万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年1月1日

J・M・ロバーツ 『図説世界の歴史 1 「歴史の始まり」と古代文明』 (創元社)

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全10巻と巻数が少な目で、一巻の厚みもさほどでもないとは言え、新たに世界史全集通読に取り組むのには、相当の決意が要るが、下読みの結果、まあたぶん途中で挫折はしないだろうと思ったので、この第1巻から始めましょう。

イギリスの練達の歴史家が一人で書いた世界史全集。

著者のファースト・ネームが、ジョンなのかジェームズなのか何なのかが、本書のどこにも書いていないのが気になる。

叙述における史実の取捨選択の基準を著者は以下のように述べる。

・・・・・私は、いったいどのような視点でこの本を書き、どのような基準で歴史的事実の取捨選択を行ったのか。そのことについてご説明しておきましょう。ひとつは、ある意味で非常に「民主的な」視点です。というのも私の基準は、「その出来事がいかに多くの人間に影響をおよぼしたか」という点を重視しているからです。もちろん別の基準を選択する人もいるでしょう。しかし私は、長期的に見てその出来事が人間の社会にどれだけ広く大きな影響をあたえたかという点にもとづいて、歴史的事実の取捨選択を行いました。その結果、本書ではできるだけ多くの国や支配者たちをとりあげようとするのではなく、「とくに偉大な」いくつかの文明に焦点をあてることになりました。何世紀にもわたって、思想や宗教、社会制度など、さまざまな面で人間社会に影響をあたえた「偉大な文明」の数々。こまごまとした事実の羅列は百科事典や歴史事典にまかせることにして、そうした文明を軸に歴史を「物語る」ことに主眼をおいたのです。

この「物語る」という言葉が、私の歴史に対する考えを知っていただくためのもうひとつの鍵となります。私は以前から、歴史の基礎は物語(年代記)にあること、そして歴史家の仕事とは、からみあった無数の事実のなかから、そうした物語をつむぎだすところにあるということを確信しているのです。

網羅的に全ての文明を取り上げるのではなく、主要な文明を特に重視すること、物語という叙述形式にこだわること、という面では賛同できる。

しかし、以下のような楽観的見解は、巨視的に見れば理解できなくも無いが、やはり同意する気にはなれない。

この長い長い物語をひもとくと、人間という生き物のもつ特異性がよくわかります。人間は非常に古くから、自然を支配しようとしてさまざまな試みを行なってきました。ほかの生物には類を見ない、そうした試みの軌跡をたどることこそ、すなわち人類の歴史をたどることだといえるかもしれません。最近よく「人類はもはやとり返しのつかない失敗をおかしてしまった」とか、「人類の歴史は愚行のカタログにすぎない」などといった意見を耳にすることがあります。その結果が今日の人口過剰であり、自然環境の破壊であり、絶えることのない戦争や暴力だというのです。たしかにそうした意見にも、一面の真実はあるでしょう。しかしそれは客観的に見て、あまりにも大げさで極端すぎる考えです。人類がこれまでになしとげてきた偉業を素直にふり返れば、そうした悲観的すぎる意見が、どれほどまとはずれなものであるかがよくわかります。歴史は私たち人類が、これまでいかに多くの障害を克服し、その意志と能力によって、みずからをとりまく環境にいかに大きな変化を起こしてきたかを教えてくれているのです。

本章に入ると、まず先史時代の途方もない長さとネアンデルタール人(旧人)とホモ・サピエンス(新人)との一時共存を述べた後、人類史の一大転機として、新石器時代の到来を挙げる。

先史時代の終焉をつげる一連の変化をさして、ある学者が「新石器革命」という言葉をもちいたことがあります。しかし、この言葉には少し解説がいるかもしれません。前にもふれたように、考古学者たちは旧石器時代のあとに中石器時代と新石器時代という時代区分をつくりました(金石併用時代という四番目の時代をつけ加える学者もいます。石器と銅器が同時に使用された時代のことです)。

このなかで、旧石器時代と中石器時代の区別は専門家にしか必要のないものですが、「新石器時代」という時代区分は重要です。

厳密な定義によれば、石を砕いただけの打製石器に代わって、表面をなめらかに加工した磨製石器・・・・がもちいられるようになった時代を新石器時代といいます(さらに別の基準をつけ加えることもありますが)。

打製石器から磨製石器への移行は、研究者を夢中にさせるほどの大変化ではなく、「新石器時代」などとよぶのは大げさすぎると考える人もいるでしょう。しかしこの時代に、各地でさまざまな、複雑でしかも重要な変化が起こったことは事実です。「新石器革命」とは、そうした変化をなんとか統一的に表現しようとした名称ということなのです。

・・・・・・

文明の誕生を可能にしたのは農耕と牧畜の開始です。それを「食料生産革命」とよぶ人もいますが、この場合は「革命」という表現も決して大げさではありません。こうした言葉を聞いただけで、なぜ新石器時代に文明が誕生するための環境が整ったかすぐにわかるからです。新石器時代に一部の社会に広まった冶金技術さえ、食料生産の開始ほど重大な意味はもちませんでした。農耕と牧畜は人間の暮らしに、まさに革命をもたらしたのです。

新石器時代の意義を考えるうえでも、真っ先に考えなくてはならないのがこの食料生産(農耕と牧畜)の開始です。ある著名な考古学者は、新石器時代の定義をこんなふうにまとめています。「正確な年代は確定できないが(略)狩猟生活の終焉と完全な金属使用のあいだに位置する時代、この時代に農耕と牧畜が始まり、ヨーロッパ、アジア、北米にゆっくりと広まっていった」。

本書では、代表的な古代文明として、「メソポタミア」「エジプト」「クレタ」「インド」「中国」「メソアメリカ」「アンデス」の七つを挙げている。

ただし、その中でメソポタミア文明のみを特別に重要なものとして扱っている。

しばしば、メソポタミア文明と並び称されるエジプト文明について、以下のような評価を記しているのが極めて印象的である。

エジプト文明の衰退の原因は、古代世界全体を揺るがした大きな歴史の流れの中で考えるべきでしょう。

しかし新王国時代末期の混乱をみると、私にはエジプト文明が最初からもっていた弱点があらわになったにすぎないという気もするのです。

みなさんの中には、そうした意見を意外に感じる方もいらっしゃるかもしれません。数々の壮大な建造物や、数千年にもおよぶ歴史をもつエジプト文明が、なぜ宿命的な「弱点」をもっていたのかと。

しかし私には、エジプト文明がもつ創造力は、真の意味での結実をみなかったように思えます。とほうもない数の労働力が集められ、今日の基準から見てもきわめて有能な役人たちが指揮をとり、その結果完成したのは「世界最大の墓」でした。すぐれた職人たちの手で数々の工芸品がつくりだされたものの、それらが収められたのもまた、墓の中でした。優秀なエリートたちが複雑な文字をあやつり、大発明であるパピルス紙に大量の文書を記録しましたが、ついに彼らはギリシア人やユダヤ人に匹敵するような哲学や宗教思想を生み出すことはありませんでした。私には古代エジプトの壮麗な遺産の奥底に、根源的な「不毛」が横たわっていたような気がしてならないのです。

もっとも古代エジプト文明がまれにみる長期にわたって存続したという事実については、別の角度から評価する必要があるでしょう。これだけ長いあいだつづいた文明はほかになく、その点ではまさに驚異的といえます。少なくとも二度大きな危機がおとずれたものの、エジプトはそうした危機を乗りこえて存続しました。それはもちろん世界史的なレベルでみても偉大なる成功物語といえるのでしょうが、よくわからないのは、なぜ彼らの進歩が早い段階で止まってしまったのかという点なのです。エジプトは結局、軍事面でも経済面でも後世にほとんど影響をあたえませんでした。エジプトの文化が国境を越え、外の世界に根づくこともありませんでした。エジプト文明が長期間存続した原因は、おそらくその自然環境にあったのでしょう。エジプト人の暮らすナイル両岸の外側には、広大な砂漠が広がっていました。同じくらい外界から遮断された環境にあったなら、どんな古代文明でもエジプト文明に匹敵する期間存続することができたかもしれません。

たしかに先史時代とくらべれば、古代エジプトの歴史は非常に速いペースで進みました。しかしメネス王の時代からトトメス三世の時代までの約一五〇〇年間に、エジプト人の日常生活がほとんど変化しなかったのは、やはり「停滞」といってもよいでしょう。古代社会において大きな変化が起こるのは、大規模な自然災害が起こったときか、外敵に侵入されたり征服されたりしたときだけでした。ところがナイル川はつねに安定した「恵みの川」でありつづけ、さらにエジプトは長期にわたってオリエントの紛争地域の外側に位置し、ほんのときおり侵入者に対峙するだけでよかったのです。現在とはちがって、技術も経済もごくゆっくりとしか変化を起こしませんでした。さらに伝統を継承することが何よりも重んじられた社会では、知的な刺激によって変化が起こることはほとんどありませんでした。

古代エジプト文明を考えるとき、どうしても忘れられないのがナイル川です。人びとの目の前にはつねにナイル川が流れつづけていました。その存在があまりにも大きすぎたため、この川のもつ特異性に古代エジプト人は気づかなかったのかもしれません。実際、彼らにとってはナイルの両岸こそが全世界だったのです。「肥沃な三日月地帯」が絶えず戦乱の舞台であったのとは対照的に、エジプトではナイル川に支えられて数千年も文明がつづき、人びとはナイルがもたらしてくれる恵みに感謝しながら伝統的な暮らしをつづけました。このような暮らしの中でエジプト人が生きる目的と考えたのが、死後の世界への準備をすることだったのかもしれません。

この評価には異議が無い。

エジプト文明は、紀元前3000年に誕生し、ペルシアによる征服まででも2500年間、プトレマイオス朝滅亡までを数えたら3000年も続いている。

西暦元年から現在まで2000年余り、日本も含めほとんどの国の歴史がその中に収まってしまうが、それよりも遥かに長く存続しているわけである。

だが、ピラミッドにミイラ、「死者の書」などのパピルス文書、華麗な工芸品と、後世に極めて強い印象を与える遺産を残したにも関わらず、「ギリシア人やユダヤ人に匹敵するような哲学や宗教思想を生み出すことは」なく、「軍事面でも経済面でも後世にほとんど影響をあたえ」なかったのは、先入見を捨て、冷静に考えると、やはり事実としか言い様がない。

ペルシア帝国成立によって、オリエントは新時代を迎えることになる。

 

 

図表も多いし、文章も少な目なので、通読に困難は無い。

これなら続けられそうです。

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