万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年1月6日

J・M・ロバーツ 『図説世界の歴史 2 古代ギリシアとアジアの文明』 (創元社)

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古代ギリシアと中国、インドの巻。

まず、古代における最先進地帯であるオリエントからの、インド・中国両地域の「孤立」という、普段我々が意識しない観点を提示。

人類がはじめて手にした文明は、紀元前三〇〇〇年までに成立した古代オリエント文明でした。メソポタミアやエジプトなど、各地で誕生した古代文明は、その後、相互の接触が始まるにつれ、いい意味でも悪い意味でもたがいに影響をおよぼしあうようになっていきました。地域ごとの文化的なへだたりは依然として大きなものでしたが、オリエント世界全体を横断するような文化的伝統もまた、生まれ始めていたのです。

一方、オリエントの文明とはほとんど無関係に独自の文明を成立させた地域もありました。その代表的な存在がインドと中国です。

メソポタミアやエジプトなどオリエントの先進地域と、インド、中国のあいだに横たわる物理的な距離、そして地形的な特徴を考えると、両者のあいだにあまり交流がなかったことは当然といえるでしょう。しかしインドや中国がもつそのような「孤立した環境」は、その後の世界の歴史を見るうえで非常に重要な意味をもっています。このふたつの文明はオリエントの文明とはちがって、以後何千年にもわたって外部から影響を受けることなく、独自の文化的伝統をたもちつづけていくことになるからです。

インドや中国の文明にとって、ほかの文明との接触はごくたまにしか起こらず、それも周辺部に限定されたものでした。その結果、のちに外の世界との接触が本格的に始まったときには、外部からの影響に押しつぶされないだけの文化的伝統がすでに確立されていたのです。考えてみてください。それから長い時をへた今世紀になっても、カースト制度はまだインドの社会を支配していますし、儒教もまた、依然として中国や韓国の知識階級に大きな影響をあたえているのです。

インド文明と中国文明の文化的影響は天然の境界を越え、のちには国家の壁も越えて大きな広がりを見せることになります。

このふたつの文明は現在でも大きな影響を社会にあたえているという点で、ほかの古代文明とは、はっきりした違いをもっています。

そして世界の歴史という観点から見ても、インド文明と中国文明が人類にもたらした影響は、はかりしれないほど大きなものなのです。

「孤立した」文明の中でも、(南北アメリカ大陸やアフリカとは異なり)インドと中国の強靭性・重要性は確かにずば抜けている。

・・・・古代インド文明の初期の歴史が闇につつまれているからといって、その社会制度や宗教が、どんな偉大な文明のものよりも長く行きつづけたという事実が消えるわけではありません。驚くほど包括的な世界観、個人の人権を無視した制度、過酷なまでの死生観、単純に物事の善悪を判断しないという基本姿勢などが、その後のインド文明の性格を決定していくことになります。遠く離れたキリスト教社会などでは、こうしたインド思想に異質なものを感じる人びとが多いようです。けれどもインドの思想と文明が、キリストが誕生する一〇〇〇年も前に形成され、しかも現在にいたるまで行きつづけているという事実を、私たちは忘れてはならないでしょう。

・・・・・・

中国の歴史を考えるとき、何よりも驚かされるのはその長さと継続性です。中国には現在まで、およそ三〇〇〇~四〇〇〇年にわたって「漢民族」による国家が存続し、秦の始皇帝による中国統一から数えても、すでに二二〇〇年がたっています。もちろんそれ以降、分裂したり異民族に支配された時代はありましたが、とにかく中国では、ひとつの民族が同じ国土のうえに数千年もの期間、高度な文明を維持しつづけ、現在にいたっているのです。これは世界史を見わたしてみても、きわめて稀なことだといわざるをえません。わずかに、はるか昔に滅亡した古代エジプト文明が、その長さで肩を並べることができるくらいなのです。

・・・・・・

中国文明の特色は、それが文化的であると共にきわめて政治的でもあるという点にあります。前の章で見た古代インド文明は、文化が政治よりどれだけ重要なものとなりえるかを示すよい例だといえるでしょう。一方、中国文明においては、文化の重要性が別の形で示されています。つまり中国では、文化の力がすなわち政治的な力となり、そのことによって広大な国土の統一が維持されつづけたということです。くわしい経緯はよくわかっていませんが、とにかく中国文明はごく早い時期に、統一国家を運営するための制度と文化をワンセット、みごとにつくりあげたのです。そのいくつかは現在も確実に存続しています。世界史的スケールから見れば、二〇世紀の共産主義革命をへて成立した現在の政権も、それ以前の王朝とそれほど本質的な差はないとすらいえるのです。

東部を大洋、西部を砂漠、西南部を山脈に仕切られた中国の地形的孤立が、その伝統を育んだ。

アフリカ、アメリカ、ヨーロッパなど、他の「孤立した」地域では、ほとんどすべての民族が発展に遅れを取った。

だが、ほぼ唯一の例外として、ヨーロッパのある一民族だけが異様なまでの発展と拡大を遂げることになる。

そのような古代ヨーロッパの民族の中で、注目すべき民族がひとつだけあります。彼らは先にふれた「オリーブ栽培線」の南側である中部イタリアに定住し、早くも紀元前八世紀にはイタリア南部のギリシア人やフェニキア人の植民市と交易を行なっていました。そしてそれから二〇〇年のあいだに、ギリシア文字を使って自分たちの言語を書き記し、イタリア半島に数多くの都市国家を建設して、すぐれた芸術作品を生みだすようになるのです。彼らエトルリア人とよばれる民族が参加して築いた都市国家のひとつは、やがてローマという名で知られることになります。

ローマの発展は次巻でのテーマとなる。

なお、1巻に続くオリエント史の時代変化を以下のように概括。

このようにいちだんと複雑になっていく世界の歴史を、年代別にきれいに区切ることなど、とてもできる話ではありません。大まかにまとめてしまうと、インド・ヨーロッパ語族の移動や鉄の時代の到来、文字の伝播といった複数の要因によってオリエントのさまざまな文化が完全に混じりあったのは、ヨーロッパ文明の母体となる地中海文明が登場するかなり前のことでした。

あえていうなら、オリエント地方の文明が重要な一線を越えたのは、紀元前一千年紀のはじめあたりということになるでしょう。そのころには古代オリエント地方全体を揺さぶった民族の大移動という「大事件」はすでに終わっており、ジブラルタル海峡からインダス川へといたる広大な地域に文明が受けつがれていたのです。そして紀元前一千年紀の半ばにペルシアという新しい勢力が台頭し、エジプトやバビロニア、アッシリアの伝統が衰退したことで、新しい時代にむけた歴史的枠組みが整えられていくことになるのです。

ものすごく大雑把に言えば、前3000年辺りで文明成立、前1500年前後に印欧語族などの民族大移動、前500年前辺りでペルシア帝国による統一というのがオリエント史の流れ。

アジアとヨーロッパがたがいにあたえあった文化的影響について話すのは、まだ時代が早すぎるかもしれません。それでもこのふたつの地域が、すでにこの時代にたがいに影響をおよぼしあっていたことは、実例をあげて説明することができます。それはまた、古代世界の終わりをはっきりとつげる出来事でもありました。

こうして私たちがたどりつつあるこの長い歴史物語も、さらに新しい時代に入っていくことになります。旧世界のいたるところで、ペルシア帝国はさまざまな民族を共通体験で結びつけていきました。インド人、メディア人、バビロニア人、リディア人、ギリシア人、ユダヤ人、フェニキア人、エジプト人など、さまざまな民族がはじめてひとつの帝国の統治下におかれ、ひとつの文明を共有したのです。ペルシア帝国が採用した「折衷主義」は、人類の文明がどれだけ成熟した段階に達したのかを教えてくれます。オリエントではこれ以降、個別の文明の歴史をたどる意味はなくなります。多くのものが共有され、あまりにも融合が進んだ結果、もはや個々の文明の系譜を見分けることができなくなるからです。

このように、著者は、ペルシア帝国を単なるオリエント史の単線的発展上に捉えるのではなく、オリエント文明そのものの誕生とイスラム教成立の間における最も重要な転機と考えているようだ。

そして本書の叙述は、いよいよギリシア文明へと入る。

歴史の世界では、古代ギリシア文明が最盛期をむかえた紀元前五世紀から紀元前四世紀の末近くまでを「古典期」とよびます。年数だけでいえばこの時代までに、人類の「文明に関する物語」は半分以上終わった計算になります。紀元前五世紀に生きていた人びとから見ると、現代人である私たちのほうが、はじめてメソポタミアで文明を築いた人びとよりも時間的には近くにいることになるからです。

最古の文明が生まれてからこの「古典期」までには、約三〇〇〇年もの時間のへだたりがありました。人びとの日々の暮らしはゆっくりとしか変化しませんでしたが、大きな視点から見れば、このあいだに人類は着実に進歩を重ねていきました。前の章でもご説明したとおり、人類最古の文明であるシュメール文明とアケメネス朝ペルシアのあいだには、統治の方法や文化の融合状況など、質のうえで大きな差が存在しています。

きわめて大胆にいってしまえば、この紀元前五世紀ごろを境にして、人類が文明の基礎を築いた時代はほぼ終わりをつげたといってよいでしょう。そのころにはすでに地中海沿岸から中国までの広大な地域に、さまざまな文化的伝統が確立され、いくつもの高度な文明が誕生していたのです。

紀元前3000年に文明が誕生し、それから現在まで約五千年、そのちょうど中間時点である紀元前500年には、世界各地で独自の文明が成立、その並立・均衡状態が約二千年続き、西暦1500年前後以降ヨーロッパの世界進出が始まり、「世界の一体化」が進行、というのが最も単純化された世界史の流れになる。

(少し前に話題になったマクニール『世界史』もそのような構成になっている。)

その紀元前500年頃存在した諸文明の中で、ただ一つ、ギリシア文明だけを、著者は最も注目すべきものとして、特別視する。

そうした文明の多くは孤立状態にあり、ほかの文明にはほとんど影響をあたえませんでした。偉大なるオリエントの文明でさえ、バビロンの陥落以降、ときおり侵略を受ける以外は外の世界とあまり交流がありませんでした。ところがその中で、紀元前六世紀にすでに台頭しつつあったギリシアの文明だけは、発祥地である東地中海を越えて、大きく外の世界に広がっていく可能性を示していたのです。

それはもっとも新しく誕生した文明でしたが、その後めざましい成功をおさめ、のちにローマ文明へ受けつがれたその文化的伝統は、一〇〇〇年ものあいだ、とぎれることなくつづいていくことになります。そして何よりも注目すべきことは、この活力に満ちた文明が人類の歴史にのこした豊かな土壌には、現代のヨーロッパ文明、ひいては近代文明を形成することになる重要な要素が、ほとんどすべて存在したということなのです。

東地中海に誕生したギリシア文明は、それに先だつ古代オリエント文明やエーゲ海文明から大きな影響を受けていました。なかでも重要なのは、フェニキア人のアルファベットを改良して、ギリシア文字(ギリシア・アルファベット)をつくりだしたことでしょう。そのほかにもギリシア文明は、エジプトやメソポタミアに起源をもつ思想や、ミケーネ文明のなごりなど、さまざまな文化をとりこんで発展していきました。

ギリシア文明とそれにつづくローマ文明、いわゆる地中海文明は、成熟したのちもそのような多様性を失うことはありませんでした。硬直した体制におちいることは決してなく、きわめて多彩な発展をとげていったのです。この文明がはっきりとした統一性を確立したときでさえ、周囲に存在したほかの文化と区別するのはむずかしく、文明の境界線は遠くアジアやアフリカ、異民族の住むヨーロッパや南ロシアへと広がって、きわめてあいまいなものになっていました。さらにのちの時代になって境界線がはっきりと確立されてからも、地中海文明はほかの文明と多彩な交流を行なっていたのです。

この文明はそれ以前に栄えたどの文明とくらべても、あきらかに歴史を進歩させる「偉大な力」をもっていました。たとえばそれまでの文明は政治的な大変化が起こっても、制度自体はそのままのこされるケースがほとんどでした。ところが地中海文明は短いあいだに何度もみずから制度を変え、さまざまな政治体制を試みています。

また宗教についていえば、ほかの文明では、文明と宗教は事実上、生死をともにする運命共同体となっていました。それに対して地中海文明は、はじめは土着の多神教を信仰していましたが、最後には外来の一神教であるキリスト教を採用します。のちにローマ帝国が国教としたことで、キリスト教はやがて世界宗教としての道を歩むことになるのです。

これは世界史的な観点から見ても、きわめて大きな出来事でした。その後、世界じゅうに広まったキリスト教の影響力を介して、地中海文明の伝統は、人類の歴史の中で長く広く伝えられていくことになるからです。

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「古典」とは、何もヨーロッパだけに存在する概念ではありません。ほかの文明にも、もちろんそれぞれの「古典」や「古典期」が存在しています。「古典」とは、人びとが過去のある時期をふり返って、そこにみずからの手本とすべき「模範」を見いだすことによって成立する概念だからです。その意味で後世のヨーロッパ人にとって、古代ギリシア文明はまさに「古典」となりました。のちのルネサンス期にヨーロッパ人が古代ギリシア文明を再発見したとき、彼らはそのすぐれた美術品や人間中心の考えかたにすっかり魅了されてしまったのです。

当時のギリシア人の中にも、自分たちは特別な人間で、自分たちの文化と時代は特別なものだと考えた人びとがいました。現代の私たちから見ると、その理由には納得できない部分もあります。それでも、あの文明がまぎれもなく特別な文明だったことは、疑いようのない事実といえるでしょう。活力にあふれ、絶えず前進をつづけ、数えきれないほどの技術や制度、文化を生みだしたこの文明によって、その後の世界は大きな可能性を獲得することになります。なかでも思想・哲学など、精神文化における世界史への貢献には、はかりしれないものがあるのです。

後世の人間が古典世界の理想に学ぼうとするとき、たしかに時代錯誤におちいったり、過去を美化しすぎたりする傾向があることも事実です。しかし、そういう点を割り引いてもなお、古代ギリシア文明には誰も消すことのできない偉大な業績がのこります。それはいまでも西洋文明の根幹をなしており、その文化的伝統は現在の私たちの暮らしに直接つながっています。だからこそ私たちは、それ以前のどの文明よりも、はるかにこの古代ギリシア文明に共感することができるのです。

この著者の見解を、手垢の付いた時代錯誤的な西洋中心主義に基づく、偏ったギリシア礼賛だと見るべきだろうか?

私にはそうは思えない。

私は、例えば、民主主義というものを生み出したことで古代ギリシアを賞賛するような立場には全く立っていない(むしろプラトンが民主主義への批判として政治学を創めたことこそが、ギリシア文明の最も偉大な遺産だと考える)が、それでも古代ギリシア文明が、他の全ての文明の中で、現代人にとって特別の意味と卓越性を持っていることには十分同意できる。

変な劣等感は持たずにそのことは素直に認めた方が良い。

現在の欧米人がそれについて余程傲慢な態度を示した場合には、ギリシア文明は欧米だけでなく全人類の遺産だと言い返せばいいんです。

通常、多くの人びとにギリシア文明最大の功績と思われている、民主主義の誕生について。

アテナイの民主政に対する批判は、これまで何度もくり返し行なわれてきました。たしかにアテナイの民主政をあまりに美化して考えるのは歴史をゆがめる行為です。しかし、むやみに攻撃するのもまた、歴史を誤る行為だといわざるをえないでしょう。

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ヴィクトリア朝時代のイギリスと同じく、古代アテナイでも政治は長いあいだ、貴族の系譜につらなる人びとの手にゆだねられていました。政治に参加する資格が血筋のほかにもあるとすれば、それは政治に必要な財力と時間でした。たしかに陪審員や民会の出席者には手当が支給されていましたが、その額はわずかなものだったからです。・・・・・こうした事実は、アテナイの民主政を批判する側も、理想化する側も、見落としてしまうことが多いようです。アテナイの民主政がそれほど厳密なものでなかったのは、そのように実質的な参加者が限られていたからなのかもしれません。・・・・・

アテナイの民主政は誕生した当時から、積極的な外交政策を打ちだしていました。・・・・・その結果、ペロポネソス戦争を誘発した責任も、都市国家間の対立を生みだした責任も、すべて民主政の出現に負わされる結果になりました。たしかにそれは後世の批評家が指摘するように、アテナイに悲劇をもたらしただけでなく、ギリシア全土の都市国家に党派の争いや社会闘争の苦しみを芽ばえさせてしまったのです。・・・・・トゥキュディデスの著書は未完に終わり、四〇〇人による寡頭政権が生まれた紀元前411年の段階までしか記されていませんが、その終わりの部分には自分を追放した生地アテナイに対する不信と幻滅がにじんでいます。また有名なプラトンの著作も、紀元前三九九年にソクラテスを処刑したアテナイの民主主義者たちを批難し、彼らに永遠に消えない不名誉の烙印を押しているのです。

アテナイの民主政は、女性やメトイコイ(外国人居住者)、奴隷を排除していました。そうした事実を考慮に入れると、アテナイの民主政の評価はかなり下がってしまうかもしれません。けれども、はるか後世になって到達した地点からふり返って、アテナイを低く評価するべきではないでしょう。歴史は段階を追って進んでいくものなのですから、時代を考慮に入れない比較をしても無意味なのです。二〇〇〇年以上たったいまでさえ完全には実現されていない理想と比較するのではなく、同時代のほかの事例と比較しなければ意味がないのです。

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アテナイの政治がもつ欠点は、すべてそのような前提のもとに議論される必要があります。どんな政治制度についてもいえることですが、アテナイの民主政を評価する際にも、それがもっともうまく機能していた時期を評価の対象にする必要があります。たとえばペリクレスが指導的立場にいたときのアテナイの民主政は、まちがいなくすばらしいものでした。彼らは「みずからが選んだ政治の結果について、個人が責任を負う社会」という神話を私たちにこのしてくれたのです。

はっきりいいましょう。政治にはすぐれた政治的神話が何よりも必要なのです。ですから私たちはこれから、もっとすぐれた政治的神話を探していかなければならないのです。

著者のギリシア民主政に対する評価は極端に一面的なものではないと思えるものの、それでも私には隔靴掻痒の感がある。

現在においても、「政治的神話」が必要である、という点には同意するが、はっきり言って民主主義という神話は出来が良くない。

国家の統一と伝統を体現する世襲君主が君臨するが、実質的統治には携わらず、君主を支える貴族が真摯な公的議論に基づく政治を行い、民衆は最低限の拒否権と貴族と相対する代表選出の権利を持ち、歴史的伝統という最高の権威の下に君主と貴族と民衆の三者が並立する、抑制と均衡を保った政体という神話の方が遥かに優れている。

有史以来、そうした「真の共和政体」(塩野七生『ローマ世界の終焉』ユーゴー『レ・ミゼラブル』参照)に人類が最も近づいたのは、18世紀イギリスにおいてでしょう。

私には、あの時代が「進歩」の極限だったと思えます。

それ以後のあらゆる革命と変化は無意味な逸脱に思える。

明治維新後の日本も、一時期上記の理想に近づくと思えたのだが、結局は無残な失敗に終わり、現在はただ滅びを待つだけの衆愚民主主義国になってしまいました。

著者は、アテナイ民主政への最大の批判者プラトンの思想について、以下のように記す。

プラトンはソクラテスの思想の多くを踏襲しましたが、ここに見られる理想の国家観は、ソクラテスとはまったくちがったものでした。プラトンが理想とした国家では、大多数の人が教育と法律のもとで管理され、ソクラテスが生きるに値しないと評した「エレンコス(吟味)のない生活」を強いられているからです。

プラトンの民主主義批判を後世の全体主義の起源とするかのような記述は全く凡庸で同意できるところがない。

民主主義がもたらす伝統破壊と無秩序こそ、自律に基づく自由のない、「吟味のない生活」としての全体主義を生み出す原因である。

とは言え、以下の記述には全く違和感なし。

哲学と並んで歴史を「発明」したことも、ギリシア文明の大きな遺産といえるでしょう。それまでの古代国家では、たんに出来事を記した年代記のような記録が存在するだけでした。ところがギリシアの歴史書は、高い文学的価値と学術的視点をもつ作品として生まれ、さらに驚くべきことに、最初に登場したふたつの著作によって、いきなり頂点をきわめることになるのです。これ以降、ギリシア文明においては、そのふたつの歴史書に匹敵するレベルの作品はついに現れませんでした。

「ギリシア文明においては」どころか、その後ヘロドトストゥキュディデスに匹敵する歴史家と言うと、司馬遷ギボンくらいでしょうか。

私はこの四者を自分で勝手に「世界史の四大古典」と考えています。

イブン・ハルドゥーンを入れて五大史家とする人もいるかもしれないが、私のレベルでは良さがわからない。)

そして、約2500年の時を経て、全く違う文化圏に属する国に生まれた、私程度の知的レベルの人間でも、古代ギリシアの古典のうち、あるものは大きな興味と感動を持って(翻訳では)読むことができるのだから、以下の総括にも完全に同意できます。

また歴史にかぎらず、ギリシア人は人類の歴史におけるさまざまな新しい知的領域を開拓しました。人類の歴史上はじめて、ギリシアは完全な形の「文芸」を生みだしたといっていいでしょう。ユダヤ文学もギリシア文学にひけをとらないほど包括的なものでしたが、娯楽作品はもちろん、演劇や客観的な歴史書も含まれていませんでした。古代ギリシアの文芸世界は聖書と並んで、以後の西洋文学の形成に大きな影響をあたえることになります。内容だけでなく、さまざまな文芸のジャンルや形式を規定し、批評における最大の判断基準も、もたらすことになったのです。

古代ギリシアの哲学・文学・歴史・宗教・建築・彫刻などの文化は、やはり圧倒的な存在であると考えるしかない。

以後、ヘレニズム時代のギリシア文明の拡散とポリスの没落、科学の発達とそれと期を一にした伝統的で多神教的な宗教の衰退、ストア派の成立をもって、本巻の幕は閉じる。

2016年4月16日

村田奈々子 『物語近現代ギリシャの歴史  独立戦争からユーロ危機まで』 (中公新書)

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ギリシアの財政問題が、ユーロ存続危機を既にもたらしていた2012年刊。

独立前のギリシア人の中心的アイデンティティは「ロミイ」(ローマ人)というビザンツ帝国遺民でギリシア正教徒であること。

正教キリスト教徒であることでは、同じオスマン帝国支配下に置かれていたスラヴ人と区別されず。

それがヨーロッパ啓蒙思想とナショナリズムの影響で、古代ギリシアとの繋がりを最重視する一方、オスマン朝に屈したビザンツ帝国を批判的に見る視点が生まれる。

しかし独立後、近代ギリシア人は古代ギリシア人と直結するものではなく、スラヴ民族との混交とその影響を指摘する歴史学の研究が発表されるようになると、ビザンツ帝国を中世ギリシア人国家として肯定的に捉え、古代からのギリシア民族の継続性を強調する主張が行われるようになる。

1821年にイプシランディスらがギリシア独立戦争開始。

バイロンの参加がヨーロッパに独立支持世論を広める。

エリート層、名望家、武装勢力らの利害対立でギリシア内の内部分裂が激しく、暫定的に選出された初代大統領カポディストリアスも独立直前に反対派に暗殺される。

1824年ムハンマド・アリーの軍がオスマン側に参戦したこともあり、独立運動は窮地に陥るが、英仏露が軍事介入し1827年ナヴァリノ海戦で勝利。

国内の分裂を避け、ウィーン体制下の列強の支持を得るため、外国出身の君主が求められ、最初ドイツのサクス・コーブルク家のレオポルドが選ばれるが辞退、レオポルドは1830年七月革命の余波で生まれたベルギーの君主となる。

結局、バイエルン王家のオットーが、オトン王として即位、1832年独立達成。

首都がまもなくアテネに移されたが、古代ギリシアとの繋がりだけではなく、ビザンツ帝国と正教会の栄光を取り戻そうとする立場から、コンスタンティノープルの奪回と大ギリシアの実現を目指す動きが20世紀まで続く。

まずクリミア戦争が起こると、トルコと戦うロシアを正教徒の守護者として支持し、ギリシアからも義勇軍が参戦するが、英仏がオスマン側に参戦、ギリシアの意図が挫折。

1862年クーデタでオトン王が追放され、デンマーク王室からゲオルギオス1世が即位。

1877~78年の露土戦争時には、パン・スラヴ主義を掲げるロシアは「メガリ・イデア」(大ギリシアを目指す運動)の敵と見なされていた。

1881年列強の仲介でテッサリアがギリシアに割譲。

1896年アテネで第一回近代オリンピック開催。

1897年クレタ併合を目的としてトルコに宣戦するが、ギリシア軍は大敗。

マケドニアをめぐって、ブルガリアおよびセルビアとも対立。

1912~13年二度のバルカン戦争でマケドニアとクレタ島併合に成功。

その最中、ゲオルギオス1世が暗殺され、コンスタンディノス王即位。

ここで、言語問題についての章が挟まり、民衆の口語である「ディモティキ」と、古代ギリシア語と口語の折衷語である「カサレヴサ」のどちらを公用語とするかの対立が独立から20世紀後半に至るまで続き、聖書やギリシア悲劇の口語訳への反対運動では死傷者すら出たこと、結局ディモティキが徐々に支持を広げ公用語となったが、近代ギリシア語に対するカサレヴサの貢献も小さくないこと等が記されている。

その次の章は、「闘う政治家ヴェニゼロスの時代(一九一〇~三五)」と題されている。

高校世界史では、近現代ギリシアの歴史的人物の名は誰一人出てこないですが、もし一人だけ名を挙げるとすれば、このヴェニゼロスが最有力候補でしょう。

第一次大戦を挟んだ時期において、実際ずば抜けた存在感を示している。

しかし同時にギリシア国家に深刻な分裂をもたらしたとの評価もある。

ヴェニゼロスはクレタ島出身。

政界入りし、オスマン帝国内の自治権をもったクレタ島で、ギリシアから派遣された高等弁務官から主導権を奪い、指導的地位に就く。

1909年、前年起こった青年トルコ革命によって隣国トルコの民族主義高揚に危機感を覚えた若手将校が軍事クーデタを実行。

1910年その支持を得たヴェニゼロスが首相に就任、議会選挙でもヴェニゼロス与党の自由党が圧勝。

公務員猟官制の廃止、初等教育義務化、道路建設・通信整備などの公共事業、土地改革と農業振興、累進所得税導入、労働者保護の為の社会政策、財産権と自由権の一部制限、陸海軍の増強など、様々な改革を進める。

上記の通り、バルカン戦争でマケドニア、クレタ島獲得。

第一次大戦で、ヴェニゼロスは連合国側での参戦を主張、国王コンスタンディノスは中立を望み、1915年ヴェニゼロスは辞任するが、16年連合国に支援を受けてテッサロニキに分離政府を組織、17年ヴェニゼロスがアテネに帰還、国王は退位、ギリシアは連合国側に参戦した。

1920年セーヴル条約で小アジア西部スミルナを占領するが、ムスタファ・ケマル率いる新生トルコ軍の激しい反撃を受ける。

同年議会選挙で自由党敗北、ヴェニゼロス下野、長子アレクサンドロスの死により前国王コンスタンディノスが復位。

最終的にスミルナは失われ、23年ローザンヌ条約締結。

敗北の責任を反ヴェニゼロス派(王党派)が負わされ、国内の分裂と対立はますます激しくなる。

24年にはヴェニゼロス派の政権によって、共和制に移行。

28~32年ヴェニゼロスの最後の長期政権。

労働者保護政策を進める一方、共産主義者に対する徹底した弾圧を実行。

対外的にはトルコ共和国と和解し、領土拡張政策を放棄。

世界恐慌の波及で、政治対立が再び深刻化。

33年反ヴェニゼロス派が選挙で勝利すると、ヴェニゼロス派軍人によるクーデタが二度決行されるが、いずれも失敗、ヴェニゼロスはパリに亡命、36年死去。

35年王制復古、ゲオルギオス2世復位。

本書でのヴェニゼロスの評価は、ギリシアの近代化と領土拡大に果たした役割は大きいが、ギリシア社会の分断というその代償は余りにも大きかった、とするもので、確かに本書の叙述を読むとそう感じる。

1936年、共産主義の脅威への懸念から、ファッショ的なメタクサス将軍による軍事独裁政権樹立。

40年イタリア軍がギリシアへの侵攻を開始、41年にはドイツ軍が侵入、ギリシアを占領。

共産党を中核とする民族解放戦線(EAM)が抵抗運動を組織、勢力を拡大。

だがギリシア人同士の対立も激しく、しばしば武力衝突に至る。

44年10月ドイツ軍撤退、ギリシア解放。

ゲオルギオス・パパンドレウ亡命政府帰国、長い戦乱で疲弊し平和を求める国民はEAMの急進的主張から距離を置くようになり、右翼・王党派が勢力回復、47年から内戦が始まる。

政府側はイギリス、継いでトルーマン宣言後のアメリカから大規模支援を得る。

一方、EAM側は、東欧支配を固めることを最優先するスターリンはその支援に本腰を入れず、さらに隣国ユーゴスラヴィアのチトーがコミンフォルムから追放されたことで、最大の援助者も失い、完全に敗北。

「兄弟殺し」という内戦は悲惨なものだが、しかしひとまず共産化という最悪の結果を免れたのは良かったと思える。

だが、残念にもその後の展開はあまり芳しいものではなかった。

以後のギリシアは軍人、右翼政治家、保守的官僚、王党派の抑圧的停滞的支配下に置かれる。

それへの反発から、1964年ゲオルギオス・パパンドレウ率いる中道政党・中央同盟が勝利、長期与党だった右翼政党・国民急進同盟が敗北。

65年国王コンスタンディノス2世がパパンドレウを罷免すると、政治混乱と秩序崩壊が顕著になる。

67年クーデタが発生、以後74年までパパドプロスらの軍事政権がギリシアを支配することになる。

当初軍事政権寄りだった国王は、その余りの強硬路線に耐えかね、反クーデタを企てるが失敗、ローマに亡命し、軍事政権は国王を廃位する。

西側諸国は69年カダフィ主導のリビア革命後、その基地を失ったこともあって、NATOメンバーであるギリシアの戦略的価値から軍事政権に対して強い姿勢を取ることは無かった。

だが学生や在外ギリシア人を中心に反対運動が盛り上がる中、74年軍事政権はキプロス併合を目論み、同国のマカリオス大統領暗殺に失敗、逆にトルコ軍の北キプロス占領を招くという、この外交的大失策で軍事政権は自壊。

議会政治が復活し、国民投票により君主制は正式に廃止(王制を廃止したのは軍事政権なのだがら、同じ時期のスペインと同様に立憲君主制の確立に向かっても良さそうなものだが、それまでに軍部と密着し過ぎていたか?)。

元国民急進同盟党首のカラマンリスが結成した右派の新民主主義党(ND)と、ゲオルギオスの子アンドレアス・パパンドレウが率いる左派の全ギリシア社会主義運動(PASOK)が二大政党となる。

スペイン・ポルトガルと並ぶ1970年代半ばの南欧民主化時点まで話が行ったところで、「国境の外のギリシャ人」という章が挟む。

まず黒海南岸、ポンドス(ポントス)のギリシア人。

その言語は、セルジューク朝の小アジア進出以来、他のギリシア人と地理的に切り離されたため、独自の発展を遂げた。

後年、その多くはロシアに移住、ソ連時代に様々な苦難を舐め、ソ連崩壊後はギリシアに移住する人々も多い。

次いでアメリカ移民。

二〇世紀はじめの二十年間ほどで、ギリシア王国に住む15歳から45歳男性の四人に一人が移住、その多くがアメリカ合衆国に向かう。

同時期の東欧からの「新移民」と共にアメリカ社会に定着。

ニクソン政権副大統領のアグニューがギリシア系アメリカ人であることは、本書で初めて知った。

最後にキプロス。

およそ8割がギリシア系、2割がトルコ系住民。

1878年イギリスが施政権獲得、1925年直轄植民地化。

第二次大戦後、ギリシアとトルコの対立の焦点となり、NATO加盟国同士の紛争回避を至上命題とする西側諸国は1960年キプロスを独立させ、正教会大主教マカリオスが大統領に就任。

当初ギリシアへの併合派だったマカリオスはキプロスの独立維持を目標とするようになり、ギリシア軍事政権と対立、マカリオス暗殺が計画されるが失敗、74年トルコ軍が北部を占領、「北キプロス・トルコ共和国」を樹立したが、承認しているのはトルコだけ。

現在もこの分断状態が続き、2004年キプロス共和国はEU(ヨーロッパ連合)に加入した。

終章は「現代のギリシャ」。

カラマンリスND政権は「国家統制主義的資本主義」で経済再建を進め、ギリシアは1981年EC(ヨーロッパ共同体)に加入。

同年政権交代で、アンドレアス・パパンドレウPASOK政権誕生。

政権獲得前に示唆していたEC・NATO脱退には向かわず、外交政策の継続性維持。

だが内政では国債とEC援助金に依存した大衆迎合的政策を取り、将来の危機を準備する。

その後、アンドレアスの子ヨルゴス・パパンドレウのPASOK政権、カラマンリスの甥コスタス・アレクサンドロス・カラマンリスND政権でも抜本的改善措置は取られず、2001年他国から二年遅れでのユーロ導入、2004年アテネ・オリンピックなどの華やかさの影に隠れ、危機は進行、2009年それが財政赤字額の粉飾発表という形で一気に明るみに出て、ユーロ圏全体に経済危機をもたらすことになる。

この事態について、末尾で著者も少し書いていますが、もちろん借金に依存してバブルに踊ったギリシア国民の責任も免れないが、ドイツを中心とするEU主要国がギリシアに緊縮政策を押し付けているのを見ると、何とも嫌な気がします。

緊縮財政を続けたところで、経済が上向かない限り、財政赤字は拡大するだけです。

かつてアングロ・アメリカ的な自由放任経済ではない、「社会的市場経済」を誇りにしていたはずのドイツが、国際金融資本と同じ口調でギリシアを責め立てているのを見ると、第二次大戦のトラウマによって歪められた悪しきナショナリズムを感じる(今の日本も他人の国のこと言えませんけどね)。

左右の過激主義的政治勢力の台頭も伝えられるギリシアだが、何とか破局的事態が起こるのだけは阻止してもらいたいものです。

読みやすいが、ちょっと話があっさり進みすぎかな、という印象もある。

言語や在外ギリシア人の章を省略して、そのページを通史に当ててくれた方が良かったかもしれないが、それだとかえって本書の特色が無くなるか。

決して悪くはない。

教養と一般常識のために手に取る本としては、適切です。

2014年4月8日

インドロ・モンタネッリ 『物語 ギリシャ人の歴史』 (文化書房博文社)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 05:30

2011年刊。

このブログで、『ローマの歴史』『ルネサンスの歴史』以外の、モンタネッリのイタリア史シリーズの翻訳を、事あるごとに熱望しておきながら、マイナー出版社(すみません)とはいえ、最近まで本書の刊行に全く気付かなかった。

喜び勇んで読み始めたのだが・・・・・・。

ちょっと翻訳に難有り。

生硬で読みづらく、いくつかの誤植も目立つ。

これを刊行してくれた、眼力と尽力には感謝の他無いが・・・・・・。

『ローマ』『ルネサンス』はモンタネッリ自身の文体に加えて、訳者藤沢道郎氏の、細部に囚われず、歯切れの良い、流れるような訳を得ての面白さだったんだなとつくづく思った。

内容的には政治史よりも文化史に重点を置き(これはルネサンス時代と並んで古代ギリシア史においては妥当でしょう)、その叙述の中では、三大悲劇作家とアリストファネス、そしてソクラテスの肖像など興味深いものも多いが、期待が大き過ぎた分、どうも不完全燃焼の感が否めない。

「30冊で読む世界史」澤田典子『アテネ民主政』(講談社選書メチエ)を本書と入れ替える気持ちには、到底なれませんでした。

出口の見えない出版不況の中、これを出してくれた出版社と訳者の方にはまことに申し訳ありませんが、個人的評価は「2」くらいです。

2013年9月17日

桜井万里子 『古代ギリシアの女たち  アテナイの現実と夢』 (中公文庫)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 16:05

1992年出た本に補章を加えて、2010年刊行したもの。

著者は中公新版世界史全集の古典古代の巻の執筆者(の一人)。

古代ギリシア、アテネにおける女性の地位と生活実態を考察した本。

神話、哲学書、文学作品、法廷弁論、碑文、図像、彫刻など、その多くが断片的なものにとどまる史料から分析を行っているのだが、それが実に緻密で感心してしまう(それらの史料で、女性自身の手に成るものは、ほとんど無いにもかかわらず)。

よく知られているように、古代民主政においては、男性成人市民のみが政治を運営し、女性・奴隷・メトイコイ(=在留外国人、ただし解放奴隷を含む)は排除されていた。

本編では、後見人制度、祭祀という公共活動への参加、結婚と婚資(これが妻の地位をある程度保障)、「家付き娘」(息子が得られなかった家の娘)と近親婚制度、離婚と姦通、家庭内労働、女性神官、ヘタイラ(遊女・娼婦)とポルネ(下級娼婦・ポルノグラフィーの語源)、等々が述べられていく。

非市民の女性が従事した職業は、乳母・小売業・助産師・医師・ヘタイラ・ポルネなど。

これら女性たちのネットワークとカウンターカルチャーについても記述あり。

なお、史上有名なヘタイラとしては、ペリクレスの愛人アスパシアが挙げられる。

政治に関してペリクレスにも助言するほどの存在で、彼女とペリクレスとの間の子は特例で市民権を与えられたが、この小ペリクレスはペロポネソス戦争末期の衆愚政治によって、理不尽な形で処刑されてしまった(アテネについてのメモ参照)。

全般的に言って、女性の地位は貴族政時代の方がむしろ高く(民主政時代にも、公共活動中、祭儀にだけ参加できたのはこのなごり)、民主政が確立し市民団の結束が固まる一方で同時にその閉鎖性も強まるにつれ、低くなる傾向にあった。

本書で触れられている具体的エピソードのうち、以下一点だけ紹介。

前440~439年サモスでの反乱鎮圧後、帰国したペリクレスが戦死者葬送演説で民衆に感銘を与え、称賛されている中、ミルティアデスの娘で貴族派の領袖キモンの姉エルピニケが、

「ペリクレス様、今度のことは誠に御立派で花冠ものですわ。でも私の兄弟キモンのようにフェニキア人やペルシア人と戦うのではなくて、盟友しかも同族の国をお滅ぼしになったのですね」

と堂々と述べたという、プルタルコスが伝える逸話が非常に印象的。

(ただしキモンが異民族とのみ戦ったというのは事実ではないとのこと。)

他には、法廷弁論から再現される女性の人生が2例ほど紹介されているのだが、それも滅法面白い。

全体的にみて、非常に良い。

予備知識の無い高校レベルの初心者でも十分楽しめる。

読みやすく2、3日で通読可能。

こういう社会史関連の本は面白くても「評価3」にすることが多いが、これはあえて「4」を付けます。

2013年7月1日

手嶋兼輔 『ギリシア文明とはなにか』 (講談社選書メチエ)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 16:03

世界史で「古典古代」と一括して扱われるギリシア・ローマについて、東地中海文明=ギリシア、西地中海文明=ローマという区分を明確にするという立場からの文明論とのこと。

以下、内容を適当に抜き出した箇条書き。

文脈に沿って整理してないので、自分でも意味が不明確な部分があります。

まずヨーロッパ文明の輝かしい起源というイメージが強烈な古代ギリシアだが、当時においては、むしろペルシア文明が圧倒的に優勢であったことを強調。

デルタ地帯に首都を置いた、第26王朝サイス朝エジプトとギリシアの密接な関係。

ギリシア人は最初傭兵として、のちに商人としてエジプトに進出。

新王国とプトレマイオス朝に挟まれたこの時期のエジプトはあまり注目されないが、エジプト・ギリシア枢軸ともいうべきものが成立していた。

ヘロドトスの「ナイルの賜物」という言葉は、本来はエジプト全体ではなく、デルタ地帯のみに関して述べたもの。

エジプト、ペルシアなど普通は中央集権的統一王朝が繁栄の頂点と見なされるのに対し、ギリシアではポリス分立期が全盛。

マケドニアによって全ギリシアが統一されるが、これは逆に衰退期のイメージが持たれる。

アテネにこだわったソクラテスに対し、ギリシア外に目を向けたクセノフォン。

マケドニアを半夷狄(バルバロイ)と見なす考えに反対し積極的に評価する考えが生まれる。

アリストテレスのギリシア至上主義。

その親族のカリステネスも考えを同じくするが、遠征に同行したアレクサンドロス大王に謀反の疑いをかけられ処刑される。

その遠因となった、アレクサンドロスによる跪拝礼導入の主張は、東方的専制主義に感染したというよりも、圧倒的に優勢なペルシア文明との落差を直視し、一時的征服から安定的統治へ移行する必要から出たものであり、ギリシア的優越感克服と被征服者から学ぶ姿勢を示したものとして評価。

後継者(ディアドコイ)国家のうち、セレウコス朝はティグリス河畔のセレウキアの他にシリアにアンティオキアも建設、ギリシア化に多くの限界がありペルシア文明色が濃い。

「セレウコス朝シリア」という表記は不正確だが、ある程度は妥当。

プトレマイオス朝はギリシア・マケドニア至上主義を退け、エジプト文明と融合し大きく飛躍、最後の王朝だが衰亡のイメージは当たらないと、本書では高く評価されている。

西地中海のローマでは、反ギリシア的な大カトーと小スキピオの対立。

当時のギリシアはアンティゴノス朝が北方支配、南方ペロポネソス半島中心のアカイア同盟と協調と対立、そこにローマが絡む。

ポリュビオスのような親ローマ的知識人が持つ、かつてのギリシア優越主義。

「旧ギリシア」=ギリシア本土、早くにローマに屈し、古い偏見に捕われる。

「新ギリシア」=エジプト・シリア、商業発展、文明の融合により先進地域として再生、その表れがムセイオンとエウクレイデス、アルキメデス、エラトステネス、アリスタルコスなど。

「旧ギリシア」ではかつての古典文化への固定化・美化が進み、それをローマ人も賛美したため、現代に至るまで古典古代の精華とされているが、著者はあまり評価せず、むしろ「新ギリシア」における成果を強調している。

ローマ支配下でもギリシア的要素は存続、東ローマ帝国は最近ビザンツ帝国と呼ばれることが多いが、「東ローマ」=「東地中海文化圏」と解釈した場合、「東ローマ帝国」と呼ぶ方が適切とも。

上のメモは内容が曖昧で誤読もあるかもしれませんが、本書自体は読みやすい。

高校レベルの基礎知識があれば十分面白く読める文明論になっている。

ギリシア文明内部の相違だけでなく、ギリシアとローマ間のそれをもっと説明してくれれば、なお良かったが。

しかし悪くない本です。

2010年12月8日

アテネについてのメモ

Filed under: おしらせ・雑記, ギリシア — 万年初心者 @ 06:00

澤田典子『アテネ民主政』(講談社選書メチエ)の記事続き。

前431~前404年というペロポネソス戦争の年代はとにかく無条件で暗記するしかない。

開戦当初、ペリクレスはアテネ城壁内と長城で繋がれたピラエウス港に全住民が籠城し持久する一方、優勢な海軍でスパルタ勢力圏を攻撃するという作戦を実行するが、前430年に疫病が発生、多数の死者を出した上、前429年にはペリクレスも倒れ死去。

以後のアテネ政局は最低最悪のデマゴーグである好戦派クレオンと穏健中正な和平派ニキアスが対峙する情勢となる。

本書ではトゥキュディデスの記すクレオンへの悪評は必ずしも公平ではない可能性があるとも書かれているが、個人的には何と言ってもこの人物への嫌悪と軽蔑は到底拭えない。

民主主義に必然的に巣食うダニとでも言うか、とにかく唾棄すべき人物という印象しかない。

無思慮で卑劣で、優れた人々を誹謗中傷するのを事とし、ただ民衆の低劣な欲求に媚び、威勢がいいことだけが取り柄のこの人物がたまたまペロポネソス半島南西部ピュロスでの攻防戦で、アテネの名将デモステネス(有名な弁論家・政治家と同名異人)と協力してかその功績を奪ってかはわからないが、たまたま勝利を収める。

馬鹿が調子に乗って、続けてトラキア方面アンフィポリスへ遠征するが、スパルタの名将ブラシダスと激突し、両者とも戦死。

トゥキュディデスを読んでいて、この部分では手を叩きたくなりましたよ。

クレオンがうまい具合に死んでくれたので、開戦からちょうど十年目の前421年ニキアス主導でアテネ・スパルタ間の和平条約が結ばれる(「ニキアスの和」)。

ここで冷静さを取り戻していればアテネも救われたかもしれないのですが、やがて若手の人気政治家アルキビアデスが再び過激な好戦論を主張し、それに煽られた民衆が戦争再開に向かう。

このアルキビアデスはソクラテスに愛された弟子ですが、実際の行動は滅茶苦茶で、本当にひどい弟子もあったもんです。

「人民政治の時代における荒淫、傲慢、圧制の権化」(クセノフォン『ソクラテスの思い出』一巻二章)という言葉が本書で紹介されているが、その通りとしか言い様がない。

前415~413年大軍をもってシチリア遠征が行われるが、主唱者のアルキビアデスは罪を得てあろうことか敵国スパルタに逃亡、指揮を執ったニキアスは不幸にして利あらず遠征軍もろとも現地で死亡。

もうこの辺からアテネはガタガタです。

以後スパルタも追われたアルキビアデスがアテネに復帰して一時戦況を盛り返したりもしましたが、結局前404年アテネは完敗、アルキビアデスは暗殺。

戦後スパルタの後押しで「三〇人僭主」と言われる寡頭政権が樹立されるが、これが恐怖政治を敷いた末、打倒され民主政が復活。

前399年ソクラテスが刑死してますが、これは「三〇人僭主」の主導者がソクラテスの弟子だったことで、その報復行為の可能性があるそうです。

別の本ではソクラテスはむしろ「三〇人僭主」の暴政を批判していたと書かれているのを読んだ記憶があるが、民主政再興後、逆恨みで裁判にかけられたらしい。

なお、また重箱の隅をつつくような話で恐縮ですが、『世界史年代ワンフレーズnew』で「前399年ソクラテス自殺」とあって、確かに逃亡できたのに自ら毒を仰いだのだから自殺でいいのかもしれませんが、国法に従って刑を受けたという意味ではやはり刑死とすべきではないかと・・・・・。

田中美知太郎氏が「自殺」と書いた研究者に驚いて注意を促したというような文章を以前読んだ記憶があるものですから・・・・・。

閑話休題。

寡頭政権打倒にあたって最も大きな役割を果したのはトラシュブロス。

「民主政の復興者」というと非常に良いイメージがあるし、私も以前トゥキュディデスの末尾にちょっとだけ名前が出てきた時そう思っていたが、本書ではやや気になる記述が。

アテネ敗北直前、前406年にアルギヌサイ海戦という戦いがあったが、そこでアテネ海軍は勝利したものの嵐により海に落ちた生存者の救助と戦死者の遺体回収ができなかった。

不可抗力にも関わらず、それに激昂した民衆が軍を指揮したストラテゴスたちを裁判にかけ無残に処刑。

処刑された中にはペリクレスの同名の息子小ペリクレスも含まれる。

アテネ民主政が衆愚政に転落していたことを表す最も有名な事例の一つとして知られ、ソクラテスも当時民衆を批判し諫めたが、このアルギヌサイ裁判の告発人の一人がトラシュブロスだったという。

実際の裁判中のトラシュブロスの役割は不明とも書かれているが、正直かなりイメージダウンではある。

ペロポネソス戦争末期にスパルタを支援したペルシアが、戦後はアテネ・テーベ・コリント・アルゴスの反スパルタ同盟を後押しし、前395年コリント戦争勃発。

紆余曲折の末、ペルシアが再び親スパルタ政策に戻り、前386年「大王の和約」で戦争終結、ギリシアにおけるスパルタの優位が継続。

この時期アテネではトラシュブロスの他、コノンらが活躍。

379年テーベがアテネと同盟、スパルタに反旗を翻す。

377年デロス同盟に続くという意味でそう呼ばれる「第2次アテネ海上同盟」樹立。

アテネ政界の主役はイフィクラテス、カリストラトス、カブリアス、ティモテオスら。

これらの人物をめぐる政治グループの離合集散が記されているが、さすがに面倒なので省略。

以後エパミノンダス、ペロピダスの優れた指導者二人を擁するテーベが台頭するのは教科書通り。

371年レウクトラの戦い、テーベがスパルタに圧勝、これをみてアテネは反テーベ陣営に鞍替え。

364年ペロピダス死去、362年マンティネイアの戦いでテーベがアテネ・スパルタ連合軍に勝利するが、エパミノンダスも戦死、テーベは没落に向かう。

前360年代はアテネ海上覇権復活の時代となるが、デロス同盟と同じく、357~355年の同盟市戦争で各ポリスの離反が相次ぎ、崩壊。

360年にマケドニアでフィリッポス2世即位、デモステネスが反マケドニア戦線を構築しようとするが、338年カイロネイアの戦いでギリシアはマケドニアの支配下に入り、古典期はヘレニズム期に移行する。

中身が極めて濃い。

前の記事で書いたように著者の視点にやや疑問を感じるときもあるが、具体的史実の記述はそれを補って余りある素晴らしさ。

借りてもいいが、できれば買って是非手元に置いておきたい。

説明がわかりやすく、記述が明解、曖昧さがほとんど無い、地図・系図が豊富かつ適切、と欠点が極めて少ない。

良質な啓蒙書として大いにお勧め致します。

2010年12月6日

澤田典子 『アテネ民主政  命をかけた八人の政治家』 (講談社選書メチエ)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:00

紀元前508年クレイステネスの改革から前322年アレクサンドロス大王死後の反乱鎮圧まで、約180年間のアテネ民主政の歴史を人物中心に叙述したもの。

副題の「八人」は、ミルティアデス・テミストクレス・キモン・ペリクレス・クレオン・トラシュブロス・イフィクラテス・デモステネス。

以上のうち高校世界史で出てくるのはテミストクレス・ペリクレス・デモステネス、それに何とか名前の出るミルティアデスを加えて、やっと半分の4人か。

本書の基本的視座は、古代ギリシアにおいて「稀有な息の長さと安定度と徹底さを誇った」アテネ民主政を改めて評価するもの。

しかし具体的叙述を読んでいくと、こういう制度を果たして肯定的に評価すべきなのかなあと疑問に感じる。

むしろ人類史上最初の民主主義の実験であるアテネにおいて既に、民主政というものがありとあらゆる愚行と醜態と惨状を晒しており、だからこそプラトンがそれに対する嫌悪と軽蔑から政治哲学をはじめたと言われた方がしっくりくる。

著者はそんなことを百も承知で書かれているのであろうし、仮にも専門家に無知な素人の私が文句をつけるのは噴飯ものだというのは認めますが、正直どうも一部に違和感を感じるところがあったと言わざるを得ません。

とは言え、この本における具体的叙述の価値は極めて高い。

著者は本書を概説・通史ではないとしているが、初心者にとっては普通にそのように使うのが一番適切で効用が高い。

世界史全集の中の該当巻を除けば、古代ギリシア史は意外と適当な本が少ないのだが、本書はその稀な例外となっている。

特にペロポネソス戦争終結からマケドニアの覇権確立までのアテネ・ギリシア史は類書が全くといってよいほど無く、各種全集でも省略されている場合がほとんど。

その中で本書後半部の記述はこの上なく貴重なものとなっている。

巻頭にあるギリシア主要部地図や適時挿入される該当部地図も見やすくて適切。

本文に出てくる地名はほとんどフォローできている。

(そんなの当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが、その当たり前ができていない歴史書が本当に多いです。)

地理的なことを少し確認すると、バルカンから陸地が南へ狭まっていく途中にあるのがテーベ、さらに南下してアテネ、そこから西側にわずかな地峡で瘤みたいに繋がっているのがペロポネソス半島、そこの南側内陸部にあるのがスパルタ、地峡にあるのがコリント。

以上四つの最重要ポリスの位置だけまず確認。

島嶼名などでは、小アジア沿岸にある島々が北から順に、レムノス・レスボス・キオス・サモス・ロードス、ギリシアと小アジアの間にあるキクラデス諸島のナクソス・デロス、バルカンにあるケルソネソス、カルキディケ両半島など。

以上他の地名を本文を読みながら追い追い憶えていく。

その際「面倒くさい」という気持ちは敵だと覚悟を決めて、何度でも地図を見ることを意識してやった方が良い。

制度上の予備知識としてアテネの最高職であるアルコンまでが、前487年より抽選制となったため、例外的に選挙制で重任・再任可能な軍事職のストラテゴス(将軍職)が重みを増したという冒頭の記述のみ、要チェック。

まずペルシア戦争開始年の前500年をすべての基準として真っ先に憶える。

この年は憶えやす過ぎる年だが、そこから二度のギリシア本土へのペルシア軍来寇が10年ごとと記憶。

前490年がマラトンの戦い、前480年がサラミスの海戦。

サラミスの翌年前479年がプラタイアの戦い、と三大戦闘をこれで記憶。

登場人物のうち、教科書には載っていなくて用語集の説明で出てくるレベルのミルティアデスを、まずマラトンの勝利者として強烈に印象付ける。

アテネが開拓したケルソネソスの僭主、ダレイオス1世に従ってそのスキタイ遠征へも同行したが、ミレトス反乱への関与を疑われペルシアに追われる身となり、アテネへ帰国、マラトンで大勝利をもたらす。

ミルティアデスはペルシア撃退後、ギリシアの他地方への遠征を主張して失敗し失脚、その後台頭してアテネの政権を担ったのがその子キモン。

ミルティアデス・キモン親子の家系がキモン家。

改革者クレイステネスの姪がクサンティッポスと結婚、その両者から生れたのが有名なペリクレス、この家系はアルクメオン家。

サラミスの勝者テミストクレスは門閥には属さない。

この時期のアテネ政界に活躍した大貴族としてもう一つ、カリアス家があるが、テミストクレスのライバルであるアリステイデスはこの家の縁戚(このアリステイデスはプルタルコスを読むと好意と敬意を抱かずにはおれません)。

以上の政治家では、普通ミルティアデス・キモン・アリステイデスが貴族派、クサンティッポス、テミストクレス、ペリクレスが民主派とされている。

しかし著者によると、当時のアテネでは対ペルシア、対スパルタに関する対外政策についての対立は確かに存在したが、国内制度上の「貴族派」・「民主派」といったような明確な対立軸は無かったとして、上記の区分が後世の目から見た、恣意的なものである可能性が高いとしている。

しかし、初心者が人物の大体のイメージをつかむために、上記の色分けを知っておいてもいいと思います。

今日はとりあえずここまで。

ペロポネソス戦争以後は続きます。

(追記:続きは以下

アテネについてのメモ

2009年8月6日

村田数之亮 衣笠茂 『ギリシア (世界の歴史4)』 (河出文庫)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:00

ギリシアカテゴリも、今ひとつ手薄だなあと思ったので補強のためにこれを読む。

ごくごく普通の概説。

強いて特徴を挙げれば、ペロポネソス戦争末期の経緯が比較的詳しく記されていることと、アイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデスの三大悲劇詩人の事績が適切なエピソードを交えながら語られていることくらいか。

しかし、中公世界史全集の旧版新版と違って、古典古代からギリシアだけが独立して巻立てされている割には密度が濃いという感じがしない。

ウォールバンク『ヘレニズム世界』の記事で記したような、ディアドコイ戦争の細かな経緯はバッサリ省略されている。

できれば、最初の方の、エーゲ文明や「暗黒時代」の考古学的記述を削って、上記のような分野にページを割り当ててもらいたかったのだが。

それなりに面白く、読んで無駄だったとは思わないが、是非にでも通読しなければならない本とは言いがたい。

中公旧版・新版など、他の概説を済ましていれば、特に取り組む必要もないかも。

2009年5月7日

ニコス・スボロノス 『近代ギリシア史』 (白水社 文庫クセジュ)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:00

ギリシアカテゴリは当然古典古代用に作ったものだが、本書を別のカテゴリに入れるのも変なので、ここに入れます。

第四回十字軍のギリシア占領辺りから筆を起こして、1980年代までを叙述した本。

冒頭部分はごく簡略だがなかなか読むのがだるい。

そのうちオスマン帝国の支配を受けて、1821年独立戦争が起こって、27年のナヴァリノ海戦を経て29年独立というのは教科書通り。

最初は大統領職が置かれたが党派対立の中で暗殺され、バイエルンのヴィッテルスバッハ家から迎えられたオトン1世が国王に即位する。

その後も、独立を支援した各国を後ろ盾にした英国派、仏派、露派の対立が激しい。

オトン1世は親露政策を取ったため、クリミア戦争中には英仏が国土の一部を一時占領。

1863年オトン退位、イギリスが主導する形でデンマーク出身王家が跡を継ぐ。

自由主義者と寡頭的旧支配層の対立が続くが、1909年に前年敵国トルコで起きた青年トルコ革命に影響を受けた反乱が起こり、これを期に大物政治家ヴェニゼロスが台頭。

二度のバルカン戦争があって、ヴェニゼロス主導で第一次大戦に協商国側に参戦、1920年のセーヴル条約で領土を拡大するが、ケマル・パシャに敗れて23年ローザンヌ条約で小アジアから追い出されるという経緯は教科書にも載ってますね。

その後24年から35年にかけて共和政となり、35年王政復古、40年に独伊侵攻、戦後は左派系レジスタンスと王党派の内戦、王党派が勝利してNATO加盟。

67年クーデタで成立した軍事政権下で73年共和政宣言、74年キプロス問題での対応失敗から軍事政権が倒れ、スペイン・ポルトガルなど南欧諸国と同じ時期に民主化が行なわれた、と。

もっと細かい経緯とか人名は本書では覚える気になれない。

先日の『ルーマニア史』と同じで、物語性が希薄なので読んでも面白くないし記憶にも残らない。

簡略で淡々とした事実関係のみの叙述であり、深い印象を受けない。

本文が130ページ余りしかない本書にそんなものを求めるのが間違いなんでしょうが。

類書が少ないので希少価値はありますが(C・M・ウッドハウス『近代ギリシァ史』(みすず書房)は長くて読む気になれない)、ごく大まかな概略を調べるのにはいいとしても、通読してしっかりと歴史の流れを頭に入れるために使える本とは言い難い。

あんまり得たものはありませんでした。

2008年9月20日

桜井万里子 本村凌二 『ギリシアとローマ (世界の歴史5)』 (中央公論社)

Filed under: ギリシア, ローマ, 全集 — 万年初心者 @ 06:00

旧版と同じタイトルの西洋古典古代の巻。

全16巻の旧版なら古典古代が一巻にまとめてあって当然だが、全30巻の新版ならギリシアに一巻、ローマに一巻割り当てても全然おかしくない。

全24巻の河出版でもそうなってる。

しかしこの中公新版ではこれまで軽視されてきた地域の歴史を重点的にカバーする意図からか、従来の世界史全集の一つの山場であった西洋古代史を一巻のみに止めている。

この辺は入門書も、ヘロドトストゥキュディデスはじめ初心者が読める古典的著作も多いし、そうした中ではっきりとした特色と意義のある概説を書くというのは、執筆者にとってかなりのプレッシャーを与える課題ではないかと思う。

本巻が果たしてそれに成功しているか、読了した感想を言いますと・・・・・・「微妙」。

読んでみると「普通」としか言いようが無い。

不十分極まるとは言え、あれこれと関連本を読んでいるので、それに加えてこれを読んでも大して強い印象は受けない。

そもそも細かなデータの掘り下げが圧倒的に不足している。

時代の重要性や史料の豊富さ、今までの研究の蓄積からして、面白い歴史物語を叙述しようと思えばいくらでも可能な分野のはずなのに、このような簡略な通史で済まされたのは非常に残念。

これまでの世界史全集とは異なる記述配分をという意図はわかるが、やはりギリシアとローマを一つにまとめたのは無理があるというか、もったいないというか。

「時代錯誤のヨーロッパ中心主義」という汚名を着ても、ギリシア・ローマで三巻くらい費やしても良かった気がする。

ただ、高校世界史を学んだ以外全く白紙の読者が読めば、比較的良くまとまった通史ということになるのかもしれない。

従来から論じ尽くされてきた分野において、基礎的な史実には全て言及し、物語的面白さは落とさず、定説としての史的解釈と新しい学説を共に紹介しながら、極めて限られた紙数に収めるなんてことは誰がやっても至難の業でしょうから、本書はまだしも成功している方なのかも。

特に本村氏執筆のローマ史の部分はそう思える。

個々の記述で気の付いたことを挙げれば、まずミケーネ文明衰退の原因として、昔の教科書で触れられているドーリア人の侵入ではなく、同時期ヒッタイトを滅ぼした「海の民」の活動を示唆している。

他には、以下の文章を読んで隙を突かれた。

ホメロスの叙事詩で歌われているトロイア戦争は、スパルタ王メネラオスの妻ヘレネをトロイアの王子パリスが誘拐したことを発端にしているが、そのスパルタはアカイア人による王国である。ポリスとしてのスパルタはそれとは違い、ドーリス人がミケーネ時代にスパルタ王国のあったラコニア地方に建設したのだった。

こんなことは物の判った人には常識なのかもしれないが、私自身は盲点を突かれた思いだった。

ローマ史では、前287年ホルテンシウス法によって元老院の承認抜きでその議決が国法となると定められた平民会とはすなわちトリブス民会で、それに対し富者優位だったのがケントゥリア民会(兵員会)であるのを再確認。

短いページながら著名な皇帝の人物像にも軽く触れられており、私の好きなアウグストゥスとユリアヌスについて好意的記述がなされているのが少し嬉しかった。

繰り返しますが、叙述の出来自体はさほど悪くないです。

欠点としては紙数が少ない。それに尽きます。

著者にこれの3倍くらいのページを与えて思う存分執筆してもらえば、もっと面白くなったろうにと思います。

2008年1月11日

F・W・ウォールバンク 『ヘレニズム世界』 (教文館)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:00

すみません、挫折しました。

第一章の史料検討がタルいなあと思い、第二章のアレクサンドロス大王の事績が他の本で大体知ってることで退屈だなあと思い、第三章「諸王国の形成」に来た所でこれは面白いと思い直し、第四章の文化史で苦しいなあ、まあごく大まかな論旨だけ掴めばよいかと思い、読み続けましたが第五章であまりにめんどくさくなって放り出しました。

結局20ページ余りの第三章でディアドコイ戦争の過程がわかったことだけが本書の収穫でした。

本書に加え、森谷公俊『王妃オリュンピアス』を参考にしてその概略を記すと以下の通り。

前323年大王がバビロンで死去。

バクトリア地方の豪族の娘ロクサネが大王の死後生んだ子がアレクサンドロス4世として、大王の異母弟だが知的障害があったため目立たない存在だったアリダイオスがフィリッポス3世としてそれぞれ即位。

ペルディッカスが両王の摂政として諸将の中で首位を占める。

王国は分割され、エジプトはプトレマイオス、小アジアはアンティゴノス、エウメネス、レオンナトスら、トラキアはリュシマコス、マケドニアは大王東征中から留守を守っていた老将アンティパトロスがそれぞれ支配。(レオンナトスは直後反乱鎮圧の際戦死。)

ペルディッカスが大王の妹クレオパトラと結婚しようとしたことを契機に警戒を強めた他の将軍たちは連合して対抗(エウメネスのみはペルディッカスと同盟)。

まずエジプトに向かったペルディッカスだったが、部下に暗殺される。

前320年シリアのトリパラデイソスでの会談でアンティパトロスが新たな摂政になり、アンティゴノス(・モノプタルモス[独眼王])がアジアの将軍とされ、セレウコスがバビロニアを支配することになる。

前319年アンティパトロスが自分の息子カッサンドロスではなく、ポリュペリコンを後継摂政に任命して死去。

アンティゴノス、リュシマコス、プトレマイオス、カッサンドロスの反ポリュペリコン同盟成立(エウメネスはポリュペリコン派)。

カッサンドロス軍がギリシア侵攻。フィリッポス3世と妻エウリュディケはカッサンドロス支持を宣言。

対抗してポリュペリコンが大王の母オリュンピアスを招くと、オリュンピアスはフィリッポス夫妻を殺害。

マケドニアに侵攻したカッサンドロスはオリュンピアスを裁判にかけ処刑する。

アンティゴノスはエウメネスを攻め滅ぼし、バビロニアを任せていたセレウコスを追い出す(セレウコスはプトレマイオスの下に亡命)。

今度はプトレマイオス、カッサンドロス、リュシマコスの反アンティゴノス同盟が成立、アンティゴノスはかつての敵ポリュペリコンと同盟。

プトレマイオスはパレスチナでアンティゴノスの息子デメトリウスを撃破、その機を捉えてセレウコスはバビロンを回復。

前311年和平が結ばれ、カッサンドロスをアレクサンドロス4世の摂政とし、領土は現状維持が合意されたが、カッサンドロスは邪魔者となったアレクサンドロスとロクサネ母子を殺害。

その後はアンティゴノス包囲網を基本としながら、時には和解・同盟が試みられるが、最終的に前301年イプソスの戦いでカッサンドロス・リュシマコス・セレウコス連合軍がアンティゴノス・デメトリウス父子に決定的な敗北を蒙らせ、アンティゴノスは戦死、デメトリウスは逃走した。

(恥ずかしながらかなりの期間、私はこのイプソスをイッソスと混同しており、同じ場所で二度重要な戦いが行われたと勘違いしてました。)

カッサンドロス死後、デメトリウスは一時マケドニアを保持したが、リュシマコスによって追い出され、セレウコスの捕虜となり死去。

前281年リュシマコスはセレウコスに敗北し殺されたが、ヨーロッパに渡ったセレウコスもリュシマコスの一族のうち味方に付けていた人物に暗殺された。

その後弱体化したマケドニアにはガリア人が侵入、無政府状態に陥るが、デメトリウスの子アンティゴノス・ゴナタス(2世)がガリア人を撃退し王位に就く。

エジプトはプトレマイオス2世、アジア・東方領域はアンティオコス1世に引き継がれ、これで三王国の分立体制が確立する。

私はほんの一部しか読んでいませんが、最後まで通読すればそれなりに有益な本だと思います。

2007年11月12日

大牟田章 『アレクサンドロス大王 「世界」をめざした巨大な情念』 (清水書院)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:00

ごく標準的な伝記。

大王の東征について、ギリシア文化の伝播や東西両文明融合という文化的意味を過大評価せず、あくまで特異で巨大な個性を持った人物による個人的栄光を求めた軍事征服として理解するというスタンス。

よく整理された記述で読みやすい。

しかし他のアレクサンドロス関係の入門書を読んでいる場合、それに加えて強いて本書を読む必要があるかというとやや疑問。

森谷公俊『王妃オリュンピアス』プルタルコス『英雄伝』アレクサンドロスの章をまず優先して読んだ方がいいと思います。

2007年10月8日

原随園 『アレクサンドロス大王の父』 (新潮社)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:00

ギリシア史のカテゴリもヘロドトス、トゥキュディデスなど古典を除けばショボ過ぎる。

前から気になっていたこれを読んで、少しでも数を増やす。

タイトル通りフィリッポス2世の評伝。

息子の陰に隠れがちでマイナー感が拭えないが、アレクサンドロスの大遠征の基盤固めをした名君の治世をかなり詳細に記述している。

驚くほど面白いというわけでもないが、あまり知られていない人物だけに史実の経緯をやや詳しく書いているだけでもそこそこ興味深い。

1974年に新潮選書の一冊として出た本でかなり古いが、ギリシア史の啓蒙書としてはなかなか良いのではないでしょうか。

あと大王死後のディアドコイ戦争の経過を詳しく書いた本がないか探しているところです。

2007年5月31日

ポンペイウス・トログス 『地中海世界史』 (京都大学学術出版会)

Filed under: ギリシア, ローマ — 万年初心者 @ 06:00

ギリシア・ローマの古典すべてを邦訳するという、とんでもない企画である西洋古典叢書の第一期刊行分の中の一冊。

果たして私が死ぬまでに完結するんだろうか。

帝政ローマ初期の歴史家トログスが書いたオリエントおよび地中海世界の通史をビザンツ帝国の歴史家ユスティヌスが抄録した作品。

買いはしましたが、ものの見事に挫折しました。

しばらくして売り払い、再挑戦の機会が無いまま。

このシリーズでは、トゥキュディデス『戦史』の記事で書いた通り、クセノフォン『ギリシア史』も取り組んではみたが、即挫折。

他に私が読めそうなものはというと、『ローマ皇帝群像』(原題『ヒストリア・アウグスタ』)くらいか。

これは正体不明の数人の著者(実は一人との説もある)が書いたハドリアヌス帝から軍人皇帝時代を描いた伝記作品。

信頼性に問題はあるが、史料が少ない3世紀のローマ帝国の重要文献であり、ギボン『ローマ帝国衰亡史』の第一巻の主要なタネ本らしい。

刊行前から出たら絶対読もうと思っていたのだが、店頭に並んだものをいざ立ち読みしてみるとどうも思っていたほどの面白さが感じられなかったので、未だに読めないまま。

結局これまでのところ、この叢書でちゃんと通読したものはゼロ。

今は、「背教者」ユリアヌスの治世を記述し、タキトゥス以降最高のラテン史家と言われるアンミアヌス・マルケリヌスの訳書が出るのを気長に待っています。

一体いつになるのか見当もつきませんが。

2006年12月10日

村川堅太郎 責任編集 『世界の歴史 2 ギリシアとローマ』 (中公文庫)

Filed under: ギリシア, ローマ, 全集 — 万年初心者 @ 06:27

古典古代の概説書として極めて標準的で安心して読める本。

平易でなおかつ面白く、1巻に続いてこのシリーズの出来のよさを満喫できる。

アレクサンドロス大王死後の後継者戦争の過程がほぼ省略されていたり、ローマ帝政後期が駆け足だったりするのは残念だが、大きな欠点では無いだろう。

確か「シーザー」とか「アウグスツス」という表記があったはずで、そこが時代を感じさせますが、今読んでも面白さには変わりない。

やはり世界史全集としてはこういう手堅い叙述を求めたいものである。

それにひきかえ、講談社旧版と河出版の全集のローマ史は酷かった。

最近亡くなった方なので言いにくいが、両方とも著者の弓削達氏が自身のキリスト教的価値観を全編に渡って押し通し、通史の形式すらほぼ無視した史的エッセイに近いものになってしまっている。

こういう突拍子もないものを出されても、初心者は戸惑うだけである。

弓削氏が自身の価値観に基づいて行っていた政治的活動については今更あれこれ言うつもりはないが、一般向け書物でのこの種の逸脱は編集者がきちんと止めてくれないと困る。

本書に限らず、初学者にとっては古い本であるが故に、著者の極端な意図や細々した最新学説のために面白さを減じることのない叙述を読めるというメリットもある気がする。

2006年10月29日

阿刀田高 『ギリシア神話を知っていますか』 (新潮文庫)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:11

阿刀田氏の宗教入門シリーズで一番初期に出たものかな。

読みやすく、わかりやすいのは『旧約聖書~』『新約聖書~』と同じだが、ギリシア神話は異説や枝葉の部分が多いので、これ一冊読んで他の本を読むときに参考になるということはやや少ないか。

少なくとも私は、ヘロドトス・トゥキュディデス・プルタルコスの神話時代の記述を読む上で、特に役に立ったという記憶は無い。

だが、ブルフィンチの『ギリシア・ローマ神話』(岩波文庫)を読むのは骨が折れるし、何も読まないよりはるかにマシである。

トロヤ戦争の概略も知らないのはマズ過ぎるのでさらっと一読しておきましょう。

2006年10月16日

ヘロドトス 『歴史 上・中・下』 (岩波文庫)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 07:16

言わずと知れた「歴史の父」の著作であり、トゥキュディデスと並び賞される古代ギリシア史必読の古典。

これも中央公論・世界の名著『ヘロドトス・トゥキュディデス』で抄訳を読んで、古典として身構えた割には非常に面白いと思ったので、全訳を買って読んでみた。

これまで2回通読したのだが、先日3回目に挑戦しようとして中巻の半ばで挫折。

エジプト、スキタイ、リビアの地誌的記述が延々と続くところで挫折しやすい。

後半ペルシア戦争の叙述が始まると俄然面白くなりますので、そこまで何とか持ちこたえてください。

読みにくい部分もあるが、やはり避けて通れない古典的著作なので、手元に置いておくのが宜しいかと。

2006年10月14日

トゥーキュディデース 『戦史 上・中・下』 (岩波文庫)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:28

抄訳は中央公論・世界の名著『ヘロドトス・トゥキュディデス』で紹介済み。

だが人によっては古今東西すべての歴史書の中で最高の書と評価する本だけに、全訳を読むべきなのかなあと思っていた。

1966年初版ながらその後ずっと品切状態で、入手困難なことで有名であった本書が1998年ごろ記念復刊された。

喜び勇んで即購入し、読み始めたのだが、かなり苦労した。

何とか通読したものの、さほどの感銘も受けずただ字面を追っただけといった感じで、これだけの名著の良さを自分は感じられないのかとガックリきた。

そういう不完全燃焼のようなモヤモヤした気持ちを持ちながら、本自体手放してしまっていたのだが、昨年また復刊されたのを期にまた購入し、気合を入れて再読してみた。

そしてようやく本書の凄さがわかった。

これだけの名著だけにいろいろな読み方ができると思う。

政治史というものを確立した書であると共に、乗り越え不可能なその一つの完成形態として。

パワー・ポリティクスの真髄を教えてくれる国際政治学最古の古典として。

ペリクレスという教導者を失った後、党派争いと衆愚政の中で自滅していった、人類史上初の民主主義国家アテネの惨めな堕落ぶり。

ポリス間、個人間から寛容と信頼が消え失せ、最低限の自己安全への懸念から疑心暗鬼に陥り、邪悪な行為が平然と行われるようになる内戦の悲惨さ。

やはり最低一度は通読しておくべき書物と思われる。

面倒臭がらず地図を何度も見て、主要なポリスと島嶼名をしっかり把握しながら読み進むこと。

なお本書は未完である。訳者による補遺も特に無い。

ペロポネソス戦争終局までの歴史を知るには、プルタルコス『英雄伝』の「アルキビアデス伝」を読めば、概略はつかめる。

本書が中絶したところから続けて書かれたクセノフォン『ギリシア史』の翻訳が京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」の中にあるが、まあ素人が読むのは相当厳しいだろう。(私は買ったものの、恥ずかしながら数ページで挫折した)

トゥキュディデス『戦史』の話に戻ると、この文庫版は昨年の復刊後また品切。同じ「西洋古典叢書」で全訳が出ており、これは手に入るようだが高いし厚い単行本で読みにくい。

こういう基本中の基本書が常時手に入らないのでは、岩波書店の名がすたるというもんじゃないでしょうか、文庫担当者様!!

2006年8月30日

阿刀田高 『獅子王アレクサンドロス』 (講談社文庫)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 18:03

アレクサンドロス大王を主人公にした歴史小説。

史実からさほど離れず、全生涯を描いているので通読すれば非常に参考になる。

相当分厚いが、読みやすく、挫折する恐れはそれほどない。

側近集団の描き方も印象的で、よく頭に残る。

これを読んでから、プルタルコス『英雄伝』の中の「アレクサンドロス伝」を読めば面白いかもしれない。

2006年6月14日

森谷公俊 『王妃オリュンピアス』 (ちくま新書)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 21:08

タイトル見て、「誰だ、それ?」と思われるだろうが、アレクサンドロス大王の母である。

あまり表舞台に立たなかった人物の視点から見たアレクサンドロスの伝記なわけだが、これは疑いもなく傑作である。

当時のギリシア・マケドニアの情勢、大王の東征の事績、大王死後の後継者戦争の過程が実にわかりやすく書かれている。

アレクサンドロス関係の啓蒙書では一番いいんではないだろうか。

ところが、この傑作も品切状態。ネット書店であれば、即買いましょう。

(なお同じ著者で講談社から『アレクサンドロス大王』が出ているが、こちらは細々した戦史の考察や一次資料の信憑性比較検討などが多く、標準的な伝記とは言い難く、初心者向きではない。)

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