万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年9月29日

渡辺克義 『物語ポーランドの歴史  東欧の「大国」の苦難と再生』 (中公新書)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 05:17

おお、この国も出たか。

喜び勇んで手に取るが・・・・・薄いな。

本文は200ページほどか。

で、目次を見ると・・・・・。

序章が建国時のピャスト朝、第一章がヤギェウォ朝、二章でもうポーランド分割で、「うわー、近現代史偏重パターンかあ」と頭を抱える。

気を取り直して読み始める。

 

966年ポラニェ族君主ミェシュコ1世がキリスト教に改宗して建国、ピャスト朝成立。

この辺の民族は「異教からの改宗イコール建国」ということが多いですね。

息子のボレスワフ1世は教会組織を独立させ、神聖ローマ帝国と抗争。

以後の国王の系譜は、本書の記述があっさりし過ぎているので、省略。

モンゴルが侵入、1241年レグニツァ(リーグニッツ・ワールシュタット)の戦い。

13・14世紀にはドイツ騎士団と抗争。

1333~70年在位したカジミェシュ3世はポーランド史上唯一大王と呼ばれ、最盛期を現出。

大王死後、ピャスト朝は断絶、甥の娘のヤドヴィガがリトアニア大公国の君主ヨガイラ(ヤギェウォ)と結婚、ヤギェウォ朝ポーランド・リトアニア連合王国が始まる。

ドイツ騎士団、オスマン朝との戦いを継続。

西欧諸国が絶対王政に向かう中、シュラフタ(中小貴族)が大きな実権を持つ国制に移行、後にはマグナト(大貴族)の寡頭政に変わるが、王権が弱体なのは同様。

コペルニクスに代表されるルネサンス文化を開花させ、ドイツ騎士団がプロテスタント化・世俗化して生まれたプロイセン(まだブランデンブルクと連合していない)を一時宗主権下に置くなど、依然強勢を誇る。

1572年ヤギェウォ朝断絶、選挙王制に移行。

「断絶」と言うが、系図を見ると、以後も旧王家と血縁のある人物が王位に就いてはいる。

それはスウェーデンのヴァサ家の君主で、その時期スウェーデンとポーランドが同君連合に置かれていたということかと思うが、むしろスウェーデンとポーランド間の戦いが継続したとも書いてあり、本書では全くの説明不足でよく分からない。

それ以外で国外から王位に就いたのは、フランス王即位前に短期間在位したアンリ3世、ザクセン選帝侯家の人物などがいる。

他にも地元のポーランド系国王もいて、その合間にヤン3世ソビェスキの第二次ウィーン包囲でのオーストリア支援とか、レシュチンスキの王位継承に絡む18世紀前半のポーランド継承戦争などが挟まるのだが、まあよく分からない。

この序章と第一章で叙述される時代が一番知りたいのだが、ページ数が圧倒的に不足しており、全く不満足である。

で、普墺露三国によるポーランド分割だ。

強大化したロシアが影響力を強め、ポーランド最後の国王に選出されたスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキは、元はエカチェリーナ2世の寵臣である。

三次にわたる分割の年号は1772年、1793年、1795年。

昔、山村良橘『世界史年代記憶法』(代々木ライブラリー)の「(下三桁が)ななつ、なくさん、なくごとく」という語呂合わせで覚えたなあ。

一回目から少し間が空いて、二回目、三回目はフランス革命中であることをチェック。

細かい経緯は覚える気がしない。

高校世界史でも出て来るコシチュシュコ(コシューシコ)の抵抗だけ知ってればいい。

ナポレオンが作ったワルシャワ公国は露と消え、再び周辺三国による分割統治。

1830・48・63年(1、2番目は仏での革命が影響)に三度の独立運動蜂起が起こるがいずれも鎮圧。

19世紀後半に社会主義運動台頭、民族独立より労働者の国際的連帯を主張するローザ・ルクセンブルクらのポーランド王国・リトアニア社会民主党、逆に民族独立を最重視するユゼフ・ピウスツキらのポーランド社会党が結成。

他に反社会主義的な民族主義政党、国民民主党(ドモフスキら)もある。

第一次世界大戦でドイツ・オーストリア敗北、ロシア帝政崩壊でポーランド再独立、ピウスツキが軍事指揮権を握り最高指導者に就任。

1920~21年ソヴィエト・ポーランド戦争で東部に領土を拡大。

その後一時引退していたピウスツキが1926年クーデタ敢行、35年の死まで独裁的権限を握る。

外交では、フランスとの同盟優先と対ソ対独強硬論から、独ソ等距離外交に変化。

32年外相となったユゼフ・ベックは一時親独的外交を展開するが、39年ダンツィヒ併合というドイツの要求は断固拒否、第二次世界大戦が始まる。

(このベック外相は、同時期のポーランドの大統領・首相の名は全く知られていないのに、第二次大戦直前の外交交渉でしばしば名前が出てくるので、不思議な印象がある。)

独ソ不可侵条約により、両国が侵攻、分割支配下に置かれる。

ソ連はポーランド人将校らを秘密裡に大量虐殺した(カティンの森事件)。

独ソ戦開始後、アウシュヴィッツ(ポーランド名でオシフィエンチム)などでユダヤ人絶滅収容所が稼働。

1944年8~10月、ワルシャワ蜂起勃発、接近するソ連軍に呼応して、ポーランド亡命政府系の国内軍がドイツ軍に対して蜂起したが、国内軍の反共的性格を知るソ連軍は突如進撃を止め、国内軍がナチに殲滅されることを傍観し、空路で支援を与えようとする米英両国の提案も拒絶した。

私、昔高校生の頃、かなり硬直した左翼少年だったんですが、この史実を知ったときはショックでねえ・・・・・。

社会主義への幻想が覚める一つのきっかけになった。

最近ではこのワルシャワ蜂起は元々成功の可能性がほとんどない無謀な企てであったとする見方もポーランドでは存在すると本書では書かれているが、それでもやはりこの出来事はスターリン体制下のソ連の本質を示していると思えてならない。

以後はザーッと流そう。

戦後、労働者党(スターリンの大粛清で壊滅したポーランド共産党を再建したもの)が社会党を吸収合併してポーランド統一労働者党結成、敵対する農民党などの勢力を徹底的に弾圧して一党独裁体制樹立、スターリン主義体制下、ビエルトが独裁者となる。

1956年スターリン批判を機にポズナンで暴動発生、「民族主義的偏向」との理由で逮捕されていたゴムルカ(ゴムウカ)が政権に復帰することで、同年のハンガリー動乱のような流血の事態は避けられた。

そのゴムルカも生活難への国民の不満の高まりで70年退陣、後任のギエレクも経済状況を改善できず、80年に辞任、78年即位したポーランド人教皇ヨハネ・パウロ2世の精神的支えもあって、80年以降ワレサ率いる自主管理労組「連帯」などの反体制運動は拡大、81年ヤルゼルスキが指導者となりソ連軍の介入を避けるため戒厳令を布告、「連帯」を弾圧。

ソ連のペレストロイカ進展により、政権当局と「連帯」との対話が進展、89年非共産系首相誕生、東欧各国の変革を経て、90年統一労働者党解散。

以後の政局は詳しく見ないでいいでしょう。

「連帯」系勢力が分裂、ワレサ、クファシニェフスキ両大統領の下、旧統一労働者党系の政党と政権交替を繰り返し、そのうち右派民族主義色の濃い「法と正義」が台頭する、という東欧旧共産圏諸国ではどこも似たり寄ったりの政治情勢である。

 

 

終わり。

ちょっと残念な出来だった。

実質『ポーランド現代史』になっているという、『物語~の歴史』の駄目なパターンに嵌り込んでいる。

この国の現代史では一般常識として知っておくべきことが多いとは言え、前近代史が手薄過ぎる。

以前読んだ山本俊朗・井内敏夫『ポーランド民族の歴史』(三省堂選書)に比しても相当劣る。

その記事の末尾で「中公新書の『物語ポーランドの歴史』が出る場合は、これ以上の出来を期待します。」と書いたが、残念ながらその期待は裏切られた。

まあ東欧の主要国でこのシリーズが出たのは悪くない。

『チェコ』はもう既刊だから、以後ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、セルビア辺りは刊行してもらいたいです。

(スロヴァキア、スロヴェニア、クロアチア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、アルバニアはさすがに難しいだろうが。)

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