万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年5月7日

内藤陽介 『マリ現代史』 (彩流社)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 02:19

珍しいアフリカ各国別の史書。

いくら国を差別するのはよくないといっても、アフリカの50数ヵ国のすべての国を、例えばイギリス史と同じ密度で叙述するなんて絶対に不可能だし、意味のあることとも思えない。

その中でなぜこれを選んだかというと、たまたま手に取って読みやすそうだっただけ。

特にマリという国が重要と思ったわけでもない。

著者は切手の研究者みたいな人で本書でもその種の記述があるが、それほど目立つことはない。

 

マリはアフリカ西部にあり、東にニジェール、北にアルジェリア、西にモーリタニア・セネガル・ギニア、南にコートジヴォワール・オートヴォルタ(現ブルキナファソ)に接する。

首都は南部のバマコ。

国の中央部北寄りには有名なトンブクトゥがある。

北部に住むベルベル系遊牧民トゥアレグ族起源の街。

ガーナ王国の支配を経て、1076年ムラービト朝によるガーナ王国滅亡。

13世紀マリ帝国成立。

トンブクトゥは交易都市として繁栄。

1324年、君主マンサ・ムーサのメッカ巡礼。

15世紀ソンガイ帝国成立。

1592年モロッコのサアド朝による滅亡。

ヨーロッパの進出が始まり、1659年セネガル川河口にフランスがサン・ルイ建設。

ダカール沖のゴレ島にも拠点設置。

第二帝政下、仏領セネガルが内陸部に拡大。

フェデルブやジョッフル(後者はのちに第一次大戦陸軍司令)らの活動で、1880年代から90年代さらに仏支配地域は拡大、1894年トンブクトゥに到達、仏領スーダンが形成。

第二次大戦ではヴィシー派から自由フランスに合流。

1946年植民地によってフランス連合が成立、第五共和政ではフランス共同体に移行。

1958年ギニアはそれを承認せず、完全独立。

コートジヴォワール指導者のウーフェ・ボワニとセネガルのサンゴールは共に穏健派だが、前者は個々の国家の独自性重視、後者は西アフリカ連邦を重視して袂を分かつ。

急進派である、マリ指導者のモディボ・ケイタがサンゴールと協力して1960年「アフリカの年」にマリ連邦として独立するが、わずか2ヵ月後に主導権争いと経済格差でマリとセネガルは分離。

アフリカ穏健派諸国はブラザヴィル・グループを形成、コートジヴォワール、セネガルを中心とし、モーリタニアはモロッコからの併合圧力を受けこれに合流。

対して急進派はモロッコの支持でカサブランカ・グループを結成、ガーナ、ギニア、マリが加わる。

1963年アフリカ統一機構(OAU)結成。

マリのケイタ政権は中国に接近、中ソ対立下での第三世界急進派の「純化路線」に参加、「文化大革命」の亜流政策を採用し、経済建設に失敗。

1968年軍事クーデタ発生、ムーサ・トラオレ政権成立(ケイタは1977年獄死)。

これ自体は仕方ないか。

「独立運動の英雄」が地道な国家建設には失敗し、引きずり降ろされるというのはよくあるパターンではある。

だが、その後が問題だ。

私には右派の権威主義政権には評価が甘いという悪い癖があるが、このトラオレ政権はやはり失格だ。

朴正熙、スハルト、蒋経国らとは同一視できない。

腐敗、汚職の蔓延、限度を超えた弾圧、旱魃など自然災害への無策など、いい所が無い。

1991年軍司令の一人トゥーレがクーデタを起こし、暫定政権成立、翌92年反政府派知識人のコナレが大統領に就任。

経済は好転し、2002年にはトゥーレ政権に移行。

しかしその頃から経済は失速、2011年リビア内戦でカダフィ政権崩壊、その支持を受けていたトゥアレグ人がマリに入国、2012年より独立紛争を始め、アルカイダ系原理主義者とも協力。

同年紛争対応に不満の軍がサノゴ主導でクーデタを起こす。

国際社会の調停で、中間的解決がなされ、暫定政権樹立。

北部ではトゥアレグ人勢力と原理主義者が仲間割れを起こし公然と対立。

イスラム武装勢力の南部侵攻が現実味を帯びてきた2013年フランスが軍事介入実施、それを押し戻す。

 

 

読みやすくて手ごろ。

悪くない。

これくらいの本が、もちろんアフリカ各国とは言わないが、比較的重要な十数ヵ国について出てくれればいいと思う。

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