万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年11月12日

私市正年 佐藤健太郎 編著 『モロッコを知るための65章』 (明石書店)

Filed under: イスラム・中東 — 万年初心者 @ 04:40

アフリカ北西端、マグリブ諸国の中で一番西にある国。

まずチェックすべきなのは、君主制国家だということ。

日本名はモロッコ王国。

首都はラバトだが、他にもカサブランカ、フェス、マラケシュなどの有名都市があり。

帝国主義時代の二度のモロッコ事件で出てくるタンジェ(タンジール)とアガディールも。

宗教的にはもちろんイスラム教スンナ派。

民族はアラブ人とベルベル人が半々くらい。

アトラス山脈がもたらす降雨により、農業が繁栄、リン鉱石などの資源にも恵まれ、漁業も盛ん。

ギリシア、フェニキア(カルタゴ)の活動を経て、ローマ支配下に入り、その後ヴァンダル族が侵入、東ローマがヴァンダル王国を滅ぼす。

7世紀末からイスラム時代。

789年モロッコ初のイスラム王朝である、シーア派のイドリース朝建国。

それが衰退すると、後ウマイヤ朝とファーティマ朝による侵入をしばしば受ける。

11世紀半ば、ムラービト朝が大勢力となり、アンダルス(イスラム支配下のイベリア半島)にも進出。

12世紀半ばにはムワッヒド朝が後を継ぐ。

その支配も永続せず、モロッコにはマリーン朝が成立(1248~1465年)。

大旅行家イブン・バットゥータは、この時代、1304年にタンジールで生まれている。

続いてワッタース朝が生まれるが、その統治は弱体で、大航海時代のポルトガルにセウタなどの沿岸都市を奪われる(セウタはスペインのポルトガル併合時代にスペイン領となり、ポルトガル再独立後もスペイン領有のまま)。

1492年レコンキスタ完了で、ナスル朝が滅亡したアンダルスから多数のムスリム亡命者がモロッコに移住。

そうした中、シャリーフ(ムハンマドの後裔)を名乗るサアド朝が16世紀後半にワッタース朝を滅ぼし、モロッコを統一。

ポルトガルとオスマン朝の攻撃を退け、トンブクトゥに遠征し、ソンガイ王国を滅ぼし、サハラ貿易を独占。

17世紀にはサアド朝が衰亡し、一時の分裂状態に陥った後、同様にシャリーフ家系のアラウィー朝が1659年成立、この王朝が現在まで続く。

19世紀帝国主義時代、タンジールのみを貿易港とする「鎖国政策」がヨーロッパ諸国の非難の的となり、隣国アルジェリアでフランスの植民地化に抵抗するアブドゥルカーディルを支援したこともあって、1844年フランスと戦うことになるが敗北、以後不平等条約を押し付けられ、列強の圧迫を受け続ける。

アルジェリア・チュニジアを植民地化したフランス、大西洋・地中海対岸のスペイン、ジブラルタルを領有するイギリスの三者が主だが、そこにドイツが割り込み、対仏威嚇と1904年締結の英仏協商の強さを瀬踏みしようとして起きたのが、1905年第一次モロッコ事件(タンジール事件)、1911年第二次モロッコ事件(アガディール事件)。

結局、1912年、中部の主要地帯はフランス、北部と(現西サハラを含む)南部はスペインによって保護国化。

アラウィー朝自体は存続したが、主権は喪失し、実質的には植民地化。

だがアラウィー朝スルタンは、独立運動の過程で団結の契機と象徴として威信を保つ。

北部のスペイン領モロッコでは、アブドゥルカリーム率いるベルベル農民らがリーフ戦争の名で知られる反乱を起こしたが、1926年鎮圧。

結局、1956年フランス領と北部スペイン領を併せた領土で独立達成、主権回復、スルタンは国王と称号を変え、ムハンマド5世として即位、君主権の強い立憲君主制国家として発足。

以後国王は、ハサン2世(1961~99年)、ムハンマド6世(1999年~)と続く。

チュニジアも似たような経緯で独立したものの、君主制は廃されてしまったが、この違いが何からもたらされたかはもっと詳しい本を読まないと分からないでしょう。

なお、北部のセウタおよびメリーリャは小さな飛び地であるが、現在もスペイン領のまま。

スペイン南端のジブラルタルは現在もイギリス領だが、スペインもモロッコにこの二つの飛び地領土を持っているわけである。

より重要な問題として、西サハラ問題がある。

スペインの南部保護領の一部だった西サハラ地域は、スペインが自治領として維持しようとし、また隣国モーリタニアも一時領有権を主張。

1975年スペイン民主化時代に、スペイン軍は撤退、モーリタニアも領有権を放棄したので、実質的にモロッコ領となったが、武装勢力が独立運動を展開、1984年「サハラ・アラブ民主共和国」がアフリカ統一機構(OAU)に加盟を認められると、モロッコは猛反発してOAUを脱退。

この問題は現在も解決を見ず、モロッコはOAUの後継組織、AU(アフリカ連合)にもアフリカ大陸で唯一非加盟を貫いている。

私が子供の頃のアフリカ地図では西サハラとナミビアだけが非独立地域の意味で白色のままだったのを覚えていますが、後者が独立した今となっては、西サハラだけが未確定領土として残っているわけです。

他に外交的には、イスラム諸国の中では比較的イスラエルに宥和的姿勢を保ち、プラグマティックな親米・親西側路線を採ることが多い。

 

 

メモする必要があるのは、まあこんなもんでしょ。

細かな王朝名は別にして、以上のようなことが常識的にわかっていれば良し。

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