万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年2月5日

田中美知太郎 『ソクラテス』 (岩波新書)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 04:01

またえらい古い本を持ち出してきました。

初版は1957年。

著者はギリシア哲学の泰斗。

ソクラテスの「四福音書」、『弁明』『クリトン』『パイドン』『饗宴』への前書き、補註のような著作であり、もし可能ならばプラトン翻訳の抜粋でもう一章付け加えたかったとある。

ソクラテスは前399年に刑死、およそ70歳。

裁判で281票対220票で有罪、刑の申し出において法廷を意図的に怒らせて361票で死刑、脱獄拒否。

前470~468年ごろ生まれ。

プラトンとの年齢差は40年以上。

父はソプロニスコス、母はパイナレテ、妻はクサンチッペ(とミュルト?)、子はランプロクレス、ソプロニスコス、メネクセノス。

父がアリステイデスとと親交あり。

ソクラテス父子が石工であったとの説はあやしい。

アテネ成人男子1人に18人の奴隷がいたという説を否定。

奴隷人口は自由人の半数もしくは全人口の三分の一か四分の一。

クサンチッペ悪妻説もあやしい。

ある一面が拡大解釈された観があり。

アリステイデスの娘ミュルトが後妻(あるいは先妻)ということはまずありえない。

年齢的におかしい。

アリストファネス『雲』では、ソクラテスをソフィスト扱いして非難。

保守的立場より有害な新教育代表者として、啓蒙思想、自然哲学、弱論強弁の詭弁家として。

ソクラテスが自然学を学んだ可能性は高い(晩年はそれに言及しなかったが)。

それで誤解を受けたか。

また空論家ではなく実践と知行合一で死を迎える。

加えて伝統的宗教の否定という罪状も被せられた。

「ダイモンの合図」を語っていたことは事実。

それは禁止的形式で与えられ、占者として受け取るが、それ以外の行動では自分が最善と思うことを行う自由は保持。

ダイモンは神で、ソクラテスは通俗的宗教家などではない。

ペロポネソス戦争でのアルキビアデス、戦後成立した三〇人僭主政権の首領クリチアスがソクラテス的教育の産物と疑われて裁判にかけられる。

裁判においてはダイモンは沈黙、自由は死であると悟ったソクラテスは死を決す。

一生涯自分を律し続けた。

有名なデルフォイ神託「ソクラテスより智慧のある者はない」から「無知の知」という認識に至る。

神のみが智者、人間の無智をあばいて神の智を明らかにする使命を自分に課し、それが原因で死に追いやられた。

そして金銭や身体より精神を良くすることが大事だというソクラテスの言葉に続いて以下の文章が記される。

今日のわれわれにとっては、これはむしろ平凡な教えであると考えられるであろう。こういう話は、もう聞き厭きたような気がしないでもない。われわれはやはり金銭や肉体や名誉や評判を気にせざるを得ない。精神をすぐれたものにするよりも、金銭をできるだけ多く集めることに、気をつかわずにはいられない。しかしそれだからこそ、やはりソクラテスの言行が、好悪いずれにしても、われわれの気がかりとなるのである。かれはわれわれと反対のことを信じ、われわれと反対のことを言い、われわれと反対のことを行って、そして殺されてしまったからである。

ゾピロスという人相見が、ソクラテスの顔を見て、知見も狭く、情欲に傾く性質であると言ったので、その場の人が笑い出したところ、ソクラテスがこれを制して、ゾピロスの言うことは、みな当っている、ただわたしにはそういう傾向があるけれども、ロゴスによって、これに打ち克っているのであると言ったという、半ば創作的な話も伝わっている。いずれにしても、われわれがここに見るのは、外面と内面の著しい矛盾である。そしてこれに対比されるのが、世人の同様な矛盾である。かれらは外面の美や力によって飾られているが、しかしそれらは空しいものであって、その内面は無なのである。このかれらがソクラテスと接触する時、内面が暴露されて、最初の優劣が逆転する。自分の富、自分の強さ、自分の美しさ、自分の才能を頼みにして、この世をわがもの顔に生きている人たちの目には、貧しく醜いソクラテスは、笑うべきもの、軽蔑すべき存在に過ぎなかった。しかしそのソクラテスの前に、やがてかれらは、その自負心を失い、底知れぬ不安を感じなければならぬ。・・・・・われわれはかれらの、そのような無力化に応じて、ソクラテスの内面が、一種の力を得て来るのを感じる。この転換は、しかしながら、ソクラテスの卑しげな顔、話すことの平凡さ、貧しげな様子などを、一つの仮面に変えてしまう。だから、この外見にあざむかれたと思う人たちは、自分の愚をせめるよりも、ソクラテスの外見そのものを、アイロニーとしてにくんだのである。かくて、ソクラテスの存在そのものが、ひとつのアイロニーとなって、ひとびとを不安と絶望に陥れたのである。それは少数の人たちには、哲学への途をひらくことになったかも知れないが、多数の人々は、かくの如き仕方で、自己の無を知ることを、死の如くに恐れたであろう。ソクラテスが呪われ、殺されなければならぬ所以のものが、そこにあるとも言われるであろう。『弁明』・・・・のソクラテスは、自分をあぶにたとえて、人々を目ざめさすために、このアテナイという、図体は大きいが、にぶいところのある馬に、神によって附着せしめられたものだと言っているが、アテナイ市民は、「眠りかけているところを起された人たちのように、腹を立てて」、うるさいかれを叩いて、殺してしまったのである。

ソクラテス告発の理由の一つは民主制批判。

公職抽選制について、船長、大工、笛吹きを抽選で決めないのに、国政をそれに委ねることを批判。

ペロポネソス戦争敗北後のアテネでは、戦勝国スパルタの威を借りる亡命帰国派クリチアス、中間派アニュトス、民主派が対立。

クリチアスを中心とする三〇人政権の恐怖政治が敷かれるが、民主派トラシュブロスの反撃で内戦となり、結局既往を咎めない条件で内戦終結、しかし膨大な数の死者が出た。

クリチアスとの関係を理由にアニュトスが中心となってソクラテスを告発。

しかし、ソクラテスは民主制を根本的に批判したが、かと言って盲目的スパルタ崇拝とは無縁。

ダイモンによって政治に関わることを禁じられている。

「諸君なり、あるいは他の大多数の者なりに、正直一途の反対をして、多くの不正や違法が、国家社会のうちに行われるのを、どこまでも妨害しようとするならば、人間だれも身を全うする者はないだろう。むしろ本当に正義のために戦おうとする者は、それで少しの間でも、身を全うしていようとするならば、私人としてあることが必要なのであって、公人として行動すべきではない」

2500年前のアテネでも現代の日本でも同じですね。

多数の愚者・劣者が作り出す悪を変更不可能な環境とせず、正面からぶつかったら、命が幾つあっても足りません。

だが政治の方が彼に掴み掛かってくる。

人々へ呼びかける哲学である以上、どうしても政治的になることは避けられない。

ソクラテスは、どのような権力者に対しても独立不羈を貫いた。

戦中、406年アルギヌウサイ海戦の処置で、狂信的な圧倒的多数の民衆世論に逆らい、ただ一人指揮官の処刑に反対、告発される危険を冒す。

逆に、戦後の非民主的で寡頭制的な三十人政権の命令も断固として無視。

もし三十人政権が倒されなかったら、かれの死は三九九年ではなくて、四〇三年であったろう。

と書かれているのを見て、やはりそうだったんだと深く納得した。

にも関わらず、復活した民主制の下で死刑を宣告され、堂々と従容として死を迎える。

 

 

随分古い本だが、ずっしりくる読後感があり、読んで良かった。

入門書としては決して凡庸なものではない。

碩学の尊い威光に触れることができます。

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