万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年9月12日

桜田美津夫 『物語オランダの歴史  大航海時代から「寛容」国家の現代まで』 (中公新書)

Filed under: オランダ — 万年初心者 @ 04:17

このシリーズで、出て欲しかった国がちょうど出た。

低地諸州で、中央集権化への反発と宗教改革の影響により、ハプスブルク家支配からの独立運動が起こる。

ルター派は、カトリックとは違う教会組織の代案を持たず、教会の支配権を世俗君主に委ねてしまう。それゆえ、君主の支持が得られない場合の対応策を知らなかった。他方カルヴァン派は、同じ新教徒でも、自前の教会組織のネットワークを作り上げ、世俗君主による迫害に対しては抵抗権理論をもって反撃する戦闘性を備えていた。

こうして牧師と俗人の長老を主要構成員とするカルヴァン派の「教会会議」が、南部諸州(現ベルギー)各地に続々形成される。だが北部諸州(現オランダ)にカルヴァン派が根づくのは一〇年余り遅く、「低地諸州の反乱」(オランダ独立戦争の前半)勃発以後になる。

北部はカルヴァン派が多かったので独立し、南部はカトリックが多かったので再びスペイン王の支配を受け入れたという、昔からよく耳にする説明は事実に反する。オランダとベルギーの宗教の違いやその背景に想定されている国民性の違いなどは、低地諸州の南北分裂の原因というよりむしろ結果であった。分裂以前に北と南に違いがあったとすれば、それは、先進地帯の南のほうが宗派対立が先鋭化していた点だろう。

オランイェ(オラニエ)公ウィレムは、ドイツのナッサウ家出身。

ナッサウ家は、ドイツの地方君主と南フランスのアヴィニョンの北にあるオランジュ(オランイェ)公の二系統に分かれていた。

ウィレムはカール5世の信任も厚く、フェリペ2世とも当初良好な関係。

1568年オランダ独立戦争、79年ユトレヒト同盟、81年国王廃位布告(いわゆる独立宣言)。

1584年ウィレム1世暗殺、1609年休戦条約で実質独立達成。

国名はネーデルランデン(ネーデルラント)連邦共和国であり、国制は正式には君主制ではない。

各州議会では、都市為政者層(レヘント)と農村貴族が政治を運営。

高校世界史では「オランダ総督」と習うが、正式には州ごとに総督が存在し、北部の一、二州はドイツ・ナッサウ家が、残りの大半の州ではオラニエ家が兼務するという形だった。

経済的に大躍進を遂げ、17世紀にはヨーロッパ最先進国となる(それに関して、オランダ東インド会社によるアジア貿易の寄与はこれまで過大評価されてきた、とのこと)。

カルヴァン派内での「穏健派」「厳格派」「中間派」の争いもあったが、カルヴァン派が絶対多数を占めていたわけではなかったこともあり、カトリック、ルター派、メンノー派(再洗礼派から過激派を除いた宗派)、ユダヤ教含め、同時代での比較では相当に寛容な宗教政策が採られる。

ウィレム1世死後、その子のマウリッツおよびフレデリック・ヘンドリックが跡を継ぐ。

「厳格派」に近い総督マウリッツと「穏健派」レヘント層との対立が深まり、後者の代表オルデンバルネフェルトは死刑となり、「国際法の父」として有名なグロティウスも投獄される。

1625年フレデリック・ヘンドリックが総督になると対立は緩和。

その息子ウィレム(2世)は英国王チャールズ1世の娘と結婚、両者からウィレム(ウィリアム3世)が生まれる。

1647年フレデリック・ヘンドリック死去、48年ウェストファリア条約でオランダ独立正式承認、50年ウィレム2世死去、レヘント層の勢力が強まり、以後「第一次無州総督時代」に入る。

この無総督時代の指導者になった政治家が、ヨハン・デ・ウィットである。

しかし、その治世は国難の連続に見舞われる。

1651年航海法(航海条令という名称はもう消えましたか)と52~54年第一次英蘭戦争、提督トロンプが戦死し敗北。

1665~67年第二次英蘭戦争は名提督デ・ライテル(ロイテル)の活躍もあって何とか勝利。

開戦直前に奪われたニウ・アムステルダム(後のニューヨーク)はそのまま英領となったが、オランダは逆に南米のスリナムを奪取しているので、この第二次戦争をもイギリス勝利として捉えるのは間違っているとのこと。

しかし、1672年「災厄の年」と呼ばれる最悪の事態が訪れ、第三次英蘭戦争とルイ14世のオランダ戦争が勃発。

苦境の中、国民の声に押されて、ウィレム3世が総督に就任、デ・ウィットは激昂した民衆に惨殺される(この行為にデ・ウィットの友人である哲学者スピノザは憤激の言葉を残している)。

岡崎久彦『繁栄と衰退と』では、この17世紀オランダの政争では、中央集権志向のオラニエ家がとにかく正しくて、州権分立主義のブルジョワ政治家は全体的国益を省みず、厳しい国際情勢を直視しない利己主義に走って国を破滅させた、というかなり一方的な書き方になっているが、本書を読むと、やはりそう単純に断言できるものでもないようだ。

ウィレム3世がジェームズ2世の長女メアリと結婚(上記の通りウィレム自身の母がチャールズ1世の娘だから従妹との結婚だ)、名誉革命でウィリアム3世、メアリ2世として即位するのは周知の通り。

ここでイギリスとオランダが「同君連合」となったという場合があり、私もこのブログでそう書いたことがあるはずだが、厳密にはもちろんオランダはこの時代共和国なので、本書ではイングランドの国王とオランダの州総督が同一人物になった、と正確に記している。

ウィレム3世が死去すると、メアリとの間に子がいなかったので、英国はアン女王が継ぎ、オランダは「第二次無州総督時代」に入る。

階層が硬直化し、貧富の差が拡大、経済は明らかに衰退期に入る。

スペイン継承戦争で、南仏のオランジュ(オラニエ)公領を最終的にフランスに割譲。

オーストリア継承戦争の危機の中、ドイツ・ナッサウ家からウィレム4世が迎えられ、総督就任。

続くウィレム5世時代にアメリカ独立戦争を支援、1780~84年第四次英蘭戦争が戦われ、オランダは甚大な被害を蒙る。

フランス革命で、1795年仏軍と「愛国者」派を名乗る急進派の軍勢が侵入、(ローマ時代の古名にちなむ)「バターフ(バタヴィア)共和国」を樹立。

1806年ナポレオン1世の弟ルイ・ボナパルト(ナポレオン3世の父)を国王とする「オランダ王国」が生まれるが、それも1810年にはフランス帝国に併合。

ウィーン会議では、オランダはベルギーと合邦して連合王国を形成、総督ウィレム5世の長男が初代国王ウィレム1世として即位。

「啓蒙専制君主」志向のウィレム1世と議会が対立、王国成立と憲法制定に尽力した保守派政治家ホーヘンドルプもしだいに自由主義的反対派に属するようになる。

仏七月革命の余波でベルギーが分離独立。

海外ではジャワ戦争とアチェ戦争でインドネシアを植民地化。

1840年即位したウィレム2世は、仏二月革命に恐れをなし、国王の統治権限をほとんど無くした新憲法を容認、大臣が議会に責任を負う制度に移行、自由主義者トルベッケが三度にわたり内閣を率いて議院内閣制と近代化政策を確立、49年跡を継いだウィレム3世(~90年)もそれを覆すことは出来ず。

以後オランダでは、100年以上に亘って、女王が三代続く。

ウィルヘルミナ(1890~1948年)、ユリアナ(1948~80年)、ベアトリクス(1980~2013年)。

(2013年にはウィレム・アレクサンデル王が即位。)

カルヴァン派(カイペル率いる反革命党)、カトリック(スハープマンら)、社会主義者(穏健派トルールストラの社会民主労働者党)、自由主義者の四大勢力が並立。

第一次世界大戦では、隣国ベルギーがドイツの侵攻を受けたが、オランダは自由主義者の首相コルト・ファン・デル・リンデンの指導下、中立維持に成功。

戦間期、世界恐慌襲来後の困難な時期に反革命党党首コレインが首相在任(1933~39年)、緊縮財政と金本位制に拘り、恐慌対策には成功しなかったものの、高い人気と威信を保ち、親ナチ政党の勢力拡大を阻止。

1940年5月西部戦線で大攻勢に出たドイツ軍により蹂躙され降伏、ウィルヘルミナ女王と政府はロンドンに亡命。

ナチ支配下、アンネ・フランクを始めとして多くのユダヤ人が犠牲になる。

戦後、反革命党、カトリック国民党、労働党、自由民主国民党などで議会を運営、内閣はほとんど連立政権。

(後に急進派主体の「民主主義者1966年党」が誕生。)

東インド植民地維持を目論むが失敗、1949年インドネシア独立。

48~58年首相を務めた労働党のドレースは、外交では連立相手のカトリック国民党に引きずられ植民地維持政策を一時採ったものの、結局軌道修正し、内政ではマーシャル・プランの援助を得て経済再建に成功、社会保障制度を整備して福祉国家を建設し、現在でも最も高い評価を得る首相となっている。

67~71年首相デ・ヨング(カトリック国民党)は急進的学生運動が高揚した時代を巧みに舵取りし、イギリスのEC加盟(73年)の道筋をつけることにも貢献。

73~77年首相デン・アイル(労働党)は石油危機後の困難な経済情勢に対処、雇用・福祉問題で進歩的政策を推進。

キリスト教系政党は1973年連合して「キリスト教民主アッペル(CDA)」を結成。

82~94年そのCDAのルッベルス長期政権、財政再建と労使協調による社会保障制度見直しを進めることに成功。

94~2002年労働党のコック政権も旧来型の社会民主主義とは決別し、高い経済成長を実現。

21世紀に入ると、反移民・反多文化主義政策を掲げるポピュリスト的なピム・フォルタイン党および自由党が台頭。

しかし、02~10年のバルケネンデ(CDA)内閣、10年~のルッテ(自由民主国民党)内閣ともに、移民・難民政策を転換し、ピム・フォルタイン党・自由党と一時連立や閣外協力を組み、共同責任を負わせて「無害化」する、といった巧みな手法を発揮し、主導権を確保することに成功している(とりあえず本書刊行時までは)。

 

 

かなり良い出来。

時代ごとのページ配分も偏りが無く、内容的にも穏当。

このシリーズにふさわしい良質な通史になっている。

やっとオランダ史の標準的テキストが出た。

岡崎久彦『繁栄と衰退と』(文春文庫)は独立と17世紀だけしか記されておらず、内容的にも偏りがある(ただし物語的には面白い)。

ブロール『オランダ史』(白水社)チャールズ・ウィルスン『オランダ共和国』(平凡社)は生硬で日本人初心者向けでは到底ない。

本書に加えて松尾秀哉『物語ベルギーの歴史』(中公新書)ジルベール・トラウシュ『ルクセンブルクの歴史』(刀水書房)を読めば、ベネルクス三国については「あがり」です。

初心者は他に何も読まなくていい。

定番本が出て良かったなあ、と記して終わります。

(『物語ベルギー~』の書名一覧での評価を「3」にしているのに気付いたが、改めて考えると「4」くらいにはなりそうである。今から変えようかとも思ったが、記事を書いた当時はそれなりの感覚上の根拠があってそうしたのかもしれないので、とりあえずそのままにしておきます。)

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2017年8月29日

ジルベール・トラウシュ 『ルクセンブルクの歴史  小さな国の大きな歴史』 (刀水書房)

Filed under: オランダ — 万年初心者 @ 04:01

ベネルクス三国の中の一国だから、オランダカテゴリにまた追加できる。

中世の封建諸侯国家が国民国家の中に吸収されず、現在も主権国家として存続した例。

似た国としては、さらに小国として、スイスとオーストリアの間にリヒテンシュタインがある。

963年アルデンヌ伯爵家の初代ジークフロイトが現在のルクセンブルクの地を入手したのが建国の起源とされる。

アルデンヌ家で最も有名なのは、第一回十字軍のゴドフロワ・ド・ブイヨン。

そこからしばらく系図が続き、1308年アンリ伯が神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世として即位、ルクセンブルク朝が成立。

子のジャン盲目王が、百年戦争で仏軍に加わり、クレシーの戦いで戦死。

ジャンの子カール4世と孫のジギスムントが帝位に就くが、ルクセンブルク家はここで断絶。

なおジギスムントは、一時自領だったが、重要性が薄れたベルリンを含むブランデンブルクをニュルンベルク城主のホーエンツォレルン家に譲渡しており、これがプロイセンの基となる。

ルクセンブルクは抵当に入れられ、結局ブルゴーニュ公爵家の手に入る。

ブルゴーニュ公シャルルの戦死で、娘との婚姻関係からルクセンブルクを含むネーデルラントはハプスブルク家領に。

オランダ独立後も、ベルギーと共にスペイン・ハプスブルク家支配下に留まる。

で、スペイン継承戦争で、スペイン本国がブルボン朝となる代償として、ヨーロッパの他の領土と共にオーストリア・ハプスブルク家に割譲。

フランス革命時代に併合されるが、ウィーン会議で大オランダ王国の一部に(ただしオランダ君主との同君連合国家として、ルクセンブルク単独でドイツ連邦に加盟)。

1830年ベルギー独立革命が起こると、それに同調する気運が高まるが、結局列強の介入で、ルクセンブルクの西側三分の二のフランス語圏が独立ベルギーの一部となり、東側三分の一はルクセンブルクとなり、オランダとの同君連合国家を維持。

ドイツ関税同盟に加入、製鉄業の発達で経済は大きく飛躍を遂げる。

1867年国際会議で永世中立国化。

1890年オランダで女王が即位すると、女系継承の規則が無いルクセンブルクは同君連合を解消、分家のナッサウ・ヴァイルブルク家が大公として即位、これが現在まで続いている。

二度の世界大戦では、ドイツに占領された。

戦後は中立政策を放棄、NATOに加盟、ECSC・EEC・EC・EUなどヨーロッパ統合にも積極的に参加している。

以上の経緯だけ、ざっと確認すればよい。

細かい固有名詞や史実にはこだわらず、軽く流しましょう。

2016年5月13日

松尾秀哉 『物語ベルギーの歴史  ヨーロッパの十字路』 (中公新書)

Filed under: オランダ — 万年初心者 @ 03:53

オランダカテゴリへの追加も本当に久しぶりですね。

ベルギーという国は、オランダ語地域の北部フランデレン(仏語ではフランドル、英語ではフランダース)とフランス語地域の南部ワロンの対立が報道で伝えられるが、それが建国以来続いていたことがわかる本。

本書では国王の人物像にも焦点を当てる。

実際、通常の立憲君主国と比べて国王の政治関与の度合いが(現在でも)高い。

地理的には、北部にアントワープ、中部に東から西海岸に向けて、リエージュ、ルーヴェン、ブリュッセル、ヘント、ブリュージュと主要都市が連なる。

南部には十字軍指揮者として有名なゴドフロワの出身地ブイヨンもある。

オランダと共にネーデルラントを形成し、さらにルクセンブルクを加えてベネルクスという呼称もある。

古代においては『ガリア戦記』にベルガエ人の名前が出る。

中世にはフランドル伯領が繁栄、フランス支配下に入るが、百年戦争で英仏間の争奪の的となる。

のちブルゴーニュ公国支配となり、政略結婚でスペイン・ハプスブルク家領へ。

宗教改革を経て、オランダ独立戦争が勃発するが、カトリック中心の南部ベルギー地域が脱落したのは、高校世界史で既出。

画家ルーベンスが外交官として活躍、スペイン統治下での南部自立を守る。

スペイン継承戦争でオーストリア領となり、ヨーゼフ2世の啓蒙専制主義と中央集権化策、宗教寛容令などに反発強まる。

フランス革命で自由主義派とカトリック派が反乱、一時フランスに併合され、フランス語優位が確立。

ウィーン体制下ではオランダに併合(対ナポレオン戦争最後の決戦の地ワーテルローはベルギーにある)。

1830年仏七月革命の影響で独立革命勃発。

国王候補に一時オルレアン公の次男が挙がるが、結局ザクセン・コーブルク・ゴータ家のレオポルド1世に決定。

(その甥アルベルトが英ヴィクトリア女王と結婚することになる。)

1831年即位。

内閣組織時に首相候補者などと非公式協議を行い、政治関与する慣習が現在も続く。

列強の勢力均衡を保つための永世中立政策と、フランスの強大化を警戒してフランデレン保護策を採用。

1865年レオポルド2世即位。

教育問題で自由主義派とカトリックの対立激化。

産業革命進展。

1884年ベールナールト首相就任(カトリック党が以後1914年まで単独政権)、妥協的解決に努め、社会主義・労働運動へも同様の対応を取り、普通選挙採用。

労働党が進出、フランデレン地域運動活発に。

植民地獲得競争に参加、有名な冒険家スタンリーを雇用、1882年国際コンゴ協会設立、1885年コンゴ自由国という君主が個人所有する国が成立するが、その残虐な統治が国際的批判を受け、1908年正式な植民地ベルギー領コンゴに変更。

1909年前王の甥に当たるアルベール1世即位。

第一次世界大戦で中立を侵犯してドイツ軍侵入、リエージュ攻防戦展開。

ドイツ占領時、それを背景にしたフランデレン主義と、南北統一志向のベルギー愛国主義が対立。

(著名な歴史家ピレンヌはベルギーの統一性主張。)

労働党指導者ヴァンデルヴェルデの主唱による階級和解の試みがあった一方、地域対立の方は戦後も続き、1932年地域言語制を採用、首都ブリュッセルは両語圏と定められる。

1923年フランスと共にルール占領に参加。

34年アルベール1世が登山中遭難死、子のレオポルド3世即位。

フランスと距離を置く厳正中立政策に復帰。

大恐慌下でフランデレン人民同盟、ワロンのレックス党、共産党など左右の急進政党が台頭。

第二次世界大戦で再びドイツ軍による占領の憂き目に遭う。

レオポルド3世は、対独協力は拒否したものの、亡命政府と行動を共にせず国内に留まり、のちに批判を受け、戦後退位、1951年子のボードゥアン1世即位。

社会党出身の政治家ポール・アンリ・スパークによる外交指導で、EC本部がブリュッセルに置かれ、66年仏の軍事機構脱退によってNATO本部も移転してくる。

このスパークはフランスのモネ、シューマンと並んで「欧州統合の父」と呼ばれており、ベルギー近現代史の中では一番知名度が高い人物か。

カトリック政党のエイスケンス政権は教育問題で再度の妥協的解決を巧みに達成したが、1960年コンゴ動乱では賢明ならざる失策を犯し、混乱を拡大させてしまった。

第一次大戦後ドイツから得たルワンダでもフツ族・ツチ族間の対立を煽り、後の大虐殺の種を蒔いたと、本書での評価は厳しい。

戦後、経済的優位がワロンからフランデレンに逆転すると共に財政問題が国政の争点となり、分離運動が激しくなる。

60年代後半には、カトリック、社会党、自由党とも、地域ごとに分裂し、全国規模の政党が無くなる。

統一国家を守るために連邦制までは妥協して認めようとの主張が徐々に力を得て国王も同意。

だが完全な分離主義も台頭、フラームス・ブロックという極右政党が進出。

1993年連邦制成立、同年国王が死去し、弟のアルベール2世即位、当初はスキャンダルもあり批判も受けたが、地域対立で政権不在時期が一年を越す事態に苦言を呈し、連立交渉を促すことができた。

2013年国王退位、子のフィリップ1世が即位している。

建国以来から続く、地域対立の歴史を読んでいると、正直よく国がもっているなあとの感想を持つが、著者は、合意と妥協の政治文化、そして国政の微妙な要としての国王によって何とか統一を維持してきたベルギーを評価している。

 

以上のメモでは(特に戦後の)政局上の記述はかなり省略した。

コンパクトで読みやすい。

話の展開が早いので助かる。

中小国の通史としては、こういうのが良い。

特筆大書する点は無いが、堅実な良書です。

2009年4月17日

モーリス・ブロール 『オランダ史』 (白水社 文庫クセジュ)

Filed under: オランダ — 万年初心者 @ 06:00

白水社の文庫クセジュを初めて通読。

フランスの啓蒙書シリーズの翻訳ですが、どうも気後れしてこれまで読む気がしませんでした。

こういうマイナー分野なら貴重だし、読む価値あるだろと思い、手に取ったのだが、これが意外な拾い物であった。

古代から第二次大戦後までを、もちろん記述の濃淡はあるが、基本的にどの時代も省略無く叙述する通史なのが極めて有益。

非常に面白い岡崎久彦『繁栄と衰退と』(文春文庫)およびあまり面白くないチャールズ・ウィルスン『オランダ共和国』(平凡社)が両方とも16・17世紀のみ集中的に記述しているのと対照的。

まず古代から近世初頭の歴史が述べられて、これが少々ややこしいが、要するに中世末にネーデルラントの大部分がブルゴーニュ公の支配下に入り、ブルゴーニュ自体がフランスに併合された後もネーデルラントにおけるブルゴーニュ家の統治は続き、跡取りのマリがマクシミリアン1世と結婚してハプスブルク家の領地となったことだけ押さえておけばいいでしょう。

この両者から生まれたフィリップが、スペイン国王フェルナンド5世とイサベル女王の一人娘フアナと結婚して、カール5世(カルロス1世)とフェルディナント1世をもうける。(この系図は高校教科書にも載っているから憶えた方がいいでしょうね。)

これで成立したオーストリアとスペインのハプスブルク帝国にヴァロワ朝・ブルボン朝のフランスが激しく対抗するというのが16・17世紀の西ヨーロッパの基本構図な訳ですが、オランダはこの中でフェリペ2世治下のハプスブルク朝スペインから独立を目指すことになります。

このオランダ独立戦争というのが、区切りがいくつもあって面倒なんですが、1568年に独立戦争開始、1579年に南部10州脱落と北部7州によるユトレヒト同盟成立、1581年にネーデルラント連邦共和国独立宣言、1584年オラニエ公ウィレム(1世)暗殺、1588年スペイン無敵艦隊敗北、1609年休戦条約(これは固有名詞が付いてないので単に「休戦条約」としか書きようがない)、1648年ウェストファリア条約で独立正式承認という流れになる。

独立以後の総督(本書の記述では知事)としてウィレム1世、その子のマウリッツおよびフレデリック・ヘンドリック、フレデリック・ヘンドリックの子ウィレム2世、2世の子ウィレム3世(のちに英国王ウィリアム3世)くらいは憶えましょうか。

オラニエ家が君主的存在だったとしても、この時期の政体はあくまで連邦共和国なので、ウィレム3世の前後には、ホラント州の大商人階級が主導権を取っていた、総督不在の期間もあった。

それでいて北部のフリースラント州ではオラニエ家の傍系が知事を務めていたという状況だったらしい。

17世紀後半からの英仏との抗争の経緯は相変わらずややこしいことこの上ない。

この辺は高校世界史では一番複雑な部分の一つじゃないでしょうか。

中央集権を志向するオラニエ派に対して、州分権を強調した大商人の寡頭派について著者はかなり厳しい評価を下している。

1688年名誉革命でウィリアム3世が即位するが、この人が死去すると英蘭の同君連合は解消。

しばらく無総督時代が続いた後、1747年に上記傍系からウィレム4世が総督就任、以後世襲となる。

フランス革命軍に占領され、「バタヴィア共和国」が創られたりフランス帝国の一部として併合されたりした後、ウィーン会議でベルギーを併合してオラニエ家のオランダ王国成立。

七月革命の余波でベルギーが分離した後は、もうヨーロッパ史の主要なプレイヤーでなくなった感がありますので、カルヴァン派、カトリック派、自由主義派、社会主義派の四つ巴の争いが続いた19世紀の記述は軽く流しましょう。

20世紀は、第一次大戦では中立を維持し、第二次大戦ではドイツに蹂躙されたこと、戦後の欧州統合とNATO加盟あたりを押さえておけばいいでしょう。

なかなかいいんじゃないですかね。

140ページほどで読むのにさほどの手間も掛からないし、全般的にバランスが良い。

手軽な通史として十分使える。

末尾の既刊本リストを見ると、『ルーマニア史』とか『ブラジル史』、『近代ギリシア史』などマイナー分野で読書意欲が湧いてくる本がいくつか載ってます。

これらも機会があれば読んでみたいと思います。

2008年4月25日

チャールズ・ウィルスン 『オランダ共和国』 (平凡社)

Filed under: オランダ — 万年初心者 @ 06:00

単独のカテゴリを立てながら、一向に増える気配の無いオランダ史に何とか追加するためという、少々妙な動機でこれを読みました。

「オランダ」というカテゴリ名をやめて「ベネルクス」にしようかとも考えましたが、その場合果たしてこの先ベルギー史やルクセンブルク史の本を読むことがあるのかという問題があります。

カテゴリ自体無くしてしまって、「ヨーロッパ」にでも放り込もうかと思ったんですが、近世以降の覇権国を並べると、16世紀スペイン→17世紀前半オランダ→17世紀後半フランス→18世紀イギリス→19世紀イギリス→20世紀アメリカとなるでしょうから、いややはり重要な国なんだろうと思い直してそのまま存続させます。

17世紀を中心にしたオランダ史概説。

年代順に政治史的記述を積み重ねる本ではなく、経済・社会・文化に重点を置いてテーマごとに論じていく。

どちらかと言えば私にとって苦手なタイプの本。

基礎的な通史的知識は岡崎久彦『繁栄と衰退と』(文春文庫)で押さえておく必要がある。(この本は物語として非常に面白いので是非お勧めします。)

しかしごく大まかな傾向とイメージだけ読み取ろうと割り切るとそれなりに有益。

(美術・建築関係の文化史の章はさすがに読み飛ばしたが。)

読んでる途中で、この書名はどこかで見た覚えがあるなあと思って調べたら、高坂正堯『文明が衰亡するとき』(新潮社)に参考文献として名が挙げられていた。

そこで、「すぐれた概説書である」と評価されてるから、やはりいい本ではあるんでしょう。

機会があればお読み下さい。

以下、一応高校世界史の範囲内でありながら、何度読んでも忘れる英蘭戦争とルイ14世の征服戦争関連の史実と年代を私的にメモしておきます。

1651年 航海条令(英クロムウェル政権)

1652~54年 第1次英蘭戦争

1659年 ピレネー条約(仏、アルトワ、ルシヨン併合)

1660年 イギリス王政復古

1661年 ルイ14世親政

1664年 英、ニューアムステルダム奪取、ニューヨークと改名

1665~67年 第2次英蘭戦争

1667~68年 南ネーデルラント継承戦争

1668年 アーヘンの和約(仏、リール併合)

1672~74年 第3次英蘭戦争

1672~78年 オランダ戦争

1678年 ナイメーヘン条約(仏、フランシュ・コンテ、カンブレー等併合)

1681年 仏、ストラスブール併合

1688年 名誉革命 オランダ総督ウィレム、ウィリアム3世として英国王に即位

1688~97年 ファルツ継承戦争(アウグスブルク同盟戦争・植民地ではウィリアム王戦争)

1697年 ライスワイク条約(仏、アルザスの未獲得部分併合)

1701~13年 スペイン継承戦争(植民地では02年からアン女王戦争)

1713年 ユトレヒト条約(英、ジブラルタル・ミノルカ島・ハドソン湾地方・ニューファンドランド・アカディア併合)

1714年 ラシュタット条約(墺、南ネーデルラント・ミラノ・ナポリ・サルデーニャ島領有)

上の第3次英蘭戦争とルイ14世のオランダ戦争が重なった時期に英仏両国を敵にまわしてオランダは亡国の危機に陥るが、しばらくして名誉革命という「奇跡」が起こり、以後英蘭が同盟関係に入り、仏に対抗する形勢となる。

1659年のピレネー条約は、高校世界史範囲外だが、三十年戦争中から続いていたフランス・スペイン間戦争の講和条約。

アルトワは東北国境ベルギー近くの土地で、ルシヨンは西南部仏西国境の一地方。

スペイン継承戦争でオーストリア・ハプスブルク家領有となったナポリと、サヴォイ領からハプスブルク領になったシチリアから成る両シチリア王国がブルボン家の領土となった経緯およびフランスのロレーヌ併合については、『ポーランド民族の歴史』の記事の真ん中あたりを参照。

なお、高校世界史では四回にわたる「ルイ14世の侵略戦争」は「若干の領土を得ただけで成果無く終わった」と断定的に評価されているが、以上を見ると東部国境でかなりの領土を拡張している。

この部分は吉川弘文館の『世界史年表・地図』の中の「フランスの東部発展」という歴史地図を参照。(こういう詳しい図は普通の高校副読本では載ってないかもしれない。それがこの吉川弘文館のものを推奨する理由の一つ。)

例えばリールというのは、確かシャルル・ド・ゴールの出身地のはず。

ここを併合しなければ20世紀フランスの危機におけるド・ゴール将軍の出現もあり得なかったことを思えばそれだけでお釣りがくるというのはふざけ過ぎか。

ピエール・ガクソット『フランス人の歴史』(みすず書房)では、これらの戦争の原因はルイ14世の個人的野心にのみ帰せられるものではなく、結果としてフランスは安全な東部国境を持つことになったとある程度肯定的に評価している。

そしてストラスブールをはじめとする併合領土の住民が、強制によってではなく自発的に自らの運命をフランスのそれと同一視するようになったことを誇りを持って記している。

それを読んでかなりの程度説得的に思えたので、やはり歴史にはいろいろな見方があるんだなと感じました。

2006年11月15日

シュテファン・ツヴァイク 『エラスムスの勝利と悲劇』 (みすず書房)

Filed under: オランダ — 万年初心者 @ 06:35

宗教改革の激動の中で、狂信を排し寛容を主張した「最大の人文主義者」エラスムスを讃えた本。

それは結構なのだが、訳者解説で述べられているように、本書でエラスムスの敵役となるルターへの非難は、執筆当時のツヴァイクの反ファシズムの主張を込めて描くという意図がストレートに出すぎて、かなり一方的で歴史の実像を正確には反映していないように思える。

面白くないことはなかったのだが、以上のことが気になって気になって仕様が無かった。

まあ良質な歴史読み物ではあると思う。

2006年6月28日

岡崎久彦 『繁栄と衰退と』 (文春文庫)

Filed under: オランダ — 万年初心者 @ 20:10

独立戦争から名誉革命までおよそ100年余りのオランダ史。

80年代の日本・アメリカ・ソ連を、それぞれ当時のオランダ・イギリス・フランスに例えるという著者の問題意識が興味深い。

そういうのは抜きにしても、類書が少ないオランダ史なんていう分野で、稀に見る面白い通史に仕上がっていて、非常に貴重。

読みやすいし、確実に世界史読書ラインナップに加えるべき良書。

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