万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年6月14日

岡倉登志 編著 『エチオピアを知るための50章』 (明石書店)

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この国の知名度からすると、同じ明石書店から出ていて、編著者が書いた『エチオピアの歴史 “シェバの女王の国”から“赤い帝国”崩壊まで』を読むべきかとも思うが、だるいのでこれで済ませましょう。

エチオピアの位置は大体ご存知ですよね。

アフリカ東北部に位置し、東がソマリア、南がケニア、西がスーダン、北に小国ジブチがあり、1993年紅海沿岸部がエリトリアとして独立したので、エチオピアは内陸国となった。

古くはアビシニアとも呼ばれた。

首都はアジスアベバ、主要民族はアムハラ人で、他にオロモ人など。

そしてこの国を特徴付けるのは、古代からのキリスト教国であること。

最初の国家は、紀元100~300年頃建国のアクスム王国。

アフリカ最初の国家とされるクシュ王国を滅ぼして成立。

キリスト教を導入して、盛んな交易で繁栄したが、イスラム勢力進出で孤立化、12世紀にはザグウェ朝に取って替わられる。

1270年、シバ(シェバ)の女王とヘブライ王国のソロモン王の後裔であるとの伝説を持つソロモン朝が「復活」、これが近現代まで続く。

この頃のエチオピアは、東方での孤立したキリスト教国の存在を信じる、ヨーロッパの「プレスター・ヨハネ」伝説の実在証拠とも見なされる。

十八世紀後半から1855年まで、主にアムハラ・ショア・ティグレの三地域に分かれて群雄が割拠する「諸公侯時代」。

この戦国時代に終止符を打ち、エチオピアを再統一した中興の祖がティグレ出身のテオドロス2世(在位1855~68年)。

だがテオドロスはイギリスとの戦いで1868年自害。

1889年ショア王家出身のメネリク2世が即位(~1911年)。

1896年有名なアドワの戦いでイタリア軍を撃退、アメリカ解放奴隷の入植で生まれたリベリアと共に帝国主義時代のアフリカで独立を維持することに成功。

1930年メネリク2世の従兄弟の子ハイレ・セラシエが即位、この人がエチオピア最後の皇帝となる。

35年ムッソリーニのイタリアが侵攻、国土は占領下におかれるが、連合国の援助で帝位に復帰。

戦前・戦後、憲法も制定されるが、絶対君主制の色彩が極めて濃いものだった。

1974年エチオピア革命。

前年以来の石油危機がもたらしたインフレに苦しむ国民の反政府運動から体制が崩壊。

混乱の中で軍部が実権を握り、皇帝は殺害され、結局メンギスツを中心とする独裁体制が確立。

ハイレ・セラシエ帝は時代錯誤な絶対君主制に固執し、国内で発生した飢餓を隠蔽する等、数々の過ちもあったようだが、その政権の急進的打倒はより一層抑圧的な体制をもたらした。

その後、エチオピアはイタリア占領時代を除けば(いや、ひょっとしたらそれを含めても)、近現代史でその最も暗い時代を迎える。

マルクス主義の影響を強く受けたメンギスツ政権は親ソ的外交と共産主義的政策で国家を破綻させ、1980年代には最悪の飢餓が全土を襲った。

途方も無い苦悩を舐めたエチオピア国民には余りに酷な言い方かもしれないが、それでも私は民衆が無垢の犠牲者であるとは思えない。

74年の民衆革命は、あまりにも無謀で危険なものだったと考えざるを得ない。

冷戦終結後、1991年にメンギスツ独裁体制は内戦で打倒された。

93年前述の通り、エリトリアが独立。

その他の細かいことには興味が湧かないので、無視。

以上、最低限のことだけ知っておけばいいでしょう。

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