万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年6月7日

グイド・クノップ 『アドルフ・ヒトラー  五つの肖像』 (原書房)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 03:21

テレビ・ドキュメンタリーを基にした書籍で、同じ著者の『ヒトラーの共犯者 上』『同 下』『ヒトラーの戦士たち』および『ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月』は紹介済み。

テレビでは本書の内容が一番最初に放映されたものとのこと。

副題通り、「煽動者」「私人」「独裁者」「侵略者」「犯罪者」の五章構成。

どれもオーソドックスな叙述で明解。

私としては、「私人」の章が、最も有益で新たに得た知識が多かった。

ヒトラーが目指したのは前近代的中世への復帰などではなく、文明以前の動物的人種主義世界だったこと、多民族国家としてのハプスブルク帝国に強い憎悪を抱いたこと、母の死に衝撃を受けてユダヤ人主治医にその責任を転嫁したことが狂信的反ユダヤ主義を抱く契機になったとの俗説には根拠が無いこと、排外的ナショナリズムの気配は若い頃からあったものの、ウィーン滞在時からすでに徹底的な反マルクス主義・反ユダヤ主義者となったとのヒトラー自身の主張は、「自分の政治綱領は長い時間をかけて熟成した考察である、ドイツ国民にそう装うため」の誇張であり、第一次大戦終結まではヒトラーは概ね政治に無関心だった可能性が高いこと等々。

敗戦がヒトラーに大きな衝撃を与えたことは間違いない。

だがその直後のヒトラーの反応は、本書を読みまで全く未知の事柄であり、私にとって大きな驚きだった。

南ドイツ・バイエルンの首都ミュンヘンでは、1918年末、敗戦直後独立社会民主党に属するアイスナーが政府を掌握、1919年アイスナーが右翼に暗殺されると、その混乱を利用して、一時共産政権が樹立されたが、中央政府の派遣した軍隊によって鎮圧された(林健太郎『バイエルン革命史』参照)。

1923年3月24日の『ミュンヒナー・ポスト』紙を開いたとき、多くの人が自分の目を疑った。「革命的労兵評議会を父とするこの宣伝部には、アドルフ・ヒトラーが所属していた。彼は当時、この宣伝部で民主主義・共和主義の国家形態を奉じて講演することが、自身の世界観にかなっていると信じていたのだ!今日『11月の犯罪者ども』という言葉を一時間毎に口にするあのアドルフ・ヒトラーが、信念の命ずるまま、宣伝部のなかで多数派の社会主義者と目され、彼自身もそう称していたのだ」

この記事は呆れかえった口調である。だがヒトラーが四年の間に幾度かの転身を遂げたに違いないとすればどうだろう。まずゼロから政治的人物への転身、政治色は赤から褐色への転身。この間にいったい何が起こっていたのだろう。パーゼヴァルクの陸軍病院を退院すると、一等兵ヒトラーはミュンヘンにある所属連隊の兵舎へ復職を申請した。わたしは可能なかぎり軍に残りたい、と。軍を追い出されれば、また前のような落伍者の身分に逆戻りだ。ヒトラーの唯一のよりどころ、唯一の家は、この連隊だった。

バイエルンの首都における当時の政治的混乱を、ヒトラーはどちらかというと第三者的に眺めていた。当初彼にとって、政治的議論の場は兵舎だけだった。ともあれ、1919年2月には、軍団で「代議員」の選挙が行われた。ヒトラーは立候補し、一発で選出された。ミュンヘン・レーテ共和国の左翼「労兵評議会」は、ミュンヘンにある兵舎のすべてを監督した。「宣伝部」の使命は兵士を新しい共和制国家へと導き寄せることだった。ヒトラーは「啓蒙活動」を一任され、指令を読み上げるのを任務とした。

しかしヒトラーは、これは新しい支配者の役に立つチャンスだと心得ていたようだ。やがて彼は、社会主義志向の「民主共和主義」講習会に参加した。この点についても、また軍団の「代議員」であったことについても、後年ヒトラーは一度として口外することがなかった。ただ、1924年のミュンヘン国民法廷にて、こんな横柄で背信的な言葉を残しただけである。「賭けても良いが、わたしは敵陣営でも心から歓迎されたことだろう」

「赤い」勢力圏から離脱する、あるいは反革命的義勇軍に身を投じそうな素振りが、ヒトラーにはあったはずだった。ジャーナリストのコンラート・ハイデンはミュンヘンで十分な調査を行ったが、その彼は次のような結論に達している。ヒトラーは「レーテ共和国が存続しているうちは、戦友たちとともに社会民主党政府を」支持した。そして「およそ議論が白熱すると、社会民主党に肩入れし、共産党を攻撃する」立場をとった。「社会民主党に入党する」とさえ口にしたという。だが結局そこまでにはいたらなかった。確かなのは、ヒトラーが当時もしかすると必要以上に政府に迎合していたということだ。いずれにしても、ごく若い頃から断固たる独自の世界観を確立していたと言いはる人物にしては、ヒトラーはやり過ぎている。要するに、当時のヒトラーは政治的に根無し草だったのだ。

バイエルン革命政府首班クルト・アイスナーの暗殺は、ミュンヘン「第二革命」の合図となった。数日にわたる混乱ののち、バイエルンはソヴィエト型評議会による独裁政権の支配下に入る。陸軍の残存部隊は「赤軍」へと編制変えすることになった。この件でもまた、ヒトラーは伝説を吹聴している。「朝早くわたしは逮捕されるはずだった。だがやって来た三人の男は、わたしがカービン銃をかまえているのを目にして気おくれし、そのまま引き返した」。事実は違う。共産主義政権の樹立が告示された翌日、ミュンヘン中の全労兵レーテと兵営レーテが臨時会議に招集された。新たな権力者らは兵士の「忠誠」を確保したかったのだ。改めて選挙を行なうことが議決された。1919年4月16日水曜日、選挙結果は第二歩兵連隊にも知らされた。驚くべき結果だった――いや、よく考えれば当然のことではあるが。19票を獲得して、「アドルフ・ヒトラー一等兵」が予備「大隊評議会」議員に選出されたのだ。選挙に臨んでの公式声明は、「駐留軍の労兵レーテは無条件にレーテ共和国に従う」というものだった。ヒトラーが自称する「断固たる基盤」はどこへ行ったのだろう。赤い政権に対するヒトラーの態度は、少なくとも中立的だった。これまで未公開だったセンセーショナルな映像記録が残っている。映っているのは暗殺されたアイスナー首相の棺と、それに続く葬列の様子である。数千人の人々がこのドイツ独立社会民主党指導者に最後の敬意を表したが、そのなかには動員解除された部隊の代表団もいた。並足で続く長い葬列には喪章を着けた一団の兵士らがいる。階級の高い者たちのまっただなかに、一等兵の軍帽が見える――アドルフ・ヒトラー一等兵である。戦友たちと同じく、レーテの赤い腕章を着けている。

こうしたことのすべてが裏づけているのは、ヒトラーの姿は権力のあるところに見られたという事実である。このあとすぐヒトラーが主張したところでは、かの政治勢力(=共産主義)を自分はずっと憎んできたとのことだが、実のところ彼はその勢力のしもべだった。ヒトラーは政治的にこれといった特性のない日和見主義者だったのだ。

1919年5月のはじめ、フォン・オーフェン将軍率いる政府軍がミュンヘンを征圧し、レーテ独裁政権を打倒したとき、それはヒトラーにとっても転機の合図となった。数日後、彼は陣営を移る。転向はあきらかだった。ある映像には、革ズボンをはいてバイエルンの旗の前に立つヒトラーの姿が記録されている。今度は赤い腕章を着けていない。今度は右翼だった。

その後、右翼国家主義のなかでアドルフ・ヒトラーは貪欲に頭角を現わしてゆく。予備大隊の代議員を勤めた彼に批判の矢が向けられることはなく、それどころか昔の戦友のとりなしによって、まもなくこの日和見主義者は共産党の策謀に対する調査委員会に名を連ねることになった。ヒトラー一等兵は新しい権力者に仕える所存だった。必要とあらば、レーテ時代の同志を売り渡すことすら辞さなかった。社会主義政党の集まりを監視し、スパイ行為を働く覚悟でいた。こうして彼は、軍を追い出されることをまたしてもまぬがれた。昔の貧困生活へ転落することをまぬがれたのである。

 

確たる政治的知見もなく、漠然と周囲の多数派の意見に同調するだけの劣悪な人間が一たび異常に極端な思想に感染するや、自分の意見に狂信的に固執し、一切の懐疑を持たず、反対者をどんなおぞましい手段を用いても排除することを自己目的化する、という展開が、ちょっと前までマスコミの左翼論調を鵜呑みにする知的能力しかなかった分際で、「ネットで真実に目覚めた」などと盲信し、愚行醜行の限りを尽くす、現代日本のネット右翼(というかネット暴民・ネット衆愚)を思い起こされて、何とも不吉な感じがします。

まさかとは思うし、他国でも醜悪な衆愚政治の様相がますます強まっている以上、決して日本だけの問題ではないでしょうが、これからの日本が周回遅れで当時のドイツと全く同じでないにせよ、同種の破滅に向かうのではないか、との懸念が杞憂とは思えなくなっている昨今の言論状況です。

 

あの頃わたしたちはこんな歌を歌っていました。「世界の腐った骨が、戦争を怖れて震えている」。腐った骨というのは、第1次世界大戦のことを話す年寄りたちのことです。なんとひどい言い草だったことか、当時のわたしたちには想像できませんでした。「古い腐った骨は震えるにまかせておけ」とわたしたちは自分に言い聞かせました。「ぼくたち若者は先へ進むのだ。すべてが粉々に砕け散るまで」。実際にすべてが砕け散ったとき、わたしたちの熱狂ももちろん冷めていました。でも、もう遅かったのです。
――ヴィリ・ポルテ。1927年生まれ。

現在狂ったように中国・韓国に対し好戦的論調を喚き立てるネット右翼は、かつて非武装中立を主張した左翼と全く同等に、愚鈍・醜悪で国家にとって有害無益な存在です。

 

劣った人種はすぐにわかる。自分をほかの人種と比べて持ち上げたり、ほかの人種を自分と比べて見下そうとするから。
――エルンスト・ユンガー、1934年

ある特定の民族に対する憎悪を異常なまでにかき立て、国民心理の奥底にある劣情を呼び覚まし、それに迎合することを煽動手段にする、卑劣極まりない集団が、言論の自由の美名の下、(特にネット上で)野放しになっているのを見ると、心底からの怒りと軽蔑を感じる。

 

わたしは祖国の滅亡を祈る。われわれがこの世界に犯したおそるべき行為を償うには、それしか方法がない。
――ディートリヒ・ボンヘファー、1941年

日本がこのまま衰退し、取るに足らない国になっても一向に構わないから、心ある人が自国をこのように感じ、世界中から軽蔑と憎悪を向けられるようなことにならないことだけは祈らざるを得ない。

 

 

内容は手堅く、有用。

そして、この著者の訳書すべてに共通するのは、訳文の流暢さ。

訳者に恵まれている。

ヒトラー入門書としては、比較的新しいし、初心者でも読みやすく、決して悪くない。

しかし、改めて思うのが、類書としてのセバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)のずば抜けた素晴らしさ。

あの本の効用は全くもって圧倒的である。

実際、本書の「私人」の章以外の内容は、かなりの程度ハフナー著で手に入れることができる。

『ヒトラーとは何か』は、新訳が出ているようだが、書店で立ち読みしてあまり感心できない訳だったので、旧版の方がいいかもしれない。

本書も悪くないが、未読の場合はハフナーの本を優先して読むことをお勧めします。

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