万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年2月14日

フレデリック・ルイス・アレン 『オンリー・イエスタデイ  1920年代・アメリカ』 (ちくま文庫)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 05:20

副題通り、1920年代のアメリカを描写した社会史・生活史・風俗史の本。

第一次大戦後、ウィルソン的理想主義に倦み、国際連盟への参加を拒否して「常態への復帰」というスローガンと共に孤立主義に閉じ籠り、ボリシェヴィズムの影に怯えて「赤狩り」が行われ、サッコ・ヴァンゼッティ事件を引き起こし、ハーディング、クーリッジ、フーヴァーという凡庸極まる共和党大統領の下、巨大企業重視の自由放任政策を続け、自動車とラジオを中心とした大量消費社会を出現させ、空前の好景気を享受したが、1960年代の対抗文化の先駆けのようなモラルの変容を経験し、誇大広告と煽情的ジャーナリズムによる大衆ヒステリーが繰り返され、リンドバーグなどが英雄に祭り上げられ、禁酒法という明らかに無謀で偽善的な社会的実験が行われ、その弊害からアル・カポネらマフィアが我が物顔で横行し、フロリダにおける狂気のような不動産ブームの後、さらに狂的な株式バブルを膨張させ、ついに1929年ウォール街株価の暴落を引き起こし、大恐慌に全世界を巻き込んだ、1920年代アメリカの大衆社会を活写している。

その醜悪な面は、日本を含む全ての民主主義社会の雛型でもある。

 

 

もちろん、細かな固有名詞やエピソードにこだわる必要は無い。

雰囲気をつかめば十分。

著名な本であり、学生時代から存在は知っていたが、この度初めて通読。

しかし、本にはやはり読み時というものがある。

これを学生時代に読んでいたら、多分途中で挫折するか、嫌々読み終えて何の印象も受けない、ということになっていたでしょうね。

 

ざっと読んで、現在我々が生きている社会を反映する鏡のような叙述を確認できれば、それでよい。

悪い本ではないです。

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2017年12月19日

猿谷要 『物語アメリカの歴史  超大国の行方』 (中公新書)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 07:16

初版は1991年で、この『物語~の歴史』シリーズではイタリアと並んで、最初期に出たものでしょう。

著者はアメリカ史研究者としては結構著名で、私の若い頃から名前だけは知っていた。

『物語イタリアの歴史』が感動的なほどの傑作だったのに対し、こちらの方は、立ち読みしたところ、ありきたりの通史に思えたので、これまで読むことがなかった。

だが、このシリーズで未読のものを潰していくか、という気になったので、この度通読。

 

結果はやはりもう一つである。

事実関係の密度が低すぎる。

内容のごくごく粗い通史をざーっと読まされる感じ。

誰もがある程度の予備知識を持っている国の歴史について、限られた紙数の新書版で特色のある通史を書くことがいかに困難かは理解しているつもりだが、それを割り引いてもやはり本書は成功とは言い難い。

白紙状態の人が一読して全般的イメージをつかむにはいいのかもしれないが・・・・・。

なお、史的評価については、昔立ち読みした時は、視点がリベラル寄り過ぎるだろうと思った記憶があるが、今回読んだ際には、その面ではそれほど違和感は感じなかった。

まあ、ごく平凡な通史、という以外の感想は持てなかった。

アメリカ史のテキストとして、強いてこれを選ぶ理由は無いです。

2017年8月4日

アーネスト・メイ 『歴史の教訓  アメリカ外交はどう作られたか』 (岩波現代文庫)

Filed under: アメリカ, 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 05:39

以前、いつかは読まなきゃと書いた本をこの度通読。

外交政策形成に当たって、政策決定者が、直近の、世論に受け入れやすい歴史の出来事にのみ囚われ、そこから現実に適合しない「教訓」を汲み取り、結果として歴史を「誤用」して、不適切な政策を選択してしまうことを、現代アメリカ外交の中から、第二次世界大戦末期、冷戦初期、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争介入という四つの事例から検討する。

続けて、和平達成の為の爆撃という軍事行動について、通常、戦略爆撃は敵国の抗戦意欲を高め、戦争終結に直結するものではない、それが効果を上げるのは、敵国の指導層に分裂が見られ、内部事情による政権交代が生じている場合のみだ、として第二次大戦末期の日本とイタリア、朝鮮戦争の休戦交渉中の共産国の例を挙げている。

残りの部分では、政府・議会・官僚・軍部・世論・専門家などの力関係から生み出されるアメリカ外交の、本書刊行時1973年以降の予測と、歴史家が政策決定者に幅広い視野から適切なアドバイスを与えられるようにする為の仕組みと情報公開について述べている。

難解な部分は特に無い。

著者の意見すべてが説得的とも思えないが、少なくとも、前半から中盤にかけては面白く、中々読ませる。

必読、とまでは言わないが、読む価値はあります。

ただし、ごく基礎的な知識は事前に頭に入れておく必要はあるでしょう。

2016年8月29日

大嶽秀夫 『ニクソンとキッシンジャー  現実主義外交とは何か』 (中公新書)

Filed under: アメリカ, 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 04:53

1969~1974年の任期中に、ヴェトナム撤兵、米中接近、米国・ソ連間デタントという三つの顕著な外交実績を上げた米大統領ニクソンとその安全保障担当補佐官キッシンジャーの世界認識と対外行動方針を考察した本。

叙述対象は、最初と最後の総括的概論を除けば、上述の三つの業績のみで、第四次中東戦争と石油ショックへの対応、沖縄返還と頭越しの米中和解および通貨変動相場制移行をめぐる日米関係、ブラント政権の東方外交をめぐる米・西独関係の協調と軋轢については、ほとんど記されていない。

分量はコンパクトで、まず負担にならないレベル。

それでいて説明は丁寧で要領が良く、文章も簡潔かつ明解で読みやすい。

ニクソン・キッシンジャー外交はおおむね肯定的に評価されてはいるが、その限界や失敗も見逃されてはいない。

史実の解釈や人物の評価にも違和感はほとんど感じない。

初心者向けの良好なテキストになると思われます。

2016年8月1日

村田晃嗣 『レーガン  いかにして「アメリカの偶像」となったか』 (中公新書)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 03:53

1980年代、今日まで続くアメリカの保守化を推し進めた元大統領ロナルド・レーガンの伝記。

1911年アイルランド系の貧しい家庭に生まれる。

同じアイルランド系のケネディはレーガンより20年早く大統領となり、40年以上先に他界したが、年齢はレーガンより6歳下。

苦学しながら大学を卒業、ニューディール時代の民主党の熱心な支持者になる。

ラジオ・アナウンサーとして世に出て、ハリウッドで俳優となり、競演した女優と最初の結婚、第二次大戦時には戦意高揚映画に出演。

戦後、映画俳優組合の役員として組合内の共産主義シンパに強い拒否反応を持ち、徹底した反共主義と「小さな政府」の信念を抱き、マッカーシズムの「赤狩り」に協力。

妻と離婚し、ナンシー夫人と再婚(これまででは離婚歴のある唯一の大統領)。

俳優としては落ち目となり、GE(ゼネラル・エレクトリック社)提供のテレビ番組出演と講演活動を行うようになり、全米的な知名度を得る。

依然民主党員ながら、政治的には完全に保守化。

レーガンの知性を過小評価することは危険だが、彼の読書は元々持っていた自分の信念を確認し補強するために読む、という癖があった、と評されている。

そして以下の文章が記されている。

「大きな政府」を嫌悪したレーガンが巨大企業に奉仕し、自由を奉じる反共主義者がテレビ番組で細部に至るまでスポンサーの検閲に従った。

彼は率直に認めている。「一九六〇年までに私は、真の敵はビッグ・ビジネス(巨大企業)ではなく、ビッグ・ガバメント(巨大政府)だということを理解していた」。

こういう人物を真の「自由の闘士」と見ることはできない、と思う。

1952、56年の大統領選挙では共和党のアイゼンハワーに投票。

60年にも共和党候補ニクソンを支持するが、民主党のケネディが当選。

その後、レーガンは民主党を脱し、共和党入り。

ケネディ暗殺後、64年大統領選で後継現職ジョンソンに対抗して、共和党保守強硬派候補ゴールドウォーターを支持したが、結果は大敗。

だが、レーガンの雄弁は大きな注目を浴び、党内保守派の期待を集める。

1967年レーガンはカリフォルニア州知事に就任。

財政政策などでは妥協的対応を取ったが、ヴェトナム反戦運動高揚とカウンター・カルチャー拡大を背景に過激化した学生運動には毅然として対処。

経済的な保守の追求する自由な市場経済は、宗教的保守には耐えられない社会の頽廃をもたらしていた。また、保守派は「大きな政府」を批判しながら、国防予算には大きく依存していたし、それは反共主義と連動していた。

さらに、保守派は政府が個人の自由を制限することを恐れながら、大企業による個人の自由の制限や侵害には鈍感であった。

レーガンもついに、これらの矛盾を解消できなかった。

しかし、彼は経済的な保守と宗教的な保守、反共主義を兼ね備えていたし、これらの矛盾を包摂する魅力を有していた。

私は、こういう種類の「保守化」を肯定的に見ることができない。

大資本が自由放任的市場を利用して社会全体を実質的に支配し、国民はその道具と操り人形に過ぎなくなり、その実態を誤魔化すために奇矯で偏狭な宗教的原理主義(今の日本では野卑で低俗な形式主義的ナショナリズム)が煽られ、「おぞましい国家社会主義か、規制無き自由市場社会か」という二者択一に問題を歪めることで、批判者の口を封じる欺瞞がまかり通って久しい。

レーガンを含め、そうした社会で支持を受けるポピュリスト的指導者は、結局は金融資本の雇われ人です。

1968年大統領選で共和党のニクソンが政権奪回。

レーガンが副大統領となる可能性も取り沙汰されたが、実現せず。

75年初頭知事を退任、「グレート・コミュニケーター」としての能力を活かし保守派を糾合する「右派のローズヴェルト」として、76年大統領選を目指すことになる。

ウォーターゲート事件で74年ニクソンは辞任、副大統領ジェラルド・フォードが昇格。

76年建国二百周年の年、レーガンは共和党大統領候補の座を現職フォードと争って敗北、本選ではヴェトナム戦争とウォーターゲート事件に倦み清新さを求めた国民に選ばれ、民主党の新顔カーターが当選。

政治姿勢はリベラルだが、カーター自身宗教心の篤い福音派の南部出身者で、レーガンとの共通点もある。

カーター政権は、内政・外交とも不手際を重ね、特に79年はイラン革命と米大使館人質事件、第二次石油危機、ソ連軍アフガン侵攻(と本書では書かれていないがニカラグア革命)などアメリカの威信を揺るがす事件が続発。

1980年予備選挙でブッシュ(のち大統領[父])、ハワード・ベーカー(のち大統領首席補佐官、駐日大使)を下し指名獲得、本選でもカーターに地滑り的勝利を収める。

通常、保守派は歴史に社会の統合作用を求める。しかし、共通の記憶としての歴史が浅いだけに、共有できる希望としての未来に統合作用を求めるのが、アメリカの保守派の特徴である。大衆文化を熟知した「幸福な戦士」、「救済ファンタジー」に駆られたレーガンこそ、保守派の糾合そして過去と未来の架橋に適任であった。その意味で、レーガンは政治的タイムマシーンであった。

1981年「強いアメリカ」「小さな政府」を唱えるレーガンが大統領就任、70歳を迎える直前、史上最高齢の大統領となる。

政権スタッフは、国務長官ヘイグ(のちシュルツ)、国防長官ワインバーガーら。

極端に右派色の強い人物は少なく、カリフォルニア時代の側近と共和党主流派の混成チーム。

黒人閣僚は一人だけ。

レーガンは決して人種差別論者ではなかった。その点では南部の保守派とは異なる。そもそも、彼は人種問題にほとんど無関心であった。・・・・・レーガンの大統領就任時から二〇〇〇年までの間に、黒人の政治家はほぼ倍増したし、連邦議会での女性議員の比率も倍になった。同性愛者の人権状況も大幅に改善された。もちろん、それらは歴史的な潮流であって、レーガンの功績ではない。確かに、彼は人種、女性、同性愛といった「小さな物語」に無関心で、より「大きな物語」を愛したが、かといって彼を露骨な差別論者として描くことは正しくない。

政権担当時期の史実を一年ごとに細かくメモするのは止めましょうか。

ただし、本書を読む場合は、頭の中でそうした方がいいです。

外交では、軍備拡大と対ソ強硬路線で、冷戦最終段階のソ連を追い詰める。

内政では、大幅減税と軍事費拡張を組み合わせた「レーガノミックス」は、財政と貿易収支の「双子の赤字」をもたらす。

まず前者について言えば、衰退期に入っていたソ連の軍拡と膨張主義に対抗措置を取る必要があったことは全く疑いの余地は無い。

しかし、SDI(戦略防衛構想)は熟慮の上で作られたものとは言い難いし、アフガンの反ソ・ゲリラに対する過剰支援はのちにアルカイダを生み、アメリカ自身の首を絞める結果となったし、イラン・コントラ事件のような醜聞も発生したし、グレナダ侵攻という措置が必要だったのかは、本書を読む限り疑わしい。

後者の内政については、表面上かつ一時的な経済活況をもたらしたとは言え、その評価はより厳しいものにならざるを得ない。

政府支出と財政赤字の拡大が雇用と経済成長をもたらしたとすれば、それはケインズ経済政策の成功と言えた。にもかかわらず、「レーガノミックス」の成功が喧伝された。

・・・・・確かに、景気は回復し株価は上昇していた。人々はクレジット・カードで買い物を続けた。アメリカ社会はよく言えば豊かさ、有り体に言えば貪欲に身を委ねようとしていた。ある雑誌はこれを南北戦争後の「メッキ時代」にたとえた。その影で、財政赤字と貿易赤字という「双子の赤字」は拡大の一途であった。離婚率も上昇していた。政府は問題を解決できないというレーガンの診断は正しかったが、「小さな政府」と規制緩和という彼の治療法は必ずしも適切ではないと、やがて人々は認識するようになる。

・・・・・レーガンの大統領就任時と退任時を比べると、財政赤字はほぼ三倍に膨れ上がり、貿易赤字も過去最高額に達していたのである。失業率もわずかながら上昇していた。

しかも、貧富の格差が拡大していた。確かに、レーガン時代に数百万の雇用が創出されたが、その大半は低賃金労働であった。かつて組合活動で名を上げた大統領の在任期間に、全米の組合加盟率は二三%から一七%に低下した。こうして、一九七九年には上位一%の富裕層が国富の二二%を保有していたが、八九年にはそれが三九%になっていた。

繁栄の影で貧困が広がる姿は、まさに『二都物語』であった。

アイゼンハワー以来、二期八年を全うした初の大統領として退任、後継のブッシュ(父)を当選させ、引退。

94年アルツハイマー病を公表、2004年死去。

政治的立場の左右を問わない賛美と崇拝の対象となるが、結局その表面的国民統合は、大資本と富裕層の暴走を覆い隠す役割を果たすだけの偽物と断じざるを得ない。

その後継であり、「レーガン革命」の果実を享受した共和党右翼過激派は、さらに劣悪なエピゴーネンに成り果てている。

「保守運動は成功の犠牲者である」とショーン・ウィレンツは言う。所期の目標を失った保守派は、新たな「大きな物語」の定義をめぐって再び対立し始めた。しかも、彼らはレーガンという政治的メディアを失った。保守派はレーガンの偶像化によって分裂を食い止めようとしたが、ますます過激になっていった。冷戦下でハルマゲドンを恐れたレーガンの自制心を、ブッシュ[これは子の方を指すんでしょう――引用者註]は持たなかった。前者にとって「強いアメリカ」は回復すべき目標だったが、後者にとっては所与の出発点だったのである。減税と「小さな政府」を強引に求める二一世紀のティーパーティー運動にも、「実際的なイデオローグ」の慎重さや寛容は見られない。

そして、激しい経済紛争にも関わらず、日米同盟を緊密化し、「新保守主義」の盟友として、「ロン・ヤス」関係を作り上げた日本の中曽根康弘政権に対しての評価も、かつてと異なり、変えざるを得ないなと私は感じています(イギリスのサッチャー政権に対しても同様)。

 

 

非常に良い。

大統領任期中に限らず、その生涯をバランスよく記述。

文章も流暢で、話の運びもスムーズで巧い。

煩瑣でもなく、簡略過ぎもしない、ちょうどいいレベルの説明。

著者の政治的立場に疑念を持つ向きもあるかもしれないが、本書に限って言えば、レーガンおよびアメリカに対する批判的視点は十分に保たれていると感じた。

有益かつ良好な伝記として推奨します。

2015年11月12日

三宅昭良 『アメリカン・ファシズム  ロングとローズヴェルト』 (講談社選書メチエ)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 15:47

アメリカにファシズムはあったのか。この問いに対する答えは、もちろん、〈ファシズム〉の定義いかんによる。

たとえば、イタリア・ファシズムに見られた「マルクス主義と国民主義の融合体、哲学的には意志論、経済的には開発主義のイデオロギー」と定義するなら、アメリカには〈ファシズム〉のあろうはずもなくなる。また、もう少し広く、イタリアとドイツ、それに日本を含む、三者の共通項をくくり出し、とりわけその膨張主義に焦点をあてる場合にも、アメリカには〈ファシズム〉はなかったことになる。

しかし、右の定義は、いずれも〈ファシズム〉を暗黙のうちに〈民主主義〉との対立概念として設定し、そのことによって問いそのものを無効にしようとするものである。つまり、その前提にたつかぎり、アメリカは〈民主主義〉の体現者として、あらかじめ免罪されているのだ。ここには先の世界大戦を連合国側が〈民主主義〉対〈ファシズム〉の戦争と位置づけたことが反映しているように思われる。

彼らは福祉国家と人権思想を戦争目的にかかげ、勧善懲悪の二元論的構図を打ち出した。そしてこの対立の図式は、戦後世界に受け継がれた。すなわち、西と東は互いに相手を〈ファシズム〉と重ねあわせて憎悪したのだった。その意味で、これまでの〈ファシズム〉研究は、個々の研究の意図がどうあれ、戦中と戦後の〈民主主義〉の連続性と一貫性を保証し、その正当性を確認する場として機能してきた、とまずは判断してよいだろう。しかし、はたして〈ファシズム〉と〈民主主義〉はそれほどにも鋭角的に対立するものなのだろうか。

たとえば、ヒトラーは議会制民主主義の手続きを通じて、つまり民主主義のルールにのっとって政権を掌握した。ムッソリーニはたしかにローマ進軍という示威行動で国王をつき動かしたが、ファシスト党はすでにイタリア国民のあいだに広く深く根をひろげ、数々の経済政策をつうじて民衆の支持を磐石のものにしていた。一方、〈民主主義〉を標榜する英米も、戦前戦中を通じ、戦術的政策決定に際し、帝国主義的植民地主義的利害を民主主義の原理に優先させた。民間人を標的にした戦略爆撃はその最たるものであり、戦争終結をめぐる連合国諸国間の駆け引きの直中で落とされた原爆は、その陰惨すぎる最悪の象徴である。

・・・・・敵を外部につくる態度ほど〈ファシズム〉的なものはない。その点でいえば、〈ファシズム〉を外部化する戦中の〈民主主義〉もまた、すぐれて〈ファシズム〉的だったのである。〈ファシズム〉は〈民主主義〉の外部などでは決してない。むしろそれは内部の問題なのである。別言すれば、それは〈民主主義〉と民衆政治の問題なのである。そしてそのように考えるならば、アメリカにも〈ファシズム〉はたしかにあったのである。

・・・・・民主主義とは、民衆が代議制と選挙と多数決によって自らの意思を〈代表/表象(リプレゼント)>する制度にほかならない。しかし、うちなる<ファシズム>が作動しはじめると、それは民衆のなかに希薄化されていた権力を機構の頂点にむけて収奪する装置にいとも簡単に化ける。しかも民主制度は自己をかぎりなく抽象化しているので、小さくゆっくり暴走が始まると、それをチェックし制御する機構がなし崩しにされてしまうのである。

 

1930年代アメリカにはミニ・ファシストたちが多数存在した。

農場休日連合のミロ・リーノ、ドイツ系アメリカ人連盟のフリッツ・クーン、銀シャツ党のウィリアム・ペリー、タウンゼント運動のフランシス・タウンゼント、社会正義国民同盟のチャールズ・カグリン(カフラン)・・・・・。

そのうちの一人、ルイジアナ州連邦上院議員で「富の共有運動 Share Our Wealth Movement(SOW運動)」の組織者、ヒューイ・ロング[あだ名は『キング・フィッシュ』](1893~1935年)が本書の主人公。

幸い国家の最高権力には達しなかったが、無制限の煽動を許す民主主義社会の性質を逆手に取り、一時は恐るべき脅威となって1930年代のアメリカに立ち現われた。

ルイジアナの自営農の息子に生まれ、大学進学に失敗、無軌道・自堕落な生活を経て、セールスマンになるが第一次大戦で解雇され、それから一念発起して大学入学、猛勉強の末弁護士になる。

ルイジアナ州はメキシコ湾に接する南部、西にテキサス、東はミシシッピ州、ミシシッピ川河口の大都市ニューオリンズを擁す。

元フランス領でカトリック教徒の多い、貧しい州。

ロングは政界に進出、<民衆の組織化>、<既成勢力の打破>、<反=大企業のキャンペーン>で「平民の味方」を演出、有力者を卑語・猥語を多用しながら罵倒。

そうした「わかりやすさ」と親密さのなかに、ヒューイはときおり彼らの理解のおよばない話を少しだけまぜることを忘れないのであった。

という具合に典型的デマゴーグとして巧妙に台頭。

個人的口添えで支持者のトラブルを解決、ロングへの批判に対して「それがどうした、みんな彼のおかげじゃないか。」という感覚を生み出す。

1924年知事選に出馬し落選。

既成勢力と大企業と自身に批判的な新聞を三位一体とする陰謀論を展開。

28年の選挙では知事当選、道路建設・教育・医療・天然ガス供給などの公共事業と福祉行政で民衆の支持を広げるが、反対派への圧迫と独裁的姿勢が徐々に強まる。

ロングを支持した民衆は、自由と権利の喪失に気付かなかったのか?

いや、この言い方は正確ではない。誰がどこで代償を払っているかはわかっているのだが、その代償は物理的なものだと思いこみ、そのことを気にかけぬどころか、むしろ小気味いいことと思っているのだ。そしてもっとも始末の悪いのは、ロングの仕掛けた階級怨嗟にこの男は自分が乗せられていることに気づいていない点である。

つまりかれは無自覚のうちに、おのれの心を支配されているのだ。

自由をないがしろにして経済発展をめざす態度。それをここでは<開発主義>と呼ぼう。ロングの公共事業「福祉」政策は、この<開発主義>に他ならない。かれは、たしかにめざましい経済発展をもたらした。しかしそのいっぽうで人びとから自由と権利を奪った。かれが誇示した成功と速度は、自由よりも経済的利益を優先させてはじめてなし遂げられたのだ。

ファシズムのやっかいなところは、そうした<開発主義>をつねに民衆の合意をとりつけながら押し進めてゆく点にある。しかもその合意が、合理的判断力を持った個人の集合体が、冷静さのなかで積極的意志を働かせた結果では必ずしもないにもかかわらず、「民衆の合意」として機能してしまう点にある。こうして一人の、あるいは少数の権力者の意志が、「民衆の意志」にすりかわって政治の世界をひた走る。

為政者は民衆に「開発」を与え、民衆は為政者に権力を与える。手段が目的と化し、目的が手段と化す。そして人びとは繁栄のかわりに自由を失う。こうして民衆と権力と開発主義は手に手を取って輪舞曲を踊り、ロングはそのにぎやかな舞踏のなかを、独裁化の道を突き進んだのである。

民衆と権力と開発主義の輪舞曲は、既成勢力と大企業のうえに恐怖となって立ち現れた。支配と服従を強いる一方で、従わないもの、逆らうものには徹底した復讐を返すことになる。選挙で、人事で、議会運営と課税政策において、ロングは経済エリートたちに、勝つのは誰か、権力はどこにあるのかを教えてゆく。民主政治の<形式>を守る限り、勝つのは金持ちではなく、多くを束ねたものであり、権力はかれらを魅惑したもののところにあるのだということを。

<民主主義>の形式を遵守しながらその実質を骨抜きにすること。これが<ファシズム>台頭の方法である。そうして民主主義を必至に追い込み、最後の一手で息の根を止める。ドイツのヒトラーもイタリアのムッソリーニも、そうやって“合法的に”独裁制を敷き、当の議会制を無力化した。そしてこの点においてキングフィッシュは、かれらヨーロッパのファシストとすこしも変わりなかったのである。

1930年連邦上院議員選に勝利(32年1月まで知事兼任)、31年民主党全米委員会ルイジアナ代表に就任。

(当時、南北戦争以来南部では民主党が独壇場。ニクソン・レーガン時代まで共和党勢力は極小。現在では完全に逆転している。)

不正選挙で後任知事もロング派より就任。

ロングに攻撃された既成勢力の側にも多くの問題はあったが、ロングの手法は議会主義そのものを掘り崩す不正・無法に満ちたものだった。

・・・・・もっとも忘れてはならないのは、民衆はこのような<ファシズム>への道を正当な道と見なし、ロングとともに歩いたことである。<ファシズム>が真に恐ろしいのは、こうして社会の弱点につけ込み、弱いものに「援助」を降り注ぎ、じつは誰かの自由と権利を踏みにじっておきながら、「正義」の仮面をかぶって擡頭する点である。

人びとは見えない支配に踊らされ、その装いに熱狂し、その成果をたたえ、その速度を賛美する。こうして民衆を組織しながら、<ファシズム>は服従と隷属の制度を拡充して行くのだ。

32年6月、ロング自身の宣伝目的でルーズヴェルトの大統領候補指名を支持、以後機会主義的にFDR(フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト)を支持したり罵倒したりする。

内務長官ハロルド・イッキーズ、財務長官ヘンリ・モーゲンソーらの指示で、連邦職をめぐる抗争で反ロング派とFDR派が同盟を組み、ロング派と泥仕合を演じ同じレベルに堕ちる。

その中で、公共事業・社会的救済事業は停滞し、行政は政治化する傾向を見せる。

行政が権力をめぐる暗闘の場となり、住民への奉仕をおきざりにするとき、人びとのあいだにはいっそうの政治不信が広がり、無気力と挫折と絶望が蔓延する。

<民主主義>が<ファシズム>に対抗するには、自ら<ファシズム>に身を落とす以外にない。ファシズムのもうひとつの恐ろしさはこの一点にある。だが、「身を落とす」には、二つのやり方がある。一つはそれを自覚的に、苦渋の選択として受け入れる態度である。そして戦いのあと、そのことを些かもごまかさず、「身を落とした」ことの責任をどこまでも引き受けることである。ではもう一つの態度は何か。<ファシズム>に誘発されて、われ知らずに<ファシズム>に身をやつしてしまう態度である。

同じことをするにも両者のあいだには千里の径庭がある。なぜなら、前者はつねに自己を批判的に見る視点が確保されているが、後者はつねに<聖戦のレトリック>で自己を正当化してはばからないからである。そして、われわれがどちらの道を選ぶかは、まさに<民主主義>と民衆政治の「内部の問題」として発生するのである。

33年3月ごろより、極端な累進課税と相続制限を唱えるSOW運動開始。

当時の最新メディアであるラジオを利用した宣伝。

34年運動は本格化、“Every Man a King”と題された煽動演説を行う。

SOW協会は公称700万人以上で、誇張はあったとしても極めて多数の国民を引き寄せていたことは間違いない。

最低資産保証、労働時間短縮、教育拡充、年金・恩給支給を約束し、「ニュー・ディールとウォール街の結託」を批判。

そのレトリックは通俗の極みで、数字と学者と新聞名の羅列、聴衆は内容をいちいち吟味する時間も方法もないまま、ロングの主張に正確な裏づけがあるという「印象」だけを得て信奉者になってしまう。

その表面上のイメージとは異なり、ロング・プランは反資本ではなく親資本の面もあり(実際に権力を握ればこの種の低劣な人間は大資本との妥協に走るだろう)、社会の拝金主義を否定するものというより恣意的支配欲の現われとも言うべき。

実現可能性はゼロで、100万ドル以上の資産を一律に没収することにしても、全家庭に分配してわずか400ドルという試算。

実効性が無いことを知りつつ、それを大衆動員に利用していた。

ロングの目論見は、36年予備選でFDRを揺さぶり、民主党を離党し第三党を結成、共和党に勝利させ、自身の待望論を高め、40年大統領選で民主党からの指名とホワイトハウスの座を射止めるというもの。

かれは最高権力の椅子に座るために「喜んでもう四年間、国民に苦しみを味わってもらう気」でいた。

SOW運動を意図的に不公平に適用して不平不満を煽り、自暴自棄のエネルギーを自陣に引き寄せ、資産調査を恣意的に活用し、反対派への弾圧に利用。

恐怖に駆られた富者もロングに迎合、ラジオによるプロパガンダと世論操作をますます深化させる。

だれもみな他人の痛みがわからなくなり、今日と明日の生活を救われるために富者の自由と権利をないがしろにして平気になるであろう。じつは自分の心を進んで放棄していることに気づかずにである。そうなればもう、見境のつかなくなったかれらの声が、<見えない支配>に狂わされたかれらの声が、「民衆の声」として「多数者の声」として「声なき民の声」として、闇につつまれたアメリカの空を覆い尽くすにちがいないのである。

むしろ、われわれはこう考えなければならない。すなわち、環境と政策と悪魔的手腕がそろえば、民衆はいかようにも暴走する可能性をひめているのである。そしてそのことにアメリカもドイツもイタリアもない、と。・・・・・「SOWプラン」は分配主義の経済改革を装っているが、その本質は敵の外部化による、<大衆動員>と<独裁化>の政治装置であった。これはじつに恐るべき政治体制にアメリカを導く可能性をひめていたのである。

ここに描いた仮説は、あるいは荒唐無稽と映るかもしれない。しかしロングが国政の場でローズヴェルトと渡りあう一方で、ルイジアナで敷いた完全独裁制と照らし合わせれば、それは<あるいは起りえたかもしれないひとつの未来>として、われわれにその再考をうながすべく迫ってくるにちがいないのである。

陰謀理論すれすれの階級怨嗟煽動が何の制限も受けずに横行し、少数者の権利犠牲が正当視され、結果すべての人びとの権利が否定される。

常に「敵」を造り出す手法、その「敵」と戦う醜いデマゴーグがメディア上では「英雄」とされる倒錯。

「自由と利益のバーター」としか言いようのない事態が進行。

ルイジアナでは、新聞の利益にではなく、総売上額に重税を課す反新聞法制定。

キングフィッシュは、新聞には「うそ」しかなく、自分の側にあるのは「真実」のみと主張する。つまり健全な政争の場ともなりえたところを「うそ」と「真実」の<聖戦のレトリック>で塗りかためたのである。

いかなる限定も条件も設けずに相手を全面的に悪であると糾弾すること。自派が百パーセント正しいと宣言し、たたかいの構図を正邪のレトリックで粉飾すること。それは<ファシズム>の論理である。あるいは<ファシズムのレトリック>と言いかえてもよい。なぜなら<ファシズム>にあっては、論理とレトリックは同一のものだからである。「うそ」を根拠に課税しようとする「新聞税」は、こうして<ファシズム>のレトリック(あるいは論理)をふりまわすキングフィッシュの手によって、州議会に送りこまれることになる。

反新聞法は審議もほとんどなく可決、司法権すら手中に入れ、州警察とは別の実力執行機関を私兵化。

州レベルではもはや独裁体制が完成していたようなものだ。

そして真に恐怖すべきことは、全国の有力新聞がこの事件をとりあげ、反言論統制のアンチ・ロング・キャンペーンをはったにもかかわらず、SOWの人気は少しも衰えなかったという事実である。つまりそれは、ルイジアナの言論の自由よりも、あるいは新聞に意見を発表するほどの人たちの自由よりも、自分が現在の困窮から救われることを優先させたということである。自分を救ってくれる人が、それ以外のことで何をしようと「それがどうした」のひと言で片付けたのである。美しい明日が約束されるなら、見知らぬ他人の発言の自由など、かれらの関知するところではなかったのだ。

かれほど自己イメージの演出にたけた政治家もまれであろう。大切なのは真実ではなく、どう見えるか、どう見せるかである。そうかれは信じていた。そして民衆はこの<見える>ものにこそつき従うのだということを知りつくしていたのである。かれがあれほど新聞の「うそ」にこだわったのも、自分が本当はうそをついているからであり、新聞の「うそ」は己れの演出努力を台無しにするからだったにちがいない。

自身は連邦議員で権限もないのに堂々と州議会に出席。

反対派議員が何を言っても口汚いジョークの餌食にするか無視。

正常な言論討議など成り立たず、反対派は無力感を持って沈黙するほかなかった。

審議の「能率化」によって、ある委員会では10分間に七つの法案が採決された。

あらゆる利権を横取りし、暗黒界とも影で協力し、人事権を恣意的に拡張。

ニュースを含むすべての映画上映を禁止し、ジャーナリズムを完全に抑えつける。

ルーズヴェルト政権はルイジアナ州への軍事介入すら検討した。

しかし、その独裁に突如終止符が打たれる。

35年9月ロングが青年医師に狙撃され暗殺。

犯人も射殺され、陰謀説も囁かれたが、その根拠は薄い。

犯人の動機として、ロング独裁への反感の他、ロングの政敵であった、妻の家族に対し、ロングが人種的中傷を行っていたことがある。

南部で深刻な人種問題に対するロングの対応は典型的二枚舌で、KKKへ迎合すると思えば、それを黒人記者に釈明するという具合。

ロングに人種偏見が薄いというより、白人・黒人双方に支配欲を発揮したというだけ。

暗殺者の側にも「黒人の血が混じっている」とのロング発言に反発したような偏見があったが、結局ロングの自業自得とも言える。

死後、SOW運動は内部分裂し、腐敗摘発の対象となりロング派は崩壊、残存勢力はFDR政権と妥協・和解、ただロングへの郷愁だけは残る。

「ロング神話」とは、たしかにロングの正当化であったが、それ以上に民衆による自己正当化の物語であった。ロングは正しく、かれを支持し選択した自分たちもまた正しかったというわけである。・・・・・民衆は贖罪のエレメントを必要としていた。ルイジアナ・スキャンダルはそこに格好の素材を提供した。・・・・・民衆はみごとに子分たちを叩きのめし、ロングを聖化し、自己を正当化した。そして自分たちの過ちを認めることだけはしなかった。

 

 

<笑い>あるいは<ユーモア>ほどファシズムから遠いものはない。多くの人はそう考えるだろう。

たしかにヒトラーやムッソリーニに<笑い>はない。敵を嘲笑したり、不敵な笑みを漏らすことはあっても、かれらはいずれも人から笑われることを極度に恐れ、嫌った。当然であろう。かれらは強烈なカリスマ性を身にまとい、自己を人びとの崇拝の対象に高めるべく努めたのだから。そのような独裁者たちにとって、<笑い>はかれらの虚飾と努力をうち砕く破壊的要素でしかなかった。ファシズムに対抗する手段として<笑い>の戦略化が提唱されるゆえんもここにある。

ところがヒューイ・ロングには<笑い>という対抗手段が通用しない。なぜならかれはユーモアと笑いを民衆の動員と組織化の方法に組み込んでいたからである。ロングは笑われることを少しも恐れなかった。それどころか、みずから道化的パフォーマンスを買ってでて、笑われることをつうじて人びとの心に浸透し、その笑いを勝利と権力と支配に結びつけていったのである。その意味で、かれはたいへん特異なファシストであった。

・・・・・われわれ日本人はほんとうに三〇年代のルイジアナ政治を笑えるか・・・・・われわれはどのくらい腐敗政治に寛容であるか。どれほどの茶番が赦されているか。われわれは政治家を尊敬しているか。尊敬されない政治家が当選するのはなぜなのか。

笑ってばかりいられない理由はほかにもある。ファシズムは豊かな国が貧しくなったときに出来する(ほんとうに豊かでなくともよい。問題なのは、貧しくなったときに豊かだったと錯覚することである)。では日本の未来はどうであろうか。われわれは物心両面でますます豊かで恵まれた社会を築いてゆけるだろうか。それとも荒廃した心と政治的未成熟はそのままに、いまの物質的繁栄を失ってゆくのだろうか。残念ながら現在のところ、多くの人は後者を予想するように思われる。

日本が貧しくなったとき、緊急に解決すべき問題が山のように積み上げられるだろう。それらを解決するためには強力な指導力が必要になるにちがいない。大切なのは、正確で規則に従ってはいるが実効に乏しいのろまな手続きではなく、強引でもなんでも速度にすぐれた達成であるからだ。しかしそれは一方でファシズムの発芽を許す格好の土壌を形成する。そのとき、目の前に<ロング>と<ローズヴェルト>がいたとして、果たしてわれわれはどちらを選択するのだろうか。うまく後者を選択したとして、その<ローズヴェルト>が堕落しかけたとき、冷静にそれをチェックできるだろうか。

時折、戦前ファシズムの復活を憂慮する意見を聞くが、筆者はその心配はないと考える。

そういう事態が訪れたときは、われわれはよほどの阿呆だったと言うしかないだろう。

むしろ気をつけなければならないのは、もっと洗練され、ファシズム的側面を隠したファシズム、つまり仮面をかぶったファシズムである。それはどんな仮面だろうか。正確な予想は難しい。しかしロングの<笑う/われるファシズム>、<陽気なファシズム>は、笑いとパターナリズムが恐怖政治を隠すという点で、ヨーロッパ型ファシズムにはない、ひとつの練習問題を提供してくれるはずである。

 

本書が出た1997年の時点で、こう書いた筆者の慧眼はただ事ではない。

「既得権益」を攻撃し、様々な社会保障制度や労働規制の廃絶を目論み、新自由主義的市場原理主義的「改革」をどんなに深刻で致命的な弊害や副作用があろうと強行し、最新メディアであるネットという個人攻撃の凶器を用い、既存メディアや反対する人々を誹謗中傷と罵詈雑言という言論の暴力と卑怯・卑劣な一方的印象操作で沈黙させ、一部資本の傀儡に過ぎないという自分の正体はひた隠す最低最悪の「右派」的デマゴーグ政治家や「論客」が跋扈する現在の日本を見ると、背筋が凍る著作。

そのような醜悪・卑劣な連中がネットを中心に大量に氾濫させている憎悪表現によって、我々は「心を支配され」ているにも関わらず、それに無自覚で何の抵抗もできずにいる。

もう「笑いのファシズム」はこの国の支配を完成させつつある。

 

 

アメリカ史のみならず、より広い視野からも必読の文献。

強く薦める。

2015年8月18日

ジェームズ・M・バーダマン 『アメリカ黒人の歴史』 (NHKブックス)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 09:02

この手の本としては、本田創造『アメリカ黒人の歴史』(岩波新書)などが類書か(かなり古いが)。

まず冒頭で用語の話。

アメリカ黒人を指す呼称として、以前はニグロが使われるのが一般的。

あるいはカラード・パーソンも。

代表的な黒人団体、「全米黒人地位向上協会」は National Association for the Advancement of Colored People :NAACP である。

それが、公民権運動を経て、アフリカン・アメリカン、ブラックアメリカン、ブラックスに変わる。

一方、「ニガー」という言葉は最も蔑視的でタブーとなっている。

ヨーロッパの加工品、アフリカの労働力、アメリカの原材料の三角貿易で黒人奴隷がアメリカに流入。

18世紀末、ホイットニーによる綿繰り機発明と南部綿花栽培の繁栄が、不幸にして一時下火だった奴隷需要を高めた。

なお、奴隷貿易自体は19世紀初頭に禁止され、奴隷の新規流入は停止しており、それ以後の奴隷廃止論争はすでに国内にいる奴隷とその子孫をめぐるものだったことは、しっかりと意識しておく。

本書では、教科書的には有名なミズーリ協定、カンザス・ネブラスカ法などの記述は省略されている。

南北戦争後、黒人に与えられたはずの投票権が骨抜きになる。

南部で依然続いた人種隔離制度は、白人が演じた滑稽な黒人キャラクターから「ジム・クロウ」制度と呼ばれる。

これは初めて聞く名称だ。

19世紀末、まず経済的地位向上を目指す融和的・漸進的な黒人運動家ブッカー・ワシントンが現われ、それに対して政治的急進的なW・デュボイスが対峙。

20世紀半ばの公民権運動でも、穏健派・主流派のマーティン・ルーサー・キング牧師と急進的なブラックパワー運動と「ネイション・オブ・イスラム」を率いたマルコムXがいる。

アラバマ州のバスボイコット運動、アーカンソー州のリトルロック高校入学問題、1963年ワシントン大行進、64年公民権法、65年投票権法と運動は進展するが、65年ロサンゼルスのワッツ暴動とマルコム暗殺、68年キング牧師暗殺(同年ロバート・ケネディも暗殺)と暗い事件も相次ぐ。

積極的差別是正のための優遇措置であるアファーマティブ・アクションが導入され、73年にはロスで黒人市長が誕生、89年には黒人州知事も生まれるが、アファーマティブ・アクションを逆差別だとする保守層の反発も80・90年代には生まれた。

92年ロス暴動は個人的に報道を覚えているし、2009年オバマの大統領就任はまだ記憶に新しい。

特にこの本を薦めるわけではないが、一般常識として知っておくべきことが適度に触れられており、そこそこ有益。

こういう本も一冊くらいは読んでおくべきでしょう。

2013年11月1日

ジョン・ルカーチ 『評伝ジョージ・ケナン  対ソ「封じ込め」の提唱者』 (法政大学出版局)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 15:52

著者ルカーチの作品では『ヒトラー対チャーチル』を(実質タイトルだけ)紹介済み。

外交官ジョージ・ケナンは、『人物アメリカ史 上』の記事で書いたように、アレグザンダー・ハミルトン、ロバート・リーと並んで、私が最も好意と敬意を持つアメリカ人の一人。

1904年に生まれ、2005年100歳を越えて大往生を遂げる。

包括的で詳細な伝記ではなく、それほど長大ではない。

ミルウォーキー生まれで、父の名はコシュート・ケナン。

ケナンは、その名前を嫌うことになった。その理由はおそらく、その後ヨーロッパ史への造詣を深めるにつれ、ジョージ・ケナンが、コシュートやジュゼッペ・ガリバルディといったロマンティックで大衆受けのする革命家を好きになれなかったからだろう。

そして(少なくとも私にとっては)極めて重要な文章が記される。

彼は、第一次世界大戦後のドイツ(および欧州)にとって最善のことは、立憲君主制の採用であっただろうと考えた。そしてその後も、彼はそう書くことになる。民主主義の手続きのせせこましさへの批判や苛立ちはドイツに限定されたものではなかった。・・・・・ジョージ・ケナンは共産主義だけでなく、自由民主主義を心底から、そして知的観点から批判してきた。この点は、彼の友人や賛同者であっても無視したり、曖昧にしてすますべきではないことであった。

プリンストン大学へ入学、卒業後外交官の道を歩み、スイス・ドイツ・エストニア・ラトヴィアに駐在、ロシア研究に従事し、スターリン体制下のモスクワとミュンヘン会談時のチェコ、第二次大戦勃発時のドイツにも在勤し、ポルトガルを経て大戦末期には再びモスクワで勤務。

(ベルリンでのケナンの経験については引用文(ケナン1)を参照。)

このへんで、先に言及した民主主義に対するケナンの嫌悪感の問題に戻ろう。この点は、ケナンの伝記を手がけようとする者が無視したり、忘れたりすべきでない事柄である。いくつかの点で、この問題は生涯をとおして彼につきまとった。1930年代には、彼の信念は民主主義の改革ということにとどまらず、議会主義と民主主義に対する批判を含んでいた。・・・・・当時のオーストリアは権威主義政権の統治下にあり、議会や選挙は停止され、社会民主党および国家社会主義党も含め、政党は活動を停止させられていた。ケナンはオーストリア政府を是認した。さらに一歩踏み込み、彼はそうした権威主義政府は、全体主義的な警察国家の独裁に対してのみならず、非効率的な議会制民主主義に対しても健全で歓迎すべき代案だと信じていた。三年後、ケナンは本の執筆に取りかかった。それは、移民の制限のみならず普通選挙権の制限をともなったアメリカ合衆国の漸進的改革を唱えるものだった・・・・・

(著者はその後で、「が、幸いなことに執筆を断念した。」と続けるが、私はこの著作が読めないことが残念で仕方が無い。)

ケナンは、東欧の新興独立国に対して醒めた視線を向け、勢力均衡の維持と多民族間の秩序維持の観点から、第一次大戦で崩壊してしまったハプスブルク帝国を評価した。

独ソ戦が始まると、連合国の対ソ支援に制限を設けるよう主張(引用文(ケナン2)参照)。

著者は、当時の状況下では、ドイツの全欧支配か、ソ連の東半分の支配かの二者択一しかなかったのであり、ケナンの立場は現実性を欠くものだと見なしている。

ナチズムの本質については、以下のように観察。

ヒトラーと国家社会主義に対する彼の見解は、西側世界のおおかたの見方とは異なっていた。なかでも、おそらく米国民の見解とは違っていた。・・・・・ケナンはつぎのように書いた。ヒトラーとナチはアナクロニズムの正反対であり、彼らの考え、行動、手段は古臭くも反動的でもなく、新奇で革命的だった。しかもヒトラーは、その後生き残ることになるドイツの国民、民族、国家の統一を完成させたのだ、と。

「プロイセンの非民主的伝統」ではなく、そこから実質的には離反していた大衆の愚劣と狂信と憎悪、その大衆が支持した野卑・低俗を極める種族的・人種的ナショナリズム(俗流ダーウィニズムと疑似科学に起源を持ち、完全に非伝統的な意味でのナショナリズム)こそがナチズムの基盤だったとの主張は、私には全く正しいものとしか思えない。

(なぜそう思うかは、ドイツカテゴリの記事をご覧下さい、としか言えません。強いて挙げろと言われれば、村瀬興雄『ナチズム』ニッパーダイ『ドイツ史を考える』の記事での引用文をとりあえずお読み下さいと申し上げておきます。)

ナチズムを、民主主義・進歩主義・形式的民族自決主義の観点から批判しても全く無意味です。

戦後、1946~50年は国務省官僚トップの一人であり、ケナン自身の米外交政策への影響が最も強かった時期でもある。

47年マーシャル国務長官の下で政策企画室長を務め、戦後米外交の最も輝かしい成功例とも言えるマーシャル・プランにも貢献。

一方、通常マーシャル・プランと並んで冷戦の二大政策とされるトルーマン宣言へは違和を表明。

戦後の米ソ協調の夢に浸る米世論に対して、いち早くソ連の脅威を主張し、いわゆる「X論文」で「封じ込め政策」を提唱したケナンだったが、その対応は主として軍事的なものではなく(マーシャル・プランのように西欧の自己崩壊を防ぐための)政治的対応の必要を説くものであり、アメリカが死活的国益を持つ地域は西欧と日本のみだとして、トルーマン宣言中のギリシアとトルコへの支援という具体的措置については是認しつつ、「世界規模の反共十字軍」に繋がりかねない構想には反対を貫く。

そうした観点から、戦時中の中国への過度の期待の裏返しとも言える、共産中国への過大評価された脅威視を批判、アジア政策においては日本を友好関係に繋ぎとめることを重視し、その流れで、後には全く重要性に見合わず、甚大なコストを伴ったヴェトナムへの軍事介入を批判することになる。

(ただ、本書で、CIA設立に賛同し、東欧での秘密工作と騒乱育成を主張したと書かれているのはイメージが違うが。)

48年末アチソンが国務長官に就任すると、ケナンの役割はやや低下する。

スターリン支配下のソ連の脅威を直視し、必要な軍備を整え、政治的措置を採る必要を唱えたケナンだったが、それが成された上で、ソ連と真摯な交渉に入るべきだとして、対話の必要自体を認めないタカ派とは一線を画す。

西側占領地域を固め、西ドイツ成立へと向かう時期に、ドイツの中立化と非軍事化を交換条件にした統一ドイツ容認(すなわち東独のソ連圏からの離脱)、欧州での米ソ戦力引き離しという、西側の団結破壊を目的としたソ連による「平和攻勢」、攪乱工作を懸念する人々から見て受け入れがたい政策を主張。

極東でも日韓の非軍事・中立化と、この地域での兵力の相互撤退を主張した。

また、中ソ対立を予見し、アメリカの政策の重点は中国よりもロシアに置かれるべきだとしたが、実際の政策はニクソン・キッシンジャー外交を経て、これとは逆になったと著者は評している。

1950年朝鮮戦争では、侵攻してきた北朝鮮軍を38度線に押し返すことのみ賛成し、それ以上の介入に反対。

以後、北朝鮮という国家があまりに異常な体制となってしまったので、朝鮮戦争での国連軍の38度線以北への進撃には違和感を持たないが、中国の介入がほぼ避けられなかったであろうことを思えば、この時点での朝鮮統一はどの途不可能で、ケナンの立場にも理があるというべきでしょう。

一方、ディーン・ラスクは当初韓国放棄を主張し、それがケネディ政権下では、はるかに勝ち目が薄く、国益にも適わないヴェトナム戦争介入を推し進めるんだから、ケナンとは外交官として雲泥の差があります(ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』参照)。

52年駐ソ大使となり、そのキャリアに相応しい地位と言えるが、ソ連での駐在をナチ時代の抑留になぞらえる発言で、ソ連当局から「好ましからざる人物」として召還要求が出され辞職。

核兵器に依存した国防政策に反対し、核兵器の先制不使用を主張、スターリン死後は「ハト派」の代表格としてソ連との対話と交渉の必要性を強調した。

ケナンにとって、封じ込め政策は、西側を軍事的政治的に脆弱で不利な立場に置くことを防いだ上で、有意義な交渉を可能にする状況を作り出し、長期的にソ連の好ましくない側面が変化することを促す政策であり、対立自体を自己目的とするものではなく、核時代においてそのような無思慮な対決姿勢はあまりに危険極まりないものであった。

以後、ケネディ政権下で駐ユーゴスラヴィア大使を勤めた他は、歴史研究に没頭することになる。

この心底からの保守主義者で伝統主義者のアメリカ人は、最大の敵はアメリカの「保守主義者」たちだということを知った。筆者はかつて、ケナンは愛国者であって民族主義者ではないと書いた。なぜなら、愛国心は防衛的だが、民族主義は攻撃的であり、愛国心は伝統主義的であり、民族主義はポピュリスト的だからだ。また、愛国心は自国の国土と歴史への愛着だが、民族主義はまとまりのない大衆を団結させる粘着性のあるセメントだからだ。

・・・・・多くのアメリカ人と違って、ジョージ・ケナンは、合衆国が神に選ばれた国家だとか、米国民は選ばれた民だとか、人類にとって最後で最善の希望だとかいったことを信じなかった・・・・・

ジョージ・ケナンは民主主義の運用の多くに疑問を抱いており、本当に悲観的であった。・・・・・「民衆による統治制度を有していると考えている大半の国で世論と称するものは、しばしば実際には多数の人びとの総意などではなく、声の大きい特殊な少数派の利益の表現なのではないか、と私は思う。」

アメリカだけでなく、日本でも「愛国者」は消え失せ、愚かで醜い「民族主義者」だけが幅を利かすようになり、「声の大きい特殊な少数派の利益」が異常なまでにまかり通る世の中になってしまいました。

『ロシア、戦線を離脱する』、『介入する決定』などの米ソ関係史、『ビスマルクのヨーロッパ秩序の衰退』、『致命的同盟』などのヨーロッパ外交史を執筆。

後者の著作のうち、「致命的同盟」とは露仏同盟のことを指し、露仏同盟こそが第一次世界大戦を招いた、(通説とは逆に)独よりも露仏両国を攻撃的・膨張主義的だったと主張している点が非常に興味深い(ただし著者のルカーチはそれを疑問視している)。

またビスマルクについても、ルカーチは註で以下の通り記している。

少なくともひとつの事例において、ビスマルクの性格についてのケナンの識見は議論の余地がある。ビスマルクは「多くの点で・・・・・十八世紀の人間だった」。でも、たとえば、ビスマルクは新聞を操作する術をよく心得ていたのではなかったか。

最も通俗的でつまらない立場は、「ビスマルクは非民主的だから良き政治家とは言えない」というもの。

一方、ケナンは貴族的・前近代的な秩序と価値観の体現者としてビスマルクを評価している。

しかし、ルカーチは、ビスマルクは大衆政治と民衆的ナショナリズムの利用者であり、(悪い意味で)「民主的」な側面を持つ政治家だとしているわけ。

個人的には、これはややルカーチに分があるような気がする。

マイネッケ『ドイツの悲劇』でも書かれていたように、やはりビスマルクは(私の考えでは)「非民主的な」良き面と「民主的な」悪しき面(このかぎ括弧内の表現は逆ではないです。念のため。)を兼ね備えた「境界線上の人物」だった気がする。

ケナンの考えでは、第一次世界大戦が20世紀最大の惨事と言える、ロシア革命や第二次世界大戦はその直接的帰結と言えるからだとされている。

また、ロシア研究の大家として以下のようにも書いている。

われわれと似かよった、政治的・社会的・経済的な諸制度という意味で、ロシアが『デモクラシー』を実現するということは期待できない。そして、たとえロシア流の自治の形態がわれわれのそれと非常に異なっているとしても、このことは全体として、悪いことだと考えるべきではない。われわれの多くが同感だと思うが、われわれ自身のモデルは、それほど完全ではない。そして、今日と同様に、今後も米ロ関係には良いときも、悪いときもあるだろう。

日本が中国を見る際にも適用できる考え方だと思われる。

最晩年にはイラク戦争への反対を表明。

それを新聞で読んで、強い感銘を受けたことをはっきりと覚えている。

非常に良い。

ケナンの、デモクラシーへの懐疑と批判という側面をはっきりと読み取ることが出来て、個人的には極めて有意義な読書だった。

ますます彼への尊敬の念が増した。

このブログでもケナンの著作をいくつか紹介しています。

まだ一冊も読んだことが無い、あるいはケナンの名も知らなかったという方は、まず何を措いても、『アメリカ外交50年』を読むことをお勧めします。

アメリカ史、日本近代史、国際政治学等、様々な分野で、文字通り必読の文献です。

次には『レーニン・スターリンと西方世界』を。

ソ連史の名著中の名著であり、驚くほど多くの貴重な知見が得られます。

他にも『回顧録』『アメリカ外交の基本問題』『危険な雲』『二十世紀を生きて』を記事にしていますが、とにかく日本語で読める著作は図書館等も利用して(原書を読める方はこんなブログに用は無いでしょうから)、一つでも多く読まれることを強くお勧め致します。

2010年7月30日

デイヴィッド・ハルバースタム 『ベスト&ブライテスト  下 アメリカが目覚めた日』 (二玄社)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

最終巻。

南ヴェトナムへの地上軍派遣をめぐる論争から下巻は始まる。

マクスウェル・テーラーが駐南ヴェトナム大使となり、統合幕僚本部議長はアール・ホイーラーが就任。

文民統制があっても、文官の国防インテリが好戦派だったため、悲劇を防ぐことはできず。

この時期、最も効果的に軍事介入に反対したのは国務次官のジョージ・ボール。

著者は彼をハト派というより欧州重視の現実主義者で、民主党内でアチソンの強硬路線とスティーヴンソン、ボールズのリベラル路線の中間に位置する人物としている。

その他、議会の有力議員であるフルブライトとマンスフィールド、副大統領のハンフリーも懐疑派であり、強硬派だったテーラー自身、北爆には賛成だが、地上軍派遣には反対の立場。

大統領リンドン・ジョンソンにも迷いが見られた。

1965年2月からの北爆は当初地上軍派遣回避のための手段とされたが、ハノイの態度は変化せず、かえって北ヴェトナム軍の南への浸透が激しくなり、現地指揮官ウェストモーランドに押し切られる形で、65年3月海兵隊がダナンに上陸。

これまでの南ヴェトナム軍に随行し指導する軍事顧問団と違って、地上戦闘部隊の派遣はこれが始めて。

同年4月に行なわれたドミニカへの軍事介入がさしたる支障もないまま成功したことも、介入への楽観論を助長した。

当初は北爆のための空軍基地防衛が任務とされたが、後には沿岸部拠点確保と限定的攻勢を経て、内陸部への索敵攻撃へとなし崩し的に任務が拡大される。

陸海空三軍はそれぞれの役割拡大のみを重視し、長期的総合的視野で政府に進言することが無かった。

南ヴェトナムでの事態はますます悪化し、65年末には政策の主導権は軍部に移り、最大で50万人超の米軍が派遣されながら、完全な泥沼化の状況を呈する。

ジョンソン大統領は孤立し、秘密主義の傾向が著しくなり、政権内部にも綻びが目立つようになる。

国務長官ラスクと駐南ヴェトナム大使バンカーが依然強硬論を貫き通したのに対し、66年補佐官マクジョージ・バンディが辞任、確信的な強硬派ロストウに代る。

同年ジョージ・ボールも辞任。

67年穏健化し軍事的ディスカレーションを模索した国防長官マクナマラが事実上更迭され、クラーク・クリフォードが就任。

68年テト攻勢により楽観論の誤りが白日の下に晒され、同年の大統領選で懐疑派のユージン・マッカーシー、ロバート・ケネディが出馬する中、ジョンソンは北爆停止と自身の出馬断念を発表。

結局民主党候補にはハンフリーが指名されるが、共和党候補ニクソンが辛勝。

本書は1972年までが叙述範囲であり、73年ニクソン、キッシンジャーがパリ和平協定に調印、米軍は撤退するが、著者の筆致は両者に対してもかなり厳しいものとなっている。

量は多いが内容はなかなか良く、比較的読みやすいと思う。

訳文もよくこなれている。

とにかく登場人物の描写が極めて巧みで、人物像の明快なイメージが深く脳裏に刻み込まれるのがよい。

それがあまりに流暢なのである種の単純化があるんではないかと、かえって警戒心を持つくらい。

これだけ知名度が高いのも頷ける出来。

ただアメリカの介入過程を詳細に分析する本であり、北ヴェトナムの政策決定、南ヴェトナム政局の変遷、ヴェトナム戦争の結末についてはかなり手薄。

特に南のグエン・ヴァン・チュー政権についての説明が欲しかった。

本書のような視点ではなく、ヴェトコンによるテロ活動や北ヴェトナムの軍事的浸透をより批判的に扱った本ももちろん読めばいいと思うが、立場の相違に関わらず本書の有益さに変わりは無いと感じる。

情報量から言って、高校世界史のヴェトナム現代史をマスターしていても、それだけで取り組むのは少しきついかもしれない。

何でもいいから国際政治史の概説を一冊読んでおくことを勧める。

それから取り掛かれば、知識を大幅に伸ばすことができる有益な本だと思います。

2010年7月27日

デイヴィッド・ハルバースタム 『ベスト&ブライテスト  中 ベトナムに沈む星条旗』 (二玄社)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

この巻は、1962年から北爆直前の64年まで。

ここで高校レベルのヴェトナム現代史を確認。

1945年  ヴェトナム民主共和国独立宣言

1946年  インドシナ戦争

1949年  ヴェトナム国(バオ・ダイ)、フランス連合内で独立

1954年  ジュネーヴ協定(北緯17度線分割)

1955年  ヴェトナム共和国(大統領ゴ・ディン・ディエム)

1960年  南ヴェトナム解放民族戦線(ヴェトコン)結成

1961年  米ケネディ民主党政権

1962年  米軍事顧問団活動

ここまでが上巻の内容。

ちなみにヴェトナム戦争というのは開始時期がよくわからないという、珍しい戦争である。

1965年米国の本格的軍事介入の時点を採るのは狭義に過ぎるし、南ヴェトナム政権に対する、北ヴェトナムと南の反政府勢力による非正規・ゲリラ戦争という性質から、はっきりとした年代を挙げることは難しい。

『国際政治経済の基礎知識』(有斐閣)の該当項目では、57年・59年・61年などの説を挙げている。

63年11月、腐敗と専制によって支持基盤を著しく狭めていたゴー・ジン・ジエム(ゴ・ディン・ディエム)と弟ゴー・ジン・ヌーの南ヴェトナム政権が、ズォン・ヴァン・ミン将軍によるクーデタによって打倒される。

その直後、ケネディ暗殺、副大統領リンドン・ジョンソンが大統領に昇格。

64年はじめ、グエン・カーン将軍の再クーデタ、同6月ウィリアム・ウェストモーランドがヴェトナム援助軍司令長官に就任。

希望的観測と半ば意図的な情勢判断の歪み、一枚岩の共産勢力とドミノ理論の幻想などに突き動かされて、徐々にヴェトナムの泥沼に嵌まり込む米国の姿を容赦なく描いている。

政策担当者が、主観的には軍部の主張を鵜呑みにせず妥協的判断を下したつもりであっても、実際には知らず知らず政策選択の幅を狭められ勝算の極めて薄い軍事的エスカレーションの途に傾いていく様相に、非常に強い印象を受ける。

政治が常に正確な情報を把握し、文民統制を徹底させてリーダーシップを確保しておくことの重要性を痛感させられる。

本書でのケネディへの評価は両義的である。

軍事介入への第一歩を踏み出したのは間違いなくケネディの決断だが、暗殺前にはヴェトナムを軍事的問題と見做すのではなくその政治的側面を重視し、一部撤退を考慮していたとしている。

なお本書の大きな特徴として、話の本筋の途中でかなりのページを割いて登場人物の描写をしていることが挙げられる。

これが実に巧みで、人物像が即座に脳裏に刻み込まれる。

例えばこの中巻では、国務長官ディーン・ラスクの履歴を語ることで、米ソ冷戦史のおさらいをしてくれている。

この説明もわかりやすく、非常に上手い。

この部分でつくづく思うのが、ジョージ・ケナンという人の偉大さ。

甘い平和主義でも無思慮な好戦主義でもない、本当の良識と叡智に基づく穏健な政策の提唱者として、知れば知るほど敬意と好感を覚えます。

国際関係・外交カテゴリに入っているものと『レーニン・スターリンと西方世界』『二十世紀を生きて』など、ケナンの著作は手当たりしだいにお読みになることをお勧めします。

64年8月トンキン湾事件。

これは高校世界史でも、やや詳しく教えられる場合出てくるが、実際どんな事件だったのかはあまり関係書が無く、本書の記述は貴重。

北の攻撃に向かった南ヴェトナム哨戒艇に随伴していた米駆逐艦が北の魚雷艇と交戦。

米駆逐艦が南の海軍と共同作戦を取っていると北が認識していると暗号解読で知りながら、米軍は作戦を続行し第二次攻撃を受ける。

南ヴェトナム海軍との事実上の共同作戦という事実を隠し、米艦が一方的攻撃を受けたと発表、ジョンソン政権は議会に軍事介入権限を与えることを要請。

この時決議取りまとめに結局応じた上院外交委員長フルブライトはのちに強固な政権反対派となる。

64年末大統領選挙でジョンソンは、極右的な共和党候補ゴールドウォーターに圧勝。

ヴェトナム軍事介入の流れがますます強まる中、それを押し止めようとした懐疑派としてロバート・ケネディ(大統領の弟・司法長官)、アヴェレル・ハリマン、マイケル・フォレスタル(トルーマン時代の初代国防長官ジェームズ・フォレスタルの息子)、ジョージ・ボール、ダニエル・エルズバーグ、ロジャー・ヒルズマン、ヘンリー・カボット・ロッジ、ウィリアム・トルーハート、ニコラス・カッツェンバック、ポール・カッテンバーグなどの名が挙げられている。

武断派のジョンソン、マクナマラ、バンディ兄弟、ラスク、テーラーらにも意見の揺れは見られるし、マクナマラの下にいたジョン・マックノートンなど半ば懐疑派に近い人物もいた。

しかし、総体としては悲劇的な介入への決断に徐々に追い込まれていくところで、本巻は終わる。

2010年7月24日

デイヴィッド・ハルバースタム 『ベスト&ブライテスト  上 栄光と興奮に憑かれて』 (二玄社)

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アメリカのヴェトナム戦争介入の悲劇を描写した本。

翻訳は上・中・下の3巻構成。

版元はサイマル出版会→朝日文庫→二玄社と移動している。

私は、ジャーナリストの書いた時事的同時代史はあまり好きではないんですが、これは一種古典的著作として非常に有名であり、かなり以前から書名も知っていたので、この際一度読んでおくかと手に取る。

表題通り、「最良にして最も聡明」な進歩的ケネディ・ジョンソン政権のスタッフがヴェトナムの泥沼へと足を踏み入れる過程を非常に詳細に描いている。

もし10年前に読んだら、視点がリベラル派(というか正確にはハト派)寄り過ぎるかという感想を持ったかもしれないが、その後小ブッシュとネオコンが「アメリカの保守派に対して持っていた漠然とした敬意」を木っ端微塵にしてくれたので、今読むと違和感はほとんど感じない。

そもそもこの本の視点は、中道・リベラルの支持を受けて誕生したケネディ民主党政権が、国内政治で保守派および共和党の攻撃をかわすためと、アメリカの力への過信と過剰な使命感によって、オーバーコミットメントと軍事優先策にのめり込んだことを批判するというものなので、共和・民主両党の対立の中で、極端に党派的な印象は受けない。

(タカ派・ハト派で言えば、圧倒的にハト派的著作とは言えると思うが。)

予備知識としては、1945~53年トルーマン民主党政権下で米ソ冷戦が激化、49年中国共産化と50年朝鮮戦争が米国内でマッカーシズムという反共ヒステリーを生み、これが足枷となって中華人民共和国承認やむなしとする現実主義派や、第三世界のナショナリズムに理解を示すリベラル派が逼塞、1953~61年アイゼンハワー共和党政権では軍事的対応を優先し中立主義を敵視する硬直した反共政策(ダレス外交)が続くが、60年にケネディが副大統領だった共和党候補ニクソンを破って大統領に当選、社会風潮に変化の兆しが現われつつあると思われた、というようなことだけ理解しておけばよい。

あと、巻頭にある関係年表の事項と年代は、高校教科書の範囲内のものが多いので、大体記憶することが望ましい。

この上巻は1960年暮れ、ケネディ政権発足準備期から61年末南ヴェトナムへの軍事顧問団派遣まで。

以下、内容メモ代わりの登場人物リスト。

(あくまで私的知識と関心に基づいているので偏っていて網羅的ではないですが。)

ロバート・ロヴェット=トルーマン政権で一時国防長官。政権準備期のケネディにマクナマラ、ラスクなどを推薦。

ディーン・アチソン=トルーマン政権国務長官。フルブライトなどと並んで民主党内の伝統主義派。

チェスター・ボールズ=民主党内リベラル派の大物。ケネディ政権初期の国務次官。

アドレイ・スティーヴンソン=ヒューバート・ハンフリーと並んで民主党リベラル派の重鎮。52・56年の大統領選でアイゼンハワーに敗北。ケネディ政権では国連大使。(ファーストネームはアンドレイと書いてる本も見た覚えがある。)

ディーン・ラスク=ケネディ政権国務長官。定見とリーダーシップの無い人物として本書での評価は甚だ低い。

マクジョージ・バンディ=ケネディ政権国家安全保障担当大統領補佐官。同補佐官代理(のち国務省政策企画局長)のウォルト・ロストウ、中巻で詳しく扱われる国防長官ロバート・マクナマラと共にタイトル通りの「秀才エリート」だが、歴史的視野の無いしばしば不正確で意図的誤りを含む統計数字に基づいた、狭い範囲の合理性と効率性を盲信し、アメリカの国力(特に空軍力の効果)を過信し、思慮に欠ける軍事的積極策を採る人物として、本巻では批判の対象とされている。兄のウィリアム・バンディものちに民主党政権入り。

アヴェレル・ハリマン=ソ連専門家のベテラン外交官。第二次大戦終結時の駐ソ大使。鉄道王ハリマンの息子。米外交界の長老だが、ケネディ政権では当初無任所大使という低いポスト。ラオス中立化交渉をまとめる。賢明な自制を説く人物として、本書での記述は好意的である。

ジョン・デイヴィス、ジョン・サーヴィス、ジョン・ヴィンセント=マッカーシズムの中、「容共的」との嫌疑がかけられ国務省を追われたアジア専門家。

ジョセフ・オルソップ=国務省攻撃の最初の引き鉄を引いたタカ派ジャーナリスト。しかし後にマッカーシー批判者に。

マシュー・リッジウェイ=朝鮮戦争中のマッカーサー解任後の後任者。1954年アイゼンハワー政権時代、フランス敗北寸前に陸軍参謀総長として統合参謀本部議長ラドフォードらに反対、インドシナへの軍事介入を阻止する。この上巻では最も高く評価されている人物。

マクスウェル・テーラー=ケネディ政権では当初軍事問題担当大統領特使、後に統合参謀本部議長。南ヴェトナム訪問後に書いた報告が軍事顧問団派遣につながり介入の第一歩となったため、駐南ヴェトナム大使ノルディング、南ヴェトナム援助軍司令部ハーキンズ将軍などと並んで、極めて厳しく評価されている。

エドワード・ランズデール=空軍からCIAに出向したインドシナ専門家。当初は現実離れした楽観論を持つが後には南ヴェトナムのゴ・ディン・ディエム体制の問題点を直視する両義的人物といった描写だったと思う。

2010年2月9日

細川道久 『カナダの歴史がわかる25話』 (明石書店)

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初めて読むカナダ史単独の本。

カテゴリはやむを得ずアメリカにします。

この出版社からは「エリア・スタディーズ」と題して、『○○を知るための○○章』といったタイトルの本が国別に、ものすごい数が出ており、本書は書名は似ているがそれとは別のシリーズのようです。

本文が200ページ弱と短いし、非常に平易で読みやすい記述スタイル。

史書というより、歴史エッセイに近い体裁。

しかし、高校世界史では、カナダ史などは英仏植民地抗争の所と、大英帝国内の自治領成立だけしか触れられない状態ですから、ほぼ白紙状態の初心者が最初に読むにはこれくらいの本の方がいいでしょう。

一番平易な概略だけ確認すると、まず15世紀末英国王ヘンリ7世の命を受けたジョン・カボットがカナダ東岸を探検。

16世紀前半フランスのカルティエがセントローレンス川を探検、17世紀初頭にはシャンプランがケベックを建設、カナダはフランス勢力下に入る。

スペイン継承戦争とアン女王戦争後の、1713年ユトレヒト条約によってニューファンドランド島、アカディア(ノヴァスコシア)、ハドソン湾地方という周縁部がイギリス領に。

七年戦争とフレンチ・インディアン戦争後の、1763年パリ条約でケベックを中心とするカナダ本体もイギリス領に。

アメリカ独立戦争では本国への忠誠を守り、13植民地に荷担せず。

主要都市として、セントローレンス川沿いにケベックがあり、南に遡るとモントリオール。

トロントはさらに南、五大湖のオンタリオ湖西岸沿いにあり、トロントとモントリオールの間に首都のオタワがある。

中心はケベック州とオンタリオ州で、ケベック州にはフランス系住民が多く、分離独立の要求が根強くあった。

太平洋側のブリティッシュ・コロンビア州にもうすぐ冬期五輪が行われるヴァンクーヴァーがある。

1867年カナダ自治領成立。

初代首相ジョン・A・マクドナルド。

(他の首相として、19世紀末南アフリカ戦争時のローリエ、戦間期と第二次大戦時のキングの名前が出てくる。)

この自治領(ドミニオン)は内政自治権のみを持ち、外交・防衛はイギリス本国が依然権限を持っている。

1867年と言えば、アメリカは南北戦争が終了した直後で同年ロシアからアラスカを買収して南北双方でカナダと接し、イギリス本国では第2回選挙法改正、マルクスが『資本論』を刊行し、ドイツでは前年の普墺戦争を受けて、北ドイツ連邦結成、オーストリア・ハンガリー二重帝国成立、そして日本ではもちろん大政奉還があった年。

ちなみに1901年オーストラリアが、1907年ニュージーランドが、1910年南アフリカがそれぞれ自治領になっている。

これが1926年英帝国会議で本国と自治領の対等の地位が認められ、1931年ウェストミンスター憲章制定、独自の外交権も認められ、英帝国は英連邦に変わる。

今も、カナダは(オーストラリア、ニュージーランドと同じく)英国王を元首とする立憲君主制で、現地には総督が存在。

何年か前に、オーストラリアで共和制移行を問う国民投票があり否決されましたが、もちろんオーストラリア現地に王様がいるわけはなく、エリザベス女王を元首とするのを止めて大統領を選出するかどうかが問われたもの。

なお、カナダとイギリス、アメリカの三国関係について、ジョージ・ケナンが『アメリカ外交50年』で、19世紀のアメリカの安全は実質イギリスに依存しており、英海軍の力が欧州列強から新大陸を守っていた、そして英海軍自体がアメリカを害さない保証として、英帝国の一部であるカナダは絶妙な「人質」の役目を果たしていたという意味のことを書いていたのが記憶に残っている。

まあ、普通です。

最も初歩的な入門書としては悪くないんじゃないでしょうか。

しかし、次のカナダ史として何を読むべきかわかりません。

2009年11月4日

秋元英一 『世界大恐慌 1929年に何がおこったか』 (講談社学術文庫)

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アジア経済危機後の1999年に講談社選書メチエから出たものを、十年後、世界経済危機真っ最中の今年に文庫化したもの。

末尾の解説で、林敏彦(『大恐慌のアメリカ』(岩波新書)の著者)という人が、本書の特徴としてアメリカの大恐慌でも日本の昭和恐慌でもなく世界大恐慌を語っていることだと書いていて、確かにそう感じられるところもあるんですが、やはり叙述の中心的な視点は常にアメリカの置かれているようなので、カテゴリは近現代概説ではなくアメリカにします。

第一章がウォール街株価暴落の様相、それ以前の20年代アメリカ社会の繁栄、恐慌の原因論、フーヴァー政権の対応。

第二章で大恐慌下アメリカ社会の苦難の有様を描写。

第三章が銀行と信用システムの崩壊、経済再建策の系譜、金融システム再生のために採られた方法、金本位制からの離脱など。

第四章がニューディール政策の具体的対策・事業の記述。

第五章はケインズの大恐慌への見解、アメリカ財政政策の検討、日本の金融恐慌と高橋是清蔵相の手腕について。

それほど難解な内容ではなく、わかりやすく書かれているとは思うが、残念ながら私の能力では本書程度の叙述でも所々理解できない部分が出てくる。

文化史だけじゃなくて、経済史も本当に苦手なんですよね・・・・・。

細かなデータと因果関係の記述を読み解くのに苦労して、著者の評価や見解が明確に読み取れない。

幸い、エピローグで本書のまとめみたいな叙述がありますので、そこで復習しましょう。

ニューディール政策については、政治的にはとりあえず国民心理を安定させて左右の全体主義が台頭するのを防いだ功はあるが、純粋な経済対策としては失敗だったとの意見もあるようですが、本書では経済面でも比較的評価している方なのか?

すみません、私が理解した部分だけでは迂闊なことは言えませんので、実際にお読み下さい。

ただ、そんなに悪い本じゃないとは思います。

2009年7月23日

土田宏 『リンカン 神になった男の功罪』 (彩流社)

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今年2月の新刊。

『ケネディ 「神話」と実像』(中公新書)と同じ著者。

リンカーンは野口英世やらエジソンやらシュヴァイツァーやらと並んで子供向け偉人伝の定番で、一般向け伝記もやたらと数があります。

このブログでも関連本が、『リンカン』(岩波新書)『リンカーン』(中公新書)『戦争指揮官リンカーン』(文春新書)に本書を加えて4冊目ですか。

いきなり卑近過ぎることから始めますけど、「リンカン」て書くの何か変じゃないですか?

高校世界史の人名・地名表記では、ネルーがネールだったり、チトーがティトーだったり、カブールがカーブルだったり、バグダッドがバグダードだったりと、いろいろ戸惑わされたが、高校2年で配付された『新世界史』(山川出版社)で「リンカン」と書かれているのを読んだ時には驚いた。

原語ではそれが近いのかもしれないが、日本人は普通リンカーンのことリンカンなんて発音しないでしょう。

慣用としてリンカーンはリンカーンでいいんじゃないでしょうか。

(といって、ジェファソンは「ジェファーソン」と書くと何か間延びした感がして違和感があるのが不思議。)

閑話休題。

本書の冒頭、ワシントンのリンカーン記念堂で巨大な像に祀られ、完全に神格化されたリンカーンの姿を見た時の、著者の違和感が記されている。

完全に聖人扱いされ、アメリカの歴史家へのアンケートで最も偉大な大統領に選ばれたという内容が年に一回ほど新聞の国際面のベタ記事に載るのを見て、何か変だなあという印象を私も持つことがあった。

上記に挙げた本でも、中公新書の『リンカーン』は自らの正義に酔うことなく、可能な限り妥協と寛容の道を歩んだ穏健な現実主義者という肖像を描き出しているが、『戦争指揮官リンカーン』では、内戦の勝利をすべてに優先し南部での非道な焦土作戦(と書いたが、この言葉は攻める側では使わないのか)を黙認するマイナス面がかなり取り上げられている。

そうした感情への答えとして、リンカーンの生涯を探る本ではあるが、極端に偶像破壊的なものではなく、リンカーン個人の偉大な点は十分認めながらも聖人礼讃型の伝記にはなっていないといったところ。

中心的論題である、奴隷制に関する説明はまあまあ。

1820年ミズーリ協定、1850年カリフォルニア州昇格と逃亡奴隷取締りに関する妥協、1854年カンザス・ネブラスカ法、1857年ドレッド・スコット判決、1859年ジョン・ブラウンの反乱についての叙述は比較的わかりやすく、熟読して頭に入れるには適当。

リンカーン自身は奴隷制拡大反対論者であり、合衆国の統一維持を最優先に考え、急進的奴隷制廃止論とは常に距離を置いていたことは、高校世界史の範囲でも触れられているが、こういう微妙な立場についての説明も要を得ている。

なお、ミズーリ協定と1850年の妥協を成立させるのに努力したヘンリ・クレイと、南部支持の立場から強硬な州権論を唱えたジョン・カルフーン、それとは逆に州に対する連邦の優越を主張したダニエル・ウェブスターの存在が重視されているが、この3人は大統領に就任しなかった19世紀前半アメリカの有力政治家として名前を憶えておいた方が良い。

アンドレ・モロワ『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)でも頻出する人名なので、それぞれの立場の違いを事前に頭に入れておいた方が理解しやすい。

全般的に無味乾燥な事実羅列型の伝記ではなく、著者独自の解釈を交えているので読みやすくはある。

例えば有名なゲティスバーグ演説で普通「人民」と訳されている部分を「国民」とし、普遍的なデモクラシーの宣言というより統一されたアメリカ連邦国家の継続性を主張するのが主眼だったとしているところなど(ややうろ覚え気味なのでニュアンスが違うかもしれませんが)。

版型が大きめでやや分厚く感じるが、通読してみるとそれほど長大だとは感じない。

下部に詳細な註が載っているが、本文の該当ページから離れて記されていることが多く、内容も煩瑣なものが少なくないと感じましたので、これはほとんど飛ばしました。

まあまあの内容だと思いますが、本体価格2500円と少々高いので、まずは図書館で在庫を探して下さい。

2009年3月21日

D・A・シャノン 編 『大恐慌 1929年の記録』 (中公新書)

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またまた随分な骨董品を持ち出してきて恐縮です。

初版が1963年刊、中公新書の通し番号が23という若さ。

巻末の既刊案内を見ると、三田村泰助『宦官』宮崎市定『科挙』増田義郎『古代アステカ王国』など、これまで紹介してきたロングセラーが並んでいる。

最初、世界恐慌に関する標準的な概説書を読むつもりで手に取ったのだが、目次を見て全く性質の違う本だと気付いた。

全編ほとんど、当時の新聞・雑誌・書籍からの引用で構成されている本で、恐慌の嵐に巻き込まれて困窮する労働者・農民・中産階級・学生・子供の生活実態を克明に描写している。

この手の本は、とにかく細部に引っ掛からず、ざっと読み通して大体の雰囲気と概況を知ることのみに目標を絞ることが必要です。

使用目的と読解方法さえ間違わなければ、初心者でも十分有益。

アメリカ史の参考史料として本書を読んでおくのも悪くない。

なお世界恐慌の標準的テキストとしては、ジョン・K・ガルブレイス『大暴落 1929』(日経BP社)や、チャールズ・キンドルバーガー『大不況下の世界』(東京大学出版会)でも読めばいいんでしょうが、私には今のところちょっと手が出ません。

2009年1月30日

ロデリック・ナッシュ グレゴリー・グレイヴズ 『人物アメリカ史 下』 (講談社学術文庫)

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上巻の続き。

マーク・トウェインから、リチャード・ニクソンまで。

冒頭、南北戦争後の「鍍金時代」のアメリカに絶望して、極めて悲観的な人間観を抱いたトウェインの章は強い印象を与える。

また、上巻と同じく背景説明もしっかりしているので、リンカーン暗殺から19世紀末までのアメリカ政治史というマイナーであまり知られていないテーマについても一定の知識を得ることができる。

その後の章も同じ。

マーティン・ルーサー・キングの章では、ブーカー・ワシントンやウィリアム・デュ・ボイスなどの先駆者を含めた公民権運動の歴史が概観できて便利。

最後のニクソンの章はやや視点がリベラル寄り過ぎるかなとも思ったが、じっくり読むとそうでもなかった。

上・下巻を通して読んでみて、比較的良い印象を受ける。

アメリカ史のテキストとしてこれを選ぶのも悪くない。

しかし、これを何度も読み返す基本書にすべきだとか、多数あるアメリカ史の本のうちこれをまず第一に読むべきだとかは、正直思わない。

私が優先して勧めるのは、「またかよ」と思われること必定でしょうが、やはりアンドレ・モロワ『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)です。

「いい加減しつこいよ」と言われようが、この本の長所に触れずにはいられない。

まず実直かつ着実に、各大統領の任期を一つも省略することなく叙述し、政治史の基礎を与えてくれる。

その際、多彩な人物・事件に関するエピソードを交え、物語が深く印象付けられる。

それに加えて経済・社会・文化の動きも遺漏無く触れられ、決して視野の狭い事件史に留まっていない。

この本の完成度と初心者が得られる効用は本当にずば抜けてます。

以前も書きましたが、『英国史』および『フランス史』共々、復刊する気が無いのなら新潮社さんには版権を一刻も早く手放してもらいたい。

こういう本はいつでも新刊書店で手に入るようにならないとダメです。

オンデマンド出版でもいいから、何とかなりませんかね。

2009年1月27日

ロデリック・ナッシュ グレゴリー・グレイヴズ 『人物アメリカ史 上』 (講談社学術文庫)

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上・下巻に分かれてますが、とりあえず上巻のみ記事にします。

伝記を積み重ねて、ある国の通史を物語るという形式の本。

中公新書世界史関係の傑作藤沢道郎『物語イタリアの歴史』と同じタイプの本ですね。

この巻は植民地時代から南北戦争まで。

取り上げられている人物として、コロンブス、フランクリン、ジェファソンと誰でも知ってる有名人もいれは、テカムセとかキット・カーソンのように「誰、それ?」と言いたくなる人もいる。

(前者は19世紀初頭のインディアン部族連合の指導者、後者は西部の偶像となった探検家・開拓者。)

こういうマイナーな人物を含めた伝記でありながら、背景説明にも力を注ぎ、空白の無い通史として一応きちんと成り立たせているところは、かなりよく出来ていると思います。(上記の藤沢氏著ほどではありませんが。)

もともと本書は、アメリカの大学の学部授業で使用されることを想定した歴史教科書らしく、日本人が読んで煩瑣で読むに耐えないという部分は特に無かった。

史実の描写がものすごく面白いとか、鋭い史的解釈に蒙を啓かれる思いがするとか、そういうことはないが、標準的なアメリカ史テキストとして十分使える出来ではないでしょうか。

本書のうち、個人的に一番強い関心を持つのは末尾に載っている南軍のロバート・リー将軍の章。

前から思ってたんですが、このリー将軍というのは本当に立派な人ですね。

奴隷制度をはっきり悪と認識し、相続した自分の家の奴隷を、大きな経済的困難を抱えながら、彼らのために職探しまでした上で一人残らず解放。

南北戦争勃発にあたっては、北軍司令官への就任を要請されながら、悩みに悩んだ末、奴隷制擁護のためではなく、故郷ヴァージニアを守るために南軍に加わり、兵員・物量の圧倒的不利を背負いながら孤軍奮闘し、南部連合を支えるが、ついに力尽き降伏。

なお、ほんのわずかな記述だが、しかし私が一番感動した南北戦争後のエピソードが、本書ではなくアンドレ・モロワ『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)に載っている。

農園主たちも、神の前では万人の平等を否定することはできなかった。それにもかかわらず、最初、リッチモンドの一黒人が、白人に混って聖餐拝受のために跪いた際、そのまわりにいた白人たちは身を退いた。この時、いつも変わらぬ威厳をもって、その黒人の傍らに立ってやったのは、他ならぬリー将軍であった。こうした先例ができたので、その後は他の人人も、これに倣うようになった。[下巻492~493ページより]

本書の筆致は必ずしも常にリーに対して好意的というわけではないのですが、個人的にはアレグザンダー・ハミルトン、ジョージ・ケナンと並んで、アメリカ史では最も好きな人物です。

上巻を読んだ限り、特に優れているというわけではないですが、大きな欠点は無いと思います。

ただ、500ページ超の分量は少々かなわない。

もうちょっとコンパクトならいいんですけどね。

近日中に下巻を読んでまた記事にします。

2009年1月3日

内田義雄 『戦争指揮官リンカーン』 (文春新書)

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明けましておめでとうございます。

残りわずかの中公新版全集は一休みして、これを読みました。

何やら奇を衒ったタイトルですが、中身はごく標準的な南北戦争史です。

奴隷制度の概略やそれをめぐる論争の経緯など前史には深入りせず、戦争だけに焦点を絞っているが、新書版なのでそれが反って有益である。

開戦前の1844年に発明されたモールス信号の有線電信を使ったリンカーンの戦争指導を叙述している。

ご存知の方も多いと思いますが、アメリカ史上最も多くの自国民犠牲者を出した戦争は第二次世界大戦ではなく、この南北戦争です。

第二次大戦の死者が40万人余りなのに対し、南北戦争では62万人以上が死んでいる。

1860年当時の人口は3100万(そのうち奴隷400万)ですから、死亡率の高さは異常であり、とにかく常軌を逸した凄惨極まりない内戦だったことがわかります。

トーマス・マンが『非政治的人間の考察』の中で、アメリカ南北戦争について、醜聞となっていたほど時代錯誤な奴隷制度を廃棄するために、これだけ悲惨な大戦争を必要としたという事実は、民主主義の優位性を示すものではなく、むしろその逆ではないかと批判していたのを思い出した。

(同様にフランスのドレフュス事件について、無実のユダヤ人一人の冤罪を晴らすために、文字通り国家を二分するほどの不和軋轢を経なければならなかったことは、密かに恥じ入るべきことであって、あたかも自国の美徳のしるしであるかのように外に誇るべきことではないと辛辣に述べている。なお同事件については川上源太郎『ソレルのドレフュス事件』(中公新書)という極めて優れた本があります。)

本書は純粋な戦史として手ごろで平易な内容ですが、書かないとまたすぐ忘れるので、以下大まかな概略だけメモします。

南部連合の首都はヴァージニア州のリッチモンドに置かれるが、そもそも合衆国の首都ワシントンがヴァージニア州とメリーランド州の境にあるので、アメリカ全土が入る地図で見ると、敵対する二つの国家の首都がかなり接近しているという妙な状況になっている。

1861年4月サウスカロライナ州チャールストン港のサムター要塞を南軍が攻撃して開戦。

同年7月ワシントン目指して進軍してきた南軍と北軍が激突、第一次ブルランの戦い。

南軍のトマス・「ストーンウォール」・ジャクソン将軍の活躍もあり北軍敗走、一時ワシントンはパニックに陥る。

リンカーンは新たにマクレランをポトマック軍(首都防衛軍)の司令官に任命し態勢を立て直し、圧倒的優位にある海軍を用いた南部の海上封鎖を徹底。

1862年3月よりリッチモンド攻略を目指して海上より攻め入る「半島作戦」を展開するが失敗。

南部連合の北ヴァージニア軍(北部のポトマック軍にあたる)司令官に名将ロバート・リー将軍が就任。

同年8月第二次ブルランの戦い。またもやジャクソン率いる南軍が勝利。

次いで9月リー将軍が北上しメリーランド州に侵攻。マクレラン軍とアンティータムで戦い、北軍辛勝。

この戦勝を期に奴隷解放予備宣言発表。

アンティータム戦後、南軍を追撃して撃滅しなかったことに不満を持っていたリンカーンは、11月マクレランを罷免。

1863年北部諸州の瓦解と南部連合の国際的承認を促すため、リー軍が再度、ワシントンではなくペンシルヴェニア、ニュージャージー、ニューヨークなどを目標として北部侵攻。

(ジャクソンはこれ以前に味方の誤射で死亡。)

7月ゲティスバーグの戦いで、ミード率いる北軍が勝利するが、またもやリーは取り逃がす。

ほぼ同時に西部戦線でミシシッピ川中流の要衝ヴィクスバーグがグラント将軍指揮下の北軍に占領され、南部連合領土は東西に分断される。

1864年グラントが北軍総司令に就任。

ヴァージニア州で激戦が続くが勝敗つかず。

6月リッチモンド南方の補給基地ピーターズバーグ攻防戦。

7月逆に南部が派遣した軍がワシントンに迫るが、危うく首都陥落を阻止する。

同時期、北軍のウィリアム・シャーマン将軍が二分された南部をさらに分断するルートで進軍し、ジョージア州アトランタを攻略し大西洋岸のサヴァンナまで突き進む。

その過程で南部の戦意を喪失させ、戦争能力を根こそぎ無力化するために、軍事目標だけでなく民間施設に対しても破壊と掠奪の限りを尽くすという、(20世紀には常套手段となってしまったが)当時の倫理基準では滅茶苦茶に非道な作戦を遂行する。

「神と人間性の名において、私は抗議する」という南軍将軍の手紙に対して、シャーマンは、戦争とはそもそも残虐なものであり、そのような抗議は雷雨に対して抗議するのと同じく無駄だと言い放っている。

現在の視点からすれば「正義」は北軍の側にあるはずなのだが、ここまでくると何が「正義」で何が「不正義」なのか、頭が混乱する。

『文明論之概略』の記事で引用した、福沢諭吉の南北戦争への省察はやはり正しいと思えてくる。

1865年4月リッチモンドは陥落し、南部連合は降伏。

この戦争で表れ、その後のアメリカにも受け継がれた体質、すなわち敵にいささかの名誉も正当性も認めず、戦争を長引かせても「無条件降伏」を求める姿勢や、自らが体現すると信じる「正義」のためならば民間施設攻撃など極めて非道な手段を取ることも躊躇しない傾向を著者は批判的に記している。

面白いです。

新書版にしてはかなり中身が濃い。

史実がよく整理されており、読みやすい。

初心者用の南北戦争史としてはかなり使える。

機会がありましたら、皆様もお読み下さい。

2008年12月15日

紀平英作 亀井俊介 『アメリカ合衆国の膨張 (世界の歴史23)』 (中央公論社)

Filed under: アメリカ, 全集 — 万年初心者 @ 06:00

19世紀初頭からウィルソン政権までのアメリカ史。

通常の政治史は最初から三分の二だけで、残り三分の一が文化史に当てられているのがいかにも今風の概説です。

前半部では、政治構造の変遷を中央政府と州の関係や、経済・社会の動き、奴隷制度をめぐる論争などと絡めながら、比較的わかりやすく説明している。

ただ必ずしも大統領の任期ごとにまとめられたものではないので、ビアード『アメリカ政党史』の記事で書いたような歴代大統領の一覧を手元に置いて参照した方がよい。

文化史の章は、エマーソン、ソロー、ホーソン、メルヴィル、ホイットマンなどの文学者だけを取り上げたものではなく、エンタテイメント的な大衆娯楽や技術史、風俗史なども含めた多彩な内容。

楽に読めて、特に違和感を覚える部分も無い。

しかし個人的には何か感銘を受けるほどでもない。

書くことが無くて困ります。

まあ普通の概説ということで。

個々の史実に深入りしないのがやや物足りないし、登場人物の描写にもう一つ面白みが無かったような気がしないでもない。

これも無いものねだりかもしれませんけど。

2008年11月23日

五十嵐武士 福井憲彦 『アメリカとフランスの革命 (世界の歴史21)』 (中央公論社)

Filed under: アメリカ, フランス, 全集 — 万年初心者 @ 06:00

植民地時代初期から米英戦争終結までのアメリカ史と、ルイ16世即位からナポレオン没落までのフランス革命史の巻。

アメリカ史は・・・・またもや「普通」ですね。

全然つまらないということはないが、特別面白いわけでもない。

個人的にアメリカ史基本テキストと考えているアンドレ・モロワ『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)を熟読して主な内容を頭に入れておくことを前提にすると(私は未達成ですが)、本書は特に詳しいデータが取り上げられているわけではなく、史実の流れがよく整理された叙述があるのでもない。

全体の歴史解釈についても、感心するような部分はほとんど無い。

平凡という言葉がぴったりくる。

フランス革命史の部分はややマシ。

詳細・重厚とは言い難いが、具体的史実を手際よく述べておりなかなか良い。

史的解釈においては、革命が最も激化した1792~1794年の時期のジャコバン派とパリの民衆運動を一体のものとは見ずに、両者の接近と相克を描写しているのは参考になる。

他にも通俗的解釈に対して疑義を挟む記述があるが、どれもさらっと触れるだけでかなり物足りないという印象を受ける。

本書も、もう一つです。

もうちょっと斬新な解釈や記憶しやすい史実整理の仕方なんかが載っているといいんですが。

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