万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年6月30日

栗本慎一郎 『ゆがめられた地球文明の歴史』 (技術評論社)

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ゲルマン的ヨーロッパと漢民族的中国双方の中心史観を排する、というのは最近の史書でよくある謳い文句だが、この人の場合スケールが違う。

まず、文化を集団の価値判断のシステム、文明を一定の時間的継続を持つ諸文化の総合と定義。

文明は地域的時間的限定があり、文化は広がりよりまとまりや深みを持つ。

文書証拠主義に基き、政治史に軽く生活史を加えただけの、視野の狭い歴史学を批判。

精神史は重要だが、文化人類学の成果を取り入れなかった為、従来の歴史学は変化できなかったとする。

 

中国、インダス、メソポタミア、エジプトの「四大文明」のうち、決定的だったのはメソポタミアのみ、他の三つは単発文明、現代文明に繋がる連鎖反応を起こしたのはメソポタミア。

その中でも、シュメール(スメル)が最重要、シュメール以後の諸文化・諸民族の興亡には大きな意味は無いとまで書いている。

巨大建造物と文字使用の合体による文化を基礎にした文明はシュメールに始まる。

軍事支配者「ルガル」、宗教権力者「エンシ」の連合体制が組まれ、この二重統治が崩れて、アッカド支配へ移行した。

過剰生産の貯蔵と分配が、社会に「成長」という病のような要因を植え付けた。

 

そのシュメール文明の起源は南シベリアで、中央アジア、東イランを経て、メソポタミアへ達した。

バルハシ湖の西、アラル海の東の肥沃な草原地帯セミレチエ地方とその北オビ川とエニセイ川間の南シベリア、ミヌシンスク地方が極めて重要な意味を持つ地域。

アフリカで生まれた現生人類は、北上してメソポタミア、コーカサスを経て、南シベリアのミヌシンスク地方に達し、そこで文明が誕生した。

船と馬での移動と金属の積極的利用を知り(後世のヒッタイトの鉄器発明よりこの最初の金属使用の方が決定的に重要)、そこからシュメール人が移動。

古来、いわゆる「草原の道」が極めて重要であり(ただし実在したのは、現行教科書に記されているそれより北側)、それに比してシルク・ロードは副次的存在に過ぎない。

強大な騎馬遊牧国家が貿易幹線を支配し、それに参入できなかった中国、ペルシア、ローマなどの勢力が細々と利用したのがシルク・ロード。

ミヌシンスク文明こそ、現代文明の起源であり、そこからシュメール人が移動し、サカ人(スキタイ人)が生まれ(自称はエシュクあるいはアサカ)、匈奴、ゲルマン、チュルク人、さらにはアシュケナージ・ユダヤ人も起源はこの地にあるとされる(こうまで大風呂敷を広げられると、語族との関係はどうなるのかという疑問も生じるが)。

ちなみに古代日本の飛鳥(あすか)という言葉も上記エシュク、アサカと関係があると著者は言う。

 

アレクサンドロス大王はおそらく文明の起源たる南シベリアを目指して東征を行ったが、その死によって、結果拡大・融合ではなく、縮小・分離の時代が訪れた。

その後生まれたパルティアの重要性を本書は強調。

東イランで生まれ、キリスト教にも繋がるミトラ教を奉ずる国(ゾロアスター教は一般民衆のみ)。

王朝名はアスカ(アルサケス=安息)。

メソポタミア的、ギリシア・ローマ的観念では測りきれない性格を多々有する国家。

草原勢力と協調し東西交易を拡大、ローマの東方拡大は不可能となり、キリスト教も西進せざるを得ず。

ここでゲルマン人の話が出てくる。

本書では、ゲルマン人も広義のスキタイ人分派とされ、西ゲルマンはパルティア建国過程で西に出、東ゲルマンはパルティア国内に残る。

後にゲルマン人はフン族の一部となり、反主流派の重要民族となる。

キリスト教受容に当たって「遅れた」三位一体説を採ったフランクの、正統による異端攻撃正当化が政治的に利用され、その支配統一に繋がる。

フランクは混成民族で、後3世紀に突然現れ、他のゲルマン部族、ゴート、ブルグンド、ヴァンダルとは同列に扱えない。

社会内部の二重構造が対立エネルギーを与え、発展の要因になる。

 

4世紀以降、民族大移動の激動を経て、中央アジアではカザール帝国(読み方ではハザールは間違い)が成立、この国家によるウマイヤ朝圧迫のおかげで、ヨーロッパはトゥール・ポワティエで勝利し独立を守ることができた。

カザール帝国は、その支配層が8世紀頃ユダヤ教に改宗、これが現在主流のアシュケナージ・ユダヤ人の起源であり、実は現在のユダヤ人の多くは古代ヘブライ人とは直接の関係は無いとの主張をアーサー・ケストラーが述べたことは有名。

 

 

まとめ。

現生人類が北アフリカに生まれ、メソポタミア、コーカサスを通り、南シベリアに文明拠点を築き、東西に南下。

その一部はペルシアを通ってメソポタミアに逆戻り、これがシュメール人。

ミヌシンスク文明から直接生まれたのがスキタイ人とチュルク人で、両者は同根である可能性が高い。

紀元前2~3世紀までの人類は移動と価値観の相互展開を盛んに行い、連合制の遊牧帝国と統一制の農耕民帝国が並立。

以後、遊牧帝国は徐々に衰退したように見えるが、実際はアジアとヨーロッパは中央アジア北部の草原との関わりを契機に発展したのであり、それが中国とゲルマンの自己正当化史観によって見難くされているだけである。

日本も満州地方を通じてその影響を受けており、決して孤立などしていない。

 

 

 

自分で書いたメモを読み返してみても、よくわからない部分があるし、正直「トンデモ本」の匂いもかなりする。

しかし、この人の説ならとりあえず聞く気になる。

なお同じ栗本氏の『パンツを脱いだサル』(現代書館)もスゴすぎる内容なので、興味のある方は一読をお勧めします。

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