万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年3月1日

桑原武夫 『文学入門』 (岩波新書)

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これもかなり古い本だ。

初版は1950年。

当然、時代の違いを感じさせる部分も多いが、末尾の文学必読書リストは参考になる。

以下、関連する文章の引用とリストを挙げる。

以上のべてきた意味において、文学における基準的な必読書のリストの作成は、こんにちきわめて重要な仕事といわねばならない。先進国ではそういう試みは、つとになされているが、日本ではさきに指摘したような文学観から、いっこうに不熱心だった。しかし、こういう基本的な仕事をほっておいて、ただ世界文学に目をひらけ、とだけ叫んでいるのはコッケイというのほかはない。それでは、せっかく開いた目がキョロキョロするばかりである。また、そういうものが現実につよく要求されていることは、私などのところへ来る新制高校や労働組合あたりからのアンケートの大多数が、何を読めばよいか、という問合せであることをもっても知れるのである。

そこで私は、そうした試みの一つとして、友人諸君の協力をえて、世界近代小説五十選というリストを作ってみた(巻末、附録)。急ぎの仕事だから不完全な点もあろうが、それは諸方面からの批判をえて、漸次あらためてゆくことにしたい。このリスト作成の根本方針は、私がこの本で説いてきたところによるが、もう少し説明を加えると、第一に、近代小説を味わうためには、まず西洋の近代小説の傑作を読むべきだと考えたことである。事実、全世界の近代小説は、中国のものも、日本のものも、すべてヨーロッパの近代小説の影響のもとに生まれたものである。ヨーロッパ以外にも、『千一夜物語』とか、『水滸伝』『三国志』とか、『源氏物語』、西鶴とか、すぐれたものがあるが、これらは近代小説とは根本的にその性格を異にしており、たとえこれらのものの影響下に書かれた小説があるとしても、もしその作者が西洋近代小説の精神の洗礼をうけていないとするならば、その作品は現代の小説としてはつまらぬものだ、といって恐らく間違いはないだろう。そういう意味から、まず近代小説とはどういうものか、を捉えようとするならば、西洋近代小説の傑作を読まねばならない。

ところで、そうした傑作がヨーロッパ精神のあらわれである以上、その根源をなしている『聖書』やギリシヤ神話、ホメロスなどについての知識が必要だというのは正しいし、またそれらに接することは、もとより望ましい。しかし、だからといって、まずソフォクレス、プラトン、プルタルコス、タキトゥス、アウグスチヌス、等々、古代中世の思想と文学を十分通過しておかねばダメだ、などという大学の先生の意見に盲従する必要はなかろう。(文学のみでなく、学問でも、古代から現代へという勉強法のみに執着してはならない。現代ないし近代をやって、その必要から時代をさかのぼるという行き方も大切で、むしろその方が効果的なことがある。)それに、そうした古典は、そう簡単に読めるものでもなく、また近代小説はそんなに高級なところから誕生したものでないことは、さきに述べた。文学研究の専門家を志す人でないかぎり、近代小説の系譜をたどるにしても、古いところで、ボッカチオの『デカメロン』、そして近代告白文学の先祖という意味で、小説ではないが、ルソーの『告白』あたりから始めれば十分だろう。この二つは、そういう歴史的意義のいかんにかかわらず、無類に面白いものだから、一読をすすめたい。

さきに述べた理由によって、戯曲と詩はのぞき、近代小説のみにかぎったにせよ、五十種ではあまりに少ない、といわれるかも知れない。それは一おうもっともな意見である。しかし、私はヘルマン・ヘッセが選んだ世界文学の書目のようなものは、あまりに冊数が多すぎて、かえって実用に適しないと考える。あの本を全部読んでいるものは、ヨーロッパの知識人にも少ないであろう。どうせ全部は読まないとなると、その中からさらに第二次的に必読書のリストを作らねばならないことになる。それでは国民教育の共通地盤ということでなくなる。それに本の高いこんにち、読者の経済力ということも考慮に入れなければならない。そこで私は一まず五十にかぎり、その代りこれだけは、教養ある日本人なら必ず読んでいるというふうにしたいものだと思う。私のリストでは、全部を買うと、その代価は、およそ二万円となる。学校や労組の図書館などなら一度に買うことはできようが(そして大きな図書館では、こうした名作は同じものを何冊も買っておく必要を忘れてはならない)、個人にとっては大きな金額である。しかし、なにも一挙に手に入れねばならぬ訳はない。一つ読みおえたらつぎのを、というふうにぽつぽつ買っていって、何年後かに揃えるということにすればよい。

小説を読むことの楽しみの一つは、名作を時をへだてて反読することにある。大小説というものは、一つの客観的な複雑な深い世界であるから、読者の思想や生活と結びついたインタレストが変化するにつれて、その世界で行なわれる読者の経験もさまざまに変わりうる。だから読みかえすたびごとに、すでに大筋は知っているから落着いた気持はありながら、やはり新しい経験を与えてくれるものである。その楽しさは、昔なじみの立派な人に時おり出会ったとき、ああ昔のとおりだなと思いつつも、同時に、いままで気づかなかったその人の立派さに改めて打たれる、そういう喜びに比べることができよう。アランが、あのぼう大なトルストイの『戦争と平和』を十ぺんも読みかえしたというのは、そうした楽しみがあればこそである。この五十冊の本を自分の手許にそろえて、もっているということは、その人の人生を計りがたく豊かに、楽しくするにちがいないのだ。

こうしたリストによって小説を読むことは、なにか自由が少なく、個性の発展をさまたげられるように思う人があるかも知れないが、それが間違いであることは、くりかえし述べた。普遍的な客観性を通らない個性などというものはないのであって、世界的に認められ、客観的価値の定まった名作を通ったあとで、はじめて個性的な独創的な鑑賞の自由が、すこやかに成長することを知らねばならない。それに、これらの名作をまず読むことはすすめるが、それ以外を読むなとは誰もいいはしない、だいいち、そんなことは不可能である。

なお、このような名作といえども、すべてが必ずたのしく読めるとはかぎらない。そういう場合には、無理をして読まずに一おう中止した方がよい。しかし、そのためにその作品をすててしまうべきではなかろう。それはきっと大きな楽しみを一つとり逃がしたことになるだろうから。世界中の人々が楽しく読んで名作とみなしている以上、その作品には必ずすぐれた点があるにちがいない。また別の時期に改めて読みなおす労を惜しんではならない。どうしてこんな面白いものが、前にはわからなかったのだろう、といぶかることがあるに違いない。また、こうした名作を味わっておくことは、そのこと自体が楽しみであるばかりでなく、上等の料理を食べなれると、まずい食事がいやになるのと同じように、眼がこえて、低俗な小説がおのずといやで読めなくなる、というありがたい副作用をともなう。しかし、このたとえは本当は正確でない。料理で口がおごると家庭経済はつぶれるが、小説のほうはトルストイでも駄小説でも本の値段に変りはなく、いなむしろ名作ほど安いくらいで、料理のような危険はさらにないからである。

しかし、さきにもいったように、こうしたリストによって小説史上の名作を読むということは、それ以外の作品を読むなということでは決してない。このリストでは一人一作のたてまえをとっているが、それはもともと無理をふくんでいる。バルザックの『人間喜劇』九十余篇を全部よめということは不可能にしても、『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』『ユージェニ・グランデ』『絶対の探究』などの傑作のうちから、一つだけを選んで他をすてねばならぬということは、つらいことなのである。しかし、それらをすべて採用すればリストはむやみに多くなるから、けっきょく私自身の好みによって、そしてジッドが、『人間喜劇』はすべてを読まねばならぬが、しいて一つをとるとすれば『従妹ベット』を、といった言葉を思い出して、これを取ったのである。同じことは他の偉大な小説家についてもいえることである。したがって、読者は一つの作品に感動したならば、その作家の他の作品を読まれるがよい。なお、文学の研究を志す人にとっては、一人の偉大な芸術家の全作品を知るということは、その作家個人のみでなく、文学一般を理解する上の、もっともすぐれた方法の一つであることを、申しそえておきたい。

 

 

 

以下、リストの転載に当たって、年代と翻訳の版を省略、一部表記を変更。

 

 

イタリア

1. ボッカチオ『デカメロン』

 

 

スペイン

2. セルバンテス『ドン・キホーテ』

 

 

イギリス

3. デフォー『ロビンソン・クルーソー』

4. スウィフト『ガリヴァー旅行記』

5. フィールディング『トム・ジョーンズ』

6. ジェイン・オースティン『高慢と偏見』

7. スコット『アイヴァンホー』

8. エミリ・ブロンテ『嵐が丘』

9. ディケンズ『デイヴィッド・コパーフィールド』

10. スティーヴンソン『宝島』

11. トマス・ハーディ『テス』

12. サマセット・モーム『人間の絆』

 

 

フランス

13. ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』

14. プレヴォー『マノン・レスコー』

15. ルソー『告白』

16. スタンダール『赤と黒』

17. バルザック『従妹ベット』

18. フロベール『ボヴァリー夫人』

19. ユゴー『レ・ミゼラブル』

20. モーパッサン『女の一生』

21. ゾラ『ジェルミナール』

22. ロラン『ジャン・クリストフ』

23. マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』

24. ジイド『贋金つくり』

25. マルロー『人間の条件』

 

 

ドイツ

26. ゲーテ『若きウェルテルの悩み』

27. ノヴァーリス『青い花』

28. ホフマン『黄金の壺』

29. ケラー『緑のハインリヒ』

30. ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』

31. リルケ『マルテの日記』

32. トーマス・マン『魔の山』

 

 

スカンジナヴィア

33. ヤコブセン『死と愛』

34. ビョルンソン『アルネ』

 

 

ロシア

35. プーシキン『大尉の娘』

36. レールモントフ『現代の英雄』

37. ゴーゴリ『死せる魂』

38. ツルゲーネフ『父と子』

39. ドストエフスキー『罪と罰』

40. トルストイ『アンナ・カレーニナ』

41. ゴーリキー『母』

42. ショーロホフ『静かなドン』

 

 

アメリカ

43. ポー『黒猫 モルグ街の殺人事件 盗まれた手紙 他』

44. ホーソン『緋文字』

45. メルヴィル『白鯨』

46. マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』

47. ミッチェル『風と共に去りぬ』

48. ヘミングウェイ『武器よさらば』

49. スタインベック『怒りのぶどう』

 

 

中国

50. 魯迅『阿Q正伝 狂人日記 他』

 

 

 

 

ざあっと見ると、「うん?」と思うのもありますけどね。

自分の読後感からすると、ノヴァーリス『青い花』が必読とは思えないなあ・・・・・。

ケラーも要らないと思うし、スカンジナヴィアでイプセンとストリンドベリの代わりにこの二人を挙げる意味がわからない(と思ったら、戯曲は外して小説のみを選んだからだと気付いた)。

ゴーリキーとショーロホフも今なら外すか?

ミッチェル『風と共に去りぬ』も読む気しないなあ・・・・・。

通俗作品のイメージが強いが、なぜか高校レベルでもちょっとだけ出てくる。

女性の方で好きな人は多いんでしょうが、あの長編を読む労力がその本当の文学的価値に値するのか、正直疑問に思えてしまう(パール・バック『大地』も同じく)。

しかし、こういう冊数を絞った必読書リストというのは、どんな分野にしても貴重ではある。

相当古いものだが、本書も初心者にとっては、それなりに役立つ部分もあるでしょう。

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