万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年5月1日

フリードリヒ・エンゲルス 『イギリスにおける労働者階級の状態  19世紀のロンドンとマンチェスター 上・下』 (岩波文庫)

Filed under: イギリス, 思想・哲学 — 万年初心者 @ 04:27

再読だったかな?

学生時代買った記憶はおぼろげながらあるが、通読したかどうかは憶えていない。

1845年刊行。

著者はもちろんカール・マルクスの盟友で、共に「科学的社会主義」、共産主義思想を作り上げた人物。

ドイツ・ラインラントの富裕な繊維工場経営者の家に生まれる。

イギリス・マンチェスターにも工場を持っており、その関係でイギリスにおいて得た見聞を元にした作品。

まず産業革命前の社会状況から筆を起こすが、そこでのっけから強い違和感を持つ。

前近代農村での織工たちは、過度の自由競争に晒されず、牧歌的で余裕のある生活を送っていた。

プロレタリアではなく、穏やかな信仰を持ち、上層階級には従順な態度を保持。

にも関わらず、著者エンゲルスは、「彼らは精神的に死んでいた」「・・・・・ロマンティックで居心地はよいが、人間には値しない生活」「彼らはまさに人間ではなく、そのときまで歴史をみちびいてきた少数の貴族に奉仕する、作業機械にすぎなかった」と書く。

こういう決め付けはどうかと・・・・・。

それが産業革命の大波に飲み込まれ、階層分解と大多数のプロレタリアへの転落に追い込まれる。

その貧窮の有様は真に衝撃的である。

「非人間的な冷淡さ」「私的利害への各個人の非常なまでの孤立化」「偏狭な利己心」「個々別々の生活原理と、個々別々の目的とをもった単子への人類の分解」「社会的な戦争、つまり万人対万人の戦争」に覆い尽くされる社会。

恐るべき貧困、過当競争による労働条件の果てしない切り下げ。

公正概念からの逸脱が常態となり、そのような状況下での「自由」は形式化する他無い。

児童・女性の酷使などの惨状を見ると、エンゲルスが「社会的殺人」という言葉を使ったのも断じて誇張とは思えない。

だが、その状況を批判する「未完成なトーリー的ブルジョア」を「工業的・自由主義的ブルジョア」と区別しているが、それならもっと前者を積極的に評価して良いのでは?

それにしても以下の文章には迫力があり、ますます市場主義的価値観に浸食されるばかりの現代社会にも通じるものがある。

この国では社会戦争が全面的に勃発している。だれもが自分のことだけを考え、自分自身のためにすべての他人と戦っている。また公然の敵であるすべての他人に損害をくわえるべきであるかどうかは、自分にとってなにがもっとも有利であるかという利己的な打算にだけかかっている。平和な方法で隣人と意思を通じあうことは、もはやだれにも思いつかない。意見の衝突はすべて脅迫や、自助や、裁判によって処理される。要するにだれもが他人を排除しなければならない敵と見ているか、あるいはせいぜいのところ、自分の目的のために利用する手段と見ているにすぎない。

労働災害、健康被害、詐欺、早死の蔓延など、本書が記す状況は搾取としか言い様がない。

国際競争、自由貿易も労働者にとって災いでしかない。

自分たちの飢えによってイングランドの靴下編工までも失業させることは、ドイツの愛国主義的な靴下編工にとって喜びとしなければならないのではないか?また彼らはドイツ工業の名声をいっそう高めるために、誇りと喜びをもって飢えつづけるのではないか?ドイツの名誉といっても、それは彼らの皿がなかばからっぽであることを要求するからである。ああ、競争とは、「諸国民の競いあい」とは、なんとすばらしいことか!

グローバル化による過当競争に投げ込まれ、ますます労働条件が悪化するにも関わらず、拝金主義的メディアが煽る粗暴なナショナリズムによって、その「国際競争上の必然性」を洗脳され、結果として一部富裕層の思うがままに行動している(米国・韓国・日本などの)国民を思うと、以上の文章は今も深刻すぎる意味を持っている。

醜いブルジョワ社会に抗した「尊敬に値する例外的な態度を示した少数のブルジョアジーの成員」(これにはエンゲルス自身も含まれると個人的には思う)と「人道主義的なトーリー」としてディズレイリカーライルの名が挙がっている。

それを見て現在の新自由主義者は喜び勇んで「左右両翼の全体主義的親和性」を言い立てて、市場主義・リバタリアニズム(自由至上主義)の擁護を主張するだろうが、私はそんなものに同意するつもりは一切ない。

初期資本主義のもたらした恐るべき社会的荒廃こそが、共産主義という狂信を生みだした最大の原因であり、自由(放任)主義こそ、共産主義との真の「共犯」だ。

マルクス主義の全体系を妄想と片付け、その著作を人類史上最悪の犠牲者をもたらした独裁政治の原因となった悪魔の書として弾劾しても一向に構わないが(私もそうする)、本書だけは現在でも読む価値がある。

過去に学び、それを現在に生かすのが歴史を読む目的ならば、その意味で本書は重要な歴史書であると言える。

ご一読を勧めます。

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