万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年11月12日

三宅昭良 『アメリカン・ファシズム  ロングとローズヴェルト』 (講談社選書メチエ)

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アメリカにファシズムはあったのか。この問いに対する答えは、もちろん、〈ファシズム〉の定義いかんによる。

たとえば、イタリア・ファシズムに見られた「マルクス主義と国民主義の融合体、哲学的には意志論、経済的には開発主義のイデオロギー」と定義するなら、アメリカには〈ファシズム〉のあろうはずもなくなる。また、もう少し広く、イタリアとドイツ、それに日本を含む、三者の共通項をくくり出し、とりわけその膨張主義に焦点をあてる場合にも、アメリカには〈ファシズム〉はなかったことになる。

しかし、右の定義は、いずれも〈ファシズム〉を暗黙のうちに〈民主主義〉との対立概念として設定し、そのことによって問いそのものを無効にしようとするものである。つまり、その前提にたつかぎり、アメリカは〈民主主義〉の体現者として、あらかじめ免罪されているのだ。ここには先の世界大戦を連合国側が〈民主主義〉対〈ファシズム〉の戦争と位置づけたことが反映しているように思われる。

彼らは福祉国家と人権思想を戦争目的にかかげ、勧善懲悪の二元論的構図を打ち出した。そしてこの対立の図式は、戦後世界に受け継がれた。すなわち、西と東は互いに相手を〈ファシズム〉と重ねあわせて憎悪したのだった。その意味で、これまでの〈ファシズム〉研究は、個々の研究の意図がどうあれ、戦中と戦後の〈民主主義〉の連続性と一貫性を保証し、その正当性を確認する場として機能してきた、とまずは判断してよいだろう。しかし、はたして〈ファシズム〉と〈民主主義〉はそれほどにも鋭角的に対立するものなのだろうか。

たとえば、ヒトラーは議会制民主主義の手続きを通じて、つまり民主主義のルールにのっとって政権を掌握した。ムッソリーニはたしかにローマ進軍という示威行動で国王をつき動かしたが、ファシスト党はすでにイタリア国民のあいだに広く深く根をひろげ、数々の経済政策をつうじて民衆の支持を磐石のものにしていた。一方、〈民主主義〉を標榜する英米も、戦前戦中を通じ、戦術的政策決定に際し、帝国主義的植民地主義的利害を民主主義の原理に優先させた。民間人を標的にした戦略爆撃はその最たるものであり、戦争終結をめぐる連合国諸国間の駆け引きの直中で落とされた原爆は、その陰惨すぎる最悪の象徴である。

・・・・・敵を外部につくる態度ほど〈ファシズム〉的なものはない。その点でいえば、〈ファシズム〉を外部化する戦中の〈民主主義〉もまた、すぐれて〈ファシズム〉的だったのである。〈ファシズム〉は〈民主主義〉の外部などでは決してない。むしろそれは内部の問題なのである。別言すれば、それは〈民主主義〉と民衆政治の問題なのである。そしてそのように考えるならば、アメリカにも〈ファシズム〉はたしかにあったのである。

・・・・・民主主義とは、民衆が代議制と選挙と多数決によって自らの意思を〈代表/表象(リプレゼント)>する制度にほかならない。しかし、うちなる<ファシズム>が作動しはじめると、それは民衆のなかに希薄化されていた権力を機構の頂点にむけて収奪する装置にいとも簡単に化ける。しかも民主制度は自己をかぎりなく抽象化しているので、小さくゆっくり暴走が始まると、それをチェックし制御する機構がなし崩しにされてしまうのである。

 

1930年代アメリカにはミニ・ファシストたちが多数存在した。

農場休日連合のミロ・リーノ、ドイツ系アメリカ人連盟のフリッツ・クーン、銀シャツ党のウィリアム・ペリー、タウンゼント運動のフランシス・タウンゼント、社会正義国民同盟のチャールズ・カグリン(カフラン)・・・・・。

そのうちの一人、ルイジアナ州連邦上院議員で「富の共有運動 Share Our Wealth Movement(SOW運動)」の組織者、ヒューイ・ロング[あだ名は『キング・フィッシュ』](1893~1935年)が本書の主人公。

幸い国家の最高権力には達しなかったが、無制限の煽動を許す民主主義社会の性質を逆手に取り、一時は恐るべき脅威となって1930年代のアメリカに立ち現われた。

ルイジアナの自営農の息子に生まれ、大学進学に失敗、無軌道・自堕落な生活を経て、セールスマンになるが第一次大戦で解雇され、それから一念発起して大学入学、猛勉強の末弁護士になる。

ルイジアナ州はメキシコ湾に接する南部、西にテキサス、東はミシシッピ州、ミシシッピ川河口の大都市ニューオリンズを擁す。

元フランス領でカトリック教徒の多い、貧しい州。

ロングは政界に進出、<民衆の組織化>、<既成勢力の打破>、<反=大企業のキャンペーン>で「平民の味方」を演出、有力者を卑語・猥語を多用しながら罵倒。

そうした「わかりやすさ」と親密さのなかに、ヒューイはときおり彼らの理解のおよばない話を少しだけまぜることを忘れないのであった。

という具合に典型的デマゴーグとして巧妙に台頭。

個人的口添えで支持者のトラブルを解決、ロングへの批判に対して「それがどうした、みんな彼のおかげじゃないか。」という感覚を生み出す。

1924年知事選に出馬し落選。

既成勢力と大企業と自身に批判的な新聞を三位一体とする陰謀論を展開。

28年の選挙では知事当選、道路建設・教育・医療・天然ガス供給などの公共事業と福祉行政で民衆の支持を広げるが、反対派への圧迫と独裁的姿勢が徐々に強まる。

ロングを支持した民衆は、自由と権利の喪失に気付かなかったのか?

いや、この言い方は正確ではない。誰がどこで代償を払っているかはわかっているのだが、その代償は物理的なものだと思いこみ、そのことを気にかけぬどころか、むしろ小気味いいことと思っているのだ。そしてもっとも始末の悪いのは、ロングの仕掛けた階級怨嗟にこの男は自分が乗せられていることに気づいていない点である。

つまりかれは無自覚のうちに、おのれの心を支配されているのだ。

自由をないがしろにして経済発展をめざす態度。それをここでは<開発主義>と呼ぼう。ロングの公共事業「福祉」政策は、この<開発主義>に他ならない。かれは、たしかにめざましい経済発展をもたらした。しかしそのいっぽうで人びとから自由と権利を奪った。かれが誇示した成功と速度は、自由よりも経済的利益を優先させてはじめてなし遂げられたのだ。

ファシズムのやっかいなところは、そうした<開発主義>をつねに民衆の合意をとりつけながら押し進めてゆく点にある。しかもその合意が、合理的判断力を持った個人の集合体が、冷静さのなかで積極的意志を働かせた結果では必ずしもないにもかかわらず、「民衆の合意」として機能してしまう点にある。こうして一人の、あるいは少数の権力者の意志が、「民衆の意志」にすりかわって政治の世界をひた走る。

為政者は民衆に「開発」を与え、民衆は為政者に権力を与える。手段が目的と化し、目的が手段と化す。そして人びとは繁栄のかわりに自由を失う。こうして民衆と権力と開発主義は手に手を取って輪舞曲を踊り、ロングはそのにぎやかな舞踏のなかを、独裁化の道を突き進んだのである。

民衆と権力と開発主義の輪舞曲は、既成勢力と大企業のうえに恐怖となって立ち現れた。支配と服従を強いる一方で、従わないもの、逆らうものには徹底した復讐を返すことになる。選挙で、人事で、議会運営と課税政策において、ロングは経済エリートたちに、勝つのは誰か、権力はどこにあるのかを教えてゆく。民主政治の<形式>を守る限り、勝つのは金持ちではなく、多くを束ねたものであり、権力はかれらを魅惑したもののところにあるのだということを。

<民主主義>の形式を遵守しながらその実質を骨抜きにすること。これが<ファシズム>台頭の方法である。そうして民主主義を必至に追い込み、最後の一手で息の根を止める。ドイツのヒトラーもイタリアのムッソリーニも、そうやって“合法的に”独裁制を敷き、当の議会制を無力化した。そしてこの点においてキングフィッシュは、かれらヨーロッパのファシストとすこしも変わりなかったのである。

1930年連邦上院議員選に勝利(32年1月まで知事兼任)、31年民主党全米委員会ルイジアナ代表に就任。

(当時、南北戦争以来南部では民主党が独壇場。ニクソン・レーガン時代まで共和党勢力は極小。現在では完全に逆転している。)

不正選挙で後任知事もロング派より就任。

ロングに攻撃された既成勢力の側にも多くの問題はあったが、ロングの手法は議会主義そのものを掘り崩す不正・無法に満ちたものだった。

・・・・・もっとも忘れてはならないのは、民衆はこのような<ファシズム>への道を正当な道と見なし、ロングとともに歩いたことである。<ファシズム>が真に恐ろしいのは、こうして社会の弱点につけ込み、弱いものに「援助」を降り注ぎ、じつは誰かの自由と権利を踏みにじっておきながら、「正義」の仮面をかぶって擡頭する点である。

人びとは見えない支配に踊らされ、その装いに熱狂し、その成果をたたえ、その速度を賛美する。こうして民衆を組織しながら、<ファシズム>は服従と隷属の制度を拡充して行くのだ。

32年6月、ロング自身の宣伝目的でルーズヴェルトの大統領候補指名を支持、以後機会主義的にFDR(フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト)を支持したり罵倒したりする。

内務長官ハロルド・イッキーズ、財務長官ヘンリ・モーゲンソーらの指示で、連邦職をめぐる抗争で反ロング派とFDR派が同盟を組み、ロング派と泥仕合を演じ同じレベルに堕ちる。

その中で、公共事業・社会的救済事業は停滞し、行政は政治化する傾向を見せる。

行政が権力をめぐる暗闘の場となり、住民への奉仕をおきざりにするとき、人びとのあいだにはいっそうの政治不信が広がり、無気力と挫折と絶望が蔓延する。

<民主主義>が<ファシズム>に対抗するには、自ら<ファシズム>に身を落とす以外にない。ファシズムのもうひとつの恐ろしさはこの一点にある。だが、「身を落とす」には、二つのやり方がある。一つはそれを自覚的に、苦渋の選択として受け入れる態度である。そして戦いのあと、そのことを些かもごまかさず、「身を落とした」ことの責任をどこまでも引き受けることである。ではもう一つの態度は何か。<ファシズム>に誘発されて、われ知らずに<ファシズム>に身をやつしてしまう態度である。

同じことをするにも両者のあいだには千里の径庭がある。なぜなら、前者はつねに自己を批判的に見る視点が確保されているが、後者はつねに<聖戦のレトリック>で自己を正当化してはばからないからである。そして、われわれがどちらの道を選ぶかは、まさに<民主主義>と民衆政治の「内部の問題」として発生するのである。

33年3月ごろより、極端な累進課税と相続制限を唱えるSOW運動開始。

当時の最新メディアであるラジオを利用した宣伝。

34年運動は本格化、“Every Man a King”と題された煽動演説を行う。

SOW協会は公称700万人以上で、誇張はあったとしても極めて多数の国民を引き寄せていたことは間違いない。

最低資産保証、労働時間短縮、教育拡充、年金・恩給支給を約束し、「ニュー・ディールとウォール街の結託」を批判。

そのレトリックは通俗の極みで、数字と学者と新聞名の羅列、聴衆は内容をいちいち吟味する時間も方法もないまま、ロングの主張に正確な裏づけがあるという「印象」だけを得て信奉者になってしまう。

その表面上のイメージとは異なり、ロング・プランは反資本ではなく親資本の面もあり(実際に権力を握ればこの種の低劣な人間は大資本との妥協に走るだろう)、社会の拝金主義を否定するものというより恣意的支配欲の現われとも言うべき。

実現可能性はゼロで、100万ドル以上の資産を一律に没収することにしても、全家庭に分配してわずか400ドルという試算。

実効性が無いことを知りつつ、それを大衆動員に利用していた。

ロングの目論見は、36年予備選でFDRを揺さぶり、民主党を離党し第三党を結成、共和党に勝利させ、自身の待望論を高め、40年大統領選で民主党からの指名とホワイトハウスの座を射止めるというもの。

かれは最高権力の椅子に座るために「喜んでもう四年間、国民に苦しみを味わってもらう気」でいた。

SOW運動を意図的に不公平に適用して不平不満を煽り、自暴自棄のエネルギーを自陣に引き寄せ、資産調査を恣意的に活用し、反対派への弾圧に利用。

恐怖に駆られた富者もロングに迎合、ラジオによるプロパガンダと世論操作をますます深化させる。

だれもみな他人の痛みがわからなくなり、今日と明日の生活を救われるために富者の自由と権利をないがしろにして平気になるであろう。じつは自分の心を進んで放棄していることに気づかずにである。そうなればもう、見境のつかなくなったかれらの声が、<見えない支配>に狂わされたかれらの声が、「民衆の声」として「多数者の声」として「声なき民の声」として、闇につつまれたアメリカの空を覆い尽くすにちがいないのである。

むしろ、われわれはこう考えなければならない。すなわち、環境と政策と悪魔的手腕がそろえば、民衆はいかようにも暴走する可能性をひめているのである。そしてそのことにアメリカもドイツもイタリアもない、と。・・・・・「SOWプラン」は分配主義の経済改革を装っているが、その本質は敵の外部化による、<大衆動員>と<独裁化>の政治装置であった。これはじつに恐るべき政治体制にアメリカを導く可能性をひめていたのである。

ここに描いた仮説は、あるいは荒唐無稽と映るかもしれない。しかしロングが国政の場でローズヴェルトと渡りあう一方で、ルイジアナで敷いた完全独裁制と照らし合わせれば、それは<あるいは起りえたかもしれないひとつの未来>として、われわれにその再考をうながすべく迫ってくるにちがいないのである。

陰謀理論すれすれの階級怨嗟煽動が何の制限も受けずに横行し、少数者の権利犠牲が正当視され、結果すべての人びとの権利が否定される。

常に「敵」を造り出す手法、その「敵」と戦う醜いデマゴーグがメディア上では「英雄」とされる倒錯。

「自由と利益のバーター」としか言いようのない事態が進行。

ルイジアナでは、新聞の利益にではなく、総売上額に重税を課す反新聞法制定。

キングフィッシュは、新聞には「うそ」しかなく、自分の側にあるのは「真実」のみと主張する。つまり健全な政争の場ともなりえたところを「うそ」と「真実」の<聖戦のレトリック>で塗りかためたのである。

いかなる限定も条件も設けずに相手を全面的に悪であると糾弾すること。自派が百パーセント正しいと宣言し、たたかいの構図を正邪のレトリックで粉飾すること。それは<ファシズム>の論理である。あるいは<ファシズムのレトリック>と言いかえてもよい。なぜなら<ファシズム>にあっては、論理とレトリックは同一のものだからである。「うそ」を根拠に課税しようとする「新聞税」は、こうして<ファシズム>のレトリック(あるいは論理)をふりまわすキングフィッシュの手によって、州議会に送りこまれることになる。

反新聞法は審議もほとんどなく可決、司法権すら手中に入れ、州警察とは別の実力執行機関を私兵化。

州レベルではもはや独裁体制が完成していたようなものだ。

そして真に恐怖すべきことは、全国の有力新聞がこの事件をとりあげ、反言論統制のアンチ・ロング・キャンペーンをはったにもかかわらず、SOWの人気は少しも衰えなかったという事実である。つまりそれは、ルイジアナの言論の自由よりも、あるいは新聞に意見を発表するほどの人たちの自由よりも、自分が現在の困窮から救われることを優先させたということである。自分を救ってくれる人が、それ以外のことで何をしようと「それがどうした」のひと言で片付けたのである。美しい明日が約束されるなら、見知らぬ他人の発言の自由など、かれらの関知するところではなかったのだ。

かれほど自己イメージの演出にたけた政治家もまれであろう。大切なのは真実ではなく、どう見えるか、どう見せるかである。そうかれは信じていた。そして民衆はこの<見える>ものにこそつき従うのだということを知りつくしていたのである。かれがあれほど新聞の「うそ」にこだわったのも、自分が本当はうそをついているからであり、新聞の「うそ」は己れの演出努力を台無しにするからだったにちがいない。

自身は連邦議員で権限もないのに堂々と州議会に出席。

反対派議員が何を言っても口汚いジョークの餌食にするか無視。

正常な言論討議など成り立たず、反対派は無力感を持って沈黙するほかなかった。

審議の「能率化」によって、ある委員会では10分間に七つの法案が採決された。

あらゆる利権を横取りし、暗黒界とも影で協力し、人事権を恣意的に拡張。

ニュースを含むすべての映画上映を禁止し、ジャーナリズムを完全に抑えつける。

ルーズヴェルト政権はルイジアナ州への軍事介入すら検討した。

しかし、その独裁に突如終止符が打たれる。

35年9月ロングが青年医師に狙撃され暗殺。

犯人も射殺され、陰謀説も囁かれたが、その根拠は薄い。

犯人の動機として、ロング独裁への反感の他、ロングの政敵であった、妻の家族に対し、ロングが人種的中傷を行っていたことがある。

南部で深刻な人種問題に対するロングの対応は典型的二枚舌で、KKKへ迎合すると思えば、それを黒人記者に釈明するという具合。

ロングに人種偏見が薄いというより、白人・黒人双方に支配欲を発揮したというだけ。

暗殺者の側にも「黒人の血が混じっている」とのロング発言に反発したような偏見があったが、結局ロングの自業自得とも言える。

死後、SOW運動は内部分裂し、腐敗摘発の対象となりロング派は崩壊、残存勢力はFDR政権と妥協・和解、ただロングへの郷愁だけは残る。

「ロング神話」とは、たしかにロングの正当化であったが、それ以上に民衆による自己正当化の物語であった。ロングは正しく、かれを支持し選択した自分たちもまた正しかったというわけである。・・・・・民衆は贖罪のエレメントを必要としていた。ルイジアナ・スキャンダルはそこに格好の素材を提供した。・・・・・民衆はみごとに子分たちを叩きのめし、ロングを聖化し、自己を正当化した。そして自分たちの過ちを認めることだけはしなかった。

 

 

<笑い>あるいは<ユーモア>ほどファシズムから遠いものはない。多くの人はそう考えるだろう。

たしかにヒトラーやムッソリーニに<笑い>はない。敵を嘲笑したり、不敵な笑みを漏らすことはあっても、かれらはいずれも人から笑われることを極度に恐れ、嫌った。当然であろう。かれらは強烈なカリスマ性を身にまとい、自己を人びとの崇拝の対象に高めるべく努めたのだから。そのような独裁者たちにとって、<笑い>はかれらの虚飾と努力をうち砕く破壊的要素でしかなかった。ファシズムに対抗する手段として<笑い>の戦略化が提唱されるゆえんもここにある。

ところがヒューイ・ロングには<笑い>という対抗手段が通用しない。なぜならかれはユーモアと笑いを民衆の動員と組織化の方法に組み込んでいたからである。ロングは笑われることを少しも恐れなかった。それどころか、みずから道化的パフォーマンスを買ってでて、笑われることをつうじて人びとの心に浸透し、その笑いを勝利と権力と支配に結びつけていったのである。その意味で、かれはたいへん特異なファシストであった。

・・・・・われわれ日本人はほんとうに三〇年代のルイジアナ政治を笑えるか・・・・・われわれはどのくらい腐敗政治に寛容であるか。どれほどの茶番が赦されているか。われわれは政治家を尊敬しているか。尊敬されない政治家が当選するのはなぜなのか。

笑ってばかりいられない理由はほかにもある。ファシズムは豊かな国が貧しくなったときに出来する(ほんとうに豊かでなくともよい。問題なのは、貧しくなったときに豊かだったと錯覚することである)。では日本の未来はどうであろうか。われわれは物心両面でますます豊かで恵まれた社会を築いてゆけるだろうか。それとも荒廃した心と政治的未成熟はそのままに、いまの物質的繁栄を失ってゆくのだろうか。残念ながら現在のところ、多くの人は後者を予想するように思われる。

日本が貧しくなったとき、緊急に解決すべき問題が山のように積み上げられるだろう。それらを解決するためには強力な指導力が必要になるにちがいない。大切なのは、正確で規則に従ってはいるが実効に乏しいのろまな手続きではなく、強引でもなんでも速度にすぐれた達成であるからだ。しかしそれは一方でファシズムの発芽を許す格好の土壌を形成する。そのとき、目の前に<ロング>と<ローズヴェルト>がいたとして、果たしてわれわれはどちらを選択するのだろうか。うまく後者を選択したとして、その<ローズヴェルト>が堕落しかけたとき、冷静にそれをチェックできるだろうか。

時折、戦前ファシズムの復活を憂慮する意見を聞くが、筆者はその心配はないと考える。

そういう事態が訪れたときは、われわれはよほどの阿呆だったと言うしかないだろう。

むしろ気をつけなければならないのは、もっと洗練され、ファシズム的側面を隠したファシズム、つまり仮面をかぶったファシズムである。それはどんな仮面だろうか。正確な予想は難しい。しかしロングの<笑う/われるファシズム>、<陽気なファシズム>は、笑いとパターナリズムが恐怖政治を隠すという点で、ヨーロッパ型ファシズムにはない、ひとつの練習問題を提供してくれるはずである。

 

本書が出た1997年の時点で、こう書いた筆者の慧眼はただ事ではない。

「既得権益」を攻撃し、様々な社会保障制度や労働規制の廃絶を目論み、新自由主義的市場原理主義的「改革」をどんなに深刻で致命的な弊害や副作用があろうと強行し、最新メディアであるネットという個人攻撃の凶器を用い、既存メディアや反対する人々を誹謗中傷と罵詈雑言という言論の暴力と卑怯・卑劣な一方的印象操作で沈黙させ、一部資本の傀儡に過ぎないという自分の正体はひた隠す最低最悪の「右派」的デマゴーグ政治家や「論客」が跋扈する現在の日本を見ると、背筋が凍る著作。

そのような醜悪・卑劣な連中がネットを中心に大量に氾濫させている憎悪表現によって、我々は「心を支配され」ているにも関わらず、それに無自覚で何の抵抗もできずにいる。

もう「笑いのファシズム」はこの国の支配を完成させつつある。

 

 

アメリカ史のみならず、より広い視野からも必読の文献。

強く薦める。

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