万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年3月22日

池田美佐子 『ナセル  アラブ民族主義の隆盛と終焉』 (山川出版社世界史リブレット)

Filed under: イスラム・中東 — 万年初心者 @ 04:33

戦後、中東の地域大国エジプトで、実質的な初代指導者となった政治家の伝記。

ちょうど100ページくらい。

後継者のサダト、ムバラクは含まず、ナセル単独の伝記なので、分量はまあ適当か。

内容はごく平均的です。

1952年自由将校団によるエジプト革命、表看板のナギブを排してナセルが実権掌握、55年バンドン会議参加、中東条約機構(METO)への対抗意識から東側諸国への接近、56年スエズ運河国有化と第二次中東戦争(スエズ戦争)での政治的勝利、58年シリアとの政治的統合とアラブ連合共和国成立でアラブ民族主義の旗手としてその勢威は絶頂を迎えるが、61年シリア離脱、60年代の「アラブ社会主義」の名の下に推進された産業国有化政策は行き詰まり、ムスリム同胞団と共産主義勢力を抑え込む為の厳しい政治的統制が敷かれる中、67年対イスラエル強硬論に流されてティラン海峡封鎖措置を取るや、イスラエルは先制攻撃に転じ、第三次中東戦争勃発、エジプトなどアラブ諸国は空前の惨敗を喫し、シナイ半島・ガザ地区・ヨルダン川西岸・ゴラン高原を占領され、ナセルの威信は失墜、70年に死去する。

戦後の中東史については、イスラエルと周辺アラブ諸国の対立、および穏健派諸国と急進派諸国の相克で捉えるのが基本。

1948年、56年、67年、73年の四次の中東戦争の年代をまず記憶。

48年パレスチナ戦争の敗北がアラブの旧体制を動揺させ、52年エジプト革命が急進的アラブ民族主義の原点となる。

で、58年イラク革命、69年リビア革命、79年イラン革命、と君主制が倒れるごとにその国が急進派に加わる。

君主制を維持したサウジアラビアとペルシア湾岸諸国およびヨルダン、ケマル・パシャ以来の世俗主義共和国で西側陣営に属するトルコは一貫して穏健派。

急進派内部の対立も激しく、58年の革命で成立したイラクのカセム政権はナセルと激しく対立、シリアは上述の通りエジプトと合邦し「アラブ連合共和国」を結成した(南北ヴェトナムや東西ドイツ、南北イエメンのような明白な分断国家が統一されたのとは違い、別々の主権国家が完全統合した、戦後では珍しい例)が、エジプト優位の体制への反発からわずか3年で崩壊、その後シリア・イラク両国で成立したアラブ統一と社会主義を掲げるバース党政権も、アラブ民族主義の主導権を争ってナセル政権とも、両国同士でも対立。

シリアではアサド政権、イラクではサダム・フセイン政権、リビアではカダフィ政権が独裁体制を敷くが、79年のシーア派によるイラン革命は「イスラム原理主義」を初めて体制として出現させ、急進・穏健派を問わず、周辺のスンナ派アラブ諸国すべてと対立(と書いたものの、急進派イラクと穏健派サウジの双方と対立したのは事実だが、イラン・イラク戦争中、急進派でも直接「イスラム革命輸出」の脅威を受けなかったシリアとリビアはイランと一部協力していたはずだから、厳密に言えばこれも不正確か)。

そうした中、エジプトは、ナセルの後継者サダトがソ連軍事顧問団を追放した後、自力で第四次中東戦争の(緒戦での)勝利をもぎ取り、威信を確保した後、イスラエルとの和解に乗り出し、79年平和条約を締結、穏健派諸国の強力な支柱に変貌した。

よって私にとってはナセルよりもサダトの方が偉大な政治家に思える。

 

 

まあ普通です。

記述はよくこなれていて読みやすい。

史的評価も穏当。

サブテキストとして読むのも悪くない。

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