万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年7月30日

郭沫若 『歴史小品』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 06:56

近代中国文学では魯迅の次くらいの知名度を誇る作者の短編歴史小説集。

1936年初版。

登場人物は、老子、荘子、孔子、孟子、始皇帝、項羽、司馬遷、賈誼(前漢文帝時代の文人政治家)の8人。

どれもごく短く読みやすい。

しかし内容は・・・・・。

結論を言うと、つまらないです。

思想家たちの編は性急な偶像破壊的記述がやや浅薄な印象を与えるし、それ以外の人物についても、言動が現代風にアレンジされ過ぎている感がして相当の違和感あり。

著者の本領は別の著作に表われているのかもしれないが、今のところ強いて読む気がしない。

2016年7月26日

和田春樹 『北朝鮮現代史』 (岩波新書)

Filed under: 朝鮮 — 万年初心者 @ 04:04

2012年刊。

金日成の満州での抗日運動から金正日の死までを記す。

私にとって、全世界史のあらゆる時代のあらゆる地域の中で、最も絶大な嫌悪を持つ国家の通史。

この著者については、2002年日朝首脳会談と拉致事件発覚以前は、相当の不信感を持っていたし、しかも岩波刊とくればかなり身構えてしまうが、それから10年経って、まあさすがにそうそう妙なことは書いてないだろうと思ったので、手に取ってみる。

 

金日成は1912年生まれ。

本名は金成柱。

父親の金亨稷は民族主義団体に関係し逮捕、出獄後満州に移住。

金日成も満州の中国人向け中学校で学び、マルクス主義に触れ、逮捕。

コミンテルンによる朝鮮独自の共産党分派解散方針もあり、1931年金日成は中国共産党に入党。

満州事変後、中国共産党配下で抗日武装闘争を展開。

日本軍の厳しい討伐を受け、1940年ソ連に越境避難。

1942年ソ連領内で金正日誕生。

1945年ソ連参戦と日本降伏で、米ソに分割占領された朝鮮に帰国。

ソ連占領下の朝鮮北部で、キリスト者曺晩植を中心とする民族主義勢力を抑圧、ソウルの朴憲永を代表とする朝鮮共産党中央に対抗する形で、朝鮮共産党北部朝鮮分局(45年10月)、北朝鮮臨時人民委員会(46年2月)が成立、金日成がトップに立てられるが、この時点では決して絶対的存在ではない。

さらに共産党と衛星政党の新民党を合併して、46年8月北朝鮮労働党結成(少し後に南朝鮮労働党も結成、朴憲永が委員長)。

統一をめぐる米ソ交渉は決裂、48年南での単独選挙を経て大韓民国建国、次いで朝鮮民主主義人民共和国成立。

首相は金日成だが、政権内には金日成直系の満州派、ソ連派、延安(中国)派、国内派(植民地時代朝鮮内で抗日運動を行っていた人々)、甲山派(国内派の中で金日成部隊と連携していたグループ、甲山は地名)、南労党派(朴憲永ら南での弾圧から逃れ合流した人々)などの派閥が存在。

満州派=金日成、崔庸健、金策、金一、崔賢、林春秋、崔光、朴成哲

ソ連派=許ガイ、朴昌玉、朴永彬

延安派=朴一禹、金枓奉、崔昌益、武亭、金昌満

国内派=呉琪燮、金鎔範、朱寧河

甲山派=朴金喆、李孝淳

南労党派=朴憲永、李承燁

スターリン、毛沢東の許可を得て、1950年韓国に侵攻、朝鮮戦争勃発。

よく知られているように戦線は半島の南北を往復し、事実上の米中戦争に発展、53年休戦。

金日成は軍事的には失敗したが、その責任を追及されること無く、国内では政治的には勝利、朴憲永らは逮捕、朴一禹は内相解任、許ガイは自殺、と南労党系、延安系、ソ連系のトップがそれぞれ失脚。

ただし南労党系を除いて、ソ連系、延安系は派としては存続。

戦後復興の中で、55年逮捕されていた朴憲永が処刑されると、さらに粛清が進み、主にソ連系が批判の対象となる。

だがここで、56年ソ連のスターリン批判が大きな衝撃をもって伝えられ、その個人崇拝批判に力づけられ、ソ連系と延安系が金日成排除の動きを見せるが、あえなく敗北。

ソ連および中国の介入で粛清は一時停止したが、58年には大量逮捕と処刑で反対派は一掃される。

満州派と甲山系が権力を独占する体制が完成、61年には中ソと友好協力相互援助条約を締結、中ソ等距離外交、自主路線を確立。

60年学生革命で李承晩が失脚、61年軍事クーデタと混乱が続く韓国に対しても優位を保っているように見られた。

以後の経緯を思うと、金日成以外なら誰でもよいと感じて、この一元的独裁体制確立を残念に思うが、しかしまあここまでは他の共産主義国と同様程度の状態と言える。

問題はここからである。

さらに異常な、史上類を見ないような徹底した全体主義体制、「遊撃隊国家」に突き進んでしまうことになる。

60年代中ソ対立では、当初より急進的な中国に傾斜するが、文化大革命が始まるとその秩序破壊傾向が自国の超スターリン主義的体制に及ぶのを恐れ、中国から距離を置きソ連と関係回復、「主体(チュチェ)思想」という奇怪なものを提唱しだして、自主独立路線(というか唯我独尊路線)を採用。

韓国は朴正煕政権下、65年日韓基本条約とヴェトナム派兵によって経済建設を軌道に乗せ、北の優位を抜き去る勢いを見せる。

韓国への武装ゲリラ派遣などで緊張が高まる中、北朝鮮国内では甲山系にも粛清の手が及び、またもや弾圧の嵐が吹き荒れる。

その結果出現したのは、(スターリン、毛沢東、ポル・ポト時代の最悪期を除けば)共産主義国家の基準に照らしても異常極まりない、首領絶対制の個人崇拝国家である。

結局、ここで打ち出された路線は、金日成と満州派がいて、党があって、大衆がいるというのではなく、金日成が唯一人の司令官で、国民全体が遊撃隊員であることを求める路線であった。満州派を脱実体化して、それを国家的に拡大し、全国民の満州派化、遊撃隊員化を進める、つまり、全国民を首領の戦士化するということである。「唯一思想体系」の中での核は唯一革命伝統ということである。満州派の革命伝統もいろいろあってはならない、革命伝統は金日成の伝統のみであるという考え方なのである。

北朝鮮のような国家で政治的に批判を受けることが、本人と家族にとって何を意味するのかを考えると、慄然とする。

漏れ伝わってくる情報は、もはや正気の沙汰ではない。

その残虐性、冷酷性は比喩で無しにナチと同等だ。

我々としてはそれを朝鮮民族の国民性に帰するような言動は決してすべきではないが、日本の過去を糾弾し続ける韓国人には、同胞が史上最悪の残忍な独裁制を生んだことをもっと深刻に受け止めるべきなんじゃないんですかと言いたくなる。

この時期、北朝鮮に駐在していた北ヴェトナム大使による批判的発言が本書で引用されている。

北ヴェトナム自身が民族統一を武力一本槍で成し遂げようとしており(よって北朝鮮にとっての刺激と模範になった)、南北統一後、教条的社会主義化で多数の難民を生んだことは事実だが、それでも今のヴェトナムと北朝鮮を比べれば、両国の政権党およびホー・チミンと金日成の人物には雲泥の差があると言わざるを得ない。

1972年米中接近に対応して、南北共同声明を発表、韓国との初の対話に乗り出す。

同年金日成は首相から国家主席に就任。

74年金正日が後継者に決定されるが、同じ頃、西側諸国からのプラント輸入による成長政策は石油危機で挫折、経済不振が外部の目にも隠せなくなる。

一方、高度経済成長を遂げた韓国では、79年朴正煕が暗殺、80年光州事件勃発。

朴政権と続く全斗煥政権は常に西側メディアでその「非民主性」「抑圧性」を批判されていたが、対峙する隣国の北朝鮮がどれほど異常な独裁国家かを考えれば、極めてバランスに欠けた不当な見方と思える。

北朝鮮は83年ラングーン事件、87年大韓航空機爆破などのテロを実行するも、韓国はますます国力を高め、盧泰愚政権は選挙による正統性を確保、88年ソウル五輪も開催、東欧共産圏崩壊と冷戦終了後、90年韓ソ国交樹立。

ソ連消滅と経済援助減少で北の経済は崩壊状態となり、91年かつては否定していた南北朝鮮国連同時加盟に同意、92年には中韓も国交樹立、同時期行われていた日朝国交交渉は進展せず、国際的孤立を深める。

この日朝交渉について、著者は日本政府の姿勢を批判的に述べつつも、

もちろん北朝鮮が金日成の部隊の戦闘を交戦国間の戦争と主張するのは無理であった。

とも書いており、「へえ、こういうことはきちんと認めているのか」と意外に感じた。

窮地の北朝鮮は核開発のカードを切り、瀬戸際外交を繰り広げる。

1993~94年に第一次朝鮮半島核危機。

私、この時、「これ本当に戦争になるんじゃないか、日本も本当に危ないんじゃないか」と思ったのをはっきり覚えています。

結局カーター元大統領訪朝をきっかけに妥協が成立、米朝枠組み合意成立。

同94年金日成死去。

やっと死んだか、という感じ。

後を継いだ金正日は軍の掌握維持に全力を投じる。

「国防委員会」が事実上国家の最高機関とされ、「先軍政治」を唱道、最悪の経済状態で軍のみは優遇。

フランス革命がナポレオン帝政に転化した経験から、通常、共産主義政党はボナパルティズムを警戒し、政治委員を通じて軍隊を徹底的に統制し、党優位を徹底するものだが、金正日は軍という暴力装置を把握することにのみ集中し、他の全てを犠牲にする。

その結果は、独裁体制の維持という一面のみを見るならば、残念ながら「成功」と言わざるを得ない。

国民が数十万人餓死するが、軍を中核にした抑圧体制は揺るぎを見せず、早期の体制崩壊を予想する意見に反し、現在に至るまで二十年以上続いてしまっている。

2000年韓国の金大中政権の「太陽(包容)政策」に応じて、南北首脳会談実現、

01年同時多発テロ後の米国に脅威を覚えた北は02年日朝首脳会談で拉致を認めたが、同年核問題が再燃、06年核実験実施。

2011年金正日死去、金正恩が後継。

 

共産主義という悪夢に等しい運動がようやく退潮した中、何の因果か、よりによって最も異常な国家が日本の隣で残ってしまった。

この北朝鮮という国家は、道義的には内政不干渉の原則を反故にして外部から武力で打倒しても許されるほど、劣悪極まりない国だと個人的には思っている。

だが現実的には、あの国の軍事力の蓄積と狂信性、それがもたらす被害を考えると、戦争という選択肢を取るのは不可能である。

残念ながら、人類史上最も徹底した全体主義体制は我々の常識を超えるほどの強靭性を持っているようだ。

とりあえず現政権を交渉相手と認め、妥協によって国際社会の最低限の行動規範を守らせる以外に道は無いでしょう。

それで事態が好転し、徐々に体制に綻びが見えるのを待つしか無い。

核凍結と拉致問題解決の為には、国民感情から言って受け入れ難いことではあるが、確実な検証を条件として、取引の代償として相手に経済援助という報償を与えることも、場合によってはやむを得ないでしょう。

無原則な譲歩はもちろん絶対にすべきではないが、冷静な交渉を阻害する(あるいは交渉の必要性自体を否定する)硬直した強硬論も同様に退けるべきです。

感情的になることを自戒しつつ、外交当局による交渉を冷静に見守る以外、我々一般国民にできることは無いでしょう。

 

 

思ったほど悪くない。

違和感を感じる記述は間違いなくあるが、「読むに耐えない」という部分はほぼ無かった。

史実がよく整理されて読みやすい形で叙述されているだけでも本書の利点はある。

普通に推薦できます。

2016年7月24日

トルストイ 『光あるうちに光の中を歩め』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:13

2世紀ローマ帝国治下、小アジアのキリキアを舞台にした、富裕な商人の息子ユリウスとその親友である解放奴隷の息子パンフィリウスの物語。

原始キリスト教を奉じるパンフィリウスと、それに魅かれながら世俗の論理に何度も押し留められるユリウスとの対話が主な内容。

最後にユリウスはすべてを投げ打ってキリスト教徒の共同体に参加することになるのだが、キリスト教的理想主義に対比される世俗的現実主義にもかなりの言い分を感じてしまう。

実際、この作品は作者の意図とは逆に、世俗的現実主義を主張する言葉に多くのページが費やされ説得力が感じられてしまうとして、トルストイ自身はお蔵入りにしようとしたという。

本当は理想と現実の双方を踏まえて、よりよき均衡を取ろうとするのが正しいんでしょうけどね。

理想主義一本槍のトルストイ主義にもついていけないが、かと言ってただのエゴイズムと物質主義を自由と効率の名の下に肯定するしか能がない現代社会は全くもって醜悪です。

原始キリスト教から進化したローマ・カトリックや(トルストイが強く批判した)ロシア正教会のような伝統的宗教は、実はそうした理想と現実のバランスを達成するために長い年月をかけて生まれたものであり、腐敗や形式主義など、たとえどれほどの表面的欠陥があろうとも、やはり基本的には守るべきものなんではないか、と思えてくる。

トルストイのように原始キリスト教のみを理想視するのはどうかと・・・・・。

 

短い上に読みやすく面白い。

良き佳作。

2016年7月20日

T・S・エリオット 『文化の定義のための覚書』 (中公クラシックス)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 07:06

トマス・スターンズ・エリオットは、1888年米国セントルイス生まれの詩人。

『荒地』『四つの四重奏』が代表作だが、一般にはミュージカル『キャッツ』の原作者と言った方が一番通りがいいか。

1927年英国に帰化、国教会に入信、1948年ノーベル文学賞受賞、1965年没。

この人の保守思想家としての一面は西部邁『思想の英雄たち』で知った。

恥ずかしながら、一時D・H・ロレンスと混同していたことがあった。

(むしろ基本的には対立する関係だったのに。)

本書冒頭の解説は本文の要約として適切。

「文学上は古典主義者、政治上は王党派、宗教上においてはアングロ・カトリック」という自己定義は有名。

(ここでの「アングロ・カトリック」はイギリス国教会のこと。)

(1961年版の[本書初版は1948年])序文でも「・・・・・著者のいまの立場を表すのは、君主制を現在も採用しているあらゆる国が、その制度を保ち続けることに賛成であるということであろう。」と記されている。

(私自身も21世紀の現在において全く同じことを思います。)

本文に入ると、まず文化の総合性を指摘。

個人や集団の文化の総和ではない、一体となった社会全体の文化を把握する必要を説く。

時代の進化にともない職能上の複雑化と専門化が生じても、その必要性は変わらない。

意識化の度合いの高まり、過度の分化が、諸分野の関係断絶状態を通じて、文化の全体性喪失と崩壊に繋がる。

それを防ぐ文化の基盤として、宗教の存在が挙げられる。

文化とは一国民の宗教の化身であるとされる(ただし文化と宗教の完全な同一視には著者は反対している)。

懐疑主義そのものは不信心や破壊性を意味するものではなく、必要なものではあるが、絶対懐疑主義は弱さの表われで文化を死に至らしめる。

社会の分化自体は必然であり、そこから諸階級が生まれる。

その階層性を否定し、原子論的社会観に立つと、結局エリート集団による能力主義的な選抜と競争を通じた統治が行われるしかない。

エリート諸集団の専門化・孤立化が進行し、相互作用が欠如する。

かつての社会では、階級が「器・母体・基盤」として存在し、社会全体の文化の継続性・一貫性を確保し、そこから選び出された少数のエリートが文化の硬直化を防いでいた。

だが、一つの平板な原子的個人の集まりからだけ抽出されるエリートには、そうした役割は望めない。

能力が卓越しているという理由だけで個人として[階級と無縁に]のし上がってきた人たちで構成されたエリート集団においては、文化的素地の相違が甚だしいので、その構成員たちはその辺にころがっている共通の関心事だけによって結びつき、ほかのあらゆる点ではばらばらの状態にあるということになる。

その時の実利的社会状況に適合しているだけの「能力的卓越性」を持った人間が、「その辺にころがっている共通の関心事」で結合しても、文化は低質化する一方である。

そもそも文化伝達の主要な経路は、依然として家族である。

そして過去と未来への畏敬の念が階級を構成する。

伝統と慣習によって与えられる無意識のレベルも重要。

限定された目的ではない文化の全体に通じることができない以上、階級的背景を欠いた能力主義的エリートのみによる支配は必ず失敗する。

その具体例として、ソ連のプロレタリア独裁と並んで、南北戦争後の米国における金権政治上のエリート支配と格差拡大、絶対王政下フランス貴族の無力化とブルジョワへの同化、仏革命後第三共和政の不安定を挙げているのは面白い。

ジョージ・オーウェルの書評(本書解説で紹介されている)のように、この主張を特権階級の一方的擁護論だとの批判に対し、著者は以下のように応える。

ここでいえるのは、支配階級は、たとえどれほどひどいやり方でその役割を果たしていたとしても、強制的に除去されれば、その階級の役割が完全に別の集団によって引き継がれることはないということである。

階級構造のある社会の擁護論、そういう社会は、ある意味で「自然な」社会であるとして、これを肯定する論は、われわれが、貴族階級と民主主義を対照的に捉えて、催眠術をかけられたような状態に陥ってしまっていると、毀損される。もしわれわれが、これら二つの語を対蹠的に用いれば、問題全体は歪曲される。著者が提示したのは、「貴族階級の擁護」などではない。――つまり社会の一つの組織の重要性を強調することなどではない。そうではなくて、他のすべての階級が独特の、本質的に重要な役割を果たしているように、貴族階級も独特の、本質的に重要な役割を果たすような形態の社会の必要性を申し立てることなのである。大切なのは、「最上層」から「底辺」に至るまで、幾層もの文化レベルが相接して存在する社会的構造である。上層をなすレベルは下層をなすレベルよりも多量に文化を蔵していると見なすべきではなく、上層をなすレベルは意識化の度合いの高い文化、より専門化した文化を表しているに過ぎないということを心に留めておくのは重要である。

筆者は、真の民主主義はこうしたさまざまに異なる文化のレベルを包含していなければ、維持されえないという見方に傾いている。比較的レベルが高くて比較的小規模の集団が、比較的レベルが低くて比較的大規模の集団と同等の力をもつ限り、文化のレベルはまた、力のレベルのように見なされえよう。というのは、完全なる平等は無責任の遍在を意味する、という主張は成立可能だからだ。しかし筆者が思い描くような社会では、個人はそれぞれ自分が引き継いだ社会的地位に応じて、国家に対する責任を、大小の差はあれ、引き継ぐことになるだろう。すなわちそれぞれの階級がいくらか差異のある責任を負うことになろう。すべての人がすべての事柄において等しい責任を負うような民主主義であったら、それは良心的な人々にとっては抑圧的なものとなるであろうし、残余の良心的でない人々にとっては、やりたい放題やれるという底のものとなるであろう。

ある社会の中で多様な階層性の存在が重要なことと全く同じように、文化の繁栄のためには、また地域の統一性と多様性のバランスも重要。

中央と地方の相互依存と対立と求心力が均衡していなければならない。

国際社会においても同様。

世界文化がもし実現すれば、それは悪夢としての画一的文化でしかない。

だが、仮構としての統整的理念としてなら有用。

著者は、宗教においても多様性擁護の観点から近世宗教改革の新旧教分裂を肯定的に捉え、プロテスタントにおける国家と教会の分離もよしとする。

三十年戦争、ピューリタン革命など、宗教戦争の悲惨もあったが、英国内の正統はあくまで国教会であるとし、しかし他の教会が豊かな貢献をしていることも十分認めている。

文化の枠組みの中に政治が位置づけられている限り、政治への関心や実践はすべての人の務めとは言えない。

あるいはそうであったとしても、同程度・同平等責任ではない。

ここでも階層性による役割の違いがあって然るべき。

もしそれが無ければ、最も低質で凡庸な意見の勝利がもたらされるだけである。

文化が重層構造をなしている社会、権力や権威が重層構造をなしている社会においては、政治家は発言を行う際に、少なくとも手垢のついた言葉は使うまいとする気構えをもつかもしれない。なぜらなその場合、政治家は少数ながら、散文の規準というものを維持し、批判力に富む人々の見識に対して尊敬の念を抱き、そうした人々の嘲笑を恐れる気持ちを抱くからである。

現在のようにネットというメディアで、すべての発言が相対化されて評価されるようになれば、その価値判断の規準は目を覆いたくなるほど低級化するしかない。

本書では、その規準を保つ上層階級における古典古代の歴史と政治学教育の重要性を主張。

そこには、現代社会の思考上便利な道具となっている民衆という巨大な非人格的エネルギーではなく、個々の人間の情熱が取り上げられているからである。

ごく最近になって現れた政治理論の類いは、従来の政治理論に比べると、人間性にさして関心を払っていない。この種の政治理論は、最も好ましいと見なされる政治形態であれば、それがどのようなものであれ、これに適合するように常に新たに作り直されうるものとして、人間性を扱う傾向がある。・・・・・大衆という空漠としたものの中にのみ人間性を見つけようとしているので、それは倫理から離脱する傾向がある。

社会主義はもちろん、自由民主主義の理論についても当てはめるべき言葉だ。

続けて、教育への過大評価を批判。

知恵と学問への敬意を与えることを越えて、政治的動機付けを行う過剰教育が過少なそれと同様に不幸の原因となりうることを指摘。

機会均等と能力主義の観点から教育の重視が言われるが、教育が普及しないせいで名も無きミルトンが埋もれている可能性が確かにあるものの、その代わり流血の惨事をもたらしたクロムウェルのような人物も生まずに済んでいる面もあるはずだ、と著者は述べる。

加えて、その教育自体が産業社会の効率性への過剰適応によって歪められている。

社会階層の区別が消滅するにつれて、形式的平等社会の中でむしろ醜い妬みとエゴが拡大する。

流行の政治社会理論が大衆の頭に注入され、古典的伝統的学問の継承が断絶。

そこにやって来るのは、歪んだ学歴社会である。

諸階級を保全した上で、その内部で下層階級から優れたものを選び出し、例外的に階層を引き上げることは有益だが、のっぺらぼうの大衆社会から実利的関心だけによって選ばれたエリートは文化的には劣弱と言う他無い。

エリート集団に牛耳られた社会への完全な適合を目指す教育制度は、教育を社会的成功につながるもののみに限定し、社会的成功を、その制度の内部において優等生であった者のみに与えることにもなろう。いくつかの試験に合格し、心理学者によって考案されたテストにおいて優秀な結果を示した人々のみによって支配され、方向づけられる社会の先行きは、安心できるものではない。

「識者」や経済界の圧力で、大学教育をビジネスに適合的なものに「改革」するというような報道に接すると、日本も本格的な衰亡期に入ったなとつくづく感じます。

そうした「改革」を推進する勢力が「保守」を自称し、むしろリベラルな人々がそれに反対しているのを見ると、もう口を開く気も無くなります。

 

 

著作が入手しにくい思想家について手頃で読みやすい本はありがたい。

中公クラシックスの中でも特に嬉しい収録作。

初心者でも十分読みこなせる内容。

堅実な良書。

2016年7月18日

トオマス・マン 『トニオ・クレエゲル』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:36

内向的で気弱で繊細だが、知的な少年が、中年の文学者となり、少年時代に接した事物や人物に再会する描写を通じて、芸術・精神と日常・世俗性を対比し、そのどちらにも徹することができない人間の苦しみを指摘しつつ、それを否定せず受け入れるべきことを示した作品、なんてまとめは正しいのか。

短編であり、読むのは楽。

他にはどうということも無い。

確か再読だったか。

学生時代に読んだ感覚がある。

内容はほぼ忘れていたが。

強い感銘などは無い。

ただ読んだ事実を作っただけという、私の文学読書にはよくあるパターンだ。

2016年7月14日

石田憲 『日独伊三国同盟の起源  イタリア・日本から見た枢軸外交』 (講談社選書メチエ)

Filed under: 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 04:45

1940年9月27日に三国同盟が締結された。

それは、合意可能なイデオロギー的基盤が欠落し、相互に享受できる利益も乏しい、「空虚な同盟」だった。

その主導者、ヒトラー、ムッソリーニ、近衛文麿、リッベントロップ、チァーノ、松岡洋右に対して、理性的で親西欧的な外務省・伝統的外交官というイメージが語られることがあるが、それは妥当か?

1930年代半ばから後半にさかのぼれば、それとは違った側面が見られる。

本書では、副題の通り、30年代後半の日伊両国の比較を中心に検討を行っている。

 

 

まず各国の対外政策を作り出す構造を分析。

イギリス=政府・議会・外務省・世論の「綱引き」による政策決定、首相チェンバレンは管理者、「政策決定過程」。

ナチス・ドイツ=外務省・軍・党の多頭制的側面は有しつつ、ヒエラルキーは確固として自壊せず、ヒトラーは決定者、「外交指導」。

イタリア=国王と軍・外務省・党による制度不安定、流動的調整機能、ムッソリーニは調停者、「政策形成過程」。

日本=外務省・陸軍・海軍、さらに宮中グループというクッションも加わり、責任の所在が曖昧、制度の硬直化、頂点が不明瞭な円錐形構造、軍出先の突発的行動に引きずられ、対外政策が突然「表出」する、昭和天皇は「御輿」、「政策表出現象」。

 

 

 

第一章。

反共主義的世界観が伝統的外交官にも影響を与え、「善悪」二元論、「友敵」関係の図式から逃れられなくなる。

「反共主義的世界観」と言っても、反ソ・反コミンテルンだけでなく、国際連盟・中国・スペイン・イギリスなどへの対抗イデオロギーとして広範に利用されるもので、可変的で融通無碍、敵を指定する方便と化してしまっていた。

1932年、日本では政党内閣が終焉、イタリアではグランディ外相が解任されムッソリーニが兼任。

これに対し、32~36年の時期、伝統的外交官の主導権回復が模索された。

例として、日伊両国が中国とエチオピアへの軍事侵攻を進める中、伊のスーヴィッチ外務次官による対独接近回避と親西欧的コンセンサスの主張。

しかし、36年軍部介入の深化とチァーノ外相就任で、スーヴィッチは解任。

36年11月の日独防共協定と37年11月日独伊三国防共協定には、伝統的外交官も積極的に協力してしまった。

だが、当時の具体的国益では、日伊両国はむしろ対立している。

エチオピアをめぐる国際連盟制裁参加で中国と伊の関係は冷却していたものの、伊の対中軍事援助は継続しており、エチオピア戦争中の伊の人種主義的反日キャンペーンと日本の親エチオピア的態度が見られた。

加えて「反共・防共」の面でも一筋縄ではなく、両国ともソ連との関係安定化に努力し、35年3月広田外相が北満鉄道売却問題を妥結、少しさかのぼると伊は33年9月反独政策として伊ソ不可侵条約を締結している。

それがなぜ三国防共協定に向かったのか?

「親英派」と「親枢軸派」という固定的構図では説明できない。

日本では大島浩、白鳥敏夫らを例外にして、ほとんどの外交官が前者に分類されかねない。

イタリアでもチァーノ(親枢軸)対グランディ(親英)という図式では不充分。

著者が提示するのは、政策立案の志向性の高低、権力中枢からの距離の近遠という二つの座標軸を設定した図式。

政策立案志向性-高:権力中枢からの距離-近=「推進」型。

高:遠=「追随」型。

低:近=「批判」型。

低:遠=「傍観」型。

これを現実に適用した場合、政策立案志向性の高低を発想様式の政務型と交渉型に、権力中枢からの距離の近遠を任地の国内と国外に読み替えて分類する。

すると、ムッソリーニ、チァーノ、近衛、広田が常に国内政務型。

スーヴィッチが国内政務型から(駐米大使となり)国外交渉型へ。

駐仏大使から外相になった佐藤尚武、駐シャム大使から東亜局長となった石射猪太郎は、国外交渉型から国内交渉型へ。

当時の外交官を見ると、国外交渉型への移動が多く、人事の固定化と二極分解が顕著で、少数の国内政務型は国内の論理に絡め取られることになってしまった。

ファシズムは日伊接近の結合要素にはならず。

日本側はイデオロギーとしての独立性ではなく政体のコスト・パフォーマンスとしてファシスト・イタリアを評価していたに過ぎず、イタリア側も日本は下からの運動としてのファシズム国家ではないと見なし、むしろ国民党中国を自己と親和的であるとしていた。

結局、結節点となったのは反共主義であるが、上述の如く恣意的な攻撃的政策を正当化する方便のようなものに成り下がっていた。

同時に(ある時期まで、多くの場合)対英協調を主張するものであったため、伝統的外交官にとって内外の反発が少なく同調し易い側面があった。

それが国内合意形成に留まらず、国際的結節点として機能し始め暴走する。

スペイン内戦でのイタリア派遣軍とフランコ側との軋轢が生じた際、「純粋なカトリック君主主義、反動主義の先入観に手をつけない」ようにとの進言が伊外交官から出されている。

続いて連盟と中国への攻撃。

むしろ日中戦争が国民政府の中国を対ソ接近へと追いやった。

1937年8月締結の中ソ不可侵条約で日中の共同防共構想は完全に破綻してしまったとの批判を石射猪太郎が残している。

その前、36年12月に、日独防共協定に中国が加入する必要がないことを主張すべく、「中国政府が国内であらゆる努力を傾注して、共産主義を弾圧してきた」と顕彰する声明を出すよう、国民党がドイツに要請したとの記述は非常に興味深い。

加えて対英接近への楽観論。

反共的論理だけを強調して、具体的譲歩を伴わない36年6月~38年10月の吉田茂駐英大使の活動をその失敗例として挙げている。

結論として、善悪二元論、友敵関係による国内的論理への屈服と単純化思考、感情的被害者意識が広まり、レッテル貼りと議論の封殺が進行したことが致命的悪影響をもたらした。

最大公約数的に合意形成を図れる反共主義を結合要素として、反連盟とスペイン・中国での軍事行動を起こし、英国との再協調を目指したが、36・37年の攻撃的膨張路線は必然的に国際対立激化をもたらし、反共から反西欧へ、漠然とした枢軸協力から軍事同盟への文脈転換を引き起こしてしまった。

 

 

 

第二章、日中戦争での日独伊三国の利害関係不一致を描く。

「現実主義」ならば枢軸形成には向かわないはず。

かと言って強固なイデオロギーでもなく、対外政策をめぐるイメージの類似性によるものでしかない。

日中戦争勃発後、1937年11月から12月までの短い期間に、ブリュッセル九ヵ国条約会議、日独伊三国防共協定締結、イタリアの満州国承認、トラウトマン日中和平調停工作、イタリアの国際連盟脱退が起こっている。

まずドイツの対中武器売却と軍事顧問団の存在。

日中戦争が中国を共産主義に向かわせているというドイツ外務省の批判(これは今も昔も日本としては耳が痛い指摘だ)。

ブリュッセル会議ではイタリアは親日的姿勢を採ったが、そもそも多国間協議ではなく中国との直接交渉を求める日本の感謝をよばず、むしろ日本はドイツの仲介を考えるに至る。

その日独接近の端緒となった、日独防共協定であるが、そもそも口頭で合意すれば十分な程度の内容がイデオロギー的に誇張されて条約の形態を取った、具体的取り決めがほとんど無く、独ソ間の既存条約を認めたことで秘密付属協定も実質を失い、同盟から程遠いものであり、ドイツでの調印にも関わらずノイラート外相ではなく駐英大使リッベントロップが署名した、などの問題点を著者は指摘。

三国防共協定ではイタリアを追加加盟国ではなく原署名国として遇することになったが、イタリアでは黄禍論的論調が根強く、孤立を脱却し英国に伊を高く売りつける手段としての協定とする目論見を持つ人々もおり、日本側もその懸念が見られた。

ドイツでも(国内の外交主体間対立も絡んで)対英関係改善の梃子にする意図があった。

また独伊の対中市場、軍需関連での権益は大きく、日本側の批判に対し、「反共」の独伊が中国から撤退すればソ連を導き入れるだけだ、との反論が行われた。

独伊間でも競合関係が見られ、伊の満州国承認後も経済交渉は難航、トラウトマン工作での伊排除が軋轢をもたらし、伊の連盟脱退後、ドイツが復帰するシナリオすらイタリア自身は危惧していたという。

まとめ。

日独伊枢軸が日中戦争をめぐり余波を拡大し、ヨーロッパから東アジアへと一時国際政治の中心舞台を転換する。

この展開は米国の関心を強め、英国の懐疑心を深めるが、この時点での米英提携関係は進展せず、英国は宥和政策を継続。

日独伊は反共主義で結合するが、イデオロギー的共通点に乏しく、修正主義の対象が西欧か東アジアかでも一致せず、東アジアでは現実的国益が対立していた。

対英関係をそれぞれ瀬踏みしつつの枢軸路線だった。

反連盟のカウンター・イメージ、自らの劣位という強迫観念によるパラレル・イメージ、英国の宥和を期待する余り、自国の枢軸派と親英派を英国内部に投影するミラー・イメージが交錯。

 

 

 

第三章、日伊外務省の枢軸抑制失敗、制度的チェック機能低下の構造的問題を検討。

取り上げられる人物は、吉田茂とグランディ両駐英大使、有田八郎外相とバスティニアーニ外務次官。

構造的問題として、統一的指導力の欠如、情報処理の弛緩と欠陥、閉鎖的権力構造、個人の恣意による外交を挙げる。

 

 

 

だるい。

メモはこれが限界だ。

途中からは大幅に省略した。

分析的記述はやや入りくんでおり、少し理解に苦しむ部分あり。

ただ、個別的史実の具体例には初めて知る興味深いものが多かった。

著者の史観や史実評価については、やや疑問や違和感を持つところもあるが、まああまり気にしないでおきましょう。

200ページほどとごく短いが、中身は相当濃い。

悪くはないし、面白いとは一応思うが、読み終えると何か疲れたという感じがする不思議な本でした。

類書の三宅正樹『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』の方がオーソドックスで読みやすいでしょうから、まずこれをお勧めします。

2016年7月12日

エラスムス 『痴愚神礼讃』 (中公文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:17

2014年刊の新訳。

トマス・モアに捧げた序文とホルバインの挿画が付いている。

原文はラテン語で、エラスムスはその全作品をラテン語で書いているという。

こんなに短い作品だったのか、というのがまず第一印象。

一日で読める。

痴愚女神による自己弁護という形式を借りて、教会の腐敗・堕落を攻撃した作品と言われるが、それは後半部で、前半では社会の各層をギリシア・ローマの古典章句を多く散りばめながら辛辣に皮肉り批判している。

読んでいて、それらを痛快に感じる面も確かにあるが、その後エラスムス自身が宗教改革とカトリック教会の板挟みになって苦悩したことを思えば、やや性急で一方的な批判に感じられないこともない。

ただ、キリスト教の教えに背き、戦争という手段を採ることを厭わない教皇庁を批判した著者の平和主義には心を打たれる。

(以前ならこんな感想は抱かなかったでしょうが、世の中も自分も大きく変わりました。)

特に面白いわけではないが、これだけ著名な古典でありながら、通読難易度は極めて低いので、機会があれば手に取ってみるのも良いでしょう。

2016年7月8日

ヒューム 『人性論』 (中公クラシックス)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:47

表題作は一行も読んでいない。

哲学者としてのヒュームについては何も理解する能力が無い。

冒頭の解説を読んで何となくイメージをつかむのが精一杯だ。

本書で読んだのは末尾に付録のような形で収録されている「原始契約について」という30ページ余りの政治小論。

社会契約説を批判したもの。

君主による政府を神聖不可侵なものとして、どれほど圧政的であろうともそれへの反抗は許されないとするトーリー党と、政府を人民の同意と原始契約によってのみ作られたものとして、抵抗権を主張するホイッグ党の両者をともに退ける。

まず前者への批判。

政府は普遍的制度であり、すべては神の摂理によるものであるから、君主の権能だけが神聖化される謂われは無い、下級官吏も国王と同じく神の委任に基いて権力を行使していると考えるべき。

一方、社会契約説について。

いかなる権力も多数者の同意と黙諾がなければ存続できないのは確かだろうが、それは平和と秩序がもたらす利益から自然に生まれた習慣的なもので、明示的な契約に基くものではない。

歴史上そのような契約の存在がはっきり確認できる例は無い。

しかも父祖の同意がその子孫をはるか後まで拘束するという、本来共和制の立場を取る著述家にとっては到底承認されえないはずの仮定が含まれている。

実際の政府樹立は征服という力の行使によるところが多い。

政府が成立した後でも、選挙制度による同意機能が過大評価されている。

「扇動的な首謀者の尻馬にのる多数者の熱狂」に終わるものに、政府の唯一合法的な基礎を認めることはできない。

むしろ政府の完全な解体と人民の自由選択の極大化による無秩序が独裁的軍事支配の契機になってしまう。

名誉革命の成果に幻惑されるべきではない、それは政府全体ではなく王位継承のみが変革され、しかも一千万近い人民のうち、それに関与・決定したのは七百人ほどに過ぎなかった。

アテネ共和制も参政権を持ったのは服従義務を負っていた人間の十分の一にも満たず、属領の住民はもちろん排除されていたが、それでも常にその政治は放恣と混乱を極めていた。

最初の政府は暴力、征服によって樹立されたが、長い間秩序が保たれると服従が自発的かつ慣習的なものになる。

しかしそれは個々人の自由意志による契約と選択と見なされうるようなものではない。

ある君主の支配下に暮らしていて、出て行こうと思えば出て行けるのにその国に留まっていることが、契約と同意の証しだという主張もあるが、外国の言葉も習慣も知らず、その日その日をようやく過ごしている貧しい圧倒的多数の一般国民に自国を去るような選択の自由など実質的には無い。

その自由がある場合でも人口の減少が甚だしくなれば、君主は移住を抑制するだろう(本書に記されてはいないが、これは人口減による弊害が大きくなれば他国への移住を選ばなかった国民の権利が損なわれるから正当だということか?)。

人間は突然かつ一気に世代交代をするのではなく、新旧世代が混じり合って生き死にし、しかも不完全で思慮分別を持っているとは必ずしも言えない、よって既存の政体に順応することが必要、父祖の世代の足跡に概ね従うことは避けられない。

人間が制定したものにはある程度の革新はつきものだが、暴力的な革新は危険で不幸なもの。

立法府によって多数の同意を得ていると思われるものであっても、危険なことは変わりなく避けるべき(例として挙げられているのはヘンリ8世による国教会成立やピューリタン革命)。

王位簒奪者と旧君主が交替した時、しばしば気まぐれに両者に支持を与えるような人民の同意にそもそも大きな意味は無い。

ローマの拡大と共和制危機において、アウグストゥスの支配権確立を人民は感謝、支持し、その後継者にも従順の態度を示した。

しかし帝位が一つの家系によって久しく規則的に継承されるということがなくなり、暗殺と反乱によって皇帝の家系が絶え間なく断絶を繰り返すようになったことは、人民にとって不幸なことであり、帝室断絶の度に内乱と皇帝乱立状態となった。

その不幸は、人民に皇帝選択権が与えられていなかったからではなく、規則的に交替し合う一連の支配者を戴くことが出来なかったからである。

この記述には盲点を突かれた。

確かに、ローマ帝国は初代ユリウス・クラウディウス朝以来、安定した世襲継承を確立できなかった。

約500年続いたのに、世界史上の帝国・王国でもかなり異例だ。

にもかかわらず、それを何とも思わず無視するか、あるいは塩野七生氏のように逆にそれを専制王朝とは違う帝政ローマの長所として評価するかである。

安定した世襲王朝を確立できなかった(さらに欲を言えば、統一を象徴する君主と実際的な権力が分離した英国・日本のような史的展開が見られなかった)ことが、ローマ帝国の短所とすべきではないかと思える。

人間は原初的本能のみに導かれれば放埓な自由に耽り、他人を支配することを望む。

そこで経験と反省の力で、平和と社会秩序のために統治者の権威と服従、「忠誠」の必要が出る。

「誠実」すなわち約束尊重の義務は、「忠誠」と同じく人間社会の明白な利益と必要のために生まれたものであり、両者は同格の存在、後者を前者によって基礎づける想定を行う必要は無い。

これに対して、われわれが君主に服従しなければならないのは、あらかじめわれわれが、暗黙の中に、そのような約束を与えているからだ、と答えられるだろう。だが、なぜわれわれは約束を守らねばならないのだろう。これに対しても、もしも人々が契約を尊重しなかったならば、現に莫大な利益をもたらしている、あの人類間の商業取引がなんの保証も得られなくなるからだ、と主張されるに違いない。だが、そのように言われうるとすれば、そこからまた、もしも強者が弱者を、無法者が公正者を侵害することを防ぐ法律や統治者や裁判官が存在しなかったならば、人間は社会生活を、少なくとも文明的な社会生活を送ることはできないだろうという事も、等しい権利をもって言われうるはずである。

忠誠の義務と誠実の義務とは全く同等な力と権威を持つものであるから、一方を他方に還元してみたところで、なんの得るところもない。両義務を確立するものは社会の一般的利益と必要とであり、それで十分である。

政府に服従しなければならない理由を問われた場合、私だったら、なんのためらいもなく、そうしなければ社会が存続できないからだ、と答える。この答えは、明快で全人類にとってわかりやすいものである。ところが諸君の答えは、われわれは約束を守らねばならないからだ、である。だがそんな答えは、哲学的な理論に習熟した人ででもない限り、だれにも理解されないし、また歓迎されもしない。そのうえ、なぜわれわれは約束を守らねばならないのか?と反問されれば、たちまち諸君は返答に窮してしまうだろう。かりに諸君がまともに返答できたとすれば、その答えは忠誠義務を直接的に、なんらのまわり道もしないで、説明するもの以外ではなかったはずである。

その忠誠の対象は誰にされるべきか?

長年続く家系に連なる君主である場合が最も幸福である。

その起源が暴力による権力奪取であったとしても、そうである。

王権にしても私有財産にしても、はるかに遠いその起源において何の不正の痕跡もないことはほとんど無いが、それでも我々はそれを社会の安定のために尊重しなければならない。

もしもわれわれが、可能な限りのあらゆる観点から、ありとあらゆるあげ足取りの論理規則を駆使して、せんさく吟味する似非哲学の跳梁を許すならば、たとえどんな徳、どんな道徳的義務であっても、たちどころに欠陥をさらさないようなものはないからである。

ローマ帝国史における帝位継承時の混乱と専制政府という両極端の危険。

一方、君主制・貴族制・民主制の各要素が並立共存している自由な政府の安定性。

あらゆる革命や政体変革に伴う無秩序を避けるために、王位の継承性が最大限に重んじられるべき。

結局、合法的な政府はすべて原始契約と人民の同意に基かねばならないという理論は、人類一般の感情に反した、あらゆる時代の、あらゆる国民の慣行に反する奇論である。

例えばロックは「絶対王制は市民社会と相容れない、したがってそれは、けっして市民政府のひとつの形態ではあり得ない」(『統治論』)と述べるが、ごく最近まで政府の基礎は契約だなどと考える人はほとんどいなかった、そのようなことはありえない。

 

 

面白い。

私のレベルではやや論旨が読み取りにくいところもあるが、通読に困難は感じない。

ヒュームの政治経済論として、岩波文庫で『市民の国について 全2巻』が出ているが、ひとまずこの小論を読むだけでもいいでしょう。

2016年7月4日

アンドレ・マルロー 『征服者』 (角川文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:18

果敢な政治的行動によって有名な作家。

コミュニズムに接近し、初期の中国革命に参加、反ファシズムを訴え、スペイン内戦にも義勇軍として参戦するが、独ソ不可侵条約を見て、コミュニズムと訣別、第二次大戦中は対独レジスタンスに身を投じ、戦後はド・ゴールの熱烈な支持者となり、一時文化相として入閣もしている。

この作品は著者がまだ左翼的姿勢を保っていた時のもので、中国を舞台にしたもの。

1925年の五・三〇事件を描いている。

私は1927年上海四・一二クーデタを扱ったものと勘違いしていたが、それは『人間の条件』の方だった。

上海における排日民族運動が徐々にイギリスに標的を移し、前年成立した第一次国共合作に後押しされ、大々的な反英民族運動に発展したが、その香港・広東での出来事が題材。

一人称の語り手は、コミンテルンから派遣された実在の人物であるボロディン、ガレンと共に国民党の外国人顧問となり、革命闘争を展開、イギリス当局、地方軍閥、党の急進化を恐れる国民党右派と対決する。

(ちなみにこの時期の蒋介石はむしろ国民党左派の軍人として姿を見せる。)

主人公らは、同志であるボロディンらソ連人顧問に腐敗と専制の臭いを嗅ぎ付けるが、一方より極左的で無差別的な暗殺も辞さないアナキスト的テロリストの反抗にも手を焼く。

結局主人公を動かしているのは、アクティヴ・ニヒリズムといったようなものか?

よくわからないし、共感もできない。

革命が高潮期を迎えるところで物語は幕を閉じる。

さすが著名な文学者だけあって、このような傾向の作品でも政治的教条主義を感じさせるようなことは無かったが、しかしあまり面白いとも思えない。

読了リストに書名を追加できたことだけが収穫です。

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