万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年4月30日

井上浩一 『ビザンツ皇妃列伝  憧れの都に咲いた花』 (白水社uブックス)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 04:26

「ビザンツ史の本っていつから追加してないんだ?」とふと思ったので、書名一覧を見たら、中公新版世界史全集井上浩一 栗生沢猛夫『ビザンツとスラヴ』を2008年10月に記事にしたきりで、絶句してしまった。

十年って・・・・・。

ギボン『ローマ帝国衰亡史 7』での

われわれが東帝国の衰亡の過程に一層深く立ち入るに応じて、次々に続く皇統の年代記は一足ごとに一層実りの乏しい憂鬱な作業を私に課すことになり、この種の年代記は退屈極まる衰弱と悲惨の千篇一律な物語の反復の連続になるに違いない。

という言葉に同意する気は必ずしもないし、ギボンがこの文章の後に記す帝位の有為転変も、実際に読んでみると面白いと思わないことはないが、正直好きな分野ではない。

しかし、いくら何でも間隔が空きすぎており、それで何でもいいから追加しようと思ってこれを選んだのだが、本書は上記『ビザンツとスラヴ』および『生き残った帝国ビザンティン』と同じく井上浩一氏の著書なので、良書であることはほぼ保証済みでしょう。

タイトルだけ見たら、たぶん読もうとは思わなかっただろうが、井上氏の本ということで選択。

ビザンツ全史から8人の皇妃を取り上げ、簡略な伝記的叙述を行いつつ、ビザンツ通史の役割も果たしている。

以下、その8人。

 

 

1.エウドキア

初代東ローマ皇帝アルカディウスの子テオドシウス2世の妃。

アテネの異教徒哲学者の娘で、元の名はアテナイス。

テオドシウスの姉プルケリアが独身を誓い、キリスト教的権威を背景に宮廷で実権を握る。

(かつて、その母エウドクシアも夫アルカディウスを補佐して政治に介入していた。)

異教徒への厳格な措置とササン朝ペルシアへの強硬策失敗が不満を買い、異教的古典文化を重視する「伝統派」が台頭、エウドキアはそれを背景に皇妃に選ばれたものと見られる。

431年エフェソス公会議にて、キリストの人性を強調し、聖母マリアを「神の母」と呼ぶことに反対し、暗黙裡に女性であるプルケリアの政治支配も批判する、厳格なネストリウス派が異端と認定。

プルケリアとの争いに敗れたエウドキアは自身もキリスト教信仰に目覚め、エルサレムに巡礼、夫婦仲も冷え、のちにエルサレムで二十年近く過ごす。

宦官によって一時宮廷を追われたプルケリアは、キリストの神性を強調する単性論論争をきっかけに復帰、450年テオドシウス2世が死去すると、マルキアヌスという元老院議員と形式上の結婚をして次の皇帝に立てた。

451年カルケドン公会議でローマ教皇の支持も得て、単性論が異端とされた。

当時エルサレムで存命中のエウドキアは単性論派ら異端や異教徒、ユダヤ人に寛容を旨として接したという。

453年プルケリアが死去、西ローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世と結婚していたエウドキアの娘リキニアが455年ヴァンダル族のローマ掠奪によってアフリカに連れ去られ、460年エウドキアも死去。

その生涯は古典文化とキリスト教、古代と中世への移行期を象徴するものだったとされている。

 

 

2.テオドラ

ユスティニアヌス1世の妻として、歴代皇妃の中で最も有名。

532年首都で起こったニカの反乱に際し、夫を励まし断固鎮圧の意志を固めさせた見事が演説が伝えられる一方、歴史家プロコピオスの『秘史』では様々な醜聞が毒々しく記されている。

テオドラは劇場の見世物業者を父に生まれ、自らも踊り子として舞台に立っていた。

ユスティニアヌス自身が、伯父ユスティヌス1世と共に、一介の農民から成りあがった存在であり、テオドラの生まれも、社会的流動性が極めて高い当時のビザンツ帝国ではさほど異常なこととは見られなかった。

テオドラは、「パンとサーカス」を求める首都の大衆社会、女性の地位向上、皇帝専制政治確立を象徴する存在であり、それが教会人とプロコピオスの非難に繋がったと思われる。

 

 

3.マルティナ

伯父であるヘラクレイオス帝と結婚、近親婚の非難を受ける。

カルタゴから艦隊を率いて暴君と言われるフォーカス帝を打倒し、首都の歓呼の中即位したヘラクレイオス帝だが、最初の妻を亡くしてからは無気力に陥り、ササン朝にエルサレム、シリア、エジプトを奪われ、帝国は崩壊の危機に瀕する。

しかし、マルティナとの結婚を機にヘラクレイオスは胆力を取り戻し、ペルシアの都クテシフォンに進撃、シリア、パレスチナ、エジプトを奪還。

この復活劇はギボンを読んでいて極めて印象的だったのだが、それも束の間、イスラム信仰に燃えるアラブ軍の侵攻を受け、636年ヤルムーク河畔の戦いに敗北、シリア、エジプトは失われる。

641年ヘラクレイオス死去、最初の妻との子コンスタンティノス3世が即位するが病弱でわずか百日余りの在位で死去、マルティナの子ヘラクロナスが跡を継ぐが、3世の子コンスタンス2世を推戴する反乱が勃発、マルティナは舌を切られ、ヘラクロナスは鼻を削がれて、両者とも追放されるという悲惨な結果となる。

本書は、マルティナがコンスタンティノスを毒殺したという説には根拠が薄く、一族の帝位争いというより、皇帝専制体制に伴う党争にマルティナらは意図せず巻き込まれたとの見方を示している。

 

 

4.エイレーネー

ビザンツ史上最初の女帝。

イサウリア朝始祖で聖像禁止令を発布したレオン3世の子がコンスタンティノス5世。

その子レオン4世の妃として選ばれる。

775年レオン4世が即位したが病弱で死去、エイレーネーの子コンスタンティノス6世が9歳で即位、エイレーネーが摂政として実権を握る。

聖像崇拝を慎重に復活させ、正教信仰の擁護者としての名声を得る。

成長したコンスタンティノス6世が母に不満を持ち、エイレーネーを幽閉して実権を取り戻したが、ブルガリア遠征に失敗、離婚と総主教の非難で人心が離反すると、エイレーネーによってコンスタンティノスは捕らえられ、何と実母の命令で目をくり抜かれてしまう。

797年エイレーネーが皇帝即位。

アッバース朝ハールーン・アッラシードの軍勢に敗北、ビザンツが女性皇帝となったのを見たローマ教皇レオ3世はそれを口実としてカロリング朝フランク国王のカールに帝冠を授与。

カール大帝とエイレーネーの結婚による東西ローマ帝国の再統合という驚くべき計画が持ち上がると、それに反発する勢力が802年宮廷クーデタを起こし、ニケフォロス1世が即位、エイレーネーはレスボス島に流され翌年死去。

再度始まった聖像破壊運動は長続きせず、聖像崇拝が復興、エイレーネーは名誉回復し聖人とされた。

 

 

5.テオファノ

二人の夫を始め多くの親族を殺したと疑われ、稀代の悪女と呼ばれてきた皇妃。

時代はバシレイオス1世に始まるマケドニア朝。

テオファノは酒商人または酒場の娘として生まれ、その低い生まれにも関わらず、外戚の政治介入を避けるため、前述のエイレーネーが創案したと見られる「皇妃コンクール」によってか、コンスタンティノス7世の皇太子ロマノスの妃に選ばれる。

956年即位したロマノス2世は放蕩的生活を続けたが、帝国は最盛期を迎えており、クレタ島とシリア諸都市を奪還。

963年ロマノス2世が急死したが、これをテオファノによる毒殺とするのは余りにも根拠薄弱とのこと。

テオファノの二人の子バシレイオス2世とコンスタンティノス8世がひとまず跡を継いだが、この時代、皇帝専制政治を支える官僚群と地方有力貴族の対立が激化しつつあった。

間もなく、後者を代表するニケフォロス・フォーカスが自らを皇帝と宣言、首都の市街戦に勝利し、ニケフォロス2世として即位、二子の後見役として君臨、さらにテオファノと結婚。

対外遠征に成功してイスラム勢力を押し返し、キプロス島、アンティオキアを占領するが、厳格な軍人皇帝が実施する教会財産の制限と兵士優遇策に対し不満が鬱積、969年皇帝の親族のヨハネス・ツィミスケスがテオファノの手引きで宮殿に侵入、ニケフォロス2世を殺害してヨハネス1世ツィミスケスとして即位。

テオファノの悪行とされることの内、この二度目の夫殺害とツィミスケスとの愛人関係だけは事実であろうとされている。

ヨハネス1世は即位した途端、テオファノを体よく追い払い、ロマノス2世の妹と結婚。

この皇帝も引き続き、ブルガリア人などに対する対外的勝利を重ねたが、976年死去。

テオファノの子バシレイオス2世が帝位に就き、テオファノは都に戻ったが、おそらく間もなく死去したものと思われる。

マケドニア朝はビザンツの国力が頂点に達したとされるものの、その割にニケフォロス2世とヨハネス1世は即位の経緯に内乱が絡み在位期間も短いが、このバシレイオス2世は1025年まで五十年近く在位し、皇帝権を阻む貴族層を抑圧し、文字通りの最盛期を現出した。

テオファノの悪行とされるものも、専制体制の動揺と貴族層の台頭という時代背景が生み出したものが多いと評されている。

なお、もう一人、テオファノの子で歴史上極めて重要な役割を果たした人物がいる。

娘のアンナはキエフ公国のウラジミルに嫁ぎ、ロシアを正教世界に導くことになる。

 

 

6.エイレーネー・ドゥーカイナ

コムネノス朝アレクシオス1世の妻。

セルジューク朝の脅威が迫る帝国では、コムネノス家、ドゥカス家、パライオロゴス家、のちにアンゲロス家などの大貴族が実権を握り、帝位を奪い合うことになる。

1081年アレクシオス1世は帝位を奪って即位。

即位前に対立していたドゥカス家との和解・協力のためにエイレーネーと結婚。

伝統的な皇帝専制理念から離れ、大貴族との協力による国制を志向。

娘のひとり、アンナ・コムネナは『アレクシオス1世伝』を著した歴史家として有名。

本書には記載が無いが、もちろん第一回十字軍を招請した時代である。

1118年アレクシオス1世死去、子のヨハネス2世即位。

父と同様、軍事貴族の連合体制という国制を継続、帝国の安定と繁栄をひとまず実現した。

 

 

7.アニェス(アンナ)

アニェスはフランス王ルイ7世の娘で有名なフィリップ2世の妹。

ルイ7世の曽祖父アンリ3世がキエフ公ウラジミルの孫娘と結婚しているので、元々マケドニア朝ビザンツ皇帝の血をわずかながら引いている。

上記ヨハネス2世の子がマヌエル1世、その子アレクシオス2世とアニェスが結婚、アンナと改名。

11世紀末ビザンツ帝国の内政的変化と同時に、皇妃も支援目当てに外国から選ばれることが多くなる。

マヌエル1世はイタリア回復の夢を描き、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世と対立、フランス王国との対ドイツ連携の意図でアニェスの縁談がまとまる。

アレクシオス2世即位直後の首都での異母姉夫婦の陰謀をラテン人(西欧人)の力を借りて何とか鎮圧したが、帝室傍系のアンドロニコス・コムネノスが反乱を起こし、ラテン人への市民の反感を利用して首都に入城、アレクシオスを殺害しアンドロニコス1世として即位、自身がアニェスと結婚。

この数年後、第三回十字軍で東方へ向かった兄のフィリップ2世は、コンスタンティノープルには寄らず、アニェスに会わず。

1185年即位当初とは逆に、しだいにイタリア商人を始めとするラテン人優遇に傾きつつあったアンドロニコス1世に対して首都住民が反乱を起こし、イサキオス・アンゲロス(ドゥーカイナの娘テオドラの孫)が担がれイサキオス2世となり、アンドロニコスは市民に惨殺される。

そのイサキオス2世も1195年遠征中に捕らえられて目を潰され、新皇帝アレクシオス3世即位。

アニェスはその配下の一将軍と事実上結婚している。

イサキオス2世とその子アレクシオス4世は、第四回十字軍を呼び寄せ首都を攻略し復位したが、住民の不満を買い倒され、それを見た十字軍は総攻撃の後、コンスタンティノープルに再度入城、1204年ラテン帝国を建てる。

自身の甥に当たるブロワ伯ルイと会ったアニェスは「フランス語は忘れてしまいました」と冷たく答えたという。

1205年ラテン帝国軍はブルガリアに敗れ、ビザンツ亡命政権は息を吹き返し、ブルガリア、セルビアなどスラヴ人国家が乱立する情勢となった。

この状況の中で、アニェスもかつての祖国フランスと和解し、夫はラテン帝国に仕え、ブルガリア人と戦うようになったという。

 

 

8.ヘレネ・パライオロギナ

最後のビザンツ皇帝コンスタンティノス11世の母。

セルビア候家出身で、マヌエル2世と結婚。

末期のビザンツ帝国を脅かしたのはもちろん東はオスマン帝国だが、西ではセルビアがステファン・ドゥシャン大王の下、大成長しつつあった。

ドゥシャン死後は分裂、各君侯が勢力を競う情勢。

1261年コンスタンティノープルを奪回したミカエル・パライオロゴスがミカエル8世として創始したパライオロゴス朝も凄惨な帝位争いを繰り返してきた。

その争いがヴェネツィア、オスマンといった外部勢力を引き入れる形で行われ、マヌエル2世も甥を追い落とすために、オスマン帝国のバヤジット1世に臣従する始末となる。

1389年コソヴォの戦いでヘレネの父はオスマン側について同族と戦っており、オスマン朝がキリスト教信仰を認めている限り服従する姿勢だった模様で、ヘレネの結婚が反オスマン同盟のためと見ることはできないとされている。

マヌエル2世は西欧へ軍事支援を要請する旅に出るが、1402年ティムール軍に対するバヤジット1世の大敗によってビザンツ帝国は辛くも救われる。

マヌエル2世は巧みな外交を展開、オスマン朝の後継争いに際し、メフメト1世を支援して対ビザンツ強硬派の皇子に勝利させ、協調関係を確立。

続くムラト2世もビザンツとの友好関係を望んだが、マヌエルの皇太子ヨハネス(8世)らの対オスマン強硬論が台頭、対立スルタンを担いだが、この政策は完全に失敗、逆に二十年振りにコンスタンティノープルを包囲・攻撃されてしまう。

1425年マヌエル2世死去、ヨハネス8世は東西教会合同を条件に西欧の支援を求めるが、国内の反対も強く進展せず。

1448年ヨハネス8世死去、弟のコンスタンティノス11世即位。

1450年ヘレネは死去、1453年の帝国滅亡と息子コンスタンティノスの死を見ずに済んだ。

 

 

 

素晴らしい。

無味乾燥な年代記の記述を丹念に読み取りながら、出来る限り史実に則り、歴史学の基準を守った上での想像力を働かせ、歴代皇妃の生涯を生き生きと描き出している。

そしてそれが単に歴史的人物の個人的伝記であるに留まらず、時代背景の適格な説明により、ビザンツ史全体の史的概観をも与えてくれる。

テマ制とかプロノイア制の話とその最近の学説の変化などには触れるところがないが、大した欠点ではない。

予想した通りの良書。

この分野について、初心者は無理してあれこれ読まず、本書と冒頭に挙げた井上氏の二冊の本を再読・三読した方がいいかもしれない。

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2008年10月19日

井上浩一 栗生沢猛夫 『ビザンツとスラヴ (世界の歴史11)』 (中央公論社)

Filed under: ビザンツ, ロシア, 全集, 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

前巻でウンザリさせられたのとは打って変わって、この巻はとても良くできている。

平易かつオーソドックスな通史としてかなりのレベルに達している。

第1部のビザンツ史では、『生き残った帝国ビザンティン』と同じ著者だけあって、歴代主要皇帝の事績を述べる政治史を主軸にしながらも、社会史・文化史的記述も付け加えて、より視野の広い通史を提供することに成功している。

高校世界史に出てくるビザンツ皇帝と言えば、ユスティニアヌス1世、ヘラクレイオス1世、レオン3世くらいですか。

(私が高校生だった頃は、アレクシオス1世、バシレイオス1世・2世も聞いた記憶がありますが。)

本書に出てくる皇帝名をできるだけ記憶して、その後ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の後半部を熟読すれば、歴代皇帝全てを暗記するのも不可能ではないと思われます。

相当苦しいでしょうし、メモ・ノート使用が必須でしょうが。

第2部の東欧史に入っても、実に良好な出来。

各民族の起源、属する語族、侵入・定住の過程、王朝の成立とキリスト教の受容の経緯、しばしば見られる他国との王朝合同・同君連合のいきさつなどを詳細に論じている。

それが、教科書よりはかなり詳しく、しかし初心者が読み解けないほど煩瑣でないレベルの、実に絶妙な叙述。

私のように、「難しいことは一切わからないが、外国の歴史が好きでたまに本を読む」といった程度の読者がどのような通史を求めているか、一番面白く読める史書はどのようなタイプのものかを完全に把握して書いてくれている。

最高。言うこと無し。

これまで読んだ当シリーズの中で、この巻はかなりの高評価。

しかし、巻によって当たり外れに差があり過ぎますね。

以下本書に記述されたユスティニアヌス以後のビザンツ皇帝のうち、目に付いたものをメモ。

マウリキウス帝がササン朝ペルシアと講和、アヴァール族をドナウ以北へ撃退。

フォーカスの簒奪と恐怖政治。

610年フォーカスを打倒し、ヘラクレイオス1世即位。即位直後ササン朝に奪われたシリア・パレスチナ・エジプトを奪還するも、636年ヤルムーク河畔で正統カリフ・ウマル時代のイスラム軍に惨敗、以上三地域は完全に失われる。

テマ(軍管区)制開始。辺境軍を小アジアに撤退させ、軍管区を設定し、その長官に軍事権と行政権を兼任させた。一種の非常防衛体制であり、実施当初は各テマが半独立の形勢を示したが、8世紀から9世紀にかけてテマの分割・細分化や中央軍団の強化、テマ長官の入れ替え、任期・権限制限などで分権傾向は阻止される。

717~718年イサウリア朝創始者レオン3世がウマイヤ朝の首都包囲軍撃退。聖像禁止令発布。

息子のコンスタンティノス5世も禁止令徹底。後世「コプロニュムス(糞)」と呼ばれる。

751年イタリア支配の拠点ラヴェンナがランゴバルト族に奪われ、南端部を除きイタリアを放棄。

同751年カロリング朝成立、750年アッバース朝成立と合わせてローマ帝国の旧地中海世界が分裂した後、ビザンツ・イスラム・ヨーロッパの三極体制が固まる。

女帝エイレーネーが聖像崇拝復活。その治世にシャルルマーニュが戴冠。

802年ニケフォロス1世、クーデタでエイレーネー打倒。財政再建に成功、ギリシア地域を再征服、テマを設置しスラヴ化を阻止。ブルガリア人との戦いで敗死。

867年バシレイオス1世即位、マケドニア朝創始。

963年ニケフォロス2世フォーカス即位。クレタ・キプロス・アレッポ・アンティオキア征服。

969年ニケフォロスを暗殺してヨハネス1世ツィミスケス即位。パレスチナ遠征、イェルサレムに迫る。

(以上二者は実質簒奪者だが前皇妃や皇妹と結婚しマケドニア朝自体は存続。)

976~1025年バシレイオス2世。妹がギリシア正教に改宗したキエフ公国ウラジーミル1世と結婚。

第1次ブルガリア帝国を滅ぼす。「ブルガリア人殺し」との綽名。

貴族層を抑圧、皇帝権力拡張。著者はこのバシレイオス2世時代を、版図ではユスティニアヌス1世時代に及ばないものの、帝国の全盛期としている。

その後11世紀前半バシレイオスの姪ゾエとその配偶者をめぐって帝位争いが続く。

1071年マンツィケルト(マラーズギルド)の戦いでセルジューク朝に惨敗、ロマノス4世捕虜。

1081年アレクシオス1世即位、コムネノス朝成立。

貴族層と妥協、プロノイア制導入、ヴェネツィアに商業特権授与、第一回十字軍招聘。

子のヨハネス2世はアンティオキア再征服、孫のマヌエル1世はイタリア征服を目論み神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世と対立。

1204年第四回十字軍、帝国の一時的滅亡。

ラスカリス家の亡命ニカイア帝国成立。

1261年摂政・共同皇帝となっていたミカエル・パライオロゴスがコンスタンティノープル奪回、ラスカリス家より簒奪、ミカエル8世として即位、パライオロゴス朝を開く。

仏王ルイ9世の弟で、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世死後のシチリア・ナポリを手に入れていたシャルル・ダンジューのラテン帝国復興の野望を「シチリアの晩鐘」反乱を支援して阻止。

第二代アンドロニコス2世と孫のアンドロニコス3世、および3世の息子ヨハネス5世と岳父ヨハネス6世カンタクゼノスの帝位争い。

1453年帝国滅亡、最後の皇帝コンスタンティノス11世敗死。

11世の姪がモスクワ大公イヴァン3世と結婚。

ああ、疲れた。

個人的に記憶の補助にしようと書いた鶏ガラみたいなメモなので、他の方の役に立つことはあまりないでしょうが、本書を読んだあと以上の皇帝名を少しでも丸暗記しておくと、ギボンの『衰亡史』など、より詳細な通史を読む際、理解や記憶の助けにはなります。

本当は東欧・ロシア史の部分についてもノートを取ろうと思ったのですが、あまりに面倒臭いので止めときます。(追記:←と思ったのですが、個人的に一番重要で面白いと思った部分だけ下の方で簡略に書き留めています。)

ただ、極めて明快でわかりやすい叙述であるということだけは言っておきます。

東欧史の場合、時代によって各国の記述が一部飛び飛びに出てきて少しだけ読みにくさを感じるのが唯一の欠点ですが、高校世界史程度の読者が読むには最高レベルの通史となっています。

最終的にハプスブルク家領有となる、近世のハンガリーとボヘミアの王朝変遷が非常に詳しく記されていて、本当に役立つ。

(単行本の)387ページにある(近世の)「東欧諸国の歴代君主」は極めて貴重で有益。

これを見ながら本文を復習すれば鬼に金棒でしょう。

14世紀に中東欧各国でハンガリーのアールパード朝、ボヘミアのプシェミスル朝、ポーランドのピャスト朝という建国以来の民族王朝が断絶し、それぞれナポリ系アンジュー朝、ルクセンブルク朝、ヤギェウォ朝の外来王朝が支配する。

アンジュー朝ハンガリーのラヨシュ1世(大王)の死後、ジギスムントがハンガリー王位・ボヘミア王位、神聖ローマ帝位を占め一時ルクセンブルク朝が優位となる。

ジギスムント死後、娘婿のハプスブルク家のアルブレヒトがハンガリー・ボヘミア王位に就くが、これも二年後病死。

その後ハンガリー・ボヘミア両国でそれぞれマーチャーシュ1世(・コルヴィン)、イジー・ポディエブラディという民族王朝一代を挟んで、ポーランド・リトアニア王家であるヤギェウォ朝の君主が即位し、15世紀末から16世紀初めにかけての一時期中東欧四ヶ国全てがヤギェウォ朝の統治下におかれる。

しかし、1526年オスマン帝国とのモハーチの戦いでヤギェウォ朝ハンガリー王ラヨシュ2世(ボヘミア王としてはルドヴィク1世)が敗死し、婚姻関係から両国の王位は結局ハプスブルク家のフェルディナント1世に移る。

ロシア史も短いページ数ながら、非常によくまとまっている。

キエフ公国分裂後の盲点になりやすい部分も比較的丁寧に説明されていてとても良い。

この全集では、今のところ第3巻のインド史、第8巻のイスラム史と並んで面白い。

しかし、これまでの世界史全集で中心だった西ヨーロッパ史と中国史ではイマイチな巻が多いですね・・・・・・。

2008年7月13日

井上浩一 『生き残った帝国ビザンティン』 (講談社学術文庫)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 06:00

以前講談社現代新書から出ていたものの文庫化。

新書(文庫)一冊という短いページ数でビザンツ帝国一千年の歴史を概観しているため、取り上げられている皇帝・事件・社会の動きなどは全体のごく一部に過ぎないが、その選択が非常に絶妙で、大きな空白を感じさせない。

精選された記述によって帝国の政治と社会の大まかな変遷を知ることができる。

史的解釈も明解で鋭いものを感じた。

テーマの大きさに比べて紙数の乏しいこの種の入門書でありがちだが、内容がスカスカで細かな事実も全体的解釈も共に頭に入らないという弊害を免れている。

目立たないが、これはなかなかの名著ではないでしょうか。

新書版で出ていた際、書店や図書館で見かけていたが、「どうせありきたりの駄本だろう」と無視していた自分の眼力の無さを思い知りました。

一番最初に読むビザンツ史としては、岩波新書の『コンスタンティノープル千年』『中世ローマ帝国』より、こちらの方が一般的でずっと良いです。

具体的記述としては、ユスティニアヌス1世以後ずっと衰退期といったイメージのある帝国であるが、本書では10世紀半ばから11世紀初頭にかけて在位したニケフォロス2世、ヨハネス1世、バシレイオス2世治世下の繁栄を強調しているのが印象的。

この三代の間、セルジューク朝以前の分裂期であったイスラム圏、ブルガリア人、ロシア人に対して盛んな外征を行い、帝国の全盛期を築いた様が記述されている。

かなり面白いです。

全体の構成も見事だし、文章も巧い(と思う)ので、かなりのスピードで通読できます。

良質な啓蒙書として推奨させて頂きます。

2008年3月26日

渡辺金一 『中世ローマ帝国』 (岩波新書)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 06:00

先日の『コンスタンティノープル千年』と同じ著者の前著。

第一章で、民族大移動の混乱の中で西方帝国が滅亡するのを為すすべなく傍観し、ひたすら蛮族侵入の嵐が過ぎ去るのを待ってようやく生き延びた無力な存在、というイメージに反し、古代統一帝国理念を継承し蛮族に擬制的親族秩序に基く称号を授与して、中国の冊封体制のような国際秩序を築いた東ローマ帝国の一面を叙述している。

第二章では、皇帝権は無制限な独裁的権力ではなく、古代以来の法理念やキリスト教思想によって、実際には様々な制約が課されていたことが記される。

ここまでで約半分で、まあ普通に読めたのですが、以後が宜しくない。

第三章の帝国周辺に興隆した二大民族としてのゲルマン社会とアラブ社会の比較が出てくるのですが、何だか結論がどこにあるのかよくわからない文章。

最後の第四章は「ローマ領シリアにおけるオリーヴ・プランテーション村落の興廃」というタイトルで、これまでの章と毛色が変わり過ぎ。

何でこんな個別的過ぎる研究がいきなり割り込んでくるのか???

面白くもないのでこの章は読むのを止めました。

ちょっと私には良さがわからない微妙な本でした。

2008年3月6日

渡辺金一 『コンスタンティノープル千年』 (岩波新書)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 06:00

タイトルから想像されるような、通常の形式のビザンツ通史ではありません。

「“皇帝教皇主義”に則り、皇帝にすべての権力が集中した専制国家というイメージのあるビザンツ帝国ですが、実は皇帝即位には元老院・首都市民の承認が不可欠となっており、動乱期における帝位の移動は世論の動向次第だったんですよ」というのが主な論旨(たぶん)。

世論に左右される帝位は極度に不安定で、およそ半数の皇帝が暗殺やクーデタでその地位を追われている。

閉鎖的・退嬰的という印象とは異なり、社会的流動性も異様に高く、最下層から皇帝に昇りつめる例がみられる一方、国政が私的グループの権益争いの場と化してしばしば混乱し、安定した世襲貴族階級も生れず、そこから西欧のような身分制議会が成長することもなかったと論じている(私の誤読でなければ)。

具体的な史実は、以上の命題の例証として帝位争いの実例が時代もバラバラにいくつか取り上げられているだけです。

よって当然ながら一般的な通史としては不適当です。

かといって同じ「ビザンツ」カテゴリに入っているギボン『ローマ帝国衰亡史』の後半部分(10巻)はそうそう気軽に読める本ではないので難しいですね。

中公新版「世界の歴史」の該当巻でも読んだ方がいいのかもしれません。

本書の内容自体は面白いし、スラスラ読めます。

なかなかの良書といっていいんじゃないでしょうか。

同じ著者の『中世ローマ帝国』(岩波新書)も読みたくなりました。

2007年3月1日

エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史 10』 (ちくま学芸文庫)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 06:00

いよいよ最終巻です。

冒頭、チンギス・ハンとモンゴル民族の大膨張から始まり、ティムール帝国とオスマン朝の記述に進みます。

この辺は相変わらず上手いなあとひたすら感心します。

オスマン帝国の歴史は当然ビザンツ帝国を滅ぼしたメフメト2世までしか語られませんが、この調子で続けてくれればさぞかし面白いトルコ通史になるだろうなと思わせます。

さて滅亡の淵に瀕したビザンツ帝国と西方ラテン教会との和解の試みが空しく終わったあと、ついにメフメト2世によるコンスタンティノープル包囲と帝国の最終的滅亡が語られます。

しかしこのメフメト2世というのは、何度読んでも好感の持てない人物ですね。

冷酷、残忍、狡猾、傲慢といった印象しか受けない。

その東ローマ帝国滅亡で大団円かと思いきや、最後の3章は中世盛期から末期にかけてのローマ市と教皇座の状況で占められます。

はっきり言ってあまり面白くなく、この部分は読むペースがガクンと落ちました。

まあこれだけの大著には不可欠な余韻を醸し出すために必要なんでしょうから、少々我慢してじっくり読み込みました。

6巻から読み始めて、5週間で後半部分読了。死ぬまでにあと2、3回読みたい。そして今度は全10巻を区切らず一度に読んでみたいですね。相当の気合と忍耐が必要になりそうですが。

後半部分には今まであまり良い印象が無かったんですが、今回読み返してギボンのイスラム史の叙述が予想以上に面白いことに気付きました。

この『衰亡史』は「古典」に属する本ではありますが、面白さでは群を抜くものがあると思います。

気後れすることがあるかもしれませんが、機会があれば是非一度手に取ってみて下さい。

初読の際は5巻末の西ローマ帝国滅亡までで十分です。

最初取っ付き難くても一度ギボンの文章のリズムを掴めばまるで歴史小説を読むように面白く読めます。

私程度の読者でもそう思えるのですから間違いありません。

本書は品切れ扱いにならずに、こうした文庫本の形で末永く入手できるようにして頂けるよう願ってやみません。

2007年2月23日

エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史 9』 (ちくま学芸文庫)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 06:00

この巻は冒頭で南イタリアとシチリアにおけるビザンツ・イスラム・ノルマンの三つ巴の抗争と次章でのセルジューク・トルコの台頭と聖地イェルサレム占領が記述された後、十字軍の歴史がその主題となります。

しかしセルジューク朝の叙述は面白いですね。『衰亡史』後半はビザンツ史そのものより、イスラム諸王朝の歴史の方がはるかに面白い。

十字軍史も出色の出来です。教科書の無味乾燥な記述に肉付けする上で、これ以上ないほど楽しく興味深い叙述です。

啓蒙思想の子たるギボンは十字軍にやや批判的ですが、かといって敵手のイスラム圏を理想化するような現代の政治的偏見にも当然無縁です。

個人的にはこのくらいのスタンスが一番抵抗なく読めるので、非常に良かったです。

第四回十字軍とビザンツ帝国の一時的滅亡は特にページを割いて扱われ、ラテン帝国とニケーア帝国の戦い、コンスタンティノープル奪回とビザンツ帝国復興、それと同時に成立したビザンツ最後の王朝であるパラエオログス朝の歴史も詳しく記述されます。

しかし以上各国の統治者の系譜をいちいち暗記できるかというとかなり苦しいですね。

読んでる途中はああ面白いで済みますが、一週間で忘れてしまいそう。

本書の前半でも7巻で出てきたビザンツ皇帝がポツポツ登場するのですが、ほとんど忘れてました。いちいち7巻を引っ張り出して末尾の皇帝在位表で確認する羽目になりました。

私の物覚えが悪いのは事実ですが、まあ仕方ないのかも。

事前の予想ではこの巻はちょっと苦しいかなと思ったのですが、意外と楽に読めました。

もし無人島に流されるとしたら、持っていく本はこの『衰亡史』に限りますね。

全10巻通読する頃には最初の方は綺麗サッパリ忘れてますから、永久に暇潰しできます。

さて、残り一巻気合を入れて読んで、近いうちにまた記事にします。

2007年2月16日

エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史 8』 (ちくま学芸文庫)

Filed under: イスラム・中東, ビザンツ — 万年初心者 @ 06:00

本巻の中心テーマはイスラムの勃興で、冒頭から四分の三のページがそれに充てられています。

感想ですが・・・・・・面白い!! ものすごく面白い。その一言に尽きます。

マホメットの宣教からアッバース朝の衰退と分裂までのイスラム史がこれ以上ないほど興味深く叙述されている。

著者のギボンはアラビア語、ペルシア語はじめ東方諸言語を知らず、ヨーロッパ語に訳された史料だけを材料に記述せざるを得なかったのだが、ギボンのストーリー・テラーとしての才能がそういう不利な要因を完全に克服している。

歴史学の専門化が全く進んでいなかった200年前に二次史料に基づいて書かれた以上、今の目から見て不完全さは免れないとしても、面白いものは面白い。

初心者向けイスラム史概説としては一番いいんではないだろうか。

これまで何度か書いてきたように、素人の歴史愛好者が各地域の歴史を学ぶ際、一番初歩的な段階で何より必要とするものは、本書のような「人物中心に叙述された物語風の政治史」である。

時代遅れだろうが、レベルが低かろうが、最初の見取り図としてその種の政治史の必要性は不変のはず(その次の段階に進まず[進めず]同じ所をうろうろしてる私のような人間もいるが、それは自業自得でまた別の問題です)。

現在の研究者の方々も馬鹿にされるのを恐れず、自らの研究分野で一冊はそういう入門書を書いて頂きたいです。

さて内容ですが、マホメットの堅信と偉大さおよびその狂信がもたらした弊害をともに認めながら、初期ムスリム共同体の発足と発展をギボンの筆は華麗に描いていきます。

第四代カリフ、アリーの謙虚な人柄が好意的に描かれた後、彼とその息子が巻き込まれた悲劇と、イスラム揺籃期にクライシュ族内で最もマホメットに敵対的だったアブ・スフィアンの息子ムアーウィアがウマイヤ朝をひらく事態が記されます。

以後ペルシア、シリア、エジプト、北アフリカ、スペインへのイスラムの大膨張の章が続きます。

ペルシアに関しては高校世界史でもお馴染みのニハーヴァンドの戦いはごく簡単に触れられるだけでむしろその前段階のカデーシアの戦いが重視され、最終的にペルシア王子の唐王朝への亡命によって、ギボン『衰亡史』においてこれまでローマのライバルとして何度も登場してきたササン朝ペルシア帝国は永久に退場します。

他地域への侵攻については、特にシリア征服者で「神の剣」と呼ばれた初期イスラムにおける最大の猛将ハリドの活躍が印象に残ります。

大征服の後、アッバース朝革命が成功しますが、ハールーン・アッラシードとマームーンによる短い盛期を経て、かつてのローマを思わせるような分裂と蛮族の傭兵による弱体化で衰退していきます。

残り四分の一に入ると、まず10世紀ごろのビザンツ帝国の概況があります。さほど面白くないのでさっと済ませて次の章に行きます。

するとまたパウロ派という異端の話で、前巻のネストリウス派・単性論よりマイナーでがっくりですが、ほんの20ページほどですのでそれほど辛くありません。

最後はブルガリア、ハンガリー、ロシアの起源と発展の章でこれはまあまあ面白いです。

結論。この巻は楽でした。全体的に見て『衰亡史』後半の白眉と言ってよいほど面白い。残り2巻もこの調子で行きたいもんです。

2007年2月10日

エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史 7』 (ちくま学芸文庫)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 06:00

前巻からちょっと間が空きましたが挫折はしておりません。

ユスティニアヌス1世死後、帝国の国威は大きく揺らぎ、イタリアはランゴバルド族侵入によって半ば以上失われ、バルカンではアヴァール族が猛威を振るう。

そして東方国境ではホスロー1世死後も攻勢を弛めないササン朝ペルシアが侵攻し、ビザンツ帝国はシリア・エジプトの喪失という一大危機を迎える。

その時即位したヘラクリウス(ヘラクレイオス)1世が決然と立ち、軍を率いて見事ササン朝軍を撃退し、シリアとエジプトを回復する。

この辺の記述は精彩に富み、非常に面白い。前巻のベリサリウスによるアフリカ・イタリア征服と並ぶくらい爽快感が得られる。

(ちなみにそのヘラクレイオスの栄光も束の間、イスラムの興起とその爆発的膨張によって回復されたシリア・エジプトは再び奪取され永久に失われることとなる。)

その次の章は前半でもあったキリスト教の教義に関するものである。

主にネストリウス派と単性論を扱っており、要はキリストの神性と人性のバランスについての神学上の争いなのだが、読んでもわかったようなわからないような・・・・・微妙な記述。

私の頭ではよく理解できない。

前半部分のキリスト教関連の章は、ニケーア公会議以後でもアリウス派が一時優位に立っていたり、アタナシウスが追放されたりといった意外な事実があって面白みが無いでは無かったが、本書のこの章は少し厳しい。

飛ばし読みしたわけではないが、無理に頭に入れようともしなかった。

それが終わると今度は、ヘラクレイオス朝から第四回十字軍による帝国の一時的滅亡直前までの約600年間の帝位の変遷を一章でまとめるという荒業にギボンは出ます。

次巻以降はイスラムとアラブ人、ブルガリア人、ノルマン人、十字軍、トルコ人などのテーマ・民族別の章立てになるため、ビザンツの各王朝の歴史はここである程度一括して記述を済ませる意図のようです。

私はこういう権力の有為転変を記した叙述が好きだし、ギボンの文章術も相変わらずの冴えを見せるが、対象がこれだけ長期間に及ぶとさすがに単調だし、さっぱり印象に残らない。

巻末の皇帝在位表を何度も確認しながらよっぽど集中して繰り返し読むか、ノートでも取らない限り暗記するのは無理ですね。

ここを読むのも3回目のはずなのだが、ほとんど記憶に残ってない。

そして終章は聖像禁止令がもたらした混乱とローマ教皇の自立、シャルルマーニュの戴冠とその衣鉢を継ぐ神聖ローマ帝国の国制。

ここはわりと読みやすく、やれやれ助かったといった感じ。

以上ちょっと苦しい部分もありましたが、何とか読了。

一週間で一冊読破のペースで最後まで行きましょう。

8巻のイスラム史の叙述が楽しみです。

2007年2月1日

エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史 6』 (ちくま学芸文庫)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 06:01

1巻から5巻が西ローマ帝国滅亡まで、6巻から10巻が東ローマ帝国史である。

これまで前半は3回、後半は2回通読済み。

この度気合を入れ、後半部分の再々読に取り組むこととしました。

この第6巻は、東ゴート王国のテオドリック大王を扱った最初の章とローマ法の起源と発展を記述した最後の章を除いて、ビザンツ帝国最盛期を築いたユスティニアヌス帝の治世で占められている。

実はユスティニアヌスの章に入ってすぐ、その内政に関する記述で飽きてしまい、挫折しそうになった。経験上こういう時は無理せずその日はきっぱり読むのを止めたほうがいいですね。嫌々読み続けたら本自体放り出してしまう可能性が高いので。翌日やる気が出たところで再開。

ギボンがユスティニアヌスに向ける視線は厳しく、その描写は辛辣である。コンスタンティヌス大帝に対するのと同じく、その偉大さを一応は認めながら、卑小で酷薄な性格が同居していたことを指摘することも忘れない。

その治世における最高の政治的、軍事的成果たるアフリカとイタリアの回復についても、ユスティニアヌス自身ではなく、実際に外征軍の指揮を執り、ヴァンダル王国と東ゴート王国を倒した名将ベリサリウスの功を高く評価している。

このベリサリウスに対してはギボンも賞賛を惜しまず、晩年のユスティニアヌスが彼に加えた忘恩行為に対しては強い非難を浴びせている。

最後のローマ法の章はさほど面白くもないが、大学時代単位は取ったものの内容は全く憶えていないローマ法の授業を一部思い出して懐かしい気持ちになりながら読み通した。

この大著は、最初はやはり取っ付きにくいですが、一度文章のリズムに乗るとすらすらと面白く読めますね。

以後何とか10巻まで読了したいです。

2006年7月16日

塩野七生 『コンスタンティノープルの陥落』 (新潮文庫)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 08:43

1453年のオスマン朝の攻撃による東ローマ帝国滅亡を描いた作品。

同時代人の証言資料を基に、実に面白く、迫真のドキュメントに仕上げているのはさすが。

短くて読みやすいのも良い。同じ題材を扱ったものに、ランシマン『コンスタンティノープル陥落す』(みすず書房)なんてのもあるが、素人はこちらを読んでればそれでいいんじゃないでしょうか。

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