万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年8月1日

村田晃嗣 『レーガン  いかにして「アメリカの偶像」となったか』 (中公新書)

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1980年代、今日まで続くアメリカの保守化を推し進めた元大統領ロナルド・レーガンの伝記。

1911年アイルランド系の貧しい家庭に生まれる。

同じアイルランド系のケネディはレーガンより20年早く大統領となり、40年以上先に他界したが、年齢はレーガンより6歳下。

苦学しながら大学を卒業、ニューディール時代の民主党の熱心な支持者になる。

ラジオ・アナウンサーとして世に出て、ハリウッドで俳優となり、競演した女優と最初の結婚、第二次大戦時には戦意高揚映画に出演。

戦後、映画俳優組合の役員として組合内の共産主義シンパに強い拒否反応を持ち、徹底した反共主義と「小さな政府」の信念を抱き、マッカーシズムの「赤狩り」に協力。

妻と離婚し、ナンシー夫人と再婚(これまででは離婚歴のある唯一の大統領)。

俳優としては落ち目となり、GE(ゼネラル・エレクトリック社)提供のテレビ番組出演と講演活動を行うようになり、全米的な知名度を得る。

依然民主党員ながら、政治的には完全に保守化。

レーガンの知性を過小評価することは危険だが、彼の読書は元々持っていた自分の信念を確認し補強するために読む、という癖があった、と評されている。

そして以下の文章が記されている。

「大きな政府」を嫌悪したレーガンが巨大企業に奉仕し、自由を奉じる反共主義者がテレビ番組で細部に至るまでスポンサーの検閲に従った。

彼は率直に認めている。「一九六〇年までに私は、真の敵はビッグ・ビジネス(巨大企業)ではなく、ビッグ・ガバメント(巨大政府)だということを理解していた」。

こういう人物を真の「自由の闘士」と見ることはできない、と思う。

1952、56年の大統領選挙では共和党のアイゼンハワーに投票。

60年にも共和党候補ニクソンを支持するが、民主党のケネディが当選。

その後、レーガンは民主党を脱し、共和党入り。

ケネディ暗殺後、64年大統領選で後継現職ジョンソンに対抗して、共和党保守強硬派候補ゴールドウォーターを支持したが、結果は大敗。

だが、レーガンの雄弁は大きな注目を浴び、党内保守派の期待を集める。

1967年レーガンはカリフォルニア州知事に就任。

財政政策などでは妥協的対応を取ったが、ヴェトナム反戦運動高揚とカウンター・カルチャー拡大を背景に過激化した学生運動には毅然として対処。

経済的な保守の追求する自由な市場経済は、宗教的保守には耐えられない社会の頽廃をもたらしていた。また、保守派は「大きな政府」を批判しながら、国防予算には大きく依存していたし、それは反共主義と連動していた。

さらに、保守派は政府が個人の自由を制限することを恐れながら、大企業による個人の自由の制限や侵害には鈍感であった。

レーガンもついに、これらの矛盾を解消できなかった。

しかし、彼は経済的な保守と宗教的な保守、反共主義を兼ね備えていたし、これらの矛盾を包摂する魅力を有していた。

私は、こういう種類の「保守化」を肯定的に見ることができない。

大資本が自由放任的市場を利用して社会全体を実質的に支配し、国民はその道具と操り人形に過ぎなくなり、その実態を誤魔化すために奇矯で偏狭な宗教的原理主義(今の日本では野卑で低俗な形式主義的ナショナリズム)が煽られ、「おぞましい国家社会主義か、規制無き自由市場社会か」という二者択一に問題を歪めることで、批判者の口を封じる欺瞞がまかり通って久しい。

レーガンを含め、そうした社会で支持を受けるポピュリスト的指導者は、結局は金融資本の雇われ人です。

1968年大統領選で共和党のニクソンが政権奪回。

レーガンが副大統領となる可能性も取り沙汰されたが、実現せず。

75年初頭知事を退任、「グレート・コミュニケーター」としての能力を活かし保守派を糾合する「右派のローズヴェルト」として、76年大統領選を目指すことになる。

ウォーターゲート事件で74年ニクソンは辞任、副大統領ジェラルド・フォードが昇格。

76年建国二百周年の年、レーガンは共和党大統領候補の座を現職フォードと争って敗北、本選ではヴェトナム戦争とウォーターゲート事件に倦み清新さを求めた国民に選ばれ、民主党の新顔カーターが当選。

政治姿勢はリベラルだが、カーター自身宗教心の篤い福音派の南部出身者で、レーガンとの共通点もある。

カーター政権は、内政・外交とも不手際を重ね、特に79年はイラン革命と米大使館人質事件、第二次石油危機、ソ連軍アフガン侵攻(と本書では書かれていないがニカラグア革命)などアメリカの威信を揺るがす事件が続発。

1980年予備選挙でブッシュ(のち大統領[父])、ハワード・ベーカー(のち大統領首席補佐官、駐日大使)を下し指名獲得、本選でもカーターに地滑り的勝利を収める。

通常、保守派は歴史に社会の統合作用を求める。しかし、共通の記憶としての歴史が浅いだけに、共有できる希望としての未来に統合作用を求めるのが、アメリカの保守派の特徴である。大衆文化を熟知した「幸福な戦士」、「救済ファンタジー」に駆られたレーガンこそ、保守派の糾合そして過去と未来の架橋に適任であった。その意味で、レーガンは政治的タイムマシーンであった。

1981年「強いアメリカ」「小さな政府」を唱えるレーガンが大統領就任、70歳を迎える直前、史上最高齢の大統領となる。

政権スタッフは、国務長官ヘイグ(のちシュルツ)、国防長官ワインバーガーら。

極端に右派色の強い人物は少なく、カリフォルニア時代の側近と共和党主流派の混成チーム。

黒人閣僚は一人だけ。

レーガンは決して人種差別論者ではなかった。その点では南部の保守派とは異なる。そもそも、彼は人種問題にほとんど無関心であった。・・・・・レーガンの大統領就任時から二〇〇〇年までの間に、黒人の政治家はほぼ倍増したし、連邦議会での女性議員の比率も倍になった。同性愛者の人権状況も大幅に改善された。もちろん、それらは歴史的な潮流であって、レーガンの功績ではない。確かに、彼は人種、女性、同性愛といった「小さな物語」に無関心で、より「大きな物語」を愛したが、かといって彼を露骨な差別論者として描くことは正しくない。

政権担当時期の史実を一年ごとに細かくメモするのは止めましょうか。

ただし、本書を読む場合は、頭の中でそうした方がいいです。

外交では、軍備拡大と対ソ強硬路線で、冷戦最終段階のソ連を追い詰める。

内政では、大幅減税と軍事費拡張を組み合わせた「レーガノミックス」は、財政と貿易収支の「双子の赤字」をもたらす。

まず前者について言えば、衰退期に入っていたソ連の軍拡と膨張主義に対抗措置を取る必要があったことは全く疑いの余地は無い。

しかし、SDI(戦略防衛構想)は熟慮の上で作られたものとは言い難いし、アフガンの反ソ・ゲリラに対する過剰支援はのちにアルカイダを生み、アメリカ自身の首を絞める結果となったし、イラン・コントラ事件のような醜聞も発生したし、グレナダ侵攻という措置が必要だったのかは、本書を読む限り疑わしい。

後者の内政については、表面上かつ一時的な経済活況をもたらしたとは言え、その評価はより厳しいものにならざるを得ない。

政府支出と財政赤字の拡大が雇用と経済成長をもたらしたとすれば、それはケインズ経済政策の成功と言えた。にもかかわらず、「レーガノミックス」の成功が喧伝された。

・・・・・確かに、景気は回復し株価は上昇していた。人々はクレジット・カードで買い物を続けた。アメリカ社会はよく言えば豊かさ、有り体に言えば貪欲に身を委ねようとしていた。ある雑誌はこれを南北戦争後の「メッキ時代」にたとえた。その影で、財政赤字と貿易赤字という「双子の赤字」は拡大の一途であった。離婚率も上昇していた。政府は問題を解決できないというレーガンの診断は正しかったが、「小さな政府」と規制緩和という彼の治療法は必ずしも適切ではないと、やがて人々は認識するようになる。

・・・・・レーガンの大統領就任時と退任時を比べると、財政赤字はほぼ三倍に膨れ上がり、貿易赤字も過去最高額に達していたのである。失業率もわずかながら上昇していた。

しかも、貧富の格差が拡大していた。確かに、レーガン時代に数百万の雇用が創出されたが、その大半は低賃金労働であった。かつて組合活動で名を上げた大統領の在任期間に、全米の組合加盟率は二三%から一七%に低下した。こうして、一九七九年には上位一%の富裕層が国富の二二%を保有していたが、八九年にはそれが三九%になっていた。

繁栄の影で貧困が広がる姿は、まさに『二都物語』であった。

アイゼンハワー以来、二期八年を全うした初の大統領として退任、後継のブッシュ(父)を当選させ、引退。

94年アルツハイマー病を公表、2004年死去。

政治的立場の左右を問わない賛美と崇拝の対象となるが、結局その表面的国民統合は、大資本と富裕層の暴走を覆い隠す役割を果たすだけの偽物と断じざるを得ない。

その後継であり、「レーガン革命」の果実を享受した共和党右翼過激派は、さらに劣悪なエピゴーネンに成り果てている。

「保守運動は成功の犠牲者である」とショーン・ウィレンツは言う。所期の目標を失った保守派は、新たな「大きな物語」の定義をめぐって再び対立し始めた。しかも、彼らはレーガンという政治的メディアを失った。保守派はレーガンの偶像化によって分裂を食い止めようとしたが、ますます過激になっていった。冷戦下でハルマゲドンを恐れたレーガンの自制心を、ブッシュ[これは子の方を指すんでしょう――引用者註]は持たなかった。前者にとって「強いアメリカ」は回復すべき目標だったが、後者にとっては所与の出発点だったのである。減税と「小さな政府」を強引に求める二一世紀のティーパーティー運動にも、「実際的なイデオローグ」の慎重さや寛容は見られない。

そして、激しい経済紛争にも関わらず、日米同盟を緊密化し、「新保守主義」の盟友として、「ロン・ヤス」関係を作り上げた日本の中曽根康弘政権に対しての評価も、かつてと異なり、変えざるを得ないなと私は感じています(イギリスのサッチャー政権に対しても同様)。

 

 

非常に良い。

大統領任期中に限らず、その生涯をバランスよく記述。

文章も流暢で、話の運びもスムーズで巧い。

煩瑣でもなく、簡略過ぎもしない、ちょうどいいレベルの説明。

著者の政治的立場に疑念を持つ向きもあるかもしれないが、本書に限って言えば、レーガンおよびアメリカに対する批判的視点は十分に保たれていると感じた。

有益かつ良好な伝記として推奨します。

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