万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年5月27日

福田和也 『昭和天皇  第六部 聖断』 (文芸春秋)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 05:35

このシリーズの記事では、本文内容紹介には重点を置かず、印象的な部分を引用するくらいにして、第三部昭和天皇即位以降は、一年ごとに日本と世界の出来事を対比しつつ、あれこれ思うところを述べる感じで書いてきました。

 

1926(昭和元)~1931(昭和6)年  第三部

1932(昭和7)年   第四部

1933(昭和8)年   戦前昭和期についてのメモ その2

1934(昭和9)年   戦前昭和期についてのメモ その3

1935(昭和10)年  戦前昭和期についてのメモ その4 および その5

1936(昭和11)年  戦前昭和期についてのメモ その6

1937(昭和12)年  第五部

1938(昭和13)年  同上

1939(昭和14)年  戦前昭和期についてのメモ その7

1940(昭和15)年  同上

1941(昭和16)年  戦前昭和期についてのメモ その8

 

ですが、日米開戦から敗戦までのこの巻では、同じことをするのは止めておきます。

一年ごとの戦局の推移については、児島襄『太平洋戦争 上』および『同 下』を参照して下さい。

気になった部分を引用し、先の大戦への全般的評価について述べたいと思います。

まず、1944年6月サイパン戦直前の時期。

「海軍部隊の作戦と相まって、米軍の上陸企図を粉砕できると信じます」

東條の彼の人に対する答は、無責任な響きがあった。海軍に責任を転嫁しているような趣きがないことはなかった。

「いまや連合艦隊は、決戦用意の態勢をとりつつあります。陸海軍は緊密に協力をして米軍を撃破し、その侵攻意図を砕く事を期しております」

彼の人は木戸内大臣を召して、東條の上奏について意見を求めた。

木戸の反応は、予想外のものだった。

「こうなっては、皇道派を起用する他ないのではないでしょうか」

耳を疑うような事を木戸は云った。

「現状を冷静に見ておりますと、すべては赤化にむかっているように見受けられます。陸軍統制派が権力を握って以来、国内のすべてが、経済から言論、思想にいたるまで、まさしく統制の下に置かれており、これは社会主義への道をひた走っているとしか考えられません。近衛公爵とも話しあったのですが、この際、真崎甚三郎ら皇道派を復権させて、統制派を抑える必要があると思われます」

もっとも信頼していた寵臣の言葉は、耳を疑うようなものであった。

「皇道派を赤化を防ぐために起用せよというが、果たして彼らはそのような存在であったか。皇道派の首領だった真崎を見よ。彼は、わが国は国家社会主義にならざるべからず、と上奏文で主張していたではないか。そのため私は上奏文を改めるように命じなければならなかった。二・二六事件に関わった者たちこそ赤化していたのであり、彼等を使嗾した真崎や柳川、山下たちこそが国体を破壊せんとしたのではないか」

憤りを抑えながら話しているうちに、彼の人のなかで、氷解するものがあった。

(東條にすべてを任せる事は最早出来ない、と木戸は云いたいのか。東條を換えるとすれば、統制派ではなく皇道派の将帥を挙げるべきか。たしかに山下奉文のシンガポール攻略、柳川平助の杭州湾敵前上陸など、皇道派の将軍の方が戦果を上げているが・・・・・・)

それでも彼の人は、二・二六事件の行きがかりを忘れる事は、どうしてもできなかった。

続いて、1945年2月「近衛上奏文」の叙述。

「敗戦は遺憾ながら必至と存じます」

貴公子としては、大胆な書き出しであった。

木戸が、ちょっと驚いている。

「敗戦はわが国体の一大瑕瑾ではありますが、英米の世論は、今日までのところ、日本の国体の変更というところまでは進みおらず、したがって、敗戦だけならば国体上、さまで憂うる要はないと思います。国体護持のことよりも、最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴うて起こる共産革命であります。つらつら、思うに、国内外情勢は、共産革命に向かって、急速に進行しつつありと存じます」

「急速」という言葉を強調しつつ、近衛は彼の人をみつめた。

彼の人は、心動かされたようには見えなかったが、構わず続けた。

「ソ連が、究極において、世界赤化政策を捨てざることは、最近のヨーロッパ諸国に対する露骨なる策動により明瞭となりつつあります。ソ連は欧州において、その周辺諸国にはソビエト的政権を樹立せんとて着々その工作を進め、現に大部分成功を見つつあります。ソ連のこのような意図は、東亜に対しても同様であります。現に延安にはモスクワより来たれる岡野を中心に、日本解放連盟が組織され、朝鮮独立同盟、朝鮮義勇軍、台湾先鋒隊等と連携、日本に呼びかけています」

声音は、いよいよ、高くなる。

近衛が昂ぶるほどに、彼の人は落ち着いていった。

(悪い癖がでたか・・・・・・)

感情を、顕わにすることのない木戸にとっても、近衛の有様は不安だった。

(陛下に、このような演説をお聴かせする事自体、大きな錯誤ではなかったか。近衛の未来を破壊する事になるかもしれない)

「ソ連はやがて日本の内政にも干渉し来る危険が十分ありと存ぜられます。即ち共産党公認、共産主義者の入閣、治安維持法や防共協定の廃止等を云いだすでしょう」

近衛は得意そうだった。

ここからが本題、というように、見得をきる。

「ひるがえってわが国内を見ますと、共産革命達成の条件が、日々具備されております。すなわち生活の窮乏、労働者発言権の拡大、英米への敵愾心と表裏一体の親ソ気分、軍内部の革新運動、新官僚の運動、これらを操る左翼分子。なかでも、もっとも憂うべきは、軍内部の革新運動でございます」

軍こそが、国体変革の主体だ、と近衛は、彼の人の面前で指摘したのだった。

大胆といえば、これほど大胆な発言はない。

緻密であると同時に常識的思惟を重んじる彼の人には、突飛すぎる指摘であった。

「少壮軍人の多数は、わが国体と共産主義は両立するものと信じているようで、軍部内での革新論の基調もここにあると思われます。皇族方の中にも、この主張に耳を傾けられる方もいると仄聞いたします」

彼の人の前で、近衛は、かつて三度、総理の座についた政治家は、皇族のなかにも共産主義に共鳴する者がいると、述べているのだ。

「これら軍部の狙いは、必ずしも共産革命とはかぎりませんが、これをとりまく一部官僚、および民間有志は、意識的に共産革命まで引きずらんとする意図を包蔵しており、無知単純な軍人、これにおどらされているとみて間違いはございますまい」

近衛は、自省の言葉でしめくくった。

「不肖はこの間に三度まで組閣の大命を拝しましたが、国内の相克摩擦を避けるため、できるだけこれら革新論者の主張を採り入れて、挙国一致の実をあげんと焦慮した結果、彼らの主張の背後にひそめたる意図を十分に見破れなかったのは、全く不明の致すところで、何とも申しわけなく、深く責任を感ずる次第でございます」

元総理は、深く、深く、頭を垂れた。

およそ宰相として、政治家としても、これほど恥知らずな言葉はなかったであろう。

陸軍皇道派から行動右翼、転向左翼と、とにかく革新と名がつくすべての人種を糾合し、新体制運動を進め、大政翼賛会を作りあげた男が、しおらしく謝ってみせる。それは一文の値打ちもない反省であった。

 

 

先の大戦について、私が持っている考えは、西部邁『14歳からの戦争論』で引用した部分に極めて近いのですが、それでもやや異議を唱えたいところもある。

それは、国際情勢上の巨視的視野から先の大戦を肯定するだけでなく、国内政治上から見れば、戦前日本の国粋主義・軍国主義は、民主主義(の堕落)によってもたらされたものであるとの自省が必要ではないか、ということです。

上の引用文を「共産勢力の画策」という観点だけから読むと陰謀論じみてきて説得力に乏しいと感じるが、(イデオロギーの左右を問わない)民衆世論による国家支配という解釈をすれば、戦前の軍国主義と戦後の左翼運動の双方が(そして現在のネット右翼的「ナショナリズム」と似非「愛国主義」も)、多数派国民の衆愚的世論による国家の破壊だ、という視点が開けてくる。

いや、そのことは西部氏も別の著作では、はっきり触れている。

「民主主義の連合国」と「全体主義の(日独伊三国同盟)枢軸国」というのが、当時の世界にたいして描いてみせたアメリカの構図であった。民主主義の善神と全体主義の悪神とのあいだのハルマゲドン(最終決戦)において、善が勝利し悪が滅びたというわけだ。・・・・・・

ヒットラーが1933年に独裁授権を得たのは国民投票における支持を俟[ま]ってのことであった。ムッソリーニが独裁者となったのは、彼の率いるマスムーヴメント(大衆運動)が議会を占拠したからであった。日本国家が軍部によって壟断[ろうだん]されるようになったのは、「大政翼賛」の国民運動がそれを歓迎したから、という面も小さくない。

ついでに確認しておくと、連合国がわのソ連と(国民党の)中国とが民主主義に則っていたというのは悪い冗談にすぎない。そんな冗談にまんまと乗せられたアメリカのルーズベルト大統領は正真正銘のソフト・ソーシャリストなのであった。

いずれにせよ、近代におけるディクテーターシップ(独裁制)は、レファレンダム(国民全体の意向を直接に参照[レファー]しようという意味での人民投票)に依拠している。だから、それは「民主主義による民主主義の自己否定」というべきもので、むしろ民主「主義」の最高形態と称されるべきものである。

実は、米英仏のようないわゆる民主主義圏にあってとて、パブリック・オピニオン(世論)にあっては、アレクシス・ド・トックヴィルが1835年の昔にとうに指摘していたように、ティラニー・オヴ・ザ・マジョリティ(多数者の専制)が貫徹されていたのである。そして世論を動かしているものは何かというと、これもトックヴィルが(アメリカ社会について)見抜いていたことだが、マスメディアというプライマリー・パワー(基礎的あるいは予備的な権力)なのだ。

そうとわかっていれば、二十世紀は、デモクラシー(民衆政治)をはじめとして、自由や人権そして平等や福祉といったレフト(左翼)の価値観が社会の前面のみならず全面を覆った時代である、という認識を持つことができたであろう。そうしておけば、二十世紀の後半においても、アメリカニズムは「個人主義の左翼」でありソヴィエティズムは「社会主義派の左翼」である、と冷静に解釈しえたはずである。

その解釈に立つかぎり、連合国やアメリカが善で枢軸国やソ連が悪だという教説にこうまで洗脳されずにすんだであろう。親米が保守で親ソが革新だ、という莫迦気た政治学も幅を利かさなかったに違いない。

(西部邁『実存と保守』(角川春樹事務所)より)

 

上記引用文を補足すると、ソ連の左翼全体主義も、中国の急進的民族主義も、結局は過激で狂信的な民衆世論による運動が生み出したものである以上、結局、民主主義の派生形態と見なすほか無い、ということです。

そうであれば、戦前日本のように独伊ソと連携して「民主主義国」の米英仏に対抗するという考えがいかに倒錯したものか、分かるはず。

同じ観念主義に走るのなら、ナチズムも共産主義も前近代的価値観から「解放」され自由になった大衆が生み出したものだ、米英仏も独伊ソも根底で民主主義・近代主義という精神の病に罹っている点では同じ穴のムジナだ、米英仏が慢性疾患なら独伊ソは急性疾患の患者だ、緊急避難として急性疾患国の脅威を除くため慢性疾患の国と一時的に協力するのに吝かではないが、しかし日本は民主主義・近代主義という価値観自体認めませんよ、という筋道がどうして立てられなかったのかと慨嘆する。

そう考えれば、日本国内における極右的国粋主義についても、どれほど復古的言辞で装われていようとも、「民衆の主体性」への肯定の上に立っている以上、 その本質は民主的運動だ、卑しい大衆が皇室をおもちゃにしているだけだ、という自己懐疑だって生じたはずです。

戸部良一『外務省革新派』記事で私が書いた文章より)

それは「全体主義」への忠誠を「民主主義」へのそれに移し換えるべきだった、というのとは全く異なる。

民主主義こそが全体主義を生みだした母体であり、全体主義の独裁は民主主義の暴走が生んだ極限形態だ、そう認識して、日本は近代主義の総体を批判する立場に立つべきだったんだ、ということです。

であるのに、全体主義と民主主義を対極にあるものと錯覚し、自らの国粋主義の「非民主性」を「過信」して、前者に接近するという二重の致命的錯誤を重ねたのが戦前日本の実態です。

本来なら、日本は米英仏と(あくまで暫定的に)協力し、(民主主義の過激化の極限形態である)独ソ伊を打倒した後、近代主義自体を否認する大局的立場から、近世以来の西洋列強のアジア侵略の罪を鳴らして、(中国と[その過激な民族主義をたしなめつつ]和解し、韓国を再独立させ、アジア諸国の国民主義を尊重する形で)正々堂々、米英仏と戦うべきだったんです。

もし、大東亜戦争がそのように展開したならば、本当に徹頭徹尾それを「聖戦」として支持することが出来る、と私は思います。

だが、現在の「ネット右翼」的言説が蔓延した状況では、「民主主義への懐疑・批判」を欠落させたまま、過去の歴史の全肯定、中韓など特定諸外国への敵意と憎悪、米国への追従が横行している。

個人的にはアメリカ自体が「民主主義の失敗例」であることは、決して忘れるべきではないと考える。

だいたい民主主義と軍国主義を単純に対置するのが根本的に間違ってるんですよ、日本の軍国主義は(そしてファシズムとナチズムも)前近代的・非民主的要素から生まれたものじゃなくて近代化の進展で自由を得た民衆の狂信的運動から生まれたものでしょう、そこをハード・ピース派はもちろんソフト・ピース派も誤魔化してる、それとも何があってもアメリカは民主主義の看板は降ろさないって訳ですか、ははあ、ご立派ですなあ、でも貴方がたの建国の父たちのうち、少なくとも半分程はデモクラシーがどれほど悪しき政治に直結する可能性があるかしっかりと認識していたんじゃないんですか、そういう懐疑を完全に捨て去ったのに自分たちが終始一貫同じ精神を保ち続けていると自己欺瞞に耽ってるんじゃないですかね、間歇的にやってくる好戦論と社会的ヒステリーを見ると、米国が枢軸国や共産国と異なった道を採れたのは単に国土と資源と富に恵まれた偶然からであって、民衆の愚劣さは他国と大して変わらないんじゃないですか、奴隷制度の合理的平和的撤廃の失敗と自己破滅的な南北戦争、好戦世論に易々と突き動かされた米墨戦争、米西戦争とハワイ併合、あくどい手口のパナマ独立に代表される中南米への恣意的介入、禁酒法にマッカーシズム、カウンター・カルチャーの跋扈と治安の崩壊、あらゆる人間が自己を被害者だと言い立てる人種対立、暴力が日常化している銃社会に黒を白と言いくるめる法律万能主義の訴訟社会、空疎な「アメリカン・ドリーム」のお題目と史上空前の格差社会、そして近年のイラク戦争、金融資本による事実上の世論支配と政策歪曲が、日本にとっての第二次世界大戦規模の破局を米国にもたらさなかったのは、単に上記の偶然から国力に余裕があったというだけで、米国の政治体制の正当性を保証するものとは到底思えませんがね、貴方がたが称揚して止まない自由と民主主義自体が独裁と抑圧を生む素なんだと少しは自省したらどうなんです、それに終戦後貴方がたが対峙する共産主義も民主主義が生んだものですよ、だって人間社会のあらゆる不平等を永久に消滅させると豪語して民衆を煽動し権力を握った運動なんですから、その際手続き的な自由主義や議会主義を踏みにじったとしても、それは多数派民衆の意志に従ってなされた行為ですし、あるいは百歩譲っても、そうした少数の狂信者の行動を前にして多数派民衆はろくな抵抗もできずたとえ消極的にせよ同意したわけですから、民主主義の名の下では決して根本的に非難できないはずですよね、言っときますが、我々はソ連との冷戦にはほとんど貢献できませんよ、貴方がたが『真の戦犯』たる民衆を免罪してくれたおかげで、狂気じみた左翼運動が巻き起こり、それに対処するので精一杯になりますからね、まあせいぜい極東での国際秩序と力の均衡の維持に努めて下さい、それを数十年担ってきた我々に無条件降伏を要求して占領下で憲法を制定し権力政治からの完全な棄権を強要したのは貴方がたですから、それを担うのは当然の義務と言うもんですよ、そしてそれに勝利したらしたで、『自由と民主主義の勝利』を高らかに歌い上げるわけですか、まあ実現すればするほど蟻地獄に落ちるような理想をいつまでも掲げていればいいですよ、でも出来ることならそれに日本を含む他国を巻き込まないでもらえませんかね」といった具合に延々と嫌味と皮肉を述べ立てたくなる。

廣部泉『グルー』記事で私が書いた文章より)

そしてそんな国家と「自由民主主義同盟」を組んで、中華人民共和国(というこれも狂信的民衆運動の結果生まれたのだから「立派な民主主義国家」だ)に対抗しようなんて、真の保守派が考えることじゃない。

「自由と民主主義の価値観を共有する日米両国が協力して、共産党独裁の非民主的な体制を持つ中国を封じ込めて屈服させる」というシナリオが、昨今の日本の「保守派」のお気に入りのようです(私も昔そう思っていた時期がありました)。

しかし、今の中華人民共和国は、全人民の絶対的平等と特権階級の完全な抹殺、人民に対する全ての伝統的拘束の廃絶を高らかに謳いあげた中国共産党が、国民の狂信的支持を受けて成立した体制のはずです。

共産主義者は、実質的な真の自由と民主主義を未来永劫確立するという目的のために、暴力革命と独裁が(一時的に)必要だと主張したわけです。

つまり、共産主義は自由民主主義の単線的発展上にある思想に過ぎない。

共産党が「手続き的な民主主義」を廃絶したことをもって、「非民主的」との非難を浴びせるのは表面的である。

なぜなら、そうした民主主義の自己崩壊を、圧倒的多数の民衆が容認し、支持したからこそ、革命が成就したのだから。

共産主義・社会主義を自由民主主義に反するという理由で批判するのは、論拠としては極めて薄弱である。

むしろ真に共産主義を否定しようと思えば、その源泉とも言うべき、自由民主主義の理念自体を否認しなければならないはず。

「共産党政権が倒れ、中国社会の民主化が実現すれば、日中はもっと分かり合える」との意見もあるが、私は全くそう思わない。

共産党の支配が緩んだ後の中国の姿は、現在すでにその兆候が現れているように恐ろしいほどの社会的混乱と衆愚による狂信的世論の跋扈である可能性が高い。

そして、その醜い社会の有様は、日米などの民主主義国家と、程度の差はあれ、完全に同質のものです。

そう考えれば、「非民主的な中国に対抗する民主的な日米同盟」との構想は、思想的には底が抜けてます。

服部龍二『日中国交正常化』記事で私が書いた文章より)

 

 

それにしても、日本も酷い国になったもんです。

このブログを始めて丸十年になりますが、ちょうどその十年のあいだで、私は以前は持っていると思っていた愛国心の大半を失ってしまいました。

かなり前から絶望はしていました。

1990年代には「世界で共産主義体制が崩壊したのに、日本はまだ冷戦時代さながらに左翼の残党が勢力を誇ってる、こんな調子でこの国はどうなるんだ」と常に慨嘆していました。

でもその時は、少数ながら「同好の士」というべき人たちもいましたからね。

社会の片隅にでも、ちゃんと保守なり右派なりを名乗る資格のある人たちが確かにいました。

例えば、90年代前半の『諸君』や『正論』は本当にレベルが高かったですよ(両誌ともある時期以後は手に触れるのも汚らわしい、という最低の雑誌になってしまいましたが)。

世紀が変わる辺りで、左翼勢力が崩壊すると同時に、今まで左翼の戯言を述べていた醜い衆愚どもの集団が「右翼」・「愛国」的言辞を、相変わらず知性や品位の欠片もなく喚き立てるようになり、私が大切に感じている価値あるものを土足で踏み躙って台無しにしていきました。

日本がこんな滅び方するなんて、夢にも思いませんでしたよ。

その際、この「反左翼」の動きを正常な社会への第一歩と考え支持した自分が底無しの愚か者であり、正にその衆愚の一員だったことを苦渋と共に認めたいと思います。

(もし現下の「右傾化」に歯止めがかかるとしても、その時はまた左翼が一昔前のように傲岸に自らの「正しさ」を押し通そうとするんでしょうね。それが大衆運動の避け得ない本質です。)

以後、右を見ても左を見ても、価値観を共有できるな、と思える人たちがいなくなりました。

(雑誌の『表現者』は貴重な存在として現在でも購読していますが、それでも時々ネット右翼が誌面に出て来て嫌な気分になることがあります。)

インターネットという史上最悪のマスメディアが普及して、衆愚社会の最後の底が抜けてしまった感があります(引用文西部邁11および内田樹7)。

で、以下のような連中が害虫のようにわいて出るようになりました。

・・・・左翼思想の完全な破綻が誰の目にも隠せなくなった、21世紀に入ってからは、またしても何の反省も無く逆の極端へ走り、粗野・低俗・卑怯・軽薄・愚劣な、

「パースペクティブもヒエラルキーもない愛国心、スペインの国土で産まれてくれたものはどんなものでもスペインのものとして受け入れ、最も愚かしい退廃現象とスペインにとって本質的なものとを混同してしまう愛国心」(『ドン・キホーテをめぐる考察』)[オルテガ]に類似した心性

西部邁『大衆への反逆』より)

にどっぷりと浸り、邪悪な組織的煽動者に操られるままに、排外主義的・人種主義的で形式的・偏執狂的なナショナリズム(を装ったエゴイズム)を好きなだけ謳歌し、何の思慮分別も無く、真剣味も無く、後先も考えず、自己懐疑の欠片も無く、常に感情的でいきり立ち、身の程知らずで自分の分も弁えず、脊髄反射的な多数派への同調以外に自身の意見を作り上げるための努力も一切せず、デマに等しいような生半可で偏った知識と情報を愚かにも絶対視し、阿呆同士が刺激し合って現実離れした極論の過激さを競い、度外れた誇張と曲解を常習犯的・確信犯的に用いて、言葉を真実に達する手段でなく暴力的宣伝煽動のための道具と内心ではみなしているくせに表向きは綺麗事を恥知らずにも述べ立て、都合が悪くなればかつての主張には平然と口をぬぐい、匿名性の陰に隠れて、素知らぬ顔で全く逆の主張を同じように攻撃的・感情的にわめき立てて恥じず、最低限の責任感も羞恥心も持たず、何一つ建設的提案をする能力も無く、徒党を組んで他人を口汚く攻撃する以外能が無いくせに、わかりもしないことをわかったつもりになって、空疎な決まり文句でしかない一知半解の似非知識を馬鹿の一つ覚えで振り回し、声の大きさと多さが即正しさの証明になると信じて疑わず、公的議論は公正な真実に至るための道筋ではなくただ社会的意志決定の根拠となる多数を力ずくで獲得するゲームでしかないという皮相・低劣な考えを抱き、誠実で賢明な少数者の意見を卑怯な揚げ足取りと悪口雑言による印象操作で圧殺する小細工にだけは長け、不完全極まる自分がたまたま持った考えや嗜好が数十世代にもわたる試行錯誤で得られた伝統や常識よりも尊重されるべきだと妄信し、自分が理解できないものには価値が無いと傲慢不遜に決め付け、そう思わせる自身のお粗末極まる知性と感性を疑うことは笑止千万にも一切せず、何についても冗談半分の嘲笑的態度で余裕ぶっているが、実は自分自身が最も卑小で嗤うべき存在に過ぎないくせに、自らは決して批判されない無責任極まる一方的批評家気取りの立場から、自力でものを考える力も無いので単純粗暴なレッテル貼りをしつつ、他者を非難・罵倒することで卑しく下劣な快感を得ること自体が自己目的化しており、そのための名目は実は何でもいいし自身も何の関心も無いことを厚顔無恥にも隠蔽しながら、自分は髪の毛一筋の犠牲を払う覚悟も無い卑怯・卑劣で性根の腐った臆病者のくせに、匿名の場になると数を頼んで無責任極まる好戦的主張をわめき立て、群集心理の虜となった痴呆同然の頭脳でますます過激さと愚かさの底辺へ議論が向かうことに歯止めが掛からないだけなのに、無制限な言論の自由を謳歌した有意義な討議によって賢明な意志決定が行われているなどと滑稽至極にも自惚れ、同様の集団的狂気の表れである相手方の非理性的反日姿勢の裏返しのような中国・韓国への単細胞的最強硬策と、「自由民主主義の宗主国」米国への盲目的崇拝および屈従と、私利私欲にまみれた弱肉強食の自由放任的市場主義「改革」と、既存政治家への(自身の品性下劣さを完全に棚に上げた)ありとあらゆる否定的暴言およびそれとセットになったデマゴーグ・ポピュリスト的政治家への衆愚的熱狂と、(天皇制に対する政治的批判ですらない)皇族個人への陰湿・卑劣で恥知らずな誹謗中傷に明け暮れ、少しでもそれに反対する人間は、「反日」「左翼」呼ばわりして、片っ端から物理的暴力あるいは誹謗中傷という言論上の暴力を用いて集団リンチにかけ、おぞましい嗜虐感情を満足させ[る]

古川隆久『昭和天皇』記事で私が書いた文章より)

そんなゴミクズ以下の下劣な衆愚どもが左翼思想の替わりに「天皇抜きのナショナリズム」をおもちゃにするようになり、卑怯な集団リンチを行い、我がもの顔で横行しているのを見ると、「もうこんな国、滅んでしまえばいい」という言葉が喉元まで出かかって慌てることがあります。

かつて左翼の、祖国に対するその種の冷笑主義を自分がどれほど憎悪していたかを考えると自分でも感慨深いです。

(このブログで、内田樹氏のツイッターとブログをブックマークに入れているのを不思議に思われる方がいるかもしれませんが、自称「保守」と自称「反左翼」がこうまで出鱈目で滅茶苦茶な言動を繰り広げていれば、かつて毛嫌いしていたリベラル派のうちで穏健で賢明な内田氏のような人の言葉を聞くしかありません。)

しかし、ものには限度というものがあります。

国内では弱肉強食の新自由主義・市場原理主義が吹き荒れ、経済的格差がますます拡大、中間層が崩壊し、貧困が広がり、品位も責任感もない成金的富裕層のみがのさばり、その社会的分裂を誤魔化すため、対外的には粗暴・低劣で幼児的な排外的ナショナリズムが煽られ、それ自体が新旧メディアによって「商売」となる。

醜い人種・民族差別をナショナリズムの実践だ、などと考える人間が害虫のように次から次へと湧いて出て、その同じ口で皇室すら攻撃対象とする。

伝統と君主への敬意と忠誠が消滅し、相対主義的にありとあらゆる極論が煽動される中、結果的に最も単純で粗野で俗耳に入り易い、形式的・人種主義的ナショナリズムが大衆の脳髄に染み込むという展開を見ると、今我々はワイマール・ドイツの末期にいるのではないか、とすら思えてくる。

この国も、本当の本当に、おしまいのようです。

もうどうしようもありません。

どこからも救いは来ないでしょう。

率直に言って、もう私は自分の国の将来に対する積極的関心すら失いつつあります。

以前も少し書きましたが、この事態に唯一責任の無い皇室には適切な時期に亡命して頂くとして、あと国民がどうなろうと、もう知ったことじゃありません。

私に出来ることは、このブログ(の一部)で、わずかなりとも流れに抗している人たちを紹介して、自分の寿命が尽きるのを待つだけです。

 

 

月刊「文芸春秋」での連載はこの巻までで、以後ウェブ連載で独立回復までが書かれている。

「天皇という軸の下に、現代史のあらゆる事件、人物が描ける、描かねばならない」との言葉通りに著者は本シリーズを執筆しているが、この巻についてはやや散漫な印象が拭えない。

少し筆を急ぎすぎか。

現代史の(時には市井の無名の人々も含めて)様々な情景を淡々と描いて余韻を残し、読者に考える余地を与える、という著者の筆致が、苛烈な歴史を描くこの巻でも効果を上げていないことも無いが・・・・・・。

内容的にはもう一つ物足りなかった。

 

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2016年5月20日

徳善義和 『マルティン・ルター  ことばに生きた改革者』 (岩波新書)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 15:57

こういう超有名人でも、手頃な、いい伝記というのはなかなか無いものです。

私が最も感心したのは、モンタネッリ『ルネサンスの歴史』下巻に記されているルター伝だが、2012年にこれが出た。

著者は1932年生まれで、ルーテル神学校を卒業、ルター著作集の共訳者だそうです(お名前の漢字が全部いい文字ですね)。

1483年マルティン・ルターはハンス・ルダーの子として生まれる(父親はルダー姓、改革者として立ち現れた頃からルターの名を使用するようになる)。

ドイツ中東部のザクセンおよびテューリンゲンで主に活動。

農民から鉱夫を経て実業家にまでなった父の期待を受けて法学を修めるが、突然修道士となる。

1517年ザクセンのヴィッテンベルク大学で「九十五箇条の提題」を発表、宗教改革の烽火が上がる。

1521年教皇に破門されるが、当時ザクセンで発達していた鉱業を管理する宮廷顧問官など、ドイツの新興官僚ら勃興しつつあった社会的諸勢力の支持を受け、ローマ教会への抵抗を続ける。

結果、ローマ・カトリック一色だったヨーロッパ世界が、主に四つに分裂。

カトリック=フランス、イタリア、スペイン、アイルランド、ドイツ南部、オーストリアおよびポーランド、チェコ、ハンガリー。

ルター派=北ドイツとデンマークおよびスカンジナヴィア諸国。

カルヴァン派=オランダ、スコットランドおよび西ドイツの一部。

英国国教会=イングランド。

高校世界史の範囲内だが、この宗教改革後の宗派別色分けは、すぐ頭に浮かぶようにしておいた方がよい。

まず宗教改革の代表格であるルター派の範囲が実は余り広くないことをイメージしておく。

結局プロイセンを含む北ドイツと、そこから北に向かってデンマーク、スウェーデンの北欧諸国のみ。

カルヴァン派も、フランスのユグノー、イングランドのピューリタンという極めて強力な少数派を形成したが、一国の国教的地位を占めたのはオランダとスコットランドだけ。

だが後にアメリカ合衆国という巨大国家の多数派教派となる。

で、この範囲外、バルカン半島南部とロシアはもちろんギリシア正教会の管轄。

プロテスタント勃興により、古代の教父ヒエロニムスによるラテン語訳「ウルガタ」聖書(元々旧約はヘブライ語、新約はギリシア語[コイネー]で編纂)の解釈を教会が独占し、民衆の精神生活がその庇護下に置かれていた中世時代は終焉、人々が母語に翻訳された聖書を通じ、直接神に向き合う時代が訪れた。

以下、ウォルムス喚問で皇帝に対し、神と自らの良心の名の下に、敢然と反抗したルターの決断について。

ヨーロッパの近代は、思想的には、個人の人格、主体性、信念や信条を尊重することを基本に発展したが、ルターのこの発言はその先駆けとなったともいえるだろう。ただし、ルターの言う「良心」とは、神という絶対的な存在を前にしての良心であって、近代の思想家たちが考える、人間を主体とした良心とは異なることに注意が必要である。ルターには、人間は罪を犯さざるをえない存在であるという認識があった。そういう存在である人間の良心は、自ら善きものになれるものではなく、神のことばにとらえられることで初めて善きものになれる。ルターの回答の最後、「神よ、私を助けたまえ」という言葉は、そのことを語っているのである。

この結果をどう見るか。

贖宥状の乱発に象徴されるように、当時の教皇庁の堕落が目に余るものだったことは疑い得ない。

しかし、カトリックという普遍的教会の束縛を脱して、新教の各派教会に属すると、あるいは教会という媒介無しに個人として存在するようになると、後には信仰や良心自体を投げ捨てるようになったのが、近現代の民衆なわけです。

主観的には真摯な信仰から発したものであっても、結局宗教改革は近代の世俗主義が蔓延る契機になってしまったという印象が強い。

そうなると、プロテスタントの誕生自体をなかなか肯定的に見ることができなくなってしまった。

フランスはカトリックに留まりつつ、ローマ教皇と政教協約を結び、独自の国教会に近いものを作り上げているが、せめてそのくらいに収まらなかったものかと、やや無責任だが、そう感じてしまう。

ルターのドイツ語著作が、新発明の活版印刷によって史上初のマスメディアとして機能したと書かれてあるのも、嫌な感じです。

情報技術の発達について、活版印刷は宗教戦争を、新聞は帝国主義戦争と共産主義を、ラジオはファシズムを、テレビは先進諸国の衆愚社会化をもたらしたと言える。

ではインターネットは、となると怖くなってくるので、考えるのは止めておきます。

ルター自身が、後世破滅的な結果をもたらしたものの萌芽で苦しんでいる。

聖書の言葉に縛られず、自らの意思が神の霊と直結していると考え、自身の行為を絶対化する「熱狂主義者」である。

ヴィッテンベルク大学の同僚で急進派のカールシュタットは、ルターの権威で押さえ込むことができたが、1525年ドイツ農民戦争が勃発。

・・・・・見解を求められたルターは「勧告」を執筆し、まず諸侯の責任を指摘し、中立、公平な仲介者を得て、事態の平和的な解決に努めるように求めた。ルターの主張は、キリスト教の名の下に社会的要求を掲げてはならないこと、ただし農民たちの要求の中には正当なものもあるので、諸侯はこれを認める努力をすべきこと、事態の解決に当たって実力行使は行ってはならないことなどであった。

ところが、状況は急激に悪化し、一揆は一気に暴動状態へとエスカレートしていった。急転回する事態に対応できず、荒れるに任せていたなかで、ルターは急遽、『農民の殺人・強盗団に抗して』を執筆して、暴徒の鎮圧を諸侯に求める。かつてヴィッテンベルクの騒乱に直面した際には、「力によらず、ことばによって」の基本に立ち、事態を平和的な解決に導いたルターであったが、このときは、信仰においては一切妥協しないという厳しい一面を見せた。ルターにとって、福音の名の下、暴力によって要求が押し進められるのは、認め難いことだったのである。

よく批判的に言及されるが、このルターの態度自体は非難に値するとは思えない。

こうしか仕様が無いと思える。

しかし、以下のユダヤ人に対する態度には首を傾げる。

ユダヤ人のキリスト教への改宗は、ルターの生涯の課題であった。・・・・・かつてローマ・カトリック教会が支配していた時代には、キリストの福音は正しく教えられていなかった。だから、ユダヤ人はキリスト教に改宗するのが困難だったのだ。このように論じるルターは、ユダヤ人として生まれたイエス・キリストの説いた福音が、宗教改革によって明らかにされた以上、ユダヤ人もいまやキリストの教えの下に身を寄せることができるだろうと説く。

「いやいや、そんなわけないでしょう」と思わず言いたくなる。

実際には改宗者はほとんど生まれず、ルターは反ユダヤ的発言を残し、それが後世ナチに利用されることになってしまう。

ルターの教義内容については、以下の文章のみを引用しておく。

ルターの宗教改革的発見は、聖書を人間に実現可能な掟の書として見ないと捉えたことになる。律法のことばは、人間を自分の弱さに徹底的に直面させる。ルターは絶望のどん底の中で、ようやくそのことに気づかされた。そして、その絶望のふちから、聖書のもうひとつのことばである「福音」へと一挙に反転跳躍する。律法から福音へ。この転回運動が人間に救いをもたらすのであり、キリストがその死と復活によって、すなわち十字架によって人間に示したことである。ルターは聖書のことばとの格闘から、そういう理解に到達したのだった。

こうして聖書の読み方が変わった。対照的、対立的に捉えれば、伝統的な教会の読みは人間の能動的な行いを強調し、ルターの読みは人間の受動的な受け入れを強調したといえるだろう。強調点の置き方は異なっても、律法を福音と並んで重視する点では、伝統的な読みも、ルターの新しい読みも、なんら変わるところはない。ルターの読みが画期的なのは、律法に注目して人間の行いを重視するあまり、福音を見失っていた伝統的な読みの道すじを一八〇度逆転させたことであった。律法による絶望の下で、福音は新しく姿を現す。神はこの道を、キリストによってすでに備えていた。ルターによる発見が、「福音の再発見」と呼ばれる所以である。

以上の文章の通り、だから教会の教えに従う能動的行為を強調する点で、カトリックの方が人間の自由意志の重要性を認めているという見方ができるわけである。

1546年、ルターは死去。

同年シュマルカルデン戦争勃発。

1555年アウグスブルク(アウクスブルク)の宗教和議を、ルターは知ることがなかった。

 

 

悪くはないんですが、ちょっと物足りない。

決定版伝記という感じはしない。

もっと詳しい内容が欲しいところだが、その分読みにくくなるか。

まあ普通です。

2016年5月17日

マーク・トウェーン 『王子と乞食』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:38

英国王エドワード6世をモデルにした王子と、それにうり二つの容姿を持った物乞いの子供トムがひょんなことから入れ替わり、トムは宮中で王として振る舞い、王子は貧民の社会で苦汁を舐め経験を積むというおとぎ話。

誰もが一度は接したことのある設定と筋書だが、これは最高に面白い。

まさに傑作だ。

途中から王子の冒険がメイン・ストーリーになり、トムが出てこなくなるのがやや物足りないが、両者が再び顔を会わせ、大団円となる終盤の展開は素晴らしい。

芸術的価値云々はさて置いて、こういう類の「通俗性」は全く腐す気になれない。

是非一読を薦める。

2016年5月13日

松尾秀哉 『物語ベルギーの歴史  ヨーロッパの十字路』 (中公新書)

Filed under: オランダ — 万年初心者 @ 03:53

オランダカテゴリへの追加も本当に久しぶりですね。

ベルギーという国は、オランダ語地域の北部フランデレン(仏語ではフランドル、英語ではフランダース)とフランス語地域の南部ワロンの対立が報道で伝えられるが、それが建国以来続いていたことがわかる本。

本書では国王の人物像にも焦点を当てる。

実際、通常の立憲君主国と比べて国王の政治関与の度合いが(現在でも)高い。

地理的には、北部にアントワープ、中部に東から西海岸に向けて、リエージュ、ルーヴェン、ブリュッセル、ヘント、ブリュージュと主要都市が連なる。

南部には十字軍指揮者として有名なゴドフロワの出身地ブイヨンもある。

オランダと共にネーデルラントを形成し、さらにルクセンブルクを加えてベネルクスという呼称もある。

古代においては『ガリア戦記』にベルガエ人の名前が出る。

中世にはフランドル伯領が繁栄、フランス支配下に入るが、百年戦争で英仏間の争奪の的となる。

のちブルゴーニュ公国支配となり、政略結婚でスペイン・ハプスブルク家領へ。

宗教改革を経て、オランダ独立戦争が勃発するが、カトリック中心の南部ベルギー地域が脱落したのは、高校世界史で既出。

画家ルーベンスが外交官として活躍、スペイン統治下での南部自立を守る。

スペイン継承戦争でオーストリア領となり、ヨーゼフ2世の啓蒙専制主義と中央集権化策、宗教寛容令などに反発強まる。

フランス革命で自由主義派とカトリック派が反乱、一時フランスに併合され、フランス語優位が確立。

ウィーン体制下ではオランダに併合(対ナポレオン戦争最後の決戦の地ワーテルローはベルギーにある)。

1830年仏七月革命の影響で独立革命勃発。

国王候補に一時オルレアン公の次男が挙がるが、結局ザクセン・コーブルク・ゴータ家のレオポルド1世に決定。

(その甥アルベルトが英ヴィクトリア女王と結婚することになる。)

1831年即位。

内閣組織時に首相候補者などと非公式協議を行い、政治関与する慣習が現在も続く。

列強の勢力均衡を保つための永世中立政策と、フランスの強大化を警戒してフランデレン保護策を採用。

1865年レオポルド2世即位。

教育問題で自由主義派とカトリックの対立激化。

産業革命進展。

1884年ベールナールト首相就任(カトリック党が以後1914年まで単独政権)、妥協的解決に努め、社会主義・労働運動へも同様の対応を取り、普通選挙採用。

労働党が進出、フランデレン地域運動活発に。

植民地獲得競争に参加、有名な冒険家スタンリーを雇用、1882年国際コンゴ協会設立、1885年コンゴ自由国という君主が個人所有する国が成立するが、その残虐な統治が国際的批判を受け、1908年正式な植民地ベルギー領コンゴに変更。

1909年前王の甥に当たるアルベール1世即位。

第一次世界大戦で中立を侵犯してドイツ軍侵入、リエージュ攻防戦展開。

ドイツ占領時、それを背景にしたフランデレン主義と、南北統一志向のベルギー愛国主義が対立。

(著名な歴史家ピレンヌはベルギーの統一性主張。)

労働党指導者ヴァンデルヴェルデの主唱による階級和解の試みがあった一方、地域対立の方は戦後も続き、1932年地域言語制を採用、首都ブリュッセルは両語圏と定められる。

1923年フランスと共にルール占領に参加。

34年アルベール1世が登山中遭難死、子のレオポルド3世即位。

フランスと距離を置く厳正中立政策に復帰。

大恐慌下でフランデレン人民同盟、ワロンのレックス党、共産党など左右の急進政党が台頭。

第二次世界大戦で再びドイツ軍による占領の憂き目に遭う。

レオポルド3世は、対独協力は拒否したものの、亡命政府と行動を共にせず国内に留まり、のちに批判を受け、戦後退位、1951年子のボードゥアン1世即位。

社会党出身の政治家ポール・アンリ・スパークによる外交指導で、EC本部がブリュッセルに置かれ、66年仏の軍事機構脱退によってNATO本部も移転してくる。

このスパークはフランスのモネ、シューマンと並んで「欧州統合の父」と呼ばれており、ベルギー近現代史の中では一番知名度が高い人物か。

カトリック政党のエイスケンス政権は教育問題で再度の妥協的解決を巧みに達成したが、1960年コンゴ動乱では賢明ならざる失策を犯し、混乱を拡大させてしまった。

第一次大戦後ドイツから得たルワンダでもフツ族・ツチ族間の対立を煽り、後の大虐殺の種を蒔いたと、本書での評価は厳しい。

戦後、経済的優位がワロンからフランデレンに逆転すると共に財政問題が国政の争点となり、分離運動が激しくなる。

60年代後半には、カトリック、社会党、自由党とも、地域ごとに分裂し、全国規模の政党が無くなる。

統一国家を守るために連邦制までは妥協して認めようとの主張が徐々に力を得て国王も同意。

だが完全な分離主義も台頭、フラームス・ブロックという極右政党が進出。

1993年連邦制成立、同年国王が死去し、弟のアルベール2世即位、当初はスキャンダルもあり批判も受けたが、地域対立で政権不在時期が一年を越す事態に苦言を呈し、連立交渉を促すことができた。

2013年国王退位、子のフィリップ1世が即位している。

建国以来から続く、地域対立の歴史を読んでいると、正直よく国がもっているなあとの感想を持つが、著者は、合意と妥協の政治文化、そして国政の微妙な要としての国王によって何とか統一を維持してきたベルギーを評価している。

 

以上のメモでは(特に戦後の)政局上の記述はかなり省略した。

コンパクトで読みやすい。

話の展開が早いので助かる。

中小国の通史としては、こういうのが良い。

特筆大書する点は無いが、堅実な良書です。

2016年5月7日

内藤陽介 『マリ現代史』 (彩流社)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 02:19

珍しいアフリカ各国別の史書。

いくら国を差別するのはよくないといっても、アフリカの50数ヵ国のすべての国を、例えばイギリス史と同じ密度で叙述するなんて絶対に不可能だし、意味のあることとも思えない。

その中でなぜこれを選んだかというと、たまたま手に取って読みやすそうだっただけ。

特にマリという国が重要と思ったわけでもない。

著者は切手の研究者みたいな人で本書でもその種の記述があるが、それほど目立つことはない。

 

マリはアフリカ西部にあり、東にニジェール、北にアルジェリア、西にモーリタニア・セネガル・ギニア、南にコートジヴォワール・オートヴォルタ(現ブルキナファソ)に接する。

首都は南部のバマコ。

国の中央部北寄りには有名なトンブクトゥがある。

北部に住むベルベル系遊牧民トゥアレグ族起源の街。

ガーナ王国の支配を経て、1076年ムラービト朝によるガーナ王国滅亡。

13世紀マリ帝国成立。

トンブクトゥは交易都市として繁栄。

1324年、君主マンサ・ムーサのメッカ巡礼。

15世紀ソンガイ帝国成立。

1592年モロッコのサアド朝による滅亡。

ヨーロッパの進出が始まり、1659年セネガル川河口にフランスがサン・ルイ建設。

ダカール沖のゴレ島にも拠点設置。

第二帝政下、仏領セネガルが内陸部に拡大。

フェデルブやジョッフル(後者はのちに第一次大戦陸軍司令)らの活動で、1880年代から90年代さらに仏支配地域は拡大、1894年トンブクトゥに到達、仏領スーダンが形成。

第二次大戦ではヴィシー派から自由フランスに合流。

1946年植民地によってフランス連合が成立、第五共和政ではフランス共同体に移行。

1958年ギニアはそれを承認せず、完全独立。

コートジヴォワール指導者のウーフェ・ボワニとセネガルのサンゴールは共に穏健派だが、前者は個々の国家の独自性重視、後者は西アフリカ連邦を重視して袂を分かつ。

急進派である、マリ指導者のモディボ・ケイタがサンゴールと協力して1960年「アフリカの年」にマリ連邦として独立するが、わずか2ヵ月後に主導権争いと経済格差でマリとセネガルは分離。

アフリカ穏健派諸国はブラザヴィル・グループを形成、コートジヴォワール、セネガルを中心とし、モーリタニアはモロッコからの併合圧力を受けこれに合流。

対して急進派はモロッコの支持でカサブランカ・グループを結成、ガーナ、ギニア、マリが加わる。

1963年アフリカ統一機構(OAU)結成。

マリのケイタ政権は中国に接近、中ソ対立下での第三世界急進派の「純化路線」に参加、「文化大革命」の亜流政策を採用し、経済建設に失敗。

1968年軍事クーデタ発生、ムーサ・トラオレ政権成立(ケイタは1977年獄死)。

これ自体は仕方ないか。

「独立運動の英雄」が地道な国家建設には失敗し、引きずり降ろされるというのはよくあるパターンではある。

だが、その後が問題だ。

私には右派の権威主義政権には評価が甘いという悪い癖があるが、このトラオレ政権はやはり失格だ。

朴正熙、スハルト、蒋経国らとは同一視できない。

腐敗、汚職の蔓延、限度を超えた弾圧、旱魃など自然災害への無策など、いい所が無い。

1991年軍司令の一人トゥーレがクーデタを起こし、暫定政権成立、翌92年反政府派知識人のコナレが大統領に就任。

経済は好転し、2002年にはトゥーレ政権に移行。

しかしその頃から経済は失速、2011年リビア内戦でカダフィ政権崩壊、その支持を受けていたトゥアレグ人がマリに入国、2012年より独立紛争を始め、アルカイダ系原理主義者とも協力。

同年紛争対応に不満の軍がサノゴ主導でクーデタを起こす。

国際社会の調停で、中間的解決がなされ、暫定政権樹立。

北部ではトゥアレグ人勢力と原理主義者が仲間割れを起こし公然と対立。

イスラム武装勢力の南部侵攻が現実味を帯びてきた2013年フランスが軍事介入実施、それを押し戻す。

 

 

読みやすくて手ごろ。

悪くない。

これくらいの本が、もちろんアフリカ各国とは言わないが、比較的重要な十数ヵ国について出てくれればいいと思う。

2016年5月1日

フリードリヒ・エンゲルス 『イギリスにおける労働者階級の状態  19世紀のロンドンとマンチェスター 上・下』 (岩波文庫)

Filed under: イギリス, 思想・哲学 — 万年初心者 @ 04:27

再読だったかな?

学生時代買った記憶はおぼろげながらあるが、通読したかどうかは憶えていない。

1845年刊行。

著者はもちろんカール・マルクスの盟友で、共に「科学的社会主義」、共産主義思想を作り上げた人物。

ドイツ・ラインラントの富裕な繊維工場経営者の家に生まれる。

イギリス・マンチェスターにも工場を持っており、その関係でイギリスにおいて得た見聞を元にした作品。

まず産業革命前の社会状況から筆を起こすが、そこでのっけから強い違和感を持つ。

前近代農村での織工たちは、過度の自由競争に晒されず、牧歌的で余裕のある生活を送っていた。

プロレタリアではなく、穏やかな信仰を持ち、上層階級には従順な態度を保持。

にも関わらず、著者エンゲルスは、「彼らは精神的に死んでいた」「・・・・・ロマンティックで居心地はよいが、人間には値しない生活」「彼らはまさに人間ではなく、そのときまで歴史をみちびいてきた少数の貴族に奉仕する、作業機械にすぎなかった」と書く。

こういう決め付けはどうかと・・・・・。

それが産業革命の大波に飲み込まれ、階層分解と大多数のプロレタリアへの転落に追い込まれる。

その貧窮の有様は真に衝撃的である。

「非人間的な冷淡さ」「私的利害への各個人の非常なまでの孤立化」「偏狭な利己心」「個々別々の生活原理と、個々別々の目的とをもった単子への人類の分解」「社会的な戦争、つまり万人対万人の戦争」に覆い尽くされる社会。

恐るべき貧困、過当競争による労働条件の果てしない切り下げ。

公正概念からの逸脱が常態となり、そのような状況下での「自由」は形式化する他無い。

児童・女性の酷使などの惨状を見ると、エンゲルスが「社会的殺人」という言葉を使ったのも断じて誇張とは思えない。

だが、その状況を批判する「未完成なトーリー的ブルジョア」を「工業的・自由主義的ブルジョア」と区別しているが、それならもっと前者を積極的に評価して良いのでは?

それにしても以下の文章には迫力があり、ますます市場主義的価値観に浸食されるばかりの現代社会にも通じるものがある。

この国では社会戦争が全面的に勃発している。だれもが自分のことだけを考え、自分自身のためにすべての他人と戦っている。また公然の敵であるすべての他人に損害をくわえるべきであるかどうかは、自分にとってなにがもっとも有利であるかという利己的な打算にだけかかっている。平和な方法で隣人と意思を通じあうことは、もはやだれにも思いつかない。意見の衝突はすべて脅迫や、自助や、裁判によって処理される。要するにだれもが他人を排除しなければならない敵と見ているか、あるいはせいぜいのところ、自分の目的のために利用する手段と見ているにすぎない。

労働災害、健康被害、詐欺、早死の蔓延など、本書が記す状況は搾取としか言い様がない。

国際競争、自由貿易も労働者にとって災いでしかない。

自分たちの飢えによってイングランドの靴下編工までも失業させることは、ドイツの愛国主義的な靴下編工にとって喜びとしなければならないのではないか?また彼らはドイツ工業の名声をいっそう高めるために、誇りと喜びをもって飢えつづけるのではないか?ドイツの名誉といっても、それは彼らの皿がなかばからっぽであることを要求するからである。ああ、競争とは、「諸国民の競いあい」とは、なんとすばらしいことか!

グローバル化による過当競争に投げ込まれ、ますます労働条件が悪化するにも関わらず、拝金主義的メディアが煽る粗暴なナショナリズムによって、その「国際競争上の必然性」を洗脳され、結果として一部富裕層の思うがままに行動している(米国・韓国・日本などの)国民を思うと、以上の文章は今も深刻すぎる意味を持っている。

醜いブルジョワ社会に抗した「尊敬に値する例外的な態度を示した少数のブルジョアジーの成員」(これにはエンゲルス自身も含まれると個人的には思う)と「人道主義的なトーリー」としてディズレイリカーライルの名が挙がっている。

それを見て現在の新自由主義者は喜び勇んで「左右両翼の全体主義的親和性」を言い立てて、市場主義・リバタリアニズム(自由至上主義)の擁護を主張するだろうが、私はそんなものに同意するつもりは一切ない。

初期資本主義のもたらした恐るべき社会的荒廃こそが、共産主義という狂信を生みだした最大の原因であり、自由(放任)主義こそ、共産主義との真の「共犯」だ。

マルクス主義の全体系を妄想と片付け、その著作を人類史上最悪の犠牲者をもたらした独裁政治の原因となった悪魔の書として弾劾しても一向に構わないが(私もそうする)、本書だけは現在でも読む価値がある。

過去に学び、それを現在に生かすのが歴史を読む目的ならば、その意味で本書は重要な歴史書であると言える。

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