万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年7月26日

和田春樹 『北朝鮮現代史』 (岩波新書)

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2012年刊。

金日成の満州での抗日運動から金正日の死までを記す。

私にとって、全世界史のあらゆる時代のあらゆる地域の中で、最も絶大な嫌悪を持つ国家の通史。

この著者については、2002年日朝首脳会談と拉致事件発覚以前は、相当の不信感を持っていたし、しかも岩波刊とくればかなり身構えてしまうが、それから10年経って、まあさすがにそうそう妙なことは書いてないだろうと思ったので、手に取ってみる。

 

金日成は1912年生まれ。

本名は金成柱。

父親の金亨稷は民族主義団体に関係し逮捕、出獄後満州に移住。

金日成も満州の中国人向け中学校で学び、マルクス主義に触れ、逮捕。

コミンテルンによる朝鮮独自の共産党分派解散方針もあり、1931年金日成は中国共産党に入党。

満州事変後、中国共産党配下で抗日武装闘争を展開。

日本軍の厳しい討伐を受け、1940年ソ連に越境避難。

1942年ソ連領内で金正日誕生。

1945年ソ連参戦と日本降伏で、米ソに分割占領された朝鮮に帰国。

ソ連占領下の朝鮮北部で、キリスト者曺晩植を中心とする民族主義勢力を抑圧、ソウルの朴憲永を代表とする朝鮮共産党中央に対抗する形で、朝鮮共産党北部朝鮮分局(45年10月)、北朝鮮臨時人民委員会(46年2月)が成立、金日成がトップに立てられるが、この時点では決して絶対的存在ではない。

さらに共産党と衛星政党の新民党を合併して、46年8月北朝鮮労働党結成(少し後に南朝鮮労働党も結成、朴憲永が委員長)。

統一をめぐる米ソ交渉は決裂、48年南での単独選挙を経て大韓民国建国、次いで朝鮮民主主義人民共和国成立。

首相は金日成だが、政権内には金日成直系の満州派、ソ連派、延安(中国)派、国内派(植民地時代朝鮮内で抗日運動を行っていた人々)、甲山派(国内派の中で金日成部隊と連携していたグループ、甲山は地名)、南労党派(朴憲永ら南での弾圧から逃れ合流した人々)などの派閥が存在。

満州派=金日成、崔庸健、金策、金一、崔賢、林春秋、崔光、朴成哲

ソ連派=許ガイ、朴昌玉、朴永彬

延安派=朴一禹、金枓奉、崔昌益、武亭、金昌満

国内派=呉琪燮、金鎔範、朱寧河

甲山派=朴金喆、李孝淳

南労党派=朴憲永、李承燁

スターリン、毛沢東の許可を得て、1950年韓国に侵攻、朝鮮戦争勃発。

よく知られているように戦線は半島の南北を往復し、事実上の米中戦争に発展、53年休戦。

金日成は軍事的には失敗したが、その責任を追及されること無く、国内では政治的には勝利、朴憲永らは逮捕、朴一禹は内相解任、許ガイは自殺、と南労党系、延安系、ソ連系のトップがそれぞれ失脚。

ただし南労党系を除いて、ソ連系、延安系は派としては存続。

戦後復興の中で、55年逮捕されていた朴憲永が処刑されると、さらに粛清が進み、主にソ連系が批判の対象となる。

だがここで、56年ソ連のスターリン批判が大きな衝撃をもって伝えられ、その個人崇拝批判に力づけられ、ソ連系と延安系が金日成排除の動きを見せるが、あえなく敗北。

ソ連および中国の介入で粛清は一時停止したが、58年には大量逮捕と処刑で反対派は一掃される。

満州派と甲山系が権力を独占する体制が完成、61年には中ソと友好協力相互援助条約を締結、中ソ等距離外交、自主路線を確立。

60年学生革命で李承晩が失脚、61年軍事クーデタと混乱が続く韓国に対しても優位を保っているように見られた。

以後の経緯を思うと、金日成以外なら誰でもよいと感じて、この一元的独裁体制確立を残念に思うが、しかしまあここまでは他の共産主義国と同様程度の状態と言える。

問題はここからである。

さらに異常な、史上類を見ないような徹底した全体主義体制、「遊撃隊国家」に突き進んでしまうことになる。

60年代中ソ対立では、当初より急進的な中国に傾斜するが、文化大革命が始まるとその秩序破壊傾向が自国の超スターリン主義的体制に及ぶのを恐れ、中国から距離を置きソ連と関係回復、「主体(チュチェ)思想」という奇怪なものを提唱しだして、自主独立路線(というか唯我独尊路線)を採用。

韓国は朴正煕政権下、65年日韓基本条約とヴェトナム派兵によって経済建設を軌道に乗せ、北の優位を抜き去る勢いを見せる。

韓国への武装ゲリラ派遣などで緊張が高まる中、北朝鮮国内では甲山系にも粛清の手が及び、またもや弾圧の嵐が吹き荒れる。

その結果出現したのは、(スターリン、毛沢東、ポル・ポト時代の最悪期を除けば)共産主義国家の基準に照らしても異常極まりない、首領絶対制の個人崇拝国家である。

結局、ここで打ち出された路線は、金日成と満州派がいて、党があって、大衆がいるというのではなく、金日成が唯一人の司令官で、国民全体が遊撃隊員であることを求める路線であった。満州派を脱実体化して、それを国家的に拡大し、全国民の満州派化、遊撃隊員化を進める、つまり、全国民を首領の戦士化するということである。「唯一思想体系」の中での核は唯一革命伝統ということである。満州派の革命伝統もいろいろあってはならない、革命伝統は金日成の伝統のみであるという考え方なのである。

北朝鮮のような国家で政治的に批判を受けることが、本人と家族にとって何を意味するのかを考えると、慄然とする。

漏れ伝わってくる情報は、もはや正気の沙汰ではない。

その残虐性、冷酷性は比喩で無しにナチと同等だ。

我々としてはそれを朝鮮民族の国民性に帰するような言動は決してすべきではないが、日本の過去を糾弾し続ける韓国人には、同胞が史上最悪の残忍な独裁制を生んだことをもっと深刻に受け止めるべきなんじゃないんですかと言いたくなる。

この時期、北朝鮮に駐在していた北ヴェトナム大使による批判的発言が本書で引用されている。

北ヴェトナム自身が民族統一を武力一本槍で成し遂げようとしており(よって北朝鮮にとっての刺激と模範になった)、南北統一後、教条的社会主義化で多数の難民を生んだことは事実だが、それでも今のヴェトナムと北朝鮮を比べれば、両国の政権党およびホー・チミンと金日成の人物には雲泥の差があると言わざるを得ない。

1972年米中接近に対応して、南北共同声明を発表、韓国との初の対話に乗り出す。

同年金日成は首相から国家主席に就任。

74年金正日が後継者に決定されるが、同じ頃、西側諸国からのプラント輸入による成長政策は石油危機で挫折、経済不振が外部の目にも隠せなくなる。

一方、高度経済成長を遂げた韓国では、79年朴正煕が暗殺、80年光州事件勃発。

朴政権と続く全斗煥政権は常に西側メディアでその「非民主性」「抑圧性」を批判されていたが、対峙する隣国の北朝鮮がどれほど異常な独裁国家かを考えれば、極めてバランスに欠けた不当な見方と思える。

北朝鮮は83年ラングーン事件、87年大韓航空機爆破などのテロを実行するも、韓国はますます国力を高め、盧泰愚政権は選挙による正統性を確保、88年ソウル五輪も開催、東欧共産圏崩壊と冷戦終了後、90年韓ソ国交樹立。

ソ連消滅と経済援助減少で北の経済は崩壊状態となり、91年かつては否定していた南北朝鮮国連同時加盟に同意、92年には中韓も国交樹立、同時期行われていた日朝国交交渉は進展せず、国際的孤立を深める。

この日朝交渉について、著者は日本政府の姿勢を批判的に述べつつも、

もちろん北朝鮮が金日成の部隊の戦闘を交戦国間の戦争と主張するのは無理であった。

とも書いており、「へえ、こういうことはきちんと認めているのか」と意外に感じた。

窮地の北朝鮮は核開発のカードを切り、瀬戸際外交を繰り広げる。

1993~94年に第一次朝鮮半島核危機。

私、この時、「これ本当に戦争になるんじゃないか、日本も本当に危ないんじゃないか」と思ったのをはっきり覚えています。

結局カーター元大統領訪朝をきっかけに妥協が成立、米朝枠組み合意成立。

同94年金日成死去。

やっと死んだか、という感じ。

後を継いだ金正日は軍の掌握維持に全力を投じる。

「国防委員会」が事実上国家の最高機関とされ、「先軍政治」を唱道、最悪の経済状態で軍のみは優遇。

フランス革命がナポレオン帝政に転化した経験から、通常、共産主義政党はボナパルティズムを警戒し、政治委員を通じて軍隊を徹底的に統制し、党優位を徹底するものだが、金正日は軍という暴力装置を把握することにのみ集中し、他の全てを犠牲にする。

その結果は、独裁体制の維持という一面のみを見るならば、残念ながら「成功」と言わざるを得ない。

国民が数十万人餓死するが、軍を中核にした抑圧体制は揺るぎを見せず、早期の体制崩壊を予想する意見に反し、現在に至るまで二十年以上続いてしまっている。

2000年韓国の金大中政権の「太陽(包容)政策」に応じて、南北首脳会談実現、

01年同時多発テロ後の米国に脅威を覚えた北は02年日朝首脳会談で拉致を認めたが、同年核問題が再燃、06年核実験実施。

2011年金正日死去、金正恩が後継。

 

共産主義という悪夢に等しい運動がようやく退潮した中、何の因果か、よりによって最も異常な国家が日本の隣で残ってしまった。

この北朝鮮という国家は、道義的には内政不干渉の原則を反故にして外部から武力で打倒しても許されるほど、劣悪極まりない国だと個人的には思っている。

だが現実的には、あの国の軍事力の蓄積と狂信性、それがもたらす被害を考えると、戦争という選択肢を取るのは不可能である。

残念ながら、人類史上最も徹底した全体主義体制は我々の常識を超えるほどの強靭性を持っているようだ。

とりあえず現政権を交渉相手と認め、妥協によって国際社会の最低限の行動規範を守らせる以外に道は無いでしょう。

それで事態が好転し、徐々に体制に綻びが見えるのを待つしか無い。

核凍結と拉致問題解決の為には、国民感情から言って受け入れ難いことではあるが、確実な検証を条件として、取引の代償として相手に経済援助という報償を与えることも、場合によってはやむを得ないでしょう。

無原則な譲歩はもちろん絶対にすべきではないが、冷静な交渉を阻害する(あるいは交渉の必要性自体を否定する)硬直した強硬論も同様に退けるべきです。

感情的になることを自戒しつつ、外交当局による交渉を冷静に見守る以外、我々一般国民にできることは無いでしょう。

 

 

思ったほど悪くない。

違和感を感じる記述は間違いなくあるが、「読むに耐えない」という部分はほぼ無かった。

史実がよく整理されて読みやすい形で叙述されているだけでも本書の利点はある。

普通に推薦できます。

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