万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年11月29日

松田素二 津田みわ 編著 『ケニアを知るための55章』 (明石書店)

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今の若い人にはピンと来ないと思いますが、このケニアという国は「アフリカの主要国」だというイメージがかつてはありました。

首都のナイロビにアフリカ総局を置いていた新聞社もあったはずです(今は南アフリカのヨハネスブルクあたりでしょうか)。

本書によれば、それはこの国が独立後のアフリカ諸国の中では珍しく親米英・親西側路線を採用したため、日本とも多くの援助と交流があったからだとのことである。

ああ、なるほどなと思いました。

それで実際の国力や国の大きさよりも、過度に重視されていた面もあったかもしれません。

 

ケニアは東アフリカに位置し、北はエチオピアとソマリア、南はタンザニア、西はウガンダと南スーダンに接する。

北にトゥルカナ湖、西にヴィクトリア湖という大湖が存在。

言語は英語とスワヒリ語。

キリスト教徒が多数派だが、イスラム教徒も一割ほど存在。

沿岸部モンバサはムスリム商人の拠点として有名。

最大民族はキクユ人だが、その構成比は17%ほど、他にルヒャ人、カレンジン人、ルオ人、カンバ人など。

一番知名度が高いのはマサイ人だろうが、数から言えば少数派なのか、主要民族の中には現れない。

19世紀ベルリン会議後のアフリカ分割で、1895年イギリスの東アフリカ保護領に。

1950年代、「マウマウ」の反乱と呼ばれる独立運動を経て、1963年独立。

初代首相ジョモ・ケニヤッタ(翌年から大統領)。

ケニヤッタは表面上マウマウとの関係を否定、「フーリガンにケニアを治めさせてはならない・・・・・マウマウは病であり・・・・・二度と思い出してはならない」と述べ、穏健派の立場を貫く。

外交面でも親西側路線を採用、土地国有化と社会主義陣営への接近を主張した副大統領オディンガは逮捕、投獄。

独立後はケニア・アフリカ人全国同盟(KANU)が事実上の一党支配を敷き、大統領権限が拡大するなど、権威主義体制が確立。

比較的順調な経済成長を遂げたが、それには格差の拡大という代償が伴った。

「独立の父」が急進的外交姿勢で東側諸国に接近、内政では社会主義的政策で経済が停滞、その内どうにもならなくなって、右派権威主義政権に交替、親米路線と市場主義的改革で経済状況は改善するが、社会的不平等は拡大し、政治的自由は相変わらず制限されるというのが、第三世界のよくあるパターンだが、ケニアは最初から後者の段階だったという珍しいケースな訳である。

まあ、あくまで相対比較で言えば、少なくともケニヤッタ政権はそう悪しざまに言うほどでもなかったと思える。

ただ、その後正常な議会政治にスムーズに移行できなかったのは残念である。

1978年ケニヤッタが死去、モイが後継。

候補の写真の前に並ぶことで「投票」するという、秘密投票を侵す「行列方式」選挙の導入など、一層の強権化を実行。

冷戦終結後の世界的な「民主化」潮流で、複数政党制が復活したが、野党勢力の分裂もあって、モイが再選。

90年代にはこれまで押さえつけられていた民族紛争が勃発。

モイが退任した後、初代大統領ケニヤッタの実子ウフル・ケニヤッタを後継指名すると与党KANUは分裂、2002年平和的政権交代が実現し、キバキ政権が成立。

ところがキバキ政権内部で対立が激化、2007年キバキ再選後、大規模暴動が勃発。

国際社会の和解勧告を受け、大統領権限の縮小と三権分立の徹底を特徴とする新憲法が制定。

外務省HPを見ると、2013年には上記ウフル・ケニヤッタが大統領に就任しているようだ。

アフリカ諸国では例外的に安定した国だったが、最近の情勢は必ずしもそうではない模様。

 

 

ごく大まかなことだけわかればよい。

本書も軽く流してよし。

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