万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年12月11日

佐藤優 『読書の技法』 (東洋経済新報社)

Filed under: 読書論 — 万年初心者 @ 06:23

作家・評論家として多くの連載を持つ著者による実践的読書論。

冒頭で著者の書斎と書棚の写真が載せられているが、その充実ぶりにうらやましさでため息が出る。

本文の内容は、高校レベルの基礎知識の重要性、限られた時間で熟読する本を厳選する必要、読書中の鉛筆・シャーペンでの傍線チェック、読後のノート作成等々。

かなり面白い。

これまで読んだ読書術の本で最も共感したのは小谷野敦『バカのための読書術』だったが、本書はそれと並ぶくらいである。

一度図書館で借りてみることをお勧めします。

 

最初に読書の面白さを教えてくれたのは、中学1年生から通い始めた学習塾の国語の先生だった。

早稲田大学商学部出身の元出版社勤務の先生で、「中学1年生も大学生も、国語力はあまり違わない。漢字だけきちんと覚えて、よい作品に幅広く触れることが大切だ」と、生徒に小説を読むことをすすめてくれた。

「世の中で起きていることをそのまま記述していく、それが近代的な小説の基本で、小説は物の考え方の基本になる。だから自然主義からスタートしたほうがいい」と最初に指定されたのは、モーパッサンの短編「首かざり」(『モーパッサン短編集2』所収)だった。先生は解説が優れ、ルビが丁寧な旺文社文庫版をすすめたが、家の近くの本屋には新潮文庫版しかなく、それを買った。

小説をきちんと読んだのは初めてだったが、その中で描かれている登場人物の虚栄心に驚き、それが読書を面白いと思った最初の経験だった。

次に、同じ新潮文庫で太宰治の『晩年』を読み(中学校で配られた副読本に一部が載っていた)、島崎藤村の『破戒』、田山花袋の『蒲団』、夏目漱石の『こころ』と続いた。どれも入学試験に出るものばかりで、読み終わるたびに先生が作品について解説してくれ、『こころ』については「人間の内面の問題に入っていく、それが近代と関係している」と教えてくれた。

その後、フロベール、カミュ、ツルゲーネフ、チェーホフなど世界文学を読み漁り、気がつくと、学校から帰ると本を読み、学習塾の往復でも読む生活になっていた。その結果、学校の成績も上がり、このころ、理系から文系少年になった。

両親は読書を強要はしなかったが、反対することもなかった。「本は借りて読むものではない」と、父親は欲しい本は惜しみなく買ってくれた。

中学校入学前にはまったくなかった本棚が、1年生で1本でき、3年間で4本になった。学習参考書が50冊ほどあったが、3年間で合計800冊ほど読んだことになる。

 

 

ロシアの知的エリートは、大学入学前に徹底的に教科書を読み込む。特に歴史と国語の教科書は、質量共に日本語の教科書を遥かに凌駕している。1年ずつかけて古代史、中世史、近代史、現代史を学ぶが、それぞれの教科書が500ページほどある。国語の教科書はそれ以上に厚い。

日本でも、大学受験のために歴史を丸暗記する学生は少なくない。しかし、歴史の論理を理解しないまま丸暗記するので、大学入学後しばらくすると、ほとんど忘れてしまう。ロシアやイギリスの知的エリートは、きちんと理解したうえで徹底的に暗記につとめるので、その知識が血肉となり、将来応用が利くものになる。

筆者自身、鈴木宗男事件に連座して、「鬼の特捜」(東京地方検察庁特別捜査部)に逮捕され、512日間の拘置所生活を送ったが、そこで学術書を中心に220冊を読み、抜き書きや思索メモなどを綴った読書ノートを62冊作ったことは、後々の読書生活と執筆活動に大きくプラスに作用している。

 

 

 

標準的なビジネスパーソンの場合、新規語学の勉強に取り組む必要がなく、「ものすごく時間がかかる本」がないという条件下で、熟読できる本の数は新書を含め1カ月に6~10冊程度だろう。つまり、最大月10冊を読んだとしても1年刊で120冊、30年間で3600冊にすぎない。

3600冊というと大きな数のように見えるが、中学校の図書室でもそれくらいの数の蔵書がある。人間が一生の間に読むことができる本の数はたいしてないのである。この熟読する本をいかに絞り込むかということが読書術の要諦なのである。

 

 

 

「ノートを作る時間があったら他の本を読んだほうがいい」「その時間がもったいない」と主張する論者もいるが、筆者はその意見には与しない。

・・・・・

ゆるい形で本を読む習慣が身についてしまうと、いくら本を読んで知識を取り入れても、頭の中に定着していかない。本を読んで、「あっ、自分も知っている」という感覚は味わえても、「では、どう知っているのか」と突っ込んだ質問を改めてされると答えられないのだ。それは、取り込んだ知識が自分の中で定着していない証拠である。

10冊の本を読み飛ばして不正確な知識をなんとなく身につけるより、1冊の本を読み込み、正確な知識を身につけたほうが、将来的に応用が利く。

 

 

「コメントに書くことが思い浮かばない」という相談も受けるが、最初は、「筆者の意見に賛成、反対」「この考えには違和感がある」「理解できる、理解できない」など自分の「判断」を示すもので十分である。

「わからない」「そのとおり」「おかしい」の一言でもいい。何らかの「判断」を下すことが重要だ。

次のステップとしては、自分の「判断」に加えて、「意見」も書き込むようにする。

「私はこうは思わない」「この部分は、あの本のパクリだ」「同じデータに関して、あの専門家は別の評価をしている」など自分の「意見」も書き込めるようになれば、十分理解して自分で運用できる水準になっている。

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