万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年7月29日

外山三郎 『図説太平洋海戦史 全3巻』 (光人社)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 01:59

初めに言っときますが、通読はしていません。

極めて粗く飛ばし読みしただけ。

日米戦争の主要海戦を、多くの図版と共に叙述した本だが、とてもじゃないが、作戦上のチマチマ細かな記述を全て読んでいられない。

事実関係の記述よりも、著者による考察と評価に重点を置いて、目を通した。

以下、要点をメモ。

 

 

真珠湾攻撃について。

もし第二撃を加えて、燃料および修理施設を破壊しておれば、ミッドウェーを含む以後の戦闘の結果が大きく変わっていた可能性があり、是非実行すべきではあったが、その責任は南雲忠一中将ら機動部隊指揮官よりも、明確な命令を断固として下しておかなかった後方の山本五十六大将ら連合艦隊司令部が負うべきであること。

 

 

珊瑚海海戦について。

日本側の損失が軽空母1隻で、他方米側が正規空母「レキシントン」を失ったことから、この海戦の勝者を日本とする見解があるが、ポートモレスビー攻略という戦略目標を達成できず、以後の作戦で日本軍が大きな被害を蒙ったことを考えれば、そうした見方は謬論である。

敗因としては、索敵の不備・失敗とそれを分析する艦隊司令部の情報処理能力不足、機動部隊の指揮不統一と上級指揮官の敢闘精神の欠如、「見敵必殺」の言葉の虜になり、不充分な偵察情報に基づき攻撃隊を発進させたような形式的部隊運用を挙げている。

そのうち、空母に相当の艦載機を残しながら、撤退を命令した南洋部隊指揮官井上成美中将について、基地航空隊を基幹とした「新海軍軍備論」の提唱者であることから、持論に自縛され、空母の脆弱性への過度の懸念から、不適切な命令を下したのではないかとされている。

 

 

ミッドウェー海戦について。

米側の大勝利の原因として幸運の要素が大きいことは間違いない。

燃料の限界に近付いていた米爆撃機隊が、引き返す直前に、まさに艦載機に補給中の日本空母を発見できたこと、米雷撃隊が先行して日本の零戦隊を低空に引き付けて上空がガラ空きだったこと、などは偶然の産物ではある。

しかし、空母の緊急集結、急速出撃という大局的作戦指導、ミッドウェー基地の存在という地理的利点を最大限活用したこと、日本艦隊発見後、極力距離を詰めた上で攻撃隊を発進させたことなどが、その幸運を引き寄せたことを見逃すべきではない。

日本側の敗因として、米側による暗号解読と作戦計画の察知、索敵の失敗、敵空母発見の報を受けて即座の攻撃隊発進を主張する山口多聞少将の意見具申を、米艦隊の位置を実際よりも遠くに誤認していた南雲忠一中将が退けたこと、などが挙げられるが、著者はいずれも決定的なものとは見ず。

以上のうち、「索敵の失敗」と言っても、偵察機搭乗員のミスは、通常想定すべきもので、その上で二段索敵など、より慎重かつ重厚な偵察を行うべきであった。

それを可能にする為に、偵察用水上機を搭載した巡洋艦の、機動部隊への随伴を増すべきであったのであり、この空母を護衛する直衛艦の不足こそが、ミッドウェー海戦の決定的敗因である、と著者は主張している。

またそれは、米戦艦群が真珠湾で壊滅し、主力艦同士の水上戦がほぼありえない状況下では、後方の主力艦隊から巡洋艦を引き抜き、機動部隊に編入することによって、当時の日本海軍にも充分可能な方策だった。

 

 

ガダルカナルをめぐる第二次ソロモン海戦および南太平洋海戦について。

第二次ソロモン海戦で、日本海軍が総力を挙げて支援した、陸軍の輸送船団が潰えた以上、この海戦後はガダルカナルを諦め、ラバウルのみを固守し、攻勢に出た米軍に出血戦を強いることが賢明だったが、残念ながら山本連合艦隊司令長官にもそこまでの明断は無かった。

南太平洋海戦では、日本側機動部隊の行動が全般的に周到で、パイロットが優秀さと勇敢さを発揮し、米側の基地航空機の活動が粗雑であったことにも助けられ、戦術的勝利は収めたが、日本軍は多数の熟練パイロットを失い、米軍が自らの航空威力圏内に撤退した為、戦果を拡大できず。

 

 

マリアナ沖海戦について。

ミッドウェーの戦訓による固定観念に囚われ、空母戦の優位は先制攻撃にのみあるとして採用された、長距離攻撃であるアウトレンジ戦法が、慎重な守勢戦術を採ったスプルーアンス大将率いる米艦隊の前に完膚なきまでに破綻したこと、米側の陽動作戦に引っかかり、基地航空隊を無意味に移動・消耗させ、機動部隊と基地航空隊の連携による集中攻撃という、わずかながらあった日本軍唯一の勝機を逃したことを指摘。

 

 

レイテ沖海戦について。

彼我の戦力差を考えれば完敗は当然だが、それでも劣弱な残存空母艦隊をおとりにして米空母を引き付け、戦艦部隊が米輸送艦隊に突入するという作戦は途中までは成功しかけている。

それが結局失敗したのは、各艦隊の連絡とタイミングの調整、敵軍艦ではなく輸送船団を目標とするという最重要作戦目的の徹底が欠けていたからだ、豊田副武司令長官が陣頭指揮に立たなかったことがそれを招いた、とされている。

 

 

 

そこそこ興味深い文章が散見されるので、ざっと目を通しておくのも良い。

戦史ものでは、清水政彦『零式艦上戦闘機』(新潮選書)と並んで薦める。

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2018年7月25日

深町英夫 『孫文  近代化の岐路』 (岩波新書)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 01:42

2016年刊。

「中国革命の父」の、手頃かつ手堅い伝記。

余程細かい史実や固有名詞を除くと、事実関係の叙述で新たに得た知識は特に無い。

史的評価の面での、全体的感想を言うと、やっぱり私はこの人物に好感が持てない。

急進的社会変革に対する呆れる程の楽観論、それを遂行する(自身を含む)革命家達の資質への過信、清朝と満州人に対する硬直した敵意、諸外国に対する機会主義的態度と信頼性の無さだけが目に付く。

中国国民党にとっては「国父」、中国共産党にとっても「国共合作」を推し進めた「革命の先駆者」であり、双方から肯定的に評価される存在だが、私には急進主義によって破滅的結果を得た20世紀中国を象徴する人物としか思えない。

孫文の「民主共和国の建設」というヴィジョンへの楽観が、結局20世紀中国の左右の独裁に帰着したのは、必然だったと思える。

現在の中国大陸での体制が民主的に変容することがあったとしても、その種の楽観論への懐疑心が無い限り、結局は袋小路に陥るでしょう。

やはり清朝の下での洋務運動・変法運動が成功しなかったことが、中国の悲劇の最大要因だったと思える。

 

 

内容的には特筆すべきところは無いが、初心者向け伝記としては悪くない。

一読しておくのもいいでしょう。

2018年7月21日

石野裕子 『物語フィンランドの歴史  北欧先進国「バルト海の乙女」の800年』 (中公新書)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 02:36

おお、このシリーズで『物語北欧の歴史』だけじゃなくて、各国別の通史も出るのか。

よかった、よかった。

まず、序章「フィンランド人の起源」の副題は「『アジア系』という神話」である。

確かにフィン人はハンガリー人と並んで、ヨーロッパの中の「アジア系」民族というイメージがあった。

かつて「ウラル・アルタイ語族」というカテゴリが提唱され、ここにトルコ語、モンゴル語、朝鮮語、日本語、ハンガリー語と共にフィンランド語も属すとされたため。

しかし現在ではウラル語族とアルタイ語族の関係は否定され、ウラル語族のフィン・ウゴル語系の中にフィンランド語、ハンガリー語、エストニア語が属するとされている。

国土は、西のスウェーデン、東のロシアに挟まれ、北ではノルウェーにも接している。

独立したのは20世紀になってから。

 

 

北方十字軍遠征が行われ、スウェーデンとノヴゴロドの両者の争奪対象となるが、1323年パハキナサーリ条約でフィンランド南部が正式にスウェーデン領となる。

以後司教座が置かれたオーボ(トゥルク)を中心にスウェーデン王国の辺境として発展。

14世紀末デンマークのマルグレーテを中心にカルマル連合が結成され、北欧は統一状態に。

しかし、1523年グスタヴ・ヴァーサがスウェーデン王に即位し、カルマル連合は崩壊。

デンマーク(ノルウェー)とスウェーデン(フィンランド)が分立する形勢が以後長く続く。

宗教改革で北欧諸国はルター派に改宗。

絶対王政を確立し、三十年戦争で強勢を誇ったスウェーデンだが、新興ロシアとの北方戦争に敗北し、その北欧での覇権は衰退。

フィンランド語の文化興隆で民族意識が徐々に高まっていく。

ナポレオン戦争中、1807年ティルジット条約で一時ナポレオンと和解していたロシアが1808年スウェーデンに侵攻、フィンランドを奪取。

ナポレオン没落後もフィンランドは返還されず、スウェーデンはその代償にノルウェーを獲得、フィンランドは実質ロシア支配下の「大公国」となる。

このロシア統治時代の「圧政」がよく語られるが、実際にはその統治は現地の制度を尊重するもので、さして反発や独立運動を誘うものではなく、それらが激化するのは世紀末からの強引な「ロシア化政策」が行われるようになってからだ、とされている。

1917年11月革命後、独立を宣言、ボリシェヴィキ政権は民族自決の建前とロシアに続く社会主義革命への期待からこれを承認。

翌18年1月から5月まで、赤衛隊と白衛隊との間で内戦状態となり、元帝政ロシア陸軍に属していたマンネルヘイム率いる白衛隊が勝利。

内戦終結後、ドイツからヘッセン公を国王に迎える計画もあったが、ドイツの敗北と革命により頓挫、共和制の独立国として出発。

強大な権限を持つ大統領職を設置。

当初赤衛隊を支持したが、その後革命運動から距離を置いた、左派の社会民主党と、独立前の「フィン人党」内の保守派が結成した国民連合党、同じく保守派の農民同盟(のちの中央党)などが主要政党。

紙・パルプ・木材の輸出が発展、工業化も徐々に進行。

世界恐慌波及後、ラプア運動と呼ばれる極右勢力が台頭するが、幸い国政を根底から覆す勢いにはならず、政治は中道化。

しかし、第二次世界大戦の激動に巻き込まれ、ソヴィエト・フィンランド戦争に至る。

1939年8月独ソ不可侵条約締結、9月独ソによるポーランド分割、英仏とドイツが開戦。

直後、ソ連はレニングラードに近いカレリア地峡の領土割譲、バルト海の岬の租借などの要求をフィンランドに突きつける。

フィンランドがそれを拒否すると、39年11月ソ連軍はフィンランドに侵攻、ここに「冬戦争」と呼ばれる戦いが勃発。

マンネルヘイム率いるフィンランド軍は善戦、国際連盟はソ連を除名処分とし、40年2月西部戦線が未だ膠着状態だったこともあり、英仏軍のフィンランド支援の可能性が囁かれるようになると、それを背景にフィンランドは和平交渉を提案、3月に講和が成立し、国土の十分の一を割譲するなど大きな犠牲を払ったものの、フィンランドはその独立を守ることに成功。

同年中ドイツはデンマーク、ノルウェーを制圧、フランスを降伏させ、ソ連はバルト三国を併合。

孤立無援の上、独ソ間の緊張も高まってきた状況の中で、フィンランドはドイツに接近せざるを得なくなる。

41年6月独ソ戦が開始されると、ドイツ軍がフィンランド領からソ連を攻撃したことを理由にソ連はフィンランドを空爆、これに対してフィンランドは対ソ宣戦、いわゆる「継続戦争」が始まる。

「継続戦争」という呼称通り、フィンランドはこの戦争を「冬戦争」から続く防衛戦で、独ソ戦とは別の戦いであると主張したが、ドイツとの軍事協力は明白であった。

北欧のフィンランドが枢軸国だったと聞くと、普通の人は驚くが、実際はかなりそれに近い状態だった。

ソ連の圧迫と不正は明らかだが、ナチス・ドイツとの(事実上の)同盟はどう考えても筋が悪い。

(って三国同盟結んだ日本が言えることじゃないですね。)

戦況が悪化すると、フィンランドは単独和平を模索、44年9月大統領に就任していたマンネルヘイムが休戦条約締結に成功。

ソ連の体質と行動様式を考えると、これは極めて幸運な展開と言える。

対フィンランド戦に充てていた軍を中欧の対独戦に早期に投入するためか、フィンランドの亡命政権がスウェーデンに樹立されるより、親ソ的な政権がフィンランドにできる方が得策だとスターリンが判断した可能性があるための模様。

戦後のフィンランドは、共産化されることはなく、冷戦下でとりあえず独立と中立を守ったが、ソ連の影響を受け、外交ではソ連の意に沿わない政策を採ることは出来ず、内政でもしばしば微妙な干渉を受けることになる。

もう死語になったが、東欧共産圏のようにソ連による明々白々な支配を受けず、国内体制は議会制民主主義を守っているものの、実際には「衛星国」に近い影響をソ連から与えられてしまっている状態は、かつて「フィンランド化」と言われた。

しかし、マンネルヘイムの辞任後、大統領となったパーシキヴィ(1946~56年)が、共産党の流れを汲む政党が自由選挙で国政上大勢力になることが阻止されたことに助けられ、さらに現実的な外交戦術を徹底したことによって、この困難な時期の微妙な舵取りに成功したことは事実である。

ソ連と友好協力相互援助条約を締結、マーシャル・プランの支援を受けることは出来ず、北欧でデンマークとノルウェーがNATOに加盟すると(スウェーデンは親西側重武装中立路線)、フィンランドはワルシャワ条約機構に組み込まれそうになるが、巧みな交渉でそれを回避。

1956年ケッコネンが大統領に就任、81年までその任に当たる。

フルシチョフ、ブレジネフ両政権と良好な関係を築き、「霜夜事件」「覚書危機」などソ連による内政干渉危機を何とか乗り切り、経済成長を遂げ、北欧諸国内では遅れ気味だった福祉国家化を達成、75年には全欧安保協力会議を首都ヘルシンキで開催。

冷戦終結とソ連崩壊後、95年スウェーデン、オーストリアなど冷戦時の中立諸国と共にEU加盟。

新憲法が制定され、大統領権限を縮小、首相が行政の主体となる。

経済危機で既成政党の国民連合党、中央党、社会民主党が伸び悩み、反移民反EUの「フィン人党」(本書では独立前のそれと区別するために「真のフィンランド人」と表記)が台頭するというは、もうどこのヨーロッパ諸国でも同じような展開ですね。

 

 

もうメモ・ノートはこれでいいや。

細かなことは省略だ。

長年スウェーデンの一部だったが、19世紀初頭にロシア統治下となり、ロシア革命後独立、その後二度の対ソ戦争を戦い、独立は維持したものの、親ソ的色彩の濃い中立主義国となり、冷戦終結後に西ヨーロッパに復帰、というのが大まかな歴史の流れ。

必ず憶えておくべき人名はマンネルヘイム一人だけでしょう。

独立したのが遅いし、その歴史で押さえておくべきポイントはさほど多くない。

それもあって、本書も気楽に読める。

手軽で要領の良い通史として評価できる。

しかし、本書読了後、スウェーデンのやや詳しい通史を読む必要を感じた。

北欧史ではやはりデンマークとスウェーデンが主要国であり、ノルウェーとフィンランドはややマイナーな位置にいることは否めないと思うので。

それを探すのが次の課題ですね。

2018年7月17日

中津孝司 『アルバニア現代史』 (晃洋書房)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 01:44

この国の一般的な通史は存在しないでしょう(たぶん)。

ざっと検索したくらいでは、これしか出て来ない。

東欧共産圏崩壊直後の1991年刊。

古代イリュリア人の末裔と言われる。

ローマ・ビザンツの支配とスラヴ人の侵入を経て、15世紀末オスマン帝国支配下に。

1912年第一次バルカン戦争を契機に独立達成。

第一次大戦後、ゾークが指導者となり、初代大統領就任の後、王政創始。

39年4月イタリア軍侵攻、アルバニア労働党(共産党)が抵抗運動を組織、戦後共産化。

労働党指導者エンヴェル・ホッジャが独裁者となる。

48年隣国ユーゴスラヴィアがコミンフォルムを追放されるとこれと断絶。

だが、ソ連がスターリン批判を行うと対ソ関係も悪化し、61年コメコンを脱退、68年にはワルシャワ条約機構も脱退、中ソ対立では東欧諸国で唯一中国側に立ち(チャウシェスク政権下で自立化路線を進めていたルーマニアは中立か)、以後中国の支援を受ける。

そこからさらに、中国が米中接近を決断し、改革開放政策に舵を切ると、これを批判して中国との関係も断絶、完全な鎖国政策を採るようになる。

ホッジャ独裁下、東欧唯一の極端なスターリン主義国家として長年存在し、ヨーロッパ最貧国の汚名を着る。

85年ホッジャ死去、後継アリア政権でも体制に即座の変化は見られなかったが、89年の東欧変革を受け、さすがに翌90年一党独裁制の放棄と政治的自由化を表明、92年野党民主党が政権樹立、以後混乱を孕みつつ、旧労働党である社会党と民主党が政権を奪い合う展開のようだ。

また、隣国旧ユーゴのコソヴォ自治州には多数のアルバニア系住民が存在し、その問題でNATOの空爆にまで至ったことも、頭の片隅に入れておいた方がよい。

 

 

さすがに中公新書でも『物語アルバニアの歴史』は出ないか。

日本人の一般常識として知っておくべきアルバニア史は上記のことだけと考えていいでしょう。

100ページ強のパンフレット並みに薄い本だが、これで充分です。

2018年7月13日

小川浩之 『英連邦  王冠への忠誠と自由な連合』 (中公叢書)

Filed under: イギリス — 万年初心者 @ 06:29

過去イギリスの植民地統治下にあった国々を中心にした、イギリス君主を象徴的首長として共有する国家間の自由な連合体としての英連邦の歴史を全般的に叙述した本。

本書刊行時の2012年において54ヵ国が加盟し、国連加盟国の28%を占める。

そのうち、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ジャマイカ、パプア・ニューギニアなどは今もイギリス君主を国家元首とする。

その他はインドを始めとして独自の大統領を選出する共和制国家が多いが、マレーシア、ブルネイ、トンガ、レソト、スワジランドなど世襲君主を持つ国もある。

連邦加盟国相互間では、大使ではなく高等弁務官が派遣され、外交業務を行っている。

1995年加盟のモザンビーク、2009年加盟のルワンダなど、歴史上イギリスおよび他の英連邦諸国との関係を持たない国も加わっている。

18世紀七年戦争およびフレンチ・インディアン戦争で、北米・インドにおいてフランスに決定的勝利を収めたイギリスは第一次帝国を確立。

それがアメリカ独立で破綻した後、19世紀インドを中心としてカナダ、オーストラリア、南アフリカ、東南アジアなどを含む第二次帝国形成。

アメリカ独立の教訓から、白人定着植民地では外交・防衛を除く内政的自治を容認する方針が立てられる。

まず1867年(日本では大政奉還の年だ)カナダ自治領が成立。

初代首相ジョン・マクドナルド。

少し間が空いて、1901年オーストラリア連邦成立。

初代首相エドモンド・バートン。

1907年ニュージーランド自治領成立。

初代首相ジョゼフ・ウォード。

ボーア戦争でイギリス支配地域が拡大した南アフリカでも、ボーア人との妥協によって1910年南アフリカ連邦成立。

初代首相ルイス・ボータ、二代目首相(こちらの方が有名か)ヤン・スマッツ。

第一次世界大戦時、これら自治領は「自動的交戦原則」により参戦国となる。

本国への支援によって発言権を強め、独自性を高める。

ヴェルサイユ条約、国際連盟にもイギリスと別個の形で加わる。

1922年長年の懸案であるアイルランド自治がともかくも実現し、自治領としてのアイルランド自由国成立。

漸進的・部分的自治の方針しか示されなかったインドではナショナリズム運動が高揚(英領インド帝国は単独で国際連盟に加盟している)。

自治領は独自の公使派遣、二国間条約締結など、事実上の国際法人格を獲得。

1926年帝国会議でバルフォア報告が採択され、それに基づき1931年ウェストミンスター憲章で英連邦成立、イギリス本国とカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、アイルランド、ニューファンドランド(当時はカナダとは別の単独領)の六つの自治領で構成、一部の形式的条項を除いて本国と自治領の法的な対等性を確認。

世界恐慌襲来、32年オタワ会議で特恵関税圏とスターリング・ブロック形成。

第二次世界大戦では、英連邦各国が独自に対独宣戦を行う(アイルランド[当時はエールと国名変更]は中立維持)。

戦後、英統治下から独立した国のうち、イスラエル、ヨルダン、ビルマなどは英連邦に加盟しなかったが、インド、パキスタン、セイロンは加盟の意向を示す。

その際、1948年アトリー労働党政権により、「ブリティッシュ・コモンウェルス・オブ・ネイションズ」という正式名称から「ブリティッシュ」を削除することが定められ(これは意外な事実だが、日本語訳では慣用的に「英連邦」のままとなっている)、「自治領」という語も用いられなくなり、「コモンウェルス諸国」との呼び名が定着。

インドが英国王を元首とすることを止める共和制移行の意志を示すと大きな困難に直面したが、結局イギリス国王を「加盟国の自由な連合の象徴」とするという決定が行われ、50年の共和制化と総督廃止の後もインドは連邦残留。

この英・印両国の賢明な決定によって英連邦はその存在を維持。

(ただし49年、アルスター問題で反英感情が強いアイルランド共和国が初の英連邦脱退国となる。)

実現可能性はほぼ無かったが、フランスなど西欧諸国の加盟を検討する人々もいたし、吉田茂は日本の英連邦加盟を口にしたこともあるという。

スエズ戦争の失敗、イギリスのEEC加盟意向、スエズ以東からの英軍撤退方針などの動揺を経つつ、植民地独立の波が続き、遠心化の傾向を示しつつも英連邦は加盟国を増やし、「多人種の連合」としての面を持つようになる。

61年アパルトヘイト政策を続けて、加盟国から批判を受けていた南アフリカが共和国に移行し、英連邦も脱退(94年マンデラ政権下で復帰)。

第三次印パ戦争により72年バングラデシュ独立、その承認に抗議してパキスタンも英連邦脱退(89年復帰)。

ムガベ政権の強権化が目立つジンバブエは2003年に脱退。

このように脱退や加盟資格停止がありつつも、英連邦は現在も存続し、各国の緩やかな連合体として機能し続けている。

 

思えば、大日本帝国が同様に、悲惨な戦争を経て崩壊せずに、漸進的に「日本連邦」に進化出来なかったことは痛恨の極みです。

その場合、反英感情の強いアイルランドが英連邦から飛び出したように、再独立した韓国が加入する余地はなかったでしょうが、たとえ台湾、パラオ、マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島だけから成る小規模なものであっても、それらの国家が緩やかに連合した日本連邦を空想したくなります。

 

 

内容は相当充実している。

バランスの良い叙述で、様々な知識を得られる。

説明は丁寧かつ適切。

晦渋なところは無く、通読は容易。

良書として推薦します。

2018年7月10日

ウィリアム・シェイクスピア 『テンペスト』 (白水社uブックス)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:38

シェイクスピア最晩年の作。

『あらし』という邦題を採用している版もあり。

弟の策謀によって位を奪われ、娘と共に無人島にたどり着いた元ミラノ大公が、魔法の力で近海を航海していた弟とその主君のナポリ王が乗る船を難破させる。

元大公は難破者を追い詰め、後悔に導き、最後は娘とナポリ王の息子の恋を通じて、物語は大団円となる。

人間が必ず持つ性悪を直視しつつ、それを超える調和を展望する、文豪の最晩年に相応しい名作。

十分面白い。

シェイクスピア作品で、何より優先してこれを、と言うわけでは全くないが、読んでも決して損はしないと思います。

2018年7月6日

井上寿一 『戦前昭和の国家構想』 (講談社選書メチエ)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 00:08

社会主義(日本共産党・労農派マルクス主義者・合法無産政党)、議会主義(民政党)、農本主義(民間右翼)、国家社会主義(陸軍・革新官僚)という四つの国家構想の展開を通じて、関東大震災から敗戦までの戦前日本の政治と社会を概観した本。

章立ては以上の順番通りで、それできちんと時代順に叙述を成り立たせているのは、なかなか読ませる。

 

これら国家構想の興廃を決定したのは、指導的な上層部ではなく、あくまで広範な民衆世論である。

戦前日本の民主化は、想像以上に進行していたんだなと改めて感じた。

だから日本は結構だと言うつもりじゃないんです。

戦前日本の破局自体が、民主主義の帰結であることを誤魔化すべきではないと言いたいんです。

昭和戦前期の政治を「ファシズム」と定義するような、一昔前の硬直左翼の論調には、相当の違和感を感じていました。

ファシズム(右翼全体主義)は、伝統的・前近代的な制度と価値観が破壊された後の無秩序に置かれた民衆が狂乱状態で自発的・能動的に生み出すものであって、その意味で、かつての「天皇制ファシズム」という言葉は形容矛盾である。

その考えに変わりはないのだが、戦前日本の大衆は、天皇制という最後の非民主的な拘束要因すら払い除ける寸前だったのではないかと思わざるを得ない。

政党政治・華族・財界など既成制度への攻撃と現状革新志向に満ち満ちた世論が、戦前の危機の根底にあり、共産主義運動と右翼国粋主義運動は双方ともその根底要因の違った表われ方に過ぎないと思える(井上寿一『山県有朋と明治国家』)。

後者の中の、異様な形式的天皇中心主義と「一君万民思想」、「君側の奸」批判は、天皇制を正面から攻撃できなかった民衆の狂信的破壊衝動が見い出した捌け口ではなかったか。

(左翼思想が完全に崩壊し、イデオロギー的な天皇制批判が無効になった後、自称右翼の精神異常者が皇族への厚顔無恥な誹謗中傷を煽動している今の状況は不吉ではある。)

とにかく、全体主義と民主主義を相容れないものと考えること自体が根本的に誤謬であり、前者は後者の勝利から生まれたものだ。

戦前日本を「非民主的」だとして批判するのではなく、同時代の独ソ両国のような完全な全体主義国ではなくとも、アメリカでも見られたような民主主義の紊乱から生み出された〈ファシズム〉が跋扈する状況にあったとの認識が必要であると思える(三宅昭良『アメリカン・ファシズム』)。

 

 

読みやすいが、眼の冴える程の面白さは無く、内容は平均的出来。

良くも悪くもない。

通読に大した労力は要らないので、一読しておいてもいいでしょう。

2018年7月4日

丸谷才一 鹿島茂 三浦雅士 『文学全集を立ちあげる』 (文芸春秋)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:15

タイトル通り、架空の世界および日本文学全集を作り上げるとして、そこに収録する作品を、あれこれ月旦評しながら、決定していくという趣向の本。

世界文学は全体の三分の一だが、「文学的キャノン(正典)」を定める上での評価が面白い。

当然、挙げられている作品を全部読むなんて芸当はほとんどの人には不可能でしょうが、それでも読書意欲をかき立てる効果はある。

図書館で借りて、ざっと眺めるのもいいでしょう。

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