万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年12月27日

伊藤武 『イタリア現代史  第二次世界大戦からベルルスコーニ後まで』 (中公新書)

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類書が少ない分野でいい本が出た。

イタリアの戦後政治史の本。

近現代イタリア史を大掴みすると、1861年統一、1922年よりファシスト政権、敗戦後1946年より第一共和制、冷戦終結後1990年代前半より現在まで第二共和制。

以下、各章紹介。

章名の目次自体が時代区分になっているので、そのまま掲げる。

 

 

序章 近代国家としての歩み 1861~1943

まず建国最大の功労者カヴールが1861年統一直後に病没していることをチェック。

以後、カトリックと社会主義という二つの反体制勢力を抱えたまま、左右の自由主義勢力が政権を担当する。

1880年代後半から90年代半ばまでの首相クリスピ、20世紀初頭の首相ジョリッティら有力政治家の国家統合策も必ずしも成功せず。

第一次大戦で戦勝国となったものの、獲得したものは少なく、社会に混乱と不満が広まる。

自由主義政党が衰退する中、それに替わったイタリア社会党とカトリックのイタリア人民党は統治経験の乏しさから政権担当能力を示せず。

そして自由主義勢力の切り札ジョリッティは、自派の統一選挙名簿にファシストを加えて協力しようとする、最悪の失敗を犯す。

1922年ムッソリーニ首相就任。

1943年連合軍のシチリア上陸を受けて、ムッソリーニ失脚、バドリオ政権成立。

ナポリを境に、南に連合国側についた国王とバドリオ政権、北にドイツの影響下に置かれたムッソリーニの「イタリア社会共和国」(別名「サロ共和国」)が対峙。

 

 

第1章 レジスタンスと共和制の誕生 1943~47

バドリオ政権と復興した政党勢力が協力、国民解放委員会政府を組織。

共産党、プロレタリア統一イタリア社会党、行動党、キリスト教民主党、イタリア自由党など。

共産党指導者はトリアッティ。

まず、この人名は憶えましょう。

イタリアの非共産系社会主義政党は離合集散や党名の変更が激しく、ややこしいのだが、この時期の正式名称は以上の通りらしい。

指導者はピエトロ・ネンニ。

行動党は急進的知識人中心の党、イタリア自由党は旧来の自由主義勢力。

そして戦後イタリア政治の中心となるのが、カトリックを中心に多様な勢力を糾合したキリスト教民主党。

指導者のアルチーデ・デ・ガスペリは戦後イタリア史の最重要人物と言えるので、高校世界史レベルでは全く出てこないでしょうが、必ず記憶すること。

1945年4月、ムッソリーニ逮捕・処刑、イタリア全土が解放。

挙国一致政府内での対立が深まりつつある中、45年12月デ・ガスペリが第一次内閣を組織。

結局、デ・ガスペリが1953年まで首相の座を維持する。

デ・ガスペリはオーストリア・ハンガリー帝国のチロル地方出身、戦前はオーストリアの帝国議会議員になり、第一次大戦後チロルがイタリアに併合されるとイタリア人民党に所属、反ファシズムを貫き、ヴァチカンに匿われる。

年代的にファシズム時代20年間の党指導部の空白を埋め、思想的にも左右両派の中間に位置したことが、彼を指導者に押し上げた。

1946年国民投票の54%の賛成で、君主制廃止と共和制移行が決定。

君主制支持は(のちの)国民君主党、自由党、キリスト教民主党右派など。

憲法制定議会選挙で共産党、プロレタリア統一社会党、キリスト教民主党の三大政党が多数を占める。

レジスタンスの威信を背負った共産党が西欧諸国では最大の勢力を誇り、以後イタリア政治の重い課題となる。

憲法は上下両院の権限を対等に定め、首相を「閣僚会議議長」としてその権限を制約、大統領は国会議員らの間接選挙で選ばれる儀礼的存在とし、地方分権的制度を導入、選挙制度は比例代表制にするなど、権力の集中を忌避する分権的制度設計を徹底したもの。

なお、ファシズム時代に締結されたラテラノ条約も、議論の末、憲法に組み入れられた。

47年講和条約調印、イストリア東部をユーゴスラヴィアに割譲。

 

 

第2章 戦後再建とデ・ガスペリ時代 1947~53

この1947年がイタリアにとって大きな転機となる。

同年トルーマン宣言とマーシャル・プラン、コミンフォルム結成で冷戦が本格化、イタリア国内でも左右対立が激化、これまで宥和的姿勢を取ることが多かったトリアッティ指導下の共産党も先鋭的行動を取るようになる。

統一社会党では、共産党との連携に反対する穏健右派のサラガトらが党を割り、イタリア勤労者社会党(のちのイタリア社会民主党)を結成、統一社会党は党名をイタリア社会党に戻す。

右翼では、王制支持の国民君主党の他、46年に結成されたネオ・ファシスト政党「イタリア社会運動」が台頭。

左右両派に挟撃される中、デ・ガスペリは47年5月ついに社共両党の閣僚を追放、中道連合政権を組織することになる。

同年にはフランスでも共産党閣僚が解任されているが、フランス社会党は共産党と一線を厳に画していたから、「追放する側」にいたはず。

一方、イタリア社会党は共産党と提携していたため、「追放される側」になっている。

以後50年代前半までの「デ・ガスペリ時代」はキリスト教民主党を中心に自由党、共和党(行動党の一部が結成)、勤労者社会党(社会民主党)が与党となり、左派の共産党および社会党、右派の国民君主党とイタリア社会運動に対抗することになる。

48年総選挙で与党が勝利、キリスト教民主党が単独過半数。

49年NATO加盟、51年欧州石炭鉄鋼共同体に参加、自由主義と保護主義を組み合わせた経済政策で復興を成し遂げるが、日本の自由民主党のようにキリスト教民主党が安定多数を占めることにはならなかった。

左右両派の台頭で53年総選挙で中道連合勢力は敗北、デ・ガスペリは辞任。

 

 

第3章 高度成長と新たな政治路線の模索 1954~67

スターリン死後、冷戦の緊張が緩和する中、イタリアは55年国連に加盟、国際的地位を順調に高めるが、国内ではキリスト教民主党内部でジリ貧の中道連合の補完をどこに求めるかで、左派のファンファーニ(およびそれから分離したモーロ、ルモールら)と右派のアンドレオッティが対立を深める。

左翼第一党の地位を共産党に奪われた社会党では、スターリン批判とハンガリー動乱によるソ連の威信低下もあって、共産党との提携見直しを主張する勢力が多数を占めるようになる。

こうした情勢を受け、「左への開放」路線が採用され、イタリアはこれまでのキリスト教民主党を中心とする勢力に社会党をも加えた、中道左派政権の時代を迎える。

1962~63年のファンファーニ政権、63~68年モーロ政権、68~70年ルモール政権、70~72年コロンボ政権など。

だがこれらの政権も、高度経済成長がもたらした歪みを是正することに成功したとは言えず、不安定さを抱えながら、イタリアは急進的社会運動が惹起した60年代末に突入する。

 

 

第4章 社会運動の高揚とテロリズムの横行 1968~78

1968年全世界的な学生運動の高揚から、イタリアでも急進的社会運動が巻き起こり、一部新左翼は政権入りした社会党、議会主義・改良主義化した共産党など既成左翼を強く批判し、暴力的直接行動に走る。

イタリア社会運動を中心とする極右もそれに対抗し、70年代のイタリアは左右のテロが横行、1978年には極左組織「赤い旅団」により、元首相モーロが誘拐・殺害されるという事件まで起こる。

危機の中、二大政党の一翼で、ベルリングェル率いる共産党は70年代半ば、ソ連からの自立と議会制民主主義尊重を旨とする「ユーロ・コミュニズム」路線を採用、キリスト教民主党との「歴史的妥協」を提唱、モーロ事件の最中成立したアンドレオッティ政権には共産党が信認投票を行なう。

しかし、翌年更なる実質的政権参加を求める共産党とキリスト教民主党は決裂、「歴史的妥協」は終焉した。

 

 

第5章 戦後政治の安定と硬直化 1979~88

80年代、共産党の勢いはようやく衰えを見せる。

かつての中道左派連合と同じ政党、キリスト教民主党・自由党・共和党・社会民主党・社会党の「五党連合政権」が80年代イタリアを統治。

ただキリスト教民主党が、極右組織にまつわる「P2事件」やヴァチカンに近い銀行に関する金銭スキャンダルで支持を落とし、共産党との一切の連携排除を主張してリーダーシップを確立していたクラクシの社会党の重みが増す。

1983~87年、初の社会党首班のクラクシ政権。

80年代は経済好況にも恵まれたが、同時に利益誘導と政治腐敗、マフィアの暗躍など副作用も深刻化する。

 

 

第6章 第一共和制の危機と終焉 1988~93

1989~92年、最後の五党連合内閣であるアンドレオッティ政権。

冷戦終結、湾岸戦争、ECからEUへの移行に対処するが、大規模な政治腐敗とマフィアとの癒着が摘発され、政界は大混乱に陥る。

既成政党は次々没落、キリスト教民主党と社会党は分裂・消滅、共産党は東欧ソ連圏崩壊を受け「左翼民主党」と改称、極右のイタリア社会運動はやや穏健右翼寄りの「国民同盟」となり、他に経済的に進んだ北イタリアの自立を訴える「北部同盟」など新たな右派政党が生まれる。

それら新政党の中で最大勢力となったのが、メディアを押さえる大富豪の企業家ベルルスコーニ率いる「フォルツァ・イタリア(頑張れイタリア)」。

もう名前からして酷い政党。

伝統擁護の欠片も無く、メディアの宣伝で有権者を洗脳し、自由の名の下に私利私欲を肯定することしかしない新自由主義の傀儡という、私が大嫌いな「保守」政党だ。

70年代に国民君主党系の勢力がイタリア社会運動に吸収された、とさりげなく記述されているのを読んだ際にも感じたが、「保守の劣化と実質的崩壊」は日本もイタリアも同様だなと思った。

92年から96年にかけて、アマート、チャンピ、ディーニという非政党人専門家首班のテクノクラート政権が成立、二大政党制を志向した小選挙区比例代表並立制が導入され、第二共和制に移行。

 

 

第7章 第二共和制の離陸と定着 1994~2001

この時期以降のイタリア政治は、多数の政党が中道右派と中道左派の二大ブロックに別れて競う展開になる。

94年フォルツァ・イタリア、北部同盟、国民同盟、旧キリスト教民主党右派勢力等の中道右派による第一次ベルルスコーニ政権が誕生するが、95年初頭に崩壊。

選挙管理内閣ディーニ政権を挟んで、96~98年カトリック左派と左翼民主党を主体とするオリーブ連合を与党とするプローディ政権。

この政権は共通通貨ユーロ導入の為の財政改革などで成果を挙げたが、与党内の対立から、98~2000年首相は左翼民主党出身のダレーマに交替。

96~01年の中道左派内閣は、かつてのカトリックと共産主義の「歴史的妥協」を実現したかのような政権で、前半はユーロ導入の為の経済改革を中心に大きな成果を挙げたが、後半は成果に乏しい、中道右派連合と比べて構成政党の数が多く、リーダーシップの確立が困難だった、と評されている。

 

 

第8章 ベルルスコーニ時代のイタリア 2001~11

この十年間、06~08年の第二次プローディ中道左派内閣の期間を除いて、首相の座はベルルスコーニが占める。

統一後のイタリアで政治指導者の名を冠して呼ばれる時代は、ジョリッティ時代、ムッソリーニ時代、デ・ガスペリ時代と、このベルルスコーニ時代だけである。

しかし、この最後の時代はいかにも薄っぺらい。

内政では公私混同の私利追求、外交ではイラク戦争での対米追従だけが目立つ。

07年中道左派勢力は統合して民主党を結成、それに対抗してベルルスコーニは中道右派の統一政党「自由国民」を結成、多党分立が収まる気配となる。

08年政権復帰したベルルスコーニだが、リーマン・ショックとユーロ危機に襲われ、2011年辞任。

 

 

第9章 共和国の現在 2011~

経済危機の中、2011~13年モンティ首班のテクノクラート政権が再現。

13年総選挙では「五つ星運動」という、よくわからないポピュリズム勢力が台頭、中道左派、中道右派と並んで議会で三極体制を形成。

結局民主党中心の連合政権、レッタ内閣(13~14年)、レンツィ内閣(14年~16年)、[本書刊行後]ジェンティローニ内閣(16年~)が成立・継続し、現在に至る。

第6章以降の本文では、イタリアには市場主義的構造改革が必要である、という前提で叙述が進められているようで、やや疑念を持たないでもないが、イタリアという特殊状況ではそうかも知れないと考えて、あえて読み流します。

 

 

 

非常にしっかりした内容。

ページ配分が適切で読みやすい。

巻末の関連年表、歴代政権一覧、主要政党リストといった付録も充実。

政党名が乱立して頭が混乱する時もあるが、そもそも事実多党制が戦後イタリア政治の特徴なのだからしょうがない。

西欧最大の共産党の政権参加を阻止するため、中道政権を経て社会党を含む中道左派政権が成立、ユーロ・コミュニズム路線を採った共産党だがついに政権参加は出来ず、冷戦終結後は既成政党が総崩れとなり、第二共和制に移行、中道左派と中道右派の連合が交替で政権を担当、という流れが、以上の記事で触れた人名と共に大体頭に入っていればよい。

戦後政治史に関して、イギリスでは黒岩徹『イギリス現代政治の軌跡』(丸善)、フランスでは渡辺啓貴『フランス現代史』(中公新書)、ドイツでは小林正文『指導者たちでたどるドイツ現代史』(丸善ブックス)を紹介していますが、イタリアはジェンティーレ『イタリア現代史』(世界思想社)という古い上に到底初心者向けではない本しか無かった。

その記事の末尾に書いた、「日本人著者が噛み砕いてわかりやすく書いた入門書」がようやく出た感がある。

良質な啓蒙書として推薦します。

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2017年12月23日

中嶋嶺雄 『国際関係論  同時代史への羅針盤』 (中公新書)

Filed under: 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 05:21

1992年刊。

以前この記事で書名だけは触れている。

著者は戦後を代表する現実主義的な中国研究者の一人。

私が若い頃、左派偏向的な中国研究、国際政治学が跋扈する中、最も信頼できる中国政治研究者と考えており、その著の『中国  歴史・社会・国際関係』(中公新書)は、初心者が中国現代史を学ぶ上での基本テキストとして個人的には扱っていた。

ただ、その最晩年は過去の反動として世間に表れてきた反中感情に迎合するような面が見られ、あまり好い印象を持っていなかったことも事実である。

 

 

本書では、まず国際関係論という学問の概要から始め、それが政治学の延長線上の国際政治学ではなく、社会科学諸部門の総合という存在であることを述べ、政治学・経済学・社会学・歴史学・人類学などディシプリン(専門的学問領域)を複数習得する必要性を提示。

私は研究者でも何でもなく、ただの一般読者だが、私の関心の中心にはやはり歴史(政治史)があって、その脇に外交・国際関係と政治思想があり、背景に文学が隠れているといったところでしょうか。

次いで、国際関係論という学問分野の展開について、カー、シューマン、モーゲンソー、ケナン、レイモン・アロン、スタンレー・ホフマン、ケネス・ウォルツ、ギャディス、ナイなどの学者名を挙げながら概観。

地域研究の紹介を挟んで、戦後国際政治史を簡単に概観する具体的歴史叙述が置かれ、次に米・中・ソ・欧・アジア相互の国際関係の断片を扱った章、社会主義と民族紛争を述べた章が続く。

そして、外交に一章を割り当てる。

ここでは、条約・協約・協定・交換公文・議定書・議事録・共同宣言(共同声明)という外交交渉の公約化の形式について少し注意を払っておく。

終章では、国際関係上の倫理、および21世紀に向けた展望を語っている。

 

 

以上が本文ですが、正直精読する必要は無く、興味のあるポイントを押さえるだけでいいかもしれない。

私もそうした。

だが、本書を最も価値あらしめているものが、末尾に付せられている。

「国際関係論基礎文献」と題された読書案内の付録である。

必読書30点を含む多くの書名が挙げられている。

以下、分野ごとにその必読書30点のみを引用してみる。

 

 

≪政治≫

バーナード・クリック『政治の弁証』

ハンナ・アレント『革命について』

レーデラー『大衆の国家』

オルテガ『大衆の反逆』

 

 

≪国際関係論・国際政治学・外交≫

E・H・カー『危機の二十年』

ニコルソン『外交』

A・J・P・テイラー『第二次世界大戦の起源』

アリソン『決定の本質』

永井陽之助『平和の代償』

清水幾太郎『現代思想』

川田侃『国際関係概論』

永井陽之助『冷戦の起源』

中嶋嶺雄『中ソ対立と現代』

 

 

≪地域研究全般≫

中嶋嶺雄 チャルマーズ・ジョンソン『地域研究の現在』

青木保『文化の否定性』

梶田孝道『エスニシティと社会変動』

梅棹忠夫『文明の生態史観』

中根千枝『社会人類学』

 

 

≪アメリカ≫

トクヴィル『アメリカの民主政治』

ケナン『アメリカ外交五十年』

アーネスト・メイ『歴史の教訓』

 

 

≪ヨーロッパ≫

高坂正堯『古典外交の成熟と崩壊』

 

 

≪ソ連・ロシア・東欧・中近東≫

E・フロム『人間の勝利を求めて』

エレーヌ・カレール・ダンコース『崩壊した帝国』

山内昌之『ラディカル・ヒストリー』

 

 

≪アジア・中国≫

信夫清三郎『朝鮮戦争の勃発』

神谷不二『朝鮮戦争』

フェアバンク『中国』

中嶋嶺雄『現代中国論』

中嶋嶺雄『香港 移りゆく都市国家』

 

 

 

あくまで本書刊行時のものであり、今から見ると古くて入れ替えた方がいいような本もあるが、以上で書き写さなかった書名も含めて、一応の参考にはなる。

本文は特に素晴らしいと言うほどでもないが、末尾の読書案内は出色のもの。

古書店で見かけたら、買って手元に置いて、時々眺めることで読書意欲を高めるのも良い。

2017年12月19日

猿谷要 『物語アメリカの歴史  超大国の行方』 (中公新書)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 07:16

初版は1991年で、この『物語~の歴史』シリーズではイタリアと並んで、最初期に出たものでしょう。

著者はアメリカ史研究者としては結構著名で、私の若い頃から名前だけは知っていた。

『物語イタリアの歴史』が感動的なほどの傑作だったのに対し、こちらの方は、立ち読みしたところ、ありきたりの通史に思えたので、これまで読むことがなかった。

だが、このシリーズで未読のものを潰していくか、という気になったので、この度通読。

 

結果はやはりもう一つである。

事実関係の密度が低すぎる。

内容のごくごく粗い通史をざーっと読まされる感じ。

誰もがある程度の予備知識を持っている国の歴史について、限られた紙数の新書版で特色のある通史を書くことがいかに困難かは理解しているつもりだが、それを割り引いてもやはり本書は成功とは言い難い。

白紙状態の人が一読して全般的イメージをつかむにはいいのかもしれないが・・・・・。

なお、史的評価については、昔立ち読みした時は、視点がリベラル寄り過ぎるだろうと思った記憶があるが、今回読んだ際には、その面ではそれほど違和感は感じなかった。

まあ、ごく平凡な通史、という以外の感想は持てなかった。

アメリカ史のテキストとして、強いてこれを選ぶ理由は無いです。

2017年12月15日

間宮陽介 『市場社会の思想史  「自由」をどう解釈するか』 (中公新書)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 04:41

薄い、経済学史・経済思想史の本。

もともと放送大学用のテキストで、全15章のうち4章は他の人の執筆だったのを、今回著者の文責で単著扱いにしたという。

実はこれ再読です。

初読の際には、何ともありきたりな教科書的著作に思えて、即座に記事にすることはしなかった。

しかし再読してみると、思ったよりも特色がある。

自由市場メカニズムへの肯定と懐疑を交互に繰り返してきた経済学史の中で、後者に属する、歴史学派のリスト、制度学派のヴェブレン、経済人類学のポランニー、ケインズ主義を評価していることが読み取れる。

前者の系譜の中でも、アダム・スミスの自由主義と、マネタリストおよび合理的期待形成学派の自由放任主義を区別し、その自由概念の違いを明確にしている。

あとは、現在の新古典派経済学の源流となった、ジェヴォンズ、ワルラス、メンガーの限界(効用)革命についての記述が比較的詳しいのが特徴。

そこでは唯一数式による説明があり、私にとって苦手中の苦手だが、まあ説明の意図自体は全く理解できないこともない。

 

 

それほど悪くはないが、同じ著者の『ケインズとハイエク』が圧倒的に面白かったのに比べれば、雲泥の差がある。

まず、『ケインズとハイエク』を読むことをお薦めします。

2017年12月12日

ジョナサン・スウィフト 『ガリヴァー旅行記』 (ワイド版岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:21

これも大学時代に読んだきり、ウン十年振りの再読だ。

小人国リリパット、巨人国ブロブディンナグ、浮遊島ラピュタに統治されたバルニバービ、魔術師の島グラブダブドリブ、不死の人間が惨め極まりない形で存在しているラグナグ、「踏み絵」をヨーロッパ人に強要する日本(!)を経て、馬が支配者として君臨し、人間がヤフーという家畜になっているフウイヌムに至る奇譚が実に生き生きと面白可笑しく記されている。

全編にみなぎる社会風刺と人間性批判の徹底振りは本当に凄いの一言。

文学的関心以外の観点からでも必読の本と言える。

未読の方には是非勧める。

なお関連書として、高坂正堯『近代文明への反逆』があるので、併せて手に取ると有益でしょう。

2017年12月8日

エリック・ホブズボーム 『20世紀の歴史  極端な時代 上・下』 (三省堂)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 02:10

原著は1994年刊、この翻訳は1996年刊。

1914年第一次世界大戦から1991年ソ連崩壊までの、「短い20世紀」を叙述した概説的史書。

著者のホブズボームについて、マルクス主義の影響を強く受けながらも非教条的で優れた史家として名前は以前から知っていたが、著作を読むのはこれが初めて。

1917年生まれ、ベルリンとウィーンで育ち、のちイギリスに渡り、英米圏で活動。

本書全体は三部構成。

第一部は、二度の世界大戦に挟まれ、大恐慌と全体主義が生まれた「破局の時代」、第二部は戦後西側諸国で経済成長と社会的平等化が顕著だった「黄金時代」、第三部は1973年以降石油危機による高度成長の頓挫と社会主義の終焉を含む「地すべり」。

全体的概観を述べれば、19世紀の進歩の発展上にある自由民主主義・資本主義が、戦争・恐慌・ファシズムという三重の挑戦を受け、崩壊に瀕したが、共産主義との奇怪な同盟によって、ファシズムを軍事的に打倒することが出来ただけでなく、のち共産主義への対抗を強いられたため、平時において資本主義の自己改革を促す契機を提供することになった、というのが本書のモチーフ。

しかし、「破局の時代」がもたらした傷跡と歴史の退行はあまりにも深刻だった。

今世紀は、人間はきわめて残酷な状態、本来ならば耐えられないような状態にあっても生きていくことができるということを、われわれに教えたし、今も教えている。そのために、一九世紀の人々ならば野蛮の基準と呼んだであろう状態にどの程度もどったのか、不幸にしてますますもどりつつあるのかを理解しにくくなっている。われわれが忘れていることであるが、老齢の革命家フリードリッヒ・エンゲルスはアイルランド共和派がイギリスの国会議事堂ウェストミンスター・ホールに仕掛けた爆弾が爆発したのを非常に遺憾なことと思ったのである。彼は元軍人として、戦争は戦闘員とするべきものであって、非戦闘員にしかけるべきものではないと信じていたからである。これもまたわれわれの忘れていることであるが、帝政ロシアのポグロム〔ユダヤ人の迫害〕は(当然のことであったが)、世界の世論を憤激させ、一八八一年から一九一四年にかけて何百万人ものロシア系ユダヤ大を大西洋を越えてアメリカに渡らせたのだったが、その殺戮は現代の虐殺と比べれば小規模なもので、ほとんど無視できるほどのものであった。死者は数十人の単位で数えられ、数百人、ましてや数百万人といった規模のものではなかった。

・・・・・二〇世紀が進むにつれて、戦争はますます相手国の経済とインフラストラクチャー、そして相手国の非戦闘員人口にたいして行なわれるようになった。第一次大戦以降、非戦闘員の死傷者数は、アメリカを除くすべての交戦国で戦闘員をはるかに大きく上回るようになった。一九一四年には当然と考えられていた次のようなことを、今日のわれわれの中で何人が記憶しているだろうか。

教科書によれば、文明の戦争は、できるかぎり敵の武力を無力化することに限定されている。さもなければ、戦争は一方の当事国が絶滅させられるまで続くことになるであろう。「このような戦争がヨーロッパ諸国の間で一つの慣行となったのには・・・・・・じゅうぶんな理由がある」

科学技術の発達が戦争の破壊力を19世紀とは桁違いに高め、一方政治的社会的民主化は世論の煽動とイデオロギー化を必然とし、国家指導層間の冷静な妥協的解決を不可能にし、「無条件降伏」を常態化したため、20世紀の総力戦は人類にとって文字通り破滅的なものとなった。

民主主義の反動として現れたファシズムも、世俗的イデオロギーによって大衆を下から動員して権力を奪取するという意味では、決して伝統的諸勢力が生み出したものではなく、大衆民主主義時代の申し子とすべき存在である。

また、生き延びた自由―資本主義社会も、自己利益以外の関心をもたない原子的個人を生み出すことによって、貧富の差を拡大し、社会の分裂と軋轢を蔓延させ、それ自身の基盤を掘り崩していき、地球環境の危機という重大な問題も発生させることになった。

 

 

本書の存在自体は、訳書刊行時に書店や図書館で見かけており、以前から知っていた。

なのに、これまで手に取ることが無かった理由としては、「社会主義が結果として、ファシズムの打倒と自由主義・資本主義の延命に役立ったと言っても、それ自体がもたらした被害が尋常じゃないでしょう、この左翼史家には根本的な自己反省が欠如している」という気持ちがあったことは事実です。

(正確に言えば、確か山内昌之氏が本書の書評でこれと近い意味のことを述べていて、それに大いに共感したということです。)

だが、それから20年以上経って、体制としての社会主義が崩壊した途端に、新自由主義と市場原理主義を盲信し暴走を始め、その弊害が収まる兆候すら表れない現在の資本主義の姿を見るとき、このマルクス主義的史家が述べる、自由市場イデオロギーへの批判が至極真っ当に思えてくる。

なお、本書では自然科学を含む文化史および社会史にも目配りされているが、特に前者の章は、私の知的レベルを超える話が多く、ほとんど理解できませんでした。

あと、訳文があまりこなれていない印象。

それもあってか、上巻の最後辺りから下巻にかけては、読むスピードがかなり落ちました。

読んで無駄だったとは決して思わないが、もう一つしっくりこないところがある。

多分、現在白紙状態の人が普通の概説史書のつもりで読んでも、得るところは少ないと思う。

一定程度のことがわかった人が、ざっと読んで著者の史観に触れて、何かを感じるための本か。

やや晦渋な叙述もあり、私にとってはいまいちでした。

ホブズボームには、『市民革命と産業革命 二重革命の時代』[1789~1848年](岩波書店)、『資本の時代 全2巻』[1848~1875年](みすず書房)、『帝国の時代 全2巻』[1875~1914年](みすず書房)という、「長い19世紀」を扱った三部作もあり、こっちの方が私には向いてるのかなあ、とも思ったが、この先読むかどうかは未定です。

2017年12月6日

モリエール 『いやいやながら医者にされ』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:09

飲んだくれの木こりが、仲の悪い妻の企みで、医者に間違えられることから始まる喜劇。

軽妙なやり取りが愉快だ。

わずか80ページほどで、あっという間に読める。

これも、書名一覧でモリエールの数を増やせたし、それで十分。

2017年12月2日

桃木至朗 樋口英夫 重枝豊 『チャンパ  歴史・末裔・建築』 (めこん)

Filed under: 東南アジア — 万年初心者 @ 04:46

1999年刊。

副題の通り、歴史を扱っているのは冒頭から100ページ弱のみで、「末裔」の章は写真のみが50ページほど掲載され、あと建築関係の記述が100ページ余り続く。

当然歴史の章だけを読み、後は全く無視しました。

著者の桃木至朗氏は、最近高校の日本史・世界史教科書の歴史用語を削減しようと提案したことで話題の人か。

 

 

扶南と並んで、東南アジア最古の国家として高校世界史に出てくるチャンパ―だが、どうもマイナーである。

扶南が(クメール人の国か、マレー人の国かがはっきりしないものの)真臘を経て現在のカンボジア国家に連なる国であるのに対し、ヴェトナム中部にあったチャム人の国チャンパ―は、ヴェトナム人(キン族)の南下に伴い圧迫され、最後はヴェトナムに併合され、チャム人はヴェトナムの少数民族に過ぎなくなってしまったからでしょう。

チャム人がオーストロネシア語族(マレー・ポリネシア語族=マレー語、インドネシア語、タガログ語)に属するのに対し、キン族(ベト族)はオーストロアジア(南アジア語族・モン・クメール語族=ヴェトナム語、カンボジア語)に属する(タイ語、ミャンマー語はシナ・チベット語族)。

なお、チャンパーは中国名の変遷も覚えないといけませんでしたね。

林邑、環王、占城の順。

フランス植民地時代に本格的な歴史研究が始まり、「2~15世紀の」「中部ヴェトナムの」「海洋民チャム族の」「周辺諸国に圧迫されつづけた不幸な」「インド式国家」というチャンパ―の基本イメージが出来上がったという。

紀元前1000年紀後半、北ヴェトナムでドンソン文化が栄えたころ、中部ヴェトナムにもサーフィン文化が出現。

秦の華南征服の後、趙佗が自立して北ヴェトナムを含む南越国が成立、漢の武帝がこれを滅ぼし、ヴェトナム中部まで支配、日南郡を置く。

海のシルクロードの要衝にあたるヴェトナム中部で、192年反乱が起こり、林邑が独立(これが普通チャンパーの建国と見なされる史実か)。

東南アジア史の大きな流れとして、従来から(中国の影響の強いヴェトナムを除いて)「インド化」による国家建設とヒンドゥー教・大乗仏教の普及、13世紀モンゴルの侵入、それを境にしたイスラム教と上座部仏教の広がり、というのが通説になっている。

しかし、本書では「インド化による建国」には否定的で、「范蔓(ヴァルマン?)」というようなインド系の王名が記録されているからといって、それは「倭の五王」が中国名で記されているのと同じで、土着王権が大文明の「磁力」に引かれていただけだとしている。

だが、4世紀以降はグプタ朝の繁栄に影響されて、チャンパーでもインド文明が組織的に導入されるようになり、ヒンドゥー教のシヴァ神が祀られ、国王はバラモンあるいはクシャトリヤの身分を誇り、「インド化」が実質性を帯びる。

ただし、カースト制は根を下ろさず、インドでは見られない王そのものの神格化が東南アジアでは観察される。

チャンパーはチャム人のみを構成員とする国ではなく、多民族国家でもあった。

また、東南アジアの古代国家はいずれも地方王権の連合体で、領域や民族構成のはっきりしない「マンダラ国家」と呼ばれる形態を持っていた。

海洋貿易の拠点となったチャンパーは大いに繁栄。

8世紀半ば、環王と改称、さらに9世紀後半には占城と名を変える。

唐から宋に交替した中国と盛んに朝貢貿易を行う。

だが、千年間の中国支配を退け、北ヴェトナムに独立した李朝大越の攻撃で、チャンパーは南遷を余儀なくされ、ヴィジャヤを新都とする。

また、13世紀初頭カンボジアのアンコール朝ジャヤヴァルマン7世(都アンコール・トム建設者)には一時属領として扱われ、1282年には元朝のフビライ・ハンの侵攻も受ける。

以後はとにかくヴェトナム人の南下によって圧迫され続けた、というイメージが強いチャンパーだが、それには史料の偏りによる誇張があり、大きな農業基盤を持つヴェトナムやカンボジアも「マンダラ国家」から脱却できておらず、王権が国力を集中させることはできず、小規模な海洋交易国家チャンパーが全く対抗できなかったわけではない、と著者は述べる。

実際、アンコールの都や大越の都昇竜(ハノイ)をチャンパー軍が破壊したこともあったらしい。

元の侵入以後、東南アジアのイスラム化について、マラッカ王国が島嶼部イスラム化のすべての起源と考える必要は無い、その一部はチャンパー経由と考えてもいいのではないか、とされている。

一方、ヴェトナムは陳朝(1225~1400年)の下、紅河デルタを開発し、強大な王権を確立。

モンゴル侵入を撃退したことで、「南の中華帝国」という民族意識が高揚、キン族は膨張を続ける。

陳朝滅亡後、明の武力干渉を退けて成立した黎朝は、1471年ヴィジャヤを占領。

これが以前は「チャンパーの滅亡」とされてきた。

私が高校生の頃、チャンパーは黎朝に滅ぼされたと暗記した記憶がありますので、教科書・参考書レベルではそうだったんでしょう(今は違うようです)。

マスペロやマジュムダールのチャンパ史は、1471年以降のことをほんの一、二ページでかたづけている。もともと東南アジア史研究は、アンコールワットやボロブドゥールを見たインド学系統の研究者の感動から出発した面があり、「インド化された国家」がなくなってしまった後など歴史ではない、というわけだ。北インドのイスラーム化と元寇によって13世紀以降、「インド化された国々」は生命力を失った、というセデスの雄大な図式の中で、チャンパもその好例とされ、15世紀にチャンパが「滅びた」と書く教科書もたくさん出された。

本書では、残存勢力によってチャンパーの王権が保たれていたことを強調。

黎朝が分裂期に入り、北の鄭氏と南の阮氏が対立、大航海時代に入りヨーロッパ人が来航する中、チャンパーも貿易や紛争に奮闘する。

だが、「17世紀の危機」が到来、メキシコ銀と日本銀産出に支えられた好況が終焉、日本は鎖国時代に入り、香辛料貿易は減少し、島嶼部ではオランダ人は交易から陸地の囲い込みと植民地化に向かい、商品作物栽培を強制、大陸部では農業国家の優位が決定的になる。

海洋交易の衰退はチャンパーの国力を直撃し、最終的に阮朝越南の二代目皇帝明命(ミンマン)帝が、直轄支配化に反抗していた最後のチャンパー系勢力を1835年に鎮圧、これによってチャンパーは最終的に滅亡する。

現在チャム人は、イスラムと土着信仰が混交した宗教を信じる、ヴェトナム中部の少数民族として暮らし、周辺のカンボジア、マレーシアにもムスリムとして存在しているという。

 

 

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