万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年5月29日

宮城谷昌光 『劉邦 上・中・下』 (毎日新聞出版)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 23:57

以前書いたように、私は中国史上の人物では劉邦が、時代では秦末漢初が一番好きなので、あまり期待していなかったが、本書を手に取った。

楽には読める。

一日一巻、三日で読めた。

だが、出来は芳しくない。

どうしても全く同じテーマと人物を扱った、司馬遼太郎『項羽と劉邦』と比べてしまうが、登場人物の造形と個性描写、史実の叙述と背景説明、話の運び方、著名な逸話紹介の網羅性と巧みさ、著者が史実に付け加えたフィクション部分の説得性、全てにおいて司馬著の方が圧倒的に上。

本当に雲泥の差がある。

紙数はさして変わらないはずなのに、本書は劉邦周辺だけに視点が固定されており、「あれ、この話これで済ませるの?」ということが少なからずあった。

さらに、ストーリー展開のテンポが遅く、後半駆け足になるという悪癖は『草原の風』同様、全く改善されていない。

福田和也『作家の値打ち』(飛鳥新社)で、「宮城谷の小説は、「構成」という美学を決定的に忘却しているとしか思えず、その点で耐え難く退屈である。」と評されているが、素人目にもそれに同意せざるを得ない。

強いて読むほどの本ではない。

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2018年5月25日

大橋正明 村山真弓 編著 『バングラデシュを知るための60章』 (明石書店)

Filed under: インド — 万年初心者 @ 00:01

インド東部、ガンジス川下流にあるベンガル人の国。

首都はダカ(ダッカ)。

北海道の二倍ほどの国土に、日本より多い1億4千万人が住み、人口密度は高い。

1947年インド・パキスタン分離独立時には、イスラム教徒が多数だった為、飛び地として東パキスタンとなる。

ただし、ベンガル西部はヒンドゥー教徒が多数派の為、インド領に(ここで1905年のベンガル分割令を想起。西ベンガルの中心地はカルカッタ)。

パキスタンの一部となったものの、独立当初は公用語がウルドゥー語とされ、ベンガル語が排されたように(のちに両方が公用語化)、アユブ・ハーンおよびヤヒヤ・ハーン軍事政権下の西パキスタン優位の状況が続き、不満が高まる中、1971年ムジブル・ラーマン率いるアワミ(「人民の」)連盟が東部の総選挙で圧勝すると、ヤヒヤ・ハーン政権は東パキスタン自治を弾圧、そこにインドが介入し第三次印パ戦争勃発、パキスタンは敗北し、1972年バングラデシュ独立(本書を含め、独立を実質71年としている本もある)。

独立後の経済復興は難航し、アワミ連盟への支持が急速に弱まる中、1975年ムジブル・ラーマンは殺害され、同年軍事クーデタを経て軍人出身のジヤウル・ラーマン政権成立。

81年そのジヤウル・ラーマンも暗殺され、エルシャド中将が大統領就任。

ジヤウル・ラーマンはバングラデシュ民族主義党(BNP)という官製政党を結成し、それがアワミ連盟と並んで二大政党となるが、1990年エルシャド政権を倒した民主化運動にはBNPも参加。

以後、アワミ連盟とBNPの競合による議院内閣制が続いている。

西ベンガル(およびインド)との共通性を強調する「ベンガリ・ナショナリズム」と、ムスリムの独立国民としてのアイデンティティを強調する「バングラデシ・ナショナリズム」が民衆意識の底で対峙している。

アワミ連盟が「社会主義、対インド友好、政教分離、マイノリティのヒンドゥー教徒保護」という基本路線を90年代以降曖昧にしたので、二大政党の対立は理念や政策に拠るものではなく、人的確執や権力闘争の色彩が強くなっているという。

 

 

バングラデシュについて知っておくべき一般常識としては、これくらいでいいか。

本書からは以上のことを読み取れば十分。

全編通読しなくていい。

2018年5月21日

ゴーゴリ 『死せる魂 下』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 01:50

上・中巻の第一部に続いて、この下巻は第二部となる。

上・中巻記事で、第二部は未完成の草稿状態と書いたが、読んでみるとそうでもない。

一応きちんとした話の筋は整っている。

ただ、一部で原稿が失われており、末尾は完全に断絶している。

深刻な社会矛盾を描写しながらも、教条的な告発調には陥っておらず、ユーモアとペーソス溢れる文体が全体を中和しているのは、本作全篇のみならず、ゴーゴリの作品全てに共通しているものと思われる。

有難いことに、通読難易度は低い。

高校教科書にも載っているこの代表作を読んだからには、ゴーゴリはもうこれ以上読まなくてもいいでしょう。

2018年5月17日

廣瀬陽子 『アゼルバイジャン  文明が交錯する「火の国」 ユーラシア文庫5』 (群像社)

Filed under: ロシア — 万年初心者 @ 04:15

カテゴリに迷う。

「イスラム・中東」でいいかもしれないが、旧ソ連構成国ということで、「ロシア」にします。

中公新書で『物語アゼルバイジャンの歴史』は出そうにもないし、出ても読むかどうかわからない。

明石書店のエリア・スタディーズ『~を知るための〇〇章』でもこの国は見たことはない(たぶん)。

で、たまたま書店で見かけたこれを記事にする。

2016年刊。

アゼルバイジャンは、西の黒海、東のカスピ海に挟まれたコーカサスにある国で、東はカスピ海、西はグルジア(ジョージア)とアルメニア、南はイランに接する。

言語はアルタイ語族でトルコ語に近い。

イスラム教徒が九割以上、そのうち七割がシーア派、三割がスンナ派。

キリスト教を奉ずる、隣国アルメニア、グルジアとこの点異なる。

首都はバクー、石油と天然ガスを産出し、資源は豊か。

民族の起源としては「コーカサス・アルバニア人」説(このアルバニアはバルカン半島の国とは無関係)と「トルコ人」説がある。

独立していた時期は短く、古代からメディア、ササン朝、サファヴィー朝とイラン勢力の支配下にある時期が長い。

1828年トルコマンチャーイ条約でアゼルバイジャンはカージャール朝ペルシアとロシア帝国との間で南北分割、その為、現在でもイラン北部に多数のアゼルバイジャン人が在住。

帝政ロシア治下で、アゼルバイジャン人とアルメニア人の対立が生まれる。

ロシア革命で短期間の独立を経験したが、1920年赤軍がバクー制圧、1922年コーカサス三国がザカフカスとしてソヴィエト連邦加入国に(36年にザカフカスは分解)。

ソ連時代末期、アゼルバイジャン出身者ヘイダル・アリエフが中央指導層の一員に加わるが、ペレストロイカを推進するゴルバチョフからブレジネフ派の残党と見なされ、解任される。

共産党独裁体制弱体化の中で、アルメニアとの民族対立が激化、アゼルバイジャン領内にあり、アルメニア系人口が多いナゴルノ・カラバフ自治州が焦点となる。

1991年ソ連崩壊に伴い、独立。

92年アルメニアがナゴルノ・カラバフを占拠、現在でもこの状態が続いているという。

独立時、最後の共産党第一書記ムタリボフが初代大統領に就任したが、抗議運動で辞任、92年反共産党勢力「人民戦線」のエルチベイが大統領に当選。

しかし、民主的な理想主義者ではあるが、ロシアとイランという南北の大国を敵視する一方、米国とトルコとの連携を重視し、CIS(独立国家共同体)から脱退し、経済混乱も収拾できなかったエルチベイは、93年クーデタで政権の座を追われる。

替わったのは、上記ヘイダル・アリエフであり、経済と社会の安定について一定の成果は挙げたが、その政治は著しく権威主義化し、2003年のアリエフ死後は息子のイルハム・アリエフが後継者となり、「大統領君主制」とも言うべき体制が続いている。

 

 

この国について知っておくべきことは、以上くらいでいいでしょう。

100ページほどのパンフレットみたいな本だが、これで十分。

読む労力とテーマの重要性の兼ね合いから言って、適切な本です。

2018年5月12日

根本敬 『物語ビルマの歴史  王朝時代から現代まで』 (中公新書)

Filed under: 東南アジア — 万年初心者 @ 05:14

『アウン・サン』(岩波書店)と同じ著者。

400ページ超えの分厚い新書。

だが、序章・終章含め全12章のうち、国名・国土・民族・宗教を紹介する序章と王朝時代を一括して扱う第1章以降は全て近現代史が占めるという、ちょっと偏った構成。

著者は、ミャンマーという国名の使用を否定するわけではないが、本書ではビルマという名で通すとしている。

先史時代を省略しているのはいいが、ピューを経て、ビルマ民族のパガン朝、タウングー朝(「トゥングー朝」の表記は適切ではないとしている)およびニャウンヤウン朝、コンバウン朝という、通常ではビルマ史の中軸となる王朝時代をばっさり一章で済ませるのは、やはりアンバランスな感が否めない。

コンバウン朝ビルマ王国は、1824年からの三次にわたる英緬戦争で滅亡。

第二次英緬戦争で沿岸部を割譲し、内陸国に転落したビルマ王国は、米作穀倉地帯と貿易の拠点を失い、植民地化が進むインドに隣接していたという地理的不利もあり、同時期のバンコク朝タイと同様の改革への動きがありながら、独立を維持することが出来ず、1885年イギリスに滅ぼされた。

アフガンやエジプトのように従来の君主制を形式的に存続させた上での保護国化も考えられたが、そのために適切な人物が王室にいなかったこと、すでに王権が首都周辺部にしか影響力を持たないほど弱体化していたこと、などから土着の制度を完全に廃止し、ビルマはインド帝国の一部として併合された。

しかし、土着社会の「合理的」国家制度への大幅な改編は、大きな軋轢を生み、反乱を頻発させ、植民地の統治コストを高めた。

南部の米作増産と北部の油田開発が植民地統治下で進行、インド人移民の流入が多民族社会ビルマの新たな火種となり、植民地現地軍も、分断統治の狙いからビルマ族ではなく少数民族出身者を多く採用。

1906年仏教青年会(YMBA)結成、ビルマ人中間層によるナショナリズム団体の奔り。

そこからより政治色の強い活動を主張する人々が脱退し、1920年ビルマ人団体総評議会(GCBA)結成。

このGCBAが英当局と対立と妥協を繰り返すうちに、35年ビルマ統治法でインドからの分離と外交・国防・造幣などの権限を除く限定的自治が許容され、37年にはビルマ総督の下での首相にビルマ人バモオが就任、将来的にカナダやオーストラリアのような、英連邦内で英国王を元首としたドミニオン国家となることが展望された。

一方、このような漸進的路線に反発し、全面独立を目指す人々が、1930年「我らのビルマ協会(タキン党)」を結成、社会主義色も取り入れた急進的団体となり、後に加入したアウンサンらが指導者となる。

太平洋戦争で日本軍が侵攻、アウンサンらはビルマ独立義勇軍を結成、対日協力に踏み切り、1942年5月日本軍はビルマ全土を制圧。

43年、戦前の首相解任時のいきさつで反英的になっていたバモオを国家元首としてビルマに独立が付与されたが、厳しい軍政と戦局の悪化で日本軍と現地社会の軋轢は強まっていく。

44年インパール作戦失敗を見たアウンサンは「反ファシスト人民自由連盟(ビルマ語略称パサパラ)」を結成、対日武装蜂起。

これは日本側の視点だけで見て、「裏切り」などと言うべきものではないでしょう。

アウンサンらは現実を見て、ビルマの独立の為に、その都度最も有効な手段を採っただけです。

戦争末期の対日蜂起でイギリスとの交渉の基礎を手に入れたアウンサンとパサパラは戦後も主導権を把握。

アトリ―労働党内閣と独立に向けた協定締結に成功するが、47年アウンサンはGCBA系政治家の政敵に暗殺されてしまう。

1948年独立達成後は、後継のウー・ヌが首相となり政権を担当。

だが、共産党およびカレン族ら少数民族の武装蜂起で、独立後の現実は多難を極める。

1962年国軍によるクーデタが発生、ネィウィン軍事政権が成立。

ビルマ式社会主義を標榜、共産主義とは厳に一線を画しつつも、硬直的な産業国有化政策と権威主義的支配、孤立主義的な中立外交路線を採用。

私は、民主主義を絶対視するような立場には全く立っていないが、この軍事政権の長期支配はやはり失敗だと思わざるを得ない。

韓国・台湾やアセアン諸国で、経済発展に成功し次世代の政治自由化の基盤を築いた権威主義政権とは同列に評価できない。

1988年大規模な民主化運動でネィウィンは退陣するが、新たな軍事政権が成立、90年行われた総選挙でのアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)圧勝の結果を認めず、92年指導者となったタンシュエ大将がそのまま二十年近く居座り続ける展開となる。

62年にも88年にも、軍の台頭をある程度必然とする混乱や無秩序は存在したんでしょうが(本書でも88年の民主化運動の中で、人民裁判的な殺戮行為が一部の民衆によって犯されたことが記されているし、これを軍によるプロパガンダと片付けることは出来ないと思う)、この二度目の軍事政権の統治も到底成功であったとも、正統性があるとも言い難い。

本書でのアウンサンスーチーに関する記述は、「民主化運動のカリスマ的闘士」を一方的に礼賛するというのではなく、目的は手段を正当化するという考え方を拒否し非暴力的手段のみを主張し、和解と対話を最重視し、一方的な正邪観念に囚われず、国軍の政治支配を批判してもその存在意義自体は認め、政治的復讐を戒める、妥協を旨とする人物、といったものであり、こうした書き方であれば私のような人間にもすっきりと得心できる。

(ただし、北朝鮮のような完全な全体主義的独裁国家には、そのような高貴な抵抗は無力でしょう。あれほど国際社会で非難されたミャンマー軍事政権ですから、さすがの私も積極的に擁護する気はありません。ただし、それがあくまで権威主義体制に属するものであり、完全な全体主義体制ではなかったであろうことは述べておきたいと思います。)

タンシュエ引退後、軍事政権は2011年民政移管、テインセインが大統領就任。

依然国軍の影響力の強い政治制度ではあるが、驚くべきかつ幸いなことにこの政権で漸進的な議会主義化が着実に行われていった。

軍事政権が、自国イメージと経済状況好転の為には民主化を求める西側諸国との関係改善が不可欠だと判断したこと、また関係が緊密だった中国による支援への過度の依存を懸念するようになったことが理由と考えられる。

本書は2014年1月刊行のため、2013年までの状況しか記されていないが、その後15年総選挙を経て、16年にはアウンサンスーチーが国家最高顧問という形で主導する政権ができるまでになっている。

仏教徒の多数派ビルマ人と対立関係にある、イスラム教徒の少数民族ロヒンギャ族への迫害について、スーチー氏が明確に非難しておらず、一部には彼女からノーベル平和賞を剥奪すべきだとの声すらあるようだが、これが軍事政権にあれほど勇敢に抵抗したスーチー氏すら、近現代の世界史の禍根たる、民衆の多数派が形作る悪には抵抗できないという証拠なのか、それともこの場合も一方を絶対善、他方を絶対悪として対話の基盤を破壊することを避け、苦しい妥協の道を見出すための努力をしているのだと見なすべきなのか、私にもわからないので、判断は留保します。

 

 

著者はあとがきで、国民や民族を主語にした一国史の形式はもはや時代遅れではあるが、いまだその種の通史は必要とされていると自分に言い聞かせて執筆した、ただし、国民国家としての制度が植民地時代に形成された以上、前近代の部分は最小限に抑え、近現代史の記述に重点を置いた、と書いている。

それもわからなくはないんですが、やっぱり私としては他の『物語~の歴史』シリーズと同じ形式に合わせてもらいたかったところです。

同じあとがきで、英文で出版されたビルマ通史の中には、近現代史偏重のビルマ史叙述を批判して、古代や前近代の分析に力点を置いた秀作もあると書かれているが、そういった本を翻訳するか、それを参考にして書き下ろしてもらいたかった。

ページ数の割にはすらすら読めるし、文章は流暢と言える。

データやエピソードも豊富で、興味深い。

著者の史観についても、特に引っかかる点は(予想と異なり)無かった。

だが、やはりこれは『ビルマ現代史』というタイトルで出すべき本だ。

その題であれば、評価は「4」くらいになるが、『物語~』シリーズとしては対象時代のページ配分がおかし過ぎるので、評価は「3」とせざるを得ない。

ミャンマー(ビルマ)の近現代史を知るには適切な本。

ただ、通史としては欠落があります。

2018年5月8日

カレル・チャペック 『ロボット  (R.U.R)』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 05:46

チャペックはチェコスロヴァキアの作家で、1890年に生まれ、ミュンヘン会談の年、1938年に死去している。

代表作に『山椒魚戦争』もあるが、短い戯曲のこれを選んだ。

チェコ語の「賦役」を意味する「ロボタ」から造られた新語のロボットは、この作品によって世界中に広まることになった。

内容は大概の人の想像通りだが、通俗的なお説教と片付けられない迫力がある。

様々な種類の技術主義による(最近では特に情報通信技術の)進歩を称揚する人間が後から後から湧いて出る現代社会だが、ほとんど同意できる部分が無い。

とは言え、もう技術革新は何をもってしても制御できないんでしょうねえ。

ある種の諦観に浸るしかない。

深刻なテーマを扱いながら、非常に読みやすく、高校レベルの次に出てくるくらいの古典作家に触れるには適切な作品。

充分お薦め出来ます。

2018年5月4日

冨田健之 『武帝  始皇帝をこえた皇帝』 (山川出版社世界史リブレット)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 06:42

この人物について、どういうイメージを持っていますか?

前漢のみならず、中国古代帝国の最盛期を現出した皇帝であろうことは間違いないが、その分驕慢に陥り、限度を超えた外征で国力を疲弊させ、次代の衰退の種を撒いた「傾国の君主」という意味で、フェリペ2世やルイ14世、アウラングゼーブと共通するイメージを持っている人もいるかもしれません。

本書での解釈はかなり異なる。

まず、漢初に宗族と有力功臣へのやむを得ない妥協として採用された郡国制が、呉楚七国の乱を経て、実質郡県制に移行し、その中央集権化された強力な帝国を武帝は自動的に引き継ぎ、その上に立って華々しい治世を開始した、というイメージを否定。

当時の統治技術では、中央政府に全ての政治決裁が集中する郡県制は、始皇帝のような超人的為政者がいなければ成り立たないシステムであり、それ故、秦は二世皇帝以降瞬く間に瓦解した。

漢王朝はそれに鑑み、郡国制を積極的に採用したのであって、それは「決して緊急避難的に郡県制と封建制を折衷したものではなかった」。

郡国制は皇帝統治にとって、ネガティブな妥協ではなく、効率的な帝国支配の為の、有益な方策であった。

しかし、宗室の諸王封建は、宗室成員の増加と封地をめぐる対立激化に帰結し、呉楚七国の乱後の王国細分化は地方統治の質的低下をもたらした。

そうした事態を受けて、諸王国の実質直轄化が行われたのであり、皇帝統治において「やむを得ない妥協」として採用されたのは、実は「漢初の郡国制」ではなく「景帝期の実質郡県制」の方だった、というのが、本書の主張。

武帝は、既に中央集権化された帝国を自動的に、何の問題も無く継承したのではなく、新たに必要とされた巨大な官僚組織を運用する為、丞相を自立的な政策立案者ではなく組織管理者と位置付け、それを中心に官僚統御の手段である皇帝官房を整備した「創始者」である、とされている。

その結果、漢王朝は秦よりもはるかに長命を保つことを得たのであり、本書の副題の通り、著者は武帝を始皇帝をも超えた存在であると評価している。

なお、本書も80ページ余りのパンフレットのような厚さなので、具体的史実の記述はスケッチに過ぎないが、それでも「曲学阿世」の語源ともなった非難を蒙りながらも武帝の意を受けて丞相職の質的変化を推し進めた公孫弘、巨大な存在感を持つ父の影に置かれ、ついに非業の死を遂げた皇太子劉拠とその母である衛皇后などの描写が興味深い。

 

意外なことに、このレーベルでは、超有名人を扱った本書が一番面白かった。

従来の学説と最新の学説とのズレを初心者にも十分理解できるレベルで説明してくれている。

武帝期、古代の中央集権的皇帝政治が、宋代以降の近世君主独裁制と比較してどうか、なども語って欲しかった気がするが、それは期待しすぎか。

十分有益で読む価値がある本であると保証します。

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