万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年2月21日

リチャード・リケット 『オーストリアの歴史』 (成文社)

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200ページ弱の小史だが、比較的良くまとまっている。

高校世界史レベルのことはすっ飛ばして、それ以外の事項を述べると、カール大帝とオットー1世が東方蛮族への防壁として設置した「オストマルク」が建国の起源。

支配者は、バーベンベルク家からプシェミスル家(チェコのボヘミア[ベーメン]王国の土着王朝)へ、そしてハプスブルク家と変遷。

三十年戦争後、即位したレオポルト1世は、その長い治世(1658~1705年)中に、第二次ウィーン包囲を退け、オイゲン公という名将を起用し、ハンガリーを回復、オスマン帝国に対して決定的優位に立つことに成功した。

本書では、啓蒙専制君主として著名なヨーゼフ2世は、貴重な伝統や慣習を破壊して性急な改革を無理に推し進めようとしたとして、かなり厳しく評価されている。

1848年三月革命の混乱の中、フランツ・ヨーゼフ1世が即位、第一次大戦中の1916年まで、実に半世紀以上在位する。

帝の弟マクシミリアンはナポレオン3世に担ぎ上げられメキシコ皇帝となるが、反乱に遭い銃殺され、皇太子ルドルフは不満を募らせた挙句自殺、妻エリザベートはアナーキストに暗殺され、そして新たに皇太子となった甥のフランツ・フェルディナント大公もサラエボでセルビア人に暗殺、これが第一次大戦のきっかけになったことは周知の通り。

1908年(1878年ベルリン会議で管理権のみを得ていた)ボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合する決定が全欧戦争の危機を強める。

英国王エドワード7世は老皇帝にドイツとの同盟がもたらす危険を警告したが、不幸にも実を結ばず。

もしエドワード7世がオーストリアをドイツから切り離すことに成功していたら、中央ヨーロッパの将来がどうなっていたか想像するのは楽しいことだ。もし本当にそうなっていたら・・・・・。

皇太子フランツ・フェルディナントが暗殺されず即位していれば、スラヴ人の地位を向上させ、ハプスブルク帝国を、オーストリア・ハンガリー二重帝国からスラヴ人をも含めた「三重帝国」に変化させていただろう、との著者の想定が興味深い。

ハプスブルク帝国崩壊後、果てしない民族紛争と左右両極の狂信的イデオロギーによって悲惨極まりない状態に陥った中東欧を見ると、なぜそうならなかったのか、と慨嘆したくなる。

第一次大戦敗北により、帝政は崩壊、第一共和政成立。

1922~24年、26~29年首相を務めた保守派のザイペルの下、戦後復興に成功。

だが、国内の左右対立激化、経済恐慌襲来、オーストリア・ナチ党の台頭によって、1932年首相に就任したドルフスは右派権威主義体制を樹立、ムッソリーニと友好関係を結び、左派勢力とオーストリア・ナチスを共に弾圧。

34年ドルフスがナチに暗殺されるが、激怒したムッソリーニは軍を動員、政権掌握間もないヒトラーは引き下がり、オーストリアは後継首相シューシュニクが権威主義政権を継続。

だが、独伊接近によって独立の後ろ盾を失ったオーストリアは、38年ドイツに併合される。

第二次大戦後、第二共和政成立、ドイツと同様に東西両陣営によって分割占領されるが、スターリン死後の緊張緩和期の機会を捉えて、中立を自発的に宣言することを代償に、1955年オーストリア国家条約で外国軍は撤退。

冷戦下では中立政策から欧州統合には参加せず、冷戦終結後の1995年にEU加盟。

 

 

ちょっとあっさりし過ぎているかもしれないが、大部の本は当然読みにくいし、本書の意義は充分あるか。

普通に有益です。

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