万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年10月29日

木宮正史 『国際政治のなかの韓国現代史』 (山川出版社)

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東大・早大での講義テキストとして作成した書籍とのこと。

冒頭、「政治歴史学」と「歴史政治学」の区別について。

「政治歴史学」は一次史料に基く実証的研究。

「歴史政治学」は普遍的理論的歴史説明を重視するもので、歴史事例で理論を構築する。

本書は主に前者の立場を採りつつ、韓国現代史に三つの普遍的意義を認める。

1.冷戦体制(南北分断と国際的冷戦)の相互関係。

2.発展途上国からほぼ先進国水準となった韓国の経済発展。

3.民主主義体制への転換。

3について、「民主化第三の波」(ハンチントン)すなわち、1970年代半ばより起った南欧・中南米・東南アジア、特に1986年フィリピン革命の影響を重視。

ここで「権威主義体制」の定義が出てくる。

他の本でも極めて頻繁に出てくる用語なので、これは是非とも理解しておいた方が良い。

政治学者ファン・リンスがスペインのフランコ体制を分析するために提案し、広く使われるようになった概念。

「限定された、責任能力のない政治的多元主義をともなっているが、国家を統治する洗練されたイデオロギーはもたず、しかし独特のメンタリティーはもち、その発展のある時期を除いて政治動員は広範でも集中的でもなく、また指導者あるいは時に小グループが公式的には不明確ながら実際にはまったく予測可能な範囲のなかで権力を行使するような政治体制」

というのがその定義。

ごく単純かつ通俗的に言えば、「全体主義独裁体制ほどは悪くないが、民主主義体制ほど良くもない、その中間」の政治体制。

(個人的には全体主義と民主主義を単純な対立概念とすることに疑問を感じるし、むしろ両者は[伝統的意味での]権威主義に対して同様の性質を持つと私は考えるが。)

 

 

1945年解放直後、呂運亨ら「建国準備委員会」が中道左派および左派主導で「朝鮮人民共和国」建国を宣言。

要職には挙国一致的に左右両派を配していたが、本人の了承を必ずしも得ずに名簿に載せただけの例もあった。

この政府は米軍政によって否認され、雲散霧消。

当時の米軍占領下南朝鮮の政治構図。

まず右派から。

1.李承晩=亡命先だった米国との太いパイプ、独立運動家としての高い名声が利点。しかし国内支持基盤は弱体。南部の単独政府樹立路線。与党自由党結成。

2.金九=上海・重慶で中国国民党と行動を共にする。統一と南北協商を主張。

3.金性洙、宋鎮禹=韓国民主党(韓民党)結成勢力。過去に日本と妥協的で、カリスマ的指導者を欠くのがネック。李承晩派と一部対立しつつも連携。

 

左派。

朴憲永=朝鮮共産党。日本時代の地下活動経験。米軍政の弾圧で越北。46年10月大邱騒乱を起こす。直後、他の二党派と合併して南朝鮮労働党(南労党)を結成。

 

中間派。

1.呂運亨=中道左派。

2.金奎植=中道右派。

47年呂の暗殺と冷戦激化に伴う左右分極化で中道派は没落していく。

農地改革と「親日派」粛清問題で左派が当初優勢。

しかし即時独立ではない国連信託統治にソ連の指示を受けた左派が賛成、これを機に民族主義的主張のイニシアティヴを握った右派が盛り返す。

中道派主導による信託統治受け入れと南北分断回避という歴史のイフは、ソ連占領下の北も単独政府樹立に積極的だったことから、可能性は薄いと著者は指摘している。

米軍政は右派を支持する方向へ。

大邱騒乱で共産党幹部だった、朴正熙の実兄死亡。

48年4月済州島反乱。

8月には大韓民国が建国されるが(第一共和国)、10月には麗水・順天で軍反乱が起き朴もこの時逮捕されている。

単独政府樹立前に、金九・金奎植らが平壌に行き協議を行っているが、結果として金日成に利用された側面が強い。

 

 

ここで、韓国の歴代政治体制を整理。

第一共和国=48~60年。李承晩大統領時代。

第二共和国=60~61年。唯一大統領ではなく首相が実権を持った時期。

軍政=61~63年。左派から転向した軍人朴正熙によるクーデタで成立。

第三共和国=63~72年。朴正熙時代。

第四共和国=72~79年。通称「維新体制」。朴正熙時代後半。より抑圧的と言われたが、北朝鮮における最悪の独裁と対峙していたことも考慮する必要があるでしょう。

第五共和国=80~88年。朴暗殺後実権を握った全斗煥時代。

第六共和国=88年から現在まで。民主化以後。

 

 

続いて、北朝鮮の政治派閥。

曺晩植の朝鮮民主党が弾圧されて以後、非共産勢力が存在する余地は無くなっていった。

「満州派」=金日成、崔庸健ら。団結力が強いので本書では他系と違って「派」と表現。

「ソ連系」=許哥而(ホガイ)ら。ソ連極東朝鮮系住民と中央アジア強制移住者の中から選抜。

「延安系」=武亭、金枓奉ら。親中国共産党派。

「国内系」=植民地時代国内に留まっていた共産主義者。金日成と協力していたグループは「甲山派」と言われる。

「南労党系」=朴憲永ら。私は本書を読むまで、これと国内系を混同して理解していた。

朝鮮戦争後、南労党系が粛清、55年朴憲永処刑、56年スターリン批判に勢いを得た反対派が反金日成運動に乗り出すが、弾圧されソ連系・延安系排除、金日成の独裁体制が確立。

 

 

北に対して軍事的・経済的劣勢と見られていた韓国では李承晩政権が反政府運動で倒れた後、韓国史上唯一の議院内閣制時代の第二共和国が成立。

与党民主党のうち、旧韓民党出身の旧派(大統領尹潽善)と官僚出身などの新派(首相張勉)が対立、政治混迷と経済不振が続く中、61年朴正熙が軍事クーデタを起こす。

朴政権下で急速な経済発展に成功。

李承晩の評価について、保守的な朴派も反朴的左派も共に批判的、保守側では経済停滞と腐敗を指摘、進歩側では金九などと比較して李を南北分断の責任者とする。

しかし朴政権下での発展も、その基盤整備をしたのは(植民地近代化論の立場に立たなければ)李承晩政権であるし、現在の韓国の北に対する圧倒的優位を見れば単独政府の選択は間違っていなかったとする見方も強い。

一方、60年代の北朝鮮では満州派金日成の独裁確立、中ソ対立が深刻化すると主体思想を唱えて67年首領絶対性・唯一指導体制という共産主義国の基準でも異常な個人崇拝体制が固まっていき、74年には金正日への権力世襲内定。

経済面では大きく立ち遅れ、中ソ対立で自主性は高めたが、日米韓協力に比べると体制競争においてやはり極めて不利な立場になった。

米中接近に直面して国内引き締めのため、韓国は「維新体制」導入、より権威主義的政治制度に。

同じ朴政権でも、前半とこの維新体制の後半とでは大きな違いがあるとされている。

79年政権内の権力闘争から偶発的に朴暗殺、崔圭夏が大統領になるが、12・12クーデタで全斗煥に実権掌握。

軍部が一枚岩を保ったのに対し、民主化勢力は金大中派・金泳三派などに分裂していたため、第五共和国成立。

しかし正統性欠如は否めず。

60年代、体制競争で優位と思われていた北は南北二者間の対話枠組みを主張し、それに対し韓国は国連外交に依拠して反対。

70年代以降、両者の国力は均衡、72年の共同声明以来、南北対話も開始。

以後、北の「一つのコリア」政策が攻撃的なものから防御的なものに変化。

南北対話より米国との平和協定を主張するようになる。

韓国の(暫定的な)「二つのコリア」政策も攻撃的なものとまでは言えず、北と西側諸国の外交関係を阻止することに重点を置いていた。

その点では北が「一つのコリア」政策に固執してむしろ良かったとも言える。

南で反米急進化した民主化運動が、軍と理性的な在野勢力が米国を媒介に妥協することを促し、結果国論全体の穏健化に落ち着いた逆説を本書では指摘している。

88年ソウル五輪を盛大に開催、89年東欧共産圏崩壊。

90年南北高位会談、91年南北基本合意書(体制相互承認、交流拡大)、朝鮮半島非核化共同宣言。

94年核問題についてのジュネーヴ米朝枠組み合意。

韓国内政は金融危機の後、進歩派の金大中政権、盧武鉉政権でも新自由主義的政策と本来の支持基盤の社会民主主義的政策が同居する奇妙な状況。

イラク戦争派兵と米韓自由貿易協定、異常な社会格差拡大。

核問題では2003年第一回六者協議が開始されたが、06年北朝鮮は核実験実施、09年再実験。

韓国の対北包容政策が核開発を促したとの批判は必ずしも妥当ではない、北は米国向けの体制維持のため、韓国の態度如何に関わらず核開発を進めたと思われる、と本書には書かれている。

2011年金正日の死まで記しておしまい。

 

 

まあまあ良い。

木村幹『韓国現代史』(中公新書)と並ぶ良書。

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