの生活をみたら、かれらのうちの相当の部分が、自分たちが精神病院に舞い降りたのだと思うにちがいない、という想定である。貧窮のうちに四〇歳で生を終えた農奴ですら、自分の子孫がカップヌードルを食し(私も妻が病気のときは子供といっしょにウマイ、ウマイとほおばるのだが)、夜十一時をすぎれば裸身の女たちの映る小さな四角い画面に見入り(私は、ごく最近になって、テレビを放逐することに成功したのだが)、翌朝となればけたたましい自動車の騒音と満員電車の押し合いへし合いのうちに顔も心も体も歪ませているという様を見やれば、哀れな子孫のために涙するのではないか。

ある価値観を絶対視することは危険であり煩わしくもあるが、あらゆる価値を極端にまで相対化してしまうのもどうかと思う。エドワード・ミシャンという経済学者が、「失楽園」と「スーパーマン物語」のあいだに質の高低・優劣をつけるべきではないという類の価値相対主義を批判したそうだが、私もその批判に同意せざるをえない。シェークスピアの劇は、よほどにこれ見よがしの演技の場合は別として、やはり、ストリップ・ショウよりも高級なものだとしなければ、演劇の概念やそこにおける秩序すら不明になるのではないか。経済成長の生み出してきているもののうちには、公害などの負の財はもちろんのこととして、いわゆるgadget(ちょっとばかり工夫をこらした、主としてメカニックな、しかしガラクタとよばれても仕方ないような附属品)が多すぎるのである。その生産・流通・消費のために有限の資源が費消され、社会がいっそうテンスになり、おまけに大衆の選好が低級になっていくのだとしたら、経済成長の意味を懐疑しない方が不思議なのである。かりにわれわれの子孫が未来から帰ってきてわれわれと対話するとしたら、われわれを呪うものも少なくないであろう。先祖はもういないし、子孫はいまだにいないという現在だけをみれば、何ひとつ憂うべきことはないと貴方がいうのなら、私は次のようにいいたい。過去から未来を回顧・展望し、そして他者と自己との広い繋がりを意識せざるをえないところに人間の特徴的条件があるのであって、その能力を喪失する傾向はやはり狂気の症状なのだ。狂気といって言いすぎであれば、極楽蜻蛉だということである。

Older Posts »

WordPress.com で無料サイトやブログを作成.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。