万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年4月22日

中野剛志 『保守とは何だろうか』 (NHK出版新書)

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1980年代、日米英など先進各国で、レーガン・サッチャー・中曽根など「新保守主義」と称される政権が誕生し、民営化の推進・市場原理の尊重・個人主義の擁護をその政策の中心に置き、すでにその惨状が明らかであった共産主義体制のみならず、戦後資本主義体制において主流を占めた社会民主主義的・ケインズ主義的な経済への国家介入に対する「新自由主義」の巻き返しとして、注目された。

だが、通常「保守主義の復興」と見なされる、この新自由主義との結託によって、実は真の保守主義の死がもたらされたとの評価があることを本書では指摘。

伝統的共同体、持続的人間関係、安定した社会秩序、固有の生活様式、歴史的に継承されてきた文化があってこその個人の自由だが、自由放任市場はそれらの諸前提を破壊する。

過当競争による雇用不安定化、労働条件悪化、選択の自由拡大による人間関係の希薄化、移動拡大による地域共同体弱化、グローバル化による文化破壊など、

「要するに、無制限の市場制度が伝統的な生活様式に与える破壊的な効果によって、自由市場保守主義は本質的に不安定なものとなり、そして長期的には、自己破壊的な政治プロジェクトとなるのである」。

そして何より強調すべきなのは、新自由主義はその存在理由たる資本主義の繁栄にも実は失敗しているということ。

それどころか、資本主義を極度に不安定化し破壊してしまった。

定期的に繰り返されるバブルとその後の大不況、低成長と異常な格差拡大で、資本主義体制の維持すら危うくしている。

本書では、19世紀英国のサミュエル・テイラー・コールリッジの思想を取り上げる。

コールリッジはワーズワースと並ぶイギリス・ロマン派の詩人として知られているが、政治経済学的著作を著しており、著者によれば天才的な保守思想家でもあったという。

産業革命進行中の初期資本主義がもたらした恐るべき社会荒廃を直視し、リカード、マルサスなど古典派経済学者と新興ブルジョワ起業家が唱える自由放任主義を徹底的に批判し、オーウェンら「空想的」社会主義者と共通点を持つ解決策を模索したコールリッジの思想が各方面について検討されている。

 

 

素晴らしい出来。

品性下劣なネオリベ的経済学者とIT関連の起業家が「識者」面でのうのうと、ごく少数の富裕層にだけ有利で、圧倒的多数の国民には有害無益な市場原理主義的デマゴギーを撒き散らしている中、政治経済学関連の論者としては、私が知る限り、著者が最も信頼できる。

本書を読むと、もはや在りもしない「社会主義の脅威」を煽られ、市場原理主義的政策とセットになった「反左翼」勢力を支持することが、「保守」ないし「右翼」だと錯覚する愚を悟ることになる。

強く薦める。

 

一九八〇年代以降、保守の立場は、経済面においては、新自由主義とほぼ同一視されてきた。だが、歴史をたどってみると、保守は、市場原理主義的な考え方と常に親和的であったわけでは必ずしもない。むしろ、十九世紀においては、保守の最大の敵は、自由市場と個人主義的な価値観を唱道する古典的な自由主義者であった。この古典的な自由主義こそ、今日の新自由主義のルーツである。

保守は、急進的な変化や革命による破壊という敵から、伝統的な生活様式や価値観を守ることを使命としてきたが、保守にとっての敵は、時代とともに変化してきた。十八世紀末から十九世紀初頭にかけては、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』に代表されるように、フランス革命とそれを支える革命イデオロギーが、保守にとっての最大の脅威であった。だが、十九世紀から第一次世界大戦頃までは、保守の主たる懸念は、自由主義の台頭にあったのである。

例えば、十九世紀のイギリスの保守は、社会的な権威や伝統的な秩序、人々の生活、そして自由そのものまでもが、自由主義の名の下に破壊され、しかも放置されるのを憂慮していた。当時の保守は、自由放任の資本主義が貧富の格差を拡大させ、労働者を疎外すると考え、政府による介入や規制の必要性を説いていたのであり、その意味では、自由主義者よりもむしろ社会主義者の立場に近かったのである。

 

二〇世紀に入ると、全体主義や共産主義が台頭し、保守にとっての新たな脅威となった。そこで、保守と自由主義者とは、全体主義者や共産主義という共通の敵を前にして、手を結ぶようになった。しかし、保守は、自由市場に対する警戒を怠ったわけではなかった。

第二次世界大戦後の保守は、ハイエクやフリードマンのような新自由主義者とは異なり、ケインズ主義的な経済運営や福祉国家までも全体主義への道であるとして否定することはなかった。一九七〇年代のスタグフレーションの中で、ケインズ主義に対する信頼が揺らぎ、七〇年代後半から、新自由主義が影響力を強めていったのは先述の通りだが、それでもなお、その当時においては、保守の中には、新自由主義の台頭を懸念する声があったのである。

例えば、アメリカの代表的な保守派論客であるアーヴィング・クリストルは、一九七七年の『パブリック・インタレスト』誌において、フリードマンを批判して、次のように論じていた。

フリードマンは、「個人の自由な選択によるコンセンサス以外に、国家目的などは存在しないと認識するのが、自由な人間である」と主張する。しかし、フリードマンの言うコンセンサスとは、利己的な目的の総計に過ぎない。利己的個人の目的を単に足し合わせたところで、そこから正統性をもった社会秩序が自動的に発生するようなことはない。公的な社会目的との関係を一切もたないような孤立した私的人生の目的など、無意味で虚しいものに過ぎない。個人の私的自由ばかりが尊重される資本主義は、道徳観を欠き、刹那的な衝動だけで動く虚無主義的な人間を大量に発生させるだけである。

イギリスでも、保守党の政治家であるイアン・ギルモアが、保守の立場から、ハイエクの主著『自由の条件』を批判していた。ハイエクの自由主義は、理性に対する懐疑や、歴史的に形成された制度や慣習の尊重という点において、たしかに保守的な側面を多々有しているのは事実である。しかし、その「自由主義は、金科玉条と化し、したがって歪められた保守主義」だとギルモアは言う。

例えば、経済的平等と累進課税についてのハイエクの見解は、保守には受け入れ難い。ハイエクは所得再分配の必要性を一切認めず、累進課税を不公正なものとみなす。しかし、保守は、調整を要するような耐えがたい所得格差がありうることを想定している。そして、その格差を是正するためには、ある程度の累進性をもった税制が必要であることも認めるのである。

・・・・・ハイエクは、経済的な自由と政治的な自由を同一視していた。しかし、ギルモアは、ハイエクとは異なり、国家が一切干渉しない経済的自由は、政治的な自由を保障するものではなく、むしろ脅かすものだと論じた。経済的な自由主義が理想とする競争社会は殺伐としたものであり、そこから社会の連帯感は生まれない。社会の一体感や連帯感がなければ、自由な社会というものもありえないというのが、保守の考えである。「この点は、おそらく、自由主義と保守主義の間の根本的な相違点である」。

 

十九世紀において、保守は、自由市場による格差の拡大が国民統合に与える悪影響を懸念して、自由主義と対立し、その点で社会主義と多くを共有していた。そして、二十一世紀、グローバルな自由市場が国民を二つに引き裂いていく中、保守は、再び新自由主義と対決し、そして社会主義に近づきつつあるようである。

 

 

すべてを市場価値で評価するような風潮が社会を覆うようになった。そして、経済的な実用性や快楽のみが、価値あるものとされた。「価値という言葉は、有用性という言葉のつまらない類語の一つに格下げとなり、感覚を満足させるもののみが、有用であるとされたのです」。すべての価値が市場の価格で評価され、市場における取引の対象にならないもの、カネにならないものは価値がないものとみなされるようになった。

伝統的な階級秩序が崩壊した平等な社会では、社会的な認知は、伝統的な階級や家柄ではなく、富の多寡によって獲得しなければならなくなる。人々は、社会的な認知を求めて、富の飽くなき追求に走るようになり、営利精神が過剰になっていく。そういう社会では、あらゆる高貴な価値が崩壊し、思想は堕落し、文化は俗悪化していく。

「あらゆる仕事が、目の前の利益や快楽のために利用され、にわかに富を得る欲望にとらわれ、感覚を刺激し、醜聞や中傷を求める劣情を満たすものとなり、循環するという陥穽に落ちています。しかし、言葉の厳密な意味における哲学も神学も、わたしたちの間に存在しているとは言えません。」

営利精神が過剰になることで、あらゆる活動が、即物的な刺激に対する欲求に基づくものとなり、快楽主義が蔓延し、下劣なゴシップやスキャンダルばかりが好まれるようになる。学問の世界においても、功利的な目的の役に立つ「手段」としての知識ばかりが重用され、真理の探究を目的とするような学問は軽蔑されるようになる。

この営利精神の過剰による社会の堕落や文化の俗悪化は、現代の資本主義社会を、今もなお蝕んでいるものであろう。それどころか、悪化しつつあるのではないか。

 

 

要するに、オーウェンは、『新社会観』の中で、需要不足による失業とデフレの問題に対して、政府の公共事業による需要創出というケインズ主義的な処方箋を提示しているのである。そして、オーウェンもまた、コールリッジと同様、経済学的な需要管理よりはむしろ、社会環境の改善とそれを通じた国民精神の健全化を重視していたのである。

オーウェンは社会主義の祖の一人とみなされている。これに対して、コールリッジは保守主義者に列せられてきた。だが「大転換」の只中におけるイギリスの危機に対して、オーウェンとコールリッジは、ほぼ同時期に、労働者の保護と教育による社会防衛と公共投資による需要創出という、ほぼ同じ処方箋を導き出した。市場メカニズムによる社会の破壊という問題に対し、保守主義と社会主義は、同じ結論に達したのである。

 

 

イギリスの政体は、歴史的に、貴族階級が君主の権力を制限する立憲君主制であり、それによって、最も純粋な民主政治よりもはるかに自由な国家を実現してきた。絶対的な権力を有する主体が存在せず、階級や団体など、さまざまな勢力が「潜在権力」として多元的に存在し、国家の「活動権力」と拮抗してきたことが、イギリスに自由をもたらしたのだ。その逆に、「民主的共和国と絶対君主制は、両方とも、国民から全権力を委ねられているという点で合意するのです」。

現代的な誤解を避けるために付言するならば、コールリッジは、民主政治それ自体を一切、否定しているわけではない。民主政治だけでは、健全な国家は成り立ちえないと述べているのである。ただし、民主政治は、健全な国家を維持する上で不可欠な要素の一つではある。コールリッジは、民主政治について、身体の生命を維持するために体内を循環する血液のようなものであると表現している。

しかし、完全に平等な社会における純粋な民主政治では、選出された国家指導者に権力が集中してしまう。それは、独裁政治と同じである。フランス革命は、貴族や教会といった階級や団体を排除し、完全に平等な民主政治を実現したが、結局、ジャコバン派の恐怖政治やナポレオンの独裁という結果に終わった。中間勢力のない無制限の民主政治は、必ず全体主義へと堕する。これは、エドマンド・バークやアレクシス・ド・トクヴィルなども強調した点であり、保守主義の政治思想を特徴づける重要な特徴の一つである。

独裁政治を生み出すのは、純粋な民主政治だけではない。フランスの経済学者たちは、自由放任を唱え、あらゆる規制や政府介入から自由な、完全な市場を実現すれば、均衡ある秩序が自動的に形成されると主張していた。だが、そのような自由市場は、野蛮と抑圧につながり、最終的には、必然的に軍事独裁を招来するであろうとコールリッジは警告している。

この警告も予言的である。

最小国家を唱え、自由を尊重し、個人主義を信奉する新自由主義者が、なぜ、よりにもよって独裁権力や恐怖政治と結託するのか。その理由は簡単である。新自由主義者は、抽象的な理論から導き出されたに過ぎない自由市場を実現しようとする。だが、現実の経済においては、数々の規制、制度あるいは既得権益が存在しており、完全に自由な個人が競争する市場などというものは存在しない。完全なる自由競争市場を実現するためには、その障害となっている規制、制度、既得権益を破壊しなければならない。その破壊のためには、強大な権力が必要となる。こうして新自由主義者は、独裁権力と結託するのである。

 

 

コールリッジは、社会科学の理論あるいは理性が、社会全体の秩序に関する一般原則を示すのみであるという点に関してはハイエクに同意するだろう。しかし、コールリッジは、次の二点において、ハイエクとはまったく立場を逆にする。

第一に、コールリッジは、自由な活動が自生的秩序を形成するというハイエクの理論を拒否する。・・・・・自由市場は、決して自動的には均衡に向かわず、放置すれば経済全体を不安定化させてしまうものであった。そして、ハイエクの自生的秩序の市場理論は、十九世紀の金融循環や世界恐慌といった歴史、そして現在の世界経済危機という事実によって、反証されている。

第二に、コールリッジは、社会科学は抽象的な一般原則しか示せないことを認めるが、だからこそ、個別具体的な状況を扱う政治の世界には直接適用すべきではないとするのである。この点で、保守主義は、ハイエク的な新自由主義とは決定的に袂を分かつ。マイケル・オークショットが強調したように、理性が示した抽象的な原則を政治に適用すべきであるという「政治における合理主義」を拒否し、実践的な政治を重視することこそ、保守主義の政治哲学の要諦である。

もっとも、ハイエクもまた、合理主義を批判してきたことで知られている。彼は、共産主義の計画経済の基礎にある合理主義の認識論的な誤謬を激しく攻撃してきたのであり、その点でオークショットなど保守主義者と共闘しうるのは事実である。また、そのことは、ハイエクの思想が保守主義とみなされてきた理由のひとつでもあろう。

だが、実際には、ハイエクもまた、理論が導き出した一般原則に忠実に従って統治を行うべきだと考えていたのである。ハイエクの自由主義とは、共産主義とは別種の「政治における合理主義」であったのだ。そのことに気づいていたオークショットは、ハイエクの主著『隷従の道』を、こう評している。「あらゆる計画に抵抗する計画というのは、その反対のものよりもましかもしれないが、結局、同じ政治のスタイルに属しているのである」。

 

 

今日の世界は、このコールリッジの保守主義の叡智を必要としているようだ。

一九九〇年代前半、ルワンダとブルンジは、人権擁護団体による国際的な圧力によって、民主化と自由化を急進的に推し進めた。これは、自由民主的な制度さえ設ければ、自由で民主的な社会ができるという原則に立った改革であった。しかし、その急進的な自由化と民主化は、原理主義的な言論や政治運動をも促進し、国内の民族対立を深刻化させた。そして、ルワンダでの五〇万人以上の虐殺をはじめとする陰惨な結果を招いたのである。

アメリカの政治学者ジャック・シュナイダーは、このルワンダとブルンジの事例などを挙げつつ、急進的な民主化や自由化を警戒してきた保守主義の叡智をあらためて評価している。イギリスの自由化や民主化の歴史が、暴力や混乱を引き起こすことが比較的少なかったのは、エドマンド・バークに代表される保守のエリート層が、急進的な自由化・民主化の運動に抵抗し、伝統的な制度や階級秩序を保守し、漸進的な改革を重んじたためだったのである。

ニ一世紀初頭には、アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権が、民主主義という原則を掲げ、中東の民主化を企ててイラクを攻撃した。しかし、これもまた、民主化どころかイラク国内および中東情勢の混乱を招いただけに終わった。

アメリカという国には、各国の歴史や文化の多様性を一切顧みずに、自由や民主主義といった原理原則を世界に画一的に広めようとする一極主義(unilateralism)の傾向が色濃くある。ブッシュの企てたイラク戦争は、まさにアメリカ一極主義の典型であった。政治学者デイヴィッド・カレオは、このアメリカ一極主義を一貫して批判し続け、多様な国民国家から構成される多元的な世界を目指すべきだと主張してきた。そのカレオは、コールリッジの政治思想の研究においては、パイオニア的存在でもある。彼のアメリカ一極主義批判は、コールリッジの保守主義を継承しているのである。

理性が発見した抽象的な原理原則を掲げた急進的・抜本的改革に対しては、徹底的に抵抗する。これこそ、保守主義の最大の特徴である。政治哲学者マイケル・オークショットや、アンソニー・クイントン、あるいはノエル・オサリヴァンは、そのような保守主義の政治思想を「不完全性の政治学(The Politics of Imperfection)と呼ぶ。

政治における人間の理性は、完全なものではない。それゆえ、理性による政治秩序の構築を企てるのは危険である。したがって、伝統的な制度や慣習、あるいは権威など、理性では論証できないようなものであっても、それらが秩序の基礎になっているのであれば、それを便宜的に保守したほうが賢明である。かりに既存の制度の改革を行う場合であっても、理性の限界を肝に銘じて、慎重に、漸進的に進めるのが望ましい。そうした秩序に対する保守的な姿勢の方が、かえって自由を守ることができる。これが保守主義の「不完全性の政治学」である。

だから保守主義者は、フランス革命における急進的な民主化に反対した。それがルソーの「一般意志」という抽象的原理によって、合理主義的に世界を改造しようとするものだからである。共産主義革命に反対したのも、それがマルクス主義という理論による合理主義的改造だからである。そしてコールリッジは、同じ理由から、古典派経済学者の自由主義に反対した。ならば、保守主義の「不完全性の政治学」は、現代においては、新自由主義に基づく抜本的な構造改革やグローバル化を推し進める新自由主義、そして世界を画一化しようとするアメリカの一極主義に対して、叛旗を翻さなければならないはずである。

だが、現代日本の「保守」を称する政治家や知識人たちは、それとは逆のことをやり続けている。なぜか。

理由は簡単である。それは、彼らが、真の保守ではないからである。

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2016年4月16日

村田奈々子 『物語近現代ギリシャの歴史  独立戦争からユーロ危機まで』 (中公新書)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:50

ギリシアの財政問題が、ユーロ存続危機を既にもたらしていた2012年刊。

独立前のギリシア人の中心的アイデンティティは「ロミイ」(ローマ人)というビザンツ帝国遺民でギリシア正教徒であること。

正教キリスト教徒であることでは、同じオスマン帝国支配下に置かれていたスラヴ人と区別されず。

それがヨーロッパ啓蒙思想とナショナリズムの影響で、古代ギリシアとの繋がりを最重視する一方、オスマン朝に屈したビザンツ帝国を批判的に見る視点が生まれる。

しかし独立後、近代ギリシア人は古代ギリシア人と直結するものではなく、スラヴ民族との混交とその影響を指摘する歴史学の研究が発表されるようになると、ビザンツ帝国を中世ギリシア人国家として肯定的に捉え、古代からのギリシア民族の継続性を強調する主張が行われるようになる。

1821年にイプシランディスらがギリシア独立戦争開始。

バイロンの参加がヨーロッパに独立支持世論を広める。

エリート層、名望家、武装勢力らの利害対立でギリシア内の内部分裂が激しく、暫定的に選出された初代大統領カポディストリアスも独立直前に反対派に暗殺される。

1824年ムハンマド・アリーの軍がオスマン側に参戦したこともあり、独立運動は窮地に陥るが、英仏露が軍事介入し1827年ナヴァリノ海戦で勝利。

国内の分裂を避け、ウィーン体制下の列強の支持を得るため、外国出身の君主が求められ、最初ドイツのサクス・コーブルク家のレオポルドが選ばれるが辞退、レオポルドは1830年七月革命の余波で生まれたベルギーの君主となる。

結局、バイエルン王家のオットーが、オトン王として即位、1832年独立達成。

首都がまもなくアテネに移されたが、古代ギリシアとの繋がりだけではなく、ビザンツ帝国と正教会の栄光を取り戻そうとする立場から、コンスタンティノープルの奪回と大ギリシアの実現を目指す動きが20世紀まで続く。

まずクリミア戦争が起こると、トルコと戦うロシアを正教徒の守護者として支持し、ギリシアからも義勇軍が参戦するが、英仏がオスマン側に参戦、ギリシアの意図が挫折。

1862年クーデタでオトン王が追放され、デンマーク王室からゲオルギオス1世が即位。

1877~78年の露土戦争時には、パン・スラヴ主義を掲げるロシアは「メガリ・イデア」(大ギリシアを目指す運動)の敵と見なされていた。

1881年列強の仲介でテッサリアがギリシアに割譲。

1896年アテネで第一回近代オリンピック開催。

1897年クレタ併合を目的としてトルコに宣戦するが、ギリシア軍は大敗。

マケドニアをめぐって、ブルガリアおよびセルビアとも対立。

1912~13年二度のバルカン戦争でマケドニアとクレタ島併合に成功。

その最中、ゲオルギオス1世が暗殺され、コンスタンディノス王即位。

ここで、言語問題についての章が挟まり、民衆の口語である「ディモティキ」と、古代ギリシア語と口語の折衷語である「カサレヴサ」のどちらを公用語とするかの対立が独立から20世紀後半に至るまで続き、聖書やギリシア悲劇の口語訳への反対運動では死傷者すら出たこと、結局ディモティキが徐々に支持を広げ公用語となったが、近代ギリシア語に対するカサレヴサの貢献も小さくないこと等が記されている。

その次の章は、「闘う政治家ヴェニゼロスの時代(一九一〇~三五)」と題されている。

高校世界史では、近現代ギリシアの歴史的人物の名は誰一人出てこないですが、もし一人だけ名を挙げるとすれば、このヴェニゼロスが最有力候補でしょう。

第一次大戦を挟んだ時期において、実際ずば抜けた存在感を示している。

しかし同時にギリシア国家に深刻な分裂をもたらしたとの評価もある。

ヴェニゼロスはクレタ島出身。

政界入りし、オスマン帝国内の自治権をもったクレタ島で、ギリシアから派遣された高等弁務官から主導権を奪い、指導的地位に就く。

1909年、前年起こった青年トルコ革命によって隣国トルコの民族主義高揚に危機感を覚えた若手将校が軍事クーデタを実行。

1910年その支持を得たヴェニゼロスが首相に就任、議会選挙でもヴェニゼロス与党の自由党が圧勝。

公務員猟官制の廃止、初等教育義務化、道路建設・通信整備などの公共事業、土地改革と農業振興、累進所得税導入、労働者保護の為の社会政策、財産権と自由権の一部制限、陸海軍の増強など、様々な改革を進める。

上記の通り、バルカン戦争でマケドニア、クレタ島獲得。

第一次大戦で、ヴェニゼロスは連合国側での参戦を主張、国王コンスタンディノスは中立を望み、1915年ヴェニゼロスは辞任するが、16年連合国に支援を受けてテッサロニキに分離政府を組織、17年ヴェニゼロスがアテネに帰還、国王は退位、ギリシアは連合国側に参戦した。

1920年セーヴル条約で小アジア西部スミルナを占領するが、ムスタファ・ケマル率いる新生トルコ軍の激しい反撃を受ける。

同年議会選挙で自由党敗北、ヴェニゼロス下野、長子アレクサンドロスの死により前国王コンスタンディノスが復位。

最終的にスミルナは失われ、23年ローザンヌ条約締結。

敗北の責任を反ヴェニゼロス派(王党派)が負わされ、国内の分裂と対立はますます激しくなる。

24年にはヴェニゼロス派の政権によって、共和制に移行。

28~32年ヴェニゼロスの最後の長期政権。

労働者保護政策を進める一方、共産主義者に対する徹底した弾圧を実行。

対外的にはトルコ共和国と和解し、領土拡張政策を放棄。

世界恐慌の波及で、政治対立が再び深刻化。

33年反ヴェニゼロス派が選挙で勝利すると、ヴェニゼロス派軍人によるクーデタが二度決行されるが、いずれも失敗、ヴェニゼロスはパリに亡命、36年死去。

35年王制復古、ゲオルギオス2世復位。

本書でのヴェニゼロスの評価は、ギリシアの近代化と領土拡大に果たした役割は大きいが、ギリシア社会の分断というその代償は余りにも大きかった、とするもので、確かに本書の叙述を読むとそう感じる。

1936年、共産主義の脅威への懸念から、ファッショ的なメタクサス将軍による軍事独裁政権樹立。

40年イタリア軍がギリシアへの侵攻を開始、41年にはドイツ軍が侵入、ギリシアを占領。

共産党を中核とする民族解放戦線(EAM)が抵抗運動を組織、勢力を拡大。

だがギリシア人同士の対立も激しく、しばしば武力衝突に至る。

44年10月ドイツ軍撤退、ギリシア解放。

ゲオルギオス・パパンドレウ亡命政府帰国、長い戦乱で疲弊し平和を求める国民はEAMの急進的主張から距離を置くようになり、右翼・王党派が勢力回復、47年から内戦が始まる。

政府側はイギリス、継いでトルーマン宣言後のアメリカから大規模支援を得る。

一方、EAM側は、東欧支配を固めることを最優先するスターリンはその支援に本腰を入れず、さらに隣国ユーゴスラヴィアのチトーがコミンフォルムから追放されたことで、最大の援助者も失い、完全に敗北。

「兄弟殺し」という内戦は悲惨なものだが、しかしひとまず共産化という最悪の結果を免れたのは良かったと思える。

だが、残念にもその後の展開はあまり芳しいものではなかった。

以後のギリシアは軍人、右翼政治家、保守的官僚、王党派の抑圧的停滞的支配下に置かれる。

それへの反発から、1964年ゲオルギオス・パパンドレウ率いる中道政党・中央同盟が勝利、長期与党だった右翼政党・国民急進同盟が敗北。

65年国王コンスタンディノス2世がパパンドレウを罷免すると、政治混乱と秩序崩壊が顕著になる。

67年クーデタが発生、以後74年までパパドプロスらの軍事政権がギリシアを支配することになる。

当初軍事政権寄りだった国王は、その余りの強硬路線に耐えかね、反クーデタを企てるが失敗、ローマに亡命し、軍事政権は国王を廃位する。

西側諸国は69年カダフィ主導のリビア革命後、その基地を失ったこともあって、NATOメンバーであるギリシアの戦略的価値から軍事政権に対して強い姿勢を取ることは無かった。

だが学生や在外ギリシア人を中心に反対運動が盛り上がる中、74年軍事政権はキプロス併合を目論み、同国のマカリオス大統領暗殺に失敗、逆にトルコ軍の北キプロス占領を招くという、この外交的大失策で軍事政権は自壊。

議会政治が復活し、国民投票により君主制は正式に廃止(王制を廃止したのは軍事政権なのだがら、同じ時期のスペインと同様に立憲君主制の確立に向かっても良さそうなものだが、それまでに軍部と密着し過ぎていたか?)。

元国民急進同盟党首のカラマンリスが結成した右派の新民主主義党(ND)と、ゲオルギオスの子アンドレアス・パパンドレウが率いる左派の全ギリシア社会主義運動(PASOK)が二大政党となる。

スペイン・ポルトガルと並ぶ1970年代半ばの南欧民主化時点まで話が行ったところで、「国境の外のギリシャ人」という章が挟む。

まず黒海南岸、ポンドス(ポントス)のギリシア人。

その言語は、セルジューク朝の小アジア進出以来、他のギリシア人と地理的に切り離されたため、独自の発展を遂げた。

後年、その多くはロシアに移住、ソ連時代に様々な苦難を舐め、ソ連崩壊後はギリシアに移住する人々も多い。

次いでアメリカ移民。

二〇世紀はじめの二十年間ほどで、ギリシア王国に住む15歳から45歳男性の四人に一人が移住、その多くがアメリカ合衆国に向かう。

同時期の東欧からの「新移民」と共にアメリカ社会に定着。

ニクソン政権副大統領のアグニューがギリシア系アメリカ人であることは、本書で初めて知った。

最後にキプロス。

およそ8割がギリシア系、2割がトルコ系住民。

1878年イギリスが施政権獲得、1925年直轄植民地化。

第二次大戦後、ギリシアとトルコの対立の焦点となり、NATO加盟国同士の紛争回避を至上命題とする西側諸国は1960年キプロスを独立させ、正教会大主教マカリオスが大統領に就任。

当初ギリシアへの併合派だったマカリオスはキプロスの独立維持を目標とするようになり、ギリシア軍事政権と対立、マカリオス暗殺が計画されるが失敗、74年トルコ軍が北部を占領、「北キプロス・トルコ共和国」を樹立したが、承認しているのはトルコだけ。

現在もこの分断状態が続き、2004年キプロス共和国はEU(ヨーロッパ連合)に加入した。

終章は「現代のギリシャ」。

カラマンリスND政権は「国家統制主義的資本主義」で経済再建を進め、ギリシアは1981年EC(ヨーロッパ共同体)に加入。

同年政権交代で、アンドレアス・パパンドレウPASOK政権誕生。

政権獲得前に示唆していたEC・NATO脱退には向かわず、外交政策の継続性維持。

だが内政では国債とEC援助金に依存した大衆迎合的政策を取り、将来の危機を準備する。

その後、アンドレアスの子ヨルゴス・パパンドレウのPASOK政権、カラマンリスの甥コスタス・アレクサンドロス・カラマンリスND政権でも抜本的改善措置は取られず、2001年他国から二年遅れでのユーロ導入、2004年アテネ・オリンピックなどの華やかさの影に隠れ、危機は進行、2009年それが財政赤字額の粉飾発表という形で一気に明るみに出て、ユーロ圏全体に経済危機をもたらすことになる。

この事態について、末尾で著者も少し書いていますが、もちろん借金に依存してバブルに踊ったギリシア国民の責任も免れないが、ドイツを中心とするEU主要国がギリシアに緊縮政策を押し付けているのを見ると、何とも嫌な気がします。

緊縮財政を続けたところで、経済が上向かない限り、財政赤字は拡大するだけです。

かつてアングロ・アメリカ的な自由放任経済ではない、「社会的市場経済」を誇りにしていたはずのドイツが、国際金融資本と同じ口調でギリシアを責め立てているのを見ると、第二次大戦のトラウマによって歪められた悪しきナショナリズムを感じる(今の日本も他人の国のこと言えませんけどね)。

左右の過激主義的政治勢力の台頭も伝えられるギリシアだが、何とか破局的事態が起こるのだけは阻止してもらいたいものです。

読みやすいが、ちょっと話があっさり進みすぎかな、という印象もある。

言語や在外ギリシア人の章を省略して、そのページを通史に当ててくれた方が良かったかもしれないが、それだとかえって本書の特色が無くなるか。

決して悪くはない。

教養と一般常識のために手に取る本としては、適切です。

2016年4月9日

イプセン 『民衆の敵』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 05:15

『人形の家』が当時もたらした衝撃は今日の我々にはもはやわからない、と記事に書きました。

女性の権利擁護や自立促進は(十分に実現されているとは言えないが)方向としては完全な正義と認識されているので。

しかし、こちらの作品の方が今読むとはるかに衝撃的だ。

なぜなら民主主義と多数決制を真正面から否定しているものだから。

ノルウェーのある田舎町で、医師ストックマンが、町に繁栄をもたらしている温泉に有毒物が混入していることを発見し、大いに費用のかかる水道の付け替えという対策を採るよう訴えるが、目先の利益に目がくらみ、真理・真実から目を背け、詭弁を弄して言い繕う町の有力者・富裕層と、彼らに易々と煽動され、言うがままになる町民によって迫害され、「民衆の敵」とのレッテルを貼られ、排除されてしまう。

自由思想家気取りの反権力ジャーナリストや、反対党派に属するがゆえに一時主人公に近づく人々も、結局私利私欲からストックマンを裏切り、家族以外では唯一、朴訥な船長だけが味方となる。

(以下引用、旧仮名遣い等の変更あり。)

真理と自由とのもっとも危険な敵は、――いいか、堅実な多数である!そうだ!この呪うべき、堅実なる、ぐうたらなる多数である。・・・・・わたしの自由を奪い、わたしの真理を語る口を塞ぐのは、この社会を占むる圧倒的多数の人間のなす業である。

・・・・・多数が正義を有することは断じてない!断じて、だ!これこそあまねく瀰漫した社会的虚偽の一つであって、之を聞くごとに、一箇の独立した思索しうる人間は憤怒を覚えざるをえないのである。そもそも一つの国に於て、その住民の多数は一体いかなるものから成ってをるか?――それは悧巧であるか、それとも馬鹿であるか?このひろい地球上いたるところ、馬鹿こそまさしく圧倒的大多数を占めるものである。・・・・・しかるに何たる事だ、呪うべし、憤るべし、馬鹿が悧巧を支配することがあたりまえ、とは怪しからん話ではないか!

よろしい、よろしい。諸君はわたしを怒鳴り負かすことはできるだろう。しかし反駁することはできんじゃないか。多数は力を持っている。――まことに遺憾ながら――之は事実だ。しかし正義を持つことは決してない。・・・・・正義とはつねに小数のみの所有するところのものだ。

・・・・・ああそうだ、そうだとも。・・・・・わたしは革命家になったのだ。わたしは、多数の声は真理の声である、――などという虚偽に対して革命を起そう、と考えているのだ。そもそも、多数がそのまわりに寄ってたかるような真理とは一体なんだ?そういう真理はもはやよぼよぼに年をとって、いまにもぶっ仆れそうになっている真理だ。・・・・・年老いた真理などというものは、かならず見る影もなく痩せ衰えたものだ。しかるにだ、こうなってはじめて多数はその真理を知って、之を健全なる精神的栄養として社会にすすめるのだ。こんな食物に栄養的価値は少しもない。・・・・・こういう多数向きの真理というものは、去年つくった燻製肉みたいなものだ。ぷんと臭って、腐って、そいつを鹽でおし直したハムみたいなものだ。われわれの周囲のあらゆる社会層に猖獗するこの道徳的壊血病は、こうして発生する。

・・・・・大衆、群集、この呪うべき堅実なる多数、――これこそわれらが生活の精神的源泉を腐らしめ、われらの足下の大地を病毒の巣と化すものである・・・・・

・・・・・そういう汚物は山ほど数えあげることができる・・・・・それは、諸君が親の代から譲られたものであって、それを諸君がいまなお無分別にも社会にむかって喚きたてているところのものだ。すなわち、――下等種属、群集、大衆、――これが国民の精髄である、これが国民そのものである、――という教えだ。社会に於て、凡庸な人間、無智低級な人間が、小数の真に精神的に高い人格者と平等に、裁いたり認めたり支配したり決定したりする権利がある、――というあの思想だ。・・・・・わたしが言及するところの賤民とは、何も下層階級の間にのみ発見せられるものを言うのではない。かかる類の者はわれらの周囲にうようよと這いまわっているのである。――社会の最上層にまで跋扈しているのである。

そうとも!わたしはわが生れ故郷を愛する。愛する故に、わが町が虚偽の上に栄えるのを見るより、むしろその滅亡を期するのだ!

やや気になる点もないではない。

多数が古き因襲に囚われるというより、新奇な流行に乗ぜられて誤りを犯す方がよりあり得るのではないか?

それに抗する少数者も、未来の真理を先取りするというより、過去に存在したそれを再発見しようという構えが無ければ、民主主義を克服すると称して、実は表面上別種の群集心理を絶対化してしまった右翼全体主義の罠にはまってしまう恐れがあるように思われる。

しかし訳者あとがきで紹介されている作者の手紙は実に含蓄が深い。

いわゆるリベラルなジャーナリズムの態度は何たる事であるか。また、行為や思想の自由を説きかつ筆にしながら、かえっていわゆる購読者の意見なるものの奴隷と化しさっている新聞の指導者たちの態度は何たる事であるか――。私は、政治に関与し党派に所属するということには、なにか道徳的頽廃を伴うものがある、という従来の確信をますます強めるばかりであります。すくなくともこの私は、多数を味方とする党派には絶対に加入する気はありません。ビョルンソンは『多数はつねに正義を持つ』と言います。そうしてまた実際政治家として、彼はしか言うを余儀なくされるのであろう、と想像します。しかし私は、その反対に、『少数こそつねに正義を持つ』と言わざるをえないのです。・・・・・わが国民をデモクラティックな社会をなそう、という努力は、元来はもっと讃えらるべきものではありながら、そのためにわれらの社会は、しらずしらずのうちに、甚だしい程度に賤民の団体に化し了ったのであります。われらが郷土に於ては、精神的高貴というものは次第に消滅しつつある。

現在の日本に引き付けて言えば、「言論の自由」を利用した愚昧・低劣な多数者による、賢明・穏健な少数者への言論抑圧などは、ネット社会で嫌と言うほど見せつけられています。

「反左翼」という「年老いた真理」を妄信し、何の知性も品位も無く反対者に罵詈雑言を浴びせて自己満足に耽る自称「保守」「右派」「愛国者」の跋扈も同様です(そんな見下げ果てた連中は二、三十年前ならば間違いなく左翼的たわ言を同じように妄信していたでしょう)。

作者の言う、言葉の真の意味での(精神的な)「賤民」が、改革派政治家・経済学者・IT企業家などの「社会の最上層」(とんだ上層もあったもんですが)を占めているのも間違いない。

事態がここまで来てしまえば、祖国の滅亡を望むような心境になるのも、理解できなくはないです。

 

 

本書は竹山道雄氏の手に成る相当古い訳で、しかも独訳からの重訳らしいですが、大きな問題はないでしょう。

非常に重い読後感を与える傑作として、強くお勧めします。

2016年4月3日

ショーペンハウアー 『読書について』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 読書論 — 万年初心者 @ 07:43

岩波文庫版で既読のものを今回この版で再読。

表題作と「自分の頭で考える」「著述と文体について」を併録。

再読して何より強い印象を受けたのが、読書論についてのあれこれではなく、匿名の誹謗中傷的言論に対する徹底的な批判。

現代社会最大最悪の宿痾が、近代の始まりにおいてすでに賢明な人には見えていたんだと思った。

それを知ると、何とも言えない焦燥感と嫌悪感に駆られる気持ちがやや落ち着くが、同時にこの種の悪を防ぐことはもう何をしても不可能なんだなとの乾いた絶望感も感じる。

 

なによりも、物書きの悪行の盾となっている匿名性が廃止されねばならない。評論雑誌が匿名性を採用した口実は、読者に警告する正直な批評家を、著者やそのパトロンの遺恨から守ることだった。だがこの種のケースが一件あれば、自分で言ったことの責任を負えない者が、あらゆる責任をのがれるために匿名にするケースや、金でいいなりになる卑劣漢が、出版業者から酒手をかせぐために、悪書を読者に推奨し、その破廉恥な行いをかくすために匿名にするケースは、その百倍あるだろう。また単に、批評家のどんよりした脳みそ、無価値・無能ぶりを覆い隠すのにも用いられる。信じがたいことだが、匿名の陰で身の安全がはかれるとなると、連中は無礼きわまりなく、ひるむことなくペンでどんな悪事でもくりだす。

 

ルソーは『新エロイーズ』序文に「名誉心ある者なら、自分が書いた文章の下に署名する」と書いている。この逆も言える、すなわち「自分が書いた文章の下に署名しないのは名誉心なき者だ」。これは攻撃的文書におおいにあてはまり、たいていの批評がそうだ。だからリーマーが『ゲーテにまつわる報告』(序文29ページ)で言ったことは正しい。「面と向かって率直に発言する相手は、名誉心ある穏健な人物だ。そういう人物なら、お互いに理解し合えるし、うまく折り合い、和解することができる。これに対して、陰でこそこそ言う人間は、臆病な卑劣漢で、自分の判断を公言する勇気すらない。自分がどう考えたかはどうでもよく、匿名のまま見とがめられずに、うっぷんを晴らし、ほくそ笑むことだけが大事なのだ」。これはゲーテの意見でもあった。ゲーテの意見はたいていリーマーの報告にそのまま引かれている。

 

匿名の評論雑誌はそもそも、無学が学識をさばき、無知が分別をさばいても処罰されない無法地帯であり、一般読者をあざむき、悪書をほめそやして時間と金をだまし取っても見とがめられない場だ。匿名は物書き、とくにジャーナリズムのあらゆる悪事の堅固な城塞ではないか。

こうした匿名批評家の特に愚かしくあつかましい言動は、国王のように〈Wir〉〈われわれ〉と一人称複数形で話すことだ。

こうした生業は金をもたらすが、名誉をもたらさない。攻撃する匿名氏はとりもなおさず卑劣漢で、請け合ってもよいが、名乗ろうとしないのは公衆をあざむこうという魂胆だからだ。ただ匿名の著者に対しては、匿名で批評する権利が与えられる。そもそも匿名を撤廃すれば、あらゆる物書きの悪事は九九パーセント存在しなくなるだろう。

[原注より]

匿名批評家がおかした罪に対しては、編集者自身が書いたかのように、編集者に直接、責任を負わせるべきだ。それは徒弟がへたな仕事をしたときに、親方に責任を取らせるのと同じだ。こんな稼業の連中など、鼻であしらえばいい。匿名は文筆の世界のならず者だ。すぐさま「ならず者め、ひとの悪口を言いながら、それを自分の仕業とみとめる気がないのなら、その中傷の口を閉じろ!」という言葉を浴びせればいい。匿名批評には匿名の手紙ほども価値がないのだから、そんなものは匿名の手紙に対するのと同じ不信の目で応じればいい。そうしないと匿名の書き手に誠実さをみとめ、匿名協会会員として容認することになってしまう。決してそんなことがあってはならない。

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