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2018年5月12日

根本敬 『物語ビルマの歴史  王朝時代から現代まで』 (中公新書)

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『アウン・サン』(岩波書店)と同じ著者。

400ページ超えの分厚い新書。

だが、序章・終章含め全12章のうち、国名・国土・民族・宗教を紹介する序章と王朝時代を一括して扱う第1章以降は全て近現代史が占めるという、ちょっと偏った構成。

著者は、ミャンマーという国名の使用を否定するわけではないが、本書ではビルマという名で通すとしている。

先史時代を省略しているのはいいが、ピューを経て、ビルマ民族のパガン朝、タウングー朝(「トゥングー朝」の表記は適切ではないとしている)およびニャウンヤウン朝、コンバウン朝という、通常ではビルマ史の中軸となる王朝時代をばっさり一章で済ませるのは、やはりアンバランスな感が否めない。

コンバウン朝ビルマ王国は、1824年からの三次にわたる英緬戦争で滅亡。

第二次英緬戦争で沿岸部を割譲し、内陸国に転落したビルマ王国は、米作穀倉地帯と貿易の拠点を失い、植民地化が進むインドに隣接していたという地理的不利もあり、同時期のバンコク朝タイと同様の改革への動きがありながら、独立を維持することが出来ず、1885年イギリスに滅ぼされた。

アフガンやエジプトのように従来の君主制を形式的に存続させた上での保護国化も考えられたが、そのために適切な人物が王室にいなかったこと、すでに王権が首都周辺部にしか影響力を持たないほど弱体化していたこと、などから土着の制度を完全に廃止し、ビルマはインド帝国の一部として併合された。

しかし、土着社会の「合理的」国家制度への大幅な改編は、大きな軋轢を生み、反乱を頻発させ、植民地の統治コストを高めた。

南部の米作増産と北部の油田開発が植民地統治下で進行、インド人移民の流入が多民族社会ビルマの新たな火種となり、植民地現地軍も、分断統治の狙いからビルマ族ではなく少数民族出身者を多く採用。

1906年仏教青年会(YMBA)結成、ビルマ人中間層によるナショナリズム団体の奔り。

そこからより政治色の強い活動を主張する人々が脱退し、1920年ビルマ人団体総評議会(GCBA)結成。

このGCBAが英当局と対立と妥協を繰り返すうちに、35年ビルマ統治法でインドからの分離と外交・国防・造幣などの権限を除く限定的自治が許容され、37年にはビルマ総督の下での首相にビルマ人バモオが就任、将来的にカナダやオーストラリアのような、英連邦内で英国王を元首としたドミニオン国家となることが展望された。

一方、このような漸進的路線に反発し、全面独立を目指す人々が、1930年「我らのビルマ協会(タキン党)」を結成、社会主義色も取り入れた急進的団体となり、後に加入したアウンサンらが指導者となる。

太平洋戦争で日本軍が侵攻、アウンサンらはビルマ独立義勇軍を結成、対日協力に踏み切り、1942年5月日本軍はビルマ全土を制圧。

43年、戦前の首相解任時のいきさつで反英的になっていたバモオを国家元首としてビルマに独立が付与されたが、厳しい軍政と戦局の悪化で日本軍と現地社会の軋轢は強まっていく。

44年インパール作戦失敗を見たアウンサンは「反ファシスト人民自由連盟(ビルマ語略称パサパラ)」を結成、対日武装蜂起。

これは日本側の視点だけで見て、「裏切り」などと言うべきものではないでしょう。

アウンサンらは現実を見て、ビルマの独立の為に、その都度最も有効な手段を採っただけです。

戦争末期の対日蜂起でイギリスとの交渉の基礎を手に入れたアウンサンとパサパラは戦後も主導権を把握。

アトリ―労働党内閣と独立に向けた協定締結に成功するが、47年アウンサンはGCBA系政治家の政敵に暗殺されてしまう。

1948年独立達成後は、後継のウー・ヌが首相となり政権を担当。

だが、共産党およびカレン族ら少数民族の武装蜂起で、独立後の現実は多難を極める。

1962年国軍によるクーデタが発生、ネィウィン軍事政権が成立。

ビルマ式社会主義を標榜、共産主義とは厳に一線を画しつつも、硬直的な産業国有化政策と権威主義的支配、孤立主義的な中立外交路線を採用。

私は、民主主義を絶対視するような立場には全く立っていないが、この軍事政権の長期支配はやはり失敗だと思わざるを得ない。

韓国・台湾やアセアン諸国で、経済発展に成功し次世代の政治自由化の基盤を築いた権威主義政権とは同列に評価できない。

1988年大規模な民主化運動でネィウィンは退陣するが、新たな軍事政権が成立、90年行われた総選挙でのアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)圧勝の結果を認めず、92年指導者となったタンシュエ大将がそのまま二十年近く居座り続ける展開となる。

62年にも88年にも、軍の台頭をある程度必然とする混乱や無秩序は存在したんでしょうが(本書でも88年の民主化運動の中で、人民裁判的な殺戮行為が一部の民衆によって犯されたことが記されているし、これを軍によるプロパガンダと片付けることは出来ないと思う)、この二度目の軍事政権の統治も到底成功であったとも、正統性があるとも言い難い。

本書でのアウンサンスーチーに関する記述は、「民主化運動のカリスマ的闘士」を一方的に礼賛するというのではなく、目的は手段を正当化するという考え方を拒否し非暴力的手段のみを主張し、和解と対話を最重視し、一方的な正邪観念に囚われず、国軍の政治支配を批判してもその存在意義自体は認め、政治的復讐を戒める、妥協を旨とする人物、といったものであり、こうした書き方であれば私のような人間にもすっきりと得心できる。

(ただし、北朝鮮のような完全な全体主義的独裁国家には、そのような高貴な抵抗は無力でしょう。あれほど国際社会で非難されたミャンマー軍事政権ですから、さすがの私も積極的に擁護する気はありません。ただし、それがあくまで権威主義体制に属するものであり、完全な全体主義体制ではなかったであろうことは述べておきたいと思います。)

タンシュエ引退後、軍事政権は2011年民政移管、テインセインが大統領就任。

依然国軍の影響力の強い政治制度ではあるが、驚くべきかつ幸いなことにこの政権で漸進的な議会主義化が着実に行われていった。

軍事政権が、自国イメージと経済状況好転の為には民主化を求める西側諸国との関係改善が不可欠だと判断したこと、また関係が緊密だった中国による支援への過度の依存を懸念するようになったことが理由と考えられる。

本書は2014年1月刊行のため、2013年までの状況しか記されていないが、その後15年総選挙を経て、16年にはアウンサンスーチーが国家最高顧問という形で主導する政権ができるまでになっている。

仏教徒の多数派ビルマ人と対立関係にある、イスラム教徒の少数民族ロヒンギャ族への迫害について、スーチー氏が明確に非難しておらず、一部には彼女からノーベル平和賞を剥奪すべきだとの声すらあるようだが、これが軍事政権にあれほど勇敢に抵抗したスーチー氏すら、近現代の世界史の禍根たる、民衆の多数派が形作る悪には抵抗できないという証拠なのか、それともこの場合も一方を絶対善、他方を絶対悪として対話の基盤を破壊することを避け、苦しい妥協の道を見出すための努力をしているのだと見なすべきなのか、私にもわからないので、判断は留保します。

 

 

著者はあとがきで、国民や民族を主語にした一国史の形式はもはや時代遅れではあるが、いまだその種の通史は必要とされていると自分に言い聞かせて執筆した、ただし、国民国家としての制度が植民地時代に形成された以上、前近代の部分は最小限に抑え、近現代史の記述に重点を置いた、と書いている。

それもわからなくはないんですが、やっぱり私としては他の『物語~の歴史』シリーズと同じ形式に合わせてもらいたかったところです。

同じあとがきで、英文で出版されたビルマ通史の中には、近現代史偏重のビルマ史叙述を批判して、古代や前近代の分析に力点を置いた秀作もあると書かれているが、そういった本を翻訳するか、それを参考にして書き下ろしてもらいたかった。

ページ数の割にはすらすら読めるし、文章は流暢と言える。

データやエピソードも豊富で、興味深い。

著者の史観についても、特に引っかかる点は(予想と異なり)無かった。

だが、やはりこれは『ビルマ現代史』というタイトルで出すべき本だ。

その題であれば、評価は「4」くらいになるが、『物語~』シリーズとしては対象時代のページ配分がおかし過ぎるので、評価は「3」とせざるを得ない。

ミャンマー(ビルマ)の近現代史を知るには適切な本。

ただ、通史としては欠落があります。

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