万年初心者のための世界史ブックガイド

2015年10月22日

大城道則 『古代エジプト文明  世界史の源流』 (講談社選書メチエ)

Filed under: オリエント — 万年初心者 @ 06:47

苦手・手薄分野の補強、というほどの殊勝な気持ちも無く、たまたま目に付いたので読んでみた。

以下、適当な内容抜き書き。

 

 

最初のファラオは、ギリシア・ローマ文献史料ではメネス、考古史料ではナルメル。

オシリス神話=兄オシリスを弟セトが殺害、オシリスの妻イシスが遺体を探しエジプトへ、子のホルスがセトと戦い勝利、結果オシリスは冥界、ホルスはこの世、セトは砂漠の王となった。

最初は王のみが死後オシリス神になると考えられたが、中王国時代は誰もがそうなるとされ、「オシリス神の庶民化」が起こり、新王国時代の「死者の書」に繋がる。

ピラミッドで王のミイラが発見された例はなく、そもそも墓ではないとの説もある。

 

 

第二中間期(前1650~1539年頃)ヒクソス(セム系?)の支配。

前17世紀前半にはヒッタイト、ミタンニ、カッシートの活動。

プトレマイオス朝時代のマネト『エジプト史』では、ヒクソスの急激な侵入を記しているが、実際には徐々に定着しエジプト文化も尊重しており、デルタ地帯の都アヴァリスは国際的都市となった。

 

 

アメンホテプ4世(アクエンアテン)のアマルナ時代。

太陽神ラーとテーベ主神アムンの習合、アムン・ラー信仰により新王国時代有力神官団が形成。

多神教内でも神々の序列はあり、天上はラー、地上はホルス(=ファラオ)、冥界はオシリスが支配すると考えられた。

王位はアクエンアテン(妃はネフェルトイティ)→スメンクカラー→トゥトアンクアテン(「アテン神の生ける似姿」)と移り、トゥトアンクアテンがトゥトアンクアムンと改名するが、これがいわゆるツタンカーメン王。

アメンホテプ4世は「一神教の祖」というより、アムン神官団排除のためにアテン信仰を興した、ラー神は認めていたし、ヒクソス時代にはセト神一神教が行われていたので、4世だけが唯一特殊例ではない、またモーセがこのファラオに近しい立場にあり、そこからヘブライ人の一神教が生まれたとするフロイトの推論は、時期的に合わず難があり、現在では認められていない、とのこと。

セト神は悪神化され、ホルス王権と対照的に位置付けられたが、それゆえにかえってアテン神のような忘却化を免れた。

 

 

アマルナ時代の外交を物語るアマルナ文書。

バビロニア・アッシリア・ミタンニ・ヒッタイトによる均衡状態。

文書はほぼすべて当時の国際共通語アッカド語(アッシリア・バビロニアの母語)で書かれている。

ヒッタイトの南下とアッシリアの台頭という平和から動乱への時代の変化が読み取れる。

ヒッタイトとのカデシュの戦い。

前1479~25年トトメス3世(第18王朝)が領土を拡張したが、アマルナ時代にシリア・パレスチナでの影響力を喪失、その後前1279~1213年頃ラメセス2世(第19王朝)が再拡張。

ライバルのヒッタイトはインド・ヨーロッパ語族系だが、実際は多民族国家。

古バビロニアとミタンニを滅ぼすが、カデシュではエジプトと引き分け、アッシリアへの懸念から講和締結。

 

 

前13世紀末から12世紀初頭、「海の民」の侵入。

ヒッタイトやミケーネが滅亡させられたなか、第19王朝メルエンプタハ王のエジプトは、イスラエルと並んで、その撃退に成功。

「海の民」について、碑文では「サルディニア・シチリア・アカイア・エトルリア・リュキア・ペリシテ人」などの名があるが、的確な表現なのかが不明で、それぞれの民族名の最後に「海の」という形容詞が付くため、普通「海の民」と呼ばれる。

「海の民」は滅ぼした王国の民を組み込んで膨張、固有の文化を持たず。

ここで著者は飛躍的かもしれないがと断った上で、全く別種の、驚くべき推論をあげているのだが、実は「海の民」とは津波災害の擬人化された表現である可能性があると書いている。

 

 

アレクサンドロス大王の侵入、ギリシア文明の拡大と人類同胞理念を強調するのはギリシア・ローマ的見方で、現在では西洋中心主義と言われても仕方ない、東方が西方に与えた影響の方が大きいはずとしている。

また大王が「東征」ではなく「西征」に向かっていれば、ローマもカルタゴも滅ぼされていただろうと書かれていて、そうなれば世界史は全く変わったものになった可能性があるわけである。

ヘレニズム時代、アレクサンドリアの繁栄もエジプトによる周辺文化の消化という面は変えられず、一方的ギリシア化が進んだとは言えない、ただクレオパトラはその死後もエジプトの象徴として強いイメージを残すことになった。

ローマ時代もエジプト文化は拡散し続け、英国ヨークにもセラピス神殿遺跡が存在し、ハドリアヌス帝のエジプト趣味も有名である。

 

 

 

タイトルと目次を眺めていた時は実に面白そうだったのだが、実際読んでみるとそうでもなかった。

もう一つ食い足りない。

章ごとに「はじめに」と「おわりに」とがあり、読み易く丁寧な叙述ではあるが、内容はいまいちでした。

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