万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年6月13日

引用文(西部邁14)

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西部邁『学問』(講談社)より。

 

 

二・二六事件

 

一九三一年からの五年間、軍人および右翼人士によるクーデタの企てや要人暗殺の事件が相次いだ。三月事件、血盟団事件、五・一五事件、相沢事件そして二・二六事件がそれである。

保守派は、一般に、ラディカル(急進的)な変革よりもグラデュアル(漸進的)な改革を好む。そうでなければ歴史・慣習・伝統の継承がうまく進まないと考えるからである。

その意味では、この五年間に保守派は背を向けざるをえない。

しかし現状が極度に歴史・慣習・伝統から離れていたら、「政府への一撃[クー・デタ]」があって然るべきである。クーデタはもちろん法律の秩序に反する行為であるのだが、政治の道徳を取り戻すためにあえて不法を犯さなければならぬという場合もあるのだ。

二・二六事件はそうした「正統の一撃」といえるであろうか。否である。

この事件において(いわゆる統制派に対立する皇道派の青年将校)磯部浅一、安藤輝三、栗原安秀らの掲げた「萬世一神たる天皇陛下御統帥」というのは――「一神」や「統帥」という言葉をどう解釈するかによるとはいえ――いかにも矯激である。

大日本帝国憲法の第十一条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とありはした。しかしそれは天皇の大権を、常時、軍隊に及ばせるということではない。

そもそもそんな優越せる能力が天皇にあるわけもなく、その第五十五条に「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」とあるように、軍隊を統御するのはまずもって軍人自身なのである。

皇道派の国体論は、長きに及んだ立憲君主制支持の政体論と食い違いすぎるという意味で、反歴史的である。

後年、近衛文麿はこうしたクーデタをも国際共産主義の陰謀と(いささか被害妄想の調子で)とらえたが、「歴史破壊にもとづく社会設計の実験主義」という点で、これらのクーデタと社会主義の暴力革命とのあいだに共通性があるのは確かである。

保守派のクーデタや暴力革命は、流行に棹差す者たちとしての大衆からではなく、歴史・慣習・伝統の寡黙な担い手としての「庶民」によって支持されるものでなければならない。

ニ・二六クーデタにはそうした支持は寄せられなかったのである。

確かに、兵士の出身母体である農村は農業恐慌のなかであえいでいた。その窮状を救わんとする志においてはクーデタ軍は庶民とつながっていた。だが、庶民救済の具体策がクーデタ軍にあったわけではないのである。

いずれにせよ、天皇主権の政体を実現させようとしたこのクーデタ軍は、皮肉にも、天皇大権による戒厳令と(原隊復帰を命じた)奉勅命令によって解散させられた。

設計図すら持たない設計主義に彼らが走ったのは、感情過多のポピュリズム(人気主義)と武力優先のミリタリズム(武断主義)の両脚しか持っていなかったからだと思われる。

とはいえ、国内外の情勢が緊迫の度を増すなかで、軍人たちが至純の情を掻き立てて自分らの士気を鼓舞せんとした経緯には大いに同情すべきものがある。

ましてや、既存の権力機構が状況に適応するのに精一杯で、というよりその過程で官僚主義をむくつけくみせつけるとなれば、青年将校たちが決起するのも無理はなかったとみておくべきなのであろう。

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