万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年2月20日

J・M・ロバーツ 『図説世界の歴史 10 新たなる世界秩序を求めて』 (創元社)

Filed under: アジア, ヨーロッパ, 全集 — 万年初心者 @ 02:00

最終巻。

冷戦と第三世界、日中印三ヵ国を中心とするアジア情勢、冷戦終了後の世界秩序について。

本文に入ると、まず現代アジア史を、イデオロギー的視点から離れた、極めて巨視的な観点から大掴みする記述がある。

第二次世界大戦後、アジアの多くの国が植民地支配を脱し、次々に独立していきました。その結果、植民地時代の政治的・文化的影響は急速に消滅していきます。たとえばインドでは、イギリス支配のもとで一度は実現していたインド亜大陸の政治的統一が、大戦終了から二年後の独立時に崩壊しました。東南アジアの国々も同じです。たとえばインドネシアには強力な中国人(華僑)コミュニティが存在したため、国全体の進路が中国本土の動向に大きく左右されるようになったのです。

そうした事情を考えると、実はアジアの大部分の国々にとって、西洋列強による植民地支配もその終焉も、それほど重大な歴史上の転換点ではなかったように思えます。数世紀にわたり、アジアの広大な地域がヨーロッパ人によって支配されたことは事実ですが、本当の意味でヨーロッパ文明の影響を受けたのは、どの国でもごく少数の支配者層だけでした。アジアでヨーロッパ文明を待ち受けていたのは、おそらく世界のなかでもっとも強力な文化と伝統をもつ社会だったのです。

アジアの文化はアメリカ大陸やアフリカ大陸の文化とは異なり、ヨーロッパ文化の侵入によって一掃されることはありませんでした。ヨーロッパ人がアジアにヨーロッパ文化をもちこもうとしても、あるいは現地の指導者たちがみずからヨーロッパ文化をとり入れようとしても、いずれも大きな障害にぶつかることになったのです。近代教育を受け、古い伝統からすでに脱却したと自認していた人びとでさえ、さらに深い部分ではその伝統的な思想や行動様式になんら変化はありませんでした。大学教育を受けたインド人も日本人も、出産や葬儀の際には伝統的な習慣にしたがい、中国の共産主義者たちの意識から伝統的な中華思想が消えさることもなかったのです。

インドから東側のアジアは、大きくふたつの文化圏に分けることができます。ひとつは南アジア(インド亜大陸)および東南アジアです。この地域は古くから三つの文化-ヒンドゥー文化、イスラーム文化、ヨーロッパ文化-の影響を受けてきました。ヨーロッパ文化はこの地域に、かなり古くから交易や布教とともに伝えられ、のちの植民地支配によってさらに広まっていきました。

ふたつ目の文化圏は、中国を中心とする東アジアです。中国自身が膨大な人口と国土を有することはもちろんですが、加えて周辺諸国に移住した華僑の存在、さらには二〇〇〇年以上も前から日本や朝鮮半島、インドシナ半島などにあたえてきた文化的影響も、この地域における中国の重要性を理解するうえで忘れてはなりません。このふたつ目の文化圏は、ひとつ目の文化圏にくらべるとヨーロッパ諸国に直接支配された期間が短く、その弊害も前者ほど大きくありませんでした。

結局、アフリカとアメリカの固有文明はヨーロッパ文明の進出によって圧倒され、ほぼ消滅することになったが、インドを中心とする南アジアと中国を中心とする東アジアはその存在を守り抜いたことになる(西アジアのイスラム圏もそのはずだが、ヨーロッパとの距離が近い分、[南アジアと同様]政治的には劣勢を強いられたということか)。

ヨーロッパの進出に最もよく抵抗した東アジア文明の動きの先鞭をつけたのは日本だったが、第二次大戦後、それを受け継いだのが中国。

一九六〇年までにアジアで起きた最大の変化は、中国が大国として復活をとげたことだったといえるでしょう。一方、共産主義勢力を排除して西側陣営に属していた日本と韓国は、中国が共産主義国となったおかげで、欧米諸国に対する政治的立場を強めていきました。

伝統的に東アジア諸国は、ヨーロッパ人の侵略に対し、インドや東南アジア諸国よりもうまく対処したといえるでしょう。第二次世界大戦後も東アジア各国は、共産主義国、非共産主義国ともに独立を維持することに成功し、中国から支配されることもありませんでした。これには逆説的ながら、古くから中国を模範としてきた日本社会や韓国社会に深く根づいた、東アジア特有の保守性が関係しているように思えます。

社会の規律、集団としての結束力、個人的権利の軽視、権威と階級の尊重、西洋文明とはまったく異なる文明に属しているというプライド・・・・。東アジアの社会には、中国革命の基盤となった共産主義思想などよりも、はるかに根深い文化的伝統が存在します。実は中国革命そのものも、そうした文化的伝統のなかでとらえて、はじめて理解できるものなのです。

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中国革命ほまちがいなく、人類が行なったもっとも壮大な試みのひとつといえます。世界史全体を見渡してみても、二〇世紀の中国革命に匹敵する出来事は、七世紀のイスラーム教の拡大や、一六世紀以降の近代ヨーロッパ文明の世界進出以外にありません。しかも中国革命が大きく異なっていたのは、それが特定の指導者によってコントロールされ、方向性が定められていたという点です。また無数の民衆の熱気に支えられながら、その一方で国家の指導なしには成立しえなかったという点にも、中国革命のもつ特異性を見ることができます。

中国人は伝統的に権威を重んじ、その権威に高い精神性を求めつづけた人びとでした。これは西洋では遠い昔に失われた現象といえます。個人よりも集団が重視されるべきこと、政府が国家事業のために国民を動員する権限をもつこと、公共の利益のために行使されるかぎり政府の権威は絶対であることを、中国はどの大国よりも長いあいだ、民衆に納得させてきました。国家の権威に対する反抗は、文明全体を崩壊させる恐れかおるため、中国人には受け入れられませんでした。つまり中国では集団としての急進主義はありえても、個人の人権の拡大を求める西洋型の革命は考えられなかったのです。

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中国では権力は「天(天帝)」から授かったものであり、統治者は民衆のために善政を行ない、伝統的な中国文明の価値観を守るかぎりにおいて、その正統性を民衆から認められるという文化的伝統がありました。他の文明圈からは理解しにくい毛沢東という存在は、そうした伝統にのっとって解釈される必要があるのです。

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中国革命のもつ本質的な意味も、その後中国とソ連がすぐに対立するようになったところによく現れています。つまり中国革命は、たしかに歴史上きわめて重要な革命だったものの、実はそれはアジア全体が西洋支配に対して示した拒否反応のひとつだったのです。皮肉なことに、その拒否反応はアジアのどの国でも、ナショナリズムであれマルクス主義であれ、西洋からとり入れた思想や概念をもちいて表現されることになったのですが。

中国の共産主義政権が、主にその最初の30年間で、どれほど多くの犠牲者を生みだしたか、著者は百も承知だろうが、極端な全体主義体制から現在のような権威主義体制に移行した状態を見るならば、中国革命の意義を以上のように大国としての復興と伝統的「王朝」体制への回帰、とまとめることも可能かと思われる。

一方、それに比して現代インドに対する著者の評価はかなり低い。

経済であれ、軍事であれ、政治であれ、諸外国に対して大きな影響力をもつ国を大国とよびますが、インドがそのような国際的地位にないことは、一九八〇年代までにすでにあきらかになっていました。これはよく考えてみると、二〇世紀後半に起きたもっとも驚くべき現象のひとつだったといえます。一九四七年に独立したインドは、その時点ではほかの新興国や敗戦後の混乱期にあった日本などよりも、はるかに有利な条件に恵まれていました。インドにはイギリス植民地時代の遺産である効率的な行政機関と訓練の行きとどいた軍隊、高い教育を受けたエリート層、優秀な大学(約七〇校もありました)などが存在し、国際社会の善意と協力に恵まれ、冷戦構造のなかで米ソの対立を利用することもできたからです。

貧困や栄養不良、公衆衛生の立ち後れといった問題はあったものの、その点では中国も同じだったといえます。ところが一九八〇年代までにインドと中国のあいだには、誰の目にもあきらかなほど大きな格差が生じてしまったのです。中国の都市部の住民たちは一九七〇年までに、ほぼ全員がまともな服(質素でしたが)を着用するようになっており、栄養状態も良好でした。それに対してインドの都市部の住民たちは、そのころになってもまだ貧困と栄養不良に苦しめられていたのです。

独立後のインドの歴史をふり返ると、マイナスの現象ばかりが目につきます。大きく成長した産業もあったものの、その成果は人口の増加によってかき消されてしまいました。一九四七年の独立から長い年月が過ぎても、国民の大半は当時と同じくらいに貧しいか、ごくわずかに生活が改善されたにすぎませんでした。

インド社会にはあらゆる面で歴史と伝統が重くのしかかり、変革の兆しはなかなか現れませんでした。ちょうど同じような状況にあった中国では、毛沢東が修正を加えたマルクス主義によって過去の伝統を一掃したのですが、インドにはそのような強力な思想も運動も出現しなかったのです。とくに独立後はイスラーム教徒がパキスタン建国によって分離したこともあり、インド社会はさらにヒンドゥー色を強めていきました。

現在でも、インドは依然として近代化を達成したといえる段階には達していません。植民地時代にもちこまれた西洋式の政治制度と伝統的なヒンドゥー社会のあいだには、いまなお大きな溝が横たわっています。ガンディーやネルーをはじめとするすぐれた指導者たちが数々の偉業を達成した一方、特権、不正、不平等など、インド社会に根づいた負の遺産は依然としてこの国に重くのしかかり、その発展を妨げているのです。

かなり厳しい評価ではあるが、著者は同時に以下のようにも記している。

・・・・・もっともインド社会の内包する多様性を考えれば、国家としての統一を維持したこと自体が偉大な業績だったともいえます。

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一九四七年、独立とともに明るい未来を思い描いた人びとは、長い歴史をもつインド社会に根本的な変化を起こすことが、どれほど困難で痛みをともなうか、おそらく理解していなかったのでしょう。けれどもインド文明のもつ偉大なる多様性と継続性、異文化に対する同化吸収能力を考えれば、彼らが近代化の過程で足踏みをつづけているからといって、私たちが批判するのはお門違いといえるのかもしれません。

そして、同様に停滞と混乱を続けるイスラム圏について、巨大な宗教共同体と部族集団という大小両極の間で揺れ、その中間の国民国家という政治組織を安定して発展させることが出来ないことを指摘。

なぜ高い教育を受けた学生たちがイスラーム原理主義者の反動的な主張を支持しているのか、西洋人からはほとんど理解できませんでした。けれどもそうした状況を理解するには、イスラーム世界においては長らく西洋式の国家、あるいはいかなる西洋式の政治組織も存在しなかったことをよく認識しておく必要があります。

たとえ有能な政府が存在しようと、その政府が民衆にとって何か望ましい結果をもたらそうと、全イスラーム教徒を包含する宗教共同体「ウンマ」を基本原理とするイスラーム世界にとって、西洋式の国民国家は正統な権威にはなりえませんでした。社会主義的な政権の樹立を求めた急進派の若者たちも、実際のところ国家に本質的な価値を見いだしておらず、たとえば青年将校カダフィが起こした一九六九年のリビア革命でも、その後樹立された新しい「国家」は、西洋式の国民国家の概念からは大きくかけ離れたものでした。部族主義と「ウンマ」の理念にもとづいて維持されてきたイスラーム世界の伝統が、今後どのような形で存続していくのか、それは現在のところ誰にもわからない問題です。

アラブ諸国の多くで見られる暴力的な政争は、抑圧的な独裁制と原理主義運動が敵対した結果として起こるケースが多いようです。一九八〇年代のモロッコとアルジェリアがその典型的な例でした。そうした状況をさらに危険なものにしているのが、アラブ諸国における高い出生率です。人囗にしめる若者の比率と、彼らのもつ不満とエネルギーがあまりにも大きすぎることが、アラブ世界の平和の実現を困難にしているという面もあるのです。

 

 

本文の内容はここまで。

最終巻である本書には、「日本版の刊行に寄せて」という文章が載せられている。

簡単にいえば、本書では伝統的に重要とされてきたテーマを時代順に網羅していくという手法はとりませんでした。過去の事実を網羅するのは百科事典の仕事だからです。その代わりに、「もっとも多くの人びと」に「もっとも重大な影響」をあたえた出来事だけをとりあげ、その相互の関連性を示したいと考えたのです。

そのため本書は年代的にも地理的にも、かなりの偏りをもっています。もちろん私は第一版の刊行後も多くの時間と労力をついやして、ユカタン半島の壮大な遺跡やジンバブエの廃墟、イースター島の神秘的な巨像などについて調査を行なっています。そのような文化について知ることが望ましいのは、いうまでもないでしょう。

しかし世界の歴史という観点からすれば、これらの社会は実はあまり重要とはいえません。サハラ以南のアフリカや、コロンブスが到着する以前のアメリカ大陸についても同じことがいえます。たとえばブッダやキリスト、プラトン、孔子などの教えは、二〇〇〇年ものあいだ、地球上で暮らす無数の人びとに影響をおよぼしてきました。けれどもヨーロッパ人がやってくる前のアフリカやアメリカでは、世界の歴史に大きな足跡を刻むような出来事が起きた証拠は、いまのところ発見されていないのです。

いずれにせよ、世界史に関する膨大な資料をすべて把握することなど不可能です。本書は、「有名」な出来事ではなく、「本質的に重要な」出来事に焦点を当てています。たとえばフランスのルイー四世はヨーロッパ史ではもっとも有名な人物のひとりですが、本書中の彼に関する記述はごく短く、逆に二〇世紀前半に起きた中国革命についてはかなりくわしく説明してあります。そうした視点は現代史を見るうえで、いままで以上に必要になっているといえるでしょう。ある出来事が「有名」だから、つまり大きく報道がなされているからといって、それが重要だとはかぎらないのです。

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もちろんそのような視点には、私自身のもつ文化的バックグラウンドが大きく影響しています。私はイギリスの中産階級に属する白人男性としてしか、歴史書を書くことができません(今回の全面改訂版では、それに「初老の」が加わります)。もし皆さんがそれをあまりにも重大な欠陥だとお考えになるなら、ほかの歴史家が別の視点から書いた歴史書を探されたほうがよいでしょう。

しかし正直にいえばどのような歴史書であれ、結局は著者本人の個性を離れては存在しえないものなのです。私は自分の視点がどのような偏りにおちいりがちかということを、つねに念頭におきながらこの本を書きました。そうすることで、歴史家アクトンのいう「すべての国々を網羅した歴史とは異なった」歴史を皆様に提供し、文明の偉大なる豊かさと多様性を示すことができたのではないかと思っています。

このシリーズを読み通して、著者の以上の様な史観をはっきり感じることができたし、それに対して特に違和感は感じなかった。

 

 

こういう通史ではありがちだが、近現代史の部分は内容が粗くなって効用が薄れる。

本書もそれを免れているとは言えないが、まだ大分マシな方だと思う。

全10巻を読み切りましたが、通読はものすごく楽。

読んだ価値は間違いなくあった。

全体的な感想は別の記事で述べることにします。

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