万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年4月30日

井上浩一 『ビザンツ皇妃列伝  憧れの都に咲いた花』 (白水社uブックス)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 04:26

「ビザンツ史の本っていつから追加してないんだ?」とふと思ったので、書名一覧を見たら、中公新版世界史全集井上浩一 栗生沢猛夫『ビザンツとスラヴ』を2008年10月に記事にしたきりで、絶句してしまった。

十年って・・・・・。

ギボン『ローマ帝国衰亡史 7』での

われわれが東帝国の衰亡の過程に一層深く立ち入るに応じて、次々に続く皇統の年代記は一足ごとに一層実りの乏しい憂鬱な作業を私に課すことになり、この種の年代記は退屈極まる衰弱と悲惨の千篇一律な物語の反復の連続になるに違いない。

という言葉に同意する気は必ずしもないし、ギボンがこの文章の後に記す帝位の有為転変も、実際に読んでみると面白いと思わないことはないが、正直好きな分野ではない。

しかし、いくら何でも間隔が空きすぎており、それで何でもいいから追加しようと思ってこれを選んだのだが、本書は上記『ビザンツとスラヴ』および『生き残った帝国ビザンティン』と同じく井上浩一氏の著書なので、良書であることはほぼ保証済みでしょう。

タイトルだけ見たら、たぶん読もうとは思わなかっただろうが、井上氏の本ということで選択。

ビザンツ全史から8人の皇妃を取り上げ、簡略な伝記的叙述を行いつつ、ビザンツ通史の役割も果たしている。

以下、その8人。

 

 

1.エウドキア

初代東ローマ皇帝アルカディウスの子テオドシウス2世の妃。

アテネの異教徒哲学者の娘で、元の名はアテナイス。

テオドシウスの姉プルケリアが独身を誓い、キリスト教的権威を背景に宮廷で実権を握る。

(かつて、その母エウドクシアも夫アルカディウスを補佐して政治に介入していた。)

異教徒への厳格な措置とササン朝ペルシアへの強硬策失敗が不満を買い、異教的古典文化を重視する「伝統派」が台頭、エウドキアはそれを背景に皇妃に選ばれたものと見られる。

431年エフェソス公会議にて、キリストの人性を強調し、聖母マリアを「神の母」と呼ぶことに反対し、暗黙裡に女性であるプルケリアの政治支配も批判する、厳格なネストリウス派が異端と認定。

プルケリアとの争いに敗れたエウドキアは自身もキリスト教信仰に目覚め、エルサレムに巡礼、夫婦仲も冷え、のちにエルサレムで二十年近く過ごす。

宦官によって一時宮廷を追われたプルケリアは、キリストの神性を強調する単性論論争をきっかけに復帰、450年テオドシウス2世が死去すると、マルキアヌスという元老院議員と形式上の結婚をして次の皇帝に立てた。

451年カルケドン公会議でローマ教皇の支持も得て、単性論が異端とされた。

当時エルサレムで存命中のエウドキアは単性論派ら異端や異教徒、ユダヤ人に寛容を旨として接したという。

453年プルケリアが死去、西ローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世と結婚していたエウドキアの娘リキニアが455年ヴァンダル族のローマ掠奪によってアフリカに連れ去られ、460年エウドキアも死去。

その生涯は古典文化とキリスト教、古代と中世への移行期を象徴するものだったとされている。

 

 

2.テオドラ

ユスティニアヌス1世の妻として、歴代皇妃の中で最も有名。

532年首都で起こったニカの反乱に際し、夫を励まし断固鎮圧の意志を固めさせた見事が演説が伝えられる一方、歴史家プロコピオスの『秘史』では様々な醜聞が毒々しく記されている。

テオドラは劇場の見世物業者を父に生まれ、自らも踊り子として舞台に立っていた。

ユスティニアヌス自身が、伯父ユスティヌス1世と共に、一介の農民から成りあがった存在であり、テオドラの生まれも、社会的流動性が極めて高い当時のビザンツ帝国ではさほど異常なこととは見られなかった。

テオドラは、「パンとサーカス」を求める首都の大衆社会、女性の地位向上、皇帝専制政治確立を象徴する存在であり、それが教会人とプロコピオスの非難に繋がったと思われる。

 

 

3.マルティナ

伯父であるヘラクレイオス帝と結婚、近親婚の非難を受ける。

カルタゴから艦隊を率いて暴君と言われるフォーカス帝を打倒し、首都の歓呼の中即位したヘラクレイオス帝だが、最初の妻を亡くしてからは無気力に陥り、ササン朝にエルサレム、シリア、エジプトを奪われ、帝国は崩壊の危機に瀕する。

しかし、マルティナとの結婚を機にヘラクレイオスは胆力を取り戻し、ペルシアの都クテシフォンに進撃、シリア、パレスチナ、エジプトを奪還。

この復活劇はギボンを読んでいて極めて印象的だったのだが、それも束の間、イスラム信仰に燃えるアラブ軍の侵攻を受け、636年ヤルムーク河畔の戦いに敗北、シリア、エジプトは失われる。

641年ヘラクレイオス死去、最初の妻との子コンスタンティノス3世が即位するが病弱でわずか百日余りの在位で死去、マルティナの子ヘラクロナスが跡を継ぐが、3世の子コンスタンス2世を推戴する反乱が勃発、マルティナは舌を切られ、ヘラクロナスは鼻を削がれて、両者とも追放されるという悲惨な結果となる。

本書は、マルティナがコンスタンティノスを毒殺したという説には根拠が薄く、一族の帝位争いというより、皇帝専制体制に伴う党争にマルティナらは意図せず巻き込まれたとの見方を示している。

 

 

4.エイレーネー

ビザンツ史上最初の女帝。

イサウリア朝始祖で聖像禁止令を発布したレオン3世の子がコンスタンティノス5世。

その子レオン4世の妃として選ばれる。

775年レオン4世が即位したが病弱で死去、エイレーネーの子コンスタンティノス6世が9歳で即位、エイレーネーが摂政として実権を握る。

聖像崇拝を慎重に復活させ、正教信仰の擁護者としての名声を得る。

成長したコンスタンティノス6世が母に不満を持ち、エイレーネーを幽閉して実権を取り戻したが、ブルガリア遠征に失敗、離婚と総主教の非難で人心が離反すると、エイレーネーによってコンスタンティノスは捕らえられ、何と実母の命令で目をくり抜かれてしまう。

797年エイレーネーが皇帝即位。

アッバース朝ハールーン・アッラシードの軍勢に敗北、ビザンツが女性皇帝となったのを見たローマ教皇レオ3世はそれを口実としてカロリング朝フランク国王のカールに帝冠を授与。

カール大帝とエイレーネーの結婚による東西ローマ帝国の再統合という驚くべき計画が持ち上がると、それに反発する勢力が802年宮廷クーデタを起こし、ニケフォロス1世が即位、エイレーネーはレスボス島に流され翌年死去。

再度始まった聖像破壊運動は長続きせず、聖像崇拝が復興、エイレーネーは名誉回復し聖人とされた。

 

 

5.テオファノ

二人の夫を始め多くの親族を殺したと疑われ、稀代の悪女と呼ばれてきた皇妃。

時代はバシレイオス1世に始まるマケドニア朝。

テオファノは酒商人または酒場の娘として生まれ、その低い生まれにも関わらず、外戚の政治介入を避けるため、前述のエイレーネーが創案したと見られる「皇妃コンクール」によってか、コンスタンティノス7世の皇太子ロマノスの妃に選ばれる。

956年即位したロマノス2世は放蕩的生活を続けたが、帝国は最盛期を迎えており、クレタ島とシリア諸都市を奪還。

963年ロマノス2世が急死したが、これをテオファノによる毒殺とするのは余りにも根拠薄弱とのこと。

テオファノの二人の子バシレイオス2世とコンスタンティノス8世がひとまず跡を継いだが、この時代、皇帝専制政治を支える官僚群と地方有力貴族の対立が激化しつつあった。

間もなく、後者を代表するニケフォロス・フォーカスが自らを皇帝と宣言、首都の市街戦に勝利し、ニケフォロス2世として即位、二子の後見役として君臨、さらにテオファノと結婚。

対外遠征に成功してイスラム勢力を押し返し、キプロス島、アンティオキアを占領するが、厳格な軍人皇帝が実施する教会財産の制限と兵士優遇策に対し不満が鬱積、969年皇帝の親族のヨハネス・ツィミスケスがテオファノの手引きで宮殿に侵入、ニケフォロス2世を殺害してヨハネス1世ツィミスケスとして即位。

テオファノの悪行とされることの内、この二度目の夫殺害とツィミスケスとの愛人関係だけは事実であろうとされている。

ヨハネス1世は即位した途端、テオファノを体よく追い払い、ロマノス2世の妹と結婚。

この皇帝も引き続き、ブルガリア人などに対する対外的勝利を重ねたが、976年死去。

テオファノの子バシレイオス2世が帝位に就き、テオファノは都に戻ったが、おそらく間もなく死去したものと思われる。

マケドニア朝はビザンツの国力が頂点に達したとされるものの、その割にニケフォロス2世とヨハネス1世は即位の経緯に内乱が絡み在位期間も短いが、このバシレイオス2世は1025年まで五十年近く在位し、皇帝権を阻む貴族層を抑圧し、文字通りの最盛期を現出した。

テオファノの悪行とされるものも、専制体制の動揺と貴族層の台頭という時代背景が生み出したものが多いと評されている。

なお、もう一人、テオファノの子で歴史上極めて重要な役割を果たした人物がいる。

娘のアンナはキエフ公国のウラジミルに嫁ぎ、ロシアを正教世界に導くことになる。

 

 

6.エイレーネー・ドゥーカイナ

コムネノス朝アレクシオス1世の妻。

セルジューク朝の脅威が迫る帝国では、コムネノス家、ドゥカス家、パライオロゴス家、のちにアンゲロス家などの大貴族が実権を握り、帝位を奪い合うことになる。

1081年アレクシオス1世は帝位を奪って即位。

即位前に対立していたドゥカス家との和解・協力のためにエイレーネーと結婚。

伝統的な皇帝専制理念から離れ、大貴族との協力による国制を志向。

娘のひとり、アンナ・コムネナは『アレクシオス1世伝』を著した歴史家として有名。

本書には記載が無いが、もちろん第一回十字軍を招請した時代である。

1118年アレクシオス1世死去、子のヨハネス2世即位。

父と同様、軍事貴族の連合体制という国制を継続、帝国の安定と繁栄をひとまず実現した。

 

 

7.アニェス(アンナ)

アニェスはフランス王ルイ7世の娘で有名なフィリップ2世の妹。

ルイ7世の曽祖父アンリ3世がキエフ公ウラジミルの孫娘と結婚しているので、元々マケドニア朝ビザンツ皇帝の血をわずかながら引いている。

上記ヨハネス2世の子がマヌエル1世、その子アレクシオス2世とアニェスが結婚、アンナと改名。

11世紀末ビザンツ帝国の内政的変化と同時に、皇妃も支援目当てに外国から選ばれることが多くなる。

マヌエル1世はイタリア回復の夢を描き、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世と対立、フランス王国との対ドイツ連携の意図でアニェスの縁談がまとまる。

アレクシオス2世即位直後の首都での異母姉夫婦の陰謀をラテン人(西欧人)の力を借りて何とか鎮圧したが、帝室傍系のアンドロニコス・コムネノスが反乱を起こし、ラテン人への市民の反感を利用して首都に入城、アレクシオスを殺害しアンドロニコス1世として即位、自身がアニェスと結婚。

この数年後、第三回十字軍で東方へ向かった兄のフィリップ2世は、コンスタンティノープルには寄らず、アニェスに会わず。

1185年即位当初とは逆に、しだいにイタリア商人を始めとするラテン人優遇に傾きつつあったアンドロニコス1世に対して首都住民が反乱を起こし、イサキオス・アンゲロス(ドゥーカイナの娘テオドラの孫)が担がれイサキオス2世となり、アンドロニコスは市民に惨殺される。

そのイサキオス2世も1195年遠征中に捕らえられて目を潰され、新皇帝アレクシオス3世即位。

アニェスはその配下の一将軍と事実上結婚している。

イサキオス2世とその子アレクシオス4世は、第四回十字軍を呼び寄せ首都を攻略し復位したが、住民の不満を買い倒され、それを見た十字軍は総攻撃の後、コンスタンティノープルに再度入城、1204年ラテン帝国を建てる。

自身の甥に当たるブロワ伯ルイと会ったアニェスは「フランス語は忘れてしまいました」と冷たく答えたという。

1205年ラテン帝国軍はブルガリアに敗れ、ビザンツ亡命政権は息を吹き返し、ブルガリア、セルビアなどスラヴ人国家が乱立する情勢となった。

この状況の中で、アニェスもかつての祖国フランスと和解し、夫はラテン帝国に仕え、ブルガリア人と戦うようになったという。

 

 

8.ヘレネ・パライオロギナ

最後のビザンツ皇帝コンスタンティノス11世の母。

セルビア候家出身で、マヌエル2世と結婚。

末期のビザンツ帝国を脅かしたのはもちろん東はオスマン帝国だが、西ではセルビアがステファン・ドゥシャン大王の下、大成長しつつあった。

ドゥシャン死後は分裂、各君侯が勢力を競う情勢。

1261年コンスタンティノープルを奪回したミカエル・パライオロゴスがミカエル8世として創始したパライオロゴス朝も凄惨な帝位争いを繰り返してきた。

その争いがヴェネツィア、オスマンといった外部勢力を引き入れる形で行われ、マヌエル2世も甥を追い落とすために、オスマン帝国のバヤジット1世に臣従する始末となる。

1389年コソヴォの戦いでヘレネの父はオスマン側について同族と戦っており、オスマン朝がキリスト教信仰を認めている限り服従する姿勢だった模様で、ヘレネの結婚が反オスマン同盟のためと見ることはできないとされている。

マヌエル2世は西欧へ軍事支援を要請する旅に出るが、1402年ティムール軍に対するバヤジット1世の大敗によってビザンツ帝国は辛くも救われる。

マヌエル2世は巧みな外交を展開、オスマン朝の後継争いに際し、メフメト1世を支援して対ビザンツ強硬派の皇子に勝利させ、協調関係を確立。

続くムラト2世もビザンツとの友好関係を望んだが、マヌエルの皇太子ヨハネス(8世)らの対オスマン強硬論が台頭、対立スルタンを担いだが、この政策は完全に失敗、逆に二十年振りにコンスタンティノープルを包囲・攻撃されてしまう。

1425年マヌエル2世死去、ヨハネス8世は東西教会合同を条件に西欧の支援を求めるが、国内の反対も強く進展せず。

1448年ヨハネス8世死去、弟のコンスタンティノス11世即位。

1450年ヘレネは死去、1453年の帝国滅亡と息子コンスタンティノスの死を見ずに済んだ。

 

 

 

素晴らしい。

無味乾燥な年代記の記述を丹念に読み取りながら、出来る限り史実に則り、歴史学の基準を守った上での想像力を働かせ、歴代皇妃の生涯を生き生きと描き出している。

そしてそれが単に歴史的人物の個人的伝記であるに留まらず、時代背景の適格な説明により、ビザンツ史全体の史的概観をも与えてくれる。

テマ制とかプロノイア制の話とその最近の学説の変化などには触れるところがないが、大した欠点ではない。

予想した通りの良書。

この分野について、初心者は無理してあれこれ読まず、本書と冒頭に挙げた井上氏の二冊の本を再読・三読した方がいいかもしれない。

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2018年4月26日

今井宏平 『トルコ現代史  オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで』 (中公新書)

Filed under: イスラム・中東 — 万年初心者 @ 05:16

分野的に類書が極めて少ない、ケマル・アタテュルク以後のトルコ現代史の本。

第一次大戦敗北後、1920年のセーヴル条約に反対し、抵抗運動を組織したムスタファ・ケマルが勝利、1922年スルタン制を廃止、23年トルコ共和国建国、ローザンヌ条約締結、24年カリフ制も廃止。

以後、ケマルの独裁的指導と与党共和人民党(昔はトルコ国民党と訳されてましたね)の一党支配体制が続く。

政教分離(世俗主義)、民族主義、国家資本主義を指針として、イスラム圏では稀有な急進的西洋化・近代化政策を推進。

1938年ケマルが死去(まだ57歳だったことにやや驚く)、イノニュが後継大統領に就任。

第二次大戦では慎重な中立政策を採り、最末期まで連合国に加わらず。

戦後、複数政党制を認め、民主党が結成。

1950年選挙で民主党が圧勝、政権交代し、メンデレスが首相に就任。

同時にイノニュも大統領職から退くが、ここから行政権の主体が大統領から首相に移行した模様。

このメンデレス政権がちょうど10年続く。

米ソ冷戦が始まり、トルコはトルーマン宣言の支援対象国とされ、西側陣営に加わり、1952年NATO加盟。

メンデレス民主党政権は、経済的門戸開放政策と地方の利益増進などで成果も挙げたが、世俗主義の部分的見直しが波紋を呼び、また民主党自身が権威主義化し、共和人民党を圧迫。

これに反発する軍部が1960年クーデタを実行、建国以来の第一共和政は終焉。

ギュルセル主導の短期の軍政の後、第二共和政成立。

主要政治勢力は四つ。

イノニュおよびエジェヴィト率いる中道左派的な共和人民党。

デミレル率いる中道右派的な公正党(民主党の後身)。

エルバカン率いる親イスラム系の国民救済党。

右派的トルコ民族主義を掲げる民族主義者行動党。

これらの勢力で政権が運営されるが、60年代末から左翼的学生・労働運動の勃興で治安が悪化、71年には軍部の圧力で内閣が総辞職するという「書簡クーデタ」が起こり、74年にはトルコ系住民保護の為、キプロスに軍事介入、西側諸国との関係が悪化。

石油ショックによる経済危機も加わり、結局1980年再度軍事クーデタ発生、第二共和政は崩壊。

それ以後、現在までが第三共和政である。

その前半をリードしたのが、多様な勢力を糾合した祖国党とそのカリスマ的指導者オザルである。

オザルは1983~89年まで首相、89~93年大統領を務め、新自由主義的政策を採用、経済成長を遂げるが、その代償として格差と腐敗も広がる。

共和人民党、(そこから生まれた)民主左派党、(公正党の後身)正道党は、祖国党への明確な対立軸を打ち出すことが出来ず、国民の不満が高まる中、主要政党は没落、第三共和政後半では、その間隙を縫って、親イスラム政党である福祉党および後身の美徳党が台頭する展開となる。

革命以来の世俗主義の守り手を自任する軍部は、96年連立政権の首相となったエルバカンに圧力をかけ翌年辞任に追い込むが、EU加盟交渉での外圧や軍による謀略の暴露などで、その影響力は低下していく。

2000~01年の金融危機を経て、01年美徳党の若手・革新グループであるギュルとエルドアンを中心に結成された公正発展党が02年総選挙で大勝、単独政権を樹立、ギュルが首相就任。

2003~14年にはエルドアンが首相として長期政権を実現、2007年には大統領にもギュルが就任、その後継として14年大統領に転じたエルドアンは、行政権の主体を首相から強大な権限を持つ大統領に移すことを主張。

国内の対立が深まる中、2016年軍部のクーデタが発生するが失敗、かえってエルドアン体制が盤石になる形勢となっている。

 

 

この国は、1789年以来君主制を放棄した国々の中では、ブラジルと並んでひとまず破滅的な結果をもたらさなかった国として、個人的には評価していたのだが、本書の叙述によって内実を見ていくと、必ずしもそうとは言えない模様。

ケマリズムと西洋化政策の恩恵を受けたエリート層とそこから取り残された大衆層との深い断絶が革命以来続き、その矛盾が親イスラム勢力の台頭という形でじわじわ表面化してきた感がある。

しかし、国内の緊張と対立が深まる中、ポピュリスト的指導者が台頭し、これまで象徴的役割だった国家元首に実質的権限が集中していく、という展開は不吉だなあと思わざるを得ない。

スルタン制はともかく、カリフ制だけは温存し、伝統的な制度と信仰を保存し、より漸進的な形での近代化政策を進める展開になっていれば・・・・・というのは都合が良すぎるか。

そんな状況では全くなかったんでしょうねえ。

世の中のことは大抵どうしようもないんでしょう。

人間というのは本当にやっかいな生き物です。

 

 

 

手軽に読める類書がほぼ無いはずなので、極めて貴重な本。

こういう知識の隙間を埋めてくれる本は非常に有り難いです。

2018年4月22日

エドガー・アラン・ポー 『黒猫 モルグ街の殺人』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 06:11

これも「高校生・大学生の頃、一読したきりで記事にした本を、別の版で再読する」シリーズです。

怪奇小説数篇と推理小説の祖とも言われる「モルグ街の殺人」を収録した短篇集。

感想は・・・・・同じです。

普通に読めて面白い。

「黄金虫」や「アッシャー家の崩壊」は、この版では未収録。

同じ古典新訳文庫で両作品の訳書が出ているはず。

あと、中公文庫の作品集が結構まとまった収録だった気がする。

訳者解説で、ポーを「研究としてはいざ知らず、現代人が楽しめる読書の対象としては、アメリカ文学史に現れた第一号と言って、そう間違いはないはずだ」と書いているが、確かにそう思える。

この訳書辺りをとりあえず押さえておけばいいんじゃないでしょうかね。

2018年4月15日

10冊で読む国際政治学

Filed under: おしらせ・雑記, 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 03:38

 

伝統的な外交史から国際政治学、そして経済や文化をも含む現在の国際関係論にまで発達した学問分野であるが、自分の関心領域から言って、やや古い印象があるが、国際政治学の名称が最もしっくりくるので、この記事でもそれを表題にします。

国際関係・外交(と近現代概説)カテゴリを中心にして、そこから必読と思われる10冊を抽出。

花井等『名著に学ぶ国際関係論』中嶋嶺雄『国際関係論』の記事で引用したブックガイドをそのまま示すのも芸が無さ過ぎるので、一応自分自身が読んだ本の中から、読破が容易な全10冊という数で選ぶことにします。

 

 

この分野では、自分にとって二人の導き手がいます。

戦後日本を代表する国際政治学者である高坂正堯(1934~96年)と、アメリカの著名な外交官であるジョージ・ケナン(1904~2005年)です。

以下のリストでも、この二人の作品を多く取り上げることになると思います。

 

 

レベルとしては、国際政治に関心があって、高校で世界史や政経が得意だった人が、大学1・2年生で読むくらいの本を想定しています(それ以上のことは私にはわかりません)。

そして、複雑で抽象的な理論的著作は読んでも分からないので、主に歴史的アプローチの作品だけを取り上げます。

 

 

 

では、具体的に書名を挙げていきましょう。

ここで、国際政治のパワー・ポリティクスを叙述した最古の文献としてトゥキュディデス『戦史』を冒頭に掲げるというのは、なかなか渋いとは思うが、まあ止めておくか。

でも、表面上の唐突さにも関わらず、そうしてもおかしくはない著作だとしておきます。

国際政治学の標準的なブックリストで最初によく挙げられるのはE・H・カー『危機の二十年 理想と現実』(岩波文庫)か。

この学問分野を確立した書と言われているので、それも当然である。

でも、残念ながら、さして面白くない。

分野に限らず、こういう「ネームバリュー抜群で読まないわけにはいかないんだが、実際通読すると面白味が無い」という本が一番困るんだよなあ。

一読は薦めるが、リストに入れるのは止めておきます。

 

 

で、実際に第一冊目に選ぶのはこれだ。

(1)ポール・ケネディ『大国の興亡 上・下』(草思社)

16世紀以降の主要国の政治・経済と覇権闘争を叙述した重厚な歴史書。

(このブログでのカテゴリは近現代概説にしている。)

1980年代末、冷戦時代および昭和時代の末期に刊行されベストセラーになった。

解説で高坂正堯氏が言うように、本書が示す一般原則よりも、細々とした史実の描写とよく考えて作られた図表が、読者にとっては有益である。

結局、国際政治学において、近現代の世界史が全ての思考における基本的材料となるが、一冊でその概観を学べる適切な本。

そして、分野を外交に絞り、その近現代全般の推移を叙述した本として、以下を採用。

(2)ヘンリー・キッシンジャー『外交 上・下』(日本経済新聞社)

著者は、米国のニクソンおよびフォード政権で大統領補佐官、国務長官を務め、学者出身の外交実務担当者としては恐らく最高の成功を収めた人物。

その回顧録である『キッシンジャー秘録 全5巻』(小学館)『キッシンジャー激動の時代』(小学館)は、初心者には極めて通読困難だが、現在の大国の政策決定の実態や、リアル・ポリティクスの外交手法について、飛ばし読みするだけで多くを学ぶことができる。

頭の切れることは間違いないし、ずば抜けた交渉能力を持った外交家でもあろうが、率直に言って、ケナンに比して人間的には好感の持てる人物では無い。

それもあって、リストに挙げるのはこの1冊のみにします。

 

 

そして、いよいよ三冊目にケナンの本を挙げる。

(3)ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)

30冊で読む世界史と重複するが、これを選ばないのはあり得ない。

20世紀のアメリカ外交を概観し、それに明確かつ冷静な評価を下す本で、本書の読み易さと有益さは只事ではない。

封じ込め政策を提唱した「X論文」を含む後半部はやや難易度が上がるが、読みこなせない程ではない。

外交に関する本では真っ先に挙げるべき名著中の名著。

続けてこれも選ぶ。

(4)『ジョージ・F・ケナン回顧録 上・下』(読売新聞社[現在は中公文庫])

一外交官の回顧録に止まらない、様々な貴重な見解に満ちた、極めて格調の高い作品になっている。

共産主義国家という人類の歴史上異例な存在と対峙することを迫られた、タカ派でもハト派でもない、真に現実主義的ながら理想を手放すこともしなかった、知的で真摯で誠実な人物の軌跡を読み取ることができる。

決して省くことのできない最高の名著。

極めて入手し難いのが残念であったが、最近中公文庫に収録されたのは、本当に喜ばしい限りである。

読売傘下に入ってからの中央公論には、いろいろ申し上げたいこともあるんですが、こうした本を再刊してくれることに対しては、感謝の言葉しかないです。

ジョージ・ケナン『レーニン・スターリンと西方世界』(未来社)も、素晴らしいソヴィエト・ロシア(外交)史となっているが、迷いに迷った末に外す。

ケナンの具体的歴史叙述で日本語で読めるものでは最良の作品となっている。

外すのは単に冊数の都合ですので、未読の方は絶対に読んだ方がいい。

その他、『アメリカ外交の基本問題』(岩波書店)『危険な雲』 (朝日イブニングニュース社)も、思索的著作である『二十世紀を生きて』(同文書院インターナショナル[現在は中公クラシックス収録])も読むべきだし、死後出版された伝記であるジョン・ルカーチ『評伝ジョージ・ケナン』(法政大学出版局)も強く薦める。

 

 

それで、戦後国際政治史の著作に進みますか。

ルイス・J・ハレー『歴史としての冷戦』(サイマル出版会)猪木正道『冷戦と共存 (大世界史25)』(文芸春秋)猪木正道『現代の世界 (世界の歴史25)』(講談社)高坂正堯『現代の国際政治』(講談社学術文庫)油井大三郎『第二次世界大戦から米ソ対立へ (世界の歴史28)』(中央公論社)猪木武徳『冷戦と経済繁栄 (世界の歴史29)』(中央公論社)下斗米伸夫『新世紀の世界と日本 (世界の歴史30)』(中央公論社)などの著作をこれまで紹介しているが、近年出たものほど面白くなくなるのは気のせいだろうか。

その中で選ぶとすれば、まずやはりこれか。

(5)高坂正堯『現代の国際政治』(講談社学術文庫)

深い叡智に満ちた歴史叙述の傑作。

やはりこれが基準となるべき著作でしょう。

国際政治学のリストなんだから、戦後史概説の本が1冊では不充分に思えるので、せめてもう1冊追加が欲しい。

これにするかな。

(6)猪木正道『冷戦と共存 (大世界史25)』(文芸春秋)

叙述に迫力と一貫性がある。

1960年代末の刊行というハンデもあるが、それを補える長所があると判断しました。

猪木正道『現代の世界 (世界の歴史25)』(講談社)は70年代末まで叙述対象が広がり、内容も詳細となって参考になる部分が多いので、一読を薦めるが、リストからは外すか。

一方、中公新版「世界の歴史」の三冊は、比較的最近出たものにも関わらず、積極的に薦める気が起きず、自分の中ではあくまでサブテキスト扱いです。

むしろ、古いながらも特色のある、ルイス・J・ハレー『歴史としての冷戦』(サイマル出版会)の一読を推奨したい。

米国の冷戦研究の権威であるギャディス(ガディス)の著作『ロング・ピース』(芦書房)『冷戦』(彩流社)は必読とまでは思えず。

 

 

そしてこの重厚かつ精緻な史書を挙げる。

(7)高坂正堯『古典外交の成熟と崩壊』(中央公論社)

ウィーン体制下の平和が、民主化と産業化が深化する以前の貴族的価値観を前提として成り立っていたことを論ずる本。

叙述の華麗さ、文体の端正さに強く印象付けられる名著。

初心者が読めない本ではないが、これは一応研究書に属する本でしょう。

にも関わらず、これは挙げます。

このテーマに関するリストでは挙げずにおれない。

 

 

他に近現代史や戦略論についての個別的な本は、いちいち紹介しきれない。

国際関係・外交カテゴリを中心に、目に付いた書名だけを少数、脈絡もなく挙げるだけにします。

岡崎久彦『戦略的思考とは何か』(中公新書)は、最初全10冊の中に入れるつもりだったんです。

1980年代前半の冷戦末期に、日本の歴史的戦略環境から対ソ防衛戦略までを平易に説いた本として、昔一読した際、様々なことを教えてくれた本として記憶に残ってはいる。

しかし、21世紀に入ってから感じた岡崎氏への違和感を思うと、無条件で推奨できる本ではなくなったなというのが正直な印象である。

興味深い本ではあるので、サブテキストとしては薦めておきます。

野田宣雄『ヒトラーの時代 上・下』(講談社学術文庫[現在は文春学藝ライブラリー収録])は、ごく簡略な一般読者向けの史書ながら、第二次世界大戦に至る大国の行動について、非常に分かりやすい解説を述べている本。

各国政策決定者の認識を説明し、そこから下した決断とそれに基づく行動が、他国の政策決定者の認識と言動を生み出していく連鎖作用を、非常に巧みに叙述している。

ごく初歩的な内容で、刊行年代が古いにも関わらず、各国が織り成した複雑な外交経緯を明快に理解させてくれるので、極めて有益な書物となっている。

(類書として、三宅正樹『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』(朝日選書)を挙げておきます。)

一方、テイラー『第二次世界大戦の起源』(中央公論社)は、やや晦渋に過ぎ、ネームバリューはあっても、初心者がその良さを汲み取るのは難しいと思われます。

曽村保信『地政学入門』(中公新書)をやたら褒める人がいるが、私にはそれほど面白いとはどうしても思えなかったし、強いて薦める気が起きない。

外交に関する古典的名著であるニコルソン『外交』(東京大学出版会)も、必読とまでは思えず。

だが、難解な本ではなく、通読はさして困難ではないので、一読しておいても良い。

マハン『海上権力史論』(原書房)も初心者には良さが分からないでしょう(もちろん私も分からない)。

著名な戦史家・戦略理論家であるリデル・ハートも、『第一次世界大戦』(原書房)はまだ読めるが、『第二次世界大戦 上・下』(中央公論新社)となると通読困難だ。

まして、クラウゼヴィッツ『戦争論』(岩波文庫)なんて、到底素人が読む本じゃないので、無視しましょう。

アダム・ウラム『膨張と共存 全3巻』(サイマル出版会)は、著名なソ連外交研究家の著書だが、入手も困難だし、ケナンの本もあるのに、強いて読まなければならない本には思えず。

ハンチントン『文明の衝突』(集英社)も、好事家的興味が無ければ、読む必要も無いように思える。

メイヨール『世界政治』(勁草書房)は、期待したほどの面白さは感じなかった。

アーネスト・メイ『歴史の教訓』(岩波現代文庫)も、ケナンの著作のような説得性は持たないと思う。

 

 

リストに戻って、国際関係論の教科書的著作として、以下を挙げる。

(8)ジョセフ・ナイ『国際紛争』(有斐閣)

これは本当に面白かった。

事前の期待を(いい意味で)大幅に裏切る本だった。

現在でも流通する一般的テキストでありながら、内容は最高レベル。

なお、増補されるごとに、細かく版数を重ねているようだが、本書の価値はその前半部にあると思われるので、入手する際には最新版にこだわる必要は無い。

 

 

そして、以下の書もやはり決して外すことは出来ない。

(9)高坂正堯『国際政治』(中公新書)

これほど感動した書物は私の人生でも滅多に無い。

刊行年代の古さを感じさせない、圧倒的な素晴らしさ。

極めて本質的で鋭い内容の叙述が全篇で繰り広げられている。

国際政治学に留まらず、広く政治や国際社会について考える際の、基礎的教養を与えてくれる。

比較的最近に出た、中西寛『国際政治とは何か』(中公新書)などの書は、それなりの良さはあっても、やはり本書に替わり得るものではない。

 

 

そして、最後はこれで締める。

(10)高坂正堯『外交感覚』(中央公論社)

この本を知っていたら、「うん?」となる方も多いと思います。

書名だけ見ると分からないでしょうが、これは1970年代末から80年代半ばに書かれた、短い時事的外交評論集です。

リストの他の本と比べると、明らかに異質ではある。

(現在では、本書の続編である『時代の終わりのとき』および『長い始まりの時代』(関連文献:高坂正堯の記事で書名だけ紹介済み)と合本となって、千倉書房から復刊されているが、最もページ数があって優れているのは第一巻の『外交感覚』なので、これだけでもよい。)

だが、時事的事件を論じた短い文章の中に、政治や外交についての極めて深い考察と叡智が含まれており、読んでいくうちに、知らず知らずその影響が身に付くようになっている。

学生時代に最も頻繁にページを手繰った本でもあるし、いろいろ考えた結果、これはやはり外せないと判断しました。

自分にとって、高坂氏は、歴史と政治を学ぶ上で、他の様々な著者と書物を知る切っ掛けとなる極めて重要な方でした。

史論・評論カテゴリ、近代日本カテゴリにも、『文明が衰亡するとき』(新潮社)『世界地図の中で考える』(新潮社)『世界史の中から考える』(新潮社)『現代史の中で考える』(新潮社)『大国日本の世渡り学』(PHP文庫)『宰相吉田茂』(中央公論社)『一億の日本人 (大世界史26)』(文芸春秋)などの著作を紹介していますが、どれもこれも良書なので、とにかくできる限り多数の著書をお読みになることをお勧めします。

 

 

なお、戦後の国際政治史について、戦後世界史の時代区分 その1 と 同 その2 で、

1943~47年【冷戦前段階期】

1947~53年【冷戦高揚期】

1953~57年【緊張緩和期】

1957~63年【再対決期】

1963~71年【多極化期】

1971~79年【デタント期】

1979~85年【最終対決期】

1985~89年【冷戦終結期】

1989~2001年【ポスト冷戦期】

2001年~【混乱期】

というような時代区分を示しましたが、別にこの通りでなくてもいいので、大まかな国際政治上の傾向はつかめるようにして下さい。

結局、そのためには出来る限り多くの年号を正確に記憶するしかない。

例えば、「1965年」という年号を見れば、ああ、この年の最大の事件はアメリカの北爆開始とヴェトナム戦争本格介入だな、大統領は民主党のジョンソンだ、近隣のインドネシアでは九・三〇事件が起こって容共的なスカルノ政権が実質崩壊した年だ、シンガポール独立もこの年でしたっけ、さらに第二次印パ戦争も起こってるよなあ、中国では翌66年に始まる文化大革命の切っ掛けになった文芸批判に火がついてるはずだ、これで毛沢東が劉少奇・鄧小平ら実権派を引きずり下ろすんだよなあ、アジアではいろいろキナ臭い事件が多いなあ、でも日韓基本条約が結ばれたのもこの年だ、韓国は61年クーデタで成立した朴正熙政権で、日本の首相は前年池田勇人から交替した佐藤栄作だ、北アフリカではクーデタでアルジェリアのベン・ベラ政権が倒れている、これは九・三〇事件と同じく、中国による第三世界での急進的革命外交の失敗を示す出来事だな、ヨーロッパでは特に大事件は無いか、第五共和政のフランスでは対米自主外交を掲げるド・ゴール政権がもちろん続いてる、イギリスの首相は確か64年から労働党のウィルソンだったはず、西ドイツは63年にアデナウアーが引退してて、キージンガー大連立内閣成立が確か66年だったはずだから、首相はエアハルトか、イタリア首相はさすがに思い浮かばないが、ソ連がブレジネフ政権だってことはもちろん憶えてますよ、64年にフルシチョフが失脚してますからね、といった具合に、この程度の史実は、何も見ずに頭に即浮かぶようにならないといけない。

基本的史実と年号がしっかり組み合わさって、頭の中に記憶されている場合とそうでない場合では、同じ史書を読んでいても、理解力に極めて大きな差が出てくる。

こうした基礎的学習を疎かにしたまま、報道に表れる事件に条件反射的に対応して、匿名のネット上で素人の床屋政談をやっても、実りのある結果には何一つならないでしょう。

 

 

 

終わりです。

以下、全10冊のリストです。

 

 

(1)ポール・ケネディ『大国の興亡 上・下』(草思社)

(2)ヘンリー・キッシンジャー『外交 上・下』(日本経済新聞社)

(3)ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)

(4)『ジョージ・F・ケナン回顧録 上・下』(読売新聞社・中公文庫)

(5)高坂正堯『現代の国際政治』(講談社学術文庫)

(6)猪木正道『冷戦と共存 (大世界史25)』(文芸春秋)

(7)高坂正堯『古典外交の成熟と崩壊』(中央公論社)

(8)ジョセフ・ナイ『国際紛争』(有斐閣)

(9)高坂正堯『国際政治』(中公新書)

(10)高坂正堯『外交感覚』(中央公論社)

 

 

個人的な偏りはもちろんあるでしょうが、そうそう変な本も入れていないつもりです。

ですが、中には入手しにくいものもありますし、どうしても合わないという本も人によってはあると思います。

この「〇〇冊で読む△△」の記事は、全て必読書リストの叩き台だけを提供するつもりでやっているので、一応の目安と考えてもらって、後はご自身に合うよう、適当に取捨選択して下さい。

学生の方はともかく、社会人の方は仕事をしながら読書の時間を割くのも大変でしょうし、10冊に絞ったのは我ながら悪くないとは思います。

仮の読書予定リストにでもして頂ければ幸いです。

2018年4月11日

池田嘉郎 『ロシア革命  破局の8か月』 (岩波新書)

Filed under: ロシア — 万年初心者 @ 03:16

副題の「8か月」は、1917年二月革命(三月革命)から十月革命(十一月革命)までの期間を指す。

帝政崩壊からボリシェヴィキの権力奪取まで存在した臨時政府に焦点を当てた著作。

オクチャブリスト(十月党=1905年市民的自由と議会[ドゥーマ]開設を宣言した十月勅書から名付けられた党派、ロジャンコ、グチコフら)と立憲民主党(通称カデット、ミリュコーフら)を中心とする自由主義者と、トルドヴィキ(農村志向で平和的手段による変革のみを主張した党派、ケレンスキー[のちに後記エスエルへ移籍]ら)、社会革命党(通称エスエル、チェルノフら)、メンシェヴィキ(チヘイゼ、ツェレテリら)など社会主義者が主役。

同じく反専制を掲げていても、改革志向の社会的エリートである「公衆」を代表する自由主義者と、労働者・農民・兵士という「民主勢力」を代表する社会主義者との間の断絶は極めて大きかった。

史上初の総力戦となった第一次世界大戦への参戦が致命傷となり、脆弱な帝政ロシアの社会体制は崩壊、自然発生的に生まれた騒乱により、二月革命が起こって帝政は崩壊。

リヴォフ公を首相とし、カデットを中心とした臨時政府が誕生したが、英仏等西側諸国の支援を失うことを恐れて戦争からの離脱を決断できず、臨時政府は最初から途方もない重荷を背負って存続することになる。

戦争継続と軍紀回復をめぐる対立から、外相ミリュコーフは辞任、ペトログラード・ソヴィエトで多数占めるトルドヴィキ、エスエル、メンシェヴィキの社会主義者が入閣。

ウクライナなど旧帝国周辺民族への自治権についても、それに慎重なカデットは、社会主義大臣およびソヴィエトと対立。

自然発生的で、時期尚早な「七月危機」の鎮圧成功で、臨時政府にも好機が訪れるが、カデットもエスエルもメンシェヴィキも、強固な権力意識と決断力、反対派を排除する徹底性に決定的に欠けていた。

エスエルとメンシェヴィキら穏健社会主義者は、ボリシェヴィキに対して鋭く対立しつつも、帝政時代共に弾圧を受けた立場からの(後から見ればどう考えても誤った)仲間意識を持っており、その指導者を逮捕しても政党活動自体は禁止せずにいたが、その後、独裁体制を確立したボリシェヴィキは、スターリン時代に彼らのほとんどを文字通り抹殺することになる。

首相がケレンスキーに替わるが、前線の崩壊、農村と都市での社会的無秩序化は止まらず、その危機の中、コルニーロフの反乱が勃発。

(本書ではケレンスキーとコルニーロフの間で首都への軍派遣と戒厳令布告について合意が出来ており、それが連絡不備と相互の疑心暗鬼から制御不能な対立関係に至ったとされており、コルニーロフ側が一方的に「反革命的陰謀」を企てたわけではないと書かれている。)

よく知られているように、これでボリシェヴィキは復活、ソヴィエトでも多数派を支配、党内の異論を押し切ったレーニンとトロツキーはついに武装蜂起し、十月革命で権力を奪取、以後ロシアはその長い長い独裁政権の下で呻吟することになる。

本書は、1917年の臨時政府の崩壊とボリシェヴィキの勝利の理由を、エリート社会と民衆世界の断絶という、ロシア史の構造的要因に帰しているが、私は、著者が一部支持を留保している、「民衆の暗愚とボリシェヴィキの煽動を重視する」「ソ連崩壊後にあちこちで見られた反ボリシェヴィキ史観」に近い考え方を持ってしまう。

帝政崩壊を機に、前線では命令無視や将校殺害、農村では土地の奪取、都市では工場資産の接収など、民衆の一方的暴力行動が頻発し、誰にも社会の無秩序化を制御できなくなる。

長年の専制と総力戦体制下で苦しんできた民衆は同情に値するが、この行為は明らかに行き過ぎで自分達自身の首を絞めるに等しいものだ。

混乱時には、噂やデマが蔓延し、極論が思うままに宣伝され、眼前の不都合の責任を押し付けるための「敵」を見い出し、彼らへの暴力衝動が煽動される。

最も無責任で、最も他罰的で、最も煽情的な党派が、群衆の表面的世論に迎合し、その感情を支配した瞬間、暴力的手段によって権力を握る。

そうして独裁体制を確立した後では、反対党派も、かつての支持者である民衆も、いくらでも弾圧できる。

実際、こうしたメカニズムは、1917年のロシアであろうと、1933年のドイツであろうと、(そして近未来の日本であろうと)全く同じである。

ボリシェヴィキが、十月革命直後に選出された憲法制定議会で少数の支持しか得られず、それを解散し、一党独裁への道を歩んだことはよく知られている。

そのことをもって、ロシア革命の「非民主性」を言うことは、たやすい。

冷戦時代、「社会主義・共産主義は、自由主義よりも進歩した民主主義であり、将来の人類の必然の道だ」などという、左翼のたわけた主張が漠然と多くの人々に信じられていたことを思えば、はっきりと「十月革命は真の民主的変革ではなく、民意の支持を得ていない、ボリシェヴィキによる軍事クーデタに過ぎない」と断言することは痛快である。

私も以前そう考えていたことがありました。

しかし、本当にボリシェヴィキが民衆の支持を得ていなかった、と言えるのか。

レーニンらが、実現不可能なものも含め、「平和」「土地」「パン」といったことに関する、ありとあらゆるデマゴギーを振りまき、ソヴィエト内での多数派を獲得し、都市部では大きな流血を伴うことなく権力を奪取した事実は消えない。

激しい内戦があった農村でも、白衛軍が戻り、土地を奪われることを恐れられたこと、また干渉軍への民族主義的反感から、最終的には赤軍が勝利した。

もちろん戦時共産主義による徹底した強制徴用・徴発、赤色テロによる反対者の惨殺、威嚇によって、ボリシェヴィキが暴力的に否応なく国民を引きずっていった側面は間違いなくあるだろうが、それで全て説明がつくとも思えない。

臨時政府時代にも、内戦時代にも、反ボリシェヴィキ勢力は四分五裂し、遂に団結して、ソヴィエト政権を打倒することが出来なかったし、多くの民衆もそれらを支持しなかった。

もちろん「無併合・無賠償の講和」提唱は暴力の停止自体を目標にしたものではなく、他国にロシアと同じような暴力革命を起こすことを目論むものであったし、「土地とパン」を与えると約束された農民たちは、内戦終了後、事実上の国家奴隷となり、過去どんなツァーリの治世でもあり得なかったほどの搾取と飢餓に苦しめ抜かれることになった。

真の断絶は、帝政派と反帝政派、自由主義者と社会主義者の間ではなく、全体主義と暴力を信奉するボリシェヴィキとその他すべての党派の間にあったのだが、それが自覚されることは無かった。

パイプス『ロシア革命史』では、内戦での多数派民衆の立場は中立・傍観的であり、赤軍がロシア中央部の人口稠密で資源豊富な地域を押さえていたのに対し、白軍は地域的・民族的に分裂していたという「客観的」要因が前者の勝利を説明すると書かれているが、それは結局ボリシェヴィキの支配がこれまでの旧体制とは桁違いの圧政をもたらすことを民衆が全く理解していなかったことを示している。

そうした政治的言説の歪みも含め、やっぱり1917年のロシアは「民衆世論が致命的に間違った道を選択し、破局に至った」んです。

私にはそうとしか思えない。

当時のロシア国民には酷な言い方だが、旧体制を急激に崩壊させた後、もたらされた混乱に耐えかね、民衆はボリシェヴィキのヴィジョンに「賭けた」のでしょう。

その結果が数十年にわたる地獄の沙汰であり、その後遺症から今もロシアは抜け出し得ないように思われる。

伝統的な旧来の政治・社会体制に、どれほどの欠陥があろうとも、急進的変革と秩序崩壊がどれほど危険なものか、その際における民衆の選択がどれほど信頼できないかということを、百年前のロシア革命の歴史は示している気がしてならない。

 

 

私の感想とはややズレるが、ごく真っ当な史観に貫かれた良書。

(しかし、岩波書店もこうした本を出すのが半世紀遅かったんじゃないですかと言いたくなる。)

通読は容易だが、中身は濃い。

一日、二日で読めるので、一度図書館で借りてみるのもよいでしょう。

2018年4月7日

ヘリエ・サイゼリン・ヤコブセン 『デンマークの歴史』 (ビネバル出版)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 01:47

訳書は1995年刊。

旅行ガイドの人が、外国人(特に英国人)向けに書き下ろしたデンマーク史とのこと。

前近代中心に、国王の治世を軸に据えて叙述しているのは良い。

しかし、王名がズラズラーっと並んでいるのは、正直キツイなあ・・・・・。

ごく大雑把なところを読み取れればいいと考えて通読。

 

デンマークは、ドイツの北にくっ付いているユトランド半島にある国。

ただし、首都のコペンハーゲンは最大の島シェラン島にある。

さらに北のスカンジナビア半島で、一番西側で長いフィヨルド式海岸を擁するのがノルウェー。

スカンジナビア三国の中で真ん中にあるのがスウェーデン。

その隣、ロシアに面するのがフィンランド。

デンマーク、ノルウェー、スウェーデンが現在も王国なのに対し、フィンランドだけ共和国(独立していた時期も最も短い)。

ヴァイキング時代までの歴史はすっ飛ばしていいでしょう。

北ゲルマン=ノルマン人=ヴァイキングがデンマークを支配、デーン人とも呼ばれ、国名の由来となる。

カール大帝の勢力がユトランド半島南部にまで伸びてくるが、デーン人はイングランド、フランクなどを襲撃。

10世紀デーン人は、ゴーム(老王)の下、初の本格的王朝であるイェリング朝を成立させる。

ドイツに神聖ローマ帝国誕生、その圧力を受けた二代目のハーラル1世(青歯王)はキリスト教に改宗。

少し後にはクヌーズ(クヌート)大王が即位、1018年デンマーク・イングランド・ノルウェーに及ぶ北海帝国を打ち立てたが、その死後は崩壊。

以後、王統が続くが、この辺は省略。

1157年即位したヴァルデマー1世(大王)が王位争いを収拾、盛期を築く。

だが、13世紀半ばから再び100年続く衰退期に入り、東方植民ではドイツ人に後れを取り、経済的にはハンザ同盟の影響下に置かれる。

この形勢をヴァルデマー4世(再興王)が逆転したが、その末娘が高校世界史で唯一特筆大書されているマルグレーテである。

ノルウェー王に嫁していたマルグレーテは夫とデンマーク王の息子の死後、実質女王として君臨し、1397年からデンマーク・ノルウェー・スウェーデン三国から成るカルマル同盟(連合)を統治する。

しかし、間もなくイェリング朝は断絶、1448年ドイツ・ブレーメン近郊のオルデンブルク伯爵家からクリスチャン1世が王位に迎えられ、オレンボー王朝が生まれる。

その際、デンマークとドイツとの係争地であったシュレスヴィヒ(スリースヴィ)について、シュレスヴィヒとドイツ色の強いホルシュタインを分離しないという条件でクリスチャン1世がホルシュタイン伯爵の地位に就くという解決が成されるが、後世にも問題は続く。

1523年グスタフ・ヴァーサの反乱で、スウェーデンが分離独立。

ルター派プロテスタントが浸透、それに絡んだ内乱も起き、国教会が成立。

海峡通行税と穀物輸出で経済は成長。

だが、クリスチャン4世が三十年戦争に新教側で参戦し敗退すると、国運は衰退に向かい、北欧での優位をスウェーデンに奪われる。

戦争での貴族層の没落で、かえって王権は強化され、絶対王政が確立。

北方戦争ではロシアと結んでスウェーデンと戦い、一時窮地に立つが、挽回しノルウェーは保持。

ナポレオン戦争では、デンマーク艦隊がナポレオンに奪われることを恐れたイギリスが艦隊の引き渡しを要求したが、デンマークはこれを拒否、交戦状態に入り、図らずもフランス側に付くことになってしまう。

その為、戦後、フィンランドをロシアに割譲していたスウェーデンにその代償として、デンマークがノルウェーを譲渡するという形になり、450年に亘ったデンマーク・ノルウェー連合王国は終焉。

1849年自由主義的憲法制定。

1863年オレンボー朝断絶に当たって、列強の支持を得て傍系のグリュクスボー朝が成立、これが現在まで続く。

1864年プロイセン・オーストリアに敗れ、シュレスヴィヒ・ホルシュタインを割譲。

だがそれ以後、荒地開拓・農業協同組合結成・漸進的労使協調による国民経済の順調な発展、議会主義の定着という展開が見られたのは、誠に幸運なことだった。

デンマーク王家からは、ギリシア王ゲオルギオス1世として即位し、英国王エドワード7世と露帝アレクサンドル3世に嫁ぎ、1905年独立したノルウェー王にも迎えられた人々がいる。

第一次世界大戦では中立を守ったが、第二次世界大戦ではドイツに蹂躙され、戦後は中立政策を捨てNATOに加盟、1973年イギリスと共にECにも加わっている。

 

 

さすがに王名を詳細に覚えるのは厳しい。

上記のようなポイントだけつかめばいいでしょう。

中公新書から『物語デンマークの歴史』が出ないかなあと思いつつ、この記事を終えます。

2018年4月3日

ラシーヌ 『フェードル アンドロマック』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 05:19

『ブリタニキュス ベレニス』に追加して、これも読んでおく。

収録順はタイトルとは逆になっている。

まず『アンドロマック』は、トロイヤ戦争の後日譚。

アキレウスに倒された、トロイヤ側のヘクトールの未亡人アンドロマック(アンドロマケ)が、アキレウスの子ピリュス(ピュロス)の捕虜となり、エペイロスに連れて来られる。

アンドロマックの美しさに心を奪われたピリュスは、遺児の命を助けることを条件に自身と再婚することを迫るが、アンドロマックは頑として受け入れない。

ピリュスにはエルミオーヌ(ヘルミオネ。スパルタ王メネラオスとヘレネの娘)という婚約者がおり、そのエルミオーヌにオレスト(オレステス。アルゴス王アガメムノンとクリュタイムネストラの息子)が恋をしている(メネラオスとアガメムノンは兄弟、ヘレネとクリュタイムネストラも姉妹)。

この片思いの連鎖が、破滅的な悲劇を招く様を描写する。

次の『フェードル』は、アテネ王テゼー(テセウス)の妻フェードル(クレタ王ミノスの娘、姉妹のアリアーヌ[アリアドネ]はアテネに戻る途中に棄てられた)が、義理の息子イポリット(ヒッポリュトス。テセウスとアマゾン族の女王の子)に恋をして破滅する話。

どちらも、ストーリーの構成、台詞を通じた心理描写が非常に精巧で完成度が高い、と素人でも感じ取ることが出来た。

ローマ史を題材にした『ブリタニキュス ベレニス』に比べて、ギリシア神話に取材したこちらは、ちょっと取っ付きにくいかと思っていたが、読み終えてみると、それはほとんど杞憂でした。

普通に楽しめる良作。

翻訳も比較的新しいし、初心者が古典主義文学の巨匠に触れるには、非常に適切な本です。

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