万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年6月8日

引用文(中島岳志1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 01:13

中島岳志『保守のヒント』(春風社)より。

さて、ここまで左派と右派の違いから、「保守」「右翼」「新自由主義」といった立場の違いを見てきました。

もうお分かりだと思いますが、私はこの中で「保守」の立場に共感しています。理性への過信を捨て、人智を超えたものに依拠しながら漸進的な改革を進めていくという保守思想こそが重要だと考えています。

しかし、そんな私にとって、昨今の「保守」といわれる人たちの主張や議論には、共感できないものがたくさんあります。「それは保守思想なんかじゃなくて、単なる左翼への反発でしょ」と言いたくなるようなものが巷には溢れかえっていて、そのことが保守に対する無理解や嫌悪感につながっているのではないかと思います。

「左翼が気に入らない」という「気分としての反左翼」が保守と見なされるのは、やっぱりおかしい。「左翼の言っていることの反対のことを言っていれば保守だ」というような脊髄反射的な反左翼は、そろそろ卒業したほうがいいんじゃないかと、強く思います。

たとえば「大東亜戦争」についての見方ですが、私は「保守派」=「大東亜戦争全面肯定論」といった巷の図式は、どうしても受け入れることができません。保守思想を根本に据える限り、大東亜戦争の背景にあった思想を肯定することは、そう簡単にできることではないと思うからです。

「大東亜戦争」に至る社会思想を支えたものは、明らかに行き過ぎた設計主義です。理想社会の実現に燃えて満州を統治した革新官僚しかり、二・二六事件などのクーデターを構想した青年将校・革新右翼しかり、大東亜共栄圈の構想しかり、です。「王道楽土」という極端な理想主義や「八紘一宇」という世界連邦思想など、保守主義からは遠くかけ離れた思想だといわざるを得ません。社会を一気に変えてしまう「革命」を批判してきた保守が、五・一五事件や二・二六事件のような革命的クーデターを容認できるはずがありません。保守は、あくまでも「漸進的な改革」を志向する存在です。

もちろん私には、自分が経験したことのないような戦場の極限状態で、懸命に生きて死んでいった日本人たちに対する畏敬の念があります。私の祖父も戦場に行った人ですし、話を聞いていると、祖父のような市井の人間が欧米の植民地主義に強い反感を持っていたこともよく理解できます。だから、近代日本の歩みを全否定するような議論には、どうしても違和感を覚えます。

 しかし、一九三〇年代以降の歴史を、全面的に肯定することもできない。あの時代には、間違いなく行き過ぎた設計主義や理想主義が共有されていました。人間の(多くの場合は日本人の)能力に対する思い上がりがアジア諸国に対する帝国主義的支配につながったことに対して、私は保守思想を重視するが故に、批判的です。

しかも、当時を生きた保守主義者たちは、「大東亜戦争」に対して極めて懐疑的で批判的でした。代表的なのは福田恆存や田中美知太郎ですね。

福田恆存は、一九八〇年に『諸君!』に掲載した論考「言論の空しさ」の中で、次のように言っています。

 

「当時、私は反戦ではなく厭戦であつたと書いた事があるが、それは反戦を進歩主義の象徴とする風潮に対する一種の厭味であつて、実はやはり反戦であった。勿論、戦争を悪とするが如き単純な反戦ではなく、国家、国民の命運を賭けた戦に対する姿勢、態度の軽佻浮薄にへどが出るほどの反感を覚えたのである。」

福田はここではっきりと、自分は「反戦」の立場だったと述べています。それは、戦争に至る日本人の態度の軽々しさに「へどが出るほどの反感を覚えた」からだと言います。事実、福田は戦争中に職を辞して、自宅の庭に防空壕を掘ったりしています。恐らくは、アメリカも酷いが、戦争に突き進む日本の指導者・国民も「軽佻浮薄」で気に入らないというのが福田の当時の心境だったのでしょう。

これは戦前・戦中の日本を研究してきた人間としては、よくわかります。戦前の皇国主義的な熱狂は、ちょっと異常なテンションです。しかも言葉がものすごく軽い。福田が「軽佻浮薄」だと見なした感覚は、当時の新聞などを読んでいるとよくわかります。

このような感覚は、田中美知太郎も同様です。
田中は、『諸君!』に連載し、後に単行本化された『時代と私』(文藝春秋社 一九八四年)の中で、戦争当時を回想して次のように言っています。

 

「わたしは戦争一般とか、あるひは戦争目的について、一般的な抽象論の立場で否定の結論を出したわけではない。むしろもつと具体的に、この戦争が日本国民のためにならない戦争であり、満州事変以来の愚昧と不正の国内政治から生まれて来た不始末のやうなものであるから、これを容認できなかったのであり、一刻も早く中止すべきものと考へただけのことであると言へば、まあ大体は当ってゐるのではないだろうか。」

田中は、ここではっきりと「満州事変以来の愚昧」という表現を使っています。そして「大東亜戦争」をそのような「愚昧」と「不正の国内政治」によってもたらされた「不始末」と批判しています。

これこそが、戦争を潜り抜けてきた保守思想家の言葉です。まともな保守思想家は、あの時代の極端な設計主義や熱狂を、とても苦々しく見ていました。

だから、昨今の田母神ブームのような現象は、私には保守からの逸脱としか思えません。近代日本を全面的に否定するような議論への批判としては理解できますが、しかしその反動として根拠が希薄な陰謀史観をもちだし、満州事変のような左翼的設計主義やラディカリズムを全面肯定しようとする姿勢は、余りにも浅はかとしか言いようがありません。

このような現象は、一種のポピュリズムなのでしょう。田母神現象は現代日本の保守崩壊を象徴しています。

昭和維新運動は「保守」ではない

さて、三月事件や一〇月事件、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件といったテロ、クーデター事件が繰り返されたのが昭和初期の日本社会だったわけですが、このような一連の昭和維新運動を、私は保守の立場からどうしても肯定的に見ることができません。繰り返しになりますが、一部の人間が担い手となる革命によって、世の中を一気によくしようなんていうラディカリズムは、保守の精神から最も遠いものです。そこには過剰な理性への過信が見え隠れしていますし、理想社会の実現可能性を妄信しすぎています。

・・・・・・

頭山満のような伝統右翼の文章には、このような設計主義的な政治ヴィジョンはほとんど出てきません。彼らは制度設計という発想は、ほとんど持っていませんでした。伝統右翼にとっては、このような過剰な「計らい」こそが近代の理性主義・合理主義の問題と捉えられたわけで、新世代と旧世代の間に大きな思想的差異が生じていることが分かると思います。

私は基本的に、北一輝や大川周明を「右翼の本流」と捉えることに疑問を持っています。特に北一輝は理性によって世界を理想的なものに改造できると考えていますし、そのための手段として天皇を位置づけようとしています。また、彼に強い影響を受けて二・二六事件を起した青年将校・磯部浅一は、獄中手記の中で厳しい天皇批判を綴っています。自らの革命の意思を理解できない天皇にに対して「何と云ふザマです」と憤っています。

彼らにとって、自己の設計主義的改造プランは、天皇の大御心の上位に位置づけられる概念です。自分たちの構想こそが国民の総意を反映しており、この総意と大御心は一致すべきであるとの見解が共有されています。

これは、天皇を奉じているように見えて、実は天皇を国家改造の手段と見なす「非右翼」的な態度です。「革新右翼」の存在は、大川周明が自己規定しているように、左派・革新勢力の一形態と見なすほうが理解しやすいでしょう。

・・・・・・

日本語には、元々、「輿論[よろん]」と「世論[せろん]」の区別がありました。前者は「パブリック・オピニオン」(公的な意見)を意味し、後者は「ポピュラー・センチメント」(大衆的な感情)を意味します。小泉靖国参拝のときに表出したものは、あきらかに「オピニオン」ではなく「センチメント」でした。ここでは論理的思考が感情的熱狂に追いやられ、議論が通じない社会が現出してしまっています。

・・・・・・

そして、このような気分化した世論は、最近の異常なバッシング現象と軌を一にしています。

これは左派/右派に関係ない現象です。

たとえば、原発事故の問題については、まったく批判や議論が継続しないにもかかわらず、赤坂の議員宿舎の家賃が九万円ほどであることに対しては、延々と批判の声が継続します。日本は公務員数が先進諸国に比して圧倒的に少ないにもかかわらず、公務員数の削減を要求する声は拡大し続けます。

結局のところ、想像可能な嫉妬心に基づく気分的な批判ばかりが繰り返され、特定の人物や集団に対するバッシングが支持を集めるのです。敵を創造し、それを容赦なく叩くことによって、政治的な支持が与えられています。

・・・・・・

「ざまあみろ」という気分に基づくバッシングは、見ている側にとっては心地いいのでしょう。もちろん行き過ぎた無駄遣いは正されるべきですが、しかし、独断的に「ムダ」というレッテルを張られ、反論する機会を奪われ、その状況に戸惑う姿がテレビで放送され嘲笑される人のことを考えると、どうしても強い憤りを覚えます。

最大の問題は、このような気分化した「世論」なのではないかと私は思っています。

広告

WordPress.com で無料サイトやブログを作成.