万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年3月30日

広瀬崇子 山根聡 小田尚也 編著 『パキスタンを知るための60章』 (明石書店)

Filed under: インド — 万年初心者 @ 03:35

1947年イギリス統治下から、イスラム教徒が多数派の地域が、インドと分離した形で独立した国であることは周知のことでしょう。

パンジャーブ、シンド、バローチスタン、カシュミール、北西辺境州(アフガン寄りでパシュトゥン人居住)を主な構成州とする。

独立当初は現バングラデシュも東パキスタンとして領土の一部だった。

首都はイスラマバードで最大都市はカラチ、他にラホール、ペシャワルなどがある。

古代インダス文明の遺跡、モエンジョ・ダーロなどが存在するのは、現在のインドではなくパキスタンである。

公用語はウルドゥー語。

独立時、大規模な商業・産業都市を持たず、全インド・ムスリム連盟は国民会議派ほどの組織力も無く、インドのヒンドゥー教徒多数派地域から移住してきたムスリムが指導層となったこと、建国の父ジンナーが独立翌年の1948年に病死、後継のリヤーカット・アリー・ハーンも51年に暗殺されたこと、などが相俟って、曲がりなりにも議会制民主主義を維持したインドに比べて、国力の劣勢と政治の不安定に悩まされることになる。

1947年独立(直後に第1次印パ戦争)、48年ジンナー死去、51年リヤーカット・アリー・ハーン首相暗殺、ムスリム連盟の勢力が後退する中、58年軍事クーデタ勃発、アユーブ・ハーン政権樹立。

65年第2次印パ戦争、69年同じく軍事政権のヤヒヤー・ハーン政権成立、71年第3次印パ戦争で敗北、東部領土がバングラデシュとして独立。

民政に移管し、Z・A・ブット政権が誕生するが、77年再度の軍事クーデタ勃発、ジヤウル・ハク軍事政権が成立し、ブットは翌々年に処刑されてしまう。

88年飛行機事故でハク大統領死亡、総選挙でZ・A・ブットの娘B・ブットが首相に就き、シャリフと交替で政権を担当するが、民政は安定せず。

99年軍事クーデタでムシャラフ政権成立、2001年以後米国の対テロ戦争に協力。

政党では、ムスリム連盟(独立時のものとは直接的連続性はない)とパキスタン人民党(ブット派)が二大政党で、他にイスラム系政党が存在するが、一部を例外にして党首の個人的党派の色合いが濃く、組織的には脆弱と書かれている。

本書刊行後、2008年からは何とか文民政権が続いているようだ。

外交的には、インドとの対立関係が重くのしかかり、外交政策はそれに極めて多くが規定されてしまっている。

冷戦時代から米国など西側諸国に近い一方、中印国境紛争以後は、中国とも緊密な関係を保つ。

日本も、単細胞的な中国敵視が、自国の外交戦略にとってどれほどの重荷になるのか、自覚した方がいいと思います(服部龍二『日中国交正常化』)。

 

 

中公新書から『物語パキスタンの歴史』は未だ出ていないし、中野勝一『パキスタン政治史』(明石書店)は大部で通読に骨が折れるので、とりあえず本書から以上のような簡単な概要を読み取るだけでいいでしょう。

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2018年3月26日

内田樹 『寝ながら学べる構造主義』 (文春新書)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:54

今まで引用文カテゴリで散々内田氏の文章を引用してきたが、著作を単独の記事にするのは、ひょっとして今回が初めてか。

私の高校時代の世界史教科書では、哲学・思想の流れは実存主義で打ち止めで、構造主義という言葉自体が出て来なかった(今は違うと思います)。

本書では、構造主義の思想を、マルクス、フロイト、ニーチェの前史から始め、ソシュール、フーコー、バルト、レヴィ・ストロース、ラカンの五人に各一章を割り当て、紹介している。

難解なところは全然無く、スラスラと読める。

本書で取り上げられている思想家の著作を実際に読むというのは、私の知的レベルでは極めて難しいので、大体これくらいのことがぼんやりわかっていればいいか、とも思える。

中々手頃な本だと評価していいんではないでしょうか。

2018年3月22日

池田美佐子 『ナセル  アラブ民族主義の隆盛と終焉』 (山川出版社世界史リブレット)

Filed under: イスラム・中東 — 万年初心者 @ 04:33

戦後、中東の地域大国エジプトで、実質的な初代指導者となった政治家の伝記。

ちょうど100ページくらい。

後継者のサダト、ムバラクは含まず、ナセル単独の伝記なので、分量はまあ適当か。

内容はごく平均的です。

1952年自由将校団によるエジプト革命、表看板のナギブを排してナセルが実権掌握、55年バンドン会議参加、中東条約機構(METO)への対抗意識から東側諸国への接近、56年スエズ運河国有化と第二次中東戦争(スエズ戦争)での政治的勝利、58年シリアとの政治的統合とアラブ連合共和国成立でアラブ民族主義の旗手としてその勢威は絶頂を迎えるが、61年シリア離脱、60年代の「アラブ社会主義」の名の下に推進された産業国有化政策は行き詰まり、ムスリム同胞団と共産主義勢力を抑え込む為の厳しい政治的統制が敷かれる中、67年対イスラエル強硬論に流されてティラン海峡封鎖措置を取るや、イスラエルは先制攻撃に転じ、第三次中東戦争勃発、エジプトなどアラブ諸国は空前の惨敗を喫し、シナイ半島・ガザ地区・ヨルダン川西岸・ゴラン高原を占領され、ナセルの威信は失墜、70年に死去する。

戦後の中東史については、イスラエルと周辺アラブ諸国の対立、および穏健派諸国と急進派諸国の相克で捉えるのが基本。

1948年、56年、67年、73年の四次の中東戦争の年代をまず記憶。

48年パレスチナ戦争の敗北がアラブの旧体制を動揺させ、52年エジプト革命が急進的アラブ民族主義の原点となる。

で、58年イラク革命、69年リビア革命、79年イラン革命、と君主制が倒れるごとにその国が急進派に加わる。

君主制を維持したサウジアラビアとペルシア湾岸諸国およびヨルダン、ケマル・パシャ以来の世俗主義共和国で西側陣営に属するトルコは一貫して穏健派。

急進派内部の対立も激しく、58年の革命で成立したイラクのカセム政権はナセルと激しく対立、シリアは上述の通りエジプトと合邦し「アラブ連合共和国」を結成した(南北ヴェトナムや東西ドイツ、南北イエメンのような明白な分断国家が統一されたのとは違い、別々の主権国家が完全統合した、戦後では珍しい例)が、エジプト優位の体制への反発からわずか3年で崩壊、その後シリア・イラク両国で成立したアラブ統一と社会主義を掲げるバース党政権も、アラブ民族主義の主導権を争ってナセル政権とも、両国同士でも対立。

シリアではアサド政権、イラクではサダム・フセイン政権、リビアではカダフィ政権が独裁体制を敷くが、79年のシーア派によるイラン革命は「イスラム原理主義」を初めて体制として出現させ、急進・穏健派を問わず、周辺のスンナ派アラブ諸国すべてと対立(と書いたものの、急進派イラクと穏健派サウジの双方と対立したのは事実だが、イラン・イラク戦争中、急進派でも直接「イスラム革命輸出」の脅威を受けなかったシリアとリビアはイランと一部協力していたはずだから、厳密に言えばこれも不正確か)。

そうした中、エジプトは、ナセルの後継者サダトがソ連軍事顧問団を追放した後、自力で第四次中東戦争の(緒戦での)勝利をもぎ取り、威信を確保した後、イスラエルとの和解に乗り出し、79年平和条約を締結、穏健派諸国の強力な支柱に変貌した。

よって私にとってはナセルよりもサダトの方が偉大な政治家に思える。

 

 

まあ普通です。

記述はよくこなれていて読みやすい。

史的評価も穏当。

サブテキストとして読むのも悪くない。

2018年3月18日

服部龍二 『中曽根康弘  「大統領的首相」の軌跡』 (中公新書)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 05:02

1980年代、長期政権を樹立し、新保守主義・新自由主義的政策を推し進めた首相の伝記。

1918(大正七)年群馬県高崎市生まれ。

軍部の台頭に不安と反感を抱きながら育つ。

1938年東京帝大法学部に入学、近衛文麿ブレーンの政治学者矢部貞治らの教えを受ける。

41年内務省に入省、同時に海軍経理学校にも入校、海軍主計中尉として出征。

戦後首相の中で、実際に砲火を浴びる経験をしたのは中曽根だけだという。

敗戦後、アメリカへの反発を持つと同時に、自身が接した占領軍将校の紳士的態度に感銘を受けている。

47年旧民政党系の民主党から立候補、天皇制護持と修正資本主義を主張、反共的姿勢を鮮明にして初当選、28歳で全国最年少の議員となる。

同い年の田中角栄も、同時に民主党議員に当選している。

中曽根は、吉田茂の自由党を強く批判、一年生議員ながら民主党総裁に芦田均を推すことを強硬に主張、「青年将校」との綽名を得る。

片山哲社会党・民主党連立内閣成立、炭鉱国家管理法を可決したが、これに反対した幣原喜重郎や田中角栄は民主党を脱党、自由党に合流。

翌48年成立の芦田内閣も疑獄事件で辞職、同年吉田が首相に復帰、以後54年まで続く長期政権を築く。

野党時代の中曽根の政治的スタンスは、自由放任的資本主義の修正による社会的連帯の重視、自主防衛確立と対米独立性の回復、大戦のアジアに対する侵略的性格を認めた上での東京裁判への批判。

現在の私から見ると、どれも真っ当な姿勢と思える。

50年民主党が吉田内閣との連立模索派と反対派に分裂、中曽根を含む反対派は三木武夫の国民協同党と合同して国民民主党を結成、52年には改進党に改組。

51年中曽根は、国会でサンフランシスコ講和条約には賛成票を投じ、日米安全保障条約については棄権。

安保条約での内乱時の米軍出動、有効期限未設定、日米行政協定での米兵への裁判権欠如などを問題視、戦時中の無差別爆撃についてアメリカに賠償を請求すべきだとすら語ったという。

同じ選挙区の福田赳夫と激しい競争を経て、当選を重ねる(後には小渕恵三も同選挙区で当選)。

中台・南北朝鮮の分断、アジア地域の一体感の欠如などの現実から、アジア版のNATOである「太平洋同盟方式」の集団安全保障政策に懐疑的になり、日米安保を容認するようになる。

与野党折衝の末、原子力関連の予算を計上、日本の原子力開発の先鞭をつける役割を果たすことになる(ただし、原子力の平和利用について、当時は保守政党だけでなく、左右両派の社会党も賛成している)。

アメリカに続いて、当時珍しかった共産圏への歴訪も実行、ソ連の抑圧的で貧しい社会を実感した一方、中国ではやや明るい印象を受ける。

54年鳩山一郎を総裁として日本民主党結成、吉田自由党内閣は総辞職、鳩山政権成立。

55年左右社会党統一を受けて、保守合同が成り、自由民主党結成。

反吉田の立場を一貫させていた中曽根は保守二党論者だったが、やむを得ずこれに合流。

56年日ソ共同宣言、国会での演説で中曽根は北方領土問題などでソ連を批判、社共両党の抗議で演説は議事録から削除された。

自民党内の派閥は、官僚派が岸信介派、池田勇人派、佐藤栄作派、党人派が河野一郎派、大野伴睦派、石橋湛山派、三木・松村謙三派(この三木は武夫じゃなくて武吉の方か?)、中間の石井光次郎派など。

中曽根は、河野派に所属。

56年鳩山退陣後の総裁選で、河野派の方針に反して、岸信介ではなく、石橋湛山に投票、石橋内閣が成立。

戦時中の経験から、東条内閣の商工相という地位にあった岸への反感と、軍に抵抗していた石橋への共感による。

しかし、石橋は病気で辞任、57年岸内閣成立。

岸のアジア・アフリカ歴訪に途中まで同行、インドでネールと会談、エジプトではナセルに対しスエズ運河国有化とアスワンハイダム建設への支持を語っている。

河野派が反主流派に転じていた為、岸政権では冷遇、しかし59年内閣改造で中曽根は科学技術庁長官として初入閣を果たす。

60年安保改定にあっては、アイゼンハワー訪日中止を岸に進言。

池田内閣でも主流派は池田派・岸派・佐藤派が占め、中曽根は忍従の時を過ごす。

長年の持論となる首相公選運動も起こすが、これへの拘りは個人的にちょっと理解に苦しむところである。

池田からの禅譲を期待した河野だったが、後継には佐藤が選ばれ、64年東京オリンピック後、佐藤内閣成立。

ライバルの田中角栄は池田内閣で蔵相、佐藤内閣では自民党幹事長を務める。

台湾支持を続ける佐藤政権に対し、中曽根は中国承認を主張。

65年河野が急逝、翌年河野派を割って中曽根派を結成。

67年反主流派の態度を改め、運輸相として入閣、「風見鶏」との評を得る。

沖縄返還に備え、「核を作らず、持たず」の原則を表明することを検討した際、「持ち込ませず」を加えて非核三原則とすることを閣内で主張。

だが、この「持ち込ませず」は世論向けの政治的ゼスチャーであることは中曽根自身も承知しており、「核密約」の公表も視野に入れた大平正芳と違って、中曽根を含む歴代首相は建前論に終始した、と本書ではやや批判的に記されている。

日中国交正常化および米国の核の傘と第七艦隊以外の自主防衛を主張。

70年防衛庁長官に就任、改憲論を一時封印し、「非核中級国家」としての漸次的防衛力増強を志向。

71年佐藤内閣末期、自民党総務会長に就任、佐藤後継を争う、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根の「三角大福中」の一員と見なされる。

72年総裁選で田中を支持、田中内閣で通産相に就任。

対ソ関係を睨んだ日中国交正常化を支持、それが達成されると、日米経済摩擦と石油危機の対処に追われる。

74年金権問題で田中辞職、「椎名裁定」で三木武夫が総理就任、中曽根は幹事長に。

しかし中道左派色の強い三木政権で、国鉄スト、ロッキード事件と田中逮捕などの混乱が起こり、幹事長を辞任、76年内閣も倒れる。

後継の福田内閣で総務会長就任、内政では吉田政権以来の経済偏重を批判し、統治能力回復を主張するが、外交では、対東南アジア友好宣言である福田ドクトリンと、ソ連への対抗連携を暗に含んだ日中平和友好条約などの福田政権の路線を概ね支持。

78年田中派の支持を得て大平が総裁選勝利、大平内閣成立。

大平は中曽根を高く評価せず、そのスローガン「戦後の総決算」は(中曽根が後に唱えた「戦後政治の総決算」とは異なり)「戦前への郷愁」が含まれないものだったとの言葉が紹介されている。

財政再建問題で国会は紛糾、「四〇日抗争」と呼ばれる、主流派の大平派・田中派と反主流派の福田派・三木派・中曽根派の対立が深まり、80年野党提出の内閣不信任案が福田派と三木派の欠席によって可決されるという「ハプニング解散」となる。

ただし中曽根は不信任案には反対投票をしており、これが後に田中派の支持を受けることを可能にした。

最少派閥にも関わらず、「三角大福」の確執から距離を置いてフリーハンドを保てたこと、最大派閥田中派が(田中がオーナーの地位を譲らなかったので)総裁候補を出せないこと、やや若く、他派閥の領袖が交替する時期を活用できる見込みがあったことなどに助けられ、首相の地位に近づく。

大平は選挙期間中に急逝、初の衆参同日選挙で自民党は圧勝、大平派の鈴木善幸が総理就任。

鈴木内閣では行政管理庁長官という、やや格下の役職についたが、第二次臨時行政調査会(臨調)を設置、民間活力による「増税なき財政再建」を掲げ、新自由主義的改革を推進。

鈴木内閣は、対米防衛協力問題、対韓経済支援問題など外交で迷走。

82年11月中曽根内閣成立。

田中派が多数入閣、「田中曽根内閣」とマスコミに揶揄される。

トップダウン型の「大統領的首相」と「指令政治」を志向。

審議会、私的諮問委員会を多用、それに加わったブレーンには高坂正堯、佐藤誠三郎など私にも親しい名がある。

83年日本首相初の公式訪韓を実行、全斗煥大統領と会談し日韓関係を改善、続く訪米では「不沈空母」発言に代表される安全保障面での積極策を強調し、レーガン大統領と「ロン・ヤス」関係と言われる信頼関係を築く。

「戦後政治の総決算」を掲げつつ憲法改正は事実上封印していたが、軽武装経済立国路線の「吉田ドクトリン」を支持する保守本流派からは一部危惧の念が出る。

ウィリアムズバーグ・サミットでは、ソ連に中距離核戦力の全廃を求め、それが応じられなければ西側も対抗措置を取ることを主張、政治声明に取り入れられる。

戦後日本の首相が安全保障分野でリーダーシップを発揮した稀有な例である。

だが内政ではロッキード裁判での田中への有罪判決が下り、総選挙で大敗、自民党は過半数を割り、自民離党者で結成されていた新自由クラブとの連立に追い込まれる。

84年訪中、胡耀邦総書記とも緊密な信頼関係を築き、この年は二千年におよぶ日中関係史上最良の年と言われた。

「中国の存在がまだ巨大でなかったにせよ、日中提携と対米協調を両立できた指導者は、日本外交史をたどっても多くない。」と評されているが、確かにその通りで、冷戦末期軍事力を拡大するソ連への対抗という課題が各国に共有された状況であり、なおかつ日本経済が全盛期を迎えていた故であっても、米欧および中韓などアジア諸国との関係をすべて緊密化した手腕はやはり高く評価すべきものであり、本書が述べるように戦後外交の頂点と言っても過言ではないと思われる。

85年田中派から竹下派が自立、田中も病に倒れ事実上失脚、竹下登、安倍晋太郎、宮澤喜一の「ニューリーダー」が台頭する中、「三角大福中」の最後に登板した中曽根が政治的フリーハンドを得て、極めて有利な立場を占める。

同年プラザ合意、貿易不均衡解消の為、米国の圧力で円高ドル安に向け先進五ヵ国が協調介入。

このプラザ合意がバブル経済の発生と崩壊、その後の長期不況の原因となったとよく批判されるが、後年中曽根はプラザ合意自体は当時の国際情勢からしてやらざるを得なかった、その後90年代の不況対策の不徹底が問題だったと反論している。

だが、本書では、プラザ合意への是非はともかく、87年中曽根政権末期にそれ以上のドル安を阻止する為、企業が円高不況を克服しつつあったのに6兆円規模の内需拡大策が組まれた、これが景気を過度に加熱させバブル経済への流れを強めた、また貿易黒字削減の為に私的懇談会が提出した「前川レポート」でも民活と規制緩和による内需拡大が意図されており、やはり中曽根政権の経済政策とバブルの発生は無関係とは言えない、とされており、常識的に見てやはりそう言わざるを得ないでしょう。

85年終戦の日、靖国神社への参拝を、首相としての公式参拝であると明言して実行したが、対中関係は悪化、翌年からは参拝自粛、結果として公式参拝にこだわった為に、靖国問題が内政での政教分離と憲法問題を超えて国際政治とリンクするきっかけになってしまった、と評されている。

85年電電公社がNTTに、専売公社がJTに民営化され、86年国鉄分割民営化法案が成立、87年JR発足。

86年東京サミット開催、同年衆参同日選挙で自民党が300議席越えの圧勝、新自由クラブを吸収、総裁任期の一年延長決定。

防衛費GNP1%枠を撤廃するが、大型間接税導入には失敗。

87年退任、後継指名を一任され、竹下登を選択。

竹下内閣で念願の消費税が導入されるが、リクルート事件が発覚し、自身も強い批判に晒される。

しかし、その後も国内外で活発に活動、97年大勲位菊花大綬章を受章、生前にこれを受けた戦後の首相は吉田、佐藤と中曽根だけで、以後「大勲位」とやや揶揄的に呼ばれるようになる。

2003年に年齢制限によって小泉内閣から自民党公認を得られず、議員引退。

2011年東日本大震災での菅民主党内閣の対応を批判、しかし原発事故を受けて、かつて自身が原子力開発の旗振り役だったことへの反省の弁も述べる。

本書刊行時の2015年、そしてこの記事を書いている現在も未だ存命。

世界的に見ても、主要政治家では文字通り最長老というべき存在。

本書を通読して、佐藤退陣以後、二年ごとの短命政権が続いた70年代を経て、久しぶりの長期政権を築いた保守政権・自民党政治中興の祖という印象を再確認した。

冷戦末期、ソ連が軍拡と膨張主義の傾向を露わにしていた以上、日米同盟強化と防衛力増強という政策は首肯できるものだ。

三公社民営化に象徴される新自由主義的経済政策も、この80年代中盤の時点では、まだしも日本の国益と国民経済の発展に役立つ範囲に留まっていたと言うことができよう。

外交・防衛政策では、自主防衛および「常時駐留なき安保」に半歩でも踏み出す行動が見られなかったことが残念だが、ソ連の脅威とアメリカの対日警戒、さらに国内で自衛力の保持にすら反対する左翼・革新勢力の空想的平和主義という三者の板挟みとなっていた状況からすれば、それは無いものねだりと言うべきなんでしょう。

内政・経済面では、バブルを煽るような民間活力促進・規制緩和路線ではなく、官民共同で社会資本を着実に整備する形での内需拡大政策もあり得たのではないかと思えるし、これには上記の自主防衛政策よりも実現性があったはずだが、まあそれもあえて問題視しないことにしましょう。

今振り返っても、中曽根政権を肯定的に評価することは十分可能である。

そして、1990年代、自民党内において、改憲志向でタカ派的な旧中曽根派と清和会(旧福田派)を、ハト派的な保守本流よりも、私は常に高く評価していました。

しかし、21世紀になり、中曽根政権の劣化コピーのような、清和会主導の小泉政権および第二次安倍政権が、対米従属と新自由主義的政策によって、日本の国益と国民経済を害し続けているのを見るとき、その源流とも言える中曽根政権に対しても、かつてのような礼賛的姿勢は取れないなと感じ始めている今日この頃です。

 

 

読みやすい。

煩瑣でもなく、簡略過ぎず、ちょうどいいレベルの密度で安定した叙述が続く。

内容はしっかりしているし、叙述範囲の偏りもなく、著者の史的評価にも違和感は感じない。

同じ著者の『広田弘毅』および戦後政治家の伝記として福永文夫『大平正芳』と並んで、良書として評価できる。

2018年3月14日

西部邁 『西部邁の経済思想入門』 (左右社)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 04:44

1987年に放送大学用のテキストとして執筆された作品に加筆・訂正して2012年再刊したもの。

著者はもともと経済学者ではあったが、原著が刊行された頃から、個人的自由と技術的合理性のみに依拠した「形式において精緻だが内容において空疎な物語」である、経済学から完全に離れることになる。

叙述上、経済学史の形式的系譜は守りながらも、何ものにも拘束されない合理的な原子的個人が完全な自由市場で活動することによって理想的な予定調和に至るという空理空論を基本的前提とする現在の主流派経済学に対して、徹底した批判をもってしている。

間宮陽介『市場社会の思想史』よりも、こちらの方が良い。

より充実した内容を持っている。

難解な数式や概念を用いることなく、極めて本質的な議論を、初心者でも理解できる明解さで展開している。

一般教養的な経済学史を学ぶには、現状では本書が最良でしょう。

 

労働価値説を認めるかぎり、マルクスの剰余価値説はおおいに首尾一貫したものだといわなければならない。しかしマルクスの主張はむしろ労働価値説の不毛なることを、少なくとも科学としては不毛なることを、最終的に自己暴露したものだといわなければならない。なぜといって、資本もまた生産に寄与していることが明白である以上、資本の所有者としての資本家が報酬を稼得することになんの不思議もないからである。私有財産制の不当をいうことによって利潤を不労所得とみなすことは可能であろうが、その制度の枠内で財産収入の原理的不当性をいうことはできない。マルクスをおおよそ最後にして労働価値説が近代経済学のなかで姿を消すようになったのもむべなるかなといわなければなるまい。

だがこのことははたして価値論一般の不要を意味するであろうか。マルクスが当初『経済学・哲学草稿』などにおいて指摘していたのは労働の疎外ということであった。わかりやすくいえば、資本主義的生産の場において労働が喜びとはいえないものに化しているということである。一般的にいって、労働者はあるべき労働形態を意識するであろうし、またあるべき賃金水準をも意識するであろう。それらの意識を公正観念とよぶならば、労働サーヴィスという商品はまさしく人間自身によってなされるものであるために、公正観念とつよくかかわらざるをえない。公正から離れた労働形態あるいは賃金水準は不公正感を労働者のうちに累積させるであろう。マルクスの搾取論はそれ自体としては誤りといわなければなるまいが、市場における自由交換のうちにも公正観念が介在し、それが実現されないとき様々な矛盾をもたらすであろうという文脈においてならば、なおもくみとるべき含意をもっている。逆にいうと、反マルクス派の経済学者はあまりにも安直に自由交換の弁護論に走りがちなのである。

公正観念は社会的通念として成立するものであろう。公正観念が自由交換の場において機能しないということは、そうした通念を支える社会的紐帯が崩壊したということである。そこではたしかに孤立した諸個人の不安な選択が広まるであろう。しかしそれを自由交換の名において正当化するのは個人主義のイデオロギーにすぎない。マルクスの経済学説の誤りはその労働価値説において典型的に表れているのではあるが、そこにおいてすら、経済学をめぐるイデオロギーをいかに解釈するかに当たって、無視しえぬものを残しているのである。

 

先日、著者が自裁されたが、全く意外感が無い。

間違いなくそうした最期を遂げられるんだろうなと思っていたので。

ご冥福をお祈りしますとか、月並みなことも言いたくなかったので、このブログで即座に反応はしなかったんですが。

西部氏は高坂正堯氏と並んで、学生時代以来、自分が最も影響を受けた人だと思う。

今後も、その著作を読み返して、ものを考えることは続けたいと思います。

2018年3月9日

小此木政夫 編著 『北朝鮮ハンドブック』 (講談社)

Filed under: 朝鮮 — 万年初心者 @ 06:36

金日成が死去して三年後の1997年刊。

編著者の小此木政夫氏は、個人的には1990年代から最も信用している朝鮮半島研究者である。

ただし、一般向けの著作はほとんど書いていないので、このブログでも今まで紹介する機会が無かった。

本書は共著ではあるものの、その稀な例外。

タイトルは「ハンドブック」だが、本文は400ページ超とかなりの大部である。

その分、政治、外交だけでなく、経済、法制、思想教化など内容も多彩(その手の詳細な記述は、残念ながら読み飛ばすしかないこともあるが)。

小此木氏以外の執筆者も、伊豆見元氏をはじめ信頼できそうな顔ぶれ。

章ごとに著者が替わるのではなく、同じ章内の節ごとに替わるのだが、通読する上で特に違和感は感じない。

まず、冒頭で金日成死後の金正日時代を扱ってから、日本敗戦後の状況から筆を起こして、順に北朝鮮史を記し、最後に日朝関係の章で締める、という構成。

ソ連占領下で金日成が指導者に就任、48年朝鮮民主主義人民共和国成立後、50年武力統一を目指して南侵し、朝鮮戦争を起こすが、米軍介入で押し戻され53年休戦、ソ連派・延安派・南労党派を粛清して58年頃独裁体制確立、60年代中ソ対立に際しては当初は中国寄りの立場を取るが、文化大革命中に中国とも対立、以後自主路線を推進(日本共産党も同様の経緯で自主独立路線を確立するが、日共と朝鮮労働党も対立関係に入る)、67年甲山派も粛清された後、その体制はますます異常性を増し、首領制と「唯一思想体系」によって個人崇拝を極限まで推し進めたものとなり、スターリン批判と林彪事件を見て、自身と支配層の保身目的で74年息子の金正日を後継者に決定、「主体(チュチェ)思想」という似非哲学で「全社会の金日成主義化」と言われるほどの思想統制・教化を徹底し、悪夢のような究極の個人独裁体制を確立するが、80年代に入る頃には韓国との体制競争で完敗したことが誰の目にも明らかとなり、ソ連・東欧共産圏の崩壊で、経済は完全に破綻状態となる中、核開発による「瀬戸際外交」に活路を見い出し、94年金日成が死去して後、金正日政権が「米朝枠組み合意」を成立させたが、(本書刊行後)21世紀に入って核危機を再燃させ、現在までその状況が続いてしまっている。

90年代以降、北朝鮮の「早期崩壊説」「内部対立説」が繰り返し語られたが、本書は以下のように述べる。

 

編者は北朝鮮体制の最大の特徴は「政治と経済の非対称性」にあると考えている。北朝鮮経済がきわめて脆弱であり、すでに破綻したことは衆目の一致するところである。そうだとすれば、なぜあの国家体制はソ連・東欧諸国のように崩壊しないのだろうか。経済体制とは比較にならないほど強靭な政治体制が存在することに、その秘密があるといわざるをえないだろう。いいかえれば、金日成、金正日を頂点とする一元的で、特異な政治体制の存在が経済体制の破綻を補ってきたのである。

・・・・・・

率直にいって、さまざまな困難にもかかわらず、金日成死後も北朝鮮国家が存続しているのは、宗教的な色彩を帯びたイデオロギーとそれに裏打ちされた強靭な政治体制によるところが大きい。いいかえれば、食糧危機や経済破綻にもかかわらず、それを補うだけのイデオロギーと政治体制が存在することこそが、北朝鮮国家が維持されてきた秘密にほかならないのである。事実、ソ連・東欧型の社会主義国であれば、北朝鮮はすでに消滅しているに違いない。そうではなく、首領・労働党・人民の三位一体が強調される閉鎖的な有機体国家(「社会政治的生命体」)であるがために、北朝鮮は存続してきたのである。

金正日の政治基盤についていえば、それは一般に想像されている以上に強固である。それどころか、長期にわたって、苛酷な暴力装置、極端な情報統制、イデオロギー教化などが維持され、政治体制が人格化されてきた結果、現在の北朝鮮には、首領制に代わりうる政治体制が存在しないのである。最高指導者への正式就任には三年余りの歳月が必要とされたが、その間も金正日の後継者としての地位は公式に確認されていたし、北朝鮮では、後継者もまた「首領」である。だからこそ、金正日の指導も「領導」と表現されたのである。「外部からの脅威」の誇張や「忠孝」などの儒教的な価値体系もまた、国民の間に運命共同体的な政治意識を植え付けるために巧みに利用されている。

もちろん、そのような一元的な政治体制にも物理的な限界がないわけではない。しかし、たとえば食糧危機がさらに深刻化した場合、内部的に予想されるのは、労働者や農民の暴動であるよりも、むしろ「統制された飢餓」であるだろう。いいかえれば、住民に対する統制能力が維持されている限り、「個人的な逃亡」は増大しても、食糧危機が体制崩壊に直結することはないのである。

・・・・・[亡命した]黄長燁はまた、北朝鮮指導部内に「強硬派と穏健派の対立」が存在するとの見方を完全に否定し、「一人独裁下には、“派”という概念もない」とか、「金正日を拒否する勢力はない」と断言している。

 

本書刊行から、実に20年以上経った現在から見て、上記の見解は正しかった。

この最悪の全体主義国家は、残念ながら恐るべき強靭性を持って、経済破綻と国際的孤立を生き延び、現在も存続している。

和田春樹『北朝鮮現代史』の記事でも述べたが、私自身は、本当の本当に遺憾なことだが、金正恩政権を交渉相手と認め、慎重で冷静な外交を行い、経済援助をインセンティブとして核開発凍結と拉致問題解決、国民の権利状況改善を徐々に、粘り強く進めるしかないと考える。

戦争という手段は、軍事情勢を見ると、余りにも危険が大き過ぎる。

日本が受ける被害も尋常じゃないでしょう。

道義的には、この国の体制はとっくの昔に正統性を失い、外部から武力で打倒しても許されるほどの暴政を自国民に敷いていることは確実である。

私は、2003年のイラク戦争を、虚偽の大量破壊兵器製造疑惑と外部からの体制変換による民主化という現実離れした妄想によって起こされた世紀の愚行と見なし、徹頭徹尾否定する立場だが、それに比べれば、北朝鮮の体制打倒の為の軍事行動には遥かに正当性があると思う。

だが、北朝鮮の軍事力と狂信性を考えると、やはり戦争という手段を取ることは事実上不可能だ。

あくまで外交交渉による事態の平和的解決という一線を守るしかない。

現状北が保有している核兵器を放棄させることも難しいだろうし、それ以上の核戦力増強だけは凍結させて、その状態が相当長期間続くことも覚悟しないといけないかもしれない。

 

しかし、共産主義という人類の悪夢がようやく消え去りつつあったと思ったら、その中でも最も異常で劣悪な国家が日本の隣に残ってしまったのも因果なことです。

国民全体へのイデオロギー洗脳における偏狭性と狂信性、政治的反対派への迫害・弾圧における徹底性と残忍性について、誇張でも何でもなく、あの国は正に人類史上の汚点と言うほかない。

ヒトラー、スターリン、ポル・ポト各政権の最悪の時期が、控え目に見ても(建国当初からしばらくの間は、共産主義国の「平均的で」「通常的な」抑圧性に止まっていたと考えたとしても)、1960年代後半からずっと続いている状況だ。

その政治犯収容所は、世界でも最も閉鎖的で厳重な統制下にあるが、亡命者のわずかながらの証言を、疑いを持ちつつ話半分に聞いても、ナチ以上の、凄惨極まりない、恐るべき残虐行為が行われていると判断するしかない。

この世の地獄、とはあの国の強制収容所のためにある言葉だ。

最高位の支配階層に属する人間ですら、いつ粛清され、一族もろとも抹殺されるか、収容所送りになるかわからない(もしそれが自分の身に降りかかったら、収容所で生きている間中、恐ろしい虐待を受けるくらいならば、一思いに殺された方が楽だろうなと想像する)、極限の恐怖政治が敷かれている。

この国の国民にだけは、絶対に生まれたくない。

世界史上のどんな国家・体制よりも、私は北朝鮮に対して否定的印象を持つ。

上に記した通り、私は当分の間、北の現体制と共存を模索せざるを得ないとする立場ですが、それはこのような残忍な国内体制をしばらくの間は放置せざるを得ないという、深刻な道義的ジレンマを自覚した上でのことです。

無責任な好戦論を煽り立てる連中は愚昧・卑怯・劣等の極みだが、平和的解決を主張する人も、以上のことを理解した上で、そうしてもらいたい。

そのような人々の中で、(さすがに北の現体制を積極的に支持する人間はほぼ絶無となったが)かつての大日本帝国と韓国の軍事政権を北朝鮮と同列に置いて批判する人もいるが、私はそこに表れる倫理感覚に対して深い疑いの気持を持つ。

上述の通り、はっきり言ってレベルが違う話なんで。

体制の抑圧性については、北朝鮮は、誇張でなく、全世界史上最悪の程度に達しており、日本の植民地統治と戦時体制、韓国の朴正熙・全斗煥政権のそれぞれ最悪の時期でも及びもつかない程の残忍性を持っている。

北朝鮮がこのような体制になったのは、植民地支配と冷戦構造の結果だ、日本はその責任者だ、という主張には、いや大日本帝国もその前段階での歴史的環境に対応するため、否応なく形成されたものだ、その論法で自国の体制に対する国民の自律的責任を免除していったら、キリがないと言いたいし、韓国の権威主義政権は北の軍事脅威に対抗するための自衛措置の表れであり、現在から見ても十分正当化できるものだと考える。

「戦後の朝鮮半島では、北も南も独裁政権だった、しかし南では民衆の力で軍事政権を倒して民主化を達成した」という物語は、北の異常性を看過し、南北を同列に置く、欺瞞に満ちた虚構である。

「北の最悪の全体主義的独裁に対抗するため、南ではやむを得ず権威主義的体制を構築し、国力の増進に努めたが、その必要性を理解できない人々が正当性に乏しい、無分別の気配が濃厚な激しい反抗を起こした、しかし幸いにも国家が転覆することはなく、北との体制競争に完全に勝利したと思われた時点で、南は正常な議会政治に移行した」という方が余程真実に近い。

(現在の韓国では、残念ながら前者の歴史観が主流となってしまったようだが。)

 

加えて、北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」という国名を掲げながら、実態は「金王朝」であり民主主義の欠片も無いと揶揄して済ませる態度からも脱却した方がよい。

あの惨めな体制だって、「民主主義」の帰結なんですよ。

共産主義は、人類社会のありとあらゆる不平等を未来永劫消滅させ、真の実質的自由と民主主義を実現すると豪語し、そのために暴力を用いてあらゆる伝統と既存支配階層を破壊しなければならないという考えから生まれた狂信です。

民主主義の単線的発展上に生まれたのが共産主義です。

これも何度も言っていることですが、共産主義を批判するに当たって、真にそれを否定しようと思うならば、民主主義も否定し疑わなければならないはずである。

 

ひとくちにいって文化の非理性化、このことの危険さかげんは、まずなによりもそれが自然を支配する技術能力の最高度の展開、および物質的幸福と富に対する欲望の激化という事態と並行し、またこれと結びついているという事実のうちに存する。

この物質的なものへの欲望が商業-個人主義的な形態をとるか、あるいは社会-集産主義的な形態であらわれるか、それとも国家-政策的形態のうちに発現するか、それはさしあたり問題ではない。

どのような社会原理に呼びかけんとするか、それは問題ではない、ともかく文化の非合理化からは生そのものの礼拝が結果し、これが支配と所有への非人間的、利己的衝動をいやがうえにも高めるのである。集産主義は利己主義を排除すると考えるなどは、およそ無思慮の一語につきよう。

かかる破滅的諸要因の協働によく対抗しうる釣合の力は、これを至高の倫理的、形而上的諸価値のうちにのみ求めることができよう。理性への回帰ということだけでは渦からぬけだしえないのである。

理性への回帰、せめてこれが要件だとはしても、わたしたちが正しい道を歩んでいるとはだれにもいえまい。どうみても、わたしたちは、この文化を脅かすに足る危機の錯綜を体験しているのだ。

感染と中毒に対する抵抗力の弱まりという状況、酩酊状態にも比すべき状況がみられるのである。精神は荒廃した。思想の交換手段、ことばは、文化の進展につれて、その価値を低めつつある。

ことばは、ますます多量に、ますます安易にまきちらされる。話され、あるいは綴られることばの価値の低下に正比例して、真理に対する無関心がふかまる。

非理性的な精神の構えがその地歩をすすめるにつれて、どの分野にあっても、誤った認識のはたらく余地がますますひろがる。商業的煽動的傾向の一時の宣伝が、たんにみかたの相違にしかすぎぬものを、一国全体の幻覚にまで拡大してしまう。

日々の思念は即座の行動を要求する。いったい、偉大な想念がこの世界にしみとおってゆくのは、ごくゆっくりした歩みでしかないというのに。都会にただようアスファルトとガソリンの匂いのように、世界の上には、むなしくあふれることばの雲がかかっている。

責任の観念は、一見、ヒロイズムのかけ声がこれを強化するかにみえるものの、そのじつ、個人の意識のうちにこそ求められるべきその基盤から引きはなされ、集団の利益のために、その視野のせまい考えを救済の法規とまで持ちあげたがり、これを押しひろめようと図る集団の利益のために動員される。

およそ集団の結びつきにあっては、個人の責任という観念は、個人の判断ともども、そのなにほどかの部分を、グループということばのうちに失うのである。

疑いもなく、今日の世界にあっては、すべての人がすべてのことに対して責任があるという感情が高まっている。だが、それと同時に、また、極度に無責任な大衆行動の危険が、異常なまでに増大してもいるのである。

引用文(ホイジンガ3)より。

 

 

あらゆる啓蒙主義道徳、人間の「真の利益」を説くすべての教義は、本来いかに精神的なものであろうとも、それどころか、初めのうちは人間の真の利益は「神のなかに生きる」ことだとさえ定義していようとも、ひとたび権力の座につき、大衆のこころを手に入れてしまうと、かならず権力獲得の程度に比例して堕落する。すなわち、物質化し、経済化し、非精神化する。他方、啓蒙主義道徳に忠誠を誓う大衆も、かならずますます欲の皮があつくなり、不満をつのらせ、ますます愚かになり、不信仰になる。そう、ますます非宗教的になる。宗教と政治とを分離できると考えているところに、自由主義の誤謬がある。宗教なしには、政治は、内的政治は、つまり社会政策は、結局のところやっていくことができない。というのは、人間という動物は、形而上的宗教をうしなうと、宗教的なものを社会的なもののなかに移しかえ、社会的生活を宗教的神聖さに高めようとするものであるが、その結果は、反文化的な社会的愚痴こぼしか、でなければ、社会的対立は解消できず、約束された幸福はいっこうに実現しないものだから、功利的争いの永続化と絶望か、そのいずれかに行きつくのがおちなのだ。宗教心は、たしかに社会的良心や社会的清潔欲とけっこう手をにぎりあえるものである。しかし、宗教心が発生するためには、まず社会生活の過大評価が消滅しなければならない。すなわち、和解は社会的領域以外のところに求めなくてはならぬという認識がうまれたときにはじめて、宗教心が生じる。社会生活の過大評価が精神を支配し、社会生活の絶対的神格化がはじまるところでは、宗教心は居場所をうばわれ、逃げだすほかない。あとに残るのは、絶望的な不和軋轢だけである。

トーマス・マン『非政治的人間の考察 上・中・下』(筑摩書房)より。

 

 

北朝鮮について(北に限らないが)、言論の自由があるにも関わらず、その恐るべき実態が事実上隠蔽され、その言論状況の改善は徐々にしか進まず、最終的には2002年日朝首脳会談による拉致事件公然化まで、その種の左翼的言論抑圧が続いたことは、ある程度以上の年齢の方なら覚えがあるはずです。

それも「民主主義」という言葉に無条件に拝跪する精神態度と無関係ではないと思います。

 

 

これまで北朝鮮通史としては、金学俊『北朝鮮五十年史』(朝日新聞社)徐大粛『金日成と金正日(現代アジアの肖像6)』(岩波書店)和田春樹『北朝鮮現代史』(岩波新書)を紹介しているが、本書も含め、どれも悪い本ではない代わりに、決定版という感じがする本もない。

まあ、和田春樹『北朝鮮現代史』が一番新しいし、コンパクトだし、思ったほどの内容的偏りも無かったので、ひとまずそれを読めばいいんじゃないですかね。

ただ本書も良質な概説であったことは書いておきます。

2018年3月5日

桐山昇 栗原浩英 根本敬 『東南アジアの歴史  人・物・文化の交流史』 (有斐閣アルマ)

Filed under: 東南アジア — 万年初心者 @ 04:07

2003年初版発行の東南アジア地域史。

前近代、植民地時代、独立後の三部構成で、近現代史に多くのページを割く。

そして、「最近の東南アジア史研究の発展を踏まえたうえで、東南アジア各国史の詳細な叙述を必要最小限度に控えて、むしろ域内外の交流の歴史に焦点をあてた東南アジア地域史としての叙述を心がけたこと、そしてまた日本との交流関係史にもつねに注意を払ったこと」を特徴とする。

最近の学界の傾向からすると、もちろんこういう記述が標準的なんでしょうが、読んだ感想は「つまらない」の一言。

面白くもなければ、史実が頭に入ってくるのでもない。

本書とは全く逆の、「各国別で前近代の王統を中心にした政治史」という時代遅れの通史の方が、初心者にとっては効用が高い。

これを東南アジア史に初めて接する人に薦めるのはやや躊躇する。

通読は楽だが、強いて読むほどの本ではない。

2018年3月1日

桑原武夫 『文学入門』 (岩波新書)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:43

これもかなり古い本だ。

初版は1950年。

当然、時代の違いを感じさせる部分も多いが、末尾の文学必読書リストは参考になる。

以下、関連する文章の引用とリストを挙げる。

以上のべてきた意味において、文学における基準的な必読書のリストの作成は、こんにちきわめて重要な仕事といわねばならない。先進国ではそういう試みは、つとになされているが、日本ではさきに指摘したような文学観から、いっこうに不熱心だった。しかし、こういう基本的な仕事をほっておいて、ただ世界文学に目をひらけ、とだけ叫んでいるのはコッケイというのほかはない。それでは、せっかく開いた目がキョロキョロするばかりである。また、そういうものが現実につよく要求されていることは、私などのところへ来る新制高校や労働組合あたりからのアンケートの大多数が、何を読めばよいか、という問合せであることをもっても知れるのである。

そこで私は、そうした試みの一つとして、友人諸君の協力をえて、世界近代小説五十選というリストを作ってみた(巻末、附録)。急ぎの仕事だから不完全な点もあろうが、それは諸方面からの批判をえて、漸次あらためてゆくことにしたい。このリスト作成の根本方針は、私がこの本で説いてきたところによるが、もう少し説明を加えると、第一に、近代小説を味わうためには、まず西洋の近代小説の傑作を読むべきだと考えたことである。事実、全世界の近代小説は、中国のものも、日本のものも、すべてヨーロッパの近代小説の影響のもとに生まれたものである。ヨーロッパ以外にも、『千一夜物語』とか、『水滸伝』『三国志』とか、『源氏物語』、西鶴とか、すぐれたものがあるが、これらは近代小説とは根本的にその性格を異にしており、たとえこれらのものの影響下に書かれた小説があるとしても、もしその作者が西洋近代小説の精神の洗礼をうけていないとするならば、その作品は現代の小説としてはつまらぬものだ、といって恐らく間違いはないだろう。そういう意味から、まず近代小説とはどういうものか、を捉えようとするならば、西洋近代小説の傑作を読まねばならない。

ところで、そうした傑作がヨーロッパ精神のあらわれである以上、その根源をなしている『聖書』やギリシヤ神話、ホメロスなどについての知識が必要だというのは正しいし、またそれらに接することは、もとより望ましい。しかし、だからといって、まずソフォクレス、プラトン、プルタルコス、タキトゥス、アウグスチヌス、等々、古代中世の思想と文学を十分通過しておかねばダメだ、などという大学の先生の意見に盲従する必要はなかろう。(文学のみでなく、学問でも、古代から現代へという勉強法のみに執着してはならない。現代ないし近代をやって、その必要から時代をさかのぼるという行き方も大切で、むしろその方が効果的なことがある。)それに、そうした古典は、そう簡単に読めるものでもなく、また近代小説はそんなに高級なところから誕生したものでないことは、さきに述べた。文学研究の専門家を志す人でないかぎり、近代小説の系譜をたどるにしても、古いところで、ボッカチオの『デカメロン』、そして近代告白文学の先祖という意味で、小説ではないが、ルソーの『告白』あたりから始めれば十分だろう。この二つは、そういう歴史的意義のいかんにかかわらず、無類に面白いものだから、一読をすすめたい。

さきに述べた理由によって、戯曲と詩はのぞき、近代小説のみにかぎったにせよ、五十種ではあまりに少ない、といわれるかも知れない。それは一おうもっともな意見である。しかし、私はヘルマン・ヘッセが選んだ世界文学の書目のようなものは、あまりに冊数が多すぎて、かえって実用に適しないと考える。あの本を全部読んでいるものは、ヨーロッパの知識人にも少ないであろう。どうせ全部は読まないとなると、その中からさらに第二次的に必読書のリストを作らねばならないことになる。それでは国民教育の共通地盤ということでなくなる。それに本の高いこんにち、読者の経済力ということも考慮に入れなければならない。そこで私は一まず五十にかぎり、その代りこれだけは、教養ある日本人なら必ず読んでいるというふうにしたいものだと思う。私のリストでは、全部を買うと、その代価は、およそ二万円となる。学校や労組の図書館などなら一度に買うことはできようが(そして大きな図書館では、こうした名作は同じものを何冊も買っておく必要を忘れてはならない)、個人にとっては大きな金額である。しかし、なにも一挙に手に入れねばならぬ訳はない。一つ読みおえたらつぎのを、というふうにぽつぽつ買っていって、何年後かに揃えるということにすればよい。

小説を読むことの楽しみの一つは、名作を時をへだてて反読することにある。大小説というものは、一つの客観的な複雑な深い世界であるから、読者の思想や生活と結びついたインタレストが変化するにつれて、その世界で行なわれる読者の経験もさまざまに変わりうる。だから読みかえすたびごとに、すでに大筋は知っているから落着いた気持はありながら、やはり新しい経験を与えてくれるものである。その楽しさは、昔なじみの立派な人に時おり出会ったとき、ああ昔のとおりだなと思いつつも、同時に、いままで気づかなかったその人の立派さに改めて打たれる、そういう喜びに比べることができよう。アランが、あのぼう大なトルストイの『戦争と平和』を十ぺんも読みかえしたというのは、そうした楽しみがあればこそである。この五十冊の本を自分の手許にそろえて、もっているということは、その人の人生を計りがたく豊かに、楽しくするにちがいないのだ。

こうしたリストによって小説を読むことは、なにか自由が少なく、個性の発展をさまたげられるように思う人があるかも知れないが、それが間違いであることは、くりかえし述べた。普遍的な客観性を通らない個性などというものはないのであって、世界的に認められ、客観的価値の定まった名作を通ったあとで、はじめて個性的な独創的な鑑賞の自由が、すこやかに成長することを知らねばならない。それに、これらの名作をまず読むことはすすめるが、それ以外を読むなとは誰もいいはしない、だいいち、そんなことは不可能である。

なお、このような名作といえども、すべてが必ずたのしく読めるとはかぎらない。そういう場合には、無理をして読まずに一おう中止した方がよい。しかし、そのためにその作品をすててしまうべきではなかろう。それはきっと大きな楽しみを一つとり逃がしたことになるだろうから。世界中の人々が楽しく読んで名作とみなしている以上、その作品には必ずすぐれた点があるにちがいない。また別の時期に改めて読みなおす労を惜しんではならない。どうしてこんな面白いものが、前にはわからなかったのだろう、といぶかることがあるに違いない。また、こうした名作を味わっておくことは、そのこと自体が楽しみであるばかりでなく、上等の料理を食べなれると、まずい食事がいやになるのと同じように、眼がこえて、低俗な小説がおのずといやで読めなくなる、というありがたい副作用をともなう。しかし、このたとえは本当は正確でない。料理で口がおごると家庭経済はつぶれるが、小説のほうはトルストイでも駄小説でも本の値段に変りはなく、いなむしろ名作ほど安いくらいで、料理のような危険はさらにないからである。

しかし、さきにもいったように、こうしたリストによって小説史上の名作を読むということは、それ以外の作品を読むなということでは決してない。このリストでは一人一作のたてまえをとっているが、それはもともと無理をふくんでいる。バルザックの『人間喜劇』九十余篇を全部よめということは不可能にしても、『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』『ユージェニ・グランデ』『絶対の探究』などの傑作のうちから、一つだけを選んで他をすてねばならぬということは、つらいことなのである。しかし、それらをすべて採用すればリストはむやみに多くなるから、けっきょく私自身の好みによって、そしてジッドが、『人間喜劇』はすべてを読まねばならぬが、しいて一つをとるとすれば『従妹ベット』を、といった言葉を思い出して、これを取ったのである。同じことは他の偉大な小説家についてもいえることである。したがって、読者は一つの作品に感動したならば、その作家の他の作品を読まれるがよい。なお、文学の研究を志す人にとっては、一人の偉大な芸術家の全作品を知るということは、その作家個人のみでなく、文学一般を理解する上の、もっともすぐれた方法の一つであることを、申しそえておきたい。

 

 

 

以下、リストの転載に当たって、年代と翻訳の版を省略、一部表記を変更。

 

 

イタリア

1. ボッカチオ『デカメロン』

 

 

スペイン

2. セルバンテス『ドン・キホーテ』

 

 

イギリス

3. デフォー『ロビンソン・クルーソー』

4. スウィフト『ガリヴァー旅行記』

5. フィールディング『トム・ジョーンズ』

6. ジェイン・オースティン『高慢と偏見』

7. スコット『アイヴァンホー』

8. エミリ・ブロンテ『嵐が丘』

9. ディケンズ『デイヴィッド・コパーフィールド』

10. スティーヴンソン『宝島』

11. トマス・ハーディ『テス』

12. サマセット・モーム『人間の絆』

 

 

フランス

13. ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』

14. プレヴォー『マノン・レスコー』

15. ルソー『告白』

16. スタンダール『赤と黒』

17. バルザック『従妹ベット』

18. フロベール『ボヴァリー夫人』

19. ユゴー『レ・ミゼラブル』

20. モーパッサン『女の一生』

21. ゾラ『ジェルミナール』

22. ロラン『ジャン・クリストフ』

23. マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』

24. ジイド『贋金つくり』

25. マルロー『人間の条件』

 

 

ドイツ

26. ゲーテ『若きウェルテルの悩み』

27. ノヴァーリス『青い花』

28. ホフマン『黄金の壺』

29. ケラー『緑のハインリヒ』

30. ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』

31. リルケ『マルテの日記』

32. トーマス・マン『魔の山』

 

 

スカンジナヴィア

33. ヤコブセン『死と愛』

34. ビョルンソン『アルネ』

 

 

ロシア

35. プーシキン『大尉の娘』

36. レールモントフ『現代の英雄』

37. ゴーゴリ『死せる魂』

38. ツルゲーネフ『父と子』

39. ドストエフスキー『罪と罰』

40. トルストイ『アンナ・カレーニナ』

41. ゴーリキー『母』

42. ショーロホフ『静かなドン』

 

 

アメリカ

43. ポー『黒猫 モルグ街の殺人事件 盗まれた手紙 他』

44. ホーソン『緋文字』

45. メルヴィル『白鯨』

46. マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』

47. ミッチェル『風と共に去りぬ』

48. ヘミングウェイ『武器よさらば』

49. スタインベック『怒りのぶどう』

 

 

中国

50. 魯迅『阿Q正伝 狂人日記 他』

 

 

 

 

ざあっと見ると、「うん?」と思うのもありますけどね。

自分の読後感からすると、ノヴァーリス『青い花』が必読とは思えないなあ・・・・・。

ケラーも要らないと思うし、スカンジナヴィアでイプセンとストリンドベリの代わりにこの二人を挙げる意味がわからない(と思ったら、戯曲は外して小説のみを選んだからだと気付いた)。

ゴーリキーとショーロホフも今なら外すか?

ミッチェル『風と共に去りぬ』も読む気しないなあ・・・・・。

通俗作品のイメージが強いが、なぜか高校レベルでもちょっとだけ出てくる。

女性の方で好きな人は多いんでしょうが、あの長編を読む労力がその本当の文学的価値に値するのか、正直疑問に思えてしまう(パール・バック『大地』も同じく)。

しかし、こういう冊数を絞った必読書リストというのは、どんな分野にしても貴重ではある。

相当古いものだが、本書も初心者にとっては、それなりに役立つ部分もあるでしょう。

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