万年初心者のための世界史ブックガイド

2016年1月8日

引用文(辻原登1)

Filed under: 引用文, 文学 — 万年初心者 @ 07:33

辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』(集英社)より(括弧など一部表記変更あり)。

二十年ほど前、私が四十歳になるかならぬかの頃、もう一度、十九世紀ヨーロッパ小説にどっぷり浸ることに決めた。そのとき、二つのルールを課した。一つは、二十世紀という世紀があったことを(そのときは私はまだ二十世紀に生きていたのだが)忘れること。第一次世界大戦も第二次世界大戦も、プルーストもジョイスもカフカもすべて忘れて。

二つ目は、小林秀雄の助言に従うこと。その助言とは、「若し或る名作家を択んだら彼の全集を読め」(「作家志願者への助言」・・・・)というものだ。

さて何から始めたかというと、これも小林秀雄の助言に従うことにした。少し長いが、彼の全集でしかみつからぬ文章なので、全文を引用する。タイトルはずばり、「トルストイを読みたまえ」。

「若い人々から、何を読んだらいいかと訊ねられると、僕はいつもトルストイを読み給えと答える。すると必ずその他には何を読んだらいいかと言われる。他に何も読む必要はない、だまされたと思って「戦争と平和」を読み給えと僕は答える。だが嘗て僕の忠告を実行してくれた人がない。実に悲しむべきことである。あんまり本が多過ぎる、だからこそトルストイを、トルストイだけを読み給え。文学に於て、これだけは心得て置くべし、というようなことはない、文学入門書というようなものを信じてはいけない。途方もなく偉い一人の人間の体験の全体性、恒常性というものに先ず触れて充分に驚くことだけが大事である。」

こうして私は先ず「トルストイ全集」からはじめた。スタンダール、バルザック、デュマ、ディケンズ、フローベールといったぐあいである。

その結果、何があったか、何が分かったか?・・・・いや、何も。しかし、たのしかった。

いや、やはりこういうことが分かった。骨身にしみた。・・・・作家にとって、現実とは十九世紀小説で、それ以前の物語も二十世紀小説も文学なのだ、ということだ。

・・・・それにしても、十代で読んだ『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を四十歳や五十歳になって、再読するときのよろこびはどうだろう!しかも、新しい訳で。

・・・・・

[杉本秀太郎氏の文章]
「ヨーロッパの文学は、音楽と肩を並べて、十九世紀に大きな球体あるいは多面立方体を数多く生み出したが、やがて破片の処理にあけくれるいたましい世がやってきた。しかし成熟した小説にまなんでしるされた自伝、回想があちこちに残った。小説の末路を心配しているよりも(心配するしかないのだが)思想の生態誌をよみ取りたどる楽しみを求めて、二度とかえらぬ世の長い長い小説をよんでいると、月日はあやしくも物狂おしくながれすぎる。」

これほど美しく、簡潔な十九、二十世紀文学論があるだろうか。二十年前、私が十九世紀ヨーロッパ小説にもう一度、浸り切ろうと発心したのは、そういうことだったのだ、と思いたい。

私の場合、プルースト『失われた時を求めて』(の全篇)、ジョイス『ユリシーズ』、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』『魅せられたる魂』、トーマス・マン『魔の山』、マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』など、二十世紀の大長編に挑戦しない(できない)ことをこの文章によって正当化しているところがあります。

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