万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年10月27日

ギー・ペルヴィエ 『アルジェリア戦争  フランスの植民地支配と民族の解放』 (白水社文庫クセジュ)

Filed under: イスラム・中東 — 万年初心者 @ 05:18

フランスのアルジェリア占領は1830年より。

19世紀後半からの本格的帝国主義時代よりかなり前で、インドシナ・サハラ地方・セネガルとはやや異なる性質を持つ植民地。

イギリスの植民地のうち、アメリカ独立は反植民地主義というよりアメリカ国民自身が先住民の征服者であった。

カナダ・オーストラリア・ニュージーランドは白人が多数派を占める「本当の植民地」。

それらとインド・アフリカとの中間が南アフリカと南ローデシアで、ここでは入植白人と先住民の激しい対立があった。

フランスの場合、ニューカレドニアを例外として大規模な植民はなし。

そもそも19世紀半ば以降人口増加が止まった唯一の国。

アルジェリアのフランス人人口は帰化ヨーロッパ人と現地ユダヤ教徒を合わせても最大14パーセント、1954年では10パーセント未満だった。

トルコ私掠船への攻撃から始まったアルジェリア出兵に対し、アブドゥル・カーディルが抵抗、それを退けたが、上記の通り完全な入植・同化政策には失敗。

1920年代から独立運動が本格化するが、細かな組織名は煩瑣なので省略。

急進派を率いたメサーリー・ハーッジュと穏健派のフェルハート・アッバースという二人の人名と、アラブ・イスラム的アイデンティティを追求したアルジェリア・ウラマー協会と合わせて、三つの流れがあったことだけを確認。

第二次大戦後、活動を活発化させたメサーリーの急進派地下組織は、パレスチナ戦争に忙殺されたアラブ諸国の支持を得られず弱体化、メサーリーは反主流派に転落、ここで主流派の一員として有名なベン・ベラの名前が出てくる。

1954年民族解放戦線(FLN)と民族解放軍(ALN)結成、独立戦争開始。

同年ジュネーヴ協定でインドシナから撤退したフランスはすぐさま別の植民地戦争を戦うことになった。

鎮圧・平定作戦は進捗せず、国内対立は激化、その危機的状況の中でド・ゴールが復帰し、第五共和政を創設、自らを担ぎ出した過激右派の主張を排して、アルジェリア独立を1962年エヴィアン協定で認めたのは周知の通り。

ド・ゴールの決断は、根本的にフランスがアルジェリアのムスリム人口を吸収するのは不可能だという認識に立ってのもの。

「私の村はコロンベイ・レ・ドゥ・エグリズ(・・・・「二つの教会のあるコロンベイ」)ではなく、コロンベイ・レ・ドゥ・モスケ(「二つのモスクのあるコロンベイ」)になってしまうだろう」

勝利を目前にしたFLNも分裂が激しく、メサーリー派は弾圧され、アッバースは解任、後任のベン・ハッダとベン・ベラおよびブーメディエン(ALN総司令官)の権力闘争が発生、ベン・ベラが勝利し独立後の指導者となる。

悲惨な戦争の中で、フランスはFLNより多くのアルジェリア人ムスリムを殺し、FLNはフランス人よりも多くの「裏切者」アルジェリア人(ハルキ=仏軍のムスリム補充兵を含む)を殺していると、本書では指摘されている。

 

 

あまり読み易くない。

フランス人向けの入門書と、日本人向けのそれとでは、大きな差がある。

あまり細かな点をメモする気にもなれない。

類書が少ないので貴重ではあるが・・・・・。

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