万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年2月13日

五百旗頭真 編 『戦後日本外交史  第3版』 (有斐閣)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 05:49

中国語・韓国語・英語版も翻訳出版されたという大学テキスト。

編者の名は「いおきべ まこと」氏と読むそうです。

序章と結章をのぞいて10年ごとの章分け。

以下内容紹介(括弧内は執筆者名)。

 

 

 

序章 概論(五百旗頭真)。

近代日本外交における、ヘロデ主義(外部文明の学習を通じた独立維持を目指す態度)とゼロット主義(排他主義的独善的態度)の対比。

前者に基く英米協調路線が霞ヶ関正統外交であり、個人名が冠される近代日本の三つの外交、陸奥外交・小村外交・幣原外交はいずれもこれに属する。

そして大日本帝国の政治構造について、以下の記述を引用。

明治憲法下の制度は、政府が軍部をコントロールすることを困難にしていた。首相は各大臣の中で「同輩者中の第一人者」であるにすぎなかった。首相は大臣たちの上に立って命令を下し、大臣を罷免する権限を持たなかった。かえって、軍部大臣(現役)武官制を武器に、軍部が内閣を倒すことができた。さらに参謀本部の独立によって、参謀総長は陸軍大臣と同格に位置づけられた。内閣の一員である陸相が、内閣の意を体して参謀総長に命令を下すこともできなかった。首相―陸相―参謀総長は、なだらかな傾斜を持つ水平的関係を基本とした。上下関係において命令はできず、個別的信頼関係に頼り説得を試みることによってしか、シビリアン・コントロールを達成できなかった。・・・・原首相のような強力な政治家が、非軍事的時代風潮の中でリーダーシップを発揮する時期は、長くは続かない。・・・・明治の権威主義体制は、意外にも首相権限の弱さゆえに無軌道な軍部の軍事的発展主義を抑制することができなかったのである。

これ以上無いほど重要な認識が示されている。

明治憲法の欠陥は、天皇主権でも国民の権利制限でもない、首相権限の弱さだ、というのはこのブログの近代日本カテゴリ記事で何度も繰り返してきた主張ですが、この場を借りて改めて強調したいです。

よく言われる「統帥権の独立」も結局はここに含まれると思う。

政治的意志統一を達成できる元老が健在の内に、首相の明示的権限を拡大するか、その地位を高めるような行政慣習を固めることが必要だったのだが、それができなかったことが日本の悲劇の大きな原因です。

すべてを民主的かそうでないかで判断する左派的偏向も、自国の歩みのすべてを賛美し正当化する右派的偏向も、共に百害あって一利なしです。

 

近代日本は「大陸国家」を志向し発展していった。

それに反対する石橋湛山の小日本主義や佐藤鉄太郎海軍中将の海洋国家論(満蒙放棄と間接的アプローチによる国際政局操作)は主流にはなり得ず。

 

 

 

第1章 1940年代後半 占領期(五百旗頭真)。

直接軍政の回避や天皇制の維持を目指し、急進的民主改革を押し付けてくる米国との交渉が主。

現行憲法の制定も、占領国との対外条約のような性質を持ち、占領下「外交」の中心を占めるもの。

現在から見れば、日米安保と米軍駐留が規定路線だったように思えるが、決してそうではない、冷戦の進行に伴い、講和独立後の安全保障を検討し、様々な交渉上の試行錯誤を経てそうなった。

 

 

 

第2章 50年代(坂元一哉)。

中国共産化と朝鮮戦争が日本の戦略的価値を向上させ、寛大な講和に繋がる。

だが約20年続いた米中対立の時期、日本は中国承認問題という難問に悩まされることになる。

「軽武装経済立国」を国是とする吉田ドクトリン。

これに対する鳩山一郎は自主的外交を志向し日ソ復交を達成、同様の傾向を持つ岸政権は東南アジア諸国との賠償交渉を妥結し外交地平を拡大。

だが民間レベルでの日中交流は行き詰まり、日韓交渉も停滞。

次いで取り組んだ安保改定だが、これは日本の中立主義化を懸念する米側のイニシアティブによるもので、日本防衛義務を明記、内乱条項を削除、基地使用と核持ち込みの事前協議を定めた。

結果、大きな反対運動に直面し、岸路線ではなく、吉田路線が戦後日本に定着することとなった。

 

 

 

第3章 60年代(田所昌幸)。

池田・佐藤長期政権下、高度経済成長を達成。

ヴェトナム戦争により対米関係維持に困難が生じる。

日韓基本条約は成立したが、文化大革命の急進路線下にある中国とは依然断絶。

東南アジア諸国との経済協力は拡大するが、それへの現地の反発も拡大。

対米関係では沖縄返還協定締結に成功。

吉田路線は基本的に成功し、左右の反対勢力はそれを覆せず。

しかし成功しすぎたがゆえに戦後日本が自主的行動能力を持つことはできなかった。

 

 

 

第四章 70年代(中西寛)。

内政では佐藤政権が続投する中、福田赳夫への後継が即実現せず、田中角栄が台頭。

田中政権後は、二年ごとの政権交代が続く。

米中接近のニクソン・ショックと石油危機という激動が日本を襲う。

日中国交正常化が達成されたが、日ソ関係は停滞。

福田ドクトリン(非軍事的大国として経済だけでない相互的信頼関係)で、ヴェトナム戦争後の東南アジアとの協調関係を目指す。

大平政権では環太平洋連帯構想を発表、対中円借款を開始。

自由主義圏全体の観点から見て、戦後日本の成長が米国の失敗ではなく成功だったように、現在の中国の成長と日中のライバル関係成立も、中国の硬直的共産主義体制からの脱却を助けた日本の成功と見なすべきとの記述は、ヒステリーじみた反中感情が蔓延する今では重い意味を持っている。

70年代末、ソ連の軍事的拡張に伴う新冷戦激化、日本は「覇権反対条項」入りの日中平和友好条約を締結、日米同盟と日中協力深化で対応。

二度の石油危機を乗り越えた日本経済はさらに成長、米国はじめ諸外国との経済摩擦が本格化。

この時期、日本は「総合安全保障」政策を提唱、経済援助で世界の安定に貢献するとの主張だが、国際問題をカネで解決するという退嬰的姿勢にも取られがちであった。

70年代を概観し、1980年で1970年より関係が悪化していた国はソ連だけであり、日本外交は成功していたとも思える。

しかし、「経済のみの大国」日本は、自立的国際協調に戦術的には成功したが、戦略的には失敗したとの評価が下されている。

 

 

 

第5章 80年代(村田晃嗣)。

新冷戦での鈴木政権の対応は迷走。

だが、続く中曽根政権はレーガン米政権との信頼関係構築、日米間の経済紛争処理と防衛協力推進に成功。

80年代前半には日中関係も近現代史上最良の時期を迎える。

この時期の日本は、日米同盟強化、アジア太平洋地域の発展牽引、ヨーロッパとの関係強化という三つの成果を挙げ、その国力は絶頂。

しかし、昭和の終焉と共に、冷戦体制という枠組みは消え、バブル経済も崩壊することになる。

 

 

 

第6章 90年~2000年代(五百旗頭真)。

湾岸戦争での対応失敗、朝鮮半島でも冷戦後の最も直接的な脅威となった北朝鮮を国際社会に引き出せず(これは日本だけの責任では無論ないが)。

経済と湾岸の「二重の敗北」から、「失われた二十年」へ。

成功例としては1989年APEC(アジア太平洋経済協力会議)設立、1993年カンボジア和平とPKOへの貢献。

1995年までクリントン政権と最後の日米経済摩擦、94年北朝鮮核危機、96年台湾海峡危機を経て、96年日米安保再定義共同宣言。

冷戦体制崩壊後、世界は「競争的協調外交」の時代へ。

橋本政権は上記対米外交では成功したが、経済失政を犯してしまう。

97年アジア通貨危機を契機として、日本は深刻なデフレ不況に落ち込み、現在まで本格的回復を達成していない。

本書では、不況で国は滅びないが、それがもたらす精神不安定に陥った国民が愚行に走り、(戦前日本のように)国を滅亡させることがある、橋本・小渕両内閣は苦しい状況の中、歴史の愚行に走らず、協調的イニシアティブを取ったと評価されている。

確かに個人的に振り返ってみても、小渕さんというのは不思議な人でしたねえ。

橋本氏については経済失政の印象が強すぎるのであまり好感は持っていないのですが、小渕さんは事前の印象とは全く異なり、多くの業績を残されたと思います。

平成に入ってからの首相としては最優秀なんじゃないでしょうか。

恐慌の一歩手前にあった日本経済を積極財政で何とか踏み止まらせました。

もっとも小渕政権については、(対等の日米関係強化ではなく)現在まで続く対米従属路線の第一歩を踏み出したとの評価もあるかもしれませんし、もしそうならば私の評価も変えざるを得ないのですが、今のところは小渕さんが亡くなって、「構造改革」路線に没入することになって日本は滅茶苦茶になったというイメージが強いです。

2001年9.11同時テロ、ブッシュ・小泉枢軸とアフガン掃討、2003年イラク戦争への支持・協力。

著者はこれに肯定的だが、私は断固反対だ。

五百旗頭氏は「日米同盟プラス日中協商」の主張者であり、硬直した「反中原理主義者」ではないだろうが、中国敵視を自己目的化し、米中対立を煽り立て、異常な対米従属をますます進めようとする(自称)「右派」はいずれ途方も無い蹉跌に我が国を追い込むでしょう。

米国が大戦争の危険を冒してまで中国と衝突するはずがない。

日本が外交と防衛の自主性を放棄し対米追従を深化させればさせるほど、米国にとって「裏切り」のリスクは減るのだから、いずれ日本を犠牲にして中国と妥協するに決まっている。

そのような予測を立てるのに、悪意ある反米主義者の眼で米国を見る必要も無い。

アメリカ人の立場になって、米国の国益を第一に考えれば、ごく当たり前のことです(服部龍二『日中国交正常化』)。

数を頼んで反対者を罵っていれば気分がいい、としか考えない、知性にも品位にも感性にも欠ける下劣な連中が作り出す「世論」と「民意」こそが、戦前・戦後・現在を通じて正常で賢明な外交を妨げ、国家を破滅に導く元凶です。

 

 

 

結章 総論(五百旗頭真)。

40年代後半から50年代、戦後日本外交の三つの進路として、

a.社会民主主義路線

b.経済中心主義路線

c.伝統的国家主義路線

が存在。

占領期、片山・芦田政権で、一時aが優位を占めるが、吉田政権でbに変わり、50年代鳩山・岸政権のcが台頭するが、60年安保でaとcが激突し、両者が傷ついてbが再浮上する。

以後、「日米関係の深化」と「外交地平の拡大」(日ソ・日中・東南アジア外交、日米欧三極論)という二つのテーマが戦後日本外交の中心となる。

60年代に高度成長と沖縄返還という成功をおさめた日本は、70年代の危機に際しても経済的には目覚しい回復と再浮上を遂げた。

日中国交正常化を達成したものの、田中の対米自主外交路線は挫折、福田・大平政権は対米関係を考慮しつつアジア地域の共同利益を求める外交へ転換、アジア諸国の経済成長に協力。

経済大国ではあるが防衛力は依然抑制、「基盤的防衛力」という概念で、抑止力は米国に頼り、日本自身は一定の「拒否力」のみを持つという路線を採用。

80年代にはその国力は絶頂を迎え、中曽根外交の成功を支えた。

しかし国力をいかに用いるかのビジョンはなく、バブルに沈み、90年代以降の長期停滞に至る。

 

 

 

 

全体的に見て、とても良質なテキスト。

参考文献が充実していて、簡略なコメントが付されているのが大変有益。

関連年表も内閣の任期が見やすい形に整理されていて、しかも詳しいので非常に役立つ。

ただ史実を羅列してあるのではなく、その意味付けと評価がしっかりしているので、メリハリがあり読んでいて面白い。

悪い意味での教科書らしさが無い。

やけに細かな事実が記されている場合でも、それが時代の特徴をつかむ上で必要なエピソードであることが多い。

こういう分野では、しばしばある、煽情的で偏った(はっきり言えば最近ではネット右翼的言説と親和的な)本は有害無益で、読めば読むほど頭が悪くなり、品性が劣化するので、一切読まない方がよい。

本書での史実評価に全て同意するわけではないが、左右の奇矯で過激な論調を排している点は評価できる。

学術的でしっかりした、信頼できる著作として推薦します。

広告

WordPress.com で無料サイトやブログを作成.