万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年1月29日

千葉功 『桂太郎  外に帝国主義、内に立憲主義』 (中公新書)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 02:04

最長の首相在任記録を持つ元老の伝記。

1848年長州藩の上士の家に生まれる。

他の元老より、半世代ほど年下だが、戊辰戦争従軍に辛うじて間に合う。

二度のドイツ留学で近代軍制整備と健全な政軍関係確立の必要を確信し、山県有朋の忠実な配下となり、1886年「明治十九年の陸軍紛議」を経て、陸軍主流派を形成。

同輩に比して出世は遅れ気味で、一時、名古屋の第三師団長に左遷されるが、日清戦争出征を経て、台湾総督に就任、1898年第三次伊藤博文内閣で念願の陸相就任。

続く第一次大隈内閣、第二次山県内閣でも陸相、憲政党・憲政本党との交渉や義和団事変に対応。

1901年第一次桂内閣成立、日英同盟締結と日露戦争勝利は周知の事。

その過程で、伊藤・山県ら元老がロシアとの交渉に固執した一方、桂や小村寿太郎らが最初から日英同盟樹立を目指していたように語られることがあるが、これは自らの功績を強調したい桂の自伝の記述からくる偏った見方だとのこと。

日露戦後は政友会との「桂園体制」を確立、苦手の財政問題への見識を深め、「国家財政統合者」としての存在感を強める。

1908年第二次内閣を組織、高平・ルート協定、第二次日露協商、第三次日英同盟を締結し、多角的同盟・協商網を形成し、米英との新通商航海条約締結で不平等条約を完全に改正することに成功したが、日韓併合と大逆事件の1910年という明治の暗い年もその任期中であった。

大正改元後、一時内大臣となったが、1912年第三次内閣を組織、政友会との「桂園体制」破棄を決意、世論の不評の中、後藤新平らを支持で、衆議院・貴族院・官僚を横断し、一党優位性を前提とする「立憲統一党」構想を掲げるが、立憲国民党の大石正巳・河野広中・片岡直温ら反犬養派と中央倶楽部のみが参集、政友会の切り崩しには失敗し、貴族院も山県と配下の平田東助の影響で新党には参加せず、結局「立憲同志会」として結党準備が行われる。

しかし、外交官の加藤高明、大蔵官僚の若槻礼次郎、浜口雄幸など桂系官僚が加わった立憲同志会は、伊藤が結成した立憲政友会に続き、元老級の藩閥政治家と民党が結合した縦断政党として二大政党の一翼を担うことになる。

1913年第一次護憲運動によって辞任、同年死去、立憲同志会の正式結党はその死後である。

 

その生涯を見ると、甲申事変で強硬論を吐いたり、日清戦争時の独断的行動などの危うさが一部にあるものの、全般的には安定感がある。

(日露講和交渉で桂が賠償金に固執したという説は正確ではないとされている。)

軍人としてそのキャリアを出発させながら、軍部の個別的利害に囚われず、第三次内閣時には陸海相の文官制すら視野に入れていたという。

日露戦争後、軍拡と減税の双方に反対して、断固として実行した緊縮財政も、当時の状況下では必要なものだった、とひとまず理解は出来る。

(韓国併合と大逆事件については、いろいろ考慮しなければならないことが多いので、判断は留保します。)

そして、桂がその人生最期の時期に結党を志した立憲同志会は、本書副題の「外に帝国主義、内に立憲主義」の言葉通り、第二次大隈内閣の加藤高明外相による「対華二十一ヵ条要求」のような強硬外交を示した時期もあったが、その後幣原外交の採用によって著しく穏健化し、開明的な伊藤が結成した政友会が、昭和に入ると、過激で偏狭な民衆世論に迎合して極端に右傾化した一方、同志会から生まれた憲政会および立憲民政党は国際協調主義と議会政治の旗を守り続けた。

(ただ惜しむらくは、民政党の緊縮財政へのこだわりは、同党のみならず戦前日本の運命を誤らせた、極めて大きな錯誤だったと思われる。)

日露戦争という明治日本最大の国難を乗り切ったこと、機能不全に陥った政友会に替わる、リベラルな対抗政党を(意図せずに、かもしれないが)準備したことが、桂の最大の功績か。

 

 

伝記としては普通。

手堅いが、特筆すべき点も無い。

読みやすくはあるし、悪くはないです。

広告

2018年1月25日

高坂正堯 『政治的思考の復権』 (文芸春秋)

Filed under: 史論・評論 — 万年初心者 @ 03:23

この方の著作は、共著を除けば、ほとんど目を通しているが、これは未読だった。

古書店で偶然発見したので、読んでみる。

1972年1月刊の政治・外交評論集。

米中接近と通貨固定相場制放棄という二つのニクソン・ショックが日本に大きな衝撃を与えていた頃。

そして、翌年の石油ショックで高度経済成長が終焉する直前の時期。

まず、三島由紀夫の自殺事件を取り上げて時代の精神状況を分析、そこから外交論に移って、米国の国力衰退に伴う日米関係の軋轢、米ソ二大超大国と「半極」的存在の中国、そして経済大国でありながら政治・軍事的には小国である日本という四ヵ国が織りなすアジアの政治構造、西側同盟の基礎を再確認しつつ東側諸国との交流拡大に乗り出した西ドイツの東方外交を論じる。

多極化(多角的バランス)時代に入った世界で、明白な経済大国となった日本が権力政治から棄権することは不可能であることを認識し、日米同盟を政治的安定の為の資産として維持しつつ、他国に配慮した慎重で自制的な自由貿易政策を実施し、同じ中級国家としてのヨーロッパと日本の連携を深めることを主張。

内政面では、米国占領時代において、「押しつけ」とも「自発的」とも言えない(あるいはその両側面を持つ)大きな改革が遂行されたが、それが圧倒的な占領軍の権力によって行われたことを直視しないことによって、戦後日本における「力の無視」という精神的欠陥がもたらされたことを指摘。

政治が介入してよい領域、および政治によって可能なこと、それぞれの限界をしっかりと認識しつつ、過剰な正邪意識とユートピア的思考や成り行き任せで行動することを避け、自由闊達な議論による選択の多様性と妥協に基づく、真の「政治的思考」を復権させることを説いている。

 

 

やはり十分有益な書物であった。

保革のイデオロギー対立の嵐の中で、何とか冷静で実りある議論を展開しようとした著者の真摯な姿勢に心を打たれる。

2018年1月21日

岩根圀和 『物語スペインの歴史 人物篇  エル・シドからガウディまで』 (中公新書)

Filed under: スペイン — 万年初心者 @ 04:54

駄目。

全然駄目。

「正篇」の方も「何だかなあ・・・」という出来だったが、このシリーズでは極めて珍しいことに同じ著者による続編としてこれが出た。

気付いてはいたんですが、無視していて、最近ようやく手に取った。

一日で通読したが、やはり駄目ですわ、これ。

取り上げられている人物は6人。

エル・シド(11世紀レコンキスタ期の騎士ロドリーゴ・ディアス)、女王フアナ(イサベル、フェルナンド両王の娘、カール5世の母)、ラス・カサス(新大陸のインディオ保護を訴えたドミニコ会修道士)、セルバンテス、ゴヤ、ガウディ。

そもそも人数が少ないので、章と章の間の時代が空き過ぎている状態になっている。

しかも、その人物にだけ密着した内容で、時代背景の叙述が極めて不充分であり、各章が断片的に存在するだけで相互に連関しておらず、通史として成り立っていない。

個々の記述では、フアナおよびラス・カサスの章では、面白さと迫力を感じないでもない。

しかし、セルバンテスの章では、作家が晩年巻き込まれた自宅近くで起きた殺人事件の記録を丸一章かけて述べるだけで、正直「何ですか、これは???」となった。

同じように人物伝を書き連ねて通史を叙述するという形式の、藤沢道郎『物語イタリアの歴史』が稀にみる傑作だったのと比較すれば、本当に天と地ほどの差がある。

同書にも続編があり、こちらはさすがにもう一つの出来だったが、それでも本書よりはマシ。

このシリーズでのスペイン枠を使って失敗だったので、追試を受けたがそれにも失敗したという感じ。

ちょっと酷評が過ぎたかもしれないが、私の正直な感想は以上の通りです。

2018年1月17日

猪口孝 『社会科学入門  知的武装のすすめ』 (中公新書)

Filed under: 読書論 — 万年初心者 @ 05:33

これも関連文献:読書論という記事の末尾で名前だけは挙げている。

1985年刊。

全16章で、「古典に親しむ」「批判精神を養う」「作文を習慣づける」などの章名で、社会科学系の学問的な心構えと学び方についてあれこれ書いている。

だがそれらは、「歴史を知る」と題された、18世紀末の清朝のヴェトナム介入と1979年の中越戦争を比較・考察した章を除くと、大して興味深いものではない。

結局、本書でも大きな価値があるのは、「政治学案内」「経済学案内」「社会学案内」の末尾三章。

以下、「政治学案内」から一部を引用する。

 

 

便宜上、政治学を次の三つに分けて案内したいと思う。

1 政治哲学

2 政治史

3 政治学理論

本書で念頭に置いているのは主として、政治学理論であるが、政治哲学、政治史の二つは政治学の二大起源として欠かせない。

 

1 政治哲学

政治哲学は社会科学が規範的なものを扱う限り、回避できないものである。古来人間が規範と価値の問題に費やした時間は人を圧倒する。二千年の歴史の中で哲学された内容を短時間で追体験すること――それが哲学書を読むことである。

まず文庫本で利用できるものを片っ端から読むことである。一回目に手にした時は気が乗らないものでも、しばらくたつと自分でも驚くほど容易に読めることがある。古典や哲学といっても毛嫌いしないでとにかく手にしてみようではないか。

この類のもののほとんどは外国語からの翻訳である。それは何を意味するか。まず大体の場合、翻訳が原文よりもわかりにくくなっている(もちろん、原文も読めればの話であるが)。このことは必要以上に外国語から翻訳された古典を難解なものにしてしまった。昔から外国のものをなにかとありがたがって難解なものにしがちだったことに原因があると思う。たとえば、ゴータマ・ブッダは必要以上に難しく意味もわからないようにされた最たるものではないか。日常的な観察から始まって、常識的な分析を行っている古典がなんと多いことか。

しかしながら、本によって、わかりにくいところはたしかに少なくない。しかも、時代も違うのだから、全部わかることを期待することは無理というものである。あまり気にしないで読み進むにこしたことはない。そうしているうちに、また、もう一回読む時に、つまらないところにひっかかっていたことに気付いたりするものである。

政治哲学の多くは古代ギリシア、古代中国の昔からある。そして、それらの多くは宇宙はどのように成り立っているか、という大きな話で、たとえば、プラトン、アリストテレスである。宇宙論、世界観、君主論といった大きな話の中から、近代の政治哲学が規範と現状分析をからめて発展していく。たとえば、ホッブス、ロック、ルソーであり、モア、ペイン、シェイエスである。現代になると、哲学を定式化していく動きもみられ、ロールズ、ノジク、バリー、アクセルロードなど政治学や経済学の正統の流れと密接に結びつくようにさえなってきた。同時に、今までなかったような実践とかたく結びついた政治哲学も生まれてきた。これらを古代政治哲学、近代政治哲学、現代政治哲学と便宜上分けてみよう。

 

1-1 古代政治哲学

古代政治哲学の中ではなんといっても多彩なのは古代ギリシア哲学である。世界の素というか初めというかアルケーとよばれるものの追究に精力が傾けられた。なにか政治の素があってその違いによって政治体制の違いができた――乱暴にいえばそうなると思う。

アナキー(アナルケー)はアルケーが無くて混乱した無秩序なことをいうのだし、モナキー(モナルケー)というのは素がすっきりと一つ(君主)しかない政治体制=君主制をいう。現代アメリカの政治学者ロバート・ダールが民主主義(=大衆支配)を使わずに、ポリアーキー(素がたくさんある政治体制)という言葉を作ったことは覚えていてもよいであろう。

このように政治の違いは政治の素によってもたらされるということはずっとあとまで続く。実際、フランスの社会学者で哲学者のレイモン・アロンが最後の古典哲学と名付けたモンテスキューの哲学によれば、社会は基本的に政治体制によって規定されることになる。政治体制の素みたいなものがすべての基底になるのである。今日では経済発展だとか、社会構造だとか、世界システムにおける位置とか、いろいろな政治体制の特質を規定するものを挙げるのが普通である。

古代ギリシア哲学について代表的なのはいうまでもなくソクラテス、プラトン、アリストテレスである。

ソクラテスについては著作がないので、クセノフォーン『ソークラテースの思い出』・・・を読もう。ソクラテスの言葉で有名なのは「無知の知」、つまり自分は知っていないことによって初めて哲学=知を愛すること、いいかえると、すべての知的活動が始まるといったことである。「汝自身を知れ」という言葉で知られる。これに至る方法として議論をわきたたせる術を実践した人である。

次はプラトンである。とくに、理想国、カリポリスを描いている『国家』・・・が有名である。『国家』はおとぎの国の話ともいうべきものであって、実現するための計画ではなかった。三つの階級からなる貴族制を説き、絶対に変わらないのを良しとするもので改革の余地はなかったのであるが、なぜかわからない理由で、貴族制は衆愚政や僭主政へとなるという。『国家』を読めば、カール・ポッパーが『開かれた社会とその敵』・・・でプラトンを激しく攻撃したのはうなずける。自由民主主義とはまったく反対の事をプラトンは説いている。

アリストテレスは多くの著作を残したが政治に関しては『ニコマコス倫理学』・・・が代表的である。アリストテレスにとって政治は実際上の知識の一分野であり、倫理学の一部分であった。人間は「政治的人間」である。つまり、ポリスという集団を作って何かをやるものであるというのである。アリストテレスはいろいろな政治制度について述べているが、つまるところ、最良の人が支配すればよいという。

・・・・・・・

 

2 政治史

歴史は人間の営みの記録である限り、社会科学の実験室のようなものである。歴史は過去に累積されたデータの宝庫であり、同時に、さまざまな条件下に生起する出来事をあたかも変数をコントロールして、実験のようにみることさえできる。実際、歴史を読むことはふつう限られた経験を何倍にも増大させ、しかも狭い世界がどんどん拡大する。

歴史というと人名と地名が次から次へと出てきてかなわない、という人もいると思う。しかし、小説もその点では同じである。重要なことは面白い歴史を読むようにすることである。全部が全部、事件羅列・平板記述の歴史ではない。

いろいろな予備知識がないと読もうとしてもわからないというかもしれない。このような問題に対する最善の策はどんどん読み進み、しばらくしてまた引き返してくればよい。未知の町を訪ね歩けば、町の地理だけでなくいろいろなことが発見される――それと同じである。詳細な案内があって旅をする人と気ままな旅を好む人と違いがあってかまわないのである。

今日、歴史は極端なまでに専門化、細分化されている。それぞれの分野で、たとえば、古代史、中世史、近代史、現代史とか、エジプト史、ドイツ史、中国史、アメリカ史、ブラジル史、南アフリカ史、ガーナ史、インドネシア史、東南アジア史、イスラム教世界史、地中海世界史とか、経済史、政治史、文化史、科学史、社会史とか、そしてこれらをさらに組み合わせたもののそれぞれが学会として成立するくらい歴史家はたくさんいる。そのため、各分野でさまざまな案内書がある。地図がないと歩けない人はこれらの入門手引き書を活用すればよい。どこから始めても、芋づる式にどんどん何を読むべきかがわかるはずである。また、図書館の主題索引を利用すれば、何を読むべきかについて容易に知ることができる。

政治史というと人物と事件を交錯させたエリート中心の歴史であるという通念がある。中でも古典的政治史にはそういうものが多かった。ここでは次の三つに分けてみよう。古典的政治史、現代本格派政治史、巨視構造派政治史である。

 

2-1 古典的政治史

司馬遷の『史記』・・・はエリート中心人物史の古典である。波瀾万丈の中国古代史を、権力の盛衰を人物に焦点をあてて叙述したものである。直接的な心理の描写はまれであるが、登場人物を活写すること、見事であるというべきであろう。『史記』は累積読者数からいくともしかしたら世界で最高のもののひとつではないかと思う。野次馬根性でもよいから読んでみようではないか。

カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』・・・はナポレオン三世の権力掌握の過程を皮肉、毒舌、軽妙そして類いまれなレトリックをもって描いたものである。躍動する文章を綴りながら、自らも楽しんでいることが感じられるような本である。初めの方に、「人間は自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に自分で勝手に選んだ状況のもとで歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、与えられた過去から受け継いだ状況のもとでつくるのである」という有名なくだりがある。ジャーナリスティックな政治史といっても構造的把握をしていることに注目しなければならない。

各地を追われながら、貧困の中であの膨大な著作を書き残したマルクスは、書斎がないから、時間がないから、ワープロがないから、別荘がないから、といって、どうせあっても大して書くことをもたないわれわれ学者の鑑である。

エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』・・・は今でもこれをしのぐ作品が現われていないといわれるほどの大作である。

ゲルマン人という野蛮人とキリスト教の急速な成長がローマ帝国の崩壊の原因であるというのがその主要議論である。十八世紀の作品ではあるが、因果関係の検討において優れているのみならず、フランス語の影響から解放された立派な英語を駆使した文学的作品であるといわなければならない。ギボンは父親に反対され、好きな人との結婚をあきらめ、一生独身ですごしたという。すべてのエネルギーが歴史執筆に向かったのであろうか。

 

2-2 現代本格派政治史

アーノルド・トインビーの『歴史の研究』・・・は古代ギリシア文明をはじめとして今日までの十二の文明の盛衰をパターン化して示すものである。思弁的歴史論の代表的歴史家によって書かれたもので、大胆と独断が時に、細部にわたる気配りと同居しているのが興味深い。

学者は狐型とはりねずみ型がいる。狐はあちこち渉猟し、いろいろなものを食べる。いつも壮大なことをいうタイプがこれである。はりねずみは大体同じ場所に生息し、食物の種類も限られ、一定している。いつも重箱のすみをつついているタイプがこれである。トインビーは狐型であろう。こういうタイプの歴史家は今日ではあまりいない。その意味でも古き良き時代の産物である。

A・J・P・テイラーの『第二次世界大戦の起源』・・・は雄弁な歴史というものがまだ健在であることを示した例である。雄弁な歴史とは、退屈でメッセージをもたない歴史の対極物をいう。外交史はえてして無味乾燥なものになりがちであるが、テイラーはイギリスの知識人によくみられる巧妙な議論の進め方、正確な言葉づかい、盛りだくさんの事実の叙述を見事に配合しているといわなければならない。この本は大変ポレミカルな本で、ドイツの戦争目的はその他の国のそれとそうひどくは違わなかった、むしろ戦争に至る大国間の相互作用の経過が戦争を回避できないものにした、という。

・・・・・・・

 

 

これも通読の必要は無い。

簡単な選書ガイドとして活用すればそれでよし。

2018年1月13日

ジェフリー・ブレイニー 『オーストラリア歴史物語』 (明石書店)

Filed under: オセアニア — 万年初心者 @ 05:31

当ブログで、「オランダ」と並んで、最も記事数が少ないカテゴリが「オセアニア」である。

しかし、ある程度はしょうがない。

普通の歴史好きのレベルでは、オーストラリア史一冊と太平洋島嶼史一冊読めば、オセアニア史は「あがり」ですよね。

しかし、少しでも数を増やす為に、これでも読んどきます?

ブレイニーの別作品『距離の暴虐』の名前は聞いたことがあるが、もちろん読んだことはない。

最近出た『小さな大世界史』(ミネルヴァ書房)も同じ著者か。

著者は、先住民アボリジニや移民の問題について、やや保守的な意見を公表し、一部で強い批判を受けたこともあったという。

しかし、本書の以下のような記述を読むと、特に偏りのある意見とも思えない気がする。

ひとつ問題となったのは、この地で対照的なアボリジニとヨーロッパ人の歴史をどのように比較考量し、調和させるかということだった。私は、多くの歴史家や評論家のようにオーストラリア白人の歴史を全面的に弾劾し、アボリジニの歴史と彼らの現在の要求事項を優位におきたいとは思わない。だがまたアボリジニの歴史を野蛮人のものだと排斥してしまうという、極端な逆の態度にも益はないと考える。双方の歴史上の各局面は、それぞれ特有の価値を有している。

 

 

いわゆる白豪主義政策は、結局のところオーストラリアの評判を悪くすることになった。あまりにも融通がきかず、長く継承されすぎたし、品格を傷つけるような言葉や不当な論法でしばしば弁護されてきた。しかしながら、オーストラリア人あるいはアジアの評論家の中には、この政策を誇張しすぎている者がある。二〇世紀の初頭は、世界はまだ島国的だったことを忘れている。海外への渡航は一般的ではなかった。当時は、大半の国が、それぞれの宗教や親族関係や文化を固持していて、国民的結束は戦争の際には有効な特質だったのだ。しかも、その時のオーストラリア的な生活とアジア的な生活はあまりにも大きくかけ離れていて、相互の誤解が生まれやすかった。

白豪主義政策は、オーストラリアに特異なものであるとはいえない。カナダ、アメリカ合衆国、ニュージーランドの三つの民主的国家も中国人の流入に直面しており、一八八〇年代までにはアジア人を対象とした独自の制限方法を持っていた。中国も日本も外国人を歓迎していたわけではない。・・・・・

オーストラリアの政策はときおり、他の人種に対して傲慢さと全くの侮蔑を含んでいた。同時にオーストラリアは、他の多くの国民や部族よりもはるかに多く、異なる人々を受け入れてきた。

 

個別的な叙述については、軽く流していいでしょう。

シドニー、メルボルン、ブリスベン、アデレード、キャンベラ、パース、ダーウィン、ホバート、ケアンズという都市の位置と州名をまずチェック。

大航海時代の16世紀に「発見」はされていたが、ヨーロッパ人の本格的移住は18世紀後半、イギリス人のクックによる探検以降。

流刑植民地として出発したが、徐々に自由移民が中心となる。

アメリカよりも平等主義的で、政府介入への嫌悪が少ない気風が培われる。

19世紀前半は羊毛業が大発展、世紀後半に入ると空前のゴールド・ラッシュと鉱業による繁栄が続く。

各州植民地自治政府下で、男子普通選挙など当時としては急進的な民主主義の実験を行っていたが、厳格に資格制限された上院が存在したこともあって、幸い大きな混乱をもたらすことはなかった。

1890年代の大不況を経て、1901年自治領オーストラリア連邦発足。

自由党と労働党が対峙。

社会風俗史的記述が多いので、その時代の大体の雰囲気をつかむことに重点を置いて、バートン、ヒューズ、カーティン、メンジズ、ホイットラム、フレーザー、ホーク、キーティング、ハワードなどの政治指導者の名前は軽く目に慣らす程度でいいでしょう。

 

 

可もなく、不可もない、という感じの本。

手頃で、取り付きやすい点は、よしとします。

2018年1月9日

福田和也 『昭和天皇  第七部 独立回復(完結篇)』 (文芸春秋)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 05:05

敗戦から講和条約締結まで。

この巻については、あれこれ書くのはやめておきます。

占領下のこともあって、あまり愉快ではない描写も多いが、かと言って陰惨一方の叙述でもない。

タイトル通り、このシリーズは1951年サンフランシスコ講和条約調印の時点で筆を置いている。

「このペースで昭和64年まで描いたら、一体何巻になるんだ?」と思っていたが、先帝の戦後の治世ほとんどを省略することで、結局全7巻で完結となりました。

全般的に見ると、このシリーズは、昭和天皇の詳細な伝記ではないし、通常の通史とも言えない。

以前も書いたと思いますが、極めて多くの人物に関する、断片的な情景の描写を積み重ねて余韻を残し、読者に考える余地を残す作品となっている。

著者の政治的立場と全く異なる考え方を持つ人でも、その描写からいろいろ感じることがあると思われる。

ただ、後半部になると、その効果がやや薄れ、散漫な印象を与えるのも事実である。

叙述形式は取っ付きやすく、楽に読めるのは長所。

しかし、最初に感じたような深い興味と面白さは、後半部には大きく減じました。

まあ、機会があればお読み下さい。

決して損はしないと思います。

2018年1月5日

ウィリアム・シェイクスピア 『ヘンリー六世 全三部』 (ちくま文庫)

Filed under: イギリス, 文学 — 万年初心者 @ 02:19

この本では、シェイクスピア史劇の大作を一巻本にして収録してある。

百年戦争をイギリス優位に導き、英仏両王国を統合するかとすら思われたランカスター朝の名君ヘンリ5世が急逝、幼少のヘンリ6世が即位したことから、イングランド王国の歯車が狂い出す。

王の叔父(ヘンリ5世の兄弟)グロスター公ハンフリー、ベッドフォード公ジョンと、王の大叔父(ヘンリ4世の異母弟)ウィンチェスター司教およびその甥サマセット公のボーフォート家一族との対立が激化。

さらにヘンリ6世の妃でフランス王家出身のマーガレットとその協力者サフォーク公、ヘンリ4世の父ジョン・オヴ・ゴーント(ランカスター家の祖)の兄弟エドマンド・オヴ・ラングレーから発する、孫のヨーク公リチャード(とその子で後に王位に就くエドワード4世、リチャード3世)、ヨーク家派の最有力貴族ながら後にランカスター派に転ずる「キング・メイカー」ウォリック伯リチャード・ネヴィルなどが入り乱れて、国家はバラ戦争という内乱の泥沼に沈んでいく。

他に背景として、仏王シャルル7世とジャンヌ・ダルク、ワット・タイラーの再来のような反乱者ジャック・ケイドなどが登場。

ジャンヌ・ダルクの扱いには相当の国民的偏見が感じられないこともないが、まあこの辺で収まっていれば、まだマシな方か。

シェイクスピア史劇については「史実に忠実でもないし、さして面白くもない」という批評があるようだが、私は必ずしもそうは思わない。

史上の著名人物が発する生き生きとした台詞回しを楽しみながら、歴史の流れが無理なく頭に入るようになっており、初心者には十分有益である。

史実との乖離も、本書の訳注で頻繁に触れられているが、はっきり言ってこの時代のイギリス史にさしたる予備知識がない日本人読者が気にするようなレベルではない。

戯曲にしては相当長大な作品なので読むのを躊躇していたが、本書も十分面白く、効用も高かった。

初心者でも取り組んでみることをお薦めします。

WordPress.com Blog.