万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年8月6日

中田一郎 『ハンムラビ王  法典の制定者』 (山川出版社世界史リブレット)

Filed under: オリエント — 万年初心者 @ 02:07

オリエント史、相変わらず苦手なんだよなあ・・・・・。

歴史的人物の個性がはっきり表れてくる時代の史書でないと、読んでいて面白くない。

考古学的研究に基づく歴史叙述はおおむね退屈である。

杉勇『古代オリエント(世界の歴史1)』(講談社)の記事で書いたような大まかな史実すら、油断すると記憶から抜け落ちている。

結局、オリエントだけでなく、例外的に史料に恵まれたギリシア・ローマ史や春秋戦国以後の中国史を除く古代史全部が苦手である。

(もっとも私はイスラム史もあまり好きじゃないので、西アジア全般に弱いのかもしれない。あと、中央アジアの遊牧民の歴史も好きじゃない。)

補強の為、すぐ読み終えることのできるこのシリーズを手に取る。

20世紀初頭にその法典碑が発見され、古代オリエント史上、最も著名な人物の一人となった君主。

在位期間は紀元前18世紀前半、前1792~50年(推定。以下全ての年号も同じく)。

シュメール人のウル第三王朝が、イラン西南部のエラム人の攻撃で、前2004年滅亡。

以後、主にセム系のアムル人が建てた都市国家を中心に、諸王国が覇を競う。

イシン、ラルサ、エシュヌンナ、マリ、そしてバビロン第一王朝である。

この辺の王名とか、年代とか、紛争の経緯とか、とてもじゃないが憶えてられませんわ。

こういう砂を噛むような記述が、オリエント史で一番嫌なところなんだよなあ・・・・・。

前1880年頃、バビロン第一王朝建国。

建国時は抜きん出た存在ではなく、当時の勢力均衡を構成する一国で、他国と共に強国エラムの宗主権下にあった状態。

前1792年即位のハンムラビ王が、エラムの侵攻を退け、他国を併合し、前1759年ついに全メソポタミアの統一を達成。

灌漑用の運河を開削し、社会正義の達成を願って法典を制定。

メソポタミア最古の法典は、ウル第三王朝のウルナンム法典(王の在位は前2112~2095年)で、他にもイシン、エシュヌンナの法典が知られている。

ハンムラビ法典は模範的判決を集めた一種の手引書であって、法的拘束力を持つ法規ではなく、出土した裁判記録でハンムラビ法典に言及したものは一例も無い。

先行する法典に比べて刑事罰の側面が強くなり、多数の自由人と少数の奴隷の区別だけでなく、上層自由人と一般自由人の階層分化を反映して、上層自由人が被害者の場合には賠償ではなく同害復讐原則が適用される、という特徴がある。

残っている裁判記録からは、自ら訴えを聞き、役人の不正を厳しく罰し、比較的弱い立場の者に配慮する裁きを下す、有能な王という姿が浮かび上がってくる。

後継者サムス・イルナ王の治世にはカッシート人との戦いや諸都市の反乱があり、衰退期に入った模様で、以後四代の王の後、前1595年バビロン第一王朝はヒッタイトによって滅ぼされてしまったが、多くの勝利をあげ、人々の生活を豊かにし、正義を回復した王として記憶されたいというハンムラビの願いは叶えられたのではないか、と書いて著者は本書を終えている。

 

 

これだけ薄い本でも、すっとは読み通せなかった。

この辺の話、本当に嫌いなんだよ。

面白くないもん。

まあ、我慢して読めるものを確実に読んでいくしかないか。

苦手分野を多少とも克服するには忍耐が必要です。

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