万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年6月14日

岡倉登志 編著 『エチオピアを知るための50章』 (明石書店)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 01:53

この国の知名度からすると、同じ明石書店から出ていて、編著者が書いた『エチオピアの歴史 “シェバの女王の国”から“赤い帝国”崩壊まで』を読むべきかとも思うが、だるいのでこれで済ませましょう。

エチオピアの位置は大体ご存知ですよね。

アフリカ東北部に位置し、東がソマリア、南がケニア、西がスーダン、北に小国ジブチがあり、1993年紅海沿岸部がエリトリアとして独立したので、エチオピアは内陸国となった。

古くはアビシニアとも呼ばれた。

首都はアジスアベバ、主要民族はアムハラ人で、他にオロモ人など。

そしてこの国を特徴付けるのは、古代からのキリスト教国であること。

最初の国家は、紀元100~300年頃建国のアクスム王国。

アフリカ最初の国家とされるクシュ王国を滅ぼして成立。

キリスト教を導入して、盛んな交易で繁栄したが、イスラム勢力進出で孤立化、12世紀にはザグウェ朝に取って替わられる。

1270年、シバ(シェバ)の女王とヘブライ王国のソロモン王の後裔であるとの伝説を持つソロモン朝が「復活」、これが近現代まで続く。

この頃のエチオピアは、東方での孤立したキリスト教国の存在を信じる、ヨーロッパの「プレスター・ヨハネ」伝説の実在証拠とも見なされる。

十八世紀後半から1855年まで、主にアムハラ・ショア・ティグレの三地域に分かれて群雄が割拠する「諸公侯時代」。

この戦国時代に終止符を打ち、エチオピアを再統一した中興の祖がティグレ出身のテオドロス2世(在位1855~68年)。

だがテオドロスはイギリスとの戦いで1868年自害。

1889年ショア王家出身のメネリク2世が即位(~1911年)。

1896年有名なアドワの戦いでイタリア軍を撃退、アメリカ解放奴隷の入植で生まれたリベリアと共に帝国主義時代のアフリカで独立を維持することに成功。

1930年メネリク2世の従兄弟の子ハイレ・セラシエが即位、この人がエチオピア最後の皇帝となる。

35年ムッソリーニのイタリアが侵攻、国土は占領下におかれるが、連合国の援助で帝位に復帰。

戦前・戦後、憲法も制定されるが、絶対君主制の色彩が極めて濃いものだった。

1974年エチオピア革命。

前年以来の石油危機がもたらしたインフレに苦しむ国民の反政府運動から体制が崩壊。

混乱の中で軍部が実権を握り、皇帝は殺害され、結局メンギスツを中心とする独裁体制が確立。

ハイレ・セラシエ帝は時代錯誤な絶対君主制に固執し、国内で発生した飢餓を隠蔽する等、数々の過ちもあったようだが、その政権の急進的打倒はより一層抑圧的な体制をもたらした。

その後、エチオピアはイタリア占領時代を除けば(いや、ひょっとしたらそれを含めても)、近現代史でその最も暗い時代を迎える。

マルクス主義の影響を強く受けたメンギスツ政権は親ソ的外交と共産主義的政策で国家を破綻させ、1980年代には最悪の飢餓が全土を襲った。

途方も無い苦悩を舐めたエチオピア国民には余りに酷な言い方かもしれないが、それでも私は民衆が無垢の犠牲者であるとは思えない。

74年の民衆革命は、あまりにも無謀で危険なものだったと考えざるを得ない。

冷戦終結後、1991年にメンギスツ独裁体制は内戦で打倒された。

93年前述の通り、エリトリアが独立。

その他の細かいことには興味が湧かないので、無視。

以上、最低限のことだけ知っておけばいいでしょう。

2017年3月28日

栗田和明 根本利通 編著 『タンザニアを知るための60章』 (明石書店)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 02:06

東アフリカにある国。

北はケニアとウガンダ、西はルワンダ、ブルンジ、コンゴ民主共和国、南はザンビア、マラウィ、モザンビークに接する。

自然環境では、アフリカ最高峰キリマンジャロ山が存在、北にヴィクトリア湖、西にタンガニーカ湖、南でニャサ湖に面する。

首都は中部のドドマだが、中心都市は東海岸近くのダルエスサラーム。

スワヒリ語が公用語、宗教的にはキリスト教徒とイスラム教徒が半々ほど。

歴史としては、イスラムの影響が浸透してくるまではよく分からない。

バントゥー語とアラビア語が合わさって、スワヒリ語が形成。

16世紀ポルトガルがモザンビークを占拠。

それに対抗して、オマーンのイスラム勢力が沖合いのザンジバル島を中心に海上帝国を築くが、1890年イギリスによって保護領化。

1884~85年アフリカ分割に関するベルリン会議で、現在のタンザニア本土はドイツの勢力圏下に。

1905~07年「マジマジの反乱」が起こるが、ドイツ軍に徹底的に弾圧される。

第一次大戦後、イギリスの委任統治領タンガニーカとなる。

1961年独立、翌年ニエレレが大統領就任。

63年ザンジバルが英保護領時代も継続して在位していたスルタンを元首とした立憲君主国として独立したが、翌64年アラブ系とアフリカ系の対立から革命勃発、同年タンガニーカと合邦し、タンザニア連合共和国となる。

ニエレレ政権は徐々に西側諸国と距離を置き、内政ではアフリカ社会主義を標榜、農村での「ウジャマー社会主義」建設を唱えたが、農業集団化と基幹産業国有化という政策は当然行き詰ります。

ニエレレは経済不振の責任を取って1985年辞任。

しかし、私財蓄積もせず、自身への個人崇拝を嫌い、アフリカ諸国では通例となっている内戦やクーデタ、軍政を経ずに国家の統一と平和を維持し、宗教・民族をめぐる対立を深刻化させなかったという点で、依然「国父」としての尊敬を集めている、本書では記されている。

私はもう少し厳しい意見が記されているのかなと予想していたので、やや意外の念を持ちましたが、もちろんこういう見方もあるんでしょう。

その後の政局は特にフォローしないでいいでしょう。

国の位置と、イスラムの影響、独→英という宗主国の変遷、ザンジバルとの合邦、ニエレレという人名、この国についてとりあえず憶えるべきことはこれだけ。

何か国際ニュースになった時、その都度記事を参照すればいい。

それで困ることは無いでしょう。

2016年11月29日

松田素二 津田みわ 編著 『ケニアを知るための55章』 (明石書店)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 00:12

今の若い人にはピンと来ないと思いますが、このケニアという国は「アフリカの主要国」だというイメージがかつてはありました。

首都のナイロビにアフリカ総局を置いていた新聞社もあったはずです(今は南アフリカのヨハネスブルクあたりでしょうか)。

本書によれば、それはこの国が独立後のアフリカ諸国の中では珍しく親米英・親西側路線を採用したため、日本とも多くの援助と交流があったからだとのことである。

ああ、なるほどなと思いました。

それで実際の国力や国の大きさよりも、過度に重視されていた面もあったかもしれません。

 

ケニアは東アフリカに位置し、北はエチオピアとソマリア、南はタンザニア、西はウガンダと南スーダンに接する。

北にトゥルカナ湖、西にヴィクトリア湖という大湖が存在。

言語は英語とスワヒリ語。

キリスト教徒が多数派だが、イスラム教徒も一割ほど存在。

沿岸部モンバサはムスリム商人の拠点として有名。

最大民族はキクユ人だが、その構成比は17%ほど、他にルヒャ人、カレンジン人、ルオ人、カンバ人など。

一番知名度が高いのはマサイ人だろうが、数から言えば少数派なのか、主要民族の中には現れない。

19世紀ベルリン会議後のアフリカ分割で、1895年イギリスの東アフリカ保護領に。

1950年代、「マウマウ」の反乱と呼ばれる独立運動を経て、1963年独立。

初代首相ジョモ・ケニヤッタ(翌年から大統領)。

ケニヤッタは表面上マウマウとの関係を否定、「フーリガンにケニアを治めさせてはならない・・・・・マウマウは病であり・・・・・二度と思い出してはならない」と述べ、穏健派の立場を貫く。

外交面でも親西側路線を採用、土地国有化と社会主義陣営への接近を主張した副大統領オディンガは逮捕、投獄。

独立後はケニア・アフリカ人全国同盟(KANU)が事実上の一党支配を敷き、大統領権限が拡大するなど、権威主義体制が確立。

比較的順調な経済成長を遂げたが、それには格差の拡大という代償が伴った。

「独立の父」が急進的外交姿勢で東側諸国に接近、内政では社会主義的政策で経済が停滞、その内どうにもならなくなって、右派権威主義政権に交替、親米路線と市場主義的改革で経済状況は改善するが、社会的不平等は拡大し、政治的自由は相変わらず制限されるというのが、第三世界のよくあるパターンだが、ケニアは最初から後者の段階だったという珍しいケースな訳である。

まあ、あくまで相対比較で言えば、少なくともケニヤッタ政権はそう悪しざまに言うほどでもなかったと思える。

ただ、その後正常な議会政治にスムーズに移行できなかったのは残念である。

1978年ケニヤッタが死去、モイが後継。

候補の写真の前に並ぶことで「投票」するという、秘密投票を侵す「行列方式」選挙の導入など、一層の強権化を実行。

冷戦終結後の世界的な「民主化」潮流で、複数政党制が復活したが、野党勢力の分裂もあって、モイが再選。

90年代にはこれまで押さえつけられていた民族紛争が勃発。

モイが退任した後、初代大統領ケニヤッタの実子ウフル・ケニヤッタを後継指名すると与党KANUは分裂、2002年平和的政権交代が実現し、キバキ政権が成立。

ところがキバキ政権内部で対立が激化、2007年キバキ再選後、大規模暴動が勃発。

国際社会の和解勧告を受け、大統領権限の縮小と三権分立の徹底を特徴とする新憲法が制定。

外務省HPを見ると、2013年には上記ウフル・ケニヤッタが大統領に就任しているようだ。

アフリカ諸国では例外的に安定した国だったが、最近の情勢は必ずしもそうではない模様。

 

 

ごく大まかなことだけわかればよい。

本書も軽く流してよし。

2016年10月20日

小川了 編著 『セネガルとカーボベルデを知るための60章』 (明石書店)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 16:38

「エリア・スタディーズ」というシリーズ名と「~を知るための○○章」というタイトルで、ものすごい数がこの出版社から出ている。

第一弾として、これを選ぶ。

セネガルは、アフリカ西端にある国。

首都はダカールという結構有名な都市。

主要民族はウォロフ人など。

国民の95パーセントがムスリムというイスラム国家だが、さほど厳格な戒律が施行されているわけでもない。

西は大西洋に面し、北はモーリタニア、東はマリ、南はギニアとギニア・ビサウに接する。

そして国の中を流れるガンビア川流域は、ガンビアという別の国家になっている。

型抜きされたみたいで、何とも妙な感じ。

セネガルが旧フランス領だったのに対し、ガンビアは旧イギリス領、英仏間の領土交換による併合や、独立後の国家統合が模索されたこともあるが、結局現状のままになっている。

1444年ポルトガル人が到達。

1659年フランスがサン・ルイに、1677年ゴレ島に拠点建設、ゴレ島は奴隷貿易の基点となる。

七年戦争で一時イギリスが奪取するが、アメリカ独立戦争で返還。

19世紀後半、第二帝政下、総督フェデルブが内陸部を平定、1886年カヨール王国のラット・ジョール王が仏軍により殺害、同世紀末には完全植民地化。

アフリカ黒人で初めてフランス国会議員になったブレーズ・シャーニュらの運動を経て、「アフリカの年」1960年に独立。

初代大統領はサンゴール。

この人名は憶えましょうか。

フランス語による著名な詩人であり、「ネグリチュード」(黒人性復権)運動の主唱者でもある。

新興独立国の多くの政治指導者が、急進的な内外政策に傾き、ソ連など東側諸国に接近したのに対し、サンゴールは穏健派として親仏親西側路線を貫いた。

ただし、内政では当時の主流思潮と言える「アフリカ社会主義」を唱え、「社会主義というよりも、未熟な資本主義を食いつぶす寄生的官僚主義の体制を生み出した」という、第三世界の国で非常によくあるパターンに陥ってしまったようだ。

サンゴールは1980年まで大統領の職にあったが、まあ他の国の惨状に比べれば、その業績はまだ肯定的に評価できる方か。

 

本書から読み取ることは、以上でいいでしょう。

アフリカの西端にあって、フランスの元植民地で、首都がダカールで、イスラム教国で、「独立の父」がサンゴールで、親西側路線を取った人物だった、とこれだけで十分。

 

次のカーボ・ヴェルデ。

セネガルの沖にある島国。

要は、国名はヴェルデ岬(「緑の岬」)のことで、それが島国なのに国名になった。

1460年ポルトガル人が到達した時点では無人島。

アンゴラ、モザンビーク、ギニア・ビサウと共に、アフリカで最後に残った植民地帝国であるポルトガル領の一部であり、1974年ポルトガル本国の反サラザール政権クーデタの後、1975年独立。

マルクシズムの影響の強い勢力が政権を握ったが、幸いさほど教条的政策は取らず、1990年後は一党独裁制は廃止され、平和的政権交代が実現しているようだ。

この国について憶えることは、地理的位置と、他のアフリカ諸国から遅れて、ポルトガルから70年代半ばに独立した、ということだけ。

 

 

歴史に関する章だけ集中して読み、後は軽く流していいでしょう。

通読する必要は必ずしもありません。

そこそこ役に立つ本ではあります。

2016年8月22日

高根務 『ガーナ  混乱と希望の国』 (アジア経済研究所)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 02:09

2003年刊で、新書版の薄い本。

「歴史編」と「現代ガーナ編」の二部構成。

当然、前者のみ力を入れて、後者は軽く読み飛ばす感じでいいでしょう。

 

ガーナは西アフリカにある国で、南はギニア湾、東はトーゴ、西はコートジボワール、北はブルキナファソに接する。

「ガーナ」という国名は古代ガーナ王国から取られたものだが、古代王国は現ガーナよりかなり西北部に位置し、版図は全く重なっていない。

独立以前はヨーロッパ人が名付けた「ゴールドコースト」という名で呼ばれていた。

11世紀頃から南部で産出する金と北部のイスラム商人が持ち込む岩塩を交換する交易が発展、いくつかの都市が栄える。

多数の諸王国が分立した状況の中、ヨーロッパ人が到達、1482年ポルトガル人がエルミナ砦を築く。

16世紀には、イギリス・オランダ・デンマーク・スウェーデンも進出、多数の砦を築き、金の交易を行う。

そのうち、エルミナを1637年オランダが奪取、イギリスはケープコースト城を支配、英蘭両国が優位を占める。

17~18世紀、悪名高い奴隷貿易が行われ、多数の奴隷がゴールドコーストから輸出される。

ただ奴隷の調達は現地のアフリカ人によって行われ、ヨーロッパ人が直接捕獲に従事することはなかった。

ヨーロッパとの交易の影響もあり、内陸部では諸王国の対立抗争が拡大。

その中で、17世紀末からオセイ・トゥトゥ王の下で興隆したアシャンティ(現地音ではアサンテ)王国が、18世紀に急速に勢力を拡大、19世紀初頭には現ガーナ領を上回る版図を支配。

ただし、その統治は連合王国のような形で、その配下に多数の諸王国、首長が存在していた。

1808年イギリス・アメリカが奴隷取引を違法化(これは奴隷の新規流入が止まっただけで、アメリカ国内では当然南北戦争中まで奴隷が存在していた)。

アシャンティ王国は「黒人奴隷貿易で栄えた黒人王国」という歪な存在であり、あまり好意的には見ていなかったが、しかしだからと言ってヨーロッパ諸国の罪が軽減されるわけではない。

アシャンティ王がイギリス領事に語ったという「今になって(奴隷の売買が)悪いというが、それではなぜ以前はよかったのか?」という言葉を読むと、そう思う。

確かに19世紀に自発的に奴隷貿易禁止を定め、それを徹底したのはヨーロッパの美点としてもよいが、それまでの200年間散々その種の悪行で儲けてきたわけですから。

しかも今度は、「奴隷制廃止」をアジア・アフリカ諸国侵略の口実に使うんだから始末が悪い。

1820年代、沿岸部の属国ファンテ王国とアシャンティとの関係悪化にイギリスが介入、1826年ドドワの戦いでイギリス軍が勝利、沿岸諸王国はイギリスの影響下に入る。

その後、しばらく小康状態を保ったが、19世紀後半に英・アシャンティ間の対立が再燃。

英国と違い、親アシャンティ的政策を取っていたオランダが、周辺諸王国の反抗に手を焼き、1872年エルミナをイギリスに譲渡すると、いよいよ英国が完全に優位を占めるようになる。

1874年イギリス軍がアシャンティに侵攻、首都クマシに入城。

南部沿岸部はイギリスの植民地となり、首都はケープコーストからアクラに移される。

19世紀末、フランスとの植民地獲得競争の中、イギリスはアシャンティの完全な支配を目論む。

1896年再度のクマシ占領の後、イギリスはアシャンティ王国を保護領と宣言、アシャンティ王をセイシェル諸島に追放。

実質、この時点で全土が植民地化されたとみていいようだ。

しかし、完全な植民地化の前にもう一波乱があった。

イギリス総督が、アシャンティ王の帰国は有り得ないと言明、王国の象徴である「黄金の椅子」を差し出すことを命じ、そこに自身が座るつもりだと宣言すると、激昂した首長たちは最後の反乱「ヤー・アサントワ戦争」を起こすが敗北、アシャンティ王国は植民地領に併合される。

(なお政治的実権は無いものの、地方首長と共にアシャンティの王号を持つ人物が現在も存在しているという)。

植民地統治下ではカカオ栽培が始まり、一大産業となる。

イギリスは伝統首長を温存し、間接統治を敷いた。

第二次大戦後、独立運動が本格化。

1947年、初の政党「統一ゴールドコースト会議」結成。

その漸進的独立路線に飽き足らない急進派のエンクルマが「会議人民党」を1949年結成。

(なおエンクルマは、本書では「ンクルマ」と表記されているが、いくら原語発音に近くても、これはちょっと日本語として不自然に感じるのでこの記事ではエンクルマとします。)

最終決定権はゴールドコースト総督にあるとされつつも、行われた立法議会選挙で会議人民党が数度の勝利を重ねる。

1957年、サハラ以南のブラック・アフリカで(植民地からの)初の独立国として、ガーナが建国。

エンクルマが初代首相に就任(60年には大統領に)。

だが、その後がまずかった。

産業国有化と社会主義的路線で経済は慢性的不振状態に。

私は、市場原理主義や自由放任主義を主張する経済学に絶大な嫌悪と軽蔑を感じてはいますが、だからと言って国家社会主義的な計画経済を是認するわけにはいかない(当時の閣僚の一人は「男を女に変えること以外なら、政府はどんなことでもできる」と語っていたという。これじゃ経済運営にも国家建設にも失敗しますよ)。

政治面でも激しい弾圧が行われ、統一ゴールドコースト会議の流れを汲む統一党の指導者ダンカは獄死、ブシアは亡命、会議人民党の一党制が敷かれる。

国内の混迷が深まる中、1966年クーデタが勃発、エンクルマは失脚。

あるガーナ人史家は以下のように記す。

「・・・・・独立当初の三年間で、ンクルマとその政府が内外で成し遂げたことの偉大さについては、疑問の余地がない。もし彼の政権がこの最初の三年間で終わっていれば、彼は最も偉大なガーナ人、最も偉大なアフリカ人として、人々に永久に記憶されたことだろう。だが残念なことに、実際にはそうならなかった・・・・・」

クーデタ後、軍部主導のアンクラ政権が成立(次いでアフィリファに国家元首が交代)。

1969年には、とりあえず民政移管が行われ、進歩党(旧統一党)のブシア政権成立。

しかし、このブシア政権も経済再建に失敗、単に政権担当政党が入れ替わっただけで会議人民党時代と同じ結果に。

72年再度のクーデタ発生、アチャンポン軍事政権成立。

アチャンポン、アクフォの両軍事政権も、経済情勢を好転させることはできず、汚職・腐敗の蔓延、激しい政治弾圧も相俟って国内の不満は頂点に達する。

そうした中、1979年31歳の空軍大尉ローリングスが若手将校と共にクーデタを企て失敗。

軍事裁判にかけられるが、ローリングスは法廷で堂々と軍上層部を批判。

その直後、ローリングスに同情的な軍将校によるクーデタが成功、釈放されたローリングスが一躍国の指導者となる。

同年中に会議人民党の後身である人民国家党のリマン文民政権が誕生するが、経済危機の進行を止められず、81年ローリングスが再度のクーデタを実行、政権を握る。

ローリングス政権は、東側共産圏から大規模援助を得られる見込みが無いとみるや、親西側路線に転向し、自由主義的経済改革を進める。

このローリングスという人の名は、新聞の国際面で時々目にしていたので、本書を読む前から知ってはいた。

一度目のクーデタで、アチャンポン、アクフォ、アフィリファらを銃殺刑に処し、二度目のクーデタではリマンは殺されなかったものの、多くの反対派が殺害されたと、本書にも書いてあるし、IMF・世界銀行の勧告を受け入れ「構造改革政策の優等生」と評価されたと記されると、(今の私の考えからすると)かなりひっかかる点もあるのだが、それ以前の状況が悪過ぎたので、ひとまずこのローリングス政権は肯定的に評価すべきなのかなとも思う。

実際、経済状況は顕著な立ち直りを見せ、さらに政治的にも、旧統一党・進歩党の新愛国党(NPP)とローリングス派の国民民主会議(NDC)の二大政党制が確立し(エンクルマ系の人民国家党[旧会議人民党]は分裂・弱体化)、2001年にはクフォーNPP政権が誕生し、アフリカでは珍しい平和的な政権交代を実現している。

外務省ホームページを見ると、以後はNDCが政権を奪還し、ミルズ政権・マハマ政権が続いているものの、国内情勢は必ずしも安定してはいないようだ。

 

非常にコンパクトだが、歴史編の内容はしっかりしている。

図表が多いのも親切。

こういう新興独立国の通史としては、これくらいのものが適切。

十分推薦に値する良書。

2016年5月7日

内藤陽介 『マリ現代史』 (彩流社)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 02:19

珍しいアフリカ各国別の史書。

いくら国を差別するのはよくないといっても、アフリカの50数ヵ国のすべての国を、例えばイギリス史と同じ密度で叙述するなんて絶対に不可能だし、意味のあることとも思えない。

その中でなぜこれを選んだかというと、たまたま手に取って読みやすそうだっただけ。

特にマリという国が重要と思ったわけでもない。

著者は切手の研究者みたいな人で本書でもその種の記述があるが、それほど目立つことはない。

 

マリはアフリカ西部にあり、東にニジェール、北にアルジェリア、西にモーリタニア・セネガル・ギニア、南にコートジヴォワール・オートヴォルタ(現ブルキナファソ)に接する。

首都は南部のバマコ。

国の中央部北寄りには有名なトンブクトゥがある。

北部に住むベルベル系遊牧民トゥアレグ族起源の街。

ガーナ王国の支配を経て、1076年ムラービト朝によるガーナ王国滅亡。

13世紀マリ帝国成立。

トンブクトゥは交易都市として繁栄。

1324年、君主マンサ・ムーサのメッカ巡礼。

15世紀ソンガイ帝国成立。

1592年モロッコのサアド朝による滅亡。

ヨーロッパの進出が始まり、1659年セネガル川河口にフランスがサン・ルイ建設。

ダカール沖のゴレ島にも拠点設置。

第二帝政下、仏領セネガルが内陸部に拡大。

フェデルブやジョッフル(後者はのちに第一次大戦陸軍司令)らの活動で、1880年代から90年代さらに仏支配地域は拡大、1894年トンブクトゥに到達、仏領スーダンが形成。

第二次大戦ではヴィシー派から自由フランスに合流。

1946年植民地によってフランス連合が成立、第五共和政ではフランス共同体に移行。

1958年ギニアはそれを承認せず、完全独立。

コートジヴォワール指導者のウーフェ・ボワニとセネガルのサンゴールは共に穏健派だが、前者は個々の国家の独自性重視、後者は西アフリカ連邦を重視して袂を分かつ。

急進派である、マリ指導者のモディボ・ケイタがサンゴールと協力して1960年「アフリカの年」にマリ連邦として独立するが、わずか2ヵ月後に主導権争いと経済格差でマリとセネガルは分離。

アフリカ穏健派諸国はブラザヴィル・グループを形成、コートジヴォワール、セネガルを中心とし、モーリタニアはモロッコからの併合圧力を受けこれに合流。

対して急進派はモロッコの支持でカサブランカ・グループを結成、ガーナ、ギニア、マリが加わる。

1963年アフリカ統一機構(OAU)結成。

マリのケイタ政権は中国に接近、中ソ対立下での第三世界急進派の「純化路線」に参加、「文化大革命」の亜流政策を採用し、経済建設に失敗。

1968年軍事クーデタ発生、ムーサ・トラオレ政権成立(ケイタは1977年獄死)。

これ自体は仕方ないか。

「独立運動の英雄」が地道な国家建設には失敗し、引きずり降ろされるというのはよくあるパターンではある。

だが、その後が問題だ。

私には右派の権威主義政権には評価が甘いという悪い癖があるが、このトラオレ政権はやはり失格だ。

朴正熙、スハルト、蒋経国らとは同一視できない。

腐敗、汚職の蔓延、限度を超えた弾圧、旱魃など自然災害への無策など、いい所が無い。

1991年軍司令の一人トゥーレがクーデタを起こし、暫定政権成立、翌92年反政府派知識人のコナレが大統領に就任。

経済は好転し、2002年にはトゥーレ政権に移行。

しかしその頃から経済は失速、2011年リビア内戦でカダフィ政権崩壊、その支持を受けていたトゥアレグ人がマリに入国、2012年より独立紛争を始め、アルカイダ系原理主義者とも協力。

同年紛争対応に不満の軍がサノゴ主導でクーデタを起こす。

国際社会の調停で、中間的解決がなされ、暫定政権樹立。

北部ではトゥアレグ人勢力と原理主義者が仲間割れを起こし公然と対立。

イスラム武装勢力の南部侵攻が現実味を帯びてきた2013年フランスが軍事介入実施、それを押し戻す。

 

 

読みやすくて手ごろ。

悪くない。

これくらいの本が、もちろんアフリカ各国とは言わないが、比較的重要な十数ヵ国について出てくれればいいと思う。

2013年9月10日

白戸圭一 『日本人のためのアフリカ入門』 (ちくま新書)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 15:23

純粋な史書ではないが、少しでも手薄なカテゴリを補充するために・・・・・と、これじゃ服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』(中公新書)と同じ口上だ。

著者は毎日新聞の記者の方。

日本人のアフリカ認識の歪みや固定観念の再検証を促す本。

体系的な構成にはなっていないが、有益な本。

第1章、あるバラエティ番組から見て取れる、日本人のアフリカへのステレオタイプを指摘。

海外メディアの日本報道を見て、酷いなと思うことはもちろんあるが、日本人自身の外国観もあまりにしばしば固定的イメージに囚われたものが多いと自省させられる。

第2章、アフリカ報道の検証。

少し前の新聞紙上でよく報道されていたテーマである、スーダンのダルフール問題、ジンバブエのムガベ政権による土地収用とハイパーインフレなどについて。

もう一つ挙げられている例が、ケニア大統領選挙における不正と混乱についての報道。

アフリカでの政治紛争に関して、極めて頻繁に持ち出される「部族対立」というステレオタイプを指摘し、このケニアの場合、キクユ人vs他民族という図式で単純化できない状況であるとしている。

ここの説明はわかりやすく、とても鮮やかに感じる。

第3章、日本のアフリカ外交。

日本が主導して、1993年初めて開催された、アフリカ開発会議「TICAD」について。

以後も5年ごと開催。

今年も確か開催されて、ニュースになってましたかね。

続けて、中国の外交的浸透と2005年の国連安保理改革の失敗。

1963年アフリカ統一機構(OAU)とそれが発展的に解消して2002年に結成されたアフリカ連合(AU)は、しっかりチェック。

なお、AUにはモロッコだけが加入していないそうである。

これは西サハラ問題からか?

教科書や史料集に載ってるような地図では、南西アフリカにある、独立前のナミビアがそうだったように、西サハラは白地になってますね。

第4章、アフリカを参照した日本の姿、鏡としてのアフリカ。

かつて著者が赴任・駐在していた南アフリカ共和国を例に挙げる。

確固たる地域大国であり、サハラ以南のアフリカのGDPのうち、一国だけでその4割を占めるそうだが、一方で経済的格差の拡大、汚職、治安悪化などの問題がしばしば伝えられる。

ここで著者が示すデータや、その感想は非常に面白く興味深い。

最後の「アフリカについて勉強したい人のための10冊」も良い。

初心者向けに、思い切って冊数を絞っているのが非常に適切。

その中には、最初に該当記事をリンクした『ルワンダ~』と『新書アフリカ史』(講談社現代新書)があった。

たまたま目に付いたので読んでみたのだが、事前に思っていたよりもはるかに面白かった。

文章も巧いのでスラスラと一気に読める。

1日で余裕。

テーマから予想されるのとは異なり、著者の見解は決して押し付けがましくない。

日本人の、アフリカに対する「偏見」を一方的に非難・弾劾するという調子ではないので、素直にうなづける。

歴史書とは言えませんが、強くお勧めします。

2010年9月20日

服部正也 『ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版』 (中公新書)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 06:00

1972年初版、2009年増補版。

増補版刊行時点で、著者はすでにお亡くなりになっています。

日本銀行から国際通貨基金(IMF)に出向した後、さらにルワンダの中央銀行総裁に請われて就任し、1965~71年の間在任した著者の回想。

歴史書というのとはちょっと違うかもしれないが、以前から書名を知っていた本で最近増補版が出たし、数が少ないアフリカカテゴリに追加できる点で貴重だしと思って手に取った。

「ルワンダ」と言われても、全く名前を聞いたこともないか、「90年代に大虐殺があった国」としか記憶がない人が大半でしょう(私も後者です)。

ルワンダはアフリカ中央内陸部にある小国で、北はウガンダ、東はタンザニア、西はコンゴ(旧ザイール)、南はブルンジに接する。

首都はキガリ、公用語はフランス語(とルワンダ語。現在は英語も)。

ちなみに上記「コンゴ」はアフリカのど真ん中にあるでかい国のコンゴ民主共和国(首都キンシャサ)で、そのさらに隣にある小さい方のコンゴ共和国(首都ブラザヴィル)じゃないです。

国名が同じってややこしいですよね。

ザイールと呼んでた頃はちょうどよかったんですが、まあモブツ独裁政権が改称した名ですから、使われなくなったのもしょうがないですね。

あと似た事例として、中米カリブ海にドミニカ共和国とドミニカ国があります。

ドミニカ共和国がハイチと同じ島で東半分に当たる国、ドミニカ国はその南に連なる小アンチル諸島にある小国。

なお、アンゴラの首都名が「ルアンダ」ですが、これとも混同しないようご注意。

話が逸れ過ぎました。

閑話休題。

19世紀末のアフリカ分割でドイツ領、第一次大戦後ベルギーの委任統治領に。

主要民族は多数派のフツ族、少数派のツチ族。

「多数派は普通だからフツ族」とでも語呂合わせで憶えましょうか。

支配民族は少数派のツチ族の方で、植民地時代もツチ系王国が存続する間接支配の状態。

1950年代末に王国内部の紛争とフツ族解放運動が重なり、共和国宣言を経てフツ族中心政権成立、1962年に独立。

初代大統領カイバンダ。

その際、ツチ族の一部が近隣諸国に亡命し、以後ルワンダの不安定要因となる。

(なお民族構成を同じくするブルンジではツチ族支配体制が基本的に続いたと書いてある。)

独立間もない時期に着任した著者は大統領の信任を得て、二重為替相場制度廃止と平価切り下げなどの通貨改革、適切な国債発行と予算精査による財政再建、商業銀行規制など金融制度整備、ルワンダ人現地商人育成と輸出至上志向ではない農業中心の経済建設政策、バス路線などの交通インフラ整備を遂行し、ルワンダ経済を成長軌道に乗せることに成功する。

本論はここまで。

以後、著者が「ルワンダ大虐殺」について書いた論文と、別の方が著者を偲んで書いた文章が増補されている。

著者が帰国した後、1973年クーデタでハビャリマナ政権樹立。

1990年ウガンダの支援を受けたツチ族主体の「ルワンダ愛国戦線(RPF)」による北部侵攻。

そして悲劇の1994年を迎える。

同年ハビャリマナ大統領を乗せた飛行機が撃墜され、大統領死亡。

これに激高したフツ族が少数派ツチ族とフツ族穏健派を大量虐殺。

ウガンダのムセベニ政権の支援を得たRPFが反撃、ルワンダに進撃しフツ族勢力を打倒、全土を制圧、RPFの実力者カガメが副大統領就任。

著者はこの過程で米国メディアに見られたツチ族寄りの報道を批判している。

フツ族による虐殺行為は決して許されるものではないと述べた上で、それがフツ族政府の計画的行動であったことには疑問を呈し、発端の大統領暗殺事件はRPFの仕業である可能性が高いのではないかと推測している。

また西南部に安全地帯を設け、RPFが虐殺加担者として指名した人々をそのまま引き渡さず、国連の中立的機関によって裁かれるべきだとしたフランス軍の姿勢を評価している。

以後2000年に上記カガメが大統領就任、民族融和に努め、順調に経済発展を遂げているそうです。

なお、フランスが大統領乗機撃墜へのRPF関与を示唆する報告書を作成したことにカガメ政権が反発し関係が悪化、仏と一時疎遠になったルワンダは旧英国植民地でもないのに英連邦に加盟したと少し前の新聞の国際面で読んだ記憶がありますが、うろ覚えです。

加えて先日、カガメが再選されたが野党勢力への抑圧も指摘されるとか、新聞に載ってましたね。

なかなか良い。

読み物として面白く、経済音痴の私でも何とか読めるレベル。

わからないところは飛ばし読みでいいでしょう。

マイナー分野で地道に知識を伸ばすために適切な本です。

2010年4月1日

岡倉登志 『ボーア戦争』 (山川出版社)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 06:00

やっと5冊目のアフリカ史で、個別テーマの本は初めてか。

イギリスカテゴリに入れられないこともないが、もったいないので当然そうしない。

著者名をどこかで見た覚えがあるなあと思っていたら、『サウジアラビア現代史』の著者岡倉徹志氏と一字違いの別人でした。

1899~1902年の南ア(南アフリカ・ボーア)戦争に関する本。

南アフリカに最初に到達したヨーロッパ人は、当然1488年喜望峰に達したポルトガルのバルトロメウ・ディアスなわけですが、結局ポルトガルはこの地に勢力を築けなかったようで、1652年全盛期のオランダがケープ植民地を建設。

それが1815年ウィーン議定書でイギリス領となる。

ウィーン会議で、オランダはナポレオンに占領されていたのが解放され、一応戦勝国の立場のはずなのに、ナポレオン戦争中にイギリスに占領されたこのケープ植民地とセイロン島という重要拠点を奪われてるのが妙な感じ。

代わりにオランダは旧オーストリア領の南ネーデルラント(ベルギー)を併合、オーストリアはロンバルディア・ヴェネツィアの北イタリア併合というのはもちろん要記憶。

しかし16年後には七月革命の影響でベルギーは独立するんだから、オランダはやはり大損ですよね。

ボーア(ブール)人とは、オランダ系を中心とする非イギリス系白人のこと。

イギリス統治に不満を持つボーア人が北東部沿岸沿いに移動、ズールー族の黒人王国と戦い、ナタールを手に入れるが、独立は認められず1842年ナタールも英領となる。

一部のボーア人はさらに移動し、1852年トランスヴァール共和国(正式名称は南アフリカ共和国)、1854年オレンジ自由国成立、この二つの国の自治権は認められる。

ここで位置関係を確認。

ナタールからやや内陸に入ったところにバストランドというソト人の黒人国家があり(1868年イギリスにより保護国化)、これが現在の南アフリカ共和国に周辺を囲まれたレソト王国。

その西にオレンジ自由国が広がり、その北、ヴァール川を挟んでトランスヴァール共和国。

ナタール北東にズールーランド、さらに進むとスワジランド、この二つもトランスヴァールと接する。

バストランドとスワジランドが保護国として存続し、現在も独立国なのに対し、ズールーランドは完全に併合されて現在も南アフリカ共和国の一部のようだ。

1879年イギリスとのズールー戦争で敗北、97年ズールー王国はトランスヴァールとナタールに併合されると書いてある。

(ちなみにズールー戦争では、イギリス軍に加わっていたナポレオン3世の遺児が戦死している。)

現代史ではズールー人を支持基盤にするインカタ自由党という政党があって、アパルトヘイト時代には白人政権に妥協的姿勢を取り、ANC(アフリカ民族会議)と対立。

このインカタ自由党というのは昔はよくニュースで名前を聞きましたが、最近とんと耳にしなくなりましたねえ(気のせいか?)。

オレンジとトランスヴァールの西にはベチュアナランド(現ボツワナ)があり1885年イギリスの保護領に。

ボツワナと言うと、十年ほど前に格付け会社のムーディーズがこの国の国債を日本国債より上位に格付けして、日本政府要人が抗議したとかいうことが記憶に残っています。

実際アフリカ諸国の中では、かなり安定して順調に経済発展している国らしいですが。

トランスヴァールの北にはローデシア(現ザンビアとジンバブエ)で1890~94年に英領。

北がザンビア、南がジンバブエ。

ジンバブエはムガベ大統領の下、経済が完全に破綻してしまった国ですね。

ちなみにこのムガベ大統領と南アフリカの前大統領ムベキ氏を混同しないようにご注意。

なお、この手のごく最近の事項は外務省 各国・地域情勢で確認すると良いと思います。

個人的にウィキペディアは一切使いたくないので。

現在の主要都市として喜望峰近くにケープタウンがあり、ヨハネスブルクは当時トランスヴァールの領域、その少し北にプレトリアがあり、これが現首都の模様。

自治権取り消しから1880~81年に戦争勃発、これを第一次ボーア戦争と呼ぶようです。

結局イギリスの実質宗主権の下での自治確認という結果になる。

1886年トランスヴァールで金鉱発見、開発のため入国したイギリス系を中心とする外国人の権利問題をめぐるボーア人との対立。

1895年末トランスヴァール共和国政府転覆を狙ったジェームソン侵入事件。

失敗に終わり、翌96年ケープ首相セシル・ローズ辞任(有名なローズは1890年から首相だったがこの事件で辞任したため肝心のボーア戦争自体にはあまり大きく関わっていない)。

同96年ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世のクリューガー祝電事件(クリューガーはトランスヴァール大統領)。

その後もケープ当局とトランスヴァールとの交渉が続くが、ついに決裂。

本書の叙述ではイギリスと主に相対していたのは常にトランスヴァールで、オレンジ自由国は同じボーア人の誼でトランスヴァール側についたことになっている。

ケープ総督ミルナー主導で1899年開戦。

細かな戦史は適当に流す。

ボーア側のボータ(1910年南アフリカ連邦初代首相)、スマッツ(1919年南アフリカ首相に)、イギリス側のキッチナー(マフディーの乱鎮圧、ファショダ事件指揮官)の名前にだけ注意。

イギリス軍は苦戦しながら1900年プレトリア・ヨハネスブルクを占領し、普通ならこれで終戦となるはずが、ボーア側は地の利を生かしたゲリラ戦を展開、イギリスは大いに苦しめられ、農家焼き討ちや家畜殺害などの焦土作戦、女性・子供を含むボーア人非戦闘員を強制収容所に閉じこめるなどの策を取り、国外だけでなく国内の反戦世論を刺激する。

結局、1902年講和条約締結、戦争終結。

その後の章では、コナン・ドイル、チャーチル、ガンディー、タゴール、幸徳秋水、内村鑑三といった人々の、ボーア戦争との関わりが記されてあって中々面白い。

初心者にはちょっと苦しい部分もあるが、全然読めないというわけではない。

類書の少ない、貴重な本ではあると思う。

一読して、マイナー分野の穴を少しでも埋めるのもよいでしょう。

2008年12月18日

福井勝義 赤阪賢 大塚和夫 『アフリカの民族と社会 (世界の歴史24)』 (中央公論社)

Filed under: アフリカ, 全集 — 万年初心者 @ 06:00

私にとって四冊目のアフリカ史。

3部構成で、第1部が人類学や民族学の視点から見た概説。

アフリカの多くの地域が無文字社会だったのだから、こういう記述が多いのも仕方ないが、これを面白く読めるかというと、私の能力では無理としかいいようがない。

言語による民族分類が載っていたので、それをメモ。

1.ニジェール・コンゴ語族

アフリカ全言語の三分の二が属する。そのうち最大のグループがバントゥー諸語。

カメルーンとナイジェリア国境辺りから東部および南部の広範囲に広がる。

ケニアのキクユ語、ウガンダのガンダ語、南アフリカのズールー語も含む。

東アフリカのスワヒリ語もバントゥー語にアラビア語の語彙が多く入って形成されたもの。

2.ナイル・サハラ語族

ソンガイ語、マーサイ語、カヌリ語(ボルヌ・カネム王国の言語)など。

3.アフロ・アジア語族。

かつての「ハム・セム語」。アラビア語、エチオピアのアムハラ語、古代エジプト語、ベルベル語群など。

4.コイサン語族。

かつての「ホッテントットおよびブッシュマン語」。ナミビアのナマ語を除けば消滅途上にある。

あと、第1部では133ページの現代アフリカ地図をじーっと眺めて、できるだけ多くの国名を頭に入れる。

白地図で正確な位置を示せなくても、国名を聞いて東西南北、中央のどの地域にある国か、大体でいいから言えるようになりたい。

第2部に入ると、普通の通史。

本文を読み進める途中で、164ページの王国分布図に面倒くさがらずに立ち返り、ごく大まかな位置関係を確認した方がよい。

高校教科書で必ず出てくる王国はクシュ、アクスム、ガーナ、マリ、ソンガイ、モノモタパの六つだけだが、本書ではその他にアシャンティ、ダオメー、ヨルバ、ハウサ、カネム・ボルヌ、エチオピア、ガンダ、コンゴ、ズールーあたりを押さえておきたい。

位置関係の他にできれば大体の存続期間も頭に浮かぶようになればなおよい。

ヨーロッパ勢力が進出し始めた15・16世紀以降に繁栄した国も結構あることにご注意。

第3部はイスラム・アフリカ史。

イスラム改革・復古運動の記述が多く、やたら細かい人名・地名・教団名が出てくるので読むのが疲れる。

時々ムハンマド・アフマドとかサモリ・トゥーレとか知っている名前が出てくるが、読み通すのにやや苦労することに変わりなし。

細かな部分は無理に覚えようとしなくてもいいでしょう。

ただリビア独立時の王朝のイドリス朝がその手のイスラム改革教団から生まれたものだということは記憶に留め置いた。

その他、1147年ムワッヒド朝滅亡後のマグリブ地域で、モロッコのマリーン朝、アルジェリアのザイヤーン朝、チュニジアのハフス朝という三つの王朝が成立したことをメモ。

モロッコのマリーン朝は15世紀半ばにワッタース朝に取って代わられ、スペイン・ポルトガルの進出にワッタース朝が有効に対抗できないうちに、さらにサアド朝に倒された。

ガーナ王国がムラービト朝に滅ぼされたことは高校教科書にも載っているが、後継国家のマリ王国とソンガイ王国の衰亡もこのサアド朝モロッコの攻撃が原因になっている。

サアド朝は1659年アラウィー朝に倒され、このアラウィー朝系統の王家が現在でもモロッコで王制を敷いている。

第1部と第3部がもう一つといった感じですが、第2部はコンパクトにまとまってよく出来ていると思うし、『新書アフリカ史』に取り組む前の予習として使えば、有益と言えるのかもしれません。

まあまあの内容を持つ本じゃないでしょうかね。

2007年12月7日

宮本正興 松田素二 編 『新書アフリカ史』 (講談社現代新書)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 06:00

出版された当時から気にはなってた本書を刊行から10年経ってようやく通読。

マイナー分野でありながら新書とは思えぬ厚さなので手に取るのを躊躇してたんですが、思い切って読み始めると驚くほど容易に読み通せた。

これは良い。非常に良い。

よく整理された叙述で、予備知識の少ない読者にもアフリカ史の全体像をわかりやすく教えてくれる。

十数人の分担執筆にも関わらず、記述の不統一や無意味な重複、説明不足などを感じさせない見事な編集。

北アフリカのナイル川、西アフリカのニジェール川、中央アフリカのザイール川、南アフリカのザンベジ川およびリンポポ川という大河流域によって地域区分をし、それぞれの史的発展を記していく。

またサハラ交易、インド洋貿易、大西洋貿易を通じた外部世界との交流とそれに応じたアフリカ内部の発展も重視し、近代以降のヨーロッパによる支配に筆を進める。

馴染みの無い地域の歴史を飽きさせず興味を持って読ませる。

初心者が読んで面白いアフリカ史なんて、以前記事にした山口昌男『黒い大陸の栄光と悲惨』ぐらいだろうと思ってたんですが、この考えは撤回します。

本書も十分取り組むに値する本です。

『黒い大陸~』は今でも特徴のある、面白い本だとは思うが、個々のテーマに深入りし過ぎて全体的な流れを簡潔に捉えにくいという印象がある。

現代史の部分は『黒い大陸~』の方が依然優れている気がするが、初心者が読むアフリカ史のテキストとしては本書を基本にするのが良いでしょう。

強く推奨させて頂きます。

2007年11月28日

バズル・デヴィドソン 『アフリカ史案内』 (岩波新書)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 06:00

アフリカ史もいつまでも一冊だけにしておくわけにはいかないなあ、しかし以前から気になってる『新書アフリカ史』(講談社現代新書)は長いし億劫だなあ、中公新版「世界の歴史」のアフリカの巻も読む気しないなあと思ったので、とりあえず薄くて手ごろなこれを読みました。

1964年刊ととんでもなく古い本だが、意外に使える。

高校で世界史を履修した人でもアフリカ史に関しては(私も含め)ほぼ白紙という人が多いでしょうから、本書のような非常に簡略な通史の方がかえって有益だったりする。

本当にごく基礎的で重要なことだけに焦点を絞って、着実に伝えようとする姿勢が非常に良い。

末尾にアフリカ諸国の独立までの経緯を一国一国簡単に記した付録が訳者によって書かれているが、これもなかなか役に立つ。

私自身、主要な国以外、まず個々の国名と位置関係を把握できていないので、そういう初歩レベルの知識を確認できる。

ちなみに訳者は以前岩波新書の『ナチスの時代』の記事で腐したのと同じ人。

こういう付録なら非常に結構です。

本書が岩波新書の定期復刊で再版されることは、残念ながらまず無いでしょうが、初心者が一番初めに読むアフリカ史としては適当な本だと思うので、一度図書館から借り出してみてはいかがでしょうか。

2006年10月9日

山口昌男 『黒い大陸の栄光と悲惨 (世界の歴史6)』 (講談社)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 18:22

世界史の一部としてアフリカ史も抜かすわけにはいかない。

ただ「歴史の無い暗黒大陸」という偏見がいかに間違っていようとも、イギリス史や中国史と同じ密度でアフリカ史を学ぶことは不可能だし、意味のあることとも思えない。

そこで素人はとりあえず一冊読んで済ませることになるだろう。

比較的最近出たものとして『新書アフリカ史』(講談社現代新書)なんてものもあるが、私が選んだのは1970年代後半に出た講談社旧版世界の歴史シリーズのこれ。

著名な文化人類学者で思想家の著者の特色が良く出ている。

とは言え、クシュ・アクスム・ガーナ・マリ・ソンガイ・モノモタパなんて国名をうろ覚えしてるだけの自分にとって、西アフリカと南アフリカの諸王国の歴史を長々と語られるところは正直かなりキツかった。

中盤のそのあたりで挫折しやすいですが、何とか乗り切ってください。

細かな部分は無理に頭に入れようとせず、通読して大体のイメージを捉えられたら良しとしましょう。

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