万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年2月15日

J・M・ロバーツ 『図説世界の歴史 9 第二次世界大戦と戦後の世界』 (創元社)

Filed under: 近現代概説, 全集 — 万年初心者 @ 05:21

第二次大戦と冷戦を叙述し、重要地域として特に東アジアと中東を取り上げた後、20世紀文化を扱った巻。

西洋文明の世界制覇に対する反撃が最も強かった東アジアの情勢について。

アジアに対するヨーロッパ人の侵略は、第一次世界大戦が始まった一九一四年にはピークを過ぎていました。ヨーロッパの植民地主義とその強大な経済的・文化的影響は、すでにアジア各地で深刻な反動をまねくようになっていたのです。そうした反動がもっとも強かったのは、おそらく日本だったといえるでしょう。日本ではヨーロッパ列強に対する反発が、近代化を促進するうえでの大きな力となりました。その結果、日本はこのあと起こる東西文明間の長い戦いにおいて、中心的な役割をはたすことになるのです。

近代化に成功した日本は、二〇世紀の最初の四〇年間、アジア史の主役となりました。一方、辛亥革命をへた中国がアジア史の主役に返り咲いたのは、一九四五年以後のことでした。中国がアジアの政治力学のなかでふたたび日本をしのぐ存在となり、アジアにおける西洋の時代を終わらせるためには、第二次世界大戦の終了を待たねばならなかったのです。

近代日本の発展について、著者の見解は定型的に思えてあまり感心する部分が無いこともあるが、以下の見方などは示唆的である。

・・・一九二〇年代の日本には、「大正デモクラシー」とよばれる民主的かつ自由主義的な空気があり、それが日本の帝国主義をおおい隠す役割をはたしていました。一九二五年に男子普通選挙が実施されたことも、明治維新に始まった立憲君主政への道のりが、着実に進んでいることの現れと考えられていました(もっともヨーロッパではすでに、普通選挙の実施がかならずしも自由主義や政治的中庸に結びつかないことは、はっきりと示されていたのですが)。

そして、イデオロギー対立によって「ドイツ問題」の解決が遠のいたことを指摘し、ドイツのナチズムを(イタリア・ファシズムよりもはるかに過激で危険な存在として)徹底的に批判する一方、日本の戦争についての著者の評価は、驚くほど冷静である。

日本が一九〇五年にロシアを敗北させたことが、ヨーロッパとアジアの心理的な従属関係を揺るがす画期的な出来事となったように、一九三八年から四一年にかけて日本が行なった侵略もまた、歴史に一線を画す出来事でした。それは結果として、第二次世界大戦後におとずれた植民地解放の時代の幕開けをうながすことになります。このように、植民地解放の動きはごく自然な流れとして、もっともうまく「西洋化」をなしとげていたアジアの大国によって、そのきっかけがもたらされることになったのです。

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一九三六年の五月、首都のアジス・アベバが陥落し、エチオピアは独立を失うことになります。今日の時点からふり返ってみると、国際連盟がイタリアによるエチオピアへの侵略を阻止できなかったことは、致命的な失敗だったように映るかもしれません。けれども第二次世界大戦はきわめて多くの要因が重なって発生したものであり、いつの時点で戦争が不可避となったかを論じても、あまり意味がないといえるでしょう。

もっとも、一九三三年にドイツのナチ党政権(それはイタリアのムッソリーニ政権よりも、はるかに過激で恐ろしい政権でした)が誕生したことは、まちがいなく歴史の転換点となりました。そうした政権の誕生を可能としたのも、やはり直前に発生していた世界恐慌だったといえます。

世界恐慌はまた、別の面においても重大な影響をおよぼしています。一九三〇年代に入ると、経済破綻がもたらした階級闘争の激化によって、各国の政治家たちは国際関係上の問題を、ファシズム対共産主義、さらには左派対右派、民主主義対独裁制などといったイデオロギー的な観点から解釈するようになりました。イタリアのエチオピア侵略に対する英仏の反応に激怒したムッソリーニが、ドイツと同盟を結んで反共産主義の「聖戦」をとなえるようになると、この傾向にはさらに拍車がかかりました。このように一九三〇年代の国際問題がおもにイデオロギー的観点から解釈されていたために、ドイツのナチ党政権のもつ真の危険性が見えにくくなり、その結果、ドイツ問題への対応がますます遅れることになってしまったのです。

ソ連のプロパガンダ活動も、世界に大きな影響をおよぼしていました。一九三〇年代のソ連の国内情勢はきわめて不安定なもので、大規模な産業化計画の実施(一九二八年に第一次五ヵ年計画が開始されていました)にともない、民衆は多大な犠牲を強いられていたのです。そうした国情不安に対処するため、スターリンによる独裁体制が強化されていきました。・・・・・こうしたソ連の動向は、それにともなうプロパガンダによって、国際情勢にも大きな影響をあたえ始めていました。この時期にソ連が意図的に、ソ連包囲網が形成されているというプロパガンダを行なったことが、国際情勢を左右したことほまちがいありません。・・・・・そうした動きにともない、コミンテルンの主張する世界的な階級闘争論も各国に浸透していくことになりました。それがどのような結果をもたらしたかは、容易に想像することができます。つまり、世界各国で保守派が危機感をつのらせることになったのです。左派はもちろん、穏健派の改革勢力に対してさえ、少しでも譲歩すれば共産主義に敗北したことになるとする風潮が、各地で生まれるようになりました。こうして右派が態度を硬化させる一方で、共産主義者たちもさらに革命にむけての活動を激化させていったのです。

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終戦直後にはまだ、第二次世界大戦がどれほど大きな影響を人類の歴史にもたらしたかを評価することは困難でした。ただひとつだけ、誰の目にもあきらかな事実がありました。それはドイツのナチ党政権が行なった数々の犯罪行為が、決して許されるべきものではないということです。連合軍がヨーロッパ大陸を進軍し、強制収容所を解放していくにつれ、人類史上最悪ともいえる組織的暴力と犯罪の実態があきらかになっていったのです。

かつてチャーチルは、「われわれが敗北するようなことがあれば、アメリカを含む全世界が、われわれがこれまで親しみ大切にしてきたものすべてを含む全世界が、新たな暗黒の淵へと沈んでしまうだろう。その暗黒の時代は悪用された科学の力によって、ますます邪悪なものとなり、そしておそらくは長期化の道をたどるだろう」と語っていました。その言葉は、まさに真実以外の何ものでもなかったのです。

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平和が回復すると、戦時中の美辞麗句は思いがけない害をもたらすようになりました。銃声が鳴りやんだあとの世界をじっくり見渡した人びとの前には、大きな幻滅が待ちうけていたのです。それでもなお、一九三九年から四五年にかけてのヨーロッパの戦争は、ほかのどんな戦争にもなかったほど、倫理的な側面を強くもっていたといえるでしょう。この点は何度も強調しておく必要があります。第二次世界大戦において連合軍が勝利したことで、自由主義文明に対する最悪の挑戦が退けられたことはまちがいないのです。

深い洞察力の持ち主であれば、ヒトラー政権が反自由主義的な性質をもった支配体制だったという点に、重大な皮肉を見てとることができたでしょう。ドイツは多くの点で、ヨーロッパのなかでも群をぬいて進歩的な国でした。ヨーロッパ文明における最善のものを数多く保有していたドイツが、これはどの規模で集団的な犯罪行為に走ったという事実は、自由主義文明の基盤そのものに何らかの重大な誤りがあるのではないかという疑いを人びとにいだかせました。ナチ党の犯罪は、一時的に野蛮な征服欲にとりつかれたゆえの暴走ではなく、計画的、科学的、統制的、官僚的な方法で進められたものであり、そのおぞましい目的をのぞくと、そこに合理性を欠く要素はまったくなかったからです。

この点からすると、アジアにおける戦争の意味は大きく異なっていました。アジアでは日本の帝国主義が、一時的にそれまでの西洋列強の帝国主義にとって代わりましたが、多くの場合、支配された人びとはその変化をそれほど嘆いてはいませんでした。戦時中のプロパガンダによって「ファシスト」日本という見解が流布したものの、それは長い伝統をもつ日本社会の特質を、意図的に歪曲した見解だったといえます。たとえ日本が勝利を収めたとしても、ヨーロッパ諸国がドイツに支配されていた場合ほど悲惨な結果は生じなかったことでしょう。

しかし、巻末の監修者あとがきで五百旗頭真氏が以下のように指摘している面は、全くもって認めるしかない。

といって日本偏向という訳ではなく、日本がはまってしまった歴史的愚行を明快に語る。日本の中国侵略こそが、中国の愛国心を呼び起こし、中国が再び東アジアの主体にたち帰る契機を提供した。そのうえ「日本は不覚にも国民党政権を攻撃したことで、長年にわたって阻止しようと努めてきた中国革命を、最終的な成功へみちびく」結果となった。日本は逆説と皮肉を好む歴史に魅入られたように、忌み嫌う敵の勝利につくしたのである。東アジアの植民地解放と第三世界の船出にも、概して同じような皮肉な役割を日本は果たしたといえよう。

 

 

他の部分は省略。

この巻の記事は、これくらいにしましょう。

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