万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年4月16日

村田奈々子 『物語近現代ギリシャの歴史  独立戦争からユーロ危機まで』 (中公新書)

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ギリシアの財政問題が、ユーロ存続危機を既にもたらしていた2012年刊。

独立前のギリシア人の中心的アイデンティティは「ロミイ」(ローマ人)というビザンツ帝国遺民でギリシア正教徒であること。

正教キリスト教徒であることでは、同じオスマン帝国支配下に置かれていたスラヴ人と区別されず。

それがヨーロッパ啓蒙思想とナショナリズムの影響で、古代ギリシアとの繋がりを最重視する一方、オスマン朝に屈したビザンツ帝国を批判的に見る視点が生まれる。

しかし独立後、近代ギリシア人は古代ギリシア人と直結するものではなく、スラヴ民族との混交とその影響を指摘する歴史学の研究が発表されるようになると、ビザンツ帝国を中世ギリシア人国家として肯定的に捉え、古代からのギリシア民族の継続性を強調する主張が行われるようになる。

1821年にイプシランディスらがギリシア独立戦争開始。

バイロンの参加がヨーロッパに独立支持世論を広める。

エリート層、名望家、武装勢力らの利害対立でギリシア内の内部分裂が激しく、暫定的に選出された初代大統領カポディストリアスも独立直前に反対派に暗殺される。

1824年ムハンマド・アリーの軍がオスマン側に参戦したこともあり、独立運動は窮地に陥るが、英仏露が軍事介入し1827年ナヴァリノ海戦で勝利。

国内の分裂を避け、ウィーン体制下の列強の支持を得るため、外国出身の君主が求められ、最初ドイツのサクス・コーブルク家のレオポルドが選ばれるが辞退、レオポルドは1830年七月革命の余波で生まれたベルギーの君主となる。

結局、バイエルン王家のオットーが、オトン王として即位、1832年独立達成。

首都がまもなくアテネに移されたが、古代ギリシアとの繋がりだけではなく、ビザンツ帝国と正教会の栄光を取り戻そうとする立場から、コンスタンティノープルの奪回と大ギリシアの実現を目指す動きが20世紀まで続く。

まずクリミア戦争が起こると、トルコと戦うロシアを正教徒の守護者として支持し、ギリシアからも義勇軍が参戦するが、英仏がオスマン側に参戦、ギリシアの意図が挫折。

1862年クーデタでオトン王が追放され、デンマーク王室からゲオルギオス1世が即位。

1877~78年の露土戦争時には、パン・スラヴ主義を掲げるロシアは「メガリ・イデア」(大ギリシアを目指す運動)の敵と見なされていた。

1881年列強の仲介でテッサリアがギリシアに割譲。

1896年アテネで第一回近代オリンピック開催。

1897年クレタ併合を目的としてトルコに宣戦するが、ギリシア軍は大敗。

マケドニアをめぐって、ブルガリアおよびセルビアとも対立。

1912~13年二度のバルカン戦争でマケドニアとクレタ島併合に成功。

その最中、ゲオルギオス1世が暗殺され、コンスタンディノス王即位。

ここで、言語問題についての章が挟まり、民衆の口語である「ディモティキ」と、古代ギリシア語と口語の折衷語である「カサレヴサ」のどちらを公用語とするかの対立が独立から20世紀後半に至るまで続き、聖書やギリシア悲劇の口語訳への反対運動では死傷者すら出たこと、結局ディモティキが徐々に支持を広げ公用語となったが、近代ギリシア語に対するカサレヴサの貢献も小さくないこと等が記されている。

その次の章は、「闘う政治家ヴェニゼロスの時代(一九一〇~三五)」と題されている。

高校世界史では、近現代ギリシアの歴史的人物の名は誰一人出てこないですが、もし一人だけ名を挙げるとすれば、このヴェニゼロスが最有力候補でしょう。

第一次大戦を挟んだ時期において、実際ずば抜けた存在感を示している。

しかし同時にギリシア国家に深刻な分裂をもたらしたとの評価もある。

ヴェニゼロスはクレタ島出身。

政界入りし、オスマン帝国内の自治権をもったクレタ島で、ギリシアから派遣された高等弁務官から主導権を奪い、指導的地位に就く。

1909年、前年起こった青年トルコ革命によって隣国トルコの民族主義高揚に危機感を覚えた若手将校が軍事クーデタを実行。

1910年その支持を得たヴェニゼロスが首相に就任、議会選挙でもヴェニゼロス与党の自由党が圧勝。

公務員猟官制の廃止、初等教育義務化、道路建設・通信整備などの公共事業、土地改革と農業振興、累進所得税導入、労働者保護の為の社会政策、財産権と自由権の一部制限、陸海軍の増強など、様々な改革を進める。

上記の通り、バルカン戦争でマケドニア、クレタ島獲得。

第一次大戦で、ヴェニゼロスは連合国側での参戦を主張、国王コンスタンディノスは中立を望み、1915年ヴェニゼロスは辞任するが、16年連合国に支援を受けてテッサロニキに分離政府を組織、17年ヴェニゼロスがアテネに帰還、国王は退位、ギリシアは連合国側に参戦した。

1920年セーヴル条約で小アジア西部スミルナを占領するが、ムスタファ・ケマル率いる新生トルコ軍の激しい反撃を受ける。

同年議会選挙で自由党敗北、ヴェニゼロス下野、長子アレクサンドロスの死により前国王コンスタンディノスが復位。

最終的にスミルナは失われ、23年ローザンヌ条約締結。

敗北の責任を反ヴェニゼロス派(王党派)が負わされ、国内の分裂と対立はますます激しくなる。

24年にはヴェニゼロス派の政権によって、共和制に移行。

28~32年ヴェニゼロスの最後の長期政権。

労働者保護政策を進める一方、共産主義者に対する徹底した弾圧を実行。

対外的にはトルコ共和国と和解し、領土拡張政策を放棄。

世界恐慌の波及で、政治対立が再び深刻化。

33年反ヴェニゼロス派が選挙で勝利すると、ヴェニゼロス派軍人によるクーデタが二度決行されるが、いずれも失敗、ヴェニゼロスはパリに亡命、36年死去。

35年王制復古、ゲオルギオス2世復位。

本書でのヴェニゼロスの評価は、ギリシアの近代化と領土拡大に果たした役割は大きいが、ギリシア社会の分断というその代償は余りにも大きかった、とするもので、確かに本書の叙述を読むとそう感じる。

1936年、共産主義の脅威への懸念から、ファッショ的なメタクサス将軍による軍事独裁政権樹立。

40年イタリア軍がギリシアへの侵攻を開始、41年にはドイツ軍が侵入、ギリシアを占領。

共産党を中核とする民族解放戦線(EAM)が抵抗運動を組織、勢力を拡大。

だがギリシア人同士の対立も激しく、しばしば武力衝突に至る。

44年10月ドイツ軍撤退、ギリシア解放。

ゲオルギオス・パパンドレウ亡命政府帰国、長い戦乱で疲弊し平和を求める国民はEAMの急進的主張から距離を置くようになり、右翼・王党派が勢力回復、47年から内戦が始まる。

政府側はイギリス、継いでトルーマン宣言後のアメリカから大規模支援を得る。

一方、EAM側は、東欧支配を固めることを最優先するスターリンはその支援に本腰を入れず、さらに隣国ユーゴスラヴィアのチトーがコミンフォルムから追放されたことで、最大の援助者も失い、完全に敗北。

「兄弟殺し」という内戦は悲惨なものだが、しかしひとまず共産化という最悪の結果を免れたのは良かったと思える。

だが、残念にもその後の展開はあまり芳しいものではなかった。

以後のギリシアは軍人、右翼政治家、保守的官僚、王党派の抑圧的停滞的支配下に置かれる。

それへの反発から、1964年ゲオルギオス・パパンドレウ率いる中道政党・中央同盟が勝利、長期与党だった右翼政党・国民急進同盟が敗北。

65年国王コンスタンディノス2世がパパンドレウを罷免すると、政治混乱と秩序崩壊が顕著になる。

67年クーデタが発生、以後74年までパパドプロスらの軍事政権がギリシアを支配することになる。

当初軍事政権寄りだった国王は、その余りの強硬路線に耐えかね、反クーデタを企てるが失敗、ローマに亡命し、軍事政権は国王を廃位する。

西側諸国は69年カダフィ主導のリビア革命後、その基地を失ったこともあって、NATOメンバーであるギリシアの戦略的価値から軍事政権に対して強い姿勢を取ることは無かった。

だが学生や在外ギリシア人を中心に反対運動が盛り上がる中、74年軍事政権はキプロス併合を目論み、同国のマカリオス大統領暗殺に失敗、逆にトルコ軍の北キプロス占領を招くという、この外交的大失策で軍事政権は自壊。

議会政治が復活し、国民投票により君主制は正式に廃止(王制を廃止したのは軍事政権なのだがら、同じ時期のスペインと同様に立憲君主制の確立に向かっても良さそうなものだが、それまでに軍部と密着し過ぎていたか?)。

元国民急進同盟党首のカラマンリスが結成した右派の新民主主義党(ND)と、ゲオルギオスの子アンドレアス・パパンドレウが率いる左派の全ギリシア社会主義運動(PASOK)が二大政党となる。

スペイン・ポルトガルと並ぶ1970年代半ばの南欧民主化時点まで話が行ったところで、「国境の外のギリシャ人」という章が挟む。

まず黒海南岸、ポンドス(ポントス)のギリシア人。

その言語は、セルジューク朝の小アジア進出以来、他のギリシア人と地理的に切り離されたため、独自の発展を遂げた。

後年、その多くはロシアに移住、ソ連時代に様々な苦難を舐め、ソ連崩壊後はギリシアに移住する人々も多い。

次いでアメリカ移民。

二〇世紀はじめの二十年間ほどで、ギリシア王国に住む15歳から45歳男性の四人に一人が移住、その多くがアメリカ合衆国に向かう。

同時期の東欧からの「新移民」と共にアメリカ社会に定着。

ニクソン政権副大統領のアグニューがギリシア系アメリカ人であることは、本書で初めて知った。

最後にキプロス。

およそ8割がギリシア系、2割がトルコ系住民。

1878年イギリスが施政権獲得、1925年直轄植民地化。

第二次大戦後、ギリシアとトルコの対立の焦点となり、NATO加盟国同士の紛争回避を至上命題とする西側諸国は1960年キプロスを独立させ、正教会大主教マカリオスが大統領に就任。

当初ギリシアへの併合派だったマカリオスはキプロスの独立維持を目標とするようになり、ギリシア軍事政権と対立、マカリオス暗殺が計画されるが失敗、74年トルコ軍が北部を占領、「北キプロス・トルコ共和国」を樹立したが、承認しているのはトルコだけ。

現在もこの分断状態が続き、2004年キプロス共和国はEU(ヨーロッパ連合)に加入した。

終章は「現代のギリシャ」。

カラマンリスND政権は「国家統制主義的資本主義」で経済再建を進め、ギリシアは1981年EC(ヨーロッパ共同体)に加入。

同年政権交代で、アンドレアス・パパンドレウPASOK政権誕生。

政権獲得前に示唆していたEC・NATO脱退には向かわず、外交政策の継続性維持。

だが内政では国債とEC援助金に依存した大衆迎合的政策を取り、将来の危機を準備する。

その後、アンドレアスの子ヨルゴス・パパンドレウのPASOK政権、カラマンリスの甥コスタス・アレクサンドロス・カラマンリスND政権でも抜本的改善措置は取られず、2001年他国から二年遅れでのユーロ導入、2004年アテネ・オリンピックなどの華やかさの影に隠れ、危機は進行、2009年それが財政赤字額の粉飾発表という形で一気に明るみに出て、ユーロ圏全体に経済危機をもたらすことになる。

この事態について、末尾で著者も少し書いていますが、もちろん借金に依存してバブルに踊ったギリシア国民の責任も免れないが、ドイツを中心とするEU主要国がギリシアに緊縮政策を押し付けているのを見ると、何とも嫌な気がします。

緊縮財政を続けたところで、経済が上向かない限り、財政赤字は拡大するだけです。

かつてアングロ・アメリカ的な自由放任経済ではない、「社会的市場経済」を誇りにしていたはずのドイツが、国際金融資本と同じ口調でギリシアを責め立てているのを見ると、第二次大戦のトラウマによって歪められた悪しきナショナリズムを感じる(今の日本も他人の国のこと言えませんけどね)。

左右の過激主義的政治勢力の台頭も伝えられるギリシアだが、何とか破局的事態が起こるのだけは阻止してもらいたいものです。

読みやすいが、ちょっと話があっさり進みすぎかな、という印象もある。

言語や在外ギリシア人の章を省略して、そのページを通史に当ててくれた方が良かったかもしれないが、それだとかえって本書の特色が無くなるか。

決して悪くはない。

教養と一般常識のために手に取る本としては、適切です。

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