万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年2月26日

創元社版「図説世界の歴史」について

Filed under: おしらせ・雑記, 全集 — 万年初心者 @ 01:25

 

J・M・ロバーツ『図説世界の歴史 1 「歴史の始まり」と古代文明』(創元社)  3 易

J・M・ロバーツ『図説世界の歴史 2 古代ギリシアとアジアの文明』(創元社)  4 易

J・M・ロバーツ『図説世界の歴史 3 古代ローマとキリスト教』(創元社)  3 易

J・M・ロバーツ『図説世界の歴史 4 ビザンツ帝国とイスラーム文明』(創元社)  5 易

J・M・ロバーツ『図説世界の歴史 5 東アジアと中世ヨーロッパ』(創元社)  5 易

J・M・ロバーツ『図説世界の歴史 6 近代ヨーロッパ文明の成立』(創元社)  3 易

J・M・ロバーツ『図説世界の歴史 7 革命の時代』(創元社)  4 易

J・M・ロバーツ『図説世界の歴史 8 帝国の時代』(創元社)  3 易

J・M・ロバーツ『図説世界の歴史 9 第二次世界大戦と戦後の世界』(創元社)  3 易

J・M・ロバーツ『図説世界の歴史 10 新たなる世界秩序を求めて』(創元社)  3 易

 

 

この日本語版の刊行は比較的新しい。

タイトルに「図説」と付くだけあって、写真や図表が極めて多く掲載されている。

しかもオールカラーなので、見やすく美しい。

もっとも、その分紙質も厚くて重いし、本文が始終分断される感もあって、やや読みにくさもあるが。

全集の形式ではあるが、全10巻と巻数は相当少な目。

しかも1巻ごとの文章量も大したことはないので、通読難易度は著しく低い。

各巻の日本語版監修者も、著名な学者が顔を揃えており、信頼できる。

翻訳も極めて良好。

特に「です・ます」調を採用したことは、大成功。

非常に読みやすく、説得力のある文体に仕上がっている。

内容的には、一人の著者による執筆ということもあってか、一貫した史観が感じられる。

「多くの人びとに重大な影響を与えた思想・出来事・人物」のみを重視し、それに適合しない史実は思い切って省略(ただし図表の解説文などで補足している。よってそこも読み飛ばさない方が良い)。

オリエント文明およびそれから分岐したヨーロッパ文明とイスラム文明を最重視し、それらから独自性を守ったインド文明と中国文明に一定の評価を与えつつ、アフリカおよびアメリカの文明に対する評価は低い。

昔ながらの西欧中心主義からは脱しつつ、それでもギリシア文明からヨーロッパ文明に受け継がれてきた流れを人類の歴史の中で極めて特異で価値のあるものであると評価する。

その筆致があまりに冷静で説得的なので、ほとんど反発も感じない。

凡庸な学者が、もし同じ巻数で世界史を記述しても、毒にも薬にもならない平板な著名史実の羅列に終わるだけでしょう。

しかし、このシリーズは、一見平凡な叙述を続けているように見えて、各巻の中に必ず数箇所、はっとさせられる著者独自の見解が含まれており、知的興奮が得られる(記事中でも、そうした部分を引用したつもりです)。

決してありきたりで内容の粗い通史に終わっていません。

本文中での事実関係の扱いが薄い部分は、上記のように図表とその解説でカバーしていて、網羅性もある程度確保している。

ただ、平易極まりない叙述とは言え、世界史について全く白紙の読者が読んだとして、どれだけ印象に残るかはやや心許ないかもしれない。

漫然と読むのではなく、記事中で引用したような部分を含むポイントをしっかりと把握することが必要になるでしょう。

(もちろん、私と全く同じ感じ取り方をする必要は毛頭ありませんが。)

通読した結果、十分お薦めできるシリーズだと確信しました。

 

2016年12月25日

その他の世界史全集について

Filed under: おしらせ・雑記, 全集 — 万年初心者 @ 03:46

私の視野正面に入る世界史全集は、これまで記事にした中公旧版中公新版河出版文春大世界史講談社旧版の五つのみです。

ですが、それ以外のものについても、少しだけ触れてみましょうか。

 

まず「岩波講座 世界歴史」。

えー、・・・・・無理です。

私のレベルでは全く手が出ないシリーズです。

はっきり言って関係が無い。

それくらい縁の無いシリーズです。

 

次。

中公旧版と同時期、1960年前後に、筑摩書房で「世界の歴史」が出ていたようです。

しかし、この現物は見たことが無い。

図書館で在庫があるのか知らないし、あったとしてもわざわざ借り出すかどうかわからない。

興味のある方は一度探してみてください。

 

講談社旧版があって、じゃあ新版は何なのかと言うと、1980年代に「ビジュアル版世界の歴史」というものが刊行されていました。

これは巻数も少ないし、もう当時から言われていた「活字離れ」に対応して写真や図版が多く、文章量は少なめで、中身が薄い印象しかなく、一冊も読んでいません。

ただそれがかえって通読し易くてよいという方もいるかもしれませんが。

 

そこから今世紀に入って出された講談社「興亡の世界史」シリーズにも、全く興味が湧かない。

書店で何巻かをちらっと眺めただけで、全く気が乗らず、手に取ることはありませんでしたし、これからもまず読まないと思います。

 

同じ講談社で、1970年代後半、なぜか講談社旧版とほぼ同時期に刊行されていたのが、現代新書の「新書西洋史」と「新書東洋史」のシリーズ。

合わせると一応短い世界史全集にはなっている。

このブログでは、「東洋史」から『征服王朝の時代』『東南アジアの歴史』『インドの歴史』『中央アジアの歴史』を記事にしているが、まあ後の三冊が一般的全集の空白を埋めるのにやや便利、というだけで、見るべきものは少ない。

 

 

朝日新聞社から1990年代初頭に「地域からの世界史」が刊行されていました。

私が読んだのは『内陸アジア』だけ。

他のマイナー地域の巻を読んでみれば印象が変わるのかもしれないが、今のところ特筆すべきものは無いかなあ。

 

 

後は・・・・・今は亡き(ですよね?)社会思想社の教養文庫にも「世界の歴史」シリーズがありましたね。

なつかしいなあ。

1990年代辺りでは、まだ新刊書店に在庫がありました。

ちょっと巻数の少ない中公旧版、といった面持ちでした。

あんまり紙質が良くなくて、すぐ変色してましたよねえ、あの文庫。

もう中公旧版を通読していたので、似たようなものを読む気もなく、買うこともありませんでしたが、同様の叙述形式で、かつコンパクトな所に利点があったのかもしれない。

 

あと、山川出版社の「世界歴史体系」とか「世界各国史」シリーズとかは、通読を前提にするようなものではなく、必要なものを選択して読むようなものだと思うので、特に何も言及することは無いです。

実際、その二つのシリーズは読んだことがない。

昔、朝鮮通史のいい本が無いなあと思っていて、「世界各国史」の朝鮮史を読もうかと思ったことはありましたが、結局実行せず。

 

「中国文明の歴史」など(9巻11巻のみ紹介)、中国史だけの全集なども加えると切りが無いので止めておきます。

 

 

思いつく限りの各種世界史全集を挙げてきましたが、実はもう一つ気になっているシリーズで、以上で触れなかったものがあります。

比較的最近出たものです。

次回更新から、それを記事にして行こうかと思っています。

2016年12月11日

15冊で読む近代日本史

Filed under: おしらせ・雑記, 近代日本 — 万年初心者 @ 02:51

のっけから大変失礼な質問をすることをお許し下さい。

まず以下の歴史用語をご覧下さい。

 

 

「日中戦争」と「満州事変」。

 

「二・二六事件」と「五・一五事件」。

 

「太平洋戦争」と「第二次世界大戦」。

 

「日独伊三国同盟」と「独ソ戦」。

 

「ヒトラー政権成立」と「世界恐慌」。

 

「日本降伏」と「ドイツ降伏」。

 

 

以上、戦前における12個の史実を挙げました。

さすがに、これらの史実を「知らない」「聞いたこともない」という方はおられないと思います。

 

では、これらの史実を起こった順番に、年代順に並べることが出来ますか?

 

しばらくお考え下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「1929年世界恐慌、31年満州事変、32年五・一五事件、33年ヒトラー政権成立、36年二・二六事件、37年日中戦争、39年第二次世界大戦勃発、40年日独伊三国同盟、41年(6月)独ソ戦、(12月)太平洋戦争、45年(春)ドイツ降伏、(8月)日本降伏、それがどうした?」と何も見ずに言えた方は、以下の数行は無視して下さい。

答えられなかった方は、まず自宅近くの公共図書館に行って下さい。

その際、もし小学校3・4年生くらいのお子さんがいらっしゃる方は一緒に連れて行くといいでしょう。

図書館に着いたら、児童書のコーナーに向かいます。

で、そこに置いてある学習漫画「日本の歴史」の類いを見つけて、その明治時代から現代までの巻を取り出し、子供に見せて「これでいいのか?」みたいな顔をしてから、貸出手続きをします。

そして自宅に持ち帰ったら、子供ではなく、自分が読み耽ります。

それから、『もういちど読む山川日本史』『石川日本史B講義の実況中継』などを買い求め、高校日本史レベルの事項を、ごく粗くでもいいから頭に入れます。

 

 

以上のことを概ね済ませたのを前提として、近代日本史に関する15冊の読書ガイドを作ってみようというのが、この記事の主旨です。

このブログ全体で紹介冊数が1100冊を超えているので、後はいたずらに個々の本の記事を増やすより、この手のリストを作った方が、読者の役に立つかと思います。

(ただし、このリストは「近代日本」カテゴリの120冊余りしか読んでいない中からの選択ですから、当然限界はあります。[記事数は130余りだが、一つの本で複数の記事を書いているので、冊数は120冊ほど])

 

 

「何で15冊なのか?」は実はかなり適当です。

最初は20冊程度のリストを考えていたのですが、世界史の暫定必読書リストが30冊なのを思えば、ちょっと多いし、なかなかうまく書名も埋まらなかったので、半分の10冊にしようとしたら、逆にどうしてもオーバーしてしまうので、その間でキリのいい15冊になりました。

そして、私の関心領域からして、当然政治史と外交史がほぼ全てです。

 

 

便宜上、「明治前期」「明治中期」「明治後期」「大正」「昭和戦前期」「昭和戦後期」「通史」に分けて紹介していきます。

ただし、何しろ全部で15冊のみですから、1冊だけしか挙げない時代もあります。

 

 

その前に「幕末」をどうするかという問題があるんですが・・・・・。

苦手分野だし・・・・・やめます。

ここで紹介するのは、あくまで明治以降ということで。

今まで読んだ本で、すぐ思いつくのは、半藤一利『幕末史』(新潮社)で、特に悪い本ではないが、これをリストに入れるのはひとまず止めておきます。

 

 

まず「明治前期」から。

この分野では、やはり

(1)坂野潤治 大野健一『明治維新 1858―1881』(講談社現代新書)

がベスト。

「富国」「強兵」「憲法」「議会」という四つの国家目標を掲げる政治勢力の合従連衡の有様から、明治初期の政治を分析する手法の鋭さには、目が覚めるような思いがした。

幕末雄藩の状況にも触れられているのも便利。

薄い本で非常に読みやすいが、内容はとことん濃い。

頭の中がすっきり整理される。

 

 

続いて「明治中期」。

ここで通読難易度が急に高くなるが、

(2)坂本一登『伊藤博文と明治国家形成』(講談社学術文庫)

を採用。

自由民権運動の勃興から憲法制定に至る明治中期の政治史が詳しく語られている。

記事中でも指摘したが、当時の文章の引用が相当読みにくいので、難しければそこは飛ばしてもよい。

内容自体は非常に精緻で重厚。

じっくり読みこなせば、相当実力が付くでしょう。

そして、やや迷ったんですが、ここで政策決定者自身の著作として

(3)陸奥宗光『蹇蹇録』(ワイド版岩波文庫)

を挙げる。

この種の回顧録では、近代日本で最高の作品であることは、恐らく衆目の一致するところでしょう。

ただし、大谷正『日清戦争』(中公新書)におけるような、批判的視点も心の片隅に入れておく必要もあるでしょう。

同種の著作では、このブログでも、幣原喜重郎『外交五十年』(中公文庫)重光葵『昭和の動乱 上・下』(中公文庫)同『外交回想録』(中公文庫)石射猪太郎『外交官の一生』(中公文庫)来栖三郎『泡沫の三十五年』(中公文庫)などを紹介しています。

その内、幣原著は(やや内容が薄いものの)最も読みやすく、教科書的史実の背景を平易に知ることが出来ますし、石射著は破滅的な日中戦争に向かう日本を緊迫感を持って描き出しています。

その他の本も含め、歴史研究者の一次史料としてしか読めないであろう『原敬日記』などと異なり、いずれも一般読者が普通に読めるものですので、歴史的知識を得る為に、余裕があれば手に取ってみるのもいいでしょう。

ただ、学生の頃、その種の回顧録の代表作だと考えていた吉田茂『回想十年 全4巻』(中公文庫)はちょっと期待外れかな、という気もしました。

 

 

「明治後期」に行きます。

ちょうど、叙述範囲がぴったりの

(4)佐々木隆『明治人の力量 (日本の歴史21)』(講談社学術文庫)

がありました。

驚くほど完成度が高い著作です。

著者の透徹した史観に深く納得させられます。

叙述自体の巧みさも魅力。

で、どうしようかなと迷ったんですが、司馬遼太郎『坂の上の雲 全8巻』(文春文庫)を挙げるのは止めておきます。

この本は「近代日本」カテゴリで初めて記事にした作品です。

外国の歴史にしか興味が無かった自分が、近代日本史に向かうきっかけとなった、個人的にも重要な著作です。

最初このリストを作ろうとした時は、間違いなく入れようと考えていたのですが、(著作自体の罪では全く無いとは言え)今の時代状況ではやや陳腐に感じられる点も無いでは無いので、外しました。

未読の方が読んでみるのは、全然悪くありません。

そして、ここで複数の時期にまたがる著作だが、

(5)瀧井一博『伊藤博文』(中公新書)

を挙げる。

(2)に続いて伊藤博文関連の著作だが、何しろ近代日本最重要最優秀の政治家であることは、ほとんどの人が同意するであろうから、別にバランスを失しているわけではないと思う。

実は、これも伊藤之雄『伊藤博文』(講談社)を採用しようか、かなり迷いました。

伊藤之雄氏の著作の方が、網羅的であることは間違いなく、これを選べば、ほぼ明治全ての政治史がカバーできる。

しかし通読にはやはり相当骨が折れるし、初心者が内容をしっかりと読み取れるか疑念が残るので、あえてポイントが絞られた瀧井氏の本を選びました。

日清戦争の記述がほとんど無い点については、(3)でフォローされているということにします。

加えて、あえて付け加えれば、小林道彦『児玉源太郎』(ミネルヴァ日本評伝選)は優れた伝記であり、明治政治史全般を理解する上で有益な本です。

伊藤之雄『山県有朋』(文春新書)および井上寿一『山県有朋と明治国家』(NHKブックス)も同様。

 

 

以上、明治終わり。

続いて「大正」。

ここは1冊だけ。

(6)岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』(PHP文庫)

この岡崎氏の日本外交史シリーズは、「近代日本」カテゴリのごく初期の段階で紹介していることから分かるように、かつては自分の中でその種の本の決定版だと考えていました。

その後、岡崎氏の政治的見解にかなりの疑念を感じるようになって、そうした確信も相当薄れ、だからこそ残りの『陸奥宗光とその時代』『小村寿太郎とその時代』『重光・東郷とその時代』『吉田茂とその時代』は採用しないのですが、この巻だけは依然非常に優れていると思います。

他に適切な本を読んでいないこともあり、これでいきましょう。

上で触れた伊藤之雄氏の伝記作品で、『原敬 上・下』(講談社選書メチエ)があり、これを読んだ後では、ひょっとしたら入れ替えを考えるかもしれませんが、未読なのでリストには入れず、その存在だけは紹介しておきます。

 

 

そしていよいよ「昭和戦前期」に入ります。

我が国が有史以来最悪の敗北を経験し、その歴史に大きな屈折を余儀なくされた時代です。

まず、これを挙げましょう。

(7)川田稔『満州事変と政党政治』(講談社選書メチエ)

昭和陸軍内部の皇道派・統制派という派閥対立についての説明が非常に詳細でしっかりしているのが長所。

初心者にとって効用が非常に高い著作です。

なお、類書の高橋正衛『二・二六事件』(中公新書)同『昭和の軍閥』(講談社学術文庫)は初心者向けとは言い難く、私としてはお勧めしません。

次にこれ。

(8)服部龍二『広田弘毅』(中公新書)

昭和戦前期の日本外交の破滅的失敗を省みる上で、外相・首相を歴任したこの広田弘毅という人物を通じて見ることはかなり有益かつ便利である。

本書はその期待に違わぬ、しっかりとした内容と読みやすい叙述形式を持っている。

類書として、これも挙げておこう。

(9)大杉一雄『日中十五年戦争史』(中公新書)[『日中戦争への道』(講談社学術文庫)]

日中戦争の通史ではなく、戦争の泥沼化に至る過程を分析し、それを回避する為に何が必要だったのかを考察する外交史の名著。

実は、再読したところ、初読の際ほどの好印象は持てなかったのだが、それでも充分勧められる本ではあります。

なお、同じ著者の『真珠湾への道』(講談社)はやや評価が落ちるので、興味のある方だけご覧下さい。

ちょっと前に話題になった、加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)も悪くないが、このリストに加えるのは止めておきます。

興味のある方は一読してもいいでしょう。

昭和期の対外戦争の具体的経過についての知識を得る為の本としては、やや古いですが、臼井勝美『満州事変』(中公新書)同『日中戦争』(中公新書)児島襄『太平洋戦争 上』(中公文庫)『同 下』(中公文庫)を挙げておきます。

(知名度はあるが、戸部良一 他『失敗の本質』(中公文庫)は勧めません。)

ちょっと時代を戻して、軍部台頭前の政党政治時代については、絶対に外せない、この名著があります。

(10)筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』(ちくま新書)

ここ最近読了した本の中では、最大の収穫でした。

史実をよく整理された形でわかりやすく叙述し、その後で穏当で説得的な史的評価を記して、歴史的教訓を明解に読者に示す、という歴史叙述のお手本のような本。

記事中に書いたように、著者の意見の全てを肯定するわけではないが、本書が卓越した傑作であることは間違いないと思います。

政党政治終焉後の政治史については、さらに同様の傑作があります。

(11)坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)

驚くほどの独創性と面白さをもった歴史叙述です。

これも絶対に外せません。

私も含め、ほとんどの方は、著者による史実の整理と評価の鮮やかさに感嘆を禁じ得ないでしょう。

そして、戦前・戦後を通じて在位した昭和天皇の伝記を通じて、時代を理解するのも有益です。

最初、古川隆久『昭和天皇』(中公新書)が適切かなと思っていたのですが、再考してこれにします。

(12)伊藤之雄『昭和天皇伝』(文芸春秋)

練達の歴史家の手に成る、非常に信頼性が高い著作。

昭和史全般の概説としても使用可能。

福田和也『昭和天皇』(文芸春秋)は、上記の著作などを含む様々な本を参考にして、著者独自の情景描写で読ませるが、巻が進むほど内容が粗くなる気がする。

 

 

「昭和戦後期」に行きます。

まず、以下の概説を選択。

(13)高坂正堯『一億の日本人 (大世界史26)』(文芸春秋)

刊行は1960年代末で、相当古い上に、入手困難。

終戦から20年余りしか経っていない頃の作品で、戦後政治史としては、終戦後70年を超えた現在までの、半分もカバーしていない。

当然多くの限界はある。

しかし、まだしも入手し易い、同じ高坂氏の『宰相吉田茂』(中央公論社)をあえて避けて、これを選んだのは、初心者がより読み易い叙述形式が採られているのと、左右のイデオロギー対立の中、何とか歴史的共通認識を形成しようとする著者の真摯さ故です。

じっくり読みかえすと、非常に多くのものが得られた著作でした。

しかしさすがに戦後史がこの1冊というわけにもいかないので、網羅性に配慮して、

(14)五百旗頭真 編『戦後日本外交史』(有斐閣)

を採用。

「傑作」というほど、心には残らなかったが、それなりに有益な本であることは間違いない。

戦後外交史の概説としては、充分使える。

なお、日米関係と並んで、戦後日本の最重要の外交課題であった日中関係については、服部龍二『日中国交正常化』(中公新書)が非常に良質なテキストになります。

 

 

時代別の紹介は一応終わりました。

最後に「通史」として、この1冊を挙げて、ラストを飾る。

(15)坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書)

当然、同じ著者の(1)や(11)と内容が重複する部分はあるが、それ以外の時代の叙述は貴重極まりないし、同時代の章でも新たに付け加えられた見識がある。

通史としては、現時点では、やはりこれがベストでしょう。

正村公宏『日本の近代と現代』(NTT出版)は、ありきたりの教科書的著作ではなく、著者独自の見解がにじみ出た作品だが、強いて選択するほどではない。

 

 

 

まあ、こんなもんですかね。

以下、全15冊のリストです。

 

(1)坂野潤治 大野健一『明治維新 1858―1881』(講談社現代新書)

(2)坂本一登『伊藤博文と明治国家形成』(講談社学術文庫)

(3)陸奥宗光『蹇蹇録』(ワイド版岩波文庫)

(4)佐々木隆『明治人の力量 (日本の歴史21)』(講談社学術文庫)

(5)瀧井一博『伊藤博文』(中公新書)

(6)岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』(PHP文庫)

(7)川田稔『満州事変と政党政治』(講談社選書メチエ)

(8)服部龍二『広田弘毅』(中公新書)

(9)大杉一雄『日中十五年戦争史』(中公新書)[『日中戦争への道』(講談社学術文庫)]

(10)筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』(ちくま新書)

(11)坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)

(12)伊藤之雄『昭和天皇伝』(文芸春秋)

(13)高坂正堯『一億の日本人 (大世界史26)』(文芸春秋)

(14)五百旗頭真 編『戦後日本外交史』(有斐閣)

(15)坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書)

 

 

自分では近代日本史についても、そこそこは読んできたつもりなんですが、やはりちょっと厚味に欠けるかもしれない。

以上のリストを見ると、そう思う。

もう少し、より良いものになる可能性もあったかもしれませんが、これが私の限界です。

初心者が無理なく読める範囲内で、一定の冊数制限の下で選ぶ、ということなら、このリストの意義も多少はあるかもしれません。

少しでも参考にして頂ければ幸いです。

 

 

全10冊、とはいきませんでしたが、15冊とかなり絞り込んだんで、読了するのは比較的難しくないかと思います。

ただ、その代わり、漫然と読まない方がいいです。

あえてアドバイスすると、常に年代を意識しながら読んで下さい。

このブログでも何度か触れていますが、とにかく歴史を学ぶ上では、年号を記憶することが絶対に必要です。

「また面倒で嫌なことを言い出しやがったな」と思われること必定でしょうが、これに関しては一切妥協できません。

重要な史実と史実の前後関係もわからずに、史観がどうのこうの言っても意味が無い。

そんな史観自体が皮相で安易なものである可能性が大きい(引用文(内田樹6)、 高坂正堯『大国日本の世渡り学』(PHP文庫))。

自分自身を振り返っても、少し違う分野の諸史実の年号を暗記して、それをツールとして利用することによって、視野が啓け、全体的な歴史理解が容易になったという経験を何度もしています。

 

 

ただし、最初に皆さんにした質問の件ですが、別にあれを答えられなくても、何も恥ずかしくありません。

そんなことを知らなくても、立派で良識のある社会人でいることは充分可能です。

ただ、最重要史実の、あの程度の順番も答えられないのに、近代日本の歴史認識について、匿名のネット上で、党派心の虜になって、反対者を口汚く罵倒・嘲笑・中傷するような真似だけは、絶対止めて下さい。

国と社会にとって有害無益です。

そんなのは言論の自由の範囲内には入りません。

ネット上で他者に罵詈雑言を浴びせかける前に、1冊でも多く本を読んで、自分の知識と見識を高める努力をして下さい。

自戒を込めて、そう記して終わりにします。

2016年3月30日

講談社旧版「世界の歴史」について

Filed under: おしらせ・雑記, 全集 — 万年初心者 @ 06:35

杉勇    『1 古代オリエント』  2 中

秀村欣二  『2 ギリシアとヘレニズム』

弓削達   『3 永遠のローマ』

堀敏一   『4 古代の中国』

中村元   『5 ガンジスの文明』

山口昌男  『6 黒い大陸の栄光と悲惨』  3 難

増田義郎  『7 インディオ文明の興亡』

堀米庸三  『8 ヨーロッパ世界の成立』

足利惇氏  『9 ペルシア帝国』  3 中

前嶋信次  『10 イスラムの時代』  3 易

増井経夫  『11 中華帝国』

岩村忍   『12 中央アジアの遊牧民族』

永積昭   『13 アジアの多島海』

石井米雄  『14 インドシナ文明の世界』

成瀬治   『15 近代ヨーロッパへの道』

前川貞次郎 『16 ヨーロッパの世紀』

清水博   『17 アメリカ合衆国の発展』

外川継男  『18 ロシアとソ連邦』  1 中

鳥山成人  『19 ビザンツと東欧世界』

岡部健彦  『20 二つの世界大戦』

市古宙三  『21 中国の革命』

護雅夫   『22 アラブの覚醒』

加茂雄三  『23 ラテンアメリカの独立』

荒松雄   『24 変貌のインド亜大陸』

猪木正道  『25 現代の世界』  5 易

 

刊行年代はちょっと下って1970年代後半。

ざっと眺めて即わかるのが、第三世界地域の巻の多さ。

オリエント史に2巻、ラテンアメリカ史に2巻、東南アジア史に2巻という配分は、少し前の世界史全集では考えられない。

そして特筆すべきなのは、ついに一般向け世界史全集でアフリカ史が巻立てされたこと。

(ただし朝鮮史については単独巻にはならず。これは中公新版でもとうとう変わらなかった。30巻近い全集なら、重要な隣国として巻立てしてもいいようには感じるが。)

地域的にはバランスが取れているのかもしれないが、中身に関してはどうも・・・・・。

ちょうど転換期といったところなのか、内容的には学術的・専門的な要素が強くなり、あまり読んで面白いとは感じない。

2巻を費やし、せっかく重厚なページ配分が為されている東南アジア史も、通読はちょっと苦しい。

オリエント史、イスラム史も強いて薦めたくなる出来ではない。

一方、著名な文化人類学者で思想家の山口昌男氏が書いたアフリカ史は出色の巻。

世界史全集初のアフリカ史に関わらず、一般読者向けとしては、講談社現代新書の『新書アフリカ史』が出るまでのスタンダードテキストとして通用するほどの力作だなと思った。

猪木正道氏と佐瀬昌盛氏共著の25巻も、戦後三十年経った時点での刊行とあって、比較的叙述範囲が広い戦後世界史として十分活用できます。

ですが、その他の巻で通読したものと飛ばし読みしたものはちょっと・・・・・。

結局、この全集の価値は、6巻のアフリカ史と25巻の戦後国際政治史にしか無いな、というのが正直な感想です。

これも未読のものを潰していって、全巻読破することは、まずしないでしょう。

2016年3月26日

文芸春秋「大世界史」について

Filed under: おしらせ・雑記, 全集 — 万年初心者 @ 07:22

三笠宮崇仁 『1 ここに歴史はじまる』  3 易

村川堅太郎 『2 古典古代の市民たち』

植村清二  『3 万里の長城』

石田幹之助 『4 大唐の春』

井上光貞  『5 日本の登場』

中村元   『6 ガンジスと三日月』

堀米庸三  『7 中世の光と影』  2 易

村上正二  『8 蒼き狼の国』

護雅夫   『9 絹の道と香料の島』

西村貞二  『10 神の国から地上の国へ』

神田信夫  『11 紫禁城の栄光』  4 易

石田一良  『12 日本の開花』

成瀬治   『13 朕は国家なり』

柴田三千雄 『14 革命と皇帝』

鳥山成人  『15 スラヴの発展』

尾藤正英  『16 閉ざされた日本』

矢田俊隆  『17 自由と統一をめざして』  2 易

中屋健一  『18 偉大なるフロンティア』

尾鍋輝彦  『19 カイゼルの髭』  2 易

衛藤瀋吉  『20 眠れる獅子』  4 易

芳賀徹   『21 明治百年の序幕』

林健太郎  『22 二つの大戦の谷間』  5 易

鳥海靖   『23 祖父と父の日本』

野田宣雄  『24 独裁者の道』(文庫改題『ヒトラーの時代』  5 易

猪木正道  『25 冷戦と共存』  5 易

高坂正堯  『26 一億の日本人』  4 易

 

(3巻『万里の長城』は同著者同書名の著作を記事にしているが、このシリーズとは別の本のはず。)

 

刊行年代は河出版とほぼ同じ1960年代末。

このシリーズにおける、表面的な最大の特徴は日本史の巻があること。

日本史を世界史の一部として理解するという、現在にも通じる考え方の先駆と言えるのかもしれないが、正直その弊害も大きいと感じる。

全巻数がさほど多いとは言えないのに、日本史にまで巻を割いたものだから、地域的配分は昔ながらの「東洋史プラス西洋史」に先祖帰りした観がある。

さらに各巻のページ数も決して多くはないので、叙述形式は概ね物語風だが、エピソードや逸話の類が特に豊富なわけでもない。

例えば、7巻の中世ヨーロッパ史などは理屈っぽい話が多く、同じ堀米氏執筆の中公旧版の巻と比べれば、その違いは一目瞭然である。

11巻は結構面白かったが、それは北アジア史の叙述に関してで、本題の中国史はごくありきたりの概説にしか思えなかった。

では、このシリーズには全く取るべき点が無いのかというと、それは全然違う。

私にとって、この「大世界史」シリーズの最大の長所は「現代史執筆陣の圧倒的な素晴らしさ」。

それに尽きる。

衛藤瀋吉、林健太郎、野田宣雄、猪木正道、高坂正堯の諸氏の名前が、本当に輝いて見える。

20巻の東アジア現代史、22巻・24巻の現代史概説、25巻の戦後国際政治史、26巻の戦後日本史、どれもやや古びてはいるが、現在でもそれぞれの分野の基本書として読む価値があるものばかりである。

60年代末、左翼的反体制運動が跋扈していた時期に、これだけ冷静な執筆陣を揃えた出版社の心意気を感じる(現在のように醜い衆愚どもが「右派・愛国的」言説をかつての左翼と同じように喚き立てているのとは全く状況が違う)。

あくまで現代史に限られ、近代史においてはさしたる利点を感じることは無いものの、私としては世界史全集を基本書とする場合、「近代までは中公旧版、現代史は文春大世界史」と薦めたいです。

2016年3月22日

河出版「世界の歴史」について

Filed under: おしらせ・雑記, 全集 — 万年初心者 @ 06:17

今西錦司  『1 人類の誕生』

岸本通夫  『2 古代オリエント』  3 易

貝塚茂樹  『3 中国のあけぼの』

村田数之亮 『4 ギリシア』  3 易

弓削達   『5 ローマ帝国とキリスト教』

佐藤圭四郎 『6 古代インド』

宮崎市定  『7 大唐帝国』  5 易

前嶋信次  『8 イスラム世界』

鯖田豊之  『9 ヨーロッパ中世』

羽田明   『10 西域』  2 易

愛宕松男  『11 アジアの征服王朝』

会田雄次  『12 ルネサンス』

今井宏   『13 絶対君主の時代』

三田村泰助 『14 明と清』

河野健二  『15 フランス革命』

岩間徹   『16 ヨーロッパの栄光』  2 易

今津晃   『17 アメリカ大陸の明暗』

河部利夫  『18 東南アジア』  1 難

岩村忍   『19 インドと中近東』

市古宙三  『20 中国の近代』

中山治一  『21 帝国主義の開幕』

松田道雄  『22 ロシアの革命』

上山春平  『23 第2次世界大戦』

桑原武夫  『24 今日の世界』

 

刊行年代は1960年代末。

私が読んだのはリンクを張って、書名一覧での評価と通読難易度を併記した巻だけです。

中公旧版に比べて巻数が増え、地域的にもバランスが取れてきた。

ヴェトナム戦争およびそれに伴う反戦運動が大きな争点となっていた時代状況から当然かもしれないが、東南アジア史が単独に巻立てされたのは画期的と言える。

(もっとも内容的には初心者向けとは到底言えず、かなり難があるものだが。)

叙述形式としては物語的なものが依然中心となっており、読みやすくはある。

ただ各巻の出来についてはあまり芳しくないというのが正直なところ。

通読していない巻も含めて、ざっと見ると、強いてこれを選ぶという程の長所に乏しい巻がほとんど。

18巻の東南アジア史や5巻のローマ史などは癖がありすぎる。

もちろん例外もある。

イスラム史の巻はかなり安定してきた。

中公旧版のイスラム史と比べると、その違いはかなりはっきりわかる。

そして何より特筆大書すべきなのが、7巻の宮崎市定氏の著。

このシリーズの最高傑作であるのみならず、各種世界史全集の中でも最高峰と言うべき珠玉の一冊。

この巻の素晴らしさはどれほど強調してもし過ぎることはない。

極めて独創的な解釈と明解かつ迫力のある筆致が結合した歴史叙述の傑作です。

中公旧版でも宮崎氏執筆巻は存在するが、共著だったので、単独執筆のこの巻に軍配が上がる。

結局私にとって、このシリーズ最大の功績は『大唐帝国』という傑作を生んでくれたことです。

極論すれば、それがすべて。

これから未読のものを潰していって、全巻通読するというのは・・・・・・まずしないでしょう。

ただ好みもありますから、これを基本書に据えるという方はそれもいいと思います。

2016年3月18日

中公旧版「世界の歴史」について

Filed under: おしらせ・雑記, 全集 — 万年初心者 @ 05:51

貝塚茂樹  『1 古代文明の発見』  4 易

村川堅太郎 『2 ギリシアとローマ』  4 易

堀米庸三  『3 中世ヨーロッパ』  4 易

塚本善隆  『4 唐とインド』  2 中

岩村忍   『5 西域とイスラム』  2 易

宮崎市定  『6 宋と元』  5 易

松田智雄  『7 近代への序曲』  2 易

大野真弓  『8 絶対君主と人民』  2 易

田村実造  『9 最後の東洋的社会』  3 易

桑原武夫  『10 フランス革命とナポレオン』  1 易

中屋健一  『11 新大陸と太平洋』  2 易

井上幸治  『12 ブルジョワの世紀』  1 易

中山治一  『13 帝国主義の時代』  2 易

江口朴郎  『14 第一次大戦後の世界』  2 易

村瀬興雄  『15 ファシズムと第二次大戦』  3 易

松本重治  『16 現代 人類の岐路』  2 易

 

私にとってすべての基本となるシリーズです。

世界史関係の書籍を読み漁るようになった、ごく初期に通読したこともあり、個人的には最も印象深く、愛着もあります。

そういう個人的事情抜きでも、このシリーズはまさに基本書の名に相応しいと思われます。

政治史を中心に据え、そこで活躍する個性を描写し、様々な興味深いエピソードを積み重ねて、物語としての歴史を叙述していく。

社会史、生活史、心性史などが重視される現在の史学からすれば、時代遅れと言えばその通りだし、古臭いと言えばこれほど古臭い形式もない。

だが、そもそも歴史の原初形態は文学と融合した物語であったろうし、全くの初心者が最初に接するものとしては、この種の歴史が最も適していると思う。

1960年前後の刊行と、何しろ半世紀以上前のシリーズであるから、その短所や欠落を挙げることは極めて容易である。

インド史を少し付け加えつつも、ほぼ中国史に限られる「東洋史」と欧米主要国のみの歴史を切り貼りした「西洋史」の二本立て。

西アジア史、中央アジア史は当時の研究水準もあって極めて手薄であり、もちろんアフリカ史は影も形も無い。

アフリカ史はともかく、東南アジア史が全く割愛されているのには、半世紀前とは言え、驚きである。

近現代史のかなりの部分に昔ながらの左派的偏向が見られるし、その事は各巻の記事でも指摘しています。

だが、そのような欠点を勘案しても、物語としての面白さがすべてをカバーしてくれます。

現在の中公文庫には新版の方の「世界の歴史」が収録され、以前文庫化されていたこの旧版は絶版となっています。

そうである以上、このシリーズが再び新刊ルートで販売されることは事実上無いと言うしかないんでしょう。

しかし、同じ60年代に出た「日本の歴史」は新装版に衣替えした上で発売されています。

それを思うと、こちらはなぜ復刊してくれなかったのかと感じることもあります。

いかに古びた面があるとは言え、いやだからこそ初心者にとって効用が高いシリーズとなっているからです。

ただ、幸い公共図書館で収蔵されている率は極めて高いでしょうから、手に触れることは比較的容易だと思います。

未読の方には、全巻通読するつもりはなくとも、興味のある巻だけでも、気軽な気持ちで手に取ることをお勧め致します。

2015年5月25日

30冊で読む世界文学

Filed under: おしらせ・雑記, 文学 — 万年初心者 @ 07:43

かなり以前、30冊で読む世界史 その1 および 同 その2 という記事を上げたのですが、この二つは当ブログの中では比較的よく読んで頂いている記事のようです。

そこで、ほぼ同じことを文学カテゴリ限定でやってみようと思い立ち、この記事を書きました。

「30冊で読む世界史」の方は、850冊弱を紹介した時点で書いた記事なのに対し、こちらは「文学」の記事が120冊弱しかない中から30冊を選ぶわけですから、選択の厚みが乏しいことは否めませんが、短めの「世界文学全集」一社分くらいは読んだかなとも思えるので、とりあえず以下の原則に則り作成してみます。

 

 

1.高校世界史教科書の文化史ページに載っている作品を基準として、30冊で世界文学を一読できるリストを作る。

 

2.分冊になる長大な作品でも、一作ならあくまで「1冊」と数える。

 

3.古典としての知名度を重視して選択し、内容的な面白さは二の次とする。

 

4.だがあまりに難解で、通常の意味での物語性に乏しく、通読困難な作品は挙げない。

 

5.小説および戯曲のみを取り上げ、詩は抒情詩だけでなく、叙事詩も除外する。

 

6.時代的には19世紀、地域的にはヨーロッパにあえて偏重して、そこにおける小説作品群を文学の最高峰と見なして選択する。

 

 

補足しますと、1は私にとって一番身近な高校世界史に準拠して作品を選択するということで、奇を衒って「玄人」向けの知名度の低い作家を挙げたり、教科書にないような現代作家を多く挙げるようなことをする気は無いし、その能力も無いということです。

2は、史書と違って、中にはやたら長い作品で、それでも読むべきものがありますから、しょうがないですね。

3。これも史書と違います。「30冊で読む世界史」ではどちらかと言えば、網羅性への配慮より本自体の面白さを重視して選びましたが、文学の場合、どうしても避けられない「定番」というものあると思うので。

4は、もちろんそれでも読めない本はありますからね。特に20世紀以降の小説で。

5。正直、詩は全くわかんないです。基本翻訳で詩を味わうのは無理だと思いますし、対訳にあたるほどの忍耐と能力もありません。抒情詩ではなく叙事詩ならちょっと違うのかもしれませんが、それでも自分には無理です。

6は、完全に時代に逆行してます。西欧とロシアで著名な小説が多く書かれた19世紀を文学の黄金時代とすること自体ありきたり過ぎますし、より現代に近い時代にアジア・アフリカ・ラテンアメリカで書かれた作品にも注目すべきとの見方が今の流行りなんでしょうが、この記事では(私のような)全くの文学初心者がまず最初に読むべき基本的な「正典(カノン)」リストを試作するという立場から、あえて「時代錯誤のヨーロッパ中心主義」を貫くことにします。

 

では具体的な作品を挙げていきましょうか。

 

古代オリエントの『ギルガメシュ叙事詩』などを除くと、世界文学史の冒頭にくるのはやはりホメロス『イリアス』『オデュッセイア』でしょう。

いきなり読めない古典がきた・・・・・・。

古典古代において、他の文学作品や史書でも頻繁に引用されますし、後世への影響も絶大ですが、これは初心者にはハードルが高すぎる。

岩波文庫の全訳を読むのも、不可能ではないでしょうが、自分がやってないことを他人に勧める資格が無い。

というわけで、この記事では実質的な文学の始まりとしてギリシア悲喜劇を想定することにします。

これは読める。

このブログでも、そこそこ読んだものを記事にしていますが、悲劇ではものすごく面白かったり、強い感銘を受けたものは(残念ながら私の感性では)無かった。

そこで、「原則3」からネームバリュー重視で、

(1) ソポクレス『オイディプス王』(岩波文庫)

を第一冊目に選ぶ。

ギリシア悲劇の最高傑作との評価が定着しているし、これを選ぶのが無難でしょう。

で、もう一冊、こっちは個人的に感じた面白さを重視して、

(2) アリストパネース『女の平和』(岩波文庫)

も挙げておく。

恐ろしいことにヨーロッパ古典古代の文学はこれで打ち止めだ。

ラテン文学はばっさりカット。

ウェルギリウス『アエネイス』とか読めねえっすわ・・・・・。

(同じ無理なら、ウェルギリウスよりホメロスに挑戦した方がもちろんいいし。)

当然ホラティウスやオウィディウスを読む気にもなれない。

30冊という制限があることを言い訳にして次行きます。

 

ヨーロッパ中世文学も同じ。

『ニーベルンゲンの歌』とか『ローランの歌』とか、初心者が果たして無理に取り組む意味があるのか・・・・・。

もっとも、手に取ってみたら何とか読了できて、部分的には面白さも感じ取れたとなる可能性も無いでは無いが、今のところそんな気になれない。

 

で、次はルネサンス文学なんですが、その前にヨーロッパ以外の「東洋文学」(手垢が付き過ぎた古めかしい言い方ですが)を全部片付けるという暴挙に及びます。

イスラム文学。

オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』はそれほど長くないし、読めなくもないでしょうが、まあいつか機会があれば、という感じしかしない。

かと言って、あの長い長い『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』(岩波文庫で全13冊)を通読することにさして意味があるとも思えない(そのうち1冊だけ読むのでもいいんでしょうが、今のところ強いてその必要を感じない)。

インド文学。

ぱっと思い浮かぶのは、カーリダーサ『シャクンタラー』だけだ。

これも好事家的興味から、機会があれば目を通そうかと思うだけだ。

まして『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』なんて絶対読めない。

その一部らしい『バガバッド・ギーター』でも苦しい。

近現代のタゴールの詩集もパスするしかない。

中国文学。

『唐詩選』を味読して感慨に耽るなんて高尚な趣味は持ち合わせていないし、他の散文作品でも通読したのは羅貫中『三国志演義』だけだ。

それも馴染みの通俗歴史小説だから分量に関わらず読めた。

とにかくどれも長いんですよ。

岩波文庫だと、『水滸伝』が全13冊、『西遊記』が全10冊、『金瓶梅』が全10冊、『紅楼夢』が全12冊と、どれも特別な関心か相当の覚悟が無いと読み通せない。

『聊斎志異』だけは上・下巻のようですが、実は抄訳でしたというオチがついている。

近現代文学では、魯迅がいますし、『故郷 阿Q正伝』はそこそこ面白かったのでリストに入れるか、頭の中で保留していたのですが、結局選外にしました。

老舎や郭沫若も何か読んではみたいが、今のところ手が出ない。

 

以上終わり。

再びヨーロッパ文学に戻ります。

 

ルネサンス文学冒頭にくるダンテ『神曲』は韻文作品だからパス。

新しい訳なら通読可能かもしれないが、今のところ挑戦する気になれない。

ペトラルカも詩人だ、だがボッカチオ『デカメロン』は散文だから読める。

しかし、内容的にあまり感心するところが無かったので、折角の読める古典にも関わらず落とす。

チョーサー『カンタベリ物語』やラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』やエラスムス『愚神礼賛』、モンテーニュ『随想録(エセー)』も、強いて読まなきゃいけない本には思えず。

だがここでは、文学史上絶対に外せない巨人、シェイクスピアがいる。

個人的にも非常に性に合う作家だし、実際文学的価値の高さと読み易さを共に満たす点では最高レベルの文豪に思える。

戯曲だけに一作一作は短く、シェイクスピアだけはどこかの版元の文学全集の該当巻を採用しようかなと思ったくらいなのだが、さすがにアンバランスなので思い止まり、その代わりこの作家のみ2作品をリストアップすることにする。

で、何を採るか迷いに迷う。

悲劇ではなく喜劇で一番素晴らしいと感じたのは『ヴェニスの商人』なのだが、結局高校世界史レベルの知名度に負けて、悲劇から

(3) シェイクスピア『ハムレット』(白水社uブックス)

を採用。

もう一作も喜劇・史劇ではなく悲劇から採り、こちらは個人的評価で最高に素晴らしいと感じた、

(4) シェイクスピア『オセロー』(ちくま文庫)

を自信を持って挙げる。

シェイクスピアについては、それぞれの感じ方によって各作品の合う合わないは当然あるでしょうが、文学史上最大最高の作家の一人であることは間違いなく、しかもどの作品も初心者・素人が十分読めるものですから、この作家だけは数をこなすことを意識してやった方がいいかもしれません。

そしてもう一つ、忘れちゃいけない、

(5) セルバンテス『ドン・キホーテ 前篇 全3巻』(岩波文庫)

があります。

これほど面白く、楽に読み通せる古典だったのかと驚いた次第ですので、やはりこれは外せません。

本当は後篇(実質的には続篇)も読んだ上で推薦したかったのですが、間に合いませんでした。

ですが、余裕があれば是非読みたいと思っています。

 

そして、17・18世紀文学。

イギリスではミルトン『失楽園』やバンヤン『天路歴程』というピューリタン文学があるが、もちろん私の手には負えません。

どう考えても、初心者が愉しく読める本じゃない。

しかし、それ以外で極めて著名で重要な作品が二つあります。

(6) デフォー『ロビンソン・クルーソー』(河出文庫)

および

(7) スウィフト『ガリヴァー旅行記』(岩波文庫)

がそれです。

この二つはどういう文学カテゴリに分類していいか判断のつかない作品だが、その分極めてユニークで特徴的なものなので、是非こなしておきたい。

通読難易度もそれほど高くないし、これだけ知名度のある作品を読了すると、知的見栄も張れるし、充実感も高い。

そして、この両作品が出た18世紀前半からちょっと時代が戻って、17世紀フランスの古典主義文学より、

(8) コルネイユ『嘘つき男・舞台は夢』(岩波文庫)

(9) ラシーヌ『ブリタニキュス・ベレニス』(岩波文庫)

を選択。

ここでは、ギリシア悲喜劇についてアリストファネスの喜劇の方が読みやすかったのとは逆に、モリエールの喜劇の方がいまひとつだったので、外します(と言ってもコルネイユで挙げた作品は喜劇ですが)。

この古典主義劇作家の巨匠三人についても、本当はもっといろいろな作品に触れるべきなんでしょうが、素人のやることですから、とりあえず全員のさわりに接しただけで良しとします。

なおこの時期、高校世界史レベルを超えますが、近代小説の起源を成す作品として、ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』、アベ・プレヴォ『マノン・レスコー』、ラクロ『危険な関係』、コンスタン『アドルフ』(これのみ19世紀初頭の作品ですが)、リチャードソン『パメラ』、フィールディング『ジョーゼフ・アンドルーズ』および『トム・ジョーンズ』などがあるものの、現時点で潰せたものは一つも無いです。

「原則6」からして、19世紀小説の名作で未読のものがまだまだあるのに、そこまで手が回りません。

 

さあ、ここからいよいよ、18世紀末から19世紀という文学(小説)「黄金時代」に入ります。

まず古典主義。

古典主義と言えば、ゲーテとシラー。

いくら何でもゲーテを外すわけにはいかない。

ネームバリュー優先の「原則3」がある。

ところがこれに迷う。

『ファウスト 第一部』『第二部』も、『若きウェルテルの悩み』も、どうしても面白く思えなかった。

とは言え、これ以外の作品をろくに読んでもおらず(『ヘルマンとドロテーア』だけ)、しょうがないので、

(10) ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(岩波文庫)

を採用。

知名度は圧倒的だし、同じ面白くないなら『ファウスト』よりは読みやすいだろうという、投げやりな理由で決定。

私程度ではそんなもんです。

シラーは入れるか外すかどうしようかと思ったが、こちらは面白く読めたので、

(11) シラー『ヴァレンシュタイン』(岩波文庫)

を選んでおきましょう。

だが、さすがにレッシングは飛ばしていいでしょう。

 

さあロマン主義だ。

教科書的にまずぱっと思い浮かぶのはノヴァーリス『青い花』だが、これは読めたもんじゃない(あくまで初心者にとっては)。

他にもロマン主義文学者は詩人と評論家みたいな人が多くて、この記事では対象外になる作家が多い。

独のハイネとヘルダーリンも、英のワーズワースとバイロンも、米のエマーソンとホイットマンも詩人だから、ひたすら無視。

シュレーゲル兄弟とかスタール夫人とかは、何をしたのかよくわからない人だからパス、さらにグリム兄弟の『童話集』(岩波文庫で全5冊)なんてのを通読することにさしたる意味があるとも思えない。

となると、(小説家で)残るのは誰か。

フランス・ロマン派の先駆者としてのシャトーブリアンは、その政治的活動については個人的に深い興味と共感を抱いているが(伊東冬美『フランス大革命に抗して』)、代表作の『アタラ』『ルネ』が入手しやすい形で出てないし、と言い訳してスルー。

イギリスのスコットは『アイヴァンホー』の読みにくさに懲り懲りしました(翻訳の問題もあるでしょうが)。

ドイツのホフマン『黄金の壷』は面白かったが、知名度の点で難がある。

しかしここで、文学史上、絶対に外しちゃいけない一人がいます。

(12) ユーゴー『レ・ミゼラブル 全4巻』(岩波文庫)

分厚い分厚い岩波文庫で全4冊。

しかし、覚悟を決めて下さい。

読みやすさは私が保証します。

こういう大作が入ると、いかにも「世界文学全集」らしくて貫禄が出ます。

『九十三年』の方が短くて読みやすいが、知名度に差がありすぎる。)

他に何があるかと言うと、ここらでアメリカ文学を一作入れておきますか。

(13) ホーソーン『緋文字』(岩波文庫)

ホーソンは通常の分類としてはロマン派なんですね。

これはそこそこ面白かったし、教科書的な知名度もあるし、強い確信を持って入れるわけではないが、まあリストアップしましょう。

代わりにマーク・トウェインの作品を一つ入れるか迷ったんですがね・・・・・。

とりあえず、これで行きましょう。

ああそうだ、そうだ、ロマン主義でもう一人絶対忘れちゃいけない作家がいた。

ほらほらあの人。

この記事で初めて出る国の人。

その国の「近代文学の父」。

そう、プーシキン。

圧倒的に素晴らしい作家が続出した19世紀ロシアでの先駆者であるこの人だけは、ロマン派に属するんだった。

そこで、歴史小説の

(14) プーシキン『大尉の娘』(岩波文庫)

を自信をもって推薦します。

以上、ロマン主義終わり。
で、次は写実主義(リアリズム)なんですが、その前に片付けておかなきゃいけない作家たちがいます。

世界史教科書にはほとんど出てこないんですが、文学史上では決して外せない、オースティンとブロンテ姉妹です。

作風としてはロマン主義と写実主義の中間に属すると考えていいんでしょうか?

なぜか19世紀初頭、英国の、しかも全員女性という共通点を持つこの三人ですが、代表作を実際に読んでみました。

結果、どれも素晴らしかったです。

なぜこれほどの名作が教科書に載っていないのか、一般的な文学史と高校世界史での評価のズレを不審に思います。

(15) オースティン『高慢と偏見 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(16) シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(17) エミリー・ブロンテ『嵐が丘 上・下』(光文社古典新訳文庫)

「原則1」からは外れますが、これらは絶対に外せない作品だと深く確信しましたので、皆様にも是非お勧めしておきます。

 

さて、いよいよ写実主義(リアリズム)に入ります。

我々が普通世界文学の名作と考える作品のうち、極めて多くがこの中に含まれます。

小説の黄金時代の19世紀の中で、さらにその中枢となる作品群です。

まず何と言ってもフランスの三作家、スタンダール、バルザック、フロベールを挙げないといけない。

スタンダールについては『赤と黒』よりも『パルムの僧院』が、フロベールについては『ボヴァリー夫人』よりも『感情教育』がまだしも面白かったのですが、「原則3」の定番重視の観点から、それぞれ前者を選ばざるを得ない。

そして、バルザックはもちろん『ゴリオ爺さん』で決まり。

(18) スタンダール『赤と黒 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(19) バルザック『ゴリオ爺さん 上・下』(岩波文庫)

(20) フローベール『ボヴァリー夫人』(河出文庫)

人によって当然好みは異なるでしょうが、この三人の大作家の中でも、私にとっては、バルザックは完全に別格です。

バルザック作品の素晴らしさを知ることができたのが、ここ1、2年の自分の読書生活での最高の収穫の一つでした。

本当は『従妹ベット』も入れたいくらいなんですが、冊数の制約がありますから泣く泣く除外。

次にイギリス。

サッカレー『虚栄の市』は長過ぎて未だに読めず。

よってもう一人の代表的作家で国民的文豪の

(21) ディケンズ『二都物語 上・下』(新潮文庫)

を選ぶ。

ディケンズは『デイヴィッド・コパーフィールド』の方がいいのかもしれませんが、長い。

高校世界史で定番として載っている上記の作品にしておきましょう。

で、いよいよロシア文学だ。

西欧に比して後進的存在であった19世紀ロシアで、こうまで素晴らしい文学作品が続々生まれたことは不思議と言えば不思議です。

トゥルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフが代表ですが、その露払いのような作家(と言うのは不当な評価かもしれませんが)としてゴーゴリがいます。

これも迷ったんですが、入れときましょう。

(22) ゴーゴリ『鼻 外套 査察官』(光文社古典新訳文庫)

19世紀文学を重視すると「原則6」で決めてるんだから、別にアンバランスじゃない、と自分に言い聞かせる。

トゥルゲーネフは定番、

(23) ツルゲーネフ『父と子』(新潮文庫)

で決まり。

トゥルゲーネフも読んだのがこの一作のみとは寂しい限りだが、高校世界史での知名度の高いこれを読むだけで、今のところ精一杯です。

ただ、再読した印象は初読の際よりずっと良かったので、自信を持ってお勧めできます。

そしていよいよドストエフスキーです。

自分の中では、最も偉大な小説家です。

本当は、代表作『罪と罰』に、私が最高の小説作品と考えている『カラマーゾフの兄弟』を加えた二作をリストアップしたい。

しかし、これも断腸の思いで、後者を省きます。

もし余力があれば、是非挑戦して下さいと申し上げておきます。

(24) ドストエフスキー『罪と罰 上・下』(新潮文庫)

あと、内容的深みにはやや欠けますが『虐げられた人びと』は物語としての面白さは最高級だと思われますので、特に推薦しておきます。

で、トルストイなんですが、これに迷う。

トルストイの無い「世界文学全集」は考えられない。

絶対に飛ばすわけにはいかない。

しかし『戦争と平和』を何とか読み通したものの、これを皆様にお勧めするのは躊躇する。

「原則3」からすれば有名過ぎて書名が一般常識になっているこれは外せないが、「原則4」からして(物語性に乏しいわけではないが)通読困難にも程があるこれを入れるのは難しい。

悩んだ結果・・・・・やめます。

自分の読後感からして、これを読んで下さいとはやはり言えない。

かと言って、『アンナ・カレーニナ』は未だに手付かずだし、もう一つの長編『復活』も手に取るかどうかわからない。

結局、代替作として、

(25) トルストイ『イワン・イリッチの死』(岩波文庫)

を挙げておきます。

ただ短いから挙げたのではなく、実際素晴らしい作品だと思ったので。

こういうものでも、トルストイ文学の真髄には触れることができます・・・・・ということにしておいて下さい。

チェーホフ。

ドストエフスキーと並んで好きな作家。

短編小説集をどれか選びたかったのですが、もうこれにしておきましょう。

(26) チェーホフ『桜の園』(岩波文庫)

何とも言えない哀感をしみじみ感じさせる作風が心に染みます。

他の作品も同じく。

チェーホフもできるだけ多くの作品に触れて頂きたいなあと思います。

 

 

写実主義終わりです。

19世紀、文学の黄金時代、フランスとロシア、そしてイギリスに、上記の通り偉大な小説家が続出したのですが、なぜかドイツにはさしたる人物がいない。

ゲーテ、シラーという巨人の後は、詩人のハイネくらいで、小説家としては著名な存在が思い浮かばない。

何か不思議な感じです。

 

 

閑話休題。

自然主義。

高校世界史での暗記事項では、ゾラ・モーパッサン・イプセン(とストリンドベリ)だ。

まず、

(27) ゾラ『居酒屋』(新潮文庫)

外せません。

実際読んでみたら目を背けたくなるような陰惨さもあるが、やはり迫力がすごい。

衝撃度においてそれにやや劣るが、

(28) モーパッサン『女の一生』(光文社古典新訳文庫)

も挙げる。

二作とも「定番感」は十二分にあるし、後者も強いて落とす程、悪い読後感ではなかったので、まあこれは無難な選択でしょう。

イプセン『人形の家』は入れなくていいでしょう。

自然主義ではもう一人、ストリンドベリの名がときどき挙がるが、作品が現状手軽な形で手に入りにくいし、無視。

 

 

自然主義も終わりました。

続く、耽美主義とか象徴主義は、詩人がほとんどだから、すっ飛ばします。

ワイルドも、ボードレールも、ランボーも、マラルメも、ヴェルレーヌも、知らん知らん。

ワイルド『サロメ』も、読むのなら雰囲気を感じるだけでいい。

 

 

ついに20世紀まで来た。

だが、もう28冊挙げてしまっており、残り2冊しか空きが無い。

20世紀以降の文学から、2冊だけ選ぶ・・・・・。

いくら「原則6」を基準にすると言っても、無茶苦茶だ・・・・・・。

でもしょうがない。

書名一覧をざっと眺めて、ネームバリューがあってしかも読みやすいものは・・・・と探して、これだ。

(29) カフカ『変身・断食芸人』(岩波文庫)

いかにも20世紀小説らしい、訳のわからなさ。

私にはその文学的価値はわかりません。

ただよく知られた作品で、普通に読めるというだけで選びました。

それ以上は私の能力では無理です。

さあ、ラスト1冊、どれを選ぶか。

よし、これにしよう。

(30) スタインベック『怒りの葡萄 上・下』(ハヤカワepi文庫)

「えっ?」と思った方も多いでしょうが、この作品は今だからこそ読まれる価値があると判断しました。

ジョイスプルーストも、トーマス・マンロマン・ロランも、ジイドヘッセも、カミュも外して、スタインベックという選択は本来あり得ないんでしょうが、あえて個人的趣味から選ばせて頂きました。

いや、高校世界史でのネームバリューを一切無視した上での個人的趣味なら、シェンキェヴィチ『クォ・ヴァディス』アナトール・フランス『神々は渇く』ジョージ・オーウェル『動物農場』ウィリアム・ゴールディング『蝿の王』ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』などが候補になるんですが、とりあえずやめときます。

レマルク『西部戦線異状なし』は知名度もあるし、入れ替えていいかもしれませんが、まあこれで行きましょう。

結局どれを選んでも一長一短です。

 

 

 

終わりです。

以下、一気に並べてみましょう。

 

 

(1) ソポクレス『オイディプス王』(岩波文庫)

(2) アリストパネース『女の平和』(岩波文庫)

(3) シェイクスピア『ハムレット』(白水社uブックス)

(4) シェイクスピア『オセロー』(ちくま文庫)

(5) セルバンテス『ドン・キホーテ 前篇 全3巻』(岩波文庫)

(6) デフォー『ロビンソン・クルーソー』(河出文庫)

(7) スウィフト『ガリヴァー旅行記』(岩波文庫)

(8) コルネイユ『嘘つき男・舞台は夢』(岩波文庫)

(9) ラシーヌ『ブリタニキュス・ベレニス』(岩波文庫)

(10) ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(岩波文庫)

(11) シラー『ヴァレンシュタイン』(岩波文庫)

(12) ユーゴー『レ・ミゼラブル 全4巻』(岩波文庫)

(13) ホーソーン『緋文字』(岩波文庫)

(14) プーシキン『大尉の娘』(岩波文庫)

(15) オースティン『高慢と偏見 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(16) シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(17) エミリー・ブロンテ『嵐が丘 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(18) スタンダール『赤と黒 上・下』(光文社古典新訳文庫)

(19) バルザック『ゴリオ爺さん 上・下』(岩波文庫)

(20) フローベール『ボヴァリー夫人』(河出文庫)

(21) ディケンズ『二都物語 上・下』(新潮文庫)

(22) ゴーゴリ『鼻 外套 査察官』(光文社古典新訳文庫)

(23) ツルゲーネフ『父と子』(新潮文庫)

(24) ドストエフスキー『罪と罰 上・下』(新潮文庫)

(25) トルストイ『イワン・イリッチの死』(岩波文庫)

(26) チェーホフ『桜の園』(岩波文庫)

(27) ゾラ『居酒屋』(新潮文庫)

(28) モーパッサン『女の一生』(光文社古典新訳文庫)

(29) カフカ『変身・断食芸人』(岩波文庫)

(30) スタインベック『怒りの葡萄 上・下』(ハヤカワepi文庫)

 

 

 

「30冊で読む世界史」と同じく、これも叩き台に過ぎません。

このリストも、ご自身の趣味でどんどん取捨選択して下さい。

「自分だけの世界文学全集」を作る気持ちで好みの作品を集めて、やる気を持続させるのが重要だと思うので。

場合によっては、30冊という数字にこだわらず、厳選した10冊の文学書だけを挙げて、「誰が何と言おうと、これが自分にとっての世界文学ベスト10だ、その代わりこれだけは石に噛り付いても読み通すんだ」としてもよい。

ただ、30冊というのは、そう無理な数字ではないと思います。

中には読了にひと月近くかかるような大長編もありますが、戯曲なんかは一日で読めます。

学生の方なんかは1、2年かければ余裕じゃないでしょうか。

忙しい社会人の方でも十分読めると思いますし、もちろん定年退職したような年齢の方が気持ちを新たに取り組むというのもいいでしょう。

いつから始めても遅すぎるということはありません。

また、文学の他に、絵画・音楽・彫刻・建築・書道・(一部の)映画などの芸術分野がありますが、初心者が教養のために親しむ場合、作品への触れやすさやコスト、理解のしやすさなどを考えると、文学がやはり一番無難な芸術分野だと思います。

 

それでも日々雑務に追われて、悠長に文学書なんて読んでる余裕が無いという方もいらっしゃるかもしれません。

どう時間を確保するか。

現在の平均的人間が一番時間を浪費していることは何か。

結局、自分を省みても、「ネットをだらだら見ている時間を減らす」ということしか無いと思います。

それが一番無駄だから。

せめて通勤・通学電車の中でスマホをいじるのを止めて、文庫本を広げてみればどうでしょうか?

10分、15分でも結構読めるもんですし、それが毎日習慣付けられたら生活が随分違ってきますよ(文学に限らず)。

 

あとは翻訳について。

この手の外国の古典文学では、やはり岩波文庫が基本になるでしょう。

岩波文庫目録は基本的な作品リストとしても使えるので、どこかで貰っておくといいです。

しかし歴史がある分、訳文が古いことがあります。

ごく稀な例外を除き、翻訳はやはり新しいものが圧倒的にいいと思います。

以前途中で投げ出してしまっていた作品を新訳で読んだら、驚くほど容易に読めたということを、私自身何度も経験してます。

この意味で近年注目すべきは、光文社古典新訳文庫。

上のリストでも相当数の版をそこから選択していますが、本当に有り難いシリーズです。

この出版社からよくこれだけ良心的な企画が出たなと(失礼千万にも)思ってしまいます。

いくつもの翻訳が出ているような作品では、図書館や書店で書名検索の上、基本的には一番新しい訳本を選んで、取り組むようにすればいいでしょう。

ただ、長編作品の場合、活字が大きくなることなどから冊数が旧版より増えて、その圧迫感で読み出す前からやる気が削がれることはあるかもしれません。

私は、複数の翻訳の良し悪しを厳密に判定できるような能力を持っていないので、新訳に正確性が欠けるとか作品の雰囲気を損なっているなどと感じたことはありませんが、上に書いた理由からあえて旧版を選ぼうとしたことはあります。

要は、基本新訳、しかし自分の読みやすいものを最優先にと、ごく平凡な方針でいきましょうということです。

 

 

最後により根本的な問題として、こういう古典文学を果たして今読む意味があるのかということです。

これらの文学も、書かれた当時には娯楽作品として受け入れられていたものが少なくないでしょう。

しかし、現代にはよりお手軽で刺激的な娯楽が、それこそ無数にあります。

面白く読める文学作品でも、読む上でやはり一定の精神の緊張が必要とされますし、その「面白さ」は漫画やアニメ、ライトノベルやネット動画、アクション映画やバラエティTV番組を見て得られるものとは明らかに異質です。

では、なぜ文学を読むのか?

それに答えるにはやはり、個人個人の好き嫌いを超越した、「価値」というものを考えざるを得ない。

ある価値観を絶対視することは危険であり煩わしくもあるが、あらゆる価値を極端にまで相対化してしまうのもどうかと思う。エドワード・ミシャンという経済学者が、「失楽園」と「スーパーマン物語」のあいだに質の高低・優劣をつけるべきではないという類の価値相対主義を批判したそうだが、私もその批判に同意せざるをえない。シェークスピアの劇は、よほどにこれ見よがしの演技の場合は別として、やはり、ストリップ・ショウよりも高級なものだとしなければ、演劇の概念やそこにおける秩序すら不明になるのではないか。

引用文(西部邁8)より。

人間が人間である以上、「価値」からは離れられないし、その「価値」の高低による区別も考えざるを得ない。

そしてその「価値」がどこから生まれるかと言えば、不完全極まる、我々個々の人間の気まぐれな嗜好からではなく、何十世代にもわたる試行錯誤から生まれた伝統と慣習からだと言うほかないし、その歴史的に育まれてきた価値を基準にするしかない。

そうであれば、長年価値ありと認められてきた文学作品を鑑賞することは、現代のエンタテインメント作品を享受するよりも、「とりあえずは」高級なことだと考えるしかない。

こんなことを書くと、「自分は今のくだらない娯楽作品よりも古典文学を愛好する“高尚”な人間だ」などと主張しているように思われるかもしれません。

ですが、それは全く違います。

最近の漫画やアニメなどはほとんど見ませんが、昔学生時代に親しんだ漫画なんかはよく読み返しますし、テレビのバラエティ番組を見るのも好きです。

絵画や彫刻の良し悪しなど全くわかりませんし、どんな古典的な名作でも、心底感動させられたという経験は皆無です(多少ともわかるのは漫画の絵柄だけです)。

クラシック音楽なんか5、6分も我慢して聴いていられない性質だし、それならJ-POPでも聞き流していた方がはるかに楽です。

そうしたサブ・カルチャーの愉しさはわかっているつもりです。

でもやっぱり、メイン・カルチャーあってのサブ・カルチャーなんですよ。

サブ・カルチャーがメイン・カルチャーに成り代わって、世界が埋め尽くされると、それ自体が退屈と焦燥の原因になってしまう。

そんな状態に人類が長期間耐えられると思えない。

古典文学なんて読むのは面倒だ、そんなもの無くても生きていく上で何も困らない、と言いたくなる気持ちはよくわかります。

しかし、「今生きている我々が面白いと思うか、面白くないと思うかという感覚だけが唯一の価値判定の基準なんだ、その真価を知るために我々の側からは何の努力も訓練もする必要が無い、どんなに歴史的な価値があるものでも我々が面白くなければ一切無価値なんだ、そんなものを有り難がるのは根拠の無い愚かな懐古趣味に過ぎないんだ」という人々に対しては(文学作品に限ったことではありませんが)、自分はそんな柄では全くないにも関わらず、それをたしなめる側にまわらざるを得ません。

 

2013年12月18日

戦前昭和期についてのメモ その8

Filed under: おしらせ・雑記, 近代日本 — 万年初心者 @ 05:47

その7に続き、福田和也『昭和天皇 第五部』(文芸春秋)の記事。

1941(昭和16)年。

3月米武器貸与法、4月日ソ中立条約、6月22日独ソ戦開始、7月関東軍特別演習(関特演)、7月第3次近衛内閣(第2次内閣に引き続いての組閣)、同月南部仏印進駐、在米日本資産凍結・対日石油輸出禁止、8月大西洋憲章、日米交渉、10月東条英機内閣、12月8日真珠湾奇襲攻撃、日米開戦、独伊対米宣戦。

1月「戦陣訓」が東条英機陸相より示達。

日清・日露とは桁違いの不祥事が戦場で頻発したため出された、軍人勅諭を補足する道徳訓であり、「生きて虜囚の辱を受けず」の部分は主旨ではないとのこと。

これほど悪名高い事例においても、民衆は一方的犠牲者ではないんだなと感じた。

世界では、米国が武器貸与法によっていよいよ孤立主義から脱却し、本格的な英国支援に向かう兆しを見せる。

またバルカンでの勢力争いをめぐって、水面下で独ソ関係が急激に悪化しつつあるのに、第2次近衛内閣外相松岡洋右は4月日ソ中立条約を結ぶ。

しかしそのわずか二ヵ月後にヒトラーはソ連に侵攻し、独ソ戦が始まる。

日独間には、何の戦略のすり合わせも政策協調も無い。

実質両国は全く単独行動を取りつつ、ただ相手を可能な任意の時に利用しようとしていただけである。

7月の南部仏印進駐と、前年行われた北部仏印進駐とは、もたらした結果とその意味合いは桁違いに異なったものになった。

このことはしっかりと意識しましょう。

以前も書きましたが、満州国を越えて中国本土にすら支配権を拡張する日本と対決する意志を蒋介石に固めさせたことをもって、華北分離工作と冀東防共自治政府成立が日中戦争勃発の「ポイント・オブ・ノーリターン」だったというのと同様に、この南部仏印進駐が太平洋戦争の直接的・短期的第一原因だったという見方があることに注目。

南部仏印進駐によって、ルーズヴェルト米政権は、日本の軍事的膨張が止めどないものであると認識し、それを防止するため対日戦も辞さずとの決意を完全に固めてしまった。

日本としてはさしたる決意も覚悟も無く、北部進駐に続き、資源確保の目的での南部進駐だったが、米英の受け止め方は全く異なり、英領マレー・シンガポール、蘭領東インドに対する攻撃の前段階と見なされた。

その結果が在米日本資産凍結と対日石油禁輸。

日露戦の日本海海戦があった20世紀初頭と違って、世紀半ばのこの時期には海軍艦艇の燃料は全て石油になっている。

世界第三位の規模を誇り(実質的戦闘力では、空母戦力の充実を考えると英海軍を抜いて二位と言ってもよいのではないかとさえ思える)、日本の国力の中核部分を成していた帝国海軍の戦力が、一気に無力化されかねない状態に置かれる。

前回記事でも指摘したように、この時期の日本が絶対に守るべきだった国家戦略は「とにかく時間を稼いで中立状態を維持し形勢を展望すること、軽挙妄動せず、決定的措置を採らず、負ける側にだけは絶対につかないこと」だったはず。

それが対日石油禁輸で、開戦への導火線に火が点いたというか、時限爆弾のスイッチが入ったというか、断崖絶壁に追い詰められたというか、ダモクレスの剣が常に頭上に吊るされた状況というか、とにかく政策決定にとてつもない制約が課され、日本の指導層に異常な心理的プレッシャーがかかる状態になる。

そしてついには俗に「ジリ貧避けて、ドカ貧」と呼ばれる、対米宣戦という選択肢を選んでしまう結果となる。

以後の日米交渉で、日中戦争をめぐる根本的妥結はどの道難しかったとしても、せめて日米関係を南部仏印進駐前に戻す暫定協定案が成立しなかったことは、本当に痛恨の極みです。

それさえ成立していれば、まだ冷静に世界情勢を見る時間を稼げたのに。

事前に石油禁輸は戦争を意味すると大々的に宣言して、米世論に釘を刺していれば、この期におよんで孤立主義の雰囲気の強かった米国内の分裂を誘い、ルーズヴェルト政権の行動を制約することが出来たかもしれないし、また開戦が避けられなかったとしても、それに至る経緯が上記の通りだったならば、ヒステリーじみた反日世論の勢いも少しは静まり、史実通りの無条件降伏の前に妥協的講和のチャンスがわずかなりとも生じたのではないかと思える。

ともあれ、もうこの時期の米政権には戦争を避ける気はほとんどありません。

「何もせず屈服するのならそれでもいいし、歯向かってくるのならドイツと一緒に叩き潰してやる」という態度。

もう腹が立ってしょうがないが、しかし、日本としてはそこに追い込まれるまでに何とかすべきだったんでしょう。

6月独ソ戦開始直後に、満州では状況次第で対ソ開戦に踏み切るつもりで、いわゆる「関東軍特別演習(関特演)」が行われた。

ここで、「同じ破れかぶれなら、南進して米英とぶつかるより、北進してソ連を叩いた方が良かったんじゃないか」との考えが頭に浮かぶ。

つまり緒戦で圧倒的に優勢だったドイツ軍の尻馬に乗って、41年7月の時点で対ソ開戦を決断し、ソ連という国家を消滅させることを目指すわけです。

十数年にわたり、自国民にありとあらゆる暴虐と残忍を欲しい侭にしていたスターリン体制を打倒することに道義的問題があったとは全く思えない。

そのことは疑い得ない。

しかし、問題はヒトラーという指導者を持つナチス・ドイツと同盟してそれを行う意味です。

以前東京書籍版の世界史教科書『世界史B』の記事で、私は以下のように書きました。

ナチによるユダヤ人への差別・迫害は政権掌握当初からだが、アウシュヴィッツなどの絶滅収容所稼動という最悪の事態が生じるのはあくまで独ソ戦開始以後。

本書を含む教科書でもそのことは読み取れるようになっているが、これは宥和政策などの評価にも係わるので、現場の先生には強調して教えて頂きたいです。

1935年ニュルンベルク法という差別法令、38年「水晶の夜(クリスタルナハト)」という迫害事件などによって、ナチ政権のおぞましい反ユダヤ主義の実態は世界に明らかにされていたが、ユダヤ人を根こそぎ強制連行し、アウシュヴィッツなどで組織的機械的手段で集団的に抹殺する民族皆殺し政策が発動されるのは、独ソ戦開始以後、正確には1942年1月の「ヴァンゼー会議」以後である。

そのことを高校の授業で強調して教えて欲しい理由として「宥和政策に対する評価」を挙げていますが、実は書かなかった理由がもう一つあります。

それは戦前の日本の政策に関わる評価の問題です。

今から見て、たとえ純粋なパワー・ポリティクスの戦略からであったとしても、日本が、戦前から低劣・醜悪な人種主義を国是としていたナチス・ドイツと結んだことは間違った行為であったことは間違いない。

しかし、さすがにホロコーストを知りつつ、それを容認して同盟していたと思われるのはかなわない。

ユダヤ人への集団的抹殺は、第二次大戦の双方の陣営が完全に固まった後で起こったことで、戦時下のこともあり一定の情報が漏れ伝わってくるだけであり、戦前において誰も予想だにしないほど極端で常軌を逸した残虐行為で、戦勝国の側もこれを防ぐために参戦したのではないし、敗戦国である日伊両国もヒトラーがここまで狂っているとは思いもよらず同盟を結んだわけです。

結果として三国同盟は道義的にも重大な過ちだったとする評価には異議は無いが、日本を「ホロコーストの意図的な共犯」とする意見には反論したくなる。

しかし、この時期、日独両国がソ連を粉砕していたら、どうなっていたでしょうか。

ヒトラーの妄想的人種理論によれば、スラヴ民族はアーリア民族に奉仕することによってのみ生存を許される存在に過ぎない。

ナチス・ドイツの勝利は、即ユダヤ人の絶滅とスラヴ人の奴隷化を意味する。

実際の史実では、アウシュヴィッツなどの絶滅収容所を解放したのが、ソ連軍であったことは間違いない。

(東欧諸国の「解放」の場合とは異なり、ここは括弧を付けない文字通りの解放でしょう。[私も含め]ソ連の体制に絶大な嫌悪感[と憎悪]を持つ人間でも、それだけは認めざるを得ない。ただし、農業集団化と大粛清によって1000万人単位で自国民を死に追いやっていたスターリン体制のソ連に、総体としてホロコーストを断罪する資格があったとは思えないが。)

勢力圏を接することになったドイツがおぞましい限りの残忍な人種政策を実施し、その情報が嫌でも伝わって来るのに、日本はただ傍観するのか。

そうなれば、一気に「ホロコーストの実質的共犯者」としての様相が強くなる。

そんな歴史に残る汚名を祖国が着るのは真っ平御免である。

「自国民が300万人以上死ぬよりかはいいだろう?」との悪魔の囁きが聞こえてくる気がするが、やはりこれは何があっても実行すべきではなかった国策だと思う。

加えて、そもそも1941年に日ソ開戦を決断したとして、「本当に勝っていたのか?」という疑問が生じる。

ゴーロ・マンは一応そう判断している。

日本がアメリカではなくソ連に全力を投入したとすれば、恐らくボリシェヴィキ国家は崩壊したであろう。そうだったとすれば、今日の世界は別の様相を呈していただろう。といってもよりよいことはないが、別なことは確かだ。

ゴーロ・マン『近代ドイツ史』より。

確かに緒戦での赤軍の惨敗は、ソ連もポーランド、デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、フランス、ユーゴといった諸国に続いて電撃戦で敗北させられ、崩壊すると思わせるものがあった。

スターリンは、数年後の対独戦を意識していながら、この時点でのドイツの攻撃については様々な情報を無視、赤軍の高級将校を大粛清で抹殺し、自ら破滅的結果を招いていた。

しかし、このような劣悪な政治指導下におかれても、ソ連(ロシア)はその性質上、極めて強靭な一面を持っていた。

ソヴィエト連邦がフランスほどの大きさか、あるいは、その数倍の大きさであったとしても、ソヴィエトの実験は1941年に、事実上、終わっていたと思われる。それゆえ、この体制がスターリンの過ちにもかかわらず生き延びた第一の理由は、ソヴィエト連邦の巨大な面積と膨大な人口が、ほかのヨーロッパ国家なら滅びていたであろう損失を支えることができたのである。ソヴィエト政権は、こうした途方もない犠牲を払って、ついに形勢を一変させることになる過ちをヒトラーが犯すまで、必要な時間を稼いだにすぎなかった。

マーティン・メイリア『ソヴィエトの悲劇 下』より。

前々回記事で述べた通り、中国と同じくロシアのような巨大な大陸国家は基本「拒否力」を持っており、余程の好条件に恵まれない限り、外部勢力がこれを完全に征服することは極めて困難だと思われる。

確かにあの恐ろしいほど広大な国土を考えると、日独が東西から攻め込んでも、シベリアのどこかの地点で、ウラル山脈を越えてきたドイツ軍と沿海州から攻め上った日本軍が邂逅するという光景は想像し難い。

ドイツが勝てるとしたら、ロシア人とその他の諸民族に対して、共産政権とスターリンの暴政からの、真の意味での解放者として接することだったはず。

実際、初期にはソ連軍から大量の投降者が生まれ、一部には対独協力に走る人々も出た。

しかし、それも余りに暴圧的なドイツの占領政策に裏切られ、ソ連国民は「ファシスト・ドイツの残虐さ」についてのみは、政府当局のプロパガンダが真実であったことを思い知らされた。

ヒトラーは、全く愚かにも、軍事的には勝てなくとも政治的には勝てる可能性があった機会を自ら潰した。

敗北が自らの奴隷化に直結すると知ったならば、ソ連国民は自然とスターリンのような残忍な指導者の下にであっても団結せざるを得ない。

当時の日本はさすがにそのような極端に抑圧的な占領政策は採らなかっただろうが、一方で国力的な問題がある。

全くフリーハンドを持った状態で、総力を挙げ、満を持して、対ソ戦に入るのではないわけです。

もう一つの大陸国家たる中国と4年にわたって戦い続け、戦線の泥沼に足を捕られ疲弊し切った状態で、海軍力に比して明らかに国際的に二線級の装備しか持たない陸軍を主力に、日ソ戦争を始めたとして、果たしてどこまで進撃出来たか。

短期間でソ連を屈服させることができなかった場合、さらにもう一つの大陸国家アメリカの影が浮かび上がってくる。

すでに第二次世界大戦が始まり、英独は死闘を繰り広げている。

ドイツと開戦した国はほぼ自動的かつ必然的に英国と同盟関係に入る力学が働く。

ナチス・ドイツを国際社会における最も有害な勢力と定義し、そのために英国支援に動いている米国が果たしてソ連の崩壊を傍観するか。

「ルーズヴェルト側近ニューディーラーらの容共的傾向」なんて陰謀論じみた考えを持ち出さなくとも、日独によるソ連覆滅とユーラシア分割を世界的な勢力均衡への致命的打撃と捉えて、純粋なパワー・ポリティクスの観点から、実際の史実よりもはるかに露骨な挑発行為を日独に行い、何が何でも参戦するという政策が、保守派を含めてアメリカ指導層の一致したコンセンサスになっても、全くおかしくない。

(ちなみに米国がナチを敵視するのはもっともだとしても、それを打倒するためにソ連というもう一つの全体主義国家と同盟しなければならなかった意味を十分には理解していなかったように思える。ソ連との同盟が無ければドイツを破れなかったということは、その勝利に極めて大きな道義的限界を課すものであり、それを厭うならば、西側諸国は軍事的により強くあらねばならなかった、そしてそもそもドイツのような歴史ある文明国をナチのような勢力の手に落としたこと自体が西側諸国にとって深刻な敗北だったとジョージ・ケナンが述べているが、非常に示唆的な意見ではある。その結果、ソ連のような全体主義国家がこの時期の国際政治においてキャスティング・ヴォートを握るような有利な地位を占めてしまったのだから。)

そうなれば、実際の第二次世界大戦と同様の陣営が、同様の戦争を繰り広げただけになってしまう。

いや、日ソ間の戦線が、1945年ではなく41年から、ソ連ではなく日本の側からひらかれていたことだけが違う。

その結果は、赤軍の反撃と日本国土のソ連軍占領、少なくとも国土の東半分の共産化であり、米国の占領下におかれるであろう西日本も完全にアメリカ化され共和政となり、冷戦後の今日も(朝鮮半島がそうであるように)グロテスクな独裁と放埓な衆愚民主主義に祖国が分裂した状況が続くという、ゾッとする展開になったかもしれない。

やっぱり、どう考えても「1941年の対ソ開戦」は決断すべきではない。

あくまで中立を守り、ナチス・ドイツとの関係を有名無実化し、一時的孤立も持さず、形勢を展望し、大勢が明らかになるまで決定的措置を取るべきでは無かった。

日本がそうしているうちに、米国の挑発に耐えかねたヒトラーが、大西洋上で米独戦を始め、米ソ両国に挟撃されたドイツは史実の通り、惨敗を喫する。

国際情勢の激変を受けて、日本国内では軍部の威信が失墜し、政党政治が復活、日中戦争は日本の大幅な譲歩で終結。

そして、これも史実の通り、ドイツの戦後処理と東欧での戦後体制をめぐって米ソ冷戦が始まれば、フランコのスペインがそうであったように、いずれ米国が接近してきて、国際的孤立は解消します(日本の国力と戦略的地位はスペインの比ではないし、中国共産党を西北部で枯死させたであろう蒋介石政権下の中華民国よりも、結局は日本帝国の方が共産主義への対抗勢力として有力で安定した存在であることを米国も認めざるを得なくなったでしょう)。

もちろん、現実性の乏しい空想ではありますが、どうしてそうならなかったのかなあと慨嘆したくなります。

日本が真珠湾を攻撃したのとまさに同時期、12月上旬にドイツ軍はモスクワ正面で撃退され、短期決戦での勝利はあり得なくなった。

・・・・・象徴的にも実際的な意味においても、もっとも重要なことは、モスクワが保持されたということである。なぜなら、これほど中央集権的で、しかも脆弱な体制の首都が陥落すれば、全体制の崩壊を招く可能性がきわめて高かったからである。

マーティン・メイリア『ソヴィエトの悲劇 下』より。

持久戦に入ったならば、もう独ソ戦がどう転ぶか、わからなくなる。

もしその時点まで時間を稼げていたら、ドイツ敗北の可能性が日本の軍と政府の指導層の眼前に浮かび、対米開戦などという選択は余程のことが無い限りできなかったはず。

これがよりによって真珠湾攻撃と全く同時期に起こるとは・・・・・・。

もう戦前の日本は悪魔にでも魅入られていたのか、と思えてくる。

それとも、これが運命だとして諦めるしかなかったのか。

本書の最後の方、開戦直前の首相経験者の重臣会合について、以下の描写がある。

「私は・・・・・」若槻礼次郎が、涙声をしぼった。「勝算なき戦争を開始して、悠久二千六百年の歴史を賭ける気持ちがどうしても解りません」

著者は末尾の後書きで、日米開戦の決断は後世より見れば愚かで馬鹿気たものだが、歴史の曲折を経験しながら結局その選択を受け入れたという事、その意味合いの深さと大きさは単純に裁けないと述べている。

巨視的に見れば、確かにそうかもしれないが、戦後と今日の日本を見ると・・・・・。

帝国という枠組みを何とか残して、自由と民主主義への懐疑をわずかでも持てる体制になっていれば良かったのではないかとの思いは、個人的にどうしても禁じ得ない。

国家に左翼運動を鎮圧された戦前日本の民衆は、右翼革新運動の中に自らの邪悪で低劣な世論を押し通す機会を得た。

そうして、結果として帝国を滅ぼし、民衆の自由に対する一切の束縛を排除した上で、戦後は出鱈目で支離滅裂な左翼思想にのめり込み、再び何度も国家を破滅寸前まで追いやる。

そして左翼思想が完全に破綻するや、十年ほど前から、またもや何の反省も自己懐疑もなく、野蛮・低俗・愚昧・醜悪・卑劣・粗暴、その他何と言っても足りないほど見下げ果てた形式のナショナリズムを喚き立てている。

「多数者による、一方的で無責任で煽情的な政治と社会への批判」という、根源的悪は戦前も戦後も現在も、全く変わることなく一貫している。

自称「右派」が「日中戦争や日米開戦はコミンテルンの策略」といった陰謀論を持ち出すのなら、上記のような民衆の邪悪な潜在的欲求による、一貫した国家破壊の歴史を考慮したほうがいいし、その方がよっぽど説得力のある「陰謀論」ではないですか、と言いたい。

戦前の国粋主義など、民衆による底の浅い無意識の演技に過ぎず、その本質は「一君万民」の理想の名を借りた過激な平等主義運動です。

それによって帝国を滅ぼした後、民衆は、占領下の憲法を受け入れ、華族制度を廃止し、皇室を丸裸にし、頭の単純な勝者に洗脳され、自由と民主主義を教条的に崇拝するようになった。

現在では、大衆は自らの世論こそが唯一絶対の価値判断の基準だとますます狂信し、皇室を「善き自由民主主義国」日本に最後に残った「異物」扱いにし、皇族個人へ陰湿・卑劣・低俗・邪悪な誹謗中傷を加え、それを「娯楽」として愉しんでいます。

もはやこの状況を是正することは全く不可能です。

唯一の希望は、遅かれ早かれ、こんな国は間違い無く滅びるということ、そして不遜と驕慢を極める我々大衆と下賤で汚らわしい煽動家に(それを神罰と呼ぶかどうかは別にして)確実かつ完全な破滅がもたらされるであろうということだけです。

さすがにこれまでの巻の進行が遅いので、話を早めたのか、内容にやや粗さを感じる。

それと月刊「文芸春秋」で連載していた分から、省略があるのか?

ドイツの対仏戦でのマジノ線突破の話が見当たらない。

連載時には軽く目を通していただけだが、たぶん思い過ごしではないはず。

先帝や著名な政治家・軍人だけでなく、小説家・実業家・俳優・芸人・左翼活動家など、驚くほど多様な人びとの視点を積み重ねて、時代を描写するという手法は、非常に読みやすく、面白い。

このシリーズの記事は、特に第四部から、内容紹介は部分的で、自分流の史実の整理と史的評価を中心に記していますので、あまり選書の参考にはならないかもしれませんが、読みやすさは保証します。

2013年12月9日

戦前昭和期についてのメモ その7

Filed under: おしらせ・雑記, 近代日本 — 万年初心者 @ 08:07

福田和也『昭和天皇 第五部』の記事続き。

いよいよ、日本と世界の運命が決した、1939~41年の叙述に入ります。

この3年間の歴史を読むに当たって、以下のことをお願いしたいと思います。

まず、出来事の年はもちろん、月(場合によっては日も)も記憶して、前後関係をしっかりと把握すること。

そして、実際の史実の展開を、一度頭の中から取り除いてすっかり忘れて頂き、別の可能性とあり得たかもしれない「もう一つの歴史」を常に想像してみること。

1939(昭和14)年。

1月平沼騏一郎内閣、8月阿部信行内閣。

3月スペイン内戦終結、チェコスロヴァキア解体、5~8月ノモンハン事件、8月23日独ソ不可侵条約、9月1日独ポーランド侵入、9月3日英仏対独宣戦、第二次世界大戦開戦。

日中全面戦争を勃発させ、その任期中に、日本の運命に途方も無い重荷を背負わせた近衛文麿内閣は、結局自らの手で事態を収拾できず、この年の初めに政権を投げ出す。

以後3年間、日本の内閣は「1年で2内閣」とイメージして覚える。

39年が平沼・阿部内閣、40年が米内・近衛内閣、41年が近衛・東条内閣。

世界では、ヒトラーがチェコを併合、スロヴァキアを保護国化し、前年英仏に強要した、あれほど自国に有利なミュンヘン協定を自ら踏みにじり、国際協定の遵守など端から眼中に無く、どこまでも侵略と征服を進める姿勢を示す。

この膨張主義を前にして、英仏もついに独との対決姿勢を固めるが、ソ連との同盟交渉は、根強い相互不信と支援対象国のポーランドなど東欧諸国の激しい反ソ感情もあって進捗せず、そのうちにスターリンはヒトラーとの妥協に走り、8月23日独ソ不可侵条約締結。

これがゴーサインになり、ヒトラーはポーランドに侵攻、ソ連も独との事前協議通り、ポーランドの東半分を征服・併合。

ソ連は、さらに9~10月にかけてバルト三国にも軍を進駐させ、翌40年には自国に併合。

このヒトラーとの談合・協力した結果の侵略行為と領土拡大が1991年まで続いたんだから酷いもんです(ポーランド東部については以下の通り現在も当時の状況には戻っていない)。

悪逆としか言いようの無い、この時期のソ連ですが、あえて公平のために述べれば、ポーランドの東部は1920年ソヴィエト・ポーランド戦争の結果、民族的には白ロシア(ベラルーシ)・ウクライナなどソ連構成民族が多数居住する地域だったので、形式的民族自決の立場からすれば、正当性が絶無というわけではない(もっともそれらの民族にとってポーランド統治下より同族と共にソ連支配下に入ることが幸福だったとは全く思えないが)。

戦後もソ連は旧ポーランド東部を手放さず、共産化したポーランドにはドイツの東部領土の一部を与え、ポーランド国家は大きく西に移動した形になった。

ドイツの旧領回復要求を恐れるポーランドは、ソ連に依存するしかないとの目論見もあったと思われるが、この辺のスターリンの策略は悪魔的である。

敗戦直後のドイツ人追放時、報復行為で悲惨な事件が頻発したこともあり、戦後の西ドイツでは、この新たな東独・ポーランド国境である「オーデル・ナイセ線」を認めない世論が強かったが、1969年成立のブラント政権の東方外交によってついにその立場を放棄、現状国境の維持を前提にポーランド・ソ連との緊張緩和が進んだ、みたいなことは(この時期の歴史と直接関係無いですが)頭の片隅に入れておきましょう。

話を戻すと、5月から満州国とモンゴルとの国境地帯のノモンハンで日ソ両軍は大規模な戦闘状態に入っていたが、8月末独ソ不可侵条約の報に日本は驚愕、平沼内閣は「欧州情勢は複雑怪奇」との、歴史に残る「迷言」を発して退陣。

直後の第二次世界大戦勃発に当たって、阿部内閣は欧州大戦非介入を声明。

どうにも「失態」のイメージは残るが、この展開は意外と悪くない。

ヒトラーが日本に何の事前通告も無く、了解も得ず、ソ連と結んだことによって、対独不信感が広がり、加速する一方だった日本国内の対独接近熱が一気に冷めた。

実際、細々した解釈はどうあれ、少なくとも協定の根本精神から言って、独ソ不可侵条約は紛れも無い日独防共協定違反である。

もう、この時点で日独間の協定は空文・死文化してるんです。

まともな政治指導のコントロールを失い、破滅に向かって暴走するナチス・ドイツから身を引くには絶好のチャンスである。

この時期の日本に必要だった国家戦略は「とにかく決定的な措置を採ることを避け、重ね重ね慎重な検討を加えて形勢を展望すること、そして最低限負ける側には絶対に付かないこと、そのために時間を稼ぎ、可能な限り中立状態を維持すること、アジアの戦争とヨーロッパの戦争を絶対に連動させず、日中戦争を一刻も早く終結させてフリーハンドを回復すること」だったはず。

ところが、日本国内では反英運動が広範に巻き起こるような状況なんですから、偏った感情に煽られた群集心理の理不尽さには歯止め無しという幻滅に捕われる。

この年の7月には日米通商航海条約の廃棄通告が米国より為されている。

1894年日英通商航海条約と共に調印されたもので、1911年小村寿太郎外相の下、改定され関税自主権を回復した。

その廃棄通告の翌年発効により、輸出制限・禁輸などの経済制裁が可能となり、これが結果として日本の死命を制す手段として用いられることになった。

1940(昭和15)年。

1月米内光政内閣、7月第2次近衛文麿内閣、北部仏印進駐、9月日独伊三国同盟締結。

大政翼賛会成立、皇紀2600年式典、元老西園寺公望死去、汪兆銘政権樹立。

6月フランス降伏。

ヴィシー政権、英チャーチル政権、バトル・オブ・ブリテン。

この年の最大の事件は何と言ってもフランスの降伏という驚天動地の出来事。

これについては論じたいことが山ほどあるんですが、まず国内情勢を片づけます。

(本書ではしばしば批判的記述がなされているとは言え)海軍穏健派の米内内閣が成立した流れは悪くない。

しかし、どうも精彩に欠ける。

高坂正堯氏が『現代史の中で考える』で指摘したように、この後は近衛内閣で三国同盟、東条内閣で日米開戦となってしまい、これが避戦への最後のチャンスかとも思われるのだが、三国同盟派に押されて為すすべなく辞職してしまった印象である。

なお、この辺りで武藤章陸軍軍務局長の描写が出てくる。

この人については、日中戦争初期の拡大派の中心で、不拡大派の石原莞爾に向かって「昔閣下が満州でやったことと同じことをしているだけです」という意味の放言を吐いた人物であることは知っており、以前持っていた印象は文字通り「最悪」でした。

だが、この人物が欧州大戦不介入と日米対立緩和を唱え、そのために尽力する様が描かれており、その好意的記述に意外な感がした。

前年ドイツがポーランドに侵攻、これを粉砕して始まった第二次大戦だが、その年には西部戦線では実質的な大規模戦闘は起こらず、「奇妙な戦争」と呼ばれる。

だが、この1940年、ドイツが西部戦線で大攻勢に出る。

電撃戦と呼ばれた勢いで、まず北に向かいデンマーク・ノルウェー両国を占領した後、次いでオランダ・ベルギーに侵攻、ついにはフランスに大攻勢をかけ、6月にはこれを降伏させてしまった。

これがすべての歯車を狂わせてしまう。

日本では対独接近派が急激に勢いを盛り返し、米内内閣を倒して第2次近衛内閣が成立、フランス降伏のどさくさ紛れに「援蒋ルート」遮断のためとして仏領インドシナの北部に進駐、そして9月27日、日独伊三国軍事同盟が締結、日本は枢軸陣営に自らを縛りつけるという最大級の愚行を犯し、破滅への決定的一歩を踏み出す。

ムッソリーニのイタリアも、仏降伏直前に宣戦、日本と同様に亡国への道を歩んでしまうこととなる。

第一次世界大戦でドイツの猛攻勢を4年以上耐え抜き、ついにはドイツを打ち負かしたフランスが、開戦翌年、しかも実質的戦闘が始まって間もない時期に敗北したのは確かに驚天動地の出来事であり、ドイツの圧倒的な軍事的優位をこれ以上無いほど明白に示したと言えなくもない。

しかし、もう一度よく考えて下さい。

第一次大戦と第二次大戦の国際情勢の比較です。

そんな難しい話ではない。

むしろごく単純な話です。

第一次大戦では、ドイツは実質オーストリアのみを同盟国として、仏・露・英の三国協商と、後に参戦してきた伊、米の諸国と戦い、4年の間持久したわけです。

(同盟国[独墺]側には他にトルコとブルガリアが加わり、「四国同盟」との言い方もなされるが、両国にはまことに失礼ながら、トルコとブルガリアは軍事的には「誤差」の範囲内でしょう。)

それが第二次大戦ではどう変わったか。

まずドイツ側。

アルザス・ロレーヌはフランスに奪還されたままだが、東部国境はポーランド西半を占領することで回復。

オーストリアとチェコを併合することによって、前者の人口と後者の軍需産業を手に入れ、かつての同盟国ハプスブルク帝国の主要部分は味方にしているのと変わらない状態になっている。

さらに、ポーランドを粉砕した結果、他の東欧・バルカン諸国は、恐怖心からか野心からかは別にして、ほとんどの国がドイツに靡く情勢。

それに対して協商(連合)国側はどうか。

ロシア(ソ連)は独ソ不可侵条約によって、中立国ではあるが、はっきり言えばこの時期枢軸側にいたわけです(後述の通り、それがどれだけ長期的だったかはともかく)。

もちろんイタリアはドイツと「鋼鉄同盟」を結んでいた枢軸陣営の中心国です。

アメリカは国内世論の孤立主義に縛られ、当面は参戦できない状況。

つまり、ドイツは「背後」(ロシア)と「脇腹」(イタリア)を脅かされることなく、([第一次大戦では中立国だった]フランコのスペインを意識せざるを得ず、むしろ自らが「背後」の脅威を感じつつ)イギリスのみの支援を受けたフランスと実質一対一で戦って、これを破っただけなんです。

これがそんなに驚くべきことでしょうか?

第一次大戦でも、ドイツは緒戦のマルヌの会戦で阻止されなければ、もう少しでシュリーフェン・プランを実現させるところだったし、東部戦線ではタンネンベルクの戦いで勝利してからは常に敵領深く進攻して戦っており、帝政崩壊後のソヴィエト・ロシアにブレスト・リトフスク講和を押し付け広大な領土を奪い、続いて西部戦線で大攻勢に出て、英仏軍の戦線をあとわずかで突破するところだったわけです。

実際、1918年、前年参戦していたアメリカの軍事力が無ければ、フランスが敗北していた可能性は極めて高かったはず。

(余談ですが、私は第一次大戦が、西部戦線ではドイツが押し返され、やや不利な条件で妥協的講和をし、一方東部戦線では、疲弊しきった西側連合国がドイツを完敗に追い込むことができず、加えてドイツへの懸念よりも共産政権への嫌悪感を優先することから、帝政崩壊後のロシアを放置し、その結果、ドイツがソヴィエト政権を圧殺し、ロシアをその覇権下に組み入れるという終わり方をしなかったものかなあと空想することがあります[つまり講和の順番が東部と西部で実際の史実とは逆になる]。ドイツが帝政の復活したロシアを傀儡的立場に置き続けることは長期的には不可能だと思いますし、ブレスト・リトフスク条約以前のドイツ軍は、白衛軍や後の干渉戦争での日米英仏軍、社会革命党右派の農民反乱に比べて極めて有利な状況で、まるで無人の野を行くが如く快進撃を続けていたわけですから、もしソヴィエト政権を崩壊させ、レーニン、トロツキー、スターリンらボリシェヴィキ指導者を雁首並べて銃殺か絞首刑に処していたら、1871年のパリ・コミューン鎮圧よりもはるかに輝かしい人類文明への貢献となったはずです。西部戦線ではやや劣勢の引き分けでも東部戦線で大勝利を得た形で講和を結んだドイツでは帝政が続き、民主化にも一定の歯止めがかけられ、ナチズムのような大衆運動が躍進する可能性が大いに狭められることになる。埒も無い空想ではありますが、その後のソヴィエト・ロシアとナチズムに冒されたドイツが自他にもたらした被害を思うと、こんなことでも考えたくなります。)

ドイツにとって二正面作戦は致命的だったと言われますが、しかし、英米が参戦しないという条件で、露仏同盟だけが相手だったならば、ドイツが勝利していたのではないかと思える。

(ヨーロッパ大陸を統一的に支配する勢力が海という天然の防壁を越えて自国を脅かすことを防ぐため、弱体勢力を助け、強国が一方的覇権を打ち立てるのを阻止するという、伝統的な勢力均衡政策を厳守する英国が、仏露の決定的没落とドイツのヨーロッパ大陸制覇を傍観するわけがない、露仏二正面作戦は必然的に英露仏三正面作戦に繋がる、さらに英国と妥協し共同覇権を行使する立場の米国も同様に一大国のヨーロッパ大陸支配と英国敗北を容認せず、いずれ介入してくる、だから結論としてやはりドイツは何があっても二正面作戦を避けるべきだった、というのは恐らく正しいでしょうが、今は純粋に軍事力の客観的評価の話をしているので、それはひとまず措きます。)

結局、国際情勢を考えれば、この1940年のドイツの勝利は、別に不思議でもなんでもない、ごく平凡な出来事であり、ドイツの真の優勢を示すものではないわけです。

周辺情勢とは関係なく、ドイツ自身が(追記:退廃し衰退しつつある民主主義を脱し)全体主義・「統制主義」によって再生し強大化した、という見解が当時日本の世論で主流だったのかもしれません。

(これは現在の自由民主主義を理想視する考え方からすれば、途方も無く歪んだ見方だということになるでしょうが、私はむしろ、ナチズムという全体主義[だけでなく共産主義という左翼全体主義も]は、自由な言論活動と無制限な市場経済がもたらした混乱と無秩序の中で、伝統的価値観の束縛を脱した民衆の多数派が世俗イデオロギーの狂信に囚われ主体的に生み出したものである以上、民主主義と全体主義は表面上は対照的に見えても、基本的には同根であり、両者は断じて根本的に対立するものではない、という意味において間違っており、倒錯した見方だと思います。)

もし、そうした考えに多少とも当たっている点があるとすれば、国民生活を徹底的に犠牲にして軍備を拡張したソ連と、究極の専制君主制に則っていると言われながら弱体な国家権力しか持ち得なかった帝政ロシアとの対比にこそ当てはまる。

・・・・・・おおざっぱなマクロ経済の数字でみても、ソ連の国民総生産にたいする個人消費の割合は51ないし52パーセントときわめて低水準に抑えられ、同じころ工業化へ向けて「離陸」をはたしていた他の国の80パーセントという数字とくらべても格段に低かった。・・・・・・国民総生産にたいする個人消費の割合を、近代社会では類がないほど――たとえば、ナチス政権下のドイツでさえ考えられなかったほど――低く抑えた結果、ソ連は国民総生産の25パーセントという驚くべき額を工業投資にあてることができ、そのうえに教育、科学、軍事力に多大の資金を投入することが可能になったのである。

ポール・ケネディ『大国の興亡』より。

確かに自国民を数百万から一千万人以上餓死させておきながら、重工業と軍需産業を短期間に建設するような真似はソ連にしかできず、ナチス・ドイツですら少なくとも平時にはこれほど極端な措置は取れなかったでしょう。

こんな国家が望ましいわけがなく、道義的問題を一切無視し、ただ国家を軍事力のみで評価するという大前提の上でですが、体制の変革が軍事力の飛躍的拡張に結びついた例としては、当時のドイツよりソ連を挙げるほうが適切だったでしょう。

そして、敗北寸前と思われたイギリスはチャーチルの指導下、驚異的な粘りを見せ、アメリカの参戦まで持ちこたえ、その強靭な橋頭堡となる。

これについても、そもそも英独間の海軍力の格差は圧倒的なわけです。

ドイツ海軍が英仏海峡の制海権を奪取することは、お得意の潜水艦戦を展開しても、まず不可能です。

大規模陸軍を持たないが、その強大な海軍力で自国の安全は十全に確保し、それがもたらす行動の自由を用いて大陸諸国のバランサーとして振る舞うという英国の地位は近世以降、全く不変である。

ただ、この時代では「空軍力の急激な発達」という事象を考慮する必要がある。

これが海軍力の優位を覆す可能性は確かにある。

だからフランス降伏後の英本土航空戦である「バトル・オブ・ブリテン」が決定的意味を持ったわけです。

ここでドイツ空軍は結局、制空権(この言葉は最近使われず、今は「航空優勢」と言うそうですが)を確保できなかった。

そうなったら海軍力の差がもろに効いてくる。

何年経とうが、ドイツ軍は英国に上陸できない。

直接的軍事制圧ではなく、Uボートによる潜水艦作戦で英国の海上交通網を寸断し、その国民経済を破壊して降伏に追い込むこともまず不可能です。

第一次大戦時と同じく、一度厳重な護送船団方式が採用されれば、潜水艦による商船への脅威は大いに減殺されますし、この時期、駆逐艦だけでなく航空機が潜水艦の「天敵」として加わったことによって、潜水艦の技術的発達はそれと相殺されてしまうでしょう(この場合空軍力の発達は水上艦艇の現状戦力差を固定化する方向に働くことになる)。

なおかつ、そうした大西洋での軍事行動が米国が参戦するに当たって、格好の口実として用いられるであろうことも、第一次大戦と同様です。

上で英国の粘りを「驚異的」と書きましたが、実はそうでもなく、ある意味当然の結果です。

チャーチル政権は国民の士気を喪失さえさせなければ良かった(表面的にはドイツが圧倒的優勢に見えた当時の状況下で、それを成し遂げただけでもチャーチルは偉大だとの見方はもちろんあり得ますが)。

要するに、英本土上空の航空戦でドイツが圧勝しない限り、英国は抗戦を続け、米国の介入は時間の問題となり、ドイツに勝機は無くなるわけです。

こう考えれば、なぜ対独接近派が盛り返し、それに反対する人間が暗殺の危険すら常に感じなければならないことになったのか、全く不可解である。

「いや、こんなのは各国の軍事力・経済力についての具体的数値とその変化の度合いを何も示さずに、ごくごく表面的な印象論だけでモノを言ってるだけじゃないか、それに政治体制の特質や政治指導者の質など、数値化に馴染まないが極めて重要な要素も捨象している、こんな子供じみた単純な算術で歴史を論じた気でいるのか、馬鹿馬鹿しいにも程がある」という反論があることは百も承知です。

しかし、逆に言えば、専門知識も何も無い当時の一般庶民でも、この程度のことは思いついてもおかしくなかったのであり、なぜ「バスに乗り遅れるな」という三国同盟推進派が世論の圧倒的支持を受けたのかがわからないと言いたいです。

「すでにオランダ・フランスは降伏し、イギリスも時間の問題だ、このままでは英仏蘭の東南アジア植民地は全てドイツのものとなる、その前にドイツと話をつけてそれを日本が領有すべきだ」という、欲得に目がくらんだ焦燥と短慮が、結果として全てを失う破滅を導くことになった。

一度偏向した世論が生み出されると、その愚かしさが自己拡大を続け、集団ヒステリーが国策を動かし、国が破滅するまで止まらないということなのか。

そして、繰り返しますが、当時のソ連は中立国とは言え、実質枢軸側にいたわけです。

三国同盟推進派にとって、実は三国同盟は日ソ独伊の「四国同盟」構想とイコールだった。

このユーラシアを東西に覆う同盟によって米国の参戦を牽制し防止するとされた。

彼らが構想した世界の様相は以下のようなもの。

英国敗北後に、ドイツ(と伊)、ソ連、日本がそれぞれ自国の南部に進出し、独伊はアフリカ、ソ連はインド、日本は東南アジアを勢力下に置く。

盟友英国を失った米国は南北アメリカ大陸のみを固守し逼塞するしかない。

世界はこの四大勢力によって分割される。

世界史上、まれに見る大激動期であったことを思えば、この考えを頭から妄想と決め付けることはすまい。

しかし、このような構想の前提条件には「英国の早期敗北」「米国の工業力・軍事力の過小評価」の他、「独ソ関係の安定」がある。

前二者も間違っていたが、最後のものも事実は全く異なっていた。

「日ソ独伊四国同盟」構想の全てが、この「独ソ関係の安定」という、ただ一点にかかっている。

ところが、実際は安定どころじゃないわけです。

この時期、ヒトラーは、スターリンにペルシア湾やインド方面への進出を慫慂していたが、異様な猜疑心と権力意識の持ち主であり、英仏と独の開戦を待つことに成功し、資本主義国同士が闘争し疲弊することを傍観し、漁夫の利を得ることを基本政策にしていたスターリンが、英国との対立を決定的にし、自国を枢軸陣営に完全に縛り付けるそのような行為にでるわけがない。

モロトフ[ソ連外相]はこのあまりにも誇大な提案に興味を持たなかった。ドイツは、提供すると伝えたものをまだ所有しておらず、ソ連邦は自らのためにこれらの領土を占領するのにドイツを必要としなかった。

キッシンジャー『外交』(日本経済新聞社)より。

スターリンはむしろ近い将来の対独戦を意識し、緩衝地帯を得るためバルカンでの勢力拡大を意図し、すでに英国との戦争状態にあるドイツの足元を見て、独ソ関係を悪化させる。

一方ヒトラーの側も、「独ソの長期的共存」という発想など微塵も無い。

年来の主張である、ソ連を打倒した上での「ドイツ民族の生存圏」拡大という妄想はこの独裁者の脳裏から離れたことはない。

ヒトラーの望んでいたのは、ヨーロッパにおけるドイツの覇権的地位とロシアに対する直接の支配だった。そのほかにはアフリカと、アジアおよび大洋州の大部分に対してヨーロッパの支配を維持することだった。それは、旧いヨーロッパの海外植民地と新しいドイツの植民地ロシアを基底とし、ドイツの隣国、支援民族、衛星国、および表面上の、もしくは半独立の同盟国といったように階層づけられた他のヨーロッパの国々を中央の構築物とし、ドイツが最上層にいるという一種の力のピラミッドだった。ドイツが支配するこの巨大な力の構築物が作られたら、のちにアメリカおよび日本と世界支配をめぐる闘いをやっても十分に勝算があるはずであった。

セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)より。

加えて以下のような考えがヒトラーの頭に浮かんでいた。

・・・・・1940年6月のフランスの敗北後もイギリスが対独抗戦の姿勢をかえなかったとき、ヒトラーは、それまでとちがった関連において対ソ戦を考慮せざるをえなくなった。7月なかば、ヒトラーは、軍の首脳にむかって、「イギリスが抗戦をつづけているのは、ソヴェートの対独政策の変化に期待をつないでいるからである」という趣旨の考えを述べた。ここから、イギリスに対独抗戦を断念させるためには、まずソヴェートをたたかなければならないという思想までには、ほんの一歩にすぎなかった。

・・・・・

いまやヒトラーの頭のなかでは、目的と手段とが位置を逆転させつつあった。本来はヒトラーは、ソヴェートを攻撃するために西方諸国を屈服させなければならないと考えた。ところが、イギリスを講和にかたむけることが容易ではないことがわかったいま、彼は、こう考えた。西方での戦争をおわらせるためには、まずソヴェートを屈服させなければならない、と。

自己の大陸支配をイギリスに承認させるために、まずロシアを屈服させる――それは、一世紀以上もまえにナポレオンをとらえた魔の考えであった。おなじ考えにおちこんだヒトラーは、やがて、それによってみずからの没落をはやめてゆくことになろう。

野田宣雄『ヒトラーの時代 下』(講談社学術文庫)より。

国家の存亡に関わる大戦略を、自らの妄想じみた偏見に沿って、こうまで安易に変更していたら、勝てる戦争も勝てないですよ。

日本も、こんな男に引きずりまわされ、なぜ国を滅ぼさなければならなかったのか。

心の底から慨嘆したくなります。

終わらねえ・・・・・。

あと1年、1941年は次回にまわします。

2013年4月29日

記事の一部表記の乱れについて

Filed under: おしらせ・雑記 — 万年初心者 @ 16:16

過去記事の一部表記、特に引用部分に乱れが生じている場合が多いようです。

その場合、ブラウザの更新ボタンでページを再読み込みして頂くと、正常に表示されるようです。

宜しければお試し下さい。

2013年2月6日

ムッソリーニについてのメモ

Filed under: おしらせ・雑記, イタリア — 万年初心者 @ 12:42

ニコラス・ファレル『ムッソリーニ 下』(白水社)記事続き。

1939年9月1日、独がポーランド侵入、9月3日第二次世界大戦勃発。

イタリアは中立を声明。

グランディは、ドイツが防共協定・鋼鉄条約双方を破ったと主張。

同年末には、ファシズム大評議会などにおいて、バルボが同盟の切り替えを公然と主張、チァーノは反独的と見なされる演説を行う。

(このチァーノは少し前には参戦に傾いていたような態度も示しており、本書での評価は甚だ低いが。)

実際、イタリアの軍備は主要国としては全く貧弱極まるもので、その基盤となる工業力を中心とする基本的国力も劣勢であった。

本書で例示されている数字では、39年時点の鋼鉄生産量は、伊が240万トンであるのに対し、英1340万、独2250万。

この状況では、前回記事で示したような心理的外交戦の段階であればまだしも、実質的な軍事力だけがものをいう戦時においては、イタリアが持っていた行動選択の余地は極めて限られたものにならざるを得なかった。

1940年1月、ムッソリーニは、ソ連との不可侵協定破棄と英仏との交渉開始を、ヒトラーへの書簡で提案している。

3月、仏首相がダラディエからレイノーへ交代、5月にはチャーチルが英首相に就任。

戦局の推移に伴い、ムッソリーニも徐々に独寄りの姿勢を見せ始めるうちに、40年5月西部戦線でドイツが大攻勢に転ずる。

フランスが降伏寸前となった6月、ついにイタリアも宣戦布告。

あくまで短期での勝利を予測してのことだが、結果として破滅への決定的な一歩となった。

インドロ・モンタネッリは、彼のイタリア史シリーズ中の1940~43年を扱った巻の序文で、その巻を書くことが彼にとって他の何より辛い思いで満たした――その辛さはムッソリーニや彼の配下の将軍たちだけでなく、イタリア国民自体から、「わが国の人々の欠点のなかでも軍事的特質が完全に欠けていること」からもたらされた、と書いている。

何度も書いていますが、モンタネッリのイタリア史を全巻翻訳で出してもらえませんかねえ。

訳者の藤沢氏も亡くなってしまいましたが。

参戦後、即座にマルタ島・コルシカ島・エジプトへ軍事行動を起こすのが有効だったと思われるが、実際にはそうせず、ヒトラーは仏降伏後のペタン政権への配慮から仏南部や北アフリカを即時占領しなかったが、もしこれを実行に移していれば英国は地中海から完全に一掃されていただろうとされている。

7月、バトル・オブ・ブリテンで、英本土上陸作戦失敗。

9月、独の短期勝利が無くなったことを悟らなかった日本が決断したことによって、日独伊三国同盟が結ばれたが、10月には仏ペタン、西フランコの両者とも参戦を拒否。

ここで有無を言わせずジブラルタルや北アフリカを占領して仏・西を巻き込んでいれば、また違った展開も考えられたという。

日本と仏・西の命運が決定的に分かれたのはこの時期ですが、フランコらはナチス・ドイツの大攻勢を身近に見ていたのに分別のある選択をしたと言うべきか、あるいは身近に見ていたからこそその先行きが見通せたと言うべきなのか。

戦前日本がスペインと同じ道を歩めなかったのは、何度考えても痛恨の極みです(戦前昭和期についてのメモ その5参照)。

しかし考えてみれば、フランスだって下手すりゃハンガリー・ルーマニア・ブルガリア等の従属的枢軸同盟国の一員という立場で終戦を迎える可能性があったわけで、俗な言葉で言えば、たとえハッタリ半分でもフランスに戦勝国の地位を確保することに成功したド・ゴールはやはり大したもんです(エリック・ルーセル『ドゴール』参照)。

伊はバルカン支配を企図し「並行戦争」を遂行、10月ギリシアに侵攻(同国はファッショ的なメタクサス政権下にあったのだが)。

6月のソ連によるバルト三国併合とルーマニア北東部奪取を受けて、同じ10月ドイツはルーマニアに進駐、同国の油田を手に入れる。

独伊の戦略が全くバラバラで、ヒトラーがソ連打倒を考え始めたのに対し、ムッソリーニは地中海方面を重視していた。

これはまだしもムッソリーニの方が正しかったと評されている。

確かに対ソ戦開始はヒトラーにとって致命傷となりましたし、それよりエジプトから中東地域に侵攻し、一年後参戦する日本と連携してインドになだれ込んで対英独立を煽り、米英世論へ衝撃を与えるというシナリオの方が、枢軸国にとってはまだしも良かったのかもしれないが、果たしてそれがどこまで現実的だったのかと言えば心許ない。

「並行戦争」では、伊軍の失態続く。

侵攻したギリシアで苦戦、40年11月タラント軍港が英軍に空襲され、主力戦艦3隻が一気に行動不能となり(このタラント空襲を見て山本五十六が真珠湾攻撃を構想する)、9月のエジプト侵入は即撃退される。

12月にはバドーリョが参謀本部長から解任される。

40年11月から41年3月にかけて三国同盟にハンガリー・ルーマニア・ブルガリアが加入。

41年2月、ロンメル率いる独アフリカ軍団が上陸。

4月、エチオピア喪失、三国同盟に加入を拒否したユーゴに侵攻、同月ギリシアが降伏。

最後の電撃戦勝利となったユーゴで、旧構成国のクロアチアは従属的独立国となり、ウスターシャと呼ばれるファッショ的政党が支配。

これら占領地域でユダヤ人狩りが行われるが、伊がしばしば介入しユダヤ人を救う。

すでに独伊が運命共同体になっていたと通常は思われるこの時期、ムッソリーニが抱いていた、ヒトラーとドイツへの不信感には驚かされる。

「わたしは・・・・ドイツ人には吐き気がする・・・・個人的にはヒトラーと彼のやり方にはうんざりだ。会談の前にベルを鳴らす、あのやり方は好きになれない。ベルを鳴らすのは給仕を呼ぶときだ。そしてあの会談ときたら、いったい何なのだ?退屈で無意味な独り言に五時間もつきあわなくてはならないのだから。・・・・アルプスの渓谷の要塞化をずっと続けているが、いつか役に立つだろう。」

「ヴェネト川沿いに数千門の大砲を並べなければならない。なぜならあのあたりからドイツ軍はイタリアに侵入してくるだろう。アルト・アディジェの険しい峡谷は簡単に封鎖できるから、あそこからは来ないだろう・・・・だが、われわれはふたつのことを祈らねばならない。戦争がドイツにとっては長く消耗するものになることと、妥協で終わることだ。そうすればわれわれは独立を保てる。」

41年6月22日、独ソ戦開始。

日本だけでなく、ムッソリーニも全く予期していなかった。

英国勝利の可能性や、将来の対独戦まで口にするようになる。

12月、モスクワ郊外での赤軍の反撃で、ヒトラーの短期決戦の目論見は潰え、ほぼ同時に日米開戦、独伊は対米宣戦。

42年中、補給路を扼す重要拠点であったマルタ島攻略に失敗、北アフリカ戦線で敗北。

42年11月、ペタンを排し、仏全土とチュニジアを占領。

ムッソリーニは、占領地での独による強圧的な政策を懸念し、42年11月にヒトラーに独ソ講和を進言している。

この独ソ戦には伊軍も従軍していたが、当時亡命中の伊共産党指導者トリアッティが伊軍捕虜に対して極めて冷酷な態度を示していたことが記されている。

著者によると、ムッソリーニは(仏ヴィシー政権とは異なり)、ホロコーストへの協力はせず、フランコも独に懸念を示したという。

(ただしイタリアからユダヤ人の移送が全く行われなかったように書いているのは著者の明らかな事実誤認だ、と訳者は指摘していたと思う。)

また、ムッソリーニが、かつての個人的友人で、戦後イタリア政界で活躍することになる、社会主義者ピエトロ・ネンニを保護したことも記している。

ここで、ヴァチカンの指導者、教皇ピウス12世(在位1939~58年)がホロコーストを公然と非難しなかったとの近年の批判は当たっていない、ヒトラーがヴァチカン接収計画を持っていたことが明らかになっており、もし公然の反対行動を取れば、それが実行され、カトリック教会が水面下で行っていたユダヤ人保護が不可能になり、より多くの犠牲者が出たかもしれない、アングロ・サクソン系メディアのように、白黒をはっきり割り切って道徳性を判断することは不当だ、と書かれているのは非常に興味深い。

43年1月、トリポリ陥落、カサブランカ会談で日独伊に無条件降伏を求めることをルーズヴェルトとチャーチルが決定。

ムッソリーニは、親独派の参謀本部長カヴァッレーロ元帥を解任、アンブロージョ将軍に替え、チァーノ、グランディ、ボッタイも更迭、PNF書記長にはスコルツァ就任。

43年3月、北伊で大ストライキ発生、5月、チュニジア喪失。

時期が明確に読み取れなかったが、秘かに単独講和を打診してきた伊に対して、チャーチルはやや柔軟な姿勢をみせたが、イーデン(40年12月よりハリファックスに替わって再度外相就任)が拒否したと書かれている。

本書で印象的なのが、このイーデンに対する評価の低さ。

この人は、長い間チャーチルの影に隠れ、戦後やっと首相になった際はスエズ動乱介入という失策を犯して短期間で辞任したわけで、その名声の大部分は戦前の反宥和派政治家としてのキャリアから来ているはずですが、本書のように戦前の言動を批判的に見られては立つ瀬がないですね。

43年7月、連合国軍がシチリア上陸、8月全島占領。

中学レベルの基本事項確認ですが、日独の降伏が1945年であるのに対し、伊は43年に決定的時期を迎えたことをチェック。

敵軍が伊本土に迫る状況で、国王と上記アンブロージョを中心とする軍、およびファシスト内部でのグランディら、という二つの陰謀が進行するが、この両者には直接・密接な関係は無かったとされている。

これらの計画は行動方針が不明確であり、ムッソリーニを完全に排除するのか、それとも彼に分離講和を結ばせるのか、休戦後に対独宣戦布告をするのか、それとも中立を守るのか、で意見は一致せず。

一方、親独的なファリナッチによる陰謀も存在した。

7月24日、ファシズム大評議会(ちなみにメンバー28人と記されているが、私はこの機関を国会に替わった同種のものと見なしていたので、もっと構成人数が多かったと思っていた)で、統治権を国家機関と分け合い、軍指揮権を国王に返還する動議を、グランディが提出。

この動議は、表向き王室批判の印象を与えていて、さらに事前にムッソリーニと協議した際、彼にとっても利益になると見せかけていた。

(王室に批判的なのに軍指揮権を国王に返還するというのは、危機的状況であるのに国王が安穏として自らイニシアティヴを取ろうとしないことを非難するといったニュアンスだったと思うが、確かではないです。この辺うろ覚えで申し訳ありません。)

上述の通り、グランディはファシスト内部での反ムッソリーニ計画の紛れも無い中心人物である。

この人の名は、塩野七生『サイレント・マイノリティ』で知ったが、これほど重要な役割を果たしていたとは本書で初めて気付いた。

裏切りを自覚しつつ、ムッソリーニは強硬措置に出ず、微妙な状況のまま採決が行われ、グランディ、デ・ボーノ、チァーノ、左派ファシストのボッタイら19人が賛成、事前謀議に関与していながら態度を翻したスコルツァら7人が反対、1人が棄権。

これは体制内部の政変であり、左派のレジスタンス神話は完全な虚構だとされている。

7月25日、国王謁見時にムッソリーニ逮捕。

バドーリョ政府成立、PNFなどを解散。

グランディはスペイン・ポルトガルを通じた講和打診のため出国、このため結果的に命が助かり、60年代まで伊に戻らず、後に自己正当化の色彩の強い文章を残している。

ムッソリーニは、ナポリ湾のポンツァ島からサルデーニャとコルシカ間にあるマッダレーナ島を経て、アペニン山脈のグラン・サッソ山へ幽閉される。

ちょっと詳しい概説書では、「大評議会での解任決議→国王による逮捕」という流れは載っているが、両者間はそもそも事前計画において密接な関係があったわけでなく、因果関係は明確ではない、前者は法的正当化の根拠となったのみで、決定的なのは後者の方だったとされている。

(しかし、モンタネッリの著書では、ファシスト内部の反抗を評価し、国王と軍には低い評価のみを与えているそうで、著者もそれに異を唱えるような記述は無く、この辺ちょっと不可解。)

このような伊内部での激変にも関わらず戦争は継続、イーデン(また出た)の主張によって爆撃が強化、8月にミラノ・トリノが空襲を受ける。

モンタネッリはこれを連合国の「盲目的な官僚的犯罪」と呼んでいるそうですが、伊でそうなら、東京大空襲や原爆投下で日本もいくらでも文句が言えます。

あくまで無条件降伏を要求する連合国とドイツ軍の脅威との板ばさみとなり、どっちつかずの態度をとるうちに、独軍が侵入し伊軍を武装解除。

9月、国王とバドーリョはローマ脱出、連合国と休戦、国民解放委員会(CLN)結成(反王政派が多数)。

結局10月に対独宣戦を行ったが、より早い段階で断固としてそうしていれば、独の抵抗を排除し、2年間の戦争と内戦を避け得たとされている。

9月にドイツが特殊部隊によってムッソリーニを奪還、以後のムッソリーニはペタンと同じく、傀儡色の強い役割を果たすことになる。

12月、サロでイタリア社会共和国を宣言、ナポリ以南のバドーリョ政権と対立するが、この両者が傀儡的存在だったと著者は評している。

サロ共和国では、左派ファシストによる社会主義政策が推進され、44年1月、チァーノ、デ・ボーノが処刑される。

同月南部での主権を認められたバドーリョ政権に、スターリンとトリアッティは暫定的支持を与えるが、6月にはボノーミ挙国一致政権に交替。

この時期の共産系パルチザンの活動はしばしば逆効果であり、不必要な報復を招いただけだった、サロ派もレジスタンスも少数派であり、大多数のイタリア人は中立派だったと書かれている。

44年6月、ローマ奪還、ノルマンディ上陸作戦。

45年4月になると、内戦は最終段階に達し、北伊に連合軍進入、ミラノへ政府移動。

連合軍はムッソリーニを生きたまま引き渡すよう指令していたが、捕らえられたムッソリーニは共産系パルチザンの独断によって処刑される。

当初それを堂々と明言し大いに誇っていた共産党が、法的手続きを無視した処刑方法と愛人のクラレッタ・ぺタッチまで惨殺したことに批判が高まるようになると、言葉を濁すようになる。

トリアッティに次ぐ共産党指導者ロンゴによる指示かとも思われる処刑は、4月28日に執行され、遺体はミラノ・ロレート広場で晒しものになる。

ジャーナリストのモンタネッリはその日、ロレート広場に居合わせた。彼はその日の光景について次のように書いている。その場面は「それを望んだ連中、それを許した連中、そして哀れな死体に向かって侮辱の言葉を投げかけ、つばを吐き、さらに悪質な形で汚した興奮した群衆の名誉を傷つけていた。《民衆》は、ほんの数ヵ月前まで喝采を浴びせていた男に対して、残忍な振る舞いにおよんでいたのだ」。

こうした、「多数者たる民衆の責任」を完全に欠落させた醜い復讐劇と集団リンチを取り上げて、「イタリアは戦争犯罪を自ら裁いたが、日本はそれを放棄した」なんて言うのはやはり当を失していると思う。

この2年間の内戦期間中、ドイツ軍は報復として1万人のイタリア人を殺害している。

一方、パルチザンによる殺害も2~3万人に及び、その少なからぬ部分が戦争終了後の大衆による犯罪と見なさざるを得ないと書かれている。

また、戦後ユーゴの指導者チトーがイストリア在住の(決してファシストとは言えない)イタリア人を1万人殺したことも指摘している。

4月30日、ヒトラーが自殺、欧州での戦火はようやく止む。

やっと終わりました・・・・・・。

訳者あとがきによりますと、本書の英語版は2003年刊、著者は自身をムッソリーニ批判派でも擁護派でもない「真実重視派」だと述べているが、実際にはこの記事でも引用した保守派ジャーナリストのモンタネッリや修正主義的な歴史家として知られたレンツォ・デ・フェリーチェの影響を受け、やや偏った立場も見受けられるとのことです。

だが、私はあまり気にならなかった。

下巻も400ページを超え、相当キツイが外交史・戦史の記述が多くなり、実に興味深く読める。

上巻はかなりだるい部分もあったが、通読してみるとやはり読んで良かったなと思う。

骨は折れるが、それだけの見返りはある。

かなり値段が張るが、図書館で借りればいいか。

しかし、貸し出し期間が2週間じゃ、延長無しでは読み切れないかも。

私は、上・下巻合わせて、3週間かかり切りになった。

欠点としては、やはり長過ぎること。

初心者は、ロマノ・ヴルピッダ『ムッソリーニ』(中央公論新社)でワンクッション置いた方がいい。

それで、余裕があれば取り組んで下さい。

2011年8月9日

30冊で読む世界史 その2

Filed under: おしらせ・雑記 — 万年初心者 @ 06:00

その1の続き。

ラテン・アメリカは、(16)高橋均『ラテンアメリカ文明の興亡 (世界の歴史18)』(中央公論社)で先史時代から現代までカバーできるので、即決。

全集モノで傑作があると、こういうとき楽です。

オセアニアはさすがに勘弁して下さい。

もし何か読むのなら竹田いさみ『物語オーストラリアの歴史』(中公新書)だけでいいでしょう。

しかし今の時代、アフリカは省略できんよなあと考え、(17)宮本正興『新書アフリカ史』(講談社現代新書)を挙げる。

イスラム・中東も中公の全集に(18)佐藤次高『イスラーム世界の興隆 (世界の歴史8)』(中央公論社)という名著があるのでほとんど迷わない。

本書がオスマン以前しか叙述していないというのなら、後藤明『ビジュアル版イスラーム歴史物語』(講談社)が非常にわかりやすい形式で現代までの西アジア全史を物語ってくれていますので、これで代用しましょう。

あと、菊地達也『イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史』(講談社選書メチエ)はタイトルが与える印象とは異なり、宗教史ではなく、やや詳しい通常の通史としても使えます。

一般常識レベルの本として、阿刀田高『コーランを知っていますか』(新潮文庫)で肩慣らしをして、現代史では藤村信『中東現代史』(岩波新書)辺りで基礎を作りますか。

続いて中央アジアですが、これがねえ・・・・・。

間野英二『中央アジアの歴史 (新書東洋史8)』(講談社現代新書)も、羽田明『西域 (世界の歴史10)』(河出文庫)もいまひとつとの感がある。

迷った末、やや簡略だが、(19)間野英二『内陸アジア (地域からの世界史6)』(朝日新聞社)を選択。

お茶を濁したとの印象が拭えませんが、これはオリエントと並んで今後の宿題にさせて下さい。

他に井上靖『蒼き狼』(新潮文庫)は有名な作品で読みやすいし、一読しておいてもいいでしょう。

なお杉山正明先生の『大モンゴルの時代 (世界の歴史9)』(中央公論社)など一連の著作は、初心者に勧めてよいものやら、判断に迷います。

インドに入ると、ここでも(20)山崎元一『古代インドの文明と社会 (世界の歴史3)』(中央公論社)と極めて使い勝手の良い本があるので、すぐ埋まる。

これもイスラム史と同じくムガル朝以前のみで全体をカバーしてないが、かと言ってターパル、スピィア『インド史 全3巻』(みすず書房)じゃ初心者にとってハードルが高すぎる。

この辺は網羅性をある程度犠牲にしても、挫折せず読み通すことを優先して上記本を採用。

加えてサブテキストして、渡辺照宏『仏教』(岩波新書)でも読んでおきますか。

東南アジアも個々の著作ではそこそこいいものがあるが、全域の通史ではすっと思い浮かぶものが無い。

永積昭『東南アジアの歴史 (新書東洋史7)』(講談社現代新書)は簡略過ぎて、ちょっとインパクトに欠ける。

思い切って柿崎一郎『物語タイの歴史』(中公新書)で通史の代用にするかとも思うが、いくら主要国でも一国史で全域の歴史を代表させるのは問題があるかと思い止まる。

結局、(21)石澤良昭 生田滋『東南アジアの伝統と発展 (世界の歴史13)』(中央公論社)を採用。

これは書名一覧で評価4となっていますが、今思うと「そんなに面白かったかなあ」との疑いが生じている。

しかし、まあ暫定的には基礎テキストとして採用しても大丈夫な本だと思います。

さて、やっと中国史まで来た。

通史としては、やはり(22)宮崎市定『中国史 上・下』(岩波書店)がベスト。

好き嫌いはあると思うが、個人的にはこの本は決して外せない。

ただし、クセがあってどうしても駄目だという場合は寺田隆信『物語中国の歴史』(中公新書)で代用できます。

冊数制限が無ければ、宮崎先生の本だけで10冊近くいってしまうのだが、厳選に厳選を重ねて、(23)宮崎市定『大唐帝国』(中公文庫)を挙げる。

史観の大胆さ、叙述の華麗さで並ぶものの無い、時代別通史の傑作。

そして、ギリシア史でヘロドトス・トゥキュディデスを挙げたのと同様に、中国史でも(24)『世界の名著 司馬遷』(中央公論社)に挑戦してみましょう。

これは初心者に通読できる形式・内容の古典ですので、是非読破しておきたい。

加えて、歴史小説の傑作、(25)司馬遼太郎『項羽と劉邦 上・中・下』(新潮文庫)を。

この本、面白過ぎますので。

全30冊なら、中国史で4冊費やせば、とりあえず打ち止めですかね。

宮崎氏の『科挙』(中公文庫)のような、定番中の定番も外さざるを得ない。

また、これもリストには入れられませんでしたが、中国現代史の基礎を固めるため、中嶋嶺雄『中国 歴史・社会・国際関係』(中公新書)でも読んでおきますか。

これ1冊でもこなしておけば、初心者にとっては大いに違います。

中国史は他分野に比べて日本語で読める啓蒙書の絶対数がはるかに多いので、他にも、このブログで挙げている、いないに関わらず、読みやすいものを読破していって、知識を地道に増やしていって下さい。

最後に朝鮮史を。

ここも迷う。

水野俊平『韓国の歴史』(河出書房新社)金両基『物語韓国史』(中公新書)姜在彦『歴史物語 朝鮮半島』(朝日選書)も、いまいち決め手に欠けるなあと思う。

金素雲『三韓昔がたり』同『朝鮮史譚』(講談社学術文庫)は読みやすいのはいいが、通史としてはやや物足りない。

と思っていたが、(26)岡崎久彦『隣の国で考えたこと』(中公文庫)を忘れていた。

これは疑いも無く傑作である。

基本、史論・評論のような本だが、一応後半部は簡単な韓国通史の形式になっているし、初心者には様々な面での効用が期待できる。

本書は1970年代末期の著作であり、岡崎氏の現在の政治的立場はほとんど反映されていないので、そうした面を気にする方はご心配不用です。

これは繰り返しページを手繰るべき本でしょう。

地域別カテゴリはこれまで。

テーマ的カテゴリから残り数点を抽出。

近現代概説より(27)林健太郎『二つの大戦の谷間 (大世界史22)』(文芸春秋)(28)野田宣雄『ヒトラーの時代 上・下』(講談社学術文庫)を挙げる。

これまで何度勧めたかも思い出せないほどだが、高校レベルの初心者にとって、この両著が与えてくれる効用は本当にずば抜けてます。

最も初歩的な現代史入門として最高の出来。

これらが新刊で入手できない状態を何とか解消して頂けないでしょうか。

もし復刊ということになりましたら、豆粒みたいなブログですが、大いに宣伝させて頂きますので、どうかよろしくお願い致します。

加えて、戦後世界史の概説書が一冊欲しい。

猪木正道『冷戦と共存 (大世界史25)』(文芸春秋)にしようか、それより少しは叙述範囲の広い猪木正道 佐瀬昌盛『現代の世界(世界の歴史25)』(講談社)にしようか、と迷いましたが、結局(29)高坂正堯『現代の国際政治』(講談社学術文庫)を採用。

完全な初心者にはやや良さがわかりにくい本かもしれませんが、やはりこれは外せないという結論に達しました。

これも噛めば噛むほど味の出る本で、数度通読する価値のある書物です。

あと一冊、最後に国際関係・外交分野から(30)高坂正堯『国際政治』(中公新書)を挙げてラストを飾る。

この本を読んだときの衝撃と感動は今もありありと心に浮かび、忘れられないものがある。

政治や外交について初心者が学ぶ際、是非とも通り抜けておくべき本と言えます。

また、ジョセフ・ナイ『国際紛争 理論と歴史』(有斐閣)も優れたテキストなので一読の価値有り。

なお、基礎的な道具類として、教科書・年表・事典のカテゴリを見て、高校教科書をどれか一冊手元に置いておくと宜しいかと思います。

(と言っても、山川出版社の『詳説世界史B』以外は入手困難でしょうが。)

あと、簡易世界史事典のつもりで『世界史B用語集』(山川出版社)を所持し、大型書店の受験参考書コーナーで歴史地図の付いた高校副読本のうち、気に入ったものを一つ購入する。

世界史関連本を読んでいく中で、気になった事項をこれらでチェックして、知識を確認していけばいいでしょう。

教科書と用語集は本棚に仕舞い込んで置くのではなく、机の上か床の上に無造作に放り出して置き、ほんの1分か30秒でもいいから、頻繁に手に取って適当なページをめくって目を通すことを意識してやると良い(トイレの中に持ち込むのも可)。

(私は『詳説日本史』(山川出版社)でそれをやって、知識の穴埋めにかなり効果が有りました。)

教科書が無味乾燥で嫌だという方には、中谷臣『センター世界史B各駅停車』(パレード)青木裕司『NEW青木世界史B講義の実況中継 全5巻』(語学春秋社)の二つを挙げておきます。

いきなり大学受験向け参考書はハードなので、小中学校レベルのもっと基礎的なことから始めたいという方には・・・・・・。

日本史なら迷うこと無く、各社から出ている「学習漫画日本の歴史」の類をお勧めするのですが、同種の世界史漫画シリーズはちょっとよくわかりません。

何か適切なものを見つけたら、またこのブログで取り上げるつもりです。

なお、現代史を知るための対策として、紙の新聞を一紙購読して、国際面だけでいいので、毎日隅から隅まで読むのもいいかもしれません。

各国別、地域別類書があってもすぐ情報が古くなるのが厄介ですが、新聞の記事・解説を我慢して読み続けていると、ある程度の知識が付いてきます。

大雑把過ぎる紹介でしたが、とりあえず終わりました。

以下、一度に30冊並べてみます。

(1)ウィリアム・マクニール『世界史』(中央公論新社)

(2)宮崎市定『アジア史論』(中公クラシックス)

(3)岸本通夫『古代オリエント (世界の歴史2)』(河出文庫)

(4)『世界の名著 ヘロドトス・トゥキュディデス』(中央公論社)

(5)澤田典子『アテネ民主政』(講談社選書メチエ)

(6)モンタネッリ『ローマの歴史』(中公文庫)

(7)井上浩一『ビザンツとスラヴ (世界の歴史11)』(中央公論社)

(8)アンドレ・モロワ『英国史 上・下』(新潮文庫)

(9)アンドレ・モロワ『フランス史 上・下』(新潮文庫)

(10)アンドレ・モロワ『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)

(11)坂井栄八郎『ドイツ史10講』(岩波新書)

(12)藤沢道郎『物語イタリアの歴史』(中公新書)

(13)林健太郎『ワイマル共和国』(中公新書)

(14)セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)

(15)ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)

(16)高橋均 網野徹哉『ラテンアメリカ文明の興亡 (世界の歴史18)』(中央公論社)

(17)宮本正興『新書アフリカ史』(講談社現代新書)

(18)佐藤次高『イスラーム世界の興隆 (世界の歴史8)』(中央公論社)

(19)間野英二『内陸アジア (地域からの世界史6)』(朝日新聞社)

(20)山崎元一『古代インドの文明と社会 (世界の歴史3)』(中央公論社)

(21)石澤良昭『東南アジアの伝統と発展 (世界の歴史13)』(中央公論社)

(22)宮崎市定『中国史 上・下』(岩波書店)

(23)宮崎市定『大唐帝国』(中公文庫)

(24)『世界の名著 司馬遷』(中央公論社)

(25)司馬遼太郎『項羽と劉邦 上・中・下』(新潮文庫)

(26)岡崎久彦『隣の国で考えたこと』(中公文庫)

(27)林健太郎『二つの大戦の谷間 (大世界史22)』(文芸春秋)

(28)野田宣雄『ヒトラーの時代 上・下』(講談社学術文庫)

(29)高坂正堯『現代の国際政治』(講談社学術文庫)

(30)高坂正堯『国際政治』(中公新書)

以上、もちろん単なる叩き台に過ぎませんので、皆様の好みやレベル、あるいは入手し易さに従って適当に取捨選択して下さって結構です。

中央公論社の本で半分を占めていたりと、私の好みがはっきり出過ぎているかもしれませんが、一定の冊数以内で最低限の目途が付くということを示せただけでも、このリストの意味があるかと。

中公新版世界史全集を挙げて、巻数もちょうど30だしそれ読んでください、で済ませるのも芸がないですしね。

30冊ということは一月2冊読むとして、一通りこなすのに一年ちょっとですから、私ほどの暇人じゃない方にも比較的現実的な数字だと思います。

研究者でもセミプロ的達人でもない、少々世界史に興味があるという位の、私と似たレベルの方にとって、何かのお役に立てれば幸いです。

本日で通算1000記事目です。

はじめにおしらせ・雑記引用文を除いて、紹介冊数で言うと850弱です。

(そのうち、通読していないのに記事にした分がかなりありますが。)

予告通り、当分の間更新を停止させて頂きます。

再開未定です。

それでは皆様、御機嫌よう。

2011年8月4日

30冊で読む世界史 その1

Filed under: おしらせ・雑記 — 万年初心者 @ 06:00

これまで結構な数の本を紹介してきましたが、ブックガイドとしては乱雑過ぎて、どれを読もうか迷う方がいるかもしれません。

このブログを隅から隅まで読む暇のあるのは、間違いなく書いた本人だけでしょう。

一応地域別カテゴリテーマ的カテゴリに分かれた書名一覧があり、各書を五段階で評価してますので、評価5または4の本を優先して読んで頂くという手もありますが、それでも数が多いし、初心者には向かない本もある。

そこで、以下の基準に則り、暫定的な必読書リストを作ってみることにしました。

(1)地域別カテゴリを基本に30冊で初心者が世界史を概観できるリストを作る(ただし近代日本は除外)。

(2)長大なシリーズものでない限り、上・下巻などは「合わせて1冊」と数える。

(3)初心者が通読困難な古典的著作などは入れない。

(4)網羅性に出来るだけ配慮するが、叙述範囲が広いというだけの、つまらない本は挙げない。

(5)個人の理解度・嗜好・費やせる時間の違いを考慮して代替書を出来るだけ挙げる、また個別的テーマに関わる本や最も初歩的な段階を脱した時点で読む発展的テキストなども適時提示する。

補足として、なぜ30冊なのかと言うと、10冊・20冊ではさすがに少なすぎて世界史をカバーするのは不可能、40はキリが悪い、50だと少し多すぎる、100は論外、という感じです。

では、早速はじめましょう。

まず、最も広い範囲を対象とするものとして、アジアヨーロッパから、(1)ウィリアム・マクニール『世界史』(中央公論新社)(2)宮崎市定『アジア史論』(中公クラシックス)を挙げる。

世界史全体を概観する本としては、私の知る限りこの二つが白眉。

同じ宮崎氏の『アジア史概説』(中公文庫)でもいいが、やや量が多いので上記本を。

ただし必ず最初にこの二書を読むべきだというのではありません。

ここで挫折してもしょうがないので、以下に挙げる本のうち、特に興味の持てるもの、読みやすそうなものから読んで頂いた方がいいです。

もちろん最初に読んでも構いませんが、まとめの意味で最後に読んでもいいでしょう。

その辺は臨機応変に。

さて、それから個々の地域に入るわけですが、オリエントでいきなりつまづく。

そもそも苦手分野だし、「これは」と思う本に出会ったことも無い。

中公旧版全集の貝塚茂樹『世界の歴史1 古代文明の発見』(中公文庫)は面白かったが、オリエントではなく中国やインドが主流だし、三笠宮崇仁親王『ここに歴史はじまる (大世界史1)』(文芸春秋)杉勇『古代オリエント (世界の歴史1)』(講談社)ももう一つインパクトに欠けるし、青木健『アーリア人』(講談社選書メチエ)で代用するのもちょっと違う気がする。

やむを得ず、消去法で(3)岸本通夫『古代オリエント (世界の歴史2)』(河出文庫)を選択。

自分でもやや不本意ですが、ご容赦下さい。

ギリシアでは、まず(4)『世界の名著 ヘロドトス・トゥキュディデス』(中央公論社)を。

「おいおい、古典的著作は入れないんじゃなかったのか?」と言われるでしょうが、これは少々無理しても読む価値有り。

高校教科書に名前が出てくるような史書では絶対外せない定番ですし、読了すれば非常な充実感が持てる。

それが自信になって、プルタルコス『英雄伝』(ちくま学芸文庫)カエサル『ガリア戦記』(講談社学術文庫)スエトニウス『ローマ皇帝伝 上・下』(岩波文庫)タキトゥス『年代記 上・下』(岩波文庫)などの著作に挑戦する足掛かりにもなる。

教科書には「ヘロドトスが物語風歴史、トゥキュディデスが『科学的』(ないし批判的)歴史」というふうに書いてますが、実際上記訳書に当たってみると、その区別が実感できます。

分量的にはヘロドトスの方が大分多いが、比較的スラスラとページを手繰れます。

しかしトゥキュディデスに入ると、一気に読むスピードが落ちるでしょう。

だが両者とも抄訳なので、ちょっとだるいなと思った頃に省略となるので、初心者にとっては助かる。

岩波文庫の全訳(『歴史 上・中・下』『戦史 上・中・下』)に取り組む前にこちらで肩慣らしをしておきましょう。

あと、普通の概説書として(5)澤田典子『アテネ民主政』(講談社選書メチエ)がよくまとまっていて有益。

他に個別的分野の本として、森谷公俊『王妃オリュンピアス』(ちくま新書)が大傑作なのだが、冊数の都合で泣く泣く落とす。

ローマは、初心者にも読みやすい(6)モンタネッリ『ローマの歴史』(中公文庫)を。

あるいは、塩野七生『ローマ人の物語』(新潮社)のうち、最初の二巻『ローマは一日にして成らず』(新潮文庫)『ハンニバル戦記』(新潮文庫)をとりあえず読むということでもよい。

「全15巻のうち、1、2巻だけ読むの?」と言われるでしょうが、私はそういうのも「有り」だと思います。

それにこのシリーズの出来は、1、2巻と4巻5巻がピークで、後は落ちる一方ですから。

実はローマ史は上記モンタネッリ1冊のみ。

いくら全30冊といってもそりゃないだろう、と我ながら感じるので、せめて南川高志『ローマ五賢帝』(講談社現代新書)を入れようかと思ったのですが、これもやむを得ず除外。

ただし初心者向け啓蒙書としては、真っ先に読むべき本だとは申し上げておきます。

他には、一般常識を得るために阿刀田高『旧約聖書を知っていますか』(新潮文庫)同『新約聖書を知っていますか』(新潮文庫)を、有名人物の伝記的作品として秀村欣二『ネロ』(中公新書)辻邦生『背教者ユリアヌス』(中公文庫)を推薦します。

そして出来れば最終的には、エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』(ちくま学芸文庫)の通読に挑戦して頂きたいと思います。

ビザンツは、井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)でもいいが(7)井上浩一『ビザンツとスラヴ (世界の歴史11)』(中央公論社)ならロシア東欧もカバーできてお得。

欧米史では、(8)アンドレ・モロワ『英国史 上・下』(新潮文庫) (9)同『フランス史 上・下』(新潮文庫)(10)同『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)、とこれでイギリスフランスアメリカ主要国三つが一気に埋まった。

度々述べておりますが、この三部作の効用は初心者にとって驚くほど高い。

中央公論様、新潮から版権を買い取って文庫で復刊されては如何でしょうか。

ドイツが無いなあと思われるでしょうが、ご心配無用、(11)坂井栄八郎『ドイツ史10講』(岩波新書)という最適な本がございます。

イタリアはもちろん(12)藤沢道郎『物語イタリアの歴史』(中公新書)で決まり。

上記英仏米独伊五ヵ国についての通史代替書・個別的分野参考書は多過ぎて挙げ切れない。

通史では、まず福田恒存『私の英国史』(中央公論社)をこなした後、やや程度が高くなるが、トレヴェリアン『イギリス史 全3巻』(みすず書房)ピエール・ガクソット『フランス人の歴史 全3巻』(みすず書房)ゴーロ・マン『近代ドイツ史 1・2』(みすず書房)の三点を読破できれば申し分なし。

ゴーロ・マン著は30冊リストの中に入れたい位だが、分量が多めなので泣く泣く除外。

しかしこの本は本当に優れています。

難解な概念を使わず、政治と社会と思想の流れをパノラマのように見せつつ、押し付けがましくない一貫した史観を提示し、人物の魅力的描写に力を注ぎ、しかもそれを日本の高校レベルの読者にも翻訳では読めるレベルで成し遂げているのだから、ほとんど神業である。

機会があれば是非お読み下さい。

個別テーマ対象の本としては、ドイツ史関連から(13)林健太郎『ワイマル共和国』(中公新書)(14)セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)をピックアップ。

冊数からして通史的著作以外の本を挙げる余地は極めて小さいが、この二つは初心者向け啓蒙書の傑作として外せない。

ハフナーの本は、他にも『ドイツ帝国の興亡』(平凡社)『図説プロイセンの歴史』(東洋書林)も強くお勧めします。

モンタネッリの『ルネサンスの歴史 上・下』(中公文庫)も是非。

上記に加えて(15)ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)も。

この本も得られる知識の効用の高さ、史観の公平さ・客観性がずば抜けており、初心者必読。

他の啓蒙書では、書名一覧の評価も参考にして、佐藤賢一『英仏百年戦争』(集英社新書)同『カペー朝』(講談社現代新書)菊池良生『神聖ローマ帝国』(講談社現代新書)藤沢道郎『メディチ家はなぜ栄えたか』(講談社選書メチエ)など読みやすいものを手に取り、出来るだけ数をこなすことを意識して頂くと宜しいかと。

続いてダフ・クーパー『タレイラン評伝 上・下』(中公文庫)プティフィス『ルイ16世』(中央公論新社)など、やや程度の高いものにも取り組んで下さい。

スペインは0冊ですが、もし入れるなら、あまり知られていない本ですが、茨木晃『スペイン史概説』(あけぼの印刷社)を。

ついでに挙げると、ツヴァイク『マゼラン(附アメリゴ)』(みすず書房)は極めて面白い伝記。

オランダも迷ったんですが、結局岡崎久彦『繁栄と衰退と』(文春文庫)は入れず。

読む場合、日米関係がどうたらとかいう現在の問題に引き付けて論じた部分が鬱陶しければ飛ばしていいでしょう。

それを差し引いても、この岡崎氏著は実に面白い歴史物語です。

東欧・北欧の北欧部分は、もし読むのなら、とりあえず武田龍夫『物語北欧の歴史』(中公新書)1冊でいいんじゃないですか。

ロシアでは、上記『ビザンツとスラヴ』の他、ソ連史の名著として、ジョージ・ケナン『レーニン・スターリンと西方世界』(未来社)もリストに入れたかったのだが、全くの初心者では通読困難ということで、やむを得ず外した。

とはいえ、本当に多くの有益な視点が含まれた傑作ですので、余裕があれば是非お読み下さい。

ちょうど半分の15冊まで行きましたので、本日はこれまで。

続きは次回。

(追記:続きはこちら→30冊で読む世界史 その2

2011年7月26日

戦前昭和期についてのメモ その6

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その5に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1936(昭和11)年、二・二六事件、広田弘毅内閣、軍部大臣現役武官制復活、日独防共協定、ロンドン海軍軍縮会議脱退(ワシントン、ロンドン海軍条約失効)。

世界では、英ジョージ5世崩御、シンプソン事件でエドワード8世退位、ジョージ6世即位(~52年)、仏ブルム人民戦線内閣、独ラインラント進駐(ロカルノ条約破棄)、西人民戦線政権とスペイン内戦、ベルリン・ローマ枢軸結成、ソ連大粛清本格化(ジノヴィエフ、カーメネフ処刑)、スターリン憲法、中国では西安事件。

日本では二・二六事件の悪影響で政治的リーダーシップが一層希薄となり、定見無く強硬策を唱えるだけの軍部がますます力を得る。

ナチス・ドイツが自国内での軍配置という形ではあるが国際条約を破棄し(ラインラント進駐)、国外(スペイン)の内戦に介入し、イタリアとの関係を固めるなど、攻撃的政策を採り始める。

それに対し英仏は迅速に対応できず、ソ連ではスターリンが狂気のような弾圧に耽る始末。

この年、米国ではルーズヴェルトが再選されているが、孤立主義的世論は根強いものがあり、さらに翌37年には不用意な財政支出削減によって米経済の再崩壊が訪れる状況。

そして西安事件により、共産党を蘇生させることを悟りつつもナショナリズムに押し流された蒋介石政権が対日融和策を放棄せざるを得なくなり、これまで通りの対中政策がもたらす危険が桁違いに高まっている状況下で、よせばいいのに、日本は日独防共協定で対独接近への第一歩を踏み出す(ただし協定締結は11月、西安事件は12月とやや時期は前後する)。

二・二六事件で殺害された三人の主要人物名は、教科書にも載ってることだし、役職名と共に憶えましょう。

高橋是清蔵相、斉藤実内大臣(前首相)、渡辺錠太郎陸軍教育総監。

岡田啓介首相は、人違いで別人(義弟だったか)が襲われ無事。

鈴木貫太郎侍従長(終戦時の首相)も重傷を負う。

事件後、皇道派は排除されるが、反って統制派の政治支配に歯止めが利かなくなる。

浜田国松議員と寺内寿一陸相の割腹問答(演説)も空しく、広田内閣下、議会主義と政党政治は後退する一方となる。

たまに右寄りの人で二・二六で蜂起した青年将校に共感を示す人がいるが、私は到底同意できない。

そうした見方に何一つ真理が無いとは言わないが、後世への悪影響があまりにも大き過ぎる。

なお、この部分では著名な人物についての意外な一面を描写している。

まず、ワシントンおよびロンドン海軍軍備制限条約失効により無条約時代に入った海軍で、山本五十六が対独接近を主導したことが記されている。

もちろんドイツと結んで米英と戦うつもりは無く(実際よく知られているように後年三国同盟と対米宣戦に反対している)、米英との関係が疎遠になった分、ドイツから軍事技術を得ることのみを目的としたものだったとされているが。

山本は海軍の理性的穏健派として人口に膾炙しているが、著者の評価はあまり高くないようである。

翌37年盧溝橋事件に際して内地師団動員に賛成し、38年第2次上海事変で出兵を主張、加えて国民政府との和平交渉打ち切りを支持した近衛内閣海相の米内光政なども、次の巻では世評に反してかなり厳しく批判されそうですね。

もう一つ、広田内閣組閣時、外相候補となりながら軍部の横槍で就任できなかった吉田茂について。

駐英大使として赴任したが、不用意に日ソ戦勃発時の英国の態度に探りを入れ、英国の疑念を招き警戒され、信任が薄くなったと書かれている。

こういう普通肯定的に見られている人物でも、問題点を指摘するのは適切だと思う。

あと、メモすることと言えば・・・・・。

ヒトラー政権は1933年から1945年まで、12年間存続。

第二次世界大戦勃発が1939年だから、「平時のナチズム」と「戦時のナチズム」は奇しくもちょうど6年ずつ。

しかし区切るのなら33~37年と38~45年で分けた方がいいか。

保守派の国防相ブロムベルクと外相ノイラートを解任し完全な独裁体制を固め、オーストリアとズデーテン地方併合で国外への本格的侵略が始まったのが38年なので。

この二つはドイツ系住民の居住地であり、ナチ政権の体質に意図的に目を瞑れば、まだギリギリ「民族自決」の美名で正当化することもできたが、39年にヒトラーが、自ら英仏に強要したミュンヘン協定すら破り、チェコ(ベーメン・メーレン)を併合しスロヴァキアを保護国化することにより、さすがにチェンバレンと西側世論の堪忍袋の緒が切れ、ポーランドへの領土保証→第二次大戦勃発ということになる。

非常に読みやすく、面白い。

短い期間が叙述範囲だが、その分一年ごとに教科書や年表で復習すると、初心者には極めて効用の高い読み方ができる。

国際情勢に関する記述は他の本で補強が必要だし、35年の華北分離工作についてまとまった記述が無いのは大きな欠点だが、他には目立つ短所は無い。

年号など細部を記憶することにより、凡庸かつ通俗的な「歴史の流れ」を受け入れるのではなく、真に意味のある「歴史のイフ」を考えることができるという意味の文章を以前引用しましたが(内田樹6)、本書に関する記事ではそれを少しは実感して頂けたでしょうか?

(と言っても、ほぼすべて、本書の見解を含め他人の受け売りですが・・・・・。)

著者の福田氏は、書く媒体によって作品の玉石混交が激しいという印象を持っていますが、これは間違いなく「玉」の方です。

熟読玩味するに足る良書。

このシリーズを基本書にして、他の本で肉付けして昭和史を学んでも良い。

お勧めします。

2011年7月22日

戦前昭和期についてのメモ その5

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その4に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1935(昭和10)年における日本の岐路を再び考察。

この年、日本は対英協調による幣制改革支援を拒否、華北を勢力圏下に置く政策を推進することにより、中国との全面対決路線へ向かう。

35年末の冀東政権成立と41年7月の南部仏印進駐が、それぞれ日中戦争と日米戦争の「ポイント・オブ・ノーリターン」となったとの見解を読んだことがある。

それくらい、この年の華北分離工作は致命的。

英国の宥和政策にもし乗っていれば・・・・・・。

英国とそれに続くヨーロッパ諸国の満州国承認によって、中国ナショナリズムは拳の振り下ろし所を失い意気消沈、蒋介石は対日和解を進めると共に共産党討伐を継続できる。

日本が満州国の黙認だけを求め、長城以南の中国本土には一指も触れず、治外法権撤廃や関税自主権回復などの問題でむしろ協力的態度を示せば、日中関係を安定軌道に乗せることは、この時期まだ十分可能だったはず。

スティムソン・ドクトリン(不承認政策)を掲げる米国も、こうなっては現状を黙認するほかない。

ところが実際には、低俗かつ無責任な国内世論に流され、全く逆の強硬策を採用し破滅的結果をもたらすことになる。

2年後の37年には日中戦争が勃発し、泥沼の長期戦で全く身動きが取れなくなった状態で米英との対立を深め独と接近、39年第二次世界大戦勃発、41年日米開戦となる。

35年から2年ごと、奇数年に状況が劇的に悪化しているのをチェック。

史実では、35年の対中強硬策が2年後の日中全面戦争に繋がり、政策選択の幅を異常に狭めた状態でそのさらに2年後、欧州の第二次世界大戦勃発を迎えたわけだが、この時フリーハンドを持っているのといないのとでは、天と地ほどの違いがある。

また、欧州での英仏vs独伊とアジアでの日本vs中国の各陣営が、実際の史実の通り結びつかなければならない必然性は無かったはず。

そもそも33年日本の国際連盟脱退に際して、リットン報告書採択時、日本だけが反対(タイ[シャム]のみ棄権)ということは、考えれば独伊とも日本とは反対陣営にいたということ(日本の脱退は3月、独の脱退は同年10月)。

南京国民政府はドイツから多くの軍事援助と軍事顧問団を受け入れ(ナチ政権成立後も)、そのため日中戦争初期の戦いは一面「日独戦争」の側面すら見られた(松本重治『上海時代 下』(中公文庫)参照。ドイツに言わせれば共産党討伐を続ける蒋介石を背後から攻撃することこそ日独防共協定に反するということだろうが)。

(さらに言えば必ずしも左翼的立場でない史家でも、蒋介石政権自身がファッショ的傾向を持っていたとする見方もある。)

もし35年に違った対中政策を採って37年の全面戦争が避けられていたとしたら・・・・・・。

欧州での大戦勃発に際しては、時間稼ぎをし、形勢を展望する余裕も持てたはず。

仮に史実の通り36年に日独防共協定を結んでいたとしても、独ソ不可侵条約でそれは実質白紙化されているのだから、黙ってヒトラーが滅びるのを傍観しておればよい。

何があっても軽挙妄動せず、どんな挑発にも乗らず、世界第二位(あるいは三位)の海軍力を盾にし、(史実では南部仏印進駐後くらった)石油禁輸だけは宣戦布告を意味すると大々的に宣言して米英世論に釘を刺し、ハリネズミのように極東で独自路線を貫けばよかった。

米英両国も、どうせ何もできやしません。

ナチ打倒を最優先する以上、自ら第二戦線を開く決断は、当時の米国のような桁外れの国力を持った国でも、そう簡単にはできないはず。

それで戦後ドイツ問題をめぐって米ソ冷戦が始まれば、きっと向こうから擦り寄ってきますよ。

フランコ政権下のスペインに対してもそうだったし、まして日本の国力と戦略的地位はスペインの比じゃない。

その場合の日本は、300万人の同胞が死ぬこともなく、国民政府統治下の中国と和解し、中国共産党を辺境部に逼塞させ、米英など西側諸国とは不即不離の関係を保ち、外国軍隊を国土に駐留させることもなく、自らの軍事力でソ連の脅威に対抗することになる。

国際情勢の激変を受け、国内では軍部と極端な国粋主義の勢力は後退し、政党政治が復活し、明治憲法の欠陥を一部是正した上で、正常な議会政治を運営していたでしょう。

(政党政治と議会主義の復活が即ち「民主主義の復活」であるとは、私は思わない。無思慮で矯激なだけの衆愚的匿名世論の影響を退け、少数の責任ある議員による統治に戻ることはむしろ「民主主義の後退」、あるいは控え目に言っても「直接民主制から間接民主制への移行」である。戦前日本に必要だったのはまさにこういう意味で「民主主義を抑圧し後退させること」だったはず。議会主義を民主主義とイコールだと思っている人は、議会が民意を間接的に汲み上げるための制度であると同時に、民衆の意思を直接的には反映させないための制度であることを忘れている。)

朝鮮・台湾・南洋諸島には自治が与えられ、満州国は真の独立国に相応しい内実を持つようになり、日本帝国は英連邦のような形で存続したかもしれない。

真に安定した、秩序ある自由の唯一の根源である伝統と歴史的継続性を、深い傷を負わせることなく保守し、デモクラシーの風潮を半分ではやむを得ないものとして受け入れつつ半分では主体的に拒否する選択を行なうこともできたかもしれない。

「何でそうならなかったのか???!!!」と切歯扼腕せずにいられない。

私はそういう日本に生まれたかったです。

35年は二回に分かれてしまいました。

次回36年と全体の感想を書いて終わります。

2011年7月17日

戦前昭和期についてのメモ その4

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その3に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1935(昭和10)年、天皇機関説問題・国体明徴声明、対中外交上の広田三原則、梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定、冀東防共自治委員会(のち自治政府)設置などの華北分離工作、永田鉄山斬殺(相沢事件)。

世界では、ストレーザ戦線、伊エチオピア侵入、英マクドナルド挙国一致内閣退陣、ボールドウィン保守党内閣成立、仏ソ相互援助条約、独再軍備宣言、ザール併合、ニュルンベルク法制定、英独海軍協定、コミンテルン第七回大会で人民戦線戦術採択、中共八・一宣言、南京国民政府幣制改革、米中立法およびワグナー法。

上記の通り、教科書レベルの出来事だけ挙げても、極めて事件の多い年であることがわかる。

この1935年は国際情勢の対立構造変化の年として極めて重要。

まず、前34年のオーストリア危機を契機に英仏伊3ヵ国の反独包囲網であるストレーザ戦線が成立したかと思いきや、イタリアのエチオピア侵攻により英仏と伊が離反、独伊が接近し枢軸陣営形成に向かうという変化が最重要事項。

日本は、排日運動停止・満州国黙認・共同防共の三つを見返り無しで一方的に南京国民政府に要求する広田三原則を提示。

国民党機関を河北省とチャハル省から撤退させた上記二つの協定締結、冀東防共自治政府設置により、満州のみならず長城を超え華北までも自らの勢力下に置く姿勢を示したため、国民政府内の親日派は失墜、蒋介石も国内の過激な反日ナショナリズムを制御できなくなり、翌36年には西安事件が起こる。

日本は、33年塘沽(タンクー)停戦協定で得た、何よりも貴重な日中関係の小康と安定状態を愚かにも自ら捨ててしまう。

日中両国が排外的ナショナリズムの虜になり、妥協と冷静さを説く同国民を「売国奴」として排撃し、互いに傷つけあった結果、日本は有史以来未曾有の敗北、中国は国土の荒廃を代償にした惨勝およびその直後の共産化と、双方が致命的な破局を迎え、結局漁夫の利を得たのは米国と共産勢力のみ。

こういう歴史だけは繰り返したくないものです。

以上まとめると、欧州では英仏および独伊の各陣営が形成され始め、東アジアでは日本と中国が再び全面対決路線に向かう一方、ソ連は仏ソ条約と人民戦線戦術で西側に接近しつつも独との了解への可能性を残し各陣営を両天秤にかけ、米国は国内の孤立主義的世論に拘束されて中立を保つが同時に介入の機を窺う、というのがこの1935年の情勢。

他に補足として何点か。

7月林銑十郎陸相が真崎甚三郎教育総監を更迭し、皇道派・統制派の対立激化、相沢三郎が軍務局長永田鉄山を殺害すると林陸相辞職、後任は川島義之、この陸相の下で二・二六事件を迎える。

第一次大戦でドイツから一時分離されていたザール地方がドイツに併合されており、ヒトラー政権成立後初の領土拡大だが、これは国際協定に基づく住民投票によるものであり、別段不法なものではない。

29年労働党首班として第2次内閣を組織したマクドナルドが労働党を除名されつつ31年挙国一致内閣を成立させ、それがこの年まで続いている。

マクドナルド退陣後ボールドウィン内閣、これに続くのが37年成立し、ヒトラーに対する宥和政策で有名な(悪名高い)ネヴィル・チェンバレン内閣。

チェンバレンはボールドウィン政権にすでに蔵相として入閣しており、ボールドウィン内閣時代から上記英独海軍協定など宥和政策の萌芽が見られる。

このイギリスの対外政策に絡んで、1935年日本はその運命を決する重大な分岐点を迎えていた。

蔵相ネヴィル・チェンバレンの意を受けて、英政府最高財政顧問サー・フレデリック・リース=ロスが来日、日英が提携して中国への共同借款を供与、中国に強力な中央銀行を設立、幣制改革を遂行し、代わりに英国と中国が満州国を承認するという提案を行なう。

チェンバレンは、勃興しつつあるナチス・ドイツの脅威に対抗するには、日本との融和を進める必要があると考えていた。日本との関係を修復し、日本を国際秩序の担い手として復帰させようというのである。そのためには、イギリスとともに中国にも満州国を承認させ、その上で国際聯盟に日本を再加入させるというスケールの大きな外交戦略を抱いていた。

・・・・・・・

日本にとって願ってもない提案といってよいだろう。両国が満州国を承認してくれれば、孤立が解消されるだけでなく、満州の体制も磐石になる。たとえ、中国が承認を拒んだとしても、イギリスが承認する意味は絶大である。イギリスが承認すれば、不承認政策を掲げるアメリカは別として、他のヨーロッパ諸国が承認する可能性がある。

・・・・・・・

イギリスは、中国経済を安定させることで、自国の在中権益を守るとともに、日本との関係を改善し極東での主導権を回復させることができる。さらに日本をドイツから遠ざけて、イギリスと利害を共有させることもできる。

チェンバレンが対独宥和の数年前に行なったこの対日宥和政策に乗っていれば、日本の運命は全く変わっていたはずである。

硬直した原則論を振り回すことしか知らず、各国の対立状態を深めるだけの米国に比べ、全当事者が多少なりとも利益を得て、同意可能な現実的妥協案を出してくるところは、さすが英国外交との感想を持つ。

岡田内閣の高橋是清蔵相は即座に賛同し、提案受諾を強く主張する。

しかし陸軍のみならず、広田弘毅外相、重光葵外務次官が反対に回ると書いてあるのを読むと、「おいおい、何考えてんですか???」と言いたくなる。

重光葵というと、小学生の頃から名前を知っていた人物で、のちに不自由な身体を押しての戦艦ミズーリ上での降伏文書調印や、戦後鳩山内閣での外相就任と国連加盟達成など、平和と協調に尽くした外交官とのイメージがあり、著書『昭和の動乱』も面白く読めたが、時々妙な行動を取っていますねえ。

広田弘毅はもっと酷い。

この最初の外相就任時に、英国と協調した幣制改革への協力拒否と陸軍による華北分離工作黙認がまずあり、翌36年二・二六事件で首相に就任した後は軍部大臣現役武官制復活と日独防共協定締結、37年第1次近衛内閣で再度外相に就任するや、盧溝橋事件直後の現地停戦協定を無視して内地師団動員に賛成、トラウトマン工作を拒絶、38年「爾後国民政府を対手とせず」との第1次近衛声明を発表と、とにかく要職在任中、本当にろくな事をしていない(服部龍二『広田弘毅』(中公新書)参照)。

本書での著者の筆致は、

広田弘毅外務大臣が、とどめを刺した。「満州国の承認といったことは支那の利益にこそなれ、満州国の利益にはならない」と述べ、「いずれにしろ、イギリスが口を出すことではない」と断言した。後の展開を考えれば、広田の一言が日本を滅した、と言ってよいかもしれない。その罪は、あらゆる軍の将帥より重いと云い得るだろう。

と、驚くほど厳しいものになっているが、これはそう言われても仕方がないところでしょう。

この判断ミスは本当に致命的です。

責任感のかけらも無く、狂った多数派の意見に異を唱える穏健な人々を集団で攻撃することで得られる快感を国家の運命よりも優先する、汚らわしい衆愚どもが作り出す世論に屈従したのか。

東京裁判が正当だとか、死刑になって当然だとは全く思いませんが、やはり広田の責任は、文官では近衛に並んで重いと言わざるを得ないのではないでしょうか(上記衆愚的世論を煽った人間とそれに付和雷同した大衆が、罰することは極めて難しいが、最も罪深く嫌悪すべき存在であることは大前提として)。

岡崎久彦『重光・東郷とその時代』(PHP文庫)では日本自身の軍備拡張と満州国への投資に加えて、中国へ経済支援を与えてアジア情勢を安定させるには、畢竟日本の国力が足りなかった、このわずか数年後日中戦争開戦でかつて幣制改革で求められた額の何倍もの戦費を負担することを思えば、この時の英提案に応じるべきだったと言えるが、そこまで見通せないのが人間の常だ、と述べられている。

(ちなみに上記本では高橋蔵相はじめ大蔵省も対英協調消極派のように書かれているが、単に言葉が足りないだけか?)

とは言え、単に後知恵だと片付けるには、この時あまりに惜しいチャンスを日本は逃している。

当時の日本に必要だったのは、確固たる指針を持った責任ある少数者の指導とそれに対する民衆の信頼と服従であって、「自由と民主主義」ではないです。

粗暴で過激な意見がメディアによって何の制限もなく広められ、数の力で賢明な少数者を抹殺したことを見れば、言論の自由と民主主義はむしろその梃子になったと解釈した方がよほど実態に合っている。

左翼的言論は厳しく取り締まられていたが、右翼的言論は野放し状態で(こうした偏った自由も民衆の主体的選択によって生まれたもの)、「国体明徴」「臣道実践」など表向き右派的言辞を弄することによって、実質的には左派と相通ずる、民衆の既成支配層に対する理不尽・無責任・非道徳的で不遜な反抗がほとんど無限に正当化されてしまっている。

言論・出版の自由と社会の平等化が進行することによって政治的発言権を持つ人間の数が増えれば増えるほど、議論の質が止めどなく低下する。

粗雑な単純化と罵詈雑言と印象操作が横行し、熟慮や冷静な議論といったものが社会から一切消え失せ、大衆迎合的な煽動者と多数派民衆が作り出す衆愚的世論が権威主義的な少数派支配層を押しのけて全てを支配し、国家を乗っ取る。

社会の表面上に現れる瞬間的「民意」が絶対視され(そして世論を作り出す民衆の資質は決して問われることがなく)、それに逆らう少数派は「非国民」「売国奴」という誹謗中傷と名誉毀損に晒され、場合によっては特に愚かで凶暴な多数派分子によるテロリズムの標的にすらなる(戦後は多数派が貼るレッテルが「保守反動」「非民主的」に変わっただけ。そして最近は左翼思想の替わりに排外的ナショナリズムをおもちゃにするようになった大衆が少数派へのリンチを愉しんでいる)。

戦前日本においては、民主主義が軍国主義に取って替わられたのではなく、政党・官僚・旧財閥・宮中側近などの上層既成勢力の間接民主制が、対外強硬論と国内既成勢力打破を主張する極右革新派に煽られた下層民の直接民主制によって打倒され、その直接民主制の必然的帰結である衆愚政治が軍国主義を生んだと解釈すべき。

どんな時代にも、一貫して根底にある最大の問題はデモクラシーの暴走とその自己崩壊であり、大衆煽動に利用されるスローガンやイデオロギーの違いによって、そこから軍国主義が生れるか、ファシズムが生れるか、共産主義が生れるかはあくまで副次的問題に過ぎない(ナチについてのメモ その5)。

戦前日本は(そしてフランスもロシアも中国もドイツもイタリアも、その他1789年以降独裁と戦乱に苦しむようになった国のほぼ全ては)、民主主義ゆえに破滅したと言った方がよほど正しい(ルイ16世についてのメモ その1  同 その5)。

上記の不幸なメカニズムがあらゆる国で働いている。

前近代的専制政治が敷かれていた国でもその没落はデモクラシーの理念浸透が原因であり、秩序崩壊時には群衆心理が全てを決する状態に陥る以上、議会制度的なデモクラシーが無かったロシアや中国においても、左翼全体主義的独裁確立はやはり民主主義が生み出したものと解釈すべきもの。

近現代において民主化の進行過程をほぼ無傷で潜り抜けたのはイギリスや北欧諸国などだけで、むしろ少数派である。

民族の根本的な任務は、過去の制度を少しずつ改めつつも、それを保存することでなければならない。これは、困難な任務である。この任務を実現したのは、だいたいにおいて、古代ではローマ人、近代ではイギリス人だけであろう。(ル・ボン『群衆心理』

(ただしイギリスですらピューリタン革命とクロムウェル独裁という破局を経験している。英国史上、唯一国王のいなかった時期は、唯一独裁者に支配された時期でもある。ただしその革命政権も宗教を基盤にしていた故の歯止めが存在したことについてはローレンツ・シュタイン『平等原理と社会主義』引用文参照。さらにその後、民衆的独裁への免疫を付け、君主制と階級社会を維持しているのは大したもんです。)

アメリカはどうかと言えば、南北戦争は、正義の戦いという以前に恐るべき国家規模の破局と見なすべきだろうし(内田義雄『戦争指揮官リンカーン』)、政治党派や人種・性・宗教・財産による社会の分裂が極限まで進んだ昨今のアメリカを見るとあの国がデモクラシーの持つ「党派的暴政への不可避的傾向」(バーク『フランス革命の省察』)を免れた例外だとはとても思えない。

そして、近現代はもちろん、前近代でも国家の崩壊や社会の堕落においては、社会の上層部少数者ではなく、(自分が属するような)下層多数者の悪が主因なのではないかと、私は最近ますます疑うようになってきている。

何度も繰り返しますが、君主制や貴族制はたとえどれほど堕落しても、言葉の真の意味での全体主義的独裁を生み出すことは決して無いウィリアム・コーンハウザー『大衆社会の政治』)。

民主主義は断じて全体主義の反対概念ではなく、むしろその成立の前提条件と考えるべき。

多くの民衆が政治に参加すればするほど、国家の権限と戦争の規模は拡大し、20世紀には億を超える「政治による死」がもたらされた。

過去5000年の人類文明の歴史で大部分を占める、君主や貴族など少数者統治の時代には、こうしたことは決して起こらなかった(引用文(ニスベット1)マイケル・ハワード『ヨーロッパ史における戦争』)。

(それを、民主制下の科学技術の発達という成果の裏返しだと擁護するなら、そもそも人類の存続自体を不可能にしかねない科学技術と産業の過剰発達を「進歩」とみなすのを止め、根本から懐疑の念を差し向けるのが当然だと言いたい。またそれらの節度ある発展が君主制・貴族制下、あるいは民主制との混合政体下においては不可能だったとは信じられない。)

にも関わらず、左右の民衆的独裁の崩壊に際して、恥知らずにもそれが「民主主義の勝利」などと称される(上記の、力の割りに智慧の足りない某国が主になって)。

ウォルター・バジョットは『イギリス憲政論』の中で、

・・・・・ある社会で大衆が無知ではあるが、尊敬心をもっているという場合、この無知な階級にひとたび統治権を与えると、永久に尊敬心はもどってこない。現王朝[人民]の支配は、打倒された王朝[貴族]の支配よりすぐれているということを、煽動政治家が説き、新聞が話しかける。民衆は、自分に利害関係のある問題について、その賛否両論を聞くということはほとんどない。民衆の言論機関は、民衆に迎合的な議論ばかりをする。そしてそれ以外の言論機関は、事実上その意見を民衆の耳に入れることはできない。民衆は、自分自身に対する批判を決して聞こうとはしない。民衆が追放した教養ある少数者が、民衆の統治に比べて、いちだんと立派に、また賢明に統治していたということを、だれも民衆に教えようとはしない。民主主義は、恐ろしい破滅を味わわないかぎり、民主主義の打ち負かした体制へ復帰しようとしない。なぜなら、そうすることは、みずからが劣っていることを容認することになるからである。民主主義は、ほとんど耐えがたい不幸を体験しないと、みずからが劣っていることを決して信じないのである

と述べているが、バジョットは間違っていた。

民主主義は「恐ろしい破滅を味わ」っても、「ほとんど耐えがたい不幸を体験」しても、「みずからが劣っていることを決して信じない」ことが明らかになった。

どんなにおぞましい惨禍がもたらされようとも、民衆が自由を行使する自己の資格について謙虚に省みたり、自分たちだけで秩序を形成する能力を真摯に懐疑したりすることは絶対に無い。

1789年以来、人類は治癒不能の病に罹った、あるいは永遠の呪いを掛けられたと言ってもよい。

無秩序と独裁を反復する、この衆愚政治の醜悪な機械運動はもはや人類が滅びるまで止まらないでしょう。

何をしても防ぎようが無い。

現世の多数派にほんのわずかでも懐疑的視点を持つ人間は、大衆の国家と社会が必然的に破滅するのを横目で冷笑しながら、一種の諦観を持ち静かに彼岸の救いを待つほか生きる術は無い。

この1935(昭和10)年の分岐点についてもう少しだけ書きたいので、次回に続きます。

2011年7月14日

戦前昭和期についてのメモ その3

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その2に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1934(昭和)年、陸相荒木貞夫辞任、後任林銑十郎、斉藤実内閣退陣、岡田啓介内閣成立、永田鉄山陸軍軍務局長就任。

世界では、独レーム事件、ヒンデンブルク死去、オーストリア首相ドルフス暗殺、ソ連国際連盟加入、キーロフ暗殺、満州国帝政実施、瑞金陥落と中国共産党の長征開始。

この辺りから陸軍内の「皇道派」と「統制派」の争い激化。

この両派の名前は適切でないという見方もあるが、初心者はとりあえずそのまま理解。

最初に名を出した荒木貞夫と真崎甚三郎を担いだ隊付将校らが皇道派。

次に、31年末犬養内閣からの陸相だった荒木の後任、林銑十郎という人を一言で言うと、「統制派のロボット(傀儡)」。

両派分立の前、陸軍中堅幹部が一団となって国家刷新を目論んでいたころトップとして担がれたのが荒木・真崎・林の三人で、党派対立が生れると、前二者と林の間に懸隔が生れる。

両派閥対立の話については、川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』(講談社選書メチエ)の説明がわかりやすい。

この年、『国防の本義と其強化の提唱』と題する陸軍パンフレットが刊行され、統制経済推進と軍が「第三党」として政治に介入することを宣言したものだとして問題になる。

統制派の中心は陸軍軍務局長に就任した永田鉄山。

著者の永田への評価は比較的高いと思われる。

クーデタや暗殺などの暴力行為を否定し、政治家・官僚・財界と軍との協調を目指し、「高度国防国家」を徐々に成立させようとする立場。

特筆すべきなのは後年の統制派主流とは異なり、永田は「対中一撃論」に立った強硬な中国政策を支持していなかったこと。

日中対立を沈静化させ、満州国の状況を安定化させることを何より必要としていた当時、永田の存在は極めて貴重であった。

一方、皇道派は対ソ戦を最重視したため、もともと対中政策では妥協的傾向あり。

だからいっそのこと「狂信的」というイメージのある皇道派が勝った方が泥沼の日中戦争を回避できた可能性があり、むしろまだマシだったという意見もあるが、しかし不用意に日ソ戦を始めて反撃されるというぞっとするシナリオを考えると、そう単純に言えないとも思われる。

この箇所では、翌年政治問題化する天皇機関説について記述あり。

皇道派の隊付将校らは、永田らの構想する、政治家・官僚・財界人と軍人との協力によって作り上げられる「高度国防国家」における専門的軍人としてのアイデンティティ喪失を危惧。

その危機感が天皇を機関・抽象的機能とすることを拒否させた。

また明治時代には封建時代からまだ間もなく、兵は疑問を持たずに死地に赴いたが、昭和に入り近代的個人主義に目覚めると、死を受け入れるために超越的存在を求める風潮や心理状態が生まれた。

つまり「近代化が進んだからこそ、天皇機関説が攻撃されるようになった」という逆説的状況があり、このことは高橋正衛『二・二六事件』(中公新書)でも触れられていた。

あと、世界情勢について補足。

ドイツではレームら突撃隊粛清と大統領ヒンデンブルク死去によりヒトラーが独裁体制を一層固めている。

しかし対外的には順風とは言えず。

当時隣国オーストリアは首相ドルフスの統治下。

このドルフスは独裁的統治を敷いてはいたが、権威主義的価値観の持ち主で、オーストリア・ナチ党を弾圧していた。

ドイツで言うと、ブリューニング、シュライヒャーに当たる存在か。

ところが、この年オーストリア・ナチスがドルフスを暗殺。

これに対してオーストリアに野心を持つムッソリーニはヒトラーの関与を疑い、国境地帯に軍を動員して圧力をかける。

結局ヒトラーは釈明し関与を否定、オーストリアでのナチの政権奪取は失敗し、シューシュニクが首相に就任、38年の併合まで権威主義政権を維持することになる。

以上のようにこの時期のムッソリーニが明確に反独的姿勢を保っていたことは記憶しておく価値がある。

しかしこの態度は翌35年に激変し、それがムッソリーニ自身とイタリア王国を滅ぼすことになる。

ソ連では、スターリンの後継者とも見做されていたキーロフが不可解な状況下で暗殺され、これが大粛清の端緒となる。

キーロフがスターリンの指示で殺害されたとすると、まるで同年のレーム粛清に印象付けられ、それに倣ったような感すらある(実際そういう説があるようです)。

中国では、蒋介石が満州をめぐる日本との対立を棚上げして全力を挙げて共産党討伐を継続、この年、中華ソヴィエト共和国首都の瑞金を陥落させ、中共は長征という名の敗走に移る。

日中両国ともにナショナリズムを抑制してこの情勢を続けていればねえ・・・・・・。

一体どれだけの人命が失われずに済んだことか。

この記事では1935年までいくかなと思っていたが、やはり一年だけ。

やや短いですが、今日はこれまで。

2011年7月10日

戦前昭和期についてのメモ その2

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福田和也『昭和天皇 第四部』の記事続き。

1933(昭和)年、熱河侵攻、国際連盟脱退、塘沽(タンクー)停戦協定、滝川事件、今上天皇御生誕。

世界ではもちろんヒトラー政権成立が最大の出来事。

他に米フランクリン・ルーズヴェルト政権成立、ニュー・ディール政策とソ連承認。

日本に続き、独も連盟脱退、ソ連第二次五ヵ年計画開始。

ヒトラーが政権を奪取したこの1933年という年号はもちろん絶対暗記事項。

ムッソリーニが第一次世界大戦から間もない(休戦から4年、ヴェルサイユ条約から3年の)1922年に政権の座に就いているのに対し、ヒトラーはそこから11年も経って大恐慌の混乱を経てから首相になっている。

「ムッソリーニが2のゾロ目、ヒトラー(とルーズヴェルト)が3のゾロ目」と憶える。

このイタリアとドイツのタイムラグは、1861年イタリア統一、そこからちょうど10年目の1871年ドイツ統一、と並んで頭の片隅にイメージしておいた方が良い。

なお、この年には日本共産党最高幹部の佐野学・鍋山貞親が獄中で転向声明を発している。

田中義一政友会内閣下における、1928年三・一五事件、29年四・一六事件以後も共産党に対する苛烈な弾圧は続き、プロレタリア文学の大家小林多喜二も特高警察によって惨殺されている。

当局による徹底した弾圧と世間からの迫害が行なわれていたこの時期に共産党員として活動するためには、現在の私たちには想像もできないほどの、ほとんど超人的な勇気と自己犠牲の精神を必要としたであろう。

多喜二がそれを持っていたことは疑いない。

また、党員としての義務を果すと同時に、家族の生活を支えるため潜伏中にも関わらず、原稿執筆と発表を続けねばならず、それによって一層特高から執拗に狙われることとなった。

多喜二が殺害された後、警察署に呼ばれた母親のセキに対し刑事が、多喜二の死は「心臓麻痺による突然死」とする書類に判を押させようとしたことが記されている。

その後の描写。

寝台車は十一時近くに、小林宅に着いた。

遺体が床に横たえられると、それまで一声も発しなかったセキが叫びはじめた。

「ああ、いたましや。いたましや。心臓麻痺なんて嘘だでや。子供のときからあんだに泳ぎが巧かったのに・・・・・これ、あんちゃん。もう一度立てえ!立ってみせろ!」小林の頭を抱えて叫びつづけた。

一方、多喜二が全世界プロレタリアの祖国、人類の未来の道標であると信じ、絶対的忠誠を誓っていたであろう、同時期のスターリン体制下のソ連を、本書では少し後の章で以下のように記述している。

クリヴィツキー(『スターリン時代』の著者)による述懐。

この時期、大粛清は未だ始まっていないものの、第一次五ヵ年計画の農業集団化によってすでに数百万人の餓死者が出ている。

二年前の秋、クルクスのマリノ・サナトリウムで休暇を過ごした。

サナトリウムは、コーカサスの征服者であるプリャーチン公の邸宅を改装したものだった。

腕利きの医者と、スポーツ指導者、よく訓練された召使いがいて、休暇にはもってこいだった。

食糧も医薬品も豊富にあった。

ある日、近くの村まで散歩にいった。

村にいる子供のほとんどが半裸だった。何の衣類も身につけていない子もいた。

もうすでに寒風が吹きはじめていた。

共同組合の売店に行くと、食糧も燃料もない。

ホテルに戻り、クリヴィツキーはたっぷりした夕食を摂り、満足し、サロンに入っていった。

暖炉は勢いよく燃えている。

ふと、目を窓にむけた。

数人の子供たちがしがみついている。

ガラスに子供たちの顔がいくつもくっついて、まるで絵のようだった。

飢えた、子供の目。目。目。

パンを持ってきてやろうか、と考えて躊躇した。

「富農」の子供にパンを与えた、と批判されるかもしれない。他の客が気づいて、召使いに追い払わせた。

あの時、気づくべきだったかもしれない。

この革命は、失敗したのだと。同胞が同胞を、同志が同志を殺しあう、地獄の中の地獄なのだと。

私は、このような叙述を「左翼への意地の悪いあてつけ」だとは思わない。

著者の筆致から滲み出てくるのは、硬直した政治的立場からする一方的裁断ではなく、人間も社会も本当に一筋縄ではいかない複雑な代物だなあという静かな諦観である。

また、一年間の記述だけで一記事。

まだまだ続きます。

2011年6月14日

戦後昭和期についてのメモ その1

Filed under: おしらせ・雑記, 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

正村公宏『日本の近代と現代』(NTT出版)の記事続き。

戦後史の部分では、著者の本業からか、この手の概説にしてはやや詳しい経済史が記されている。

特に難しくないので、普通に読める。

著者は戦後日本の経済的成功を認めながら、その問題点を以下のように語る。

日常用語における「成長」(growth)は数量の増加だけを意味しない。ある人間について「成長した」という評価が語られるときは理解力・判断力・適応力・行動力・包容力などの総体が認識されている。「開発」あるいは「発展」(いずれも英語ではdevelopment)は個人についても社会についてもいっそう明確に総合的評価を含む言葉として使われている。しかし、ある国の経済活動の水準を示す指標として国内総生産または国民総生産の推計量が重視されるようになり、成長という言葉が狭く理解される傾向が強まった。組織のあり方や人的資源の蓄積が議論の背景に退き、社会の構造や生活の質の変化が議論されない傾向が強まった。

そして高度経済成長期が終わり、中成長時代に移行した70~80年代に、輸出産業の国際競争力強化と成長率維持を優先目標とする後発国型制度体系から脱却できず、社会保障制度整備・教育制度充実・環境保護・住宅建設などの施策とそのための公正な国民負担を問題提起できなかった政治の責任を厳しく指摘している。

こうした立場から、著者は80年代中曽根内閣による新保守主義的(新自由主義的)政策と行政改革路線に批判的態度を示している。

前回記事の最初に書いた同著者の『経済学の考え方』では、確かマルクス経済学に対する厳しい批判だけが印象に残っていただけで、著者がこういう立場の方だということは、不覚にも全く気付いていなかった。

また、近現代を通じる日本政治の問題点を以下のように指摘。

危機の時代に民主制を機能させるためには、国家および社会が直面している問題を読み解き、有効な制度と政策を構想し、改革の必要を説いて国民の多数を獲得しようと努力する政治主体の存在が不可欠である。しかし、現代においてはマス・デモクラシーのポピュリズム(populism)とマス・コミュニケーションのセンセーショナリズム(sensationalism)の相乗作用が民主制の機能不全を強めている。ポピュリズムは政治家が国民の目先の関心に迎合して票を集めようとする動きであり、センセーショナリズムは各種のマス・メディアが意図的に人々の関心をあおることによって新聞の発行部数やテレビの視聴率を引き上げようとする動きである。

ポピュリズムとセンセーショナリズムの破壊作用は、日本の近代の不完全な民主制のもとでも顕著であり、国民を破滅的戦争へと導く重要な要因になった。それは、現代においても、外交政策と経済政策と社会政策の選択をめぐる建設的議論の組織を致命的に阻害している。

加えて、経済体制をめぐる以下の意見、特に赤文字で引用した部分には衷心から同意したい。

1990年前後の世界史の諸事件を「社会主義に対する資本主義の勝利」と考えるのも軽率である。敗北が確定したのは社会主義のひとつの分流であるコミュニズムというイデオロギーである。民主制のもとでの漸進的改革を追求したヨーロッパの社会主義(民主的社会主義/社会民主主義)の勢力は重要な成果を記録した。現代の多くの先進国の政府は、自由民主主義と社会民主主義、政治的民主主義と経済的民主主義の組み合わせを、追求するようになっている。

両体制の対立のいちおうの終結によって確定したのは、古典的な資本主義(資本家が支配する体制)の優越ではなく、多かれ少なかれ社会民主主義の諸制度を組み込むことによってつくりかえられた混合型の社会経済体制の優越である。混合(mix)という言葉は曖昧に響くが、20世紀の深刻な歴史的経験は、混合型の経済体制こそが社会が直面するさまざまな問題を最小の犠牲と費用によって解決する道筋を用意する可能性をもつことを証明している。・・・・・・

特定の単一の原理にもとづいて社会のすべての問題を解決することができるという原理主義的思考(イデオロギーになりやすい思考)から脱却しなければならない。社会生活のすべての側面を市場にまかせる原理主義も、社会生活のすべての側面を国家の指令によって処理する原理主義も、社会を破滅させる。原理主義的思考を避け、個々の問題ごとに、原因究明と状況理解のための周到な努力を積み重ね、民主制のもとで議論を尽して合意形成をはかる必要がある。

やたら広い叙述範囲を一冊にまとめた概説の割には、はっきりした特色があって良い。

その史観については隔靴掻痒の感が否めない部分もあるが、重要な指摘も含まれていると思う。

これなら十分初心者に勧められます。

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