万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年1月12日

J・M・ロバーツ 『図説世界の歴史 3 古代ローマとキリスト教』 (創元社)

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古代ローマ史の巻。

紀元前五世紀に最盛期をむかえた古代ギリシア文明の登場により、世界の歴史はひとつの曲がり角をむかえることになりました。その後、西洋世界の歴史は地中海地方を中心に展開し、ローマ帝国の出現をへて「ヨーロッパ世界」という概念が形成されていくことになるのです。

もともと地中海文明の発祥の地は、エーゲ海を中心とした東地中海であり、西地中海は東部にくらべると長いあいだ遅れた地域にとどまっていました。交易を得意としたフェニキア人やギリシア人が活発な商業活動や植民市建設を行なっていたものの、全体的に見れば依然として後進的な地域だったのです。

ところがイタリア半島に住んでいたごく小さな部族、ローマ人の活躍によって、やがて西地中海は世界史の表舞台に登場します。紀元前六世紀にはとなりのギリシア人にさえよく知られていなかったローマ人が、紀元前三世紀末にイタリア半島から東方へ進出を開始した時点で、歴史は新たな時代をむかえることになるのです。

つづく約二〇〇年のあいだにローマは「帝政」という独自の統治システムを確立し、ヘレニズム世界(ギリシア文明圏)のみならず、西ヨーロッパの大部分を含む巨大な統一帝国を樹立します。それはある意味でアレクサンドロス大王の後継国ともいえる巨大国家でしたが、結果としてアレクサンドロスをはるかにしのぐ範囲の領土を支配し、はるかに大きな足跡を世界史の上に刻むことになります。

なかでも注目すべきは、この帝国の中で発展したキリスト教が、のちに政治的な支配構造にとけこみ、ひとつの社会的システムとして機能するようになったことです。このことにより、はるかのちに誕生するヨーロッパ文明の基本的な性格が決定されたともいえるでしょう。現在のヨーロッパの大都市の多くは、その起源をローマ時代の植民市にもっています。またキリスト教の存在が、広大な地域をひとつのまとまりのあるものにしていることもたしかです。ローマ帝国は文化や制度といった直接的な遺産はもちろん、人類の歴史に「帝国」という巨大な成功例と、「ヨーロッパ世界」という新たな概念をもたらすことになったのです。

その帝国という統治システムの特徴について。

市民権の拡大を見れば、ローマがいかに寛容で受容能力にすぐれた帝国だったかがわかります。ローマ帝国もローマ文明も、その基盤には「コスモポリタニズム(世界市民主義)」の精神が存在しており、膨大な帝国行政の中には驚くほど多様な要素が含まれていました。それをひとつにまとめていたのは、ローマのエリート層や官僚たちの能力ではなく、地方の支配者層をとりこんでローマ化する独自の統治システムだったのです。

ローマが他民族に対してきわめて寛容であったことは、紀元一世紀以降は本国出身の元老院議員の数が減少しつづけていたことからもわかります。ローマ帝国は決して属州の異民族を排除せず、逆に彼らをとりこむことで広大な帝国の統一を維持していったのです。

そして、後世よく指弾される、全盛期のローマ社会の頽廃については、誇張するのも間違いなら、無視するのも間違いであり、世界史上例外的に史料で大衆の心理が分かっているために、その種のことが強調されてしまう側面はあるものの、競技場での剣闘士試合などは、やはり特異な残酷性を持つ見世物と言わざるを得ないとしている。

帝国が衰退期に入り、キリスト教化した時期について。

四世紀の一〇〇年間は、宣教師たちがエチオピアにまで到達した伝道の時代であり、キリスト教神学の飛躍的な発展の時代であり、キリスト教がローマ帝国唯一の「国教」となった時代でした。

しかし、いまふり返ってみると、この時代のキリスト教にはどこか不快な印象がつきまといます。信者たちが教会からあたえられた権威をふりかざし、異教徒たちを抑圧していたように思えるからです。ある異教徒が聖アンブロシウスに訴えています。「私たちは同じ星を見あげ、頭上には同じ空が広がり、同じ宇宙が私たちをとりかこんでいます。真実にたどりつく方法が人によってちがうからといって、いったい何が問題なのでしょうか?」

東西を問わずキリスト教会には熱狂的で妥協を許さない気風がありました。東西で違いがあるとすれば、東方教会では精神的権威と世俗的権威の融合が進み、キリスト教国となった帝国には無限に近い権威があると考えられるようになったのに対して、西方教会は国家も含めた世俗世界全体に対して嫌悪と疑念をいだいていたことです。

西方教会は信者たちに対して、罪深い異教の海にあって、自分たちは教会というノアの箱船にのっているのだと教えるようになりました。当時の教父たちを正当に評価するならば、あるいは彼らの不安や恐怖を理解したいのなら、この時期のローマ世界において、迷信や秘教が圧倒的な力をもっていたことを考慮する必要があるでしょう。

上述の通り、東西地中海世界は、聖俗両権の統一と分離を軸に分離しつつあり、ユスティニアヌス帝の再統一事業も空しく、東西分離と東方ビザンツ世界の成立に向かった。

西方キリスト教世界は、修道院制度と教皇制度という二つの武器によって、その存在を確立。

それに最も貢献した個人を一人挙げるならば、教皇グレゴリウス1世。

グレゴリウス一世はローマ帝国の遺産とキリスト教を組みあわせることで、自分でも気づかないうちに、ひとつの新しい世界を生みだそうとしていました。キリスト教は古典文明が生んだ遺産のひとつでしたが、いまや古典文化から分離して、はっきりと異なるものになろうとしていたのです。

グレゴリウス一世がギリシア語を話さなかったことはまさに象徴的といえるでしょう。彼自身、ギリシア語を話す必要性を認めていませんでした。教会と異民族の関係はすでに変化し始めていましたが、グレゴリウス一世の登場で、ようやく教会は地中海世界ではなく、「ヨーロッパ」に目をむけるようになったのです。

そこにはすでに未来の種がまかれていました。もっともそれは近い未来ではありません。世界の大半の人びとにとって、ヨーロッパはこのあと約一〇〇〇年間、ほとんど重要な意味をもたなかったのです。しかし、のちのヨーロッパからはかなりかけ離れたものであったにせよ、この時期に「ヨーロッパ世界」の基礎が築かれつつあったことはまちがいないのです。

新たに誕生しつつあったそのヨーロッパ世界は、過去とはあきらかに異なった世界でした。秩序のいきとどいた、教養のある、ゆったりとしたローマ時代の暮らしに代わって、戦士である貴族とその部族民たちからなるまとまりのない社会が出現していました。先住民と融合した社会もあれば、そうでない社会もありました。そして新しい社会の指導者たちは、もはやたんなる族長ではなく、王とよばれるようになります。彼らにしたがった人びとも、ローマ文明の遺産に二〇〇年近くふれたあとは、もはや蛮族ではありませんでした。五五〇年にはすでに、ゴート族の王が「蛮族」としては、はじめて硬貨に肖像を刻み、帝国のしるしで周囲を飾っています。すぐれた文化の遺物にふれて感銘を受け、ローマという国のあり方に影響され、そして何よりも教会の意図的な働きかけによって、かつて蛮族とよばれた人びとは文明化への道を歩み始めました。当時の彼らがのこした芸術の中に、その証拠をはっきりと見ることができます。

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この五世紀から七世紀にかけてのヨーロッパの歴史は、衰退にむかっていたと見なされることが多く、そうした見方にもじゅうぶんな根拠があります。異民族が支配するヨーロッパは、物質面では、二世紀のローマ帝国より確実に貧しくなっていました。今日、ヨーロッパのいたるところで、旅行者がローマの記念建築物に目を見はっているように、この時代の異民族もまた、ローマ帝国の壮麗な文化遺産に目を奪われていました。しかしそれでも、やがてこうした混乱の中から、ローマ文明よりもはるかに創造力に富む、のちのヨーロッパ文明がはっきりとした姿を現すことになるのです。

このシリーズの訳書では、末尾に監修者を務める著名な日本人歴史家によるあとがきが載っているが、「とびきり上等な世界史シリーズ」と題された、本巻の本村凌二氏のものが面白いので、途中まで引用。

若かりしころ、私もご多分にもれず深遠な思想や哲学の本を読んだものである。といっても、やはりご多分にもれず、それらのほとんどを理解できず、おのれの能力のなさと頭の悪さを嘆いたものだった。しかし、時がたってみると、それらの思想や哲学をを理解するには、ある種の才知やひらめきが必要であることが感知できるようになった気がする。もともと愚者には思想や哲学の極みに達することなどできないことなのだ。

そのかわりに、過去の出来事をつづった歴史書なら、年を重ねるにつれ理解度が増してくるのがわかる。歴史書を読む場合には、才知やひらめきよりも、経験と蓄積がものをいうのだ。だから、みずからを賢者と思われる御仁ならともかく、愚者と自覚される方々には、歴史の本がなによりもお薦めなのである。このことは、私が歴史家であるから述べるのではなく、ある文芸評論家も指摘しているところである(小谷野敦『バカのための読書術』ちくま新書)。

歴史家としてなら、さらにもうひとことつけ加えておきたい。いかなる歴史書がいいかと問われれば、まずもって世界史の本をひもとくことをお薦めしておく。昨今、しばしば学力の低下や教養の衰退について耳にするが、教養の核になるのはなによりも人類の経験であることを忘れるべきではないだろう。それには歴史に学ぶことであり、とりわけ世界史を学ぶことではないだろうか。人文社会系の知の基本は広く事実にもとづいているべきであり、それこそが知識の教養の素地であるはずだ。そのような経験と事実といえども、文字として記録されるようになっただけでも五〇〇〇年以上の年月が流れ、人類の蓄積は膨大なものになった。一次史料は、楔形文字、ヒエログリフ、アルファベットなどのさまざまな文字で表記され、アッシリア語、ヘブライ語、ギリシア語などの多種多様な言語で書かれている。それらのすべてに通じることはもはや一個人の力では如何ともしがたいものになっている。

したがって、ひとりの手で世界史を書くとなると、書き手はよほどの賢者か愚者ということになる。小著といえどもかつてひとりの手で世界史を書いたことのある私は、どうみても前者ではないので、きっと後者にちがいないと語ったことがある。しかし、どうやら前者の書き手もいないわけではないという例に気づかされることもある。まさしく本書はその好例であり、かくして読者は必要不可欠な教養の素地を磨く機会にめぐりあえたことになる。

ほぼローマ史というテーマに集中している巻だが、1、2巻に比べると、心に引っ掛かる部分は少ない。

しかし、悪いというほどでもないです。

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