万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年8月29日

ジルベール・トラウシュ 『ルクセンブルクの歴史  小さな国の大きな歴史』 (刀水書房)

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ベネルクス三国の中の一国だから、オランダカテゴリにまた追加できる。

中世の封建諸侯国家が国民国家の中に吸収されず、現在も主権国家として存続した例。

似た国としては、さらに小国として、スイスとオーストリアの間にリヒテンシュタインがある。

963年アルデンヌ伯爵家の初代ジークフロイトが現在のルクセンブルクの地を入手したのが建国の起源とされる。

アルデンヌ家で最も有名なのは、第一回十字軍のゴドフロワ・ド・ブイヨン。

そこからしばらく系図が続き、1308年アンリ伯が神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世として即位、ルクセンブルク朝が成立。

子のジャン盲目王が、百年戦争で仏軍に加わり、クレシーの戦いで戦死。

ジャンの子カール4世と孫のジギスムントが帝位に就くが、ルクセンブルク家はここで断絶。

なおジギスムントは、一時自領だったが、重要性が薄れたベルリンを含むブランデンブルクをニュルンベルク城主のホーエンツォレルン家に譲渡しており、これがプロイセンの基となる。

ルクセンブルクは抵当に入れられ、結局ブルゴーニュ公爵家の手に入る。

ブルゴーニュ公シャルルの戦死で、娘との婚姻関係からルクセンブルクを含むネーデルラントはハプスブルク家領に。

オランダ独立後も、ベルギーと共にスペイン・ハプスブルク家支配下に留まる。

で、スペイン継承戦争で、スペイン本国がブルボン朝となる代償として、ヨーロッパの他の領土と共にオーストリア・ハプスブルク家に割譲。

フランス革命時代に併合されるが、ウィーン会議で大オランダ王国の一部に(ただしオランダ君主との同君連合国家として、ルクセンブルク単独でドイツ連邦に加盟)。

1830年ベルギー独立革命が起こると、それに同調する気運が高まるが、結局列強の介入で、ルクセンブルクの西側三分の二のフランス語圏が独立ベルギーの一部となり、東側三分の一はルクセンブルクとなり、オランダとの同君連合国家を維持。

ドイツ関税同盟に加入、製鉄業の発達で経済は大きく飛躍を遂げる。

1867年国際会議で永世中立国化。

1890年オランダで女王が即位すると、女系継承の規則が無いルクセンブルクは同君連合を解消、分家のナッサウ・ヴァイルブルク家が大公として即位、これが現在まで続いている。

二度の世界大戦では、ドイツに占領された。

戦後は中立政策を放棄、NATOに加盟、ECSC・EEC・EC・EUなどヨーロッパ統合にも積極的に参加している。

以上の経緯だけ、ざっと確認すればよい。

細かい固有名詞や史実にはこだわらず、軽く流しましょう。

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